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ローゼンベルク家の食卓

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2008年6月の日記

【3-13-7】★★★★狂宴2

2008/06/13 3:43 三話十海
 
 ドアを開け放ち、外に待機していた部下を呼び寄せた。

「待たせたな。改めて紹介しよう、レオンハルト・ローゼンベルクの愛人……いや『最愛の人』だ」

 ほとんど声は素通しだったろう。目をぎらつかせて、物欲しげに部屋の奥をのぞきこんでくる。

「俺の昔の相棒でもある。どうだ、なかなかいい体をしてるだろ?」
「フレディ……っ!」
「ああ、そんな顔するな。安心しろ、ここで見ていてやるよ……お前が見ず知らずの男どもに犯される所を、じっくりとな」

 くしゃっと奴の顔が歪む。かすかに首を横に振り、口の端がわなわなと細かく震えている。
 ああ、いい顔だ……可愛いったらありゃしない。

「滅多にない上玉だ……さあ、たっぷり可愛がってやれ」

 待ちかねたように部下どもが生け贄に群がってゆく。
 狂宴の始まりだ。

「よせ……触るなっ」

 四方八方から手が伸ばされ、奴の体をなで回す。何本もの手が肌の上を蠢き、這いずり回る。
 乳首やペニス、関節の内側、首筋、太もも、脚。感じやすい部分はとくに念入りに。
 探すのは簡単だ。奴はすぐに反応する。
 別に優しくしている訳じゃない。
 どいつもこいつもちゃんと知っているのだ……奴の体が今、どれほど鋭敏になっているか。

「あ……あ……や…め……あ……うぅっ、うっ」

 緩慢な責め苦に身悶えして唇を噛み、少しでも声を殺そうとするのをさらに執拗に弄り回す。次第につねったり、爪を立てる動きが交じり始めた。

「そうだ、じっくりいじってやれ。触り心地がいいだろう? ああ、もう堅くとがってるじゃないか。しゃぶってやれ。噛んでやれ。いい声で鳴くぜ……」

 一人が乳首にむしゃぶりつき、口に含んでじゅくじゅくとしゃぶり始めた。

「く…う……あぅっ」

 それを合図に部下どもが一斉に奴に吸い付き、舐め回す。きめの細かな肌がみるみる唾液で汚されてゆく。

「ひっ、あ、あぁっ」

 声が高くなった。誰か歯を立てたな?

「……おい、指入れる必要はないぞ。さっき俺がさんざんかき回してやったからな。遠慮なくぶち込んでやれ」
「OK、ボス」

 即座に左右から手が伸びて、足が押し広げられる。容赦無く限界まで。

「やめろっ、やめ………っっ」

 つい今しがた、俺が犯したばかりの場所に視線が集中する。見られたせいなのか。それとも未だしつこく肌をまさぐる手のせいか。ぽってりと充血した穴が、ひく、ひく、と震え、白い粘つく液体がこぼれ落ちた。
 手下どもが一斉に喉を鳴らす。
 一人目が慌ただしくジッパーを引き下ろし、自分の逸物を取り出してさらけ出されたアヌスにあてがった。
 狂った様に彼は首を左右に振り、逃れようと暴れたが、寄ってたかってがっちり押さえ込まれる。

「く……あ……」
「いいねえ。ひくついてやがる。待ち切れないって感じだぜ………うぁ……すごいな」

 何組ものぎらぎらした目が、食い入るように見つめている。
 皆待ち構えているのだ……。
 奴が犯される、その瞬間を。

「よ……せ……」
「嫌だね」

 ぐいっと最初の一人が腰を進めた。

「ぅ、あぁーーーっ」

 虚ろな部屋に響く心地よい悲鳴を聞きながら部屋を出た。
 ベッドのスプリングが派手に軋んでいる。よほど待ち遠しかったのか、最初っからハイペースで攻めてやがる。
 おいおい、無茶しやがって。少しは加減してやれよ?

「やっ、やめろっ、やめてくれっ、あ、ああ、あ、や、あ、も、あ、ひ、う、あ、ぅあっ」

 撃たれても、殴られても膝をつかなかったタフな男が、あられもない悲鳴を挙げて鳴き叫ぶ。

「っ、よせ、何をっ………ぐ、うぅっ」

 不意にくぐもったうめきに変わった

 おやおや。誰か、せっかちな奴がいたらしい。自分の番が来るまで待ち切れなかったと見える。
 上と下、いっぺんにぶち込まれるのは初めてだろうに。

 ただでさえ感じやすい所にたっぷりクスリを効かせたあの体で……果たしていつまで正気でいられるやら。
 気の毒に。

 下げ渡すのを少し早まったかな。

 惜しいような気がしないでもないが、焦ることはない。奴はもう逃げられない。
 さしあたって自分は、先に仕事を済ませておこう。

 切りとった髪の毛を封筒に入れて歩き出す。
 こいつが届いた時、お前はどんな顔をするんだろうな……レオンハルト・ローゼンベルク。


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【3-13-8】ままのいない食卓

2008/06/13 3:44 三話十海
 ディフが帰ってこない。
 夕食の時間になっても戻らない。こんなこと、初めてだ。

 どこに行っちゃったんだろう。
 メールしても返事が来ない。いつもなら「サンクス」とか「今日は遅くなる」とか。ほんの一言、だけど必ず返事をくれるのに。
 ものすごく迷ってから、電話してみた。
 電源が、切られていた。

 仕事で忙しいのかもしれない。
 だけど、嫌な胸騒ぎがする。
 
 震える手で携帯を閉じると、オティアが自分の携帯をかちゃりと開いてレオンに電話した。

「ディフが帰ってきてない」

 その日の夕食はアレックスが作ってくれた。食卓ではほとんど誰も口をきかなかった。

 夕食が終わった直後に荷物が届いた。バイク便で、封筒が一通。レオンが受け取り、さっと表面に目を走らせた。

「オティア。シエン。二人とも、部屋に行きなさい」
「でも、お皿、洗わないと……」
「アレックスに頼むから。いいね」
「……はい」

 穏やかな声だった。でも、全然感情がこもっていない。冷たくて、固い、氷柱を呑んだような声だった。

 オティアと二人、大人しく部屋に戻る。
 四年前……セーブル家のパパとママがいなくなった日を思い出す。
 あの時も最初は、ちょっと帰りが遅いなって思っただけだったんだ。まさか、永遠に帰ってこなくなるなんて。

 やがて玄関のドアが開く気配がして、慌ただしく誰かが入ってきた。微かに聞こえる知らない声。知らない足音。
 一体、何が起こっているのだろう?

 胸が苦しい。
 怖くて、心細くて、目に見えない壁に押しつぶされそうだ。
 ベッドに潜り、丸くなって膝をかかえても震えが止まらない。

 こんな時、『大丈夫だよ』って言ってくれるはずの人が今、そばに居ない。

 どこに行っちゃったの、ディフ。
 早く帰ってきて……お願いだから!

「……シエン」

 そっと毛布の上からオティアが触れてきた。
 おそるおそる顔を出す。

「オティア……」
「見てくる」

 黙ってうなずき、見送った。
 部屋を出て行く、オティアの背中を。


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【3-13-9】天使のいない夜

2008/06/13 3:45 三話十海
「やあ、オティア。珍しいね、どうしたんだい?」
「ディフが帰ってきてない」
「……すぐ帰る。夕食はアレックスに頼みなさい」

 こんな時間まで彼が戻らないなんて、子どもたちが家に来てからは初めてのことだ。しかも、何の連絡も無しに。すぐにバートン捜査官に電話すると、申し訳なさそうに告げられた。

「実は……マックスにつけておいた護衛が……振り切られた。すまない」
「彼はプロだからね。それで、ディフは今どこに?」
「現在、捜索中だ」

 ディフが自分の意志で護衛をまいたとなると、容易に見つかりはしないだろう。
 彼は探偵だ。尾行のやり方を心得ていると同時に、かわすやり方も熟知している。
 だが何故、そんな事をしたのだろう?

 バートン捜査官との電話を終えてから改めてディフの携帯にかけるが、電源が切られていた。
 駐車場に降りる途中で探偵事務所にも立ち寄ってみたが、居なかった。ざっと見たところ荒らされた形跡もない。

 ただの思い過ごしであってくれればいいのだが……。
 

 ※ ※ ※ ※

 
 家に戻り、遅い夕食をとる。無言のまま、機械的に食べ物を口に運ぶ。ほとんど味もにおいもわからない。
 シエンがしきりと時計を気にしている。珍しく携帯を食卓の上に置いている。ディフからの電話を待っているのだ。いつ、かかってきてもいいように。かかってきたら、すぐ出られるように。
 
 極めて静かな夕食を終え、食後のコーヒーを飲んでいると、インターフォンが鳴った。
 階下に荷物が届いたらしい……バイク便で。届けに上がってくるよう伝えた。

 ほどなく呼び鈴が鳴る。運送会社の制服を来た配達員が封筒を持って立っていた。サインをして受けとる。少し厚みがあるが、妙に軽い。
 差出人はディフォレスト・マクラウド、だが筆跡が違う。

 彼の字じゃない。

「オティア。シエン。二人とも、部屋に行きなさい」
「でも、お皿、洗わないと……」
「アレックスに頼むから。いいね」
「……はい」

 ヒウェルが足早にキッチンに歩いて行き、使い捨てのゴム手袋を持って戻ってきた。

「これを」
「ありがとう」
 
 手早くはめて、封筒を明かりに透かす。配線や金属の類いは入っていないようだ。注意深くハサミで封を切り、中身をテーブルの上に取り出す。
 中に入っていたのは一房の髪の毛。色は見慣れた赤、ゆるくウェーブがかかっている。

「くそっ」

 ヒウェルが悪態をつく。ほぼ同時に部屋の中に鈍い音が響いた。

「………レオン。大丈夫ですか?」

 右手に鈍い痛みと衝撃の名残が残っている。知らずにテーブルを殴りつけていたらしい。

「ああ……」

 拳を握る。薄い手袋を通してきりきりと、爪が手のひらに食い込む。

「FBIに連絡を」
「了解」

 ヒウェルと顔を見合わせ、どちらからともなく書斎に向かって歩き出す。この話、これ以上子どもたちに聞かせる訳には行かない。


 ※ ※ ※ ※


 火のついていない煙草をぎりっと噛む。本来ならエンドレスでふかしたい所だがここはレオンの書斎だ、喫煙などもっての他。
 たとえ非常時だろうとこれだけは変わらない。

 目の前には一枚の封筒。中身は一房の赤毛。長さといい、色といい、今さら誰のものかなんて確かめるまでもない。
 レオンはテーブルを殴りつけた後は至って落ちついている……ように見える。いつもと同じ様に穏やかで、冷静で。
 ヤバい傾向だ。どれだけストレス感じていようが、表面に出ないから始末が悪いんだよこの男は。

「Mrs.ダーヘルムとMr.バートンがおいでになりました」

 アレックスの案内でFBIの「モルダーとスカリー」がお出ましだ。
 二人とも慣れた手つきで薄いゴムの手袋を取り出し、はめて、封筒と中身を受けとった。

「ざっと見たけど刃物で切断されてる……毛根がないとDNA鑑定は難しいわね」
「だが封筒から犯人のが出るかも知れないだろう。前科があれば、割り出せる」
「OK。うちのラボに持ち帰る? それとも市警で?」

 すっと片手を上げてご注進申し上げた。

「市警。元身内だから優先順位が高い」

 それに市警察のCSIにはエリックがいる。奴なら最優先でやってくれるはずだ。
 腹の底で薄らぐらい算盤をはじいていると、藤色がかったグレイの瞳で見上げられた。

「捜査に私情を持ち込むつもり? H」

 低い声、落ちついた口調。どんな時でも冷静、聡明にして剛胆。ああ、まったくもって魅力的な人だよ、オルファ……あなたが女性でさえなければ。

「持ち込みますよ。俺ぁ奴の友人ですからね。それに俺は警官じゃない」
「そうよね、ジャーナリストですものね。あなたが私情を挟まないのは……」
「書く時だけ」

 書く時だけ。
 その一言が、ちりっと記憶の底に引っかかる。
 改めて、ジップロックの中に収められた『証拠品』を凝視する。

 透明な袋に封じこまれた一房の赤毛。小さなラベルに採取した日付を添えて……。
 以前、これと同じ光景を見ている。

 そうだ。
 確かに、俺は、見た。

 記憶をたぐっている最中にレオンの携帯が鳴った。
 レオンは携帯を取り出し、ちっぽけな液晶画面に表示される名前を確認してから開いて耳に当てた。

「ディフ?」

 相手の返答を聞くなり、レオンは無言で携帯をスピーカーモードに切り替えた。

「やあ……ローゼンベルク。借り物の携帯から失礼するよ。俺を覚えているか?」

 流れる声に記憶が巻き戻る。
 奴だ。

「四年前は世話になったなぁ。お前と、あの忌々しい眼鏡の記者に……」

 フレデリック・パリス。
 四年前、俺が始めての署名入りの記事を書いた際にターゲットにした男。
 元警察官、犯罪組織と繋がり、容疑者に取り調べと称してセクハラをくり返していた。
 自分を裏切った妻と同じ、赤毛の人間に異様に執着する性質があり、秘かにディフを狙っていた。

 何故、今、奴の声がレオンの携帯から聞こえるのか。
 借り物って言ったよな。誰からだ?
 くそ、考えたくもない!

「ディフォレスト・マクラウドを預かっている。理由はわかってるだろう? この間、手紙でも警告したあの一件。考え直してもらえないか?」
「馬鹿なことを……それで俺が態度を変えるとでも」

 なるほど、件の脅迫状の送り主は彼だったのか。ってことは、あれか。警察官から犯罪組織の一員に鞍替えしたってことか?
 ある意味、適職だ。

「彼は………………最高だな。君が仕込んだのか?」

 やりやがった!

 レオンの顔から血の気が失せた。
 端正な顔立ちそのままに、蝋人形さながらに蒼白く。表情こそ変わらないが、凍えるような殺気が全身からにじみ出す。
 部屋の気温が一気に下がったような気がした。
 オルファとジェフリー、二人のFBIの顔色が変わる。無理もない、初めて見るだろうからな、レオンのこんな一面を。
 慣れてるはずの俺だって、今回のはさすがに背筋が凍る。この殺気が向けられた相手が自分じゃないことに安堵せずにはいられない。

(哀れなり、パリス。汝の墓は今、掘られた)

「首筋の薔薇の花びらみたいな傷跡がね……あまりに赤く染まってきれいだから……思わず噛んじまった。いい声で鳴いたよ。あいつがあんな声出すなんてねぇ」
「用件は手短に頼むよ。俺の気が変わらないうちにね」
「OK、ローゼンベルク。迎えに来てやれよ。奴は当分一人じゃ歩けそうにないぜ…君一人で、だ。SPは無し、警察も無し」
「わかった。」
「時間と場所は追って連絡する。電話にはすぐ出ろよ? 遅れたらその分、マックスの苦痛が長くなる……いや、“快楽”と言うべきかな」

 くぐもった忍び笑いとともに電話が切れた。

「……ヒウェル」
「はい」
「携帯電話からだ。場所を特定してくれ」
「了解」

 レオンはFBIの捜査官二人の方をちらりと見やり、いつもと全く変わらない口調で静かに告げた。

「聞いてのとおりです。アレックス!」
「はい」
「Mrs.ダーヘルムとMr.バートンがお帰りだ。案内してさしあげてくれ」
「かしこまりました……こちらにどうぞ」

 有無を言わさぬ態度で会見の終わりを告げると、レオンは速やかに『モルダーとスカリー』を送り出した。
 部屋を出る間際にジェフリーが振り向いて口を開いた。いつものように低い、穏やかな声で。

「OK、今はおいとまするよ。だけどレオン、くれぐれも独自に動かないでくれ。いいね?」

 レオンはちらりとアレックスに目配せし、有能執事は黙って出口を指し示した。うやうやしく、この上もなく優雅な仕草で。


 ※ ※ ※ ※


 目の前で書斎のドアがばたりと閉まる。少し先には忠実な執事の背中。

「どうする」
「どうするって…見つけるしかないでしょう。彼が何かやらかす前に」

 オルファとジェフリー、二人のFBI捜査官は互いに視線は会わせず前を見たまま、小声で話しながら歩き出した。リビングに入ると……ひっそりとオティアがいた。

「あ……」

 はっと二人は口をつぐんだ。

「レオンに追い出されたのか」
「……まあ、そんな所だな」
「話がある」
「今じゃなきゃダメかい?」
「明日じゃ意味がない」

 ジェフリーはちらりとオルファに目配せした。『どうする?』

「ディフは誘拐されたんだな。レオンがあんたたちを追い出すならそれしかない」
「君……」
「俺なら、ぶちきれた弁護士でも追い払ったりしない。そう思わないか?」
「的確な判断力ね。その通りよ」
「オルファ?」
「そこまで知って声をかけたのだから、あなたが伝えたいことには意味がある。言って」
「簡単だ」

 ちらりとアレックスの方を見ると、オティアは一歩二人に近づき、低い声でぼそぼそと囁きかけた。

「俺はあんたたちに連中の動きを教える」

 藤色がかった灰色の瞳すっと細められる。

「OK」

 ほっそりした指がペンを握り、さらさらと手帳に番号を書いてからはぎ取り、オティアに手渡す。

「これが私たちの携帯番号。ジェフでも私でもどちらでもいい。相談したいことがあったら、好きな方に連絡して」

 少年は黙ってうなずいた。


 ※ ※ ※ ※


 エレベーターに乗り、扉が閉まるのを確認してからバートンは口を開いた。

「いいのか、これで」
「いいのよ。マクラウドを無事に取り戻したいのはあの子も同じでしょ? 自主的に情報提供してるんだから断る理由がない」

 相棒の声にはよどみも揺れも無く、迷いは微塵も感じられない。いつもながら意志の強い人だ。

「しかし……」
「彼は法を駆使するけど正義は信じちゃいない。そう言ったのはあなたよ? ジェフ」

 そうだ、確かに言った。
 オルファはスーツの襟元をきゅっと指先で整えた。わずかに茶色を帯びた柔らかな色合いの上着の下には、愛用の拳銃が潜んでいる。
 彼女のほっそりした腕に相応しい小口径の銃。だが狙いは外さない。いつでも的確に、最大限の効果を与えられる場所を撃ち抜く。

「それに……いざと言う瞬間、ローゼンベルクを止めるのにHじゃあ役不足だ」
「OK、わかった。もう異議は唱えないよ」
「ありがとう。それじゃ、市警察との交渉、お願いできる? あなたの方が、受けがいいから」


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【3-13-10】ライオンは眠れない

2008/06/13 3:46 三話十海
「くれぐれも独自に動かないでくれ。いいね?」

 悪いがバートン、それは聞けない。

 FBIの二人が帰ってから、アレックスとヒウェルと三人で話し合い、拠点をディフの部屋に移すことにした。
 直ちにデイビットに連絡をとり、現在俺の引き受けている案件は全て彼とレイモンドに任せたい旨告げた。

「……ディフに何かあったね?」

 さすがに付き合いが長いだけのことはある。俺がこんな風に無茶を言い出す理由を察したようだ。

「この間の脅迫状に関係があるのかい、レオン」
「まあ、そんな所だね。いいかい、デイビット。これは極めてプライベートな事なんだ」

 さらりと答えてから、さらに念を押す。

「くれぐれもこちらは来ないように。弁護士としての業務に集中してくれ。いいね」

 しばらくの沈黙があってから、OK、と返事が帰ってきた。

「ありがとう。レイによろしく伝えてくれ」

 これでいい。
 これで仕事に煩わされることなく、ディフの救出に専念できる。


 ※ ※ ※ ※


 フレデリック・パリスはディフを狙っていた。
 今になって悔やまれてならない。
 その事を彼に教えるべきだったのではないか、と。
 
 パリスは腐った警官の見本のような男だった。
 犯罪組織と繋がり、容疑者に取り調べと称してセクシャルハラスメントをくり返していた。別れた妻と同じ、赤毛の男女に。
 四年前、一人の駆け出しの新聞記者によってこの事実は暴かれ、フレデリック・パリスは逮捕された。
 初犯でなはかった事、くり返し犯行が行われた事などから情状酌量の余地無しと判断され、執行猶予はつかなかった。

 ありふれた警察官のスキャンダルとして片付けられたこの一件だが、表には出なかった一面がある。
 知っているのは俺と、アレックスと、ヒウェル、そしてパリス本人のみ。

 既にパリスの標的は別れた妻ではなく、ディフに変わっていたのだ。おそらく、一連のハラスメントは彼への執着と欲情の代償行為だ。
 パリスのように性根の腐った男にとって、ディフのような真っ白な魂の持ち主は……惹かれると同時に、汚さずにはいられない存在なのだ。
 暗闇の中にいると星はことさらに明るく、輝いて見える。そのことは、他ならぬ俺自身が一番良く知っている。

(これで二度目だ。殺しても飽き足らない)

「伝えておくべきだったんだろうか……」
「レオン?」

 四年前の7月、この部屋で。パリスの逮捕を知り、打ちひしがれた彼を前に俺は口をつぐみ、真実に鍵を掛けた。
 結果としてディフはパリスの呼び出しに何の疑いもなく飛び出し、護衛すら振り切って自ら彼のもとに出向いてしまった。
 待ち構える罠のまっただ中に。

「俺の……せいだ………」

 悔やんでも悔やみ切れない。
 今、この瞬間も、ディフが俺を呼ぶ声が聞こえるような気がしてならない。

「それでもね、奴なら言いますよ。俺で良かった、レオンや子どもたちじゃなくて良かったって」
「言うだろうね。だがそれが何だ?」

 ヒウェルはくいっと眼鏡の位置を整え、腕の時計に目をやった。黄色がかった茶色の瞳がわずかに細められる。
 ああ、こんな時にさえ、君はそんな風に穏やかな目をしていられるのだな。
 俺には無理だ。

「……少し仮眠とった方がいい。1時間たったら起こしに来ます。眠れなくても、目は閉じていて。いいですね?」
「……ああ」

 寝室に入るとベッドに横たわり、目を閉じる。
 眠るつもりは毛頭なかった。


  ※  ※  ※  ※


 携帯の位置を特定するのにいろいろと方法はあるんだが。
 この際、一番手っ取り早く、なおかつ信頼できる筋をたどることにした。

 さて、今週の彼はナイトシフトだろうか、それともデイシフトだろうか? いずれにせよ、おそらく職場にいるはずだ。FBIの二人から渡された毛髪を突貫作業で分析してるだろうからな。
 
 案の定、彼の携帯にかけると4コールで応答があった。

「よ、バイキング。元気?」
「何か用ですか、H?」

 FBIといい、こいつといい、何だって公僕ってのは俺を頭文字で呼びたがるのか。
 そんなに言いづらいか俺の名前は。
 人妻のちょいとハスキーな声で呼ばれるのと、この男ののほほんとした声とでは雲泥の差があるんだが。

「ちょっと頼まれてくんないかな。携帯電話の位置を知りたいんだ。番号は……」

 一通り聞いてから、エリックは声を潜めて言った。

「それ、センパイの電話ですよね」
「……ああ。だから急いでる」
「10分下さい。こっちからかけ直します」

 電話を切り、タイを緩めて。眼鏡だけ外して居間のソファでひっくりかえる。
 土足を椅子に乗せるなと、怒鳴る相手は今はいない。何の気兼ねがあろうか。

 目を閉じるか閉じないかのうちにまた電話が鳴った。

「ハロー?」

 5分しか経ってないぞ。優秀だな、バイキング。

「電源、切られてました。すみません、お役に立てなくて」
「気にすんな。そんな事だろうと思った」
「それから……これ極秘なんですけどね」
「ああ?」
「FBIから頼まれた毛髪の分析結果が出ました」

 ああ、やっぱり教えてくれるか。ブラボー、エリック。君ならきっとそうしてくれると思ったぜ!

「あの毛髪は……センパイのものです。DNAデータが一致しました」
「あったのか、毛根」
「いえ。毛髪に体液が付着してて」
「血液か?」
「いいえ。おそらく……涙です」

 いっそ血なら良かったものを。

 ディフは肉体的な苦痛には強い。人一倍耐性がある。殴られようが、刺されようが、場合によっては撃たれようが滅多に音を上げない。
 そんな奴が涙を流すなんて、いったいどんな目に合わされたのか……。
 ぞくっと背筋が震える。この結果を、何と言ってレオンに伝えるべきだろう?

「それから、他の人間のDNAも付着していました」
「当ててみようか。フレデリック・パリスだろ?」
「どうしてそれを?」
「企業秘密さ。それじゃ、またな」

 問い返される前に電話を切った。おそらくレオンから所轄署に協力要請が行くだろうが、それにしたってあくまで非公式だ。
 ここで全ての手札を晒したら、かえってこっちのゴタゴタにエリックを巻き込むことになる。

 すまんねバイキング。また何かあったら頼むよ。

 ソファに横になり、改めて目を閉じた。
 不規則な暮らしには慣れている。眠れる時に寝て、起きたら動けばいい。

(羊がいっぴき……羊がにひき………)

 幻の羊を追いかけながらうとうとしてると、ふわっとやわらかな香りが鼻をくすぐる。
 パンと、レタス、トマト、アボカド、軽くあぶったベーコン、そしてゆで卵。

「あ……食い物のにおい」

 むくっと起きあがる。
 オティアが立っていた。

「レオンは」
「横んなってる」
「そうか」

 手にしたトレイにはサンドイッチが乗っている。微妙に造りがディフのとは違うが、挟んである具が同じだ。厚めにスライスした食パンを軽くトーストしてある所も同じ。

「……これ……シエンが?」
「ああ」

 ディフが誘拐されたと知って、シエンはベッドから出て来なくなった。起きあがれなくなった、と言うべきだろう。
 未だに消えない恐怖の記憶と不安が彼の繊細な心を圧迫し、今、この瞬間も苛んでいるだろうに。
 それでも飯、作ってくれたのか。
 青い顔をして、よろめきながら。
 涙がこぼれそうになる。

 こんな時ぐらい子どもらしく泣いてろよ、シエン。『まま』がいなくなったんだぞ。心配なんだろ? 怖いんだろ?
 改めて目の前の双子の片割れの様子をうかがう。
 いつもと同じポーカーフェイス。だが、目に力がない。紫の瞳に、うっすらとミルク色の膜がかかっているような錯覚にとらわれる。
 無理しやがって。
 元気がないのはお前も一緒じゃないか。

「……ありがとな。レオン呼んでくる…」

 ふらふらと寝室に入り、小さくノックしてドアを開ける。
 もう、起きていた。
 足音を聞いただけで起きあがっていたとしか思えないタイミングだ。

 やっぱり寝てなかったか。

「……飯です」

 シエンの作ってくれた差し入れを、リビングで黙々と食った。レオンはただ機械的にサンドイッチを口に運び、噛んで、飲み込む。
 一言も喋らない。

「シエン……具合どうだ」
「良くはない」
「……そうか……」

 お前もきついんじゃないか。
 思っても口に出せない。

 こいつら、具合悪くなる時も一緒だからな……。


  ※  ※  ※  ※


 リビングのソファにあぐらをかいて、四年前の取材記録を引っぱり出した。
 関係者の名前、連絡先、話したこと、会った時の態度まで克明に記録されている。
 つくづく真面目だったんだな、あの頃の俺って。

 しかし、いくら目を通しても内容が頭に入らない。意識の上を滑って行くばかりで、ちっとも考えがまとまらない。
 目がチカチカする。しまいにゃ白い紙の上で黒い文字がダンスを始めやがった。
 
 くそ……どうかしてるぞ。しっかりしろ、ヒウェル。

 眼鏡を外し、手のひらで閉じた瞼を覆う。
 レオンを起こしに行った時、寝室でかいま見た光景が忘れられない。
 ベッドサイドの小さな棚の上に、ちょこんと座った茶色のテディベア。
 すっかり年季が入って色あせている。隣にいるのは真っ白なライオン。大きさもちょうどぴったり、お似合いの1ペア。

 ライオンは去年の秋にディフが入院した時にシエンが見舞いでプレゼントしたものだ。

 クマの方は学生寮からアパート、そしてこの部屋と、奴が引っ越すたびに一緒に移動してきた。
 野郎の一人暮らしの部屋に何故、こんなに年期の入ったぬいぐるみがあるかってぇと、これにはいささか深い訳がある。

 ディフの奴には面白い寝ぼけ癖があって。時たま夜中にむくりと起きあがり、ぼーっとしたままこいつを探すのだ。

「俺のクマどこ?」

 そこでおもむろにこのクマをばふっと渡すと、満足してベッドに戻って行く。

「あった……」

 俺がこの現象に出くわしたのは高校3年の時だった。
 最初に奴が枕元に立ってた時はグリズリーに襲われる夢を見てぎょっとしたが、慣れればどーってことはない。
 事実、レオンとルームメイトだった時もよくやらかしてたらしい。

 しかしながらレオンが卒業して俺が入れ違いでルームメイトになった時は若干、バリエーションが加わっていた。

「俺のクマ、どこ?」
「そら、ここだ」
「………レオン、どこ?」
「レオンは卒業しちゃったんだよ。もう、ここには居ないんだ」

 そうすると奴はふて腐れた顔をして、すごすごと自分のベッドにもどって行くのだった。
 要するに、探してるのはクマじゃなくてレオンだったんだな。

(当時付き合ってた本命の彼女の前でも同じことやらかして、それでふられたんじゃないかと……勝手に推測している)

 今、俺たちが探しているのは、クマの持ち主だ。
 ライオンは一人ぼっち。眠らずに探している。

「早く…帰って来いよ…お前がいないと……部屋が広すぎんだよ……」


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【3-13-11】捜索

2008/06/13 3:47 三話十海
「……何やってんだ」

 目を覆う両手を降ろして瞼を開ける。
 オティアが立っていた。

「ちょっと、目が疲れたからマッサージなど」
「ふーん?」

 相変わらず興味なさそうな顔をして、テーブルの上に出しっぱなしにしていた俺の取材ノートをぱらぱらとめくっている。

「きったねぇ字」
「悪かったな。俺が読めりゃいいんだよ」

 ぱたんとノートを閉じてこっちを見上げてくる。
 だったら説明しろよ………目が語っていた。
 こんな時、いつもならレオンとディフ、三人で話しながら考えをまとめる。だけど今はディフがいない。レオンも相談相手にはいまいち不向きな精神状態だ。
 いいだろう。今、話せる相手は、こいつだけだ。

「根っこが意外に深かったんだ……俺がまだ記者になりたての時に手がけた事件で。レオンも関わってた。本人は知らなかったろうけれど、ディフも」

 とつとつと語る。
 2001年から2002年にかけて俺たち3人の関わったあの事件を。昼休みのアイスクリームスタンドから始まって、冷たい雨の降る夜に終わった一件を。

(終わったと思ったんだ、あの時は)

「何故ディフに言わなかったんだ? 当事者だろう」
「そうだな……表向きはまだ、あいつは狙われてもいなかったし……被害者でもなかったし……」

 ルースの笑顔が。目を伏せて、グラスの中の酒を無言であおるディフの姿が脳裏をよぎる。
 7月の冷たい雨の降る夜に、三人でぐだぐだになるまで飲んだくれた。
 この部屋の、この場所で。

(言うべきだったんだろうか。言っていたら、こんな事にはならなかったんだろうか?)

「言えなかったんだ。俺も。レオンも」
「……セクハラ受けててもきづかなそーだしな……」
「あー、お前もやっぱそう思う?」

 自分一人を責めちゃいけない。レオン、俺も同罪だ。

「パリスの別れたカミさん……恋人と家出てったんだけどな。見事な赤毛だったんだ。当時、奴はレオンがディフの恋人だと確信していた。……同じなんだよ。求めているのに、相手の心は別の男にある」
「ふーん……それでぶちこまれたけど、すぐにでてきたわけか」
「ああ。当時はレオンもまだ見習いだったからな。俺も、すぐに担当外されちまったし」

 苦い記憶に口の端が歪む。

「若干の異常性は認められるが、パリスの奴は刑務所でも模範囚だったし」
「市警の……」
「……ん?」
「同僚に。いるだろう、仲良かった奴とか。ディフの情報をあつめたはずだ。接触してる」
「ああ。その通りだ」

 眼鏡をかけ直し、床に落ちた上着を拾い上げた。確かディフの次にパリスの相棒になった奴がいたはずだ。

「電話……いや、直に話した方が口は割らせやすい……ちょっと出てくる」


 ※ ※ ※ ※


 ヒウェルを見送ってからオティアは部屋に戻った。
 携帯を取り出し、渡されたメモのうち上に書いてある番号にかけた。

「ハロー、オティア。どうしたの?」

 かすかにハスキーがかった女の声。ダーヘルムとか言う捜査官だ。

「……話がある」

 ついさっきヒウェルから聞いた昔話を要領よく伝える。彼女は時折短い質問を挟みながら聞いた。

「市警察の、パリスの元同僚。ディフの情報を集めるのに接触してると思う」
「OK。今、Hはそっちに行ってるのね?」
「多分」
「わかったわ。ありがとう。助かった」

 今だ。

「ついでに頼みがある」
「何?」
「探偵事務所の通話記録、あたってるだろう。教えてくれ」

 もう一人の捜査官、バートンが相手ならここまでは頼めない。だがこの女捜査官は違う。
 最終的に事件を解決し、被害者を救出するためなら多少のイレギュラーな方法もいとわないはずだ。
 果たして、すぐに返事があった。

「わかった。数字が続くから、ミスのないようメールで送るわ。あなたのアドレスは?」

 自分の携帯のアドレスを告げ、電話を切る。
 後ろで見守るシエンを振り返る。毛布にくるまり、目に涙をいっぱいに浮かべている。

「……大丈夫だから」

 小さくうなずいた。
 もうじき、メールで情報が届く。そうしたらアレックスに伝えよう。自ずとレオンにも伝わるはずだ。

 微かに携帯が震動する。
 思ったより早かった。パソコンからか?

 送られてきた通話記録のリストに目を通すと、折り返し電話をかけ直す。

「ちゃんと届いた?」
「届いた。リストの1番目はCSIからだ、除外していい。2番目は市内の動物病院、3番目は常連客、4番目は……」
「ちょっと待って。あなた、全部番号覚えてるの?」
「ああ」
「……驚いた……」

 電話の向こうでがさごそと動く気配がする。

「OK、メモとる準備ができたわ。もう一度お願い」
「わかった」

 頭の中の通話リストを一つずつ消して行く。そして最後に一つだけ、知らない番号が残った。

「この番号は今までかかってきたことがない」
「………そう。助かった。ありがとう。また何かあったら知らせて」
「わかった」


 ※ ※ ※ ※


 市内の警察署の近くには、大抵、警官がよく飯を食いに来る店がある。それほどお高くないカジュアルな店で、制服で平気で出入りするから半分職員食堂みたいな店が。
 ご多分に漏れずセントラル署の近くにもそんな店があった。油染みた壁紙、ギンガムチェックのビニールクロスのテーブル掛け、ガラスの器の中のシナモンロールにベーグル、デニッシュ、ドーナッツ。嬉しいくらいにフォーマット通りの安食堂。

 俺の記憶が正しければ、目当ての男はかなりのヘビースモーカーだった。四年の間に禁煙してなければの話。

 喫煙者用のブースでコーヒーとチリビーンズの皿を手に張り込んだ。胃の具合はお世辞にも好調とは言いがたい。しかしこいつならどんな時でも喉を通る。
 ちびちびとチリをスプーンですくって口に運び、煮詰まったコーヒーをすする。半分ほど片付けたところで目当ての男が現れた。
 あいにくと連れがいたが、相棒に喫煙の習慣は無いらしく。コーヒーとドーナッツを片手にこっちに歩いて来る。
 カウンターに腰かけ、制服の胸ポケットをまさぐり、煙草の箱を取り出して。一本口にくわえたところでさりげなく、銀色のオイルライターをかちりと灯してさし出した。

「どうぞ」
「ああ……ありがとう」

 巡査の目がライターの表面に刻まれた赤いグリフォンに引きつけられる。二、三度まばたきしてから、俺の顔を見上げてきた。

「あんたは……」
「ども、お久しぶりです」

 眉をしかめた。いいさ、歓迎されないのは初っ端からわかってた。だが俺もあの頃の駆け出しとは違うんだ。
 しかめっ面一つでおめおめ引き下がったりはしない。

「何しに来た」
「そんなに警戒しなさんな。今は俺はプライベートタイムでね。これは仕事じゃない。あくまで個人的な調べものだ……OK?」

 不審げに煙草をふかしてる。こっちも一本とって火をつけて、一服、二服吸い込み、ゆっくり吐き出した。
 煙が二筋立ちこめる。巡査の吸う甘ったるい煙草の香りと、俺の吸ってるメンソールのミントの香りが混じり合い、ねっとりと油っこい空気に溶け込んで行く。

「珍しいですね。それ、バニラアイスの香りがする」
「アロマ・バニラって言うんだ」
「おう、そのまんまだ、わかりやすい。確か、あなた以前はもっとキツいの吸ってませんでした?」
「女房がいやがるんだよ。煙草のにおいがきついって」
「ああ、なるほどね……結婚したんだ。おめでとうございます」
「……………用件を言え」

 ふっと煙りの輪、一つ。口をつぼめて吐き出し、宙に浮かす。

「最近、会ったでしょう」
「誰に?」
「フレデリック・パリス」

 動きが止まる。Yesと言ったも同然だ。

「所轄ならご存知ですよね。ディフォレスト・マクラウドが誘拐された。じきに容疑者の名前も上がるでしょう……」

 携帯用の灰皿を取り出してきゅっと吸い殻をねじ込み、眼鏡を外す。レンズ越しではなく、直に相手の顔を見る。

「彼は俺の友人で………………かけがえのない家族なんだ。取り戻したい、一秒でも早く」

 こんな台詞、本人の前じゃ逆立ちしたって言えやしない。

「教えてください。どんな小さな事でもいい」
「……わかったよ」

 巡査の口は、四年前のあの時ほど固くはなかった。
 愛想笑いやゆるやかな脅しより、効果的な交渉法ってのもあるんだな。

「二ヶ月ほど前だ。パトロール中にひょっこりフレディと出くわしたんだ……」

 うなずいて、先を促す。

「懐かしさもあったし……あんなことがあったけど、俺にとっちゃいい相棒だったし」
「マックスも、きっと同じことを言う」

 初めて彼は俺の目を見た。

「昔話をしているうちに、聞かれたんだ。マックスが今、何をやってるかって」
「答えたんですね?」
「ああ」
「警察を辞めて、探偵事務所をやってることも」
「そうだ」

 そこまで分れば後はイエローページで事足りる。

「他に、聞かれたことは?」
「いや………俺にも警察官の良心はある。言っていいことと、悪いことの区別はきっちりつけたさ」
「ほう?」

 ちょいと引っかかる言い方だ。してみると公僕の立場からパリスに伏せなきゃならん情報があったってことか。
 それも、かなりシリアスなレベルで。
 突っ込むべきか、引くべきか。迷ってるうちに、立ちこめる紫煙に顔をしかめながら彼の相棒が迎えに来てしまった。
 胡散臭いフリーのジャーナリストとしちゃあ大人しく見送るしかなかった。
 何せ周りには制服私服合わせて警察官がうじゃうじゃいる。これ以上引き留めて反感を買う訳にも行くまい。

 釈然としない気分のまま眼鏡を掛け直し、チリとコーヒーの代金を払って店を出た。
 

 ※ ※ ※ ※


「ああ、パリスは娘に対して接近禁止命令を出されているんだ」

 レオンが事もなげに答えをくれた。情報の出所は四年前にパリスを担当した弁護士だと前置きして。

「申請したのは、別れた奥さん?」
「そんな所だね」

 集めた情報を通してルースを取り巻く事情がおぼろげながらに見えてきた。四年前より、はっきりと。
 俺の記憶の中の彼女はまだ、ちょっと痩せっぽちの十四歳の少女のままだけれど……。

 パリスが離婚したのは娘が6歳の時だった。以来8年間ずっと父一人、娘一人で生きてきた。
 会いたいはずだ。
 会おうとしたはずだ。
 だからこそ母親も法に訴えてまで父親の接近を阻んだのだろう。
 
 恋愛は個々の自由、さりとて堅実な警察官だった(当時はまだ)夫と娘を残して年下の恋人の元に走った女を笑顔で見守るほど、世間は寛大ではない。
 元夫の逮捕は、娘を取り戻す一発逆転の絶好のチャンスだったに違いない。

「……ヒウェル?」
「あ、いや、何でもありません」
「大丈夫かい?」

 目の下にうっすら隈が浮いている。その言葉、そっくりあなたに返したいよ、レオン。

「大丈夫ですよ………それで、ですね」

 ぺらっと手帳をめくる。今開いたページにはついさっき、かつての情報提供者からもう一度集め直したネタがびっしりとメモしてある。

「パリスの奴、警察官時代から複数の犯罪組織と繋がりがあったんですけどね。中でも特に親しくしていたとこがありまして」
「例の『蠍の尾の蛇』だろう?」
「ええ……ご存知でしたか」
「ああ。これでもいろいろと話してくれる知人は多いからね」
「さすがですね」
「君ほどじゃない」

 出所後、パリスは『蠍の尾の蛇』に幹部待遇で迎えられ、表向きは一般企業を装う組織の裏の仕事を手がけていた。
 これまでの調べで裏仕事を手がける幹部の存在には気づいていたのだが、よもやそいつが昔なじみだったとは。

「四年前は世話になったなぁ。お前と、あの忌々しい眼鏡の記者に……」

 今回の一件、単なる犯罪組織の意趣返しだけでは終わらない。もっと根の深い、パリスの個人的な復讐でもある。
 奴はレオンに迎えに来いと言った。
 この手の事件は誘拐だけが目的ではない。見せしめに、拉致した人質がどうなったかを見せつけるのも犯行の目的なんだ。
 生死に関わらず。

「手札が……足りない……」

 落ち着け、ヒウェル。
 これは駆け引きだ。
 少しでも有利に事を運ぶにはどうすればいい?
 既に向こうはレオンの最愛の人を手中に収めている。

「だったら相手にとって同等か、それ以上の価値があるものを入手すればいい」
「………レオン?」
「一般論だよ」

 嘘をつけ!

 だが、真実だ。
 ディフ以外にパリスが心を動かされる相手がいるとしたら、そいつは娘のルース以外にいない。
 彼女なら父親を説得できるんじゃないか?

 携帯を取り出し、開く。
 舌の奥に濃厚なチョコレートの味と香りが蘇る。

「あ! あなたが靴下丸めて脱ぎ捨てて、絶対片付けないヒウェル?」
「他にも知ってるよ、あなたの事。ウェールズ系で、カメラが好きで、チョコが好き」
「うんうん、よく知ってるねぇ……君も、ロッキーロード好きなんだ」

 俺は、あの子に対して四年前より酷いことをしようとしているのかもしれない。
 けれど。
 今は迷っている時間が惜しい。

「ハロー、H?」
「やあ、エリック。ちょっと頼みたいことがあるんだけど……いいかな」
「俺にできることなら」
「ルーシー・ハミルトン・パリスの現住所が知りたい。フレデリック・パリスの娘だ」
「………あの子ですか………わかりました。折り返し電話します」
「頼むよ。24時間、いつでもいい」
「了解」

 10分後にエリックから電話があった。
 ルースは母親との折り合いが悪く、大学進学と同時に家を離れていた。
 現住所はレッドウッド・シティ。サンフランシスコから南に行って、車で1時間もかからない町だ。

「俺が運転しますか。それとも、あなたが?」

 黙ってキーをテーブルの上に乗せた。賢明な判断だ。今、こいつにハンドルを握らせる訳には行かない。

「……お借りします」


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【3-13-12】★★再会

2008/06/13 3:49 三話十海
 車の助手席でレオンはずっと目を閉じて、黙っていた。
 それでも時折携帯が鳴ると目を開き、素早くポケットから引き出し耳に当てる。
 昨日の夜から、何度も見た仕草をくり返す。
 やっぱり寝てないんだな……。


 ※ ※ ※ ※


 カーナビの案内に従って走って行くと、つつましいアパートにたどり着いた。
 呼び鈴を鳴らすと、ブロンズ色の巻き毛に浅黒い肌のすらりとした娘が現れた。
 ギリシヤ彫刻の女神のような彫りの深い顔立ち。二重の瞼に、夢見る様なアーモンド型の瞳……ああ、予想通りだ。やっぱり美人になったな、ルース。

「ルーシー・ハミルトンさん?」
「はい?」
「覚えてますか、俺を」
「あ………」

 瞼が細められ、グリーンの瞳が記憶をたぐるように左右に動く。
 これは賭けだ。
 父の犯罪を暴いた男と、ディフの友人と。果たして彼女はどちらの俺を覚えていてくれるだろう?

「ヒウェル? マックスの、友だちの」
「はい」
「靴下丸めて脱ぎ捨てて、絶対片付けない」
「そう、その、ヒウェルです」

 ぽってりした唇の口角が上がり、ちらりと白い歯が見える。適度に控えめで、なおかつ若い娘らしい無邪気なほほ笑み。
 賭けは吉と出た。幸運の女神はまだ俺を見捨ててはいないらしい。

「こちらはレオンハルト・ローゼンベルク。弁護士で、俺の高校時代の先輩で……」

 ルースの視線がレオンに移る。

「マックスの、恋人」
「え?」

 わずかに彼女が動揺したところでレオンが穏やかな……この上もなく穏やかな笑みを浮かべて、するりとルースの心のすき間に滑り込む。

「大事なお話があるんです。中に入っても?」
「……どうぞ」


 ※ ※ ※ ※


 レオンから一部始終を聞くなり、ルースは青ざめ、くしゃっと顔を歪ませた。

「パパが……マックスを誘拐したって……そんなっ」
「貴女にはもう、何の関係もないことだし……関わりたくもないだろうけれど」

 そっとレオンが目を伏せる。恋人の身を案じ、打ちひしがれた男の姿を完ぺきに演じている。
 そう、演技だ。彼の本音はこんなもんじゃない。

「それでも……どうか……助けてほしい」
「………………少し…考えさせてください…」

 静まり返った部屋に着信音が響く。レオンが素早く携帯を取り出し、開いて耳に当てた。

「やあ、パリス」

 二度目の脅迫電話だ。

「やあローゼンベルク。ベッドの上から失礼するよ………」

 音量を上げたのか、レオン。
 少しでも聞き取りやすくするためか、それとも……彼女に聞かせるために?

「あぁ……白い花をむしりとって……泥の中に叩き付けて踏みにじるってのはこう言う気分なのかねえ…癖になりそうだ」
「君のポエムにつきあっている暇はない。これでも忙しい身なんでね」
「そいつは……残念……。そうそう、時間と場所だったな……時間は21時に……場所は……ハンターズ・ポイントの……倉庫街……番地……は……」

 細い金属。おそらくはベッドのスプリングの軋る耳障りな音の合間に、掠れた声が聞こえた。
 弱々しく、今にも途切れそうに。だが、確かにそれは彼の声だった。

「来るな……レオン……ぅ…あ……やめ……あぁっ」

 途中から悲鳴に変わる。
 パリスが細かい場所を指定する間、ずっと聞こえていた。
 レオンは淡々とした口調で応えながらメモをとる。仕事の打ち合わせでもしてるみたいに淡々と。

 それが、かえって恐ろしい。

 殺気だけで人が殺せるとしたら、間違いなくパリスは煉獄をすっ飛ばして地獄の最下層までたたき落とされているだろう。
 業火に焼かれるのではなく、未来永劫、氷漬けになって。

「わかった、では21時に」

 そして電話が切れた。
 電話を切ったあと、レオンはしばらく動かない。
 ルースも動かない。父親の命が危ないと察知したのだろうか。それとも、ディフの身を案じているのか。
 二人とも身動き一つしない。表情一つ動かさない。まるで石の彫像だ。
 俺は俺でずっしりと水吸ったみたいに重い心臓を抱えたまま、二体の美しい彫刻を見守るしかなかった。

「……行こう。やはり彼女を頼るべきじゃなかった」
「レオン?」

 携帯を閉じて内ポケットに滑り込ませると、レオンは流れるような仕草で席を立った。

「失礼します。お騒がせしてすみませんでした」
「待って!」

 弾けるような動きでルースが立ち上がった。

「私…………お手伝いします」
「しかし……貴女も危険になる。今更私が言うことではないですが……」
「あんな人でも父親なんです……止めないと……」

 レオンはうなずいた。慈愛と感謝の溢れる控えめな笑顔。しかしライトブラウンの瞳は凍てつき、石よりもなお硬く。本来のあたたかな色をことごとく裏切っている。

 …………やりやがった、この男。


 ※ ※ ※ ※


 ルースの家を出て、車に乗ろうとした所で携帯が鳴った。
 シエンからだ。

「ハロー、シエン」
「……………ヒウェル」

 泣きそうな声だ。って言うかお前、泣いてるな? 俺の名前を呼んだきり、言葉が出ないようだ。

「大丈夫だよ、シエン。大丈夫だから」
「う………うん……」
「ディフは生きてる。さっき声を聞いた。大丈夫だよ」
「うん…………」

 電話の向こうで、とうとうシエンは本格的に泣きだしてしまった。

「シエン。俺が」
「う……うん」

 携帯がオティアに渡されたらしい。

「今、どこにいるんだ?」
「レッドウッド・シティ。これからそっちに戻る」
「お客様がいるよ」

 ひょい、と横からレオンが顔を突っ込んできた。素早いな、さっきルースをエスコートして後部座席に乗せてたと思ったら。

「客?」
「ああ、ご婦人が一人だ……アレックスに飯は一人増えるって言っといてくれ。それと、デザートはチョコレートを使ったやつで頼む」
「ご婦人って……」

 あ、あ、何、お前、その不審そうな声は。

「誤解すんな。昔の知り合いだよ」

 言ってから、余計に誤解招く表現だなと気づいて慌てて付け加える。

「……ルースだよ」
「そうか」

 これで通じるはずだ。四年前の一件を話す時に彼女の名前はオティアに聞かせた。

「言っとく」
「頼んだ」

 電話を切り、ため息をつく。
 シエンにどんな声なのか聞かれなかったのは幸いだった。

 たとえそれが悲鳴でも、ディフが生きていると確認できたことに変わりはない。

「……行きますか」
「ああ」

 車に乗りこみ、ベルトを着けて走り出す。
 サンフランシスコまで1時間。長いドライブになりそうだ。


通常ルート→【3-13-14】★★囚われの天使
鬼畜ルート→【3-13-13】★★★★崩壊

【3-13-13】★★★★崩壊

2008/06/13 3:50 三話十海
 電話を切り、ベッドの上の獲物を見下ろす。

「息も絶え絶えって有り様だな……『器具によるレイプ』ははじめてか?」
「う……ぅ……」

 奴の体から半分ほど突き出したペンライトに手をかける。それだけの動きで後ろの口がひくつき、金属の棒をくわえこむように動く。

「気に入ったみたいだな……ええ、マックス? いい声で鳴きやがって。たまんねえって顔してるぜ」
「ち……が……ぁっ」

 断続的にくり返された陵辱の末、手足の力は萎え、とっくに拘束する必要がなくなっていた。死にものぐるいでもがいた挙げ句、手首には手錠が擦れて赤い筋がくっきりと刻まれている。

 噛みしめた唇には血がにじみ、白い肌には指の痕や吸い痕、噛み痕、煙草の火を押し付けた痕が赤く浮かんでいる。
 この二日間と言うもの、7人の部下どもはあきれるほど熱心に自分たちの『仕事』に没頭していた。

 バイク便で髪の毛を送りつけて戻って来た時、奴は部下の一人に後ろから串刺しにされ、もう一人に前からペニスをすりつけられ、さらに三人目の逸物を口の中にねじ込まれて呻いていた。一人が満足したかと思うとまた別の一人がのしかかる。
 むせ返り、咳き込みながら弱々しい声で「もうやめてくれ」と懇願するが、返ってくるのは嘲りの笑いばかり。

『ここはそうは言ってないぜ』
『遠慮するな、まだ足りないんだろう? どこまで淫乱な奴なんだ』
『案外、ローゼンベルク一人じゃ物足りなかったんじゃないか?』

 元警察官で人一倍正義感が強く、自分たちの稼ぎ元を潰した男。腕の立つタフガイ。そのくせとびきり感じやすい上玉……しかもクスリでさらに磨きがかかっている。
 敵対する弁護士の最愛の人。今までただ一人の男しか知らない、限りなく無垢に近い身体。
 しっかりやれと念を押すまでもなかった。飽きる事なく奴に群がり、執拗に貪り、犯し続けた。
 天使の羽根をむしり取り、汚泥の中に叩き落して踏みにじるのに夢中になった。

 特等席に陣取り、約束通りとっくりと鑑賞してやった。
 奴が部下どもに寄ってたかってさんざん犯されて、悲鳴を挙げることすら許されぬまま、おびただしい精液で体の中も外もくまなく汚されて行く姿を。
 クスリに侵され、注がれる欲望に応える肉体のもたらす終わりの無い快楽に悶え狂う有り様を。

(そうだ、もっと汚れてしまえ。もっと、もっと)
(汚れてしまえば……俺の手も届く……)

 それなのに、何だってこう……透き通った目をしてやがるのか。つくづく嬲り甲斐のある男だ。
 しかしその一方で、彼の中にいまだに汚し切れぬ真っ白な部分が残っているようで、いら立つ。

 そうだ。
 こんなにまでされながらこいつは、一度も俺に向かって怒りの言葉を吐かない。ののしりも。蔑みも。
 憎しみさえも。

 ただ悲しげな目で見上げてくるだけだ。
 それどころかよろよろと手をのばして、そっと頬に触れてきた。震える指先で、まるで傷ついた小鳥でも撫でるように。

「っ……よせ、そんな目で見るなっ」

 振り払い、逆手で打ち据える。
 肩をつかんでベッドに押しつけ、後ろを犯す器具をぐい、と奥までねじ込んでやった。背筋が反り返り、一段と高い悲鳴があがる。
 容赦無く出し入れしてやった。

「健気なもんだぜ。そんなにレオンが大事か? こんなもん美味そうにくわえこみながら『来るな』か……泣かせるね……」
「も……や……め……ぅあっ、ひっ、あ、あ、あっ」

 俺に抱かれている瞬間でさえお前の頭にはローゼンベルクのことしかないのか。奴しか見えていないのか。

「そうだよなぁ。来るなって言いたくもなるよな……でも、奴は来るぜ……必ずな」
「く……あ」

 腹立たしい。忌々しい………許せない。
 気が狂いそうだ。

(手に入らぬものならば、いっそ自分で壊してしまおうか)

「この二日で何人とヤった? 色っぽい声あげて……腰まで振りやがって……。上からも下からもさんざん種付けされて、腹ん中は俺らの出したザーメンでどろどろだ。そら、また溢れてきたぞ」
「あ……う……ぁ……」
「汚れきったその体で、どの面さげてローゼンベルクの前に出るつもりだ?」
「っ!」

 表情が凍り付く。
 のしかかり、耳もとで囁いてやった。

「もうお前は……奴一人の可愛い恋人じゃないんだよ、ディフ」
「あ……あ……あぁっ」

 彼の顔が苦悶に歪み、ヘーゼルブラウンの瞳に絶望の色が浮かぶ。喉から血を吐くような嗚咽が絞り出される。
 そうだ……それでいい。

「こうして触れたいのも。触れられたいのも。お前だけだ、レオン……愛してる……」
「愛してるよ」

「う………う……あ…レ……オ………っ」

 助けを求めるように恋しい男の名を呼ぼうとする、その唇をむさぼった。
 喉の奥から漏れるくぐもったうめき声に聞き惚れながら、容赦無く舌を入れて蹂躙する。

「いい顔だ……最高に、そそるね……」

 慌ただしく後ろから金属の代替品を引き抜き、自分のモノをぶち込んでやった。

「あっぐ……うっ」
「見ろ……俺を見ろ、マックス。今お前を抱いてるのは俺だ……奴じゃない」

 びくん、と奴の体が震える。弱々しくもがいていたのが止まり、虚ろに見開かれた両目から涙が流れた。
 ああ、その顔だ。それが見たかった。

 憎しみさえも与えてくれないのなら、せめてお前の心を引き裂いてやろう。
 もう二度と、誰も愛せないように。


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【3-13-14】★★囚われの天使

2008/06/13 3:52 三話十海
 あれからどれほど時間が経ったのだろう。
 今は朝か? それともまだ夜なのか?

 13w_s.jpg
 
 閉め切った部屋の中でくり返し陵辱され、意識が霞むたびに煙草の火を押し付けられた。

「そらそら、おねんねしてる暇はないぜ」
「反応が鈍くなってきたな」
「そろそろガソリンを追加してやるか」

 やめろ……そのクスリはもう嫌だ!
 もがいても押さえ込まれ、容赦無く注射針が皮膚に刺さる。

「ぁ……あぁ……あ」

 得体の知れない疼きが体内を駆け巡り、脳内を侵食して行く。何度果ててもその熱は抜けず、居座り続ける。

「あー……っ!」
「おやおや、またイっちまったか、淫乱め……」
「くぅ……お前のケツの孔どーなってるんだよ、すげえなおい」

(いやだ。いやだ、いやだ!)
 
「やめ…ろ……」

 また、誰かのしかかってくる。手錠は外されていたが、もう、押しのける力はなかった。

「う………あ……ん……あぅっ、んっ、あっ」

(いやだ、レオン、お前以外の男に、こんな……こんなっ)

「ああ……いいぞ。遠慮する……な、もっと腰を振れ、ほら」
「ぃっ、あ、ぁっ」
「そうら……中に……出すぞ……」

 どろりとした熱いねばつく液が注ぎ込まれる。レオンだけを受け入れていた場所が、汚される。
 何度も。
 何度も。
 それなのに、体が勝手に疼く。悦んで奥へといざない、飲み込んでいる。止まらない。

「あ……ひ……う……あ……も……や……だ……っ」
「よく言うぜ……っくぅ……また……」

 いやだ。
(気持チイイ)
 やめろ
(モット欲シイ)
 やめろ
(欲……シ……イ)

「あ……はっ、自分から腰振りやがった、はは、はははっ、蕩けそうな顏してやがるぜ、このスケベ野郎が!」
「あ、あ、ぁ……っ」

(いっそ殺してくれぇっ)

 警察官だった時、何度も不慮の死を遂げた被害者と対面してきた。暴力で犯された性犯罪の被害者とも向き合ってきた。

 俺は………何もわかっちゃいなかったんだ。
 彼らの味わった恐怖。無念さ、絶望、悲しみさえも。

(帰りたいな……)
(一秒でもいい。ひと目でいいからもう一度会いたいよ)

 シエン。

(ごめんな)

 オティア。

(お前の笑う顔、見てみたかった)

「レ……オ……ン………………」
「……まだ……奴の名を呼ぶか……」
 
(フレディ?)

 喉を掴まれ、ぐいと引き起こされた。間近に見下ろす水色の瞳は血走り、ぎらぎらと得体の知れぬ光に満ちていた。
 
 f.jpg
 illustrated by Kasuri
 
(何がお前をそこまで狂わせた)

 指が喉笛に食い込み、息が詰まる。

「う……ぐ…ぁ……」
「そんなに奴が大事か。そんなに奴が恋しいか!」

(俺の……せいなんだな……)

 俺の存在がお前を狂わせ、ルースから父親を奪った。

「マックス……大好き……」
「ああ。俺も大好きだよ、ルース」

 中途半端に手を差し伸べておきながら、救いを求めてすがりつくあの子に対し俺は警察官の義務を果たしただけだった。

「や……わたし……他所になんか……行きたくない」

 ごめん、フレディ。
 ごめん、ルース。

「そりゃそうだよな……初めての男なんだから……」

 荒々しくベッドに叩き付けられ、うつ伏せに押さえ込まれた。つかまれた肩に指が食い込み、鈍い痛みが走る。

「だったら俺にも、考えがある」

 どこからか消毒薬の匂いが漂ってきた。


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【3-13-15】★★刻印1

2008/06/13 3:53 三話十海
「新入りが入団する時は俺が入れてやるんだ。慣れたもんだぜ……」

 手術用のゴム手袋をはめながら、なめらかな背中を見おろす。ごくりと喉を鳴らして生唾をのみこみ、舌なめずりした。

 消毒薬を染み込ませた脱脂綿で背中を拭った。背骨を中心に肩甲骨に沿って。それだけでびくっとすくみあがり、細かく震えている。

「あれほどヤりまくったのにまだ足りないのか……つくづく淫乱な奴だ。テキサスの親父さんが知ったら何て言うだろうなあ」
「っ!」

 息を飲み、体を強ばらせた。嬉しいね、また一つお前の弱点を見つけたぞ。

「そうか……奴とデキてることは親父さんには秘密にしてるのか。悪い子だ。お仕置きが必要だな」

 つ、と背中に人さし指を這わせる。これから彫る絵柄のアウトラインをなぞって。
 また震えてやがる。ここに針を刺したらどうなるんだろうな?

「麻酔は無し、痛み止めも、無し、だ。痛かったら遠慮なく声を出せ、と言いたいとこだが、舌でも噛まれちゃコトだからな」
「うっ」

 猿ぐつわを噛ませ、前に回した手に手錠をかけ直す。逃げる力なんざとっくに残っていないのはわかっていたが、とにかく奴の体をこの場に繋ぎ止めておきたかったのだ。

 押さえ込んで手彫りで針を刺した。機械で彫るなんてそんなもったいないこと誰がするものか。

「んっ……ぅうっ」
「動くなよ? 余計に痛い思いをすることになるぜ」

 白い肌に深々と針を食い込ませる。
 そのたびにくぐもったうめき声が漏れる。お前みたいな感じやすい体の人間にはさぞ効くだろうよ。
 それとも、まだクスリが残ってるのか?
 
 ひと針、ひと針刻んでやろう。
 お前の肌に、俺の署名を。
 少しずつ時間をかけて。


 ※ ※ ※ ※


 夢中になってタトゥーを刻んだ。
 丹念に、ひと針ずつ。
 ぶっ通しで6時間、恋い焦がれた男の背中に。
 普通ならこれぐらいの大きな絵柄を彫るのは3〜4回に分けて行うもんだ。
 さもなきゃ皮膚が炎症を起こして、真っ赤に腫れ上がって、熱が出て、体がもたない。
 
 ………ちょうどこんな具合にな。

「できたぜ……お前に似合いのを入れてやったよ」

 背骨を中心に肩甲骨に沿うようにして彫られた『広げた翼』。その中央に蛇が一匹絡み付いている。蛇の尾の先端は蠍の毒針に変わり、深々と翼に突き立てられていた。
 蠍の尾を持つ蛇の背に刻印された己の署名を見下ろす。
 "Freddie"
 いつもお前が呼んだ名だ。

「う……」

 ぐったりしていた奴がわずかに反応する。とうとう最後まで持ちこたえちまったな。
 いっそ気を失っていた方が楽だったろうに。

「お前はこれから一生、俺の名前を背負って生きて行くんだ……一生な」
「っ………」

 何度針を刺されても流れなかった涙が、つーっと一筋こぼれ落ちる。顔をよせ、舐めとった。


通常ルート→【3-13-17】★★刻印3
鬼畜ルート→【3-13-16】★★★★刻印2

【3-13-16】★★★★刻印2

2008/06/13 3:54 三話十海
「よく我慢したな……えらいぞ。ごほうびをやろう。足開きな」
「うぅ、うっ」

 小さく首を振るが知ったことか。後ろから手を入れ、無理矢理内股を押し広げる。

「んんーっ!」
「今さら気取るな。尻を出せよ、ほら!」

 尻の双丘をかき分け、アヌスを露出させる。いい色してやがる……。
 さんざん可愛がられた後だ。充血がまだひいていないんだな。おそらくは中も。ってことは、いつもにも増して敏感になってるってことだよな……。
 弱々しくもがくのを押さえつけ、容赦なく後ろから貫いた。
 猿ぐつわを通して悲鳴があがり、苦痛に歪められた両目から涙がぼろぼろとこぼれおちた。
 注射器を取り上げ、ガラス瓶のクスリを吸い上げる。適量? そんなもん知ったことか。

「そら、たっぷり味わえ!」
「うっ、ううっ」

 針痕の残る血管にぶつりと突き刺し、薬液を送り込む。効果はてきめんだった。

「くぅ、う、うぅうっ、んーっ!」
「ああ……いいな……吸い付いてくるじゃないか……欲しかったんだろう? 気持ちいいんだろう? ……そら、前も弄ってやろうな」

 すでに堅くなりかけていたペニスを弄り回す。
 くぐもった悲鳴に切羽詰まった喘ぎが加わった。徐々に堅くなる手の中の熱を楽しみつつ、なおも弄っているとそのうち腰が揺れ始めた。
 もう押さえ切れないのだろう。

「そんなに……欲しいのか……いいぜ。たっぷり突いてやるよ……抉ってやるよ」
「んっ、う、うぅ、んっ、ぐ、ぅ、ふ、ぅ、んんっ」
「恋人以外のモノがそんなにイイか? 力づくで犯されて、よがり狂いやがって。たまらねえって顔してるぜ。心底呆れた奴だ……」
「んんっ」
「違うとでも言うつもりか、ええ? 俺のモノをずっぷり美味そうにくわえこんでるぞ? 腰までくねらせて。まったく救い用のない淫乱め」

 あらゆる防護壁をはぎ取られ、むき出しになった心の動きが手にとるようにわかる。

 涙がこぼれる。透き通った雫が汗に混じり、頬をつたい首筋に流れ落ちる。必死で否定しながらも、自分が快楽に溺れている事実から目をそらせない。
 クスリのせいだと逃げることすらできず、身を切られるような罪悪感に苛まれ、ローゼンベルクに詫び続けている。

(そうだ、お前はそう言う奴だ)

 いい顔だ……あいつの前ではいつもこんな顔を見せてるのか?

「そうか、泣くほど気持ちいいのか……」

 ゆるく波打つ赤い髪をつかんで引き寄せ、首筋の火傷の痕に舌を這わせる。そのまま舐め上げて耳をねぶり、合間にささやいた。

「この姿、ローゼンベルクに見せてやりたいよ……」

 絶望を音にしたら、きっとこんな声になるのだろう。逃れようにも、もはや精根尽き果てて、手足もロクに動かせないのか。指先がわずかに動き、空しくシーツの表面を引っ掻いた。

 だが、体は正直だ。与えられる刺激をことごとく飲み込み、淫らに応える。

「ああ、そうだ。奴が迎えに来たら全部教えてやろう。俺たちに可愛がられたお前がどんな痴態をさらしたか……いや、いっそローゼンベルクの目の前で犯してやろうか?」
「んっ、んん、んぐっぅ、うぅ……」
「おっと……そんなに締めつけるな……いやらしい奴め。どこまで淫乱な男なんだ。だれでもいいんだろ? お前の穴を埋めてくれる男なら……だれでも……だれでもっ」
「うっ、ん、ん、ん、んんーっ」

 虚ろな部屋の壁に、床に、汗ばんだ肉と肉のぶつかる音が響く。
 今、こいつの体の中では背中を侵食する熱と、容赦無く責め立てる俺の動きが暴れ狂っているはずだ。どんどん声が高くなって行く。
 しっかりした骨格を覆う引き締まった筋肉、その上を包むきめの細かい肌。
 美しいとさえ言える背中がよじれ、蠍の尾を持つ蛇が踊る。刻みこんだばかりの翼に血がにじみ、白い肌を染めて行く。あたかも蛇の毒針に犯されるように。
 ゆるく波打つ長い髪が乱れ、肩に、背中にこぼれて広がる。濡れた肌にへばりつき、幾筋もの不規則な赤いラインを描く。

 ああ、たまらない。
 この髪も、体も、骨のひとかけら、血の一滴、肉の一筋に至るまで……だれにも渡さない……離すものか。
 お前がどんなにローゼンベルクを愛していても。奴を呼んでも。今、お前の体は俺の手の内にある。深々と爪を打ち込み、魂の奥底まで刻み付けてやろう……俺の印を。俺の痕を。

「愛してるぜ、マックス……お前は……もう、俺のモノだ」

 首筋に浮かぶ火傷の痕に歯を立て、噛みしめる。ぐいと前を掴んで、容赦無くしごき上げてやった。
 喉の奥でひときわ高い悲鳴があがる。
 ガクガクと熱に浮かされたように不規則に痙攣すると、奴は俺の手の中いっぱいに精液を吐き出して。
 糸の切れた操り人形みたいに、がくりと崩れ落ちた。
 
「ああ。とうとう気絶しちまったか。気の毒になあ。……だが、あいにくと……俺は……まだ満足していないんだ……よ」

 突き上げる度にびくんと体が震え、後ろが締まる。意識を無くしてもこれだけ反応するなんて、どこまで感じやすいんだ?

 まったく、お前の体は男にとっては毒だよ。
 一度知ったら、二度と忘れられない。離せない。天使みたいにあどけない顔の下に、これほど淫乱な躯が潜んでいたとはね。
 さぞローゼンベルクに可愛がられていたんだろうな……奴も溺れたことだろうよ。

(手に入らぬものならば、いっそ自分で壊してしまえ)

 半ば閉じ、半ば開いた瞳からまだ涙が流れている。優しげなヘーゼルブラウン、だが焦点はどこにも合っていない。
 用済みになった猿ぐつわを外すと、うわごとみたいに小さく誰かの名をつぶやいていた。
 三音節の、聞き慣れた名前。
 ここには居ない男の名前を、くり返し何度も。何度も、切れ切れに。

「好きなだけ呼ぶがいい。もう二度と、お前をあいつの腕に抱かせたりなどするものか……そう……二度と、な」

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【3-13-17】★★刻印3

2008/06/13 3:55 三話十海
 ベッドの中で寄り添い、まどろみながら余韻に浸る。
 肩を抱き寄せ、赤い髪を撫でて顔を埋めた。微かに手錠の鎖が鳴り、ぴくり、と抱きすくめた体が震える。

「………レ……オ……ン」
「っ!」

 夢うつつにつぶやかれた一つの名前。そこににじみ出る愛しさに体中の血が沸騰し、目の前が赤く染まった。
 ベッドから引きずり降ろし、足元に叩き付ける。もうほとんど抵抗はない。
 外したベルトで滅茶苦茶に打ち据えた。

「ひっ、あ、や、ああっ」

 ぴしり、ぱしりと皮が肌を打つ独特の破裂音が響く。子どものような無防備な悲鳴とともに、真っ赤なミミズ腫れが刻まれて行く。

「あぅっ、ひぃっ、やめっ、うっ、あっ、あっ、やっ、痛っ、痛いっ」
「ああ、痛いだろうさ、痛くしてるんだからな!」

 手錠をかけられた両手で頭を覆い、海老のように体を丸めるのを容赦無く打ち続ける。

「お前は、俺だけ見てればいいんだ。俺のことだけ考えろ、他の奴のことは忘れろ!」
「い……や……だ……」

 激しくかぶりを振ると、奴は何かにすがるように宙に向けて手を伸ばし、かすれた声を振り絞って叫んだ。

「レオン……レオンっ」

 その顔めがけてベルトのバックルを振り下ろした。頬に一筋、赤い傷が走る。

「あぅっ」
「まだ言うかっ」

 うずくまる背中をなおも打ち続ける。皮膚が裂け、血が滲み出した。
 喉からほとばしる悲鳴が次第に小さく、弱くなって行く。

「いた……い………く…ぁ………ぅ……」

 それでもまだ手を止めない。
 止まらなかった。

「誰にも渡すもんか……誰にも……誰にも!」
「ぅ…ぅう……」

「ボス……」
「何……だ……邪魔するなと言ったろう!」
「いえ……そろそろ、時間が」
「あぁ?」

 したたる汗を拭い、足元を見下ろす。
 胎児のように体を丸めて震える虜の背中には、くっきりと己の署名が刻まれている。
 そうだ、こいつはもう俺の物なのだ。何を焦ることがある。

「………行こうか、マックス」

 うつろな瞳が見上げてくる。ぐいと髪の毛を掴んで引き起こし、キスをした。

「さあ、おでかけの時間だ」


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【3-13-18】決意

2008/06/13 3:56 三話十海
 その夜のローゼンベルク家の食卓にシエンの姿はなく。夕食は終始重苦しい空気の中進み、皿の中身はほとんど減らなかった。

 それでもデザートのチョコレートムースを口に運ぶと、ルースはわずかに顔をほころばせ、小さな声で「美味しい……」と呟いた。

「おそれ入ります」

 給仕をしていたアレックスが静かにうなずいた。

 夕食後、ヒウェルがキッチンに皿を運んでいると、ルースがそっと近づいてきた。

「あ……ごめん、お客さんに皿運ばせちまって」
「ううん。いいの、慣れてるから……あのね、ヒウェル」
「ん?」
「ありがとう。気を使ってくれて」

 彼女のアパートを出てから、ヒウェルは意識してずっと四年前と同じ口調でルースに話しかけていたのだ。
 周りは知らない人間ばかり、唯一彼女が知ってるのは自分だけだったから。

「あ、いや……無理頼んでるのは俺の方だし」
「金髪のあの子、マックスが世話してるんでしょ?」
「………ほんとはもう一人いるんだけどな。はずかしがり屋だから」
「マックスのこと、心配してるんだ」
「………」
「わかるの。そう言う人だもの。だから……」

 ぽふっとヒウェルはルースの頭に手を乗せ、なでた。カールした髪の毛が、ひょろ長い指の間を通り抜けて行く。

「ヒウェル?」
「奴がいたら、きっとこうする。だから……代理だ」
「うん」

 後片付けが終わってから、全員リビングに集まった。沈黙のうちに時間が流れて行く。何度も時計に目が行く。
 約束の時間にハンターズ・ポイントに行き着くには、そろそろ出なければいけない。ヒウェルとレオンはどちらからともなく顔を見合わせ、うなずいた。

「オティア。そろそろ部屋に……」

 その時、廊下に通じるドアが開いて、シエンが出てきた。

「俺も行く」

 しばらくぶりに聞く、はっきりした声で。
 きちんと服を着て、まっすぐに大人たちを見つめている。紫の瞳はわずかに涙でうるんでいたが、奥に、強い意志の光があった。

 微塵の迷いも感じられない。
 声にも、表情にも。

「それはできないよ、シエン」

 レオンは思った。
 危険すぎる。
 運が悪ければ自分も、ディフも二人とも殺されるかもしれない。
 よしんば無事に再会できたとしても、ディフが酷い状態にあることは容易に予測できる。そんな彼を果たしてシエンと会わせて良いものか。

「アレックスと一緒に待っていなさい」
「嫌だ」

 ヒウェルは驚きで目を見張った。
 シエンがこんな風に自分の意見を強く口にすることは滅多にない。強いて言うなら、弱ったオティアを守ろうと自分の前に立ちはだかった時ぐらいだ。
 ましてレオンの言葉に真っ向から逆らうなんて……。

「ディフは俺を助けに来てくれた。工場の時も。撮影所の時も。だから、俺も、行く」

 その隣で静かにオティアが立ち上がり、兄弟にぴたりと寄り添った。

「……連れていけ。でないと、後悔する」

 レオンは代わる代わる双子の顔を見ていたが、やがて小さくため息をついた。

「……しかたないね。でも、これだけは約束してくれ。決してアレックスとヒウェルの側を離れない。俺が良いと言うまで、現場には来ない。いいね?」
「でも」
「約束を守れないのなら、連れて行くことはできないよ」
「………わかった」

 シエンが何か言おうとするが、それより早くオティアがうなずいた。

「いいだろう。アレックス、車を回してくれ」
「かしこまりました」
「ヒウェル、書斎に」
「了解」


 ※ ※ ※ ※


 書斎に行くと、レオンは机の一番下の引き出しの鍵を開けた。

「銃の扱いはわかるね?」
「そりゃまあ……22口径程度なら」
「ではこれを」

 渡された小型の自動拳銃をヒウェルは手に取り、カシャカシャとリズミカルな音を立てて安全装置と装填数を確かめ、また元に戻す。

「……おや。君は銃を扱う時は左手を使うのだね」
「利き目が左なんですよ。だからこっちを軸にした方が狙いがつけやすい」
「初めて知った」

 言いながらレオンは自分用の拳銃を左の内ポケットに滑り込ませた。携帯電話でも扱うみたいに、さりげなく。
 
「……行きますか」
「ああ」

 警察は無し。SPは無し。だが、銃は無し、とは……パリスは言わなかった。


 ※ ※ ※ ※

 
 アレックスが駐車場に向かい、ヒウェルとレオンが書斎に行くのを確認してからオティアは携帯を開いた。
 
「ハロー、オティア。どうしたの?」
「これから……出る。レオンも一緒だ」
「OK」

 危険だ、とも。やめろ、とも言われない。好都合だ。
 もっとも彼女なら言わないだろうと確信があったし、そうでなければこのタイミングで電話なんかしない。

「あなたの携帯の位置はマークしてる。決して電源を切らないで。いいわね?」
「わかった」

 通話を終え、携帯を閉じた所で二人が戻ってきた。
 シエンの手を握り、立ち上がる。

 ヒウェルがこちらを向いて、軽い口調でさらりと言った。
 いつもと同じ、にやけた笑顔。獲物を見つけた狐ってのは、きっとこんな顔をするのだろう。

「さて……戦闘開始だ」


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【3-13-19】対決

2008/06/13 3:57 三話十海
 海の匂いがする。
 潮の香、なんて叙情豊かな表現では追いつかないくらいに強烈な、ぬるりと湿った生臭い海水の匂い。
 古くなった油、濡れたコンクリートにへばりつく藻、命果てた体の腐ってゆく匂いが溶け込んだ、決して飲めない混沌のスープ。

 ひと息吸い込んだだけでずしりと腹の底が重くなる。
 どこからか、かすかに騒がしい音楽が聞こえてくる。ラップだろうか。ヘヴィメタだろうか。相当な大音量で流しているのだろうが、ここからは遠い。細かい部分は霞んで消えて、捩れた騒音だけが耳に響く。さながら音の亡霊だ。

「ヒウェル。アレックス」
「はい」
「時計を合わせよう。30分経って戻らなければ警察を呼んでくれ」
「……了解」
「それまでは、ここで待っているように。決して車から降りてはいけないよ。いいね」

 言い残すとレオンはルースを伴い車を降りた。彼女が降りる時、申し分のない礼儀正しさで手を貸し、導いて。
 ヒウェルは秘かに舌を巻いた。
 一見紳士的な態度だが、その実、巧みに彼女の逃亡を防いでいる。あれじゃルースも逃げられまい。

 積み上げられたコンテナと、雑に押しつぶされた車の残骸。黒々と立ちはだかる歪な壁を抜けて二人が歩いて行く。
 行く手に立ちはだかる倉庫の窓からは、微かに明かりが漏れていた。

 
 ※ ※ ※ ※


 倉庫の中は屋根が有る事を除けばあまり表と違いはない。乱雑に積み上げられたコンテナの間を抜けて歩いて行くと、中央近くにぽっかりと空間が空いていて、人だかりがしていた。
 男ばかり、全部で7人。
 うち、一人がレオンの姿を認めて人だかりの中央に声をかける。

「……ボス」

 それを合図にすっと男たちが左右に分かれる。中央に青い防水シートが敷かれ、その上に二人の人間がいる。
 床に押し倒された一人の上にもう一人がのしかかり、何事か囁いている。
 倒された方が弱々しく首を振る。赤い髪を確かめるより早く、それが誰なのか、わかっていた。

「その手を離せ」 

 フレデリック・パリスはゆっくりと立ち上がった。手を離す間際にぎりっと、組み敷いた虜の肌に爪を立てて。
 小さな悲鳴があがる。

「やあ……遅れずに来てくれて嬉しいよ、ローゼンベルク」

 レオンに背を向けたまま、うっとりと目を細めてシートの上で身を震わせるディフを鑑賞している。

「……彼を帰してもらおう」

 ようやく、パリスは振り向いた。口元に浮かぶ嘲りの笑みが途中で強ばる。食い入るようにレオンの背後を凝視していた。コンテナの陰に立つルースのすらりとした影が落ちる床を。

「待て。一人で来いと言ったはずだぞ。もう一人居るな。誰だ?」
「心配しなくても、君のよく知ってる人だよ」
「な……まさか……」

 震えながらもき然とした足どりでルースが進み出て、レオンの隣に立った。

「ルース?」
「パパ!」
「貴様……娘をどうするつもりだっ」

 明らかに動揺している。四年の歳月を経ても父娘の絆は失われていなかった。やはり彼にとって娘の存在は大きいのだ。

(ヒウェル、君の読みは正しかったよ)

 そっとレオンはルースの肩に手をかけた。

「随分丁寧な扱いをしていただいたようだから、ね」
「待て……娘には手を出すな! まさかしないだろう? 堅気の弁護士が…」

 レオンは黙ってほほ笑む。
 凍えるような殺気が滲み出す。ルースがびくっとすくみあがった。

「わかった。彼は返す、だから娘にだけは……」
「賢明な選択だね」
「奴を連れて行け」
「しかし、ボス」
「いいから、さっさと連れて行け!」

 部下が二人、ディフを両脇からかかえて引きずって来た。

「行きなさい」
「ローゼンベルクさん」
「巻き込んですまない、ルーシー」
「……はい」

 こくり、とうなずきルースが歩き出し、パリスの部下に迎え入れられる。こちらを何度も振り返りながら父親の元へと歩いて行く。
 ほっそりした肩から離した手でそのままディフの体を抱きとめる。

 上着も、靴も、靴下も失われていたが、かろうじて家を出た時と同じシャツとジーンズを身につけていた。しかしシャツは引き裂かれてところどころに血がにじみ、ほとんど肩にかかっているだけだ。
 左の頬に一筋、生々しく赤い切り傷が走り、体中至る所に陵辱の爪痕がくっきりと刻まれている。
 ただ髪の毛だけはつやつやと美しく整えられていて、それ故に一層、体の傷が際立って見えた。

 二日間。
 たった二日間離れた間に、どれほどの責め苦が彼の体を通り過ぎたのか。

 居合わせるパリスの手下どもが粘つく視線を向けている。露骨に歯を見せ、舌を閃かせ、せせら笑っている奴もいる。

(やめろ)
(そんな目で彼を見るな)

「……ディフ……」

 ぴくりと肩が震え、虚ろなヘーゼルブラウンの瞳が見上げてきて。
 一瞬で表情を取り戻した。

 血のにじんだ唇が動く。掠れ切ってほとんど声にならない。

『 レ オ ン 』

 首筋の火傷の跡の上に生々しい歯形が残っていた。一つではない。くり返し何度も、執拗に狙ってつけられたのだろう。

「来るなって…言ったじゃないか……」
「それは……聞けないよ……」
「レオ……ン……っ」

 震える手で弱々しく服を握ってきた。両方の手首にくっきりと赤い筋が刻まれている。
 抱きしめたその時、シャツが肩から滑り落ちた。

「っ!」

 背中に真新しいタトゥーが刻まれていた。広げた翼に絡み付く蛇。皮膚が赤く腫れ上がり、渇いた血が赤黒くこびりついている。
 禍々しい血染めの翼。
 誰が。何のために入れたのか。
 理解した瞬間、銃を抜いていた。
 息をするよりも自然な動作で。それと意識するより早く。


 ※ ※ ※ ※


 車の助手席でヒウェルは時計を確かめた。
 約束の時間までにはまだ間がある。しかし、もう待てない。これ以上ぐずぐずしていたら手遅れになる。
 
(ごめん、レオン。俺やっぱり見過ごせないよ)

 SPは連れていない。だが懐に銃がある。
 あいつが日頃、銃を持ち歩かないのは撃ち方を知らないからじゃない。なまじ腕が良すぎて危険だからだ。
 気づいた時は撃っている。
 ディフと違って警告は無し。威嚇も無し。レオンが銃を撃つのは、相手を仕留める時だけだ。

 これはレオンに対する裏切りだろうか? 彼が怒りをぶつける唯一の機会を、奪ってしまうのではないか。
 それでもいい。後悔はしない。

 薄暗い車の中に、ぽつっと四角い白い灯りがともる。
 携帯の画面だ。
 だが、俺のじゃない。俺のはまだ開いていない。

「ハロー、オルファ」
「え………オティア?」

 運転席のアレックスがちらりと後ろを見たが、何も言わない。

「お前、何でっ」
「……レオンが今出た」

 電話の向こうでちょいとハスキーな人妻の声が答える。

「OK、位置を教えて」

 まだ頭が混乱してる、だがとにもかくにもFBIに繋がってる事は確かだ。カーナビに手を伸ばし、座標を読み上げる。
 即座にオティアが復唱し、向こうに伝えた。

「わかった。ローゼンベルクはそこに居るのね?」
「ああ、いるよ! パリスと手下どももね」
「あらH。元気? すぐ行くから。そこを動かないで」
「了解」

 オティアは平然と電話を切った。
 いつの間に。
 いや、いつから?

 聞きたいことはいろいろある。だが今は……

(奴を殺人犯にする訳にはいかないんだ。頼む、早く来てくれ……)


 ※ ※ ※ ※


 レオンが銃を抜くと同時に、パリスも銃を抜いた。
 やや遅れて手下たちも銃を抜く。しかし、微妙に及び腰だ。ちらちらとボスの顔色をうかがっている。

 ビビってやがるな。

 パリスは舌打ちした。
 無理もない。この男を殺せばローゼンベルクとガリアーノ、ロスを拠点にする二つの強力な一族を敵に回す。そんなことになったら潰れかけた組織はひとたまりもない。
 だからマックスを狙ったのだ。身内でも何でもない。しかし奴にとって何より大事な存在を。

 見る影も無く汚辱にまみれて、ボロボロに引き裂かれた奴の天使を目の前に放り出して、思い知らせてやるのが本来の目的だった。
 二度と俺たちに刃向かうな、と。
 
 だが……。
 今、目の前で抱き合う二人を見て狂おしい嫉妬がわき起こる。青黒い炎が胸を、腹を内側から焼き尽くす。

(こいつらをこのままにしておくものか!)

「二人そろってあの世に送ってやる、と言いたい所だがな。俺は慈悲深い男なんだ」

 唇がめくれあがり、引きつった笑みを形づくる。そのくせ声だけは妙に落ちつき、静かに響き……語尾が僅かに歪み、震えた。

「お前は殺さないよ、ローゼンベルク。だがその男はもらって行く……一生、お前の手の届かない所で……飼ってやる」

 びくりとディフがすくみ上がり、顔を押し付けてきた。弱々しく首を左右に振り、体全体が細かく震えている。指の関節が白くなるほど強く服を握り、すがりついて来る。

「や……だ……いやだ………レオン……っ」

 レオンは迷わずパリスに銃口を向けた。左手でディフの体をかき抱いたまま、右手を真っすぐに伸ばして。

(もう一度ディフを奪われるくらいなら……今、ここで死んだ方がマシだ!)
(だがパリス。お前だけは刺し違えてでも葬ってやる。二度と彼には触れさせない)

 二人の殺気が交錯し、束の間沈黙がその場を支配した。

「パパ、もうやめて!」
 
 ルースが父親の腕にすがりつき、半狂乱になって叫んだ。

「これ以上、マックスに酷いことしないで!」
「ル……ス……?」

 よろよろとディフが顔を挙げ、わずかにろれつの回らない口調で、たどたどしく彼女を呼んだ。

「ごめんね……マックス………ごめんね……」
「下がってろ、ルース!」
「いや!」

 レオンはわずかに眉をしかめた。

 ……不味いな。今撃つと彼女に当たる。
 確実に奴に当てなければ意味がない。
 邪魔だ。
 位置を変えてもらおう。父親か娘、どちらかに。
 ほんの少しでいい……そう、ほんの少しで。

「君は娘も巻き込む気か?」
「何?」
「その娘は無理矢理連れてきたわけじゃない。彼女の意思でここにいるんだ」

 パリスがわずかに体をひねり、娘の顔を凝視する。信じられないと言った表情で。
 いい動きだ。もう少し……。

 撃てるのはおそらく一発。だが、それで充分だ。


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【3-13-20】俺の天使に手を出すな

2008/06/13 3:58 三話十海
 ばすん!

 倉庫の中に低い金属音が響く。銃声よりずっと大きく、雷さながらに低く轟く。
 入り口と裏口が同時に打ち破られ、銃を構えた一団がなだれ込んできた。

「FBIだ。銃を降ろせ!」

 りん、としたオルファの声が夜気を震わせる。澄んだ響きとは裏腹に、聞く者の殺気を削ぐ鋭さを備えた声。
 お決まりの紺色の上っ張りを着て先頭に立ち、銃を構えていた。
 やや遅れて裏口からバートンが入って来る。
 
 ああ、Ma'am、気の利かない人だ。まったく有能すぎるよ、あなたは。
 惜しいな。
 あと2秒。いや、1秒遅れてくれれば、奴を殺せたのに。

 手下どもはボスより早く銃を投げ出した。もともと撃つのにあまり乗り気ではなかったのだろう。
 パリスは最後まで食い下がった。が……。

「パパ……もう、やめて……お願い………」

 すがりつく娘を見おろし、くしゃっと顔を歪める。

「パパ。何があっても私、パパを愛してる。だから……お願い」
「……………………………ルース」

 ほとんどため息のような声で娘の名を呼び、震える腕で彼女を抱きしめた。

「……銃を。こちらに」

 低く、静かに穏やかに。子どもをなだめるようなバートンの声に、パリスは魔法にかかったようにゆっくりと引き金から指を離し、銃をさし出した。
 素早く左右からFBIの捜査官と警察官たちが駆け寄り、パリスを押さえ込むと後ろ手に手錠をかけた。
 一味が残らず確保されるのを見届けてからオルファが携帯を開き、一言告げる。

「OK、オティア。片がついたわ」

 ああ、そう言うことか。道理で早いと思った。

 ため息をつくとレオンは上着を脱ぎ、ディフの体を包みこんだ。彼は微かに身じろぎして目を閉じ、体の力を抜いた。

「マックス……」

 よろよろとルースが近づいてくる。バートン捜査官に支えられるようにして。

 ディフは手を伸ばし、ぽふっと手のひらで彼女の頭を包み込み、撫でた。
 何も言わずただ、愛おしげに。
 彼女の目から涙がこぼれ落ちる。ディフの手がカールしたブロンズ色の髪の毛を撫でおろし、すっぽりと頬を包む。

 その時、彼の顔に浮かんだのは最もこの場にふさわしくないものだった。
 微かに。それでも確かに彼は頬笑んでいた。
 引き裂かれて、汚されて。ふみにじられて。
 ぼろぼろにされているにも関わらず、透き通った、どこか人間離れした笑顔で。

「きれいに…なったな……ルース……」
「マッ……クス……ごめんね……ごめんね……」
 
 レオンは微かに身震いした。
 この腕の中にしっかり抱きしめているはずなのに、一瞬、彼が消えてしまうかのような錯覚にとらわれた。色も形も、重ささえも失い、音もなく空気に溶け込んでしまいそうで。
 馬鹿な。
 そんなことあるものか。あってはならない。決して。

「……バートン。彼女を」
「わかった」

 ルースがバートン捜査官とともに去ってしまうと、急にディフの表情が崩れた。

「ごめん……レオン……ごめ……ん……」

 細かく体を震わせ、何度もごめんとつぶやく。泣きそうな声、しかし涙は出ない。

「ごめ……ん……」

 よろよろと手を伸ばし、レオンの頬に触れようとしたが、びくっと途中で動きが止まる。まるで熱い鉄にでも触れたように。

「あ……あぁ……」

 くしゃっと顔を歪ませ、唇をわななかせながら首を横に振っている。ヘーゼルの瞳に深い絶望の色が滲んでいる。
 胸の奥を、灼けた針で抉られたような心地がした。

 その時、レオンは理解した。パリスが一体どんな手口で彼の心を引き裂いたのか……。

 自分への想いを利用したのだ。
 純粋で一途であるが故に鋭い刃となり、容赦無く彼自身を切り裂いたはずだ。
 他の男に抱かれた彼を裏切り者と罵り、罪悪感を植え付け煽って。ディフが自分で自分を許せなくなるように仕向け、追い詰めた。
 その上、あんな刺青まで刻んで……。

(やはり殺しておけばよかった)
(いや、パリスだけじゃない。君を汚した奴ら全て、一人残らず殺してやりたい。できるものなら……今、すぐにでも!)

 自分から彼の手を握る。一瞬、びくっと震えて逃げようとしたが、力を入れて引き寄せる。
 堅く目を閉じてすがりついてきた。

「無理……しなくていい。今……あの子達が来るから……」
「うん……」


 ※ ※ ※ ※


 オティアの携帯が鳴った。びくっとシエンがすくみあがる。

「……ハロー?」
「OK、オティア、片がついたわ」
「ディフは? レオンはっ?」
「そこで騒いでる眼鏡に落ちつくように言って。二人とも無事よ」
「………二人とも、無事だ」

 オティアの言葉を聞き、アレックスが目を閉じてつぶやいた。

「おお、神よ……」

 同感だ。
 滅多に祈りなんか捧げない俺だけど、この時ばかりは神に感謝した。
 車を降りると、双子も着いてきた。止める道理はなかった。

 群がる警官、ぺかぺか光るパトカーだの救急車のライトの合間を抜けて倉庫に入って行くと、既にパリス一味は確保された後で。
 ディフの体は毛布に包まれ、救急隊のストレッチャーの上に横たえられていた。

 オティアとシエンの顔を見るなり、ディフは一瞬だけ泣き出しそうな顔をして。それから、はっきりと笑顔になった。

「シエン………オティア………」
「ディフ」

 ぼろぼろと涙をこぼすシエンの頬に手を伸ばし、震える指先で涙を拭う。

「ごめん……な………」
「ううん……良かった」

 輪郭を確かめる様にシエンの顔を撫でているうちに、次第にヘーゼルブラウンの瞳に力が宿り、手の動きもしっかりしてきた。

「ごめん、心配かけた」

 何言ってやがるか、この意地っ張りが。自分の方こそずっと心配してやがったくせに。

「怪我……してる」

 双子が頬の傷に手をさしのべると、ディフはゆるく首を横に振り、静かな声で告げた。

「ありがとな……でも、証拠だから」

 ああ、同じだ……あの時と。男の顔から、保護者の顔に。『まま』の顔になっている。

 やがて、付きそうレオンとともにディフは救急車で病院に運ばれて行った。
 双子はぴたりと寄り添い、手を握っている。
 去年の十月の終わりに、工場で再会した時のように。
 もうこの世には存在しない『撮影所』の廊下で、いくつもの銃口に狙われた時のように、支え合って。

 今度こそ、本当に終わったのだ。もう二度と『蠍の尾の蛇』がオティアとシエンの行く手に影を落す事はない。
 けれど………。

「大丈夫………かな」
「大丈夫だよ」

 かすれて弱ってはいたけれど、いつも奴の声だった。いつもの目だった。
 なんとも穏やかな、しあわせそうな顔をしていた。双子に会えたことがほんとうに嬉しくてたまらないって表情だった。

 レオン。やっぱり俺にとって彼は天使じゃないよ。
 なるほど、確かに奴には翼が生えているのかもしれない。
 だけど、そいつは俺に言わせりゃ無垢なる天使の翼なんかじゃなくて。長く、大きくて力強い親鳥の翼だ。

 血がつながってようがいまいが関係ない。
 XY染色体なんか知ったことか。
 あいつはあの子たちの『ママ』なんだ……。

「大丈夫だよ」

 半分は双子に。半分は自分に言い聞かせる。呪文のように、くり返し。
 これから訪れるであろう波を予感して。

「………大丈夫だから」

 そうであって欲しいと願いながら。
 祈りながら。


(俺の天使に手を出すな/了)


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ナンシー

2008/06/15 12:18 人物紹介
  • ナンシー・マクラウド
  • 幼稚園児

ランス

2008/06/15 12:22 人物紹介
  • ランスロット・マクラウド
  • 学生
  • 赤毛、毛質は堅めで短髪、瞳はヘーゼルグリーン。陽に焼けてひきしまった体つき、骨格はディフによく似ているが若干、線が細め。
  • ディフの従兄の息子。
  • 【ex6】初めての贈物に登場時はまだ小さい子供だった。

ヒースとメリッサ

2008/06/15 12:26 人物紹介
  • ヒース・ガーランドとメリッサ・ガーランド
  • プロスケーター
  • 双子(オティアシエン)の両親。父、ヒース。母、メリッサ。
  • メリッサの旧姓はサラエフ。ロシア系らしい。
  • フィギュアスケーターとしてペアで活躍した。引退後はコーチに。
  • ウィスコンシン州に住んでいた。
  • 双子が三歳の時に飛行機事故にまきこまれ死亡。双子は奇跡的に助かった。

【3-14】ライオンと翼

2008/06/21 19:10 三話十海
  • 【3-13】★俺の天使に手を出すなの直後からスタート。
  • 【3-14-12】は【3-14-11】のラブシーンの詳細をカットしたバージョンで、内容は同じです。BL要素が苦手な方は【3-14-12】をお読みいただくと吉。
  • 【3-14-11】も★★★(ベッドシーン有り)の表記になっていますが実際には「ラブシーン」といった趣きでエロ重視ではありません。
【attenntion!】タイトルに『★★★』の入っている章には男性同士のベッドシーンが含まれています。十八歳未満の方、および男性同士の恋愛描写がNGの方は閲覧をお控えください。

【3-14-0】登場人物

2008/06/21 19:12 三話十海
  • より詳しい人物紹介はこちらをご覧下さい。
【ヒウェル・メイリール/Hywel-Maelwys】
 フリーの記者。25歳。
 黒髪、アンバーアイ、身長180cm、細身(と言うか貧弱)
 フレーム小さめの眼鏡着用。適度にスレたこずるい小悪党。
 オティアに想いを寄せるが告白段階で激しく自爆。
 もはや報われないことがステイタスとして確立した、本編の主な語り手。
 バーのバイトで食いつないだ経験が有り、今でもカクテルとつまみは作れる。
 そのせいで若干、酒の飲み方にはうるさい。

【オティア・セーブル/Otir-Sable 】 
 不思議な力を持つ双子の片割れ。16歳。
 ややくすんだ金髪、紫の瞳、身長170cm、やせ形。
 極度の人間不信だがヒウェルには徐々に心を開きつつあった、が。
 告白の際に著しく心を傷つけられ、今はひたすら『空気』扱い。
 観察力に優れ、また記憶力は驚異的に良い。
 ポーカーフェイスの裏側で実は意外に心揺れ動いている。
 ディフの探偵事務所で助手をしている。
 何を飲むかと問われれば返事は「水」。

【シエン・セーブル/Sien-Sable】
 不思議な力を持つ双子の片割れ。16歳。
 外見はオティアとほぼ同じ。
 オティアより穏やかだが、臆病でもろい所がある。
 また素直そうに見えて巧みに本心を隠してしまう一面も。
 ディフになついている。
 自覚のないままヒウェルに片想いしている。
 その一方で、オティアとのこじれた仲を取り持とうとする複雑な立ち位置に。
 レオンの法律事務所で秘書見習いをしている。
 ジャスミンティーが好き。

【レオンハルト・ローゼンベルク/Leonhard-Rosenberg】 
 通称レオン
 弁護士。ヒウェルとは高校時代からの友人。26歳。
 ライトブラウンの髪と瞳、身長180cm、着やせするタイプで意外と筋肉質。
 一見、温厚そうな美人さん、実は腹黒。実家は金持ちだが家族への情は薄い。
 恋人のディフを「俺の天使」と言い切る強気な人。
 ディフと双子に害為す者に対しては穂高の槍の穂先並みに心が狭い。
 ヒウェルに対してはとことん容赦無い。
 酒は強く、酔っても顔に出ない。

【ディフォレスト・マクラウド/Deforest-Macleod】 
 通称ディフ、もしくはマックス。
 元警察官、今は私立探偵。ヒウェルとは高校時代からの友人。25歳。
 ゆるくウェーブのかかった赤毛、ヘーゼルブラウンの瞳、身長180cm、肩幅やや広め。
 頑丈そうな体格だが無自覚に色気をふりまく困った体質(ゲイ相手限定)。
 裏表のない直情家、世話好きでおせっかいな熱血漢、時々天然。
 レオンの嫁で双子の『まま』。
 バーボンよりスコッチを好む。

【アレックス/Alex-J-Owen】
 レオンの秘書。もともとは執事をしていた。
 有能。万能。
 レオンさまのためなら火の中水の中。
 自分で飲むなら、辛口の白ワイン。

【エリック/Hans-Eric-Svensson】 
 シスコ市警の科学捜査官。ディフの警官時代の後輩、23歳。
 ライトブロンド、瞳は青緑色、身長186cm。
 金属フレームの眼鏡着用。
 今回失恋が確定したバイキングの末裔。
 ビールはCarlsberg(カールスベア)と決めている。

【キャンベル/Rod-Campbell】
 シスコ市警の科学捜査官。エリックの同僚、26歳。
 黒髪、黒目、ドレッドヘアーのアフリカ系。
 某缶詰スープと同じ綴り。実際、好物で常食にしてるらしい。


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【3-14-1】病院の天使

2008/06/21 19:13 三話十海
 
「いや、まだいい」

 救出後、収容された病院でディフは断固として治療を受けようとしなかった。かろうじて検査用のガウンを身につけることは了承したものの、ドクターにも、ナースにも手を触れさせようとしない。

「証拠の採取が済んでからだ。命に関わるような怪我じゃない」

 ディフの意志は固く、言葉も態度もしっかりしていた。
 結果として彼の意志は尊重され、ドクターは渋りながらも鑑識の到着を待つと答えてくれた。

 その間、レオンはずっと恋人の傍らを離れなかった。ほとんど言葉は交わさなかったが、しっかりと手を握りしめて。

 やがて警察から二名のCSI捜査官やってきた。北欧系の背の高い金髪と、アフリカ系のドレッドヘアーの対照的な外見の二人組。CSIのロゴの入ったそろいの紺色の上着を着て、手にはめいめい四角いプラスチックの道具箱を下げている。

「よぉ、エリック、キャンベル。お前らが来たか」
「センパイ……」

 二人ともディフとは顔見知り。かつては警察で苦楽を共にした友人であり、犯罪捜査のために力を合わせた仲間だった。
 これから何が始まるのか。何をすればいいのか。
 する方も、される方も、分りすぎるほど分っている。

「レオン。少しの間、席、外してくれるか」
「…………わかった」

 ぐっと強く握ってからレオンは指の一本一本を強靭な意志の力で動かして手を離し、少しだけベッドから離れる。部屋から出るつもりは毛頭なかった。

 キャンベルがカーテンを引き、ベッドの周囲に薄いクリーム色の結界を張る。
 次に何をすればいいか、分かっていた。
 だが、動けない。二人のCSI捜査官は顔を見合わせ、声も無く立ち尽くしていた。

「……………」
「どうした」
「あ……いや……」

 いたたまれず、キャンベルは目をそらした。
 不意にカーテンが揺れた。ベッドがぎしっと軋む。ぎょとして向き直るとディフが猛然とエリックに詰め寄り、胸ぐらをひっつかんでいた。

「聞け。今の俺の体は証拠の山だ……爪の間の皮膚、体にこびりついた体液も毛髪も全て拾い上げろ」

 大型の肉食獣の唸りさながらの低い声。歯をむき出し、今にも噛み付きそうな勢いだ。

(ああ、同じだ。オレが警察に入ってから間もない頃、制服警官時代に容疑者を連行して来た時と)

「奴らを二度と娑婆に出すもんか。あの子たちにも。レオンにも、二度と手は出させない! 徹底的に叩きのめしてやる、そのためなら何だってする」
「……了解」
「わかったんなら、さっさと仕事しろ!」

 エリックは意を決して道具箱の中から捜査用の道具を取り出し、薄いゴム手袋をはめた。
 ディフはしばらくの間深く呼吸をして息を整えていたが、やがて自分から検査衣を脱ぎ、生々しい暴力と欲望の痕跡をかつての同僚の前にさらけ出した。

「失礼します」

 シャツのすき間からちらりと見えるたびに顔が火照り、胸が高鳴った彼の体が今、目の前にある。
 できればこんな形で目にしたくはなかった。

(しっかりしろ、エリック)

 自分で自分を叱咤する。
 これは犯罪捜査のために必要なのだ。自分の義務であり、何より彼がそのことを望んでいる。
 それでも、使い慣れた道具を操る指先が震えた。

 首筋の歯形の表面を綿棒で拭い、長さを計る。写真を撮る時、カーテンの向こうから剣呑な気配が伝わってきた。
 キャンベルも薄々気づいたらしい。こわごわと背後を伺っている。
 胸、わき腹、と同様に計測と写真撮影を続けていると、足の付け根のあたりを示された。

「ここにも歯形がある。別の奴だ」

 淡々とした口調で説明される。うなずいて手伸ばした。

(こんな所まで……)

 噛み痕の主は容赦無く歯を立てていて、計測も写真の撮影も容易に行うことができた。

「後ろ……向いてもらえますか」
「ああ」

 背中に広がるタトゥーを目にした瞬間、エリックの心は二つに引き裂かれた。
 警察官として冷静に犯罪の『証拠』を分析している自分と。

(これは、同じものだ。去年、水路に浮いていた死体のものと)

 被害者を慕う友人として、怒りに震える自分と。

(パリス……センパイに何てことを!)

 同時に感じてもいた。捜査官としての意識が冷静に怒りの手綱をとり、収めてしまうのを。
 そうだ、怒るのは後でいい。今は目の前の証拠に集中しよう。

「これは……機械で?」
「いや。手彫りだ。筆跡鑑定、できるか?」
「かなり変則的ですが。やってみます」

 この人も同じだ。他のタトゥーとの関連性を理解している。自分の事件だけじゃない、他の事件の証拠ともなり得ると。
 
「失礼します」

 タトゥーの表面に付着物がないかどうか。綿棒で拭い、粘着性のシートをはり付ける。手が触れた瞬間、ディフの体が強ばり、血の気が失せる。蒼白とはまさにこの事だ。
 歯を食いしばり、必死に何かを堪えている。

「すみません、痛みますか」

 抑揚のない声が答えた。

「いや。続けろ」
「了解」

 つとめて手早く作業を進めた。
 付着物の採取を終えてから、写真を写す。カーテンの向こうの剣呑な気配がさらに強まった。

「……終わりました」

 黙ってうなずくと、ディフはぎこちない動きで検査衣を身につけた。薄緑の布地をきつく体に巻き付けて、背中を隠すようにして。


 ※ ※ ※ ※


 カーテンを開けるとCSIから来た二人組はレオンに会釈をして、足早に病室を出て行った。
 黙って見送ってから、ドクターを呼んだ。

 治療の間中、ディフは一言も口をきかなかった。ただ背中の傷に触れられた時だけ、びくんとすくみあがり、喉の奥で小さくうめいた。
 握る手に力をこめる。

「………ここに居るから」

 うなずいて、両手で握り返してくる。堅く目を閉じて、高熱を出した時のように震えていた。


 ※ ※ ※ ※


 治療が終わって、二人きりになってからレオンに抱きしめられた。背中の一部に触れないよう、細心の注意を払っている。
 迷ってから、目を合わせずに小さな声で問いかける。

「どんな絵………彫ったんだ。自分じゃ……見えない」
「羽根だよ」
「なんで…そんなもん………」

 俺に似合いのを入れたと言った。何故、羽根なんか。

「文字……あるはずだ」
「ああ……」
「『俺の名前を一生背負って行け』って…………」
「……タトゥーは手術で消せる。レーザーで焼くんだけどね」

『汚れ切ったその体で、どの面下げてローゼンベルクの前に出るつもりだ?』

 思わずレオンの手を振り払っていた。

 あの部屋の冷たいベッドの上で、嬲られながらずっとお前を呼んでいた。
 淫乱よ、裏切り者よと口々に罵られ、もうお前に愛される資格はないのだと嘲られながら、それでもひと目会いたいと願い続けた。
 それさえもお前への裏切りなのだろうか。

 肩を抱え、掠れた声を振り絞る。

「いっそこの身体全て焼き払いたい」
「それじゃ俺が困るよ」
「…………」

 震える手を伸ばし、レオンの袖をつかむ。優しく手を握られた。

「君が今ここにいる……俺はそれだけで嬉しいよ」

 手をしっかり握り返した。体が細かく震える。痛みのせいでも、熱のせいでもない。
 黙って抱きしめてくれた。
 夢中ですがりついていた。

「レオン……レオン……レオン……」

 何度も呼ぶ。どんなに責め苛まれても。誇りも尊厳も全てはぎ取られ、心と体、もろとも引き裂かれても忘れなかった唯一の人の名を。
 
 例えそれが裏切りだとしても、目の前の優しい腕を離すことは……できなかった。


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