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ローゼンベルク家の食卓

【3-14-7】おかえり

2008/06/21 19:19 三話十海
「OK。もう服を着てもいいですよ、マクラウドさん」

 シャツを頭からかぶり、パジャマの上着を羽織る。
 ここのところ毎日、主治医は午前中のうちに回診に来ている。
 レオンが病室に来る前に、だ。
 俺が一人でも落ちついて治療を受けられるようになったし、それ以上にレオンに気を使ってくれているらしい。
 エリックとキャンベルが来た時ほどではないが、治療のためにベッドの周囲にカーテンが引かれる度にレオンの奴はかなりナーバスになっていたからな。

「傷も順調に回復してるし、食事もきちんと取れてる。検査の結果もクリアだ。この分だと予定通り明日に退院できますね」
「ありがとうございます、先生」

 ふわりと肩掛けを羽織る。
 何か必要なものはないかとアレックスにもレオンにも聞かれたけれど……結局ヒウェルに調達してもらったものだ。
 肩と背中を覆うのに充分な大きさでありながら羽根みたいに薄くて軽い。

『病院に黒ってのもどうかなって思ったんだけどさ。他に濃いめの色が見つからなくって』
『いや……これぐらい強い色の方がいい』

 奴のセンスにしちゃ上出来だ。いつも着ている革ジャケットと同じ色だったし。

「それで……」

 こくり、と喉が鳴る。何堅くなってるんだ、情けない。

「背中のタトゥーの事なんですが。治療……できますか?」
「ええ。友人の形成外科医に相談してみました。幸い、線彫りで色は入っていない。レーザー治療で消せるでしょう」
「……そうですか」
「ただ」

 主治医は一旦言葉を区切り、手元のカルテに視線を落した。

「あなたの体は少し色素が薄い。髪や瞳の色を考えれば、極めて標準的なレベルですが」
「……はい」

 その通り。赤毛の人間はブルネットや金髪に比べてやや色素が薄い傾向にある。
 俺も子どもの頃は鼻や目、ほお骨の周りにそばかすが散っていたし、今でも強い陽射しの下では肌が赤く、斑になる。

「ですから、レーザー治療を施しても跡が残る可能性がある……普段は目立たなくても、血色が良くなると赤く浮かびあがって見えてしまうかもしれません」

 ぎくりとした。
 無意識に手が左の首筋に。火傷の跡に触れる。
 最も見られたくない時に、見られたくない人の目に触れてしまうってことか……あいつの刻んだ署名が。

「皮膚を切除する方法もありますが、あなたの場合は広範囲にわたっている。お勧めはできません」
「そうですか。ありがとうございます」
「それで、ですね、マクラウドさん」
「はい?」

 声のトーンが少し変わった。いつの間にか、カルテも伏せられている。

「ちょっと発想を変えて、別の友人に相談してみたんです。チャイナタウンに住むタトゥーアーティストなんですが」
「アーティスト……ですか。交友範囲、広いんですね」」
「まあそのへんは職業柄色々と。彼女が言うには、カバーアップと言う選択肢もあるそうです。退院したら、一度訪ねてみてはいかがでしょう」

 そう言って彼は名刺を一枚、渡してくれた。薄紅色のつるつるした手触りの、とても美しいカードに流れる様な書体でスタジオの住所と、電話番号と、件のアーティストの名前が記されている。

「きっと、良い相談相手になってくれますよ」


 ※ ※ ※ ※


 退院の日。
 廊下を歩く間、ディフはずっとレオンの手を握っていた。手続きをしている間は服の袖を。アレックスの運転する車に乗ってからは腕を組んで。
 とにかくどんな時も、どこかしらでレオンと繋がっていたいようだった。
 マンションに戻ってからは、当たり前のように自分の部屋の前を素通りしてしまう。レオンも彼を離すつもりはなかった。

「おかえりなさい! ……あ」

 迎えに出たシエンが足を留め、遠慮するように視線をそらした。
 ディフはぽん、とレオンの肘を軽く叩いてから絡めていた腕を外し、シエンに歩み寄った。顔いっぱいに屈託の無い笑みが広がる。まるで大輪のヒマワリだ。

「………ただ今」
「………おかえり」

 紫の瞳がわずかに潤む。ディフは床に膝をつくと、そっとシエンに向かって手を差し伸べた。ゆっくりと。ゆっくりと……指先が金色の髪に触れる。

「………おかえりなさい」

 welcome home.
 welcome home.

 澄んで高い少年の声がくり返し、彼を包み込んで行く。
 ここが"家"なのだと。
 レオンにはまるで『もう、どこにも行かないで』と呼びかけているように思えた。ひょっとしたら、彼自身の気持ちが共鳴していただけなのかもしれない。

「ただいま……シエン」
「よかった……」

 ディフは震える手でそっとシエンの髪を撫でると耳元に口を寄せ、静かな声で囁いた。

「ありがとな。帰ってこられて……嬉しい。すごく………」

 ヘーゼルの瞳に涙が浮かんでいる。

「うん……」

 二人とも、上手く言葉が出ないらしい。潤んだ瞳のまま見つめ合い、そのうちディフはくしゃくしゃと豪快にシエンの頭をなで回し始めた。

「くすぐったい……よ……ディフ」
「そうか? だったらお前も俺の頭撫でていいぞ」

 そんな彼らを少し離れた場所からオティアがじっと見守っていた。いつものようにポーカーフェイスで。
 今日だけは(渋々)黙認するつもりらしい。
 レオンの口もとに微かな笑みが浮かぶ。

(わかるよ……その気持ち。君の場合とは対象が違うけれどね)

 夕食の仕度の間、ディフはずっとリビングでレオンに寄り添っていた。上着は脱いだが、相変わらず黒い肩掛けを羽織ったまま。
 キッチンでちょこまかと動き回る双子たちをじっと見守っている。まるで日なたに寝そべる犬のように、おだやかな表情を浮かべて。

「ねぇディフ、コーンブレッドって1:1でよかったっけ?」
「そうだよ。コーンミール1カップに小麦粉1カップだ」
「うん!」

 うなずくとシエンはまたパタパタとキッチンに駆けて行く。
 笑顔で。
 にこにこと楽しそうに。

「……いい子だ」

 つぶやいてから、ディフはわずかに表情を曇らせた。

「大丈夫かな」
「大丈夫だよ。あの子たちの料理の腕はなかなかのものだからね」
「いや、そっちじゃない。あんまり眠れてないんじゃないか、あいつら」
「……そうかな」
「そうだよ」

 そっと腕を回してディフはレオンの肩を抱き、彼の瞳をのぞきこんだ。

「お前もだ、レオン」
「……大丈夫だよ」

(君が帰ってきたからね。もう迷子には、ならない)


 ※ ※ ※ ※


 その夜、シエンは久しぶりにぐっすり眠った。
 その隣のベッドではオティアも安らかな寝息を立てていた。

 一方、レオンの寝室では……。


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