▼ 【ex15-4】兄弟子と妹弟子
「……別に俺ぁ、不意打ち食らったのを怒ってる訳じゃねぇ、もし呪われたのがお前等なら『災難だったな』で済ませる。話に聞いてるアメリカの社長にもそうだ。朔也はギリギリでアウトってとこだが……だが羊子、てめぇは別だ」
三上の読みは正しかった。
同じ術を学び、自分に何ができるかを知り尽くしている兄弟子の言葉は、ずしんと羊子の心臓に響いたのだ。
「お前さんは知ってたはずだよな?『呪いを弾く方法』を……アメリカで神道式の呪詛返しは難しいにしろ、魔女術の呪い返しの準備は出来たはずだ。知ってたんだよな? 下調べで『相手は呪いをかけてくる』って」
羊子はうつむいたきり。膝の上で手を握り、油をしぼられるガマみたいに黙って脂汗を流していた。
「風見」
「はい」
「ロイ」
「ハイ」
「改めて聞くが、羊子は何か呪い用の準備してたか?呪いの身代わりになる人形の準備、清めた鏡を使った護符の準備………」
(あああああっ)
いたたまれない。
あの日の朝。魔女に呪われ、サクヤとカルともども子どもにされた瞬間から、何度も繰り返し己に向けた問いかけが今、神楽の口から放たれる。何故、準備を怠ったのか。何故、気付かなかったのか。
何故。
何故。
できるものなら、両手で耳を塞いでしまいたい。
目を閉じてひたすら脂汗をたらしていると、ふと傍らの気配が変わるのを感じた。
(風見……ロイ?)
見える。
視線の位置が低いからこそ、見えてしまった。唇を噛みしめ、悔しさをじっとこらえる二人を。
そうだ、あの場に居たのは自分たちではない。
がばっと羊子は顏をあげた。
「ミスは認める。だが二度と繰り返さない」
ほんの少し、声が震えていた。
「だからもう……この子らを追い込むな。私が呪われて一番、苦労したのはこいつらなんだから」
「……ん、悪ぃ。ちょっと言い過ぎた。」
頭をポリポリと掻く神楽の瞳から、無気力さ…というより、目に見えていた『欠落』が隠れて消えていく。
「こっからは、高校生2人へのレクチャーと思って聞いてくれ」
元の飄々とした口調に戻っている。
「確かにナイトメアは弱点を見つけないと倒せない、反則的にタフな奴等だ。隙を突き、裏を掻いて見つけた弱点を的確について倒すことも大事だ。でもそれ以前の問題に、『俺らはナイトメア程頑丈じゃない』んだよ」
羊子は秘かに安堵した。神楽裕二は気だるげになった時こそが本気なのだ。
「だから、下調べの時は弱点だけじゃなく『相手がどんな攻撃をしてくるか』にも同じ位気を払え」
「はいっ、わかりました、ご教授ありがとうございます!」
「肝に銘じマス」
「攻撃の種類が分かったら、まず『事前に防げない』か考えろ……ま、大半は無理ってことが多いが。相手が刃物を振り回したり、爪で引っかいてくるのを事前に止める手段なんか無いからな」
確かにその通りだ。
けれど、そうと判っていても、風見光一は飛び出すことをやめないだろう。大切な人を守るためなら。
彼なら、きっとそうする。
「こういう『呪い』みてぇな事前対策できる手段の方が稀だから……まあ、頭の片隅にでも置いといてくれ。やっぱり重要なのは『弱点』な事に代わりはねぇ」
だんだん、いたたまれない気分になってきた。ほんの6年ほど前に、まったく同じ小言を食らったのだ。
この店の、この椅子で。
「とりあえず若いの、この妹弟子は『倒すこと』に重点置きすぎて『身を守る事』をすっぽかす傾向があるから」
「あー……」
「確かに……」
うわ、こいつら思いっきり納得してるし!
つまるところ、進歩がないってことか、私は……
「呪いとか祟りとか。そういうオカルト的悪影響がありそうな単語が下調べの中に出てきたら、『何か防ぐ手段ありませんか?』とでも聞いてやってくれ、そしたらコイツも思い出すから」
防ぐ手段。
身代わり人形。
二つの言葉がつぴーんっと頭の中で結びつく。はたと羊子は床に下り立ち、両手を握って力説した。
「ああっ、そうだ、ウサギのぬいぐるみ持ち込めばよかったんだーっ」
「えっ、あれを?」
「ロイのじっちゃんの、サイン入りを?」
「しまった、それがあった」
「そもそもお前、紙とペンと鋏があれば、身代わりの紙人形作れるだろうが、こんにゃろぅ」
あっと言う間に羊子の頭が神楽の拳で挟み込まれていた。指の第二関節がこめかみに、ぐり、ぐり、ぐりとねじ込まれる。
よーこ先生の十八番、グリグリ攻撃が本人相手に炸裂。
「いだだだだ、いたい、いたい、いたい」
「ほれ、やってみろ!」
神楽はFAXにセットしてあった紙を一枚抜き取り、差し出してきた。
受け取ると、羊子はバッグの中をひっかきまわして手帳を取り出し、挟んであったボールペンを引き抜く。かちかちとボタンを押してペン先を繰り出し、ぐりぐりと人の形を描く。
「う……」
描き上げた物を見て、がっくりと肩を落とした。
丸い頭、ずんぐりした短い手足に逆三角形の胴体。長い耳と点目、ばってんの口の足りないミッフィー的な何かがそこにあった。
「なんで書く必要あるんだよ」
舌打ちすると、神楽はもう一枚紙を抜き取り、鋏でチョキチョキと切り始めた。
「そら、これで良いだろうが」
紙を細長く切り、切れ目を入れて首筋、四肢の形に似せる。紙本来の形を活かしつつ、直線で効率良く形作った『ヒトガタ』ができあがっていた。
「これの胴体の片面に名前、もう片面にペンタクル書きこんで、祈祷すりゃ出来上がりだろうが」
ばあちゃんから教わったろう。
言外にそう伝えつつ、兄弟子は作ったばかりの紙人形でぺしぺしと、妹弟子の額を叩いた。
「そら、やってみろ」
鋏を受け取ると、今度は下書きなしでチョキチョキと紙を切る。
「できた!」
ぴらっと掲げられたのは、やっぱり『ミッフィー的な何か』なのだった。
「うう」
「お前……そこまで壊滅的に図画工作下手だったっけ?」
(図画工作って……美術ですらない? 小学生レベルってことっ?)
ぴきーんっと羊子の中で何かのスイッチが入った。バッグから和紙を取り出し、ばばばっと鋏で切る。
ものの10秒もかからず、式用の紙人形ができあがっていた。
「これならいけるんだってば、これなら!」
「だから、それ作れって言ってんだろうが」
カウンターの上に並ぶ二つの紙人形は、頭の形が違う程度でほとんど同じだった。強いて言えば羊子が作った方は頭が尖っていて、神楽の切った方は平ら。
「……あ、あれ?」
「先生……」
「固定概念にとらわれてマスね……」
「いや、だってこっちは和紙だし、こっちはコピー用紙だし」
「材質なんざ関係ねえっつの」
ぺちっとまた紙人形で額を叩かれる。
「『人間の形をしたもの』を作って、身代わりにしたい奴の名前書き込んで、身代わりになってくれるように祈祷する……それができりゃ良いんだよ。」
「き、基本を忘れていた、不覚」
がくっと肩を落とし、猛烈に反省する。
(藤野先生ごめんなさいっ 日々の忙しさにかまけてつい鍛練を怠っていましたーっ)
拳を握りしめ、肩を震わせる羊子の後ろ姿を見守りつつ、神楽は少年たちに向かってやれやれ、と肩をすくめた。
「とまぁ、こう……お前さん等も知ってるだろうがこういう奴だから、サポートしてやってくれな、今の羊子の一番身近なフェローズはお前さん達なんだから」
すかさずロイがうなずき、風見が答える。
「心得マシタ!」
「俺が前に出る以上は、先生達の所に攻撃は届かせませんっ」
「おう、頼むわ」
にんまり笑って答えてから、神楽裕二はもう一つ付け加えてきた。
「あと、朔也にも油断するなよ。アイツは単独だとしっかりしてるが、羊子が傍に居るとその意見に引きずられて同じ事すっぽかす傾向があるから」
「あー……」
「ああ……」
※
「くっしゅん!」
「おっと、お大事に」
「……ありがとう」
高校生二人がうなずいたちょうどその時、サンフランシスコの一角で、サクヤが派手にくしゃみをしていた。
次へ→【ex15-5】ではまたいずれ
三上の読みは正しかった。
同じ術を学び、自分に何ができるかを知り尽くしている兄弟子の言葉は、ずしんと羊子の心臓に響いたのだ。
「お前さんは知ってたはずだよな?『呪いを弾く方法』を……アメリカで神道式の呪詛返しは難しいにしろ、魔女術の呪い返しの準備は出来たはずだ。知ってたんだよな? 下調べで『相手は呪いをかけてくる』って」
羊子はうつむいたきり。膝の上で手を握り、油をしぼられるガマみたいに黙って脂汗を流していた。
「風見」
「はい」
「ロイ」
「ハイ」
「改めて聞くが、羊子は何か呪い用の準備してたか?呪いの身代わりになる人形の準備、清めた鏡を使った護符の準備………」
(あああああっ)
いたたまれない。
あの日の朝。魔女に呪われ、サクヤとカルともども子どもにされた瞬間から、何度も繰り返し己に向けた問いかけが今、神楽の口から放たれる。何故、準備を怠ったのか。何故、気付かなかったのか。
何故。
何故。
できるものなら、両手で耳を塞いでしまいたい。
目を閉じてひたすら脂汗をたらしていると、ふと傍らの気配が変わるのを感じた。
(風見……ロイ?)
見える。
視線の位置が低いからこそ、見えてしまった。唇を噛みしめ、悔しさをじっとこらえる二人を。
そうだ、あの場に居たのは自分たちではない。
がばっと羊子は顏をあげた。
「ミスは認める。だが二度と繰り返さない」
ほんの少し、声が震えていた。
「だからもう……この子らを追い込むな。私が呪われて一番、苦労したのはこいつらなんだから」
「……ん、悪ぃ。ちょっと言い過ぎた。」
頭をポリポリと掻く神楽の瞳から、無気力さ…というより、目に見えていた『欠落』が隠れて消えていく。
「こっからは、高校生2人へのレクチャーと思って聞いてくれ」
元の飄々とした口調に戻っている。
「確かにナイトメアは弱点を見つけないと倒せない、反則的にタフな奴等だ。隙を突き、裏を掻いて見つけた弱点を的確について倒すことも大事だ。でもそれ以前の問題に、『俺らはナイトメア程頑丈じゃない』んだよ」
羊子は秘かに安堵した。神楽裕二は気だるげになった時こそが本気なのだ。
「だから、下調べの時は弱点だけじゃなく『相手がどんな攻撃をしてくるか』にも同じ位気を払え」
「はいっ、わかりました、ご教授ありがとうございます!」
「肝に銘じマス」
「攻撃の種類が分かったら、まず『事前に防げない』か考えろ……ま、大半は無理ってことが多いが。相手が刃物を振り回したり、爪で引っかいてくるのを事前に止める手段なんか無いからな」
確かにその通りだ。
けれど、そうと判っていても、風見光一は飛び出すことをやめないだろう。大切な人を守るためなら。
彼なら、きっとそうする。
「こういう『呪い』みてぇな事前対策できる手段の方が稀だから……まあ、頭の片隅にでも置いといてくれ。やっぱり重要なのは『弱点』な事に代わりはねぇ」
だんだん、いたたまれない気分になってきた。ほんの6年ほど前に、まったく同じ小言を食らったのだ。
この店の、この椅子で。
「とりあえず若いの、この妹弟子は『倒すこと』に重点置きすぎて『身を守る事』をすっぽかす傾向があるから」
「あー……」
「確かに……」
うわ、こいつら思いっきり納得してるし!
つまるところ、進歩がないってことか、私は……
「呪いとか祟りとか。そういうオカルト的悪影響がありそうな単語が下調べの中に出てきたら、『何か防ぐ手段ありませんか?』とでも聞いてやってくれ、そしたらコイツも思い出すから」
防ぐ手段。
身代わり人形。
二つの言葉がつぴーんっと頭の中で結びつく。はたと羊子は床に下り立ち、両手を握って力説した。
「ああっ、そうだ、ウサギのぬいぐるみ持ち込めばよかったんだーっ」
「えっ、あれを?」
「ロイのじっちゃんの、サイン入りを?」
「しまった、それがあった」
「そもそもお前、紙とペンと鋏があれば、身代わりの紙人形作れるだろうが、こんにゃろぅ」
あっと言う間に羊子の頭が神楽の拳で挟み込まれていた。指の第二関節がこめかみに、ぐり、ぐり、ぐりとねじ込まれる。
よーこ先生の十八番、グリグリ攻撃が本人相手に炸裂。
「いだだだだ、いたい、いたい、いたい」
「ほれ、やってみろ!」
神楽はFAXにセットしてあった紙を一枚抜き取り、差し出してきた。
受け取ると、羊子はバッグの中をひっかきまわして手帳を取り出し、挟んであったボールペンを引き抜く。かちかちとボタンを押してペン先を繰り出し、ぐりぐりと人の形を描く。
「う……」
描き上げた物を見て、がっくりと肩を落とした。
丸い頭、ずんぐりした短い手足に逆三角形の胴体。長い耳と点目、ばってんの口の足りないミッフィー的な何かがそこにあった。
「なんで書く必要あるんだよ」
舌打ちすると、神楽はもう一枚紙を抜き取り、鋏でチョキチョキと切り始めた。
「そら、これで良いだろうが」
紙を細長く切り、切れ目を入れて首筋、四肢の形に似せる。紙本来の形を活かしつつ、直線で効率良く形作った『ヒトガタ』ができあがっていた。
「これの胴体の片面に名前、もう片面にペンタクル書きこんで、祈祷すりゃ出来上がりだろうが」
ばあちゃんから教わったろう。
言外にそう伝えつつ、兄弟子は作ったばかりの紙人形でぺしぺしと、妹弟子の額を叩いた。
「そら、やってみろ」
鋏を受け取ると、今度は下書きなしでチョキチョキと紙を切る。
「できた!」
ぴらっと掲げられたのは、やっぱり『ミッフィー的な何か』なのだった。
「うう」
「お前……そこまで壊滅的に図画工作下手だったっけ?」
(図画工作って……美術ですらない? 小学生レベルってことっ?)
ぴきーんっと羊子の中で何かのスイッチが入った。バッグから和紙を取り出し、ばばばっと鋏で切る。
ものの10秒もかからず、式用の紙人形ができあがっていた。
「これならいけるんだってば、これなら!」
「だから、それ作れって言ってんだろうが」
カウンターの上に並ぶ二つの紙人形は、頭の形が違う程度でほとんど同じだった。強いて言えば羊子が作った方は頭が尖っていて、神楽の切った方は平ら。
「……あ、あれ?」
「先生……」
「固定概念にとらわれてマスね……」
「いや、だってこっちは和紙だし、こっちはコピー用紙だし」
「材質なんざ関係ねえっつの」
ぺちっとまた紙人形で額を叩かれる。
「『人間の形をしたもの』を作って、身代わりにしたい奴の名前書き込んで、身代わりになってくれるように祈祷する……それができりゃ良いんだよ。」
「き、基本を忘れていた、不覚」
がくっと肩を落とし、猛烈に反省する。
(藤野先生ごめんなさいっ 日々の忙しさにかまけてつい鍛練を怠っていましたーっ)
拳を握りしめ、肩を震わせる羊子の後ろ姿を見守りつつ、神楽は少年たちに向かってやれやれ、と肩をすくめた。
「とまぁ、こう……お前さん等も知ってるだろうがこういう奴だから、サポートしてやってくれな、今の羊子の一番身近なフェローズはお前さん達なんだから」
すかさずロイがうなずき、風見が答える。
「心得マシタ!」
「俺が前に出る以上は、先生達の所に攻撃は届かせませんっ」
「おう、頼むわ」
にんまり笑って答えてから、神楽裕二はもう一つ付け加えてきた。
「あと、朔也にも油断するなよ。アイツは単独だとしっかりしてるが、羊子が傍に居るとその意見に引きずられて同じ事すっぽかす傾向があるから」
「あー……」
「ああ……」
※
「くっしゅん!」
「おっと、お大事に」
「……ありがとう」
高校生二人がうなずいたちょうどその時、サンフランシスコの一角で、サクヤが派手にくしゃみをしていた。
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