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ローゼンベルク家の食卓

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【第三話】ローゼンベルク家のお品書き

2008/03/16 4:17 三話十海
  • 三話は短いエピソードの連作形式で。
  • ほぼノンストップで突っ走ってきた一、二話とは少しばかりおもむきを変えて、まったりと双子と大人三人の日常生活の話をお届けします。
  • 『食卓』のタイトルはこの辺りからのストーリー展開に由来していたりします。
  • 【3-1】と【3-1-2】は同じ内容です。BL要素が苦手な方は通常版をお読みいただくと吉。
  • 登場人物にエリックの項目を追加しました。(2008-03-28)
  • 完結。
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【attenntion!】タイトルに『★★★』の入っている作品には男性同士のベッドシーンが含まれています。十八歳未満の方、および男性同士の恋愛描写がNGの方は閲覧をお控えください。
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【3-2】チンジャオロースー

2008/03/16 4:20 三話十海
 はっきり言ってピーマンはあまり得意じゃない。

 苦いし。色がどぎついし、何よりあの臭いがいただけない。

 パセリにセロリにローズマリー、苦手な食い物は多々あれどアレだけは別格。どんなに細かく粉砕されていてもひとくち食えば苦みを感じる。

 子どもの時分はそれでもガマンして食っていたが、晴れて大人になった今、無理して食う必要もないだろう。

 そう思っていたんだが。

 何だって今。
 渡された買い物メモのトップに書かれているのだ?
 あの忌々し緑のスカスカ野郎の名前が……『ピーマン』と。

 昨日も書いてあったから見ないふりしてやりすごした。
 だが今日の分にもしっかり書いてある。

「ったくあいつら、知ってて書いてるんじゃなかろうな」

  ※  ※  ※  ※

 ディフォレスト・マクラウドの仕切る食卓において禁忌とされているのはレオンの苦手な食い物だけだった。
 奴自身も実はカリフラワーが苦手なのだが(ブロッコリーはばくばく食うくせに!)、それにしたってレオンが食いたいと言えば喜んで出すだろう。

「俺の皿にピーマン入れんじゃねえ! ついでにローズマリーとセロリもお断りだ!」

 何度か抗議したものの馬耳東風、右から左に豪快にスルー。一向に聞き入れられた試しはない。

 ディフが入院したことでローゼンベルク家の食卓は一つの重大な選択を迫られた。

 他の誰ぞが作るか(レオンを除く……何でもそつなくこなす男だが料理に関しては壊滅的)。
 宅配かテイクアウトでピザか中華でも調達するか。

 あるいは、開き直ってずっとシリアルバーとサプリメントでしのぐか、だ。

 最終兵器としてアレックスと言う強力な助っ人が控えているのだが、彼にも仕事がある。さすがに毎日って訳にも行かない。
 テイクアウトの中華は論外、アレはもう一生分、釣りがくるほど食った。

 さてどうしたものか?

 救世主は意外な所に存在した。

「ただいま」

 買って来たものを食卓にどん、と降ろす。シエンがとことこと真っ先に寄ってきて、袋の中をのぞきこんだ。
 
「ピーマンは?」
「………すまん、また忘れちまった」

 素知らぬ顔でそっぽを向き、わざとらしく眼鏡のレンズなんか拭いてみる。

「ってか別になくてもいいだろメインの食材じゃないんだし?」


 少し遅れてオティアが顔を出し、露骨に肩をすくめた。

「ほらやっぱり」

 シエンがしゅん、と肩を落す。

「ちんじゃおろーすーがたべたい……」
「……ピーマン抜きじゃ……だめか?」
「阿呆か」

 問答無用でばっさりきっぱり。ある意味こいつの突っ込みはレオンよりきつい。

「じゃあ、俺買って…きてもいいかな?」
「わかった! 俺が行くから!」
「………もうつくってあるのでもいい……よ」

 シエンはすっかり暗くなった窓の外を見ながら言った。ほとんどあきらめたような口ぶりで。

「テイクアウトできる中華屋とかないのか?」
「却下だ」

 あるにはあるし、電話一本で宅配もしてくれるんだけどね、オティア。
 俺は以前に三ヶ月、朝昼晩、ずーっとあの店の中華をテイクアウトしてたんだ。

 もう充分食った。これ以上はひとくちだってごめんだ。


「大丈夫、すぐもどるから!」
「あ…」

 超特急で飛び出した。ただし、行き先は中華の店じゃない。

 さほど大きくない店だが、つやつやに磨かれたリンゴにジャガイモ、イキのいいブロッコリーやカボチャ、エンドウマメが台の上にぎっしり並んでる。

 個人経営の青果店は基本的に近所のスーパーよりほんの少しだけ閉店時間が遅いのだ。
 ちょっとばかり割高になるが、その分、品物は大きくて色つやも良い。

「ばんわー。そこの緑のやつ……一山もらえる?」

 つやつやのほっぺたのカミさんが目をぱちくりした。

「あらまあ、ヒウェル。それ、ピーマンよ? まさかリンゴとまちがえてないわよね?」
「……ないない」

 俺がいっつもこの店で買ってるのはもっぱらリンゴなのだ。
 出先からの帰り道とか。逆に朝早く出る時とか。ふらっと店先に立ち寄り、手のひらにすっぽり入るほどの小ぶりなやつを一個だけバラで買ってかじりながら歩くのだ。(これもスーパーではちょいとやりにくい)

「はい、どうぞ。おまけしといたよ!」
「……ありがとう」

 微妙にひきつった笑顔で礼を言い、店を出た。


  ※  ※  ※  ※


「帰ったぞ!」

 キッチンに直行して、カウンターの上にどさりと袋を降ろす。緑色の忌まわしきアレがごろごろと転がり出した。

peman2.jpg

 ほんっと、いいツヤで、無駄に肉厚ででっかいのばっかりごろごろと……しかも一個だけ黄色いのが混じってる。

 ……これか、おまけってのは。

「これ、どうしたの?」
「2ブロック先に八百屋があるんだよ。ちと高いけどな」

 ピーマンに手を伸ばしながら、シエンが申し訳なさそうに目を伏せた。

「ありがとう……ごめん、ね」
「気にすんな。お前に何ぞあったら俺がディフに殴られる」
「謝ることないだろ、そいつが悪いんだから」
「…………………確かに事実だが人に言われると腹立つなおい」

 オティアはぷいと顔をそらすとピーマンを抱えて調理台に向かう。途中でちらりとこっちを見た。と、思ったら……。

「邪魔」

 首をすくめてリビングに退却した。

  ※  ※  ※  ※

 目の前の皿にアレが乗っている。

 チンジャオロースー。
 具材のほとんどがアレの細切りと言う、断固として許しがたい構造をした料理だ。
 多少、肉とタケノコが入ってるからってどうにかなるもんじゃない。

 しかし……今夜の夕食はこいつがメインなのだ。他に選択肢はない。それに第一、作ったのはオティアとシエンの二人。

(どうして拒むことができようか。いや、ない!)

 震える手で箸を伸ばして細切りのアレをつまむ。ソースを多めにからめて。肉とタケノコと一緒くたにして口の中に放り込んだ。

「あ、テイクアウトの奴より断然美味い」


 必要以上に油っこくないし、何より塩味がきつくない。
 テイクアウトの中華は食った後やたらと喉がかわくのだ。

 添えられたライスはさすがに箸では食えず、フォークを使う。
 しかし双子は器用に箸を操り、食べている。つまむのも、すくうのも、切り分けるのも自由自在だ。

「………箸の使い方上手いな。どこで覚えた?」

 オティアがぼそりと答える。

「三番目の母親はチャイニーズだった」
「ああ、それで、か…って、三番目?」


 シエンが首をかしげる。

「んっと、なんていえばいいのかな……」

 するりとオティアが後を引き継ぐ。


「里親が不気味がってそこらじゅうたらいまわしにされてたから」
「なるほどね……」



「あいつらがいると薄気味悪い出来事が続いて……」

「小さな頃から、泣き出すとあっちこっちから物が飛んできて。いつも二人してひっついて、何もかも見透かしたような目をしやがる!」

「里親から何度戻されたと思う。押し付けられたこっちはいい迷惑さ、だからバラバラに引き離して、二度と戻らない場所に送り込んでやったんだ!」

「他の連中だって内心ほっとしてるんじゃないか? 厄介払いができたって……」

「俺は正しいことをしたんだ。正しいことをしたんだよ!」


 頭の中のページをひっくり返し、オティア・セーブル、シエン・セーブルのデータを呼び出す。

「実の親はもうどっちも死んだけどね」

 確かにその通り。父の名はヒース、母はメリッサ。生家の姓はガーランド。

 現在の姓のセーブル家に居た2年ほどは平和な生活をしていたが、セーブルの両親が事故で亡くなってしまった。
 その時すでに正式に養子にはいっていたが、様々な事情もからんで相続権を放棄している。

 そして……あの施設に送られた。


「……多分、ここが最後だから。レオンは何があったってお前たちを他所に回すようなマネはしないさ」


「ふん、どーだか」
「……」

 オティアはそっぽを向き、シエンはだまってうつむいた。
 やっと当たりを引いたんだ。少しはくつろげと言いたいとこだが……まだ難しかろう。

「……ごちそーさん、美味かった」

 余ったライスをシエンがいそいそと三角に丸めている。
 軽く塩をつけて、海苔を巻いて。
 寿司とはちょっと形が違う。

「あ……ライスボール?」
「うん。これはレオンのぶん」
「……マメだね」
「うん、ここでは普通にごはん食べられるから嬉しい」
「……そうか……」

 他に言葉が見つからない。今までどんな暮らしをしてきたのか。容易に想像がつくだけに。

「シエン、中華好きか?」
「うん! ほんとは中華鍋で作りたかったんだけど、重くて」
「ああ、確かに」
「ここの家の台所ってほとんど何でもそろってるけど……道具が全体的になんっていうか、こう」
「でかくて、重たいだろ?」
「うん」
「ディフが使ってるからな。奴にしてみりゃ、軽いんだろうけど」

 そもそもレオンはほとんど料理をしないから、ここにある道具はほとんどディフが自分の部屋から持ち込んだものなのだ。
 5キロ+αの鋳物の鍋を片手であおるのは……ちとシエンにはハードル高そうだ。

 と、ここまで考えてからふと気になってたずねてみた。

「お前ら、朝飯はどうしてるんだ?」
「あれ」

 指さす方向にはあにはからんや。巨大な徳用のシリアルの箱がどん、っと鎮座しておられた。

「あとは……これ」

 ばっくん、と冷凍庫が開く。
 レンジで加熱して食うタイプのプレート入り料理の盛り合わせ……言わゆるレンジミールって奴がぎっしり。

 レオンの料理スキルを考慮すりゃあ妥当な選択ではあるんだが。
 これじゃあ、あんまりに、何つーか……。
 
 あれだな。

『ママが入院しちゃって子ども二人抱えたパパが途方に暮れてるご家庭の食卓』だよ。

「たまにアレックスが作りに来てくれるけど」
「レオン、リアクション薄いだろ」
「うん」

 報われねえなあ、有能執事。
 

  ※  ※  ※  ※


 翌朝。
 キッチンに顔を出したレオンは目を丸くした。

「ヒウェル?」
「あ、おはようございます。もーちょっとで焼けますから」

 滅多に見られぬものを見てしまった。
 相変わらず適度にヨレたシャツの袖をめくり、ヒウェルが甲斐甲斐しくパンケーキを焼いていたのだ。

「けっこう体が覚えてるもんなんだなぁ……」
「ヒウェルが朝、用意してるなんて珍しいね」
「あいつらにレンジミールばっかり食わせる訳にも行かないっしょ。シリアルだけってのも味気ないし」

「コーヒー入れるよ」
「頼んます。コーヒーとお茶は、あなたが入れるのが一番美味い」

 穏やかに頬笑むと、レオンはコリコリと軽快な音を立ててミルで豆をひき始めた。

 どう言う風の吹き回しだろう? きちんと卵とベーコンまで沿えている。
 ガス台の上ではことこととオレンジ色の鍋が湯気を吹いている。
 
「……これは?」
「ニンジンのポタージュスープ。あいつら放っておくと緑黄色野菜あまりとらないから」
「マメだね」
「なぁに、茹でてミキサーでガーっとやりゃあ一発です。茹でる時に米ひとつまみ入れりゃとろみもつくし」
「……マメだね」
「お袋の直伝。あの人、けっこー作り方がアバウトってか大らかだったから」

 その大らかさでヒウェルがゲイだとカミングアウトしたときも逃げたり叫んだりせず、さっくり受け入れてくれた。
 つくづく自分は大当たりを引いたと、天に感謝せずにはいられない。

「よし、できたぞ。皿、並べろ」


(チンジャオロースー/了)

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【3-1-1】★ちょっとしたおまけ

2008/03/16 4:22 三話十海
「え?」

 入院中の『ママ』は目を丸くした。

「みんなで料理してるって……ヒウェルも?」
「ああ」
「信じらんねぇ……ゆで卵の殻剥くのもめんどくさがってる奴が」
「しばらくレンジミールとシリアルでしのいでただろう? そうしたら、子供にそればっかりじゃ駄目だって言われて」
「それあいつが言ったのか?」
「ああ」

 ぱちくりとまばたきして。軽く拳を握って口元に当て、今聞いたばかりの事実を反すうする。

「三食テイクアウトで三ヶ月過ごしてたくせに……」
「それにあの子達も案外料理はできるね。前にもやってたんだろうな」
「……ふうん……台所に…立つようになったんだ」

 頬が緩む。何だか胸の奥がくすぐったい。ああ……そうか。嬉しいんだ、俺。

(おやおや、何て可愛い顔で笑ってるのかな、この子は)
 
「俺は手伝えないからどうも申し訳なくて」
「いいんじゃないか? それぞれ適材適所ってもんがあるし。それにな、レオン。お前が怪我でもしたらと思うと気が気じゃない」
「そこまで不器用じゃないぞ……」
「どうだか?」

 ディフはレオンの手をとると軽く唇を押し当て、にまっと笑った。

(拗ねたような顔してやがる。まったくお前ってばつくづく可愛いよ)


(ちょっとしたおまけ/了)

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【3-0】登場人物

2008/03/16 4:37 三話十海
【ヒウェル・メイリール】
 フリーの記者。25歳。
 黒髪、アンバーアイ、身長180cm、細身(と言うか貧弱)
 フレーム小さめの眼鏡着用。
 口先と舌先、指先を駆使して世を渡る、小悪党と言う言葉がぴったりのこずるい男。
 最初にオティアを拾って来た張本人。
 報われないことがステイタスになりつつある、本編の主な語り手。

【オティア・セーブル】
 不思議な力を持つ双子の片割れ。16歳。
 ややくすんだ金髪、紫の瞳、身長170cm、やせ形。
 極度の人間不信だが、ヒウェルには徐々に心を開きつつある……が。
 口数は少なく喋る言葉は鋭い。
 ヒウェルと出会ったことで彼自身はもとより周囲の人々の運命が変わって行く。
 ポーカーフェイスの裏側で実は意外に心揺れ動いている。

【シエン・セーブル】
 不思議な力を持つ双子の片割れ。16歳。
 外見はオティアとほぼ同じ。
 オティアより穏やかだが、臆病でもろい所がある。
 最初の事件で撃たれたディフをオティアと二人で治癒させた。
 ディフに懐きつつある。

【レオンハルト・ローゼンベルク】
 通称レオン
 弁護士。ヒウェルとは高校時代からの友人。26歳。
 ライトブラウンの髪と瞳、身長180cm、着やせするタイプで意外と筋肉質。
 一見、温厚そうな美人さん、実は腹黒。実家は金持ちだが家族への情は薄い。
 ディフとは恋人同士。
 恋人と双子に害為す者に対してはとてもとても心が狭い。

【ディフォレスト・マクラウド】
 通称ディフ、もしくはマックス。
 元警察官、今は私立探偵。ヒウェルとは高校時代からの友人。25歳。
 ゆるくウェーブのかかった赤毛、ヘーゼルブラウンの瞳、身長180cm、肩幅やや広め。
 がっちりした骨格に適度な筋肉のついた頑丈そうな体格。(実際、丈夫)
 裏表のない直情家、世話好きでおせっかいな熱血漢。
 レオンとは恋人同士。
 双子に対して母親のような愛情を抱きつつある……らしい。

【アレックス】
 レオンの秘書。もともとは執事をしていた。
 有能。万能。

【エリック】
 シスコ市警の科学捜査官。ディフの警官時代の後輩、22歳。
 ライトブロンド、瞳は青緑色、身長186cm。
 金属フレームの眼鏡着用。
 地道に支持者を獲得しつつあるバイキングの末裔。


次へ→【3-1】★マーガレットの花かご(BL版)
BL要素が苦手な方はこちら→【3-1-2】マーガレットの花かご(通常版)

【3-3】okayusan

2008/03/21 19:16 三話十海
 入院してからそろそろ三週間。
 ベッドにずーっと横になってるのもさることながら、飯がいただけない。
 基本的に好き嫌いはない。カリフラワーが苦手なくらいで何でも食えるタイプなのだが……病院の飯は、なあ。

 最初の頃はプリンとかオートミールばかりで正直、閉口した。
 脂っこいべとっとしたペースト状の物体を口に運びながら、いつものアレが食いたいなと胸のうちでぼやいたもんだ。
 米と塩と卵さえありゃ簡単にできるんだが、さすがに病室で作る訳にも行かないし。

 最初にそいつの作り方を教わったのは15歳、高校一年の時だった。


 ※  ※  ※  ※


 高校に入って最初の年、十一月の終わり頃。
 ルームメイトのレオンが風邪で寝込んだ。

 どう考えても俺のがうつったとしか思えないんだが、あいつは黙って医務室に行き、ドクターの診察を受けて。
 薬をもらってきて、やっぱり黙ってベッドで寝ていた。

 飯時になるとよろよろと起きあがってきたので

「寝てろよ」と言うと

「いい。食堂で食べる」

 立ち上がって歩き出そうとして……すぐにふらっと倒れそうになった。すかさず支える。寝間着越しでも体が熱いのがはっきりわかる。

「……無理だろ」

 首を振って俺を手で押しのけて歩き出そうとする。とんだ意地っ張りだ。まっすぐ歩くことさえろくにできてないじゃないか。
 ほら、またよろけてる……ってか転ぶ!

 考えるより先に体が動いていた。
 気がつくとレオンの背中と膝に手を回し、抱き上げていた。ディズニー映画のお姫様でも抱き上げるみたいに……。

(意外に軽かった)

「いいか、レオン。食堂までこのまま運ばれてくか。それともここで大人しくしてるか。今選べ!」
「………わかったよ」

 降ろせと言われたけれどあえて聞こえないふりをして、ベッドまで運んで横たえた。

「食堂のおばちゃんから何かもらってくる。いい子で寝てろよ?」


 ※  ※  ※  ※


 ……えらそうに言い切って出て来たのはいいんだが。

 いざ何をもらうかとなると選択に困る。
 ちなみに学生寮の本日の夕飯は魚と貝のフライに付け合わせは大量のマッシュポテト。スープはマカロニとトマトの入ったミネストローネ。

 スープだけでも、と思ったんだがどろっとして油がギトギト浮いていて、あまり病人の口に合いそうにない。

 と言うか、レオンの場合は寮で出される飯はことごとく口に合っていないようで、何食ってもいい顔をしたためしがない。

 俺がたまに朝飯を作ると、ものすごく嬉しそうに笑って「君は料理が上手いんだな」と言ってくれる。
 それが嬉しくてまた作る。
 
(……そうだな、何か作ろう……)

 寝込んだ時、お袋が食わせてくれたのは何だったっけ。
 スープ。
 チキンより牛乳とコーンのが好きだった。

 すりおろしたリンゴ。
 アイスクリーム。
 薄い味付けの卵のリゾット。

 幸い、鍋はある。テキサスから出てくる時、実家から一つ持参したやつが。

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 直径約7インチのがっちり丈夫なホウロウびきの鋳物の鍋、色はカボチャみたいなオレンジ色。

 親父とお袋の新婚時代は大活躍したものの、家族が増えてからは小さすぎてすっかり出番が無くなってたのでもらってきたのだ。

(何せ男二人の兄弟だ。7インチ程度の鍋では到底足りやしない)

 一人で使うには丁度いい。

 ただしこの鍋、やたらと頑丈で他の人間の基準からすると、とんでもなく重たいらしい。

 最初のルームメイトがキッチンの調理台からどかそうとした際にうっかり蓋を足の上に落っことし、それが原因で俺は入学一ヶ月目にして部屋を追い出されるハメになった。

 時期外れに寮の部屋なんざ他に空いてるはずもなく。当時二人部屋を一人で使っていた二年生がいたので否応無くそこに移された。
 それが彼……レオンハルト・ローゼンベルクだった。


 さて材料はどうするか……ちょっと考えて、クラスに日本からの留学生がいたことを思い出した。
 料理が得意らしく、しょっちゅう黒い謎のシートでまいた変わった形のライスボールとか(タワラガタと言うらしい)、魚の切り身や甘辛く煮た野菜を混ぜたスシなんかを作っては持参し、ランチタイムに食わせてくれた。

 彼女なら、米を常備してるんじゃないかな。

 携帯を取り出し、電話をかけてみる。

「ハロー、ちょっと頼みがあるんだけどいいかな?」


 ※  ※  ※  ※


 女子寮ってのはいつ来てもどきどきするね。
 まだ男子閉め出しの時間には間があるが、閉店間際のスーパーに駆け込んでる気分だ。

 目的の部屋に行き、ドアをノックする。

「ハイ、マックス」
「やあ、ヨーコ。ごめんな、無理な頼みして」
「いいけど……何に使うの、米」
「うん、ルームメイトが風邪で寝込んでるから」
「ああ……おかゆさん、作るんだ?」
「オカユサン?」
「うん。こっちで言うところのリゾット? 日本では寝込んだ時の定番メニューなんだよ」
「ふうん……作り方、わかるか?」

 彼女はくいっと眼鏡の位置を整えて、俺の手の中にある物に視線を注いだ。

「その鍋で作るの?」
「うん。これしか持ってないし」
「ちょっと待っててね」

 ヨーコはすたすたと部屋の奥に入って行き、同室の子と何やらひそひそ話していたけれど……何を話してるのかまではよく聞こえなかった。


 ※  ※  ※  ※


「ね、ね、あれ、あんたのクラスのマックスでしょ? 体は厳ついけど、顔はけっこー可愛いじゃない!」
「んー、確かに顔はそこそこ、性格も可愛いつーか素朴なんだけど……いま一つ小動物的な何かが足りない」
「えー、あたしは余裕でOKだけどなー。声かけちゃおっかな」
「いや、夜の女子寮にル・クルーゼの鍋持ってくる時点で脈ないと思うよ……」

(しかも寝込んでるルームメイト(当然男)に夕飯作るために)


 ※  ※  ※  ※


「はいお待たせ、米」

 ヨーコはカップに入れた米をざらざらと鍋の中に入れてくれた。

「とりあえず一回分。足りなかったらまた明日あげるから」
「サンキュ。恩に着る」

 ぺらりと一枚、メモを渡される。

「あと、こっちはその鍋でおかゆさん炊くときの分量ね」
「うわあ、助かるよ。お袋に電話する手間が省けた」

(うわ、何、そのヒマワリみたいな笑顔全開はっ! 反則級だあ……)

「これ日本のお米だから……こっちのお米とは微妙に水加減、違うし」
「確かに、ちょっとずんどうってか、背が低いな。ほんとにありがとな、ヨーコ。後で改めてお礼させてくれ」

(ああ……惜しいなあ。これでもーちょっとミニマムなら言うことないんだけど、この子)

「You are welcome!(どーいたしまして!)」

 鍋をかかえて足早に寮を出た。
 すれ違う女の子の目線が何だか妙に集中してるような……いや、いや、気のせいだろ。
 
 俺がかかえてるのはただの鍋。
 別に珍獣の卵じゃないんだから。


 ※  ※  ※  ※


 部屋に戻り、そっとレオンの様子をうかがう。
 よく眠っていた。


 こいつを見てると、実家の飾り棚に置いてある陶器の人形を思い出す。ロイヤルコペンハーゲンの、白一色の。

doll2.jpg

 鼻筋のすっと通った貴族的な顔立ち。気高く、高貴で。一つだけ違うのは件の人形が伏し目がちに斜め後ろを見ていることだ。レオンはいつも前を見つめている。
 透き通ったかっ色の瞳で。

 よく『男にしとくには惜しい美形』なんて言い方があるけど、こいつの場合はそうじゃない。
 骨格がしっかりしていて、むしろ男『だから』きれいなんだとつくづく思う。色も白くて肌もなめらかで……。

 たぶん、地色は俺の方がむしろ白いくらいなのだろう。しかしながらこっちは日焼けしていてけっこうザラザラ、生傷も多い。そこ行くとレオンは温室の中で傷ひとつなく咲く薔薇の花みたいだ。

 最初に顔を合わせた時、こいつは礼儀正しく挨拶はしてくれた。でも妙に素っ気なかった。

「レオンハルト・ローゼンベルク? どっちも長ったらしい名前だな。舌噛みそうだ。レオンって呼ぶけどいいよな?」
「……ああ」
「俺のことはマックスでいい。あ、ディフって呼ぶ奴もいる。どっちでも言いやすい方でいいや」
「気がむいたらね」

 その時、俺は思ったんだ。

 こいつとこれから寝ても覚めても同じ部屋で過ごすのか。
 もしかしたらそいつは……すごく楽しいことなんじゃないかって。

「ん……」

 レオンが眉をしかめて小さくうめく。

 熱のせいで肌がほんのり赤い。だいぶ汗かいてるな……着替えさせた方がいいんだろうか。

(いや、さすがにそれは遠慮した方が良いだろう)

 軽く汗をふいて、水で濡らしたタオルを額に乗せて。パジャマのボタン、上一つだけ開ける。
 少しは楽になったんだろうか。表情が穏やかになった。

 ほっとしてキッチンに戻った。


 ※  ※  ※  ※


 米を軽く洗って水気を切る。
 ヨーコが入れてくれた米は180CC、だから……水の分量は5カップ(アメリカの1カップは240cc)。一緒に鍋に入れて火にかけて。

 沸騰したところで弱火にして……

「触らずに30分待つ、と。いいな、これ、楽で」

 最初は水の方が多くて、ほんとにこれでちゃんとできるのか不安になったけれど、信じて待つ。
 気長に待つ。

 すかすかの水がとろりと粘りを帯びてきて、米も白くふっくらと膨らみ、水気と混じり合って行く。
 
 そして30分がすぎると……。

「おお、ちゃんとできてる」

 卵を入れて、軽く混ぜて、塩で薄く味をつけた。粉チーズは……無くてもいいな。って言うかむしろ無い方がいい。
 
 皿にもりつけ、スプーンを沿えて。トレイに乗せて運んでいった。

「……レオン。起きてるか?」
「ああ」

 レオンはゆっくりと起きあがり、額のタオルに手をやった。

「これ……君が?」
「うん。俺が寝込んだ時、お前もやってくれたろ?」
「……ああ」
「飯、できたぞ。食えるか?」
「ああ……いいにおいだ」
「熱いから、気をつけてな」
「これ、何だい? リゾット?」

 皿の中味を見て、目をぱちぱちさせて、不思議そうに首をかしげている。

「オカユサン」
「え?」
「日本から留学してる娘が教えてくれた。病気の時の定番メニューなんだと」
「ふうん……」

 スプーンですくいとったオカユサンをふー、ふーと吹いて。少しずつ口に入れて、ゆっくりゆっくり食べている。
 何となく見てたら顔が緩んできて、気がつくとにこにこ笑ってた。

 ごめん、不謹慎だよな。
 お前が寝込んでるのに。

「味、薄かったら塩足すぞ」
「いや、ちょうどいいよ」

 そしてレオンは笑った。
 ちょっと汗ばみ、やつれていたけれど……。しみじみと嬉しそうにほほ笑んだ。

 かっ色の瞳が……入れたばかりの紅茶みたいだ。透き通っていて、あったかい。
 きれいだ、と思った。

「そうか……遠慮せずたっぷり食え」
「一度にそんなには無理だよ、ディフ」
「……え?」

 ずっとディフォレストって言ってたのに。その前はマクラウド。

「君がそう呼べって言っただろ? それに長い名前は……」
「舌噛みそうになる」
「……うん、まあ、そんな所」


 ※  ※  ※  ※


 その後、ヨーコは帰国して高校の教師になった。
 今でも時々、メールのやり取りをしている。
 なぜか教え子たちからは『メリィさん』と呼ばれているらしい。

 あの時教わったオカユサンは、若干のアレンジを加えつつ寝込んだ時の定番食を勤めている。

 そして、あの日以来、レオンは俺のことをディフと呼んでいる。
 今もずっと、変わらずに。


(okayusan/了)


080630_0001~01.JPG
※月梨さん画、右が看護夫ディフ、左が風邪ひきレオン、下がヨーコ。


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【3-4】ホット・ビスケット

2008/03/22 9:51 三話十海
 感謝祭も終わり、十一月も終わりに近づき、そろそろ気の早いクリスマスのデコレーションが町中にぽつぽつと顔を出すころ。

「……お帰り」
「ただいま」

 ディフが帰ってきた。

 恋人同士の再会はあたたかい部屋ではなく、寒風吹きすさぶ路上。片方は車の運転席、片方は大荷物かかえて歩道の上で。抱き合うのはおろかキスもろくにできやしない、色気皆無のシチュエーションだった。

 レオンが病院に迎えに行こうと地下の駐車場から車を出して。表通りに出たところで、迎えに行くはずだった当人が肩にでかいスポーツバッグを下げて悠々と坂道を登ってくるのに出くわしたのだ。
 慌てて車を路肩に寄せると、ディフもにこにこしながら近づいてきて再会の挨拶となった次第。

「今から病院に行くところだったんだが……」

 ディフはぱちぱちとまばたきすると、人懐っこい笑みを浮かべて答えた。ほんの少しはずかしそうに。

「……待ちきれなかった」
「しょうがないな」

「先に家に戻っててくれ。気をつけて。荷物は貰おうか?」
「大丈夫、自分で運ぶよ。でも、ありがとな、レオン」

 手を振って、走り出す。
 ハンドルを握ったまま、レオンはくすくすと笑っていた。

(まったく、あの子ときたら……体がなまるからって歩いて来たんだろうな)

 入院証明書とか。その他もろもろの保険に必要な書類のことになんか、ちらとも考えが向いていないに違いない。

「しょうがないなあ……」

 そう言いながらもレオンの顔からはしばらく、楽しげな微笑みが消えなかった。


 ※  ※  ※  ※


「ただいま」
「お帰りー」

 マンションに着くなりディフはまず、自分の部屋より先にレオンの部屋に直行した。
 シエンが少し驚いた様子で迎えに出る。
 やや遅れてオティアが顔を出す。

 シエンはちょこんと首を傾げて赤毛の頑丈な男を見上げた。
 少し色が白いのはあまり外に出られなかったせいだろうか。
 髪の毛が伸びて肩を通り越し、背中まで流れている。
 すそに行くにつれゆるやかなウエーブが広がり、なんだかゴールデンレトリバーみたいだ。

 撫でてみたいな……。

 ちらっと、思った。
 でも思うだけ。

「どうした?」
「ん……髪、のびたね」
「ああ。しばらく床屋行くのさぼってたからな」

 ふと、ディフは双子の着ている服に目をとめた。
 そろいのセーター、オティアが青と白、シエンが茶色と白。レオンの買ってきたカシミア100%の高級品。いい感じに「風合い」が出ている。

 しまった。

 胸の奥でひそかに舌打ちした。
 この子らの冬物はこのセーターと、『撮影所』の事件の前に自分が買ってきたフリース、合計二枚だけ。おそらく交互に着ていたのだろう。あとは秋物の重ね着でしのいだか。

「あー……その、参考までに聞くが、そのセーター……誰が洗ったんだ?」

 双子は顔を見合わせ、シエンが答えた。

「アレックス」

 やっぱりな。
 
 丁寧に手洗いで洗ったのだろう。縮みもへたれもせず、ふんわりパーフェクトに。さすが万能執事だ。
 しかし、毎日毎日、彼の有能さに甘えっぱなしってわけにも行くまい。

「よ、お帰りディフ……てうぉっとぉ!」

 ぬぼーっとヒウェルがリビングに入ってきて、床の上に置きっぱなしになっていたバッグに足をぶつけた。
 ガゴン! と何やら固い音がして、顔をしかめてとびあがった。

「ってぇなあ! ……何が入ってるんだ、これ!」
「ああ、これ」

 ファスナーを開けてディフが取り出したのは……ダンベル。しかもサイズ違いで2組ほど。さらにエキスパンダーまで。

「何で、帰宅したばっかの元入院患者の荷物にこんなもんが入ってんだよ」
「ベッドから動けなかったし、せめて腕の筋力だけでも維持しとこうと思って」

(この、ばか力め)


 ※  ※  ※  ※


 夕食の後、ディフは双子の顔を見ながら、遠慮勝ちに切り出してみた。

「そろそろ十二月だし……冬物そろえようと思うんだ。コートとか、厚手の靴下とか……あとネルのシャツとかフリースも、何枚か」
「え、でも、冬物ならレオンのくれたこれと、ディフが前に買ってくれたのがあるし」
「まー確かにそれはいいものだが……洗濯が大変だから。もっと楽に洗えてすぐ乾くのがあった方がいい。まとめ買いすると安いんだ」


 するとシエンは眉尻をさげてちょっとこまったような顔をした。

「そういうのよくわかんないから任せていい?」
「明日、一緒に…買い物来てくれると助かるんだが。サイズも合わせやすいし」


 シエンがオティアの方を見ている。オティアはぱっと見無表情だが、どうやらあまり乗り気ではないらしい。
 と、言うかそもそも明後日の方角……レオンの書斎の方に視線を向けている。外に出る気はなさそうだ。

「えっと……俺だけいればいい?」

 途端にオティアの態度が変わった。

「ちょっとまて」
「できれば二人とも。冬ものはかさばる。三人居た方がいい」

 双子は黙って顔を見合わせた。

「…………」
「…………」
「…………しょーがねーな」

 ……よし。


 ※  ※  ※  ※


 買い物は大抵、事務所のそばのSOMA地区のモールですませる。
 マンションからはケーブルカーで行けるが、今回は三人分、それも冬物だ。
 帰りが大荷物になるのは目に見えている。

 よって、車で行くことに決めた。

 バックミラーの角度を合わせながらディフは後部座席をうかがった。
 二人並んでちょこんと座っている。なんだかやけに車が大きく見える。ほんの二ヶ月前のことだった……同じ車に二人を乗せて、夜道を走ってレオンの部屋に戻ってきたのは。

(あの時は、こんな風に自分が子どもの世話を焼いてる姿なんざ想像もできなかった)

 地下の駐車場を出ると、ゆるく溶いた白い絵の具を塗ったような冬の青空が広がっていた。

 モールの駐車場で空きを探していると、すっと二人がある一点を指さした。

「そこの車、出る」

 大当たり。
 空いた場所に車を滑り込ませて外に出た。

「はぐれたら携帯で連絡しろよ」
「………」
「うん」

 ざかざかと歩き出すディフの後ろを、二人は手をつないでとことこと着いて来る。

 オティアも、シエンも、最初のうちはアレックスが買ってきた子供用の携帯を使っていた。しかしさすがに機能的にいろいろ足りなくなってきたのか、撮影所の一件の後で買い替えたらしい。

 そもそも子ども用の携帯はボタンの間隔が狭くて。いかに小柄とは言え、十六の少年の手にはいささか小さすぎるのだ。

 オティアが目の覚めるような青、シエンのは霧の中に優しく霞む森の木々にも似た緑色。
 今のところ電話帳に登録されているのは互いの分と。レオンと、ディフと、アレックス、そしてヒウェルの番号とアドレスのみ。

 ディフは思った。
 そのうち、同じ年頃の友だちもできればいいのだが。学校にも行かせてやりたいが……今は通信教育って手もあるし。

(って何で俺がそこで悩む? これはどっちかっつうとレオンの役割だろう!)

 ちらりと後ろを確認する。双子はちゃんと着いてきているが、若干顔が赤く息も早い。そこはかとなくつらそうだ。
 その時になって自分の歩くペースと歩幅が人よりいささか上を行ってることを思い出し、歩調をゆるめた。

 シエンがほっとした表情を浮かべた。
 これからはこのペースで歩こうと心に決めた。
 
 大手の洋品店に入ると双子はぎゅっと強く手を握ったまま、きょろきょろと周囲を見回している。
 物珍しいと言うよりは、草食動物が安全を確認しているようで、どこか落ちつかない。

「あんまし買い物とか…来たことないのか?」
「施設では基本的に古着だったし…んー、ちょっとぐらいはあるけど、だいぶ前かな」
「じゃあ結構驚くぞ。物価あがってるから」

 コートの値段を見るなり、シエンは小さく声をあげ、首を横に振った。

「こんな高いの買わなくていいよ!」

 実はレオンの買ってきたセーターはさらにその三倍ぐらいはするのだが。あえて言わないことにする。

「必要経費は養育費としてレオンから渡されてる。遠慮するな。風邪引いて医者にかかるよか安いさ」
「でも……」
「気になるんだったら、バイトしてみるか? レオンの事務所か、俺んとこで。ちょうどアシスタント探してるとこだったんだ」
「バイト? ……できるかな?」
「若いんだ、すぐ覚えるさ」

 双子は顔を見合わせしばらくそのまま。やがてシエンが口をひらいた。

「少し考えさせて」
「ああ。気が向いたらいつでも声かけてくれ」

 時折、二人の(と言うか主にシエンの)意見を聞きながら選んだのは定番中の定番、ダッフルコートだった。

「…これ、どうかな。このクリーム色のやつ。瞳の色にも、髪の色にもマッチしてる…」
「うん」
「こっちの紺色はオティアに。色違うから区別もつく」
「……ああ」

 その他、厚手のシャツや靴下もまとめて買う。

「穴が開いたりボタンとれたりしたら遠慮無く言えよ。つけ直すから」
「……うん……あの、ディフ」

 自分用に、と厚手の開衿シャツやらTシャツをまとめてカートに入れるディフに、シエンがおずおずと声をかける。

「いいの? こんなにたくさん、買ってもらって」
「まとめて買うと割引がきく。俺の分も買ってるからな」
「ん……」

 大量の荷物を抱えて店を出る頃には、シエンがだいぶへばってよろよろしていた。荷物多さと言うよりむしろ人の多さにあてられたようだ。
 ディフは後ろに引き返し、上体をかがめてのぞきこんだ。

「大丈夫か?」

 むっと言う表情で瓜二つの顔が目の前に割って入る。
 オティアだ。
 実際にはほとんど表情は動いていないのだが背後のオーラがめらめらと主張している。
『シエンに近づくな』と。

(参ったな、こいつかなり神経ピリピリさせているぞ)

 ディフは困ったレトリバーのような顔をして少し後にさがった。
 無理もない。今までほとんどマンションの部屋から出ていなかったのだ。見知らぬ場所で、大勢の人間に囲まれて。

(いきなりハードル高かったかな……)

「少し、休憩してくか。荷物多いし」

 オープンカフェの傍を通った時に何気なく提案してみた。
 オティアは今にもへたりこみそうなシエンの様子をじっと見て、それからうなずいた。

 ちょいと寒いが日よけの傘には小型のヒーターが仕込んである。
 今日は風もそれほど強くないし、陽射しも温かい。それほど寒さは感じない。

「何飲む?」
「…………」
「……………コーラでいい」
「OK、コーラな。何か軽く腹に入れてくか?」

 デザートのページを開いてメニューを見せる。二人とも微妙に困ったような表情を浮かべている。
 ディフはピンと来た。以前、デートに誘った女の子で甘いものを控えている子がいた。
 彼女がちょうどこんな感じの反応を見せたな、と。

「あ……もしかして……甘いの苦手か?」

「えっと…俺は食べられるけど…オティアは」
「そうなのか?」
「いいよコーラで」
「……俺が腹減ってるし。一人で食うと……寂しい」

 上から順番にメニューを見て行く。ケーキは論外。バナナスプリットやサンデーなんかもってのほかだ。
 ドーナッツもアウト。
 と、なると。

 ホットビスケット指さし、聞いてみる。

「これなら甘くないぞ」
「…ん」

 やがて、運ばれてきた特大サイズのホットカプチーノを飲みながらさりげなく様子をうかがってみる。

 双子はコーラちびちびとすすっている。どうやらさして好きと言う訳ではないらしい。
 どんな飲み物なのか、メニューを読んでもわからなかったのか。他に知っているものがなかったのか。
 あるいはいい加減疲れていて考えるのが面倒くさかったのかもしれない。

 しかしホットビスケットは気に入ったようだ。
 シエンはときどき添えられたクリームを少しだけつけているが、オティアはそのまま。
 両手で抱えてちまちまと食べている。

 内側のしっとりした部分が好きらしい。そのうち二人ともビスケットを手でちぎって食べ始めた。
 視線すら合わせていないのにぴったり同じタイミングで、ディフは見ていて思わず声を立てて笑いそうになった。

(なるほど、こっちは気に入ったんだな……)
(これなら、家でも作れそうだ)


 ※  ※  ※  ※


 そして数日後。
 ローゼンベルク家のキッチンで並んで粉をこねるシエンとディフの姿があった。
 きっちりと髪の毛を後ろで一つに束ねて(これはディフの方だけ)エプロンをつけ、腕まくり。

「混ぜてオーブンで焼くだけだからな。ミートローフと同じだ、基本は」
「そうかなぁ……」
「まあこっちの方が力は少ないけどな。粉だから」

 ふるった粉類とバターを、北欧製の大きな黄色いボウルにまとめていれて。指先でバターをつぶすようにしながら粉となじませる。
 卵と牛乳を入れて、スプーンでおおまかに混ぜたら軽く打ち粉をした台にとり、のばしては畳んで。
 のばしてはたたんで。
 20回ほどこねる。

「まだ半分残ってるけど」
「少し味を変えようと思ってな。これ入れて、混ぜてくれ」

 すりおろしたレモンの皮を加えて粉とバターをなじませる。
 牛乳の代わりに生クリームを少しだけ。

「なんか、口の中、すっぱくなってきちゃった」
「……俺もだ」

 何となく顔を見合わせて笑った。

「ディフ……ほっぺに粉ついてる」
「あ」

 ごしごしと手の甲でぬぐい、混ぜた生地を長方形に伸ばしてナイフでジグザグに。三角形に切って行く。

「そっち半分やってみるか? シエン」
「うん」
「刃をあてて、一気に押し切るんだ」
「……こう?」
「そうそう、上手いぞ」

 できあがったビスケットを天板に並べて、刷毛で軽く表面に牛乳を塗る。
 あらかじめ356°Fに余熱したオーブンで18分ほど焼く。

「ねー、ディフ、なんか……ふくらんだら割れてきちゃったよ?」
「ああ、それは気にすんな。店で食った奴も割れてただろ」
「そっか。そうだね」


 焼き上がった頃、玄関の呼び鈴が鳴る。

「客か?」
「ヒウェルだよ、きっと」

 シエンがとことこと走って行き、覗き穴から外を確認する。

 ……正解。

 何となく誰が来るのかわかるのだ。顔を見る前から、いつも。

「よ、シエン」
「ヒウェル」

 リビングに入るなり、ヒウェルはくんくんと鼻をうごめかせて見回した。

「男ばっかの部屋でなぜか菓子の焼けるにおいがする……」
「ホットビスケット焼いたんだ」
「……お前が?」
「うん。ディフと二人で。お茶入れてくるね」

(買ってきたの、あっため直した訳じゃ……ないよな)

 やや複雑な面持ちで首をかしげていると、キッチンからぬっとご本尊がお出ましになられた。

「よぉ」
「飯にはまだ早いぞ」
「いいじゃん、たまにはティータイムに来ても」
「食い物のにおいを嗅ぎ付けて来やがったか……」
「まさか。たまたまだよ、たまたま!」

 言えない。本当は、オティアの顔を見たくて来ただけだなんて。
 その肝心の相手は姿が見えず、ヒウェルは小さくため息をついた。

 焼きたてのビスケットと紅茶の組み合せは、コーラよりずっと美味しい。

「微妙に大きさが違うな。こっちのちっちゃいのはシエンが作ったのか?」

 こくこくと金髪頭がうなずく。
 思わずヒウェルは琥珀色の目を細め、含みのない素直な笑みを顔いっぱいに浮かべていた。

「すごいな。美味いよ」
「これ簡単だったから……」
「そーなのか?」
「材料混ぜて、オーブンで焼くだけだからな。ミートローフと同じだ、基本は」

(それ以前にミートローフをマメに焼く野郎そのものが希少なんだよ!)

 この分だとクリスマスには七面鳥はおろか、ケーキぐらい余裕で焼いちゃうんじゃなかろか、この男は。

「いいなこれ、気に入った」
「うん、手軽だし……焼きたてだとやっぱり美味しいね」

 自分の分を食べ終わると、シエンは「ごちそうさま」と言って小さめのビスケットを皿に載せてとことこと奥に入って行く。

「……オティア、また書斎か」
「うん。読み出したら止まらなくなっちゃったみたい」
「また?」
「うん、また」

 ヒウェルはなんとはなしにシエンの後をついてゆき、細く開いたドアから中をのぞきこんだ。

 書斎と言ってもレオンの書斎で並んでいるのは当然、難解で分厚い本ばかりなのだが。
 床の上に座り込み、ホットビスケットをかじりながらページをめくっている。
 紫の瞳が食い入るように、びっしり紙の上に並んだ細かい文字を追っている。

「……俺、なんかあの子らの見分けつきそうな気がする……今なら」
「服の色で、か?」
「いや、そうじゃなくて」

 あとでレオンがビスケットの欠片…いやそれはないか。
 ほんのりにおいが書斎に残ってるのに気づいたら、どんな顔するだろうか。

 想像しただけでおかしくて、ヒウェルはくすくす笑っていた。
 オティアの邪魔をしないよう、声をしのばせて。

 そんな悪友の姿を、デイフは不思議そうに首をかしげて見ていた。


(ホットビスケット/了)



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夜の出来事→【3-5】★★★退院祝い(前編)
(注:男性同士のベッドシーンを含みます)

【3-5】★★★退院祝い(前編)

2008/03/26 21:09 三話十海
 キスだけで体が疼くことがある。
 
 ずっと、ただの慣用句だと思っていた。恋愛小説だのソープドラマの決まり文句。

(それだけで燃え上がってりゃ世話ないぜ!)
 
 ただのファンタジーだと思っていた。
 レオンとベッドを共にするまでは。

 触れあう肌の熱さ、流れる汗、すぐそばで聞こえる息づかい、彼の手、指、髪……舌。温かいだけじゃない、濡れて艶めくかっ色の瞳。それらの記憶がキスを引き金に再生され、体中の細胞の一つ一つに触れあった時の感触を呼び覚ます。

 そうなると……。
 火が灯って、消えない。
 体に刻まれた記憶と同じか、もっと強い刺激が与えられるまで欲しがり続けるのだ。いつまでも。いつまでも。


 ※  ※  ※  ※


「お帰り!」
「ただ今」

 病院から戻ってきたレオンを出迎えた。
 入院していたのは俺の方なのだが、保険やら何やらの手続きに必要な書類をとってきてくれたのだ。

「なんだか立場があべこべだね」
「いいじゃねえか。細かい事は気にすんな!」

 笑みを交わし、親しみをこめて肩を叩く。本当はこのまま抱き合い唇を重ねたい。重ねるだけじゃ終わらない。もっと深く。もっと強く。だが……今はまだ日が高い。

 その程度の事、大した抑制効果がある訳じゃないんだが。
 最大の問題は同じ部屋の中にオティアと、シエンと、何故かヒウェルまでいるってことだろう。
 肩を並べて居間に入る。並んで腰を降ろして、話をする。飽きることなくレオンに見入る。わずかな表情の変化にも胸が踊る。
 
 面会時間はいつまでか、なんてもう気にしないでいいんだ。
 
「あ……」
「ん……」

 また、目が合った。さっきからやけに目が合う。
 もしかして俺のことずっと見てるのか? お前も。

 まただ。
 にこっとほほ笑みかけてきた。ちらりと白い歯の奥にピンク色の舌がひらめくのが見えてしまった。
 まいったね。何て可愛い顔してやがる。もしも今、二人っきりだったら……日が高かろうが、ここが居間のソファの上だろうが、かまうもんか。迷わず押し倒してる。

 軽く下唇を内側に吸い、歯で押さえる。

 キスだけで体が疼く。
 それ以前に、キスの記憶だけで疼く時もあるんだ……な。

 
 ※  ※  ※  ※


 夕食の後、双子と話し、コートを買いにでかける約束をとりつける。
 部屋に戻る二人を見送りながらほっと胸をなでおろした。オティアが一緒に来てくれるかどうか、正直不安だったんだ。
 良かった。

 そっと後ろから肩を押さえられ、耳元で囁かれる。

「今夜は泊まって行くんだろう?」

 それだけの事なのに、温かな吐息とともに吹き込まれる低い声が、耳から体の奥まで伝わり、じわじわと広がって行く。
 肌の表面が細かく波打つような感触に背筋が震え、気がつくとうなずいていた。

(ったく何がっついてんだ!)

 気恥ずかしさをごまかしたくて、わざと明るい声を出す。

「あ、そうだ、パジャマとってこないとな。ジーンズで添い寝すると固いって文句言うだろ、お前」
「……そんなもの、必要無い」

 肩に置かれた手が首筋をなであげ、そのままするりと頬を撫でられた。

「っ!」

 やばい……もう限界だ。レオンを引き寄せ、夢中でキスしていた。
 重ねた唇の間に情けないくらいに激しくなった自分の呼吸が響く。もう、止まらない。
 病室でもキスはした。けれど少し深くしようとすると、いつもレオンにやんわりとさえぎられてしまった。

(後が……つらいだろう?)

 言葉より雄弁に瞳が語る。
 勝ち目のない反対尋問なんざ、しかける余裕は到底なかった。

 ここはもう病院じゃない。
 誰も見ていない。

 それでも何やらいけないことをしているようで、柄にも無くどぎまぎしながら舌を差し入れる。
 
「ぅうっ?」

 逆に捕まり、吸い上げられた。
 ゆるく頬に添えられていた指先で髪の毛をかきあげられる。毛先がうなじを滑る感触に思わずびくん、とすくみあがっていた。

「んんっ」

 やばい……声、出ちまった。

 そのまましばらく弄ばれてからやっと唇が解放される。さんざん絡み合った舌と舌の間につーっと透明な糸が垂れる。
 なんだかひどく淫らな眺めで、いたたまれず目をそらす。
 頭の芯がぼうっと痺れている。膝に力が入らない。今にも足元からふわっと浮き上がり、どこかに吸い込まれて行きそうな気分だ。
 いかん……酸素が足りない。

「は……はぁ……はぁっ……」

 必死で息を整えていると、わずかに笑いを含んだ声でささやかれた。

「最初の勢いはどうしたのかな」
「う……うるさい……お前のキスが……エロすぎるんだよっ」
「褒め言葉だと思っておくよ」


 レオンは思った。


 クリーム色がかった明るい茶色。ミルクティをそのまま透明にしたような瞳が、うっすら緑を帯びている。本来の温かさを保ったまま……いや、さらに熱く濡れ溶けてつやつや光っている。

 いい具合に蕩けてるね。可愛くてたまらないよ。

「ベッドに行こう」

 答えを聞くより早く彼の背に手を回し、肩から上着をすべり落す。
 シャツの上から触れる体は既に熱く火照り、細かく震えていた。そのままダンスでも踊るような格好で歩き始めると、彼の喉の奥から小さなうめき声がこぼれた。

 少し……強引だったかな。

 この前、ベッドを共にしたのは一ヶ月ほど前。余韻に浸る間もなく君は飛び出して行った。まさか、あの後あんなことになるなんて。
 ずいぶんと長い事お預けを食らってしまったね……君も。俺も。

「ぁ」

 もつれあって倒れこんだ体が二人分。ベッドがかすかに軋る。
 優しく横たえる余裕がなかった。
 腕の下、白いシーツの上にゆるくウェーブのかかった赤い髪が乱れて広がる。前に抱き合った時は首筋を覆い肩に軽くつく程度だったが……今は先端が肩を通り越し、少し背中にかかっている。
 まるでちっちゃな翼でも広げたみたいだ。
 片手でシャツの襟元を押さえている。もしかして、恥ずかしいのかい?

(君の体のことなんか、君自身よりよく知っているのに)

「なんだかこの眺めも、すごく、久しぶりな気がするね」
「……そうだな……あの日以来か」
「無事に退院できてよかった。おめでとう」

 シーツの上にひろがる髪を一房すくいとり、キスした。もとより髪の毛に感覚などありはしない。動きが皮膚に伝わるだけなのだが。ディフにとっては、それさえも充分な刺激になってしまうらしい。

「んっ……………」

 目を細めて、ぴくりと震えた。

「ごめんな、心配かけて。ありがとう……」

 手を伸ばし、頬を撫でてきた。

「嬉しいよ。お前の傍に戻って来られて」
「君がいないと……やっぱり、だめだ」


 レオンの言葉を聞いた瞬間、胸の奥がずきりと小さく疼いた。


 同じ言葉を以前も聞いた。その時、俺はお前への気持ちを認めることができなくて。
 気づいていながら気づかないふりをして、まだ目をそらしていた。

 お前は、自分の気持ちを何度も伝えてくれていたのに。
 とっくにお前のことしか見えていなかったのに。

 くしゃっとレオンの髪を撫で、そのまま引き寄せ、胸に抱きしめる。

「お前だけだ……レオン」

 素直に抱かれてくれた。あずけられた肌の温もりと確かな重さに安堵する。
 絹みたいにさらさらしたライトブラウンの髪をかきわけ、額に口付けた。

「こうして触れたいのも。触れられたいのも。お前だけだ、レオン……愛してる……」
「愛してるよ」

 唇が重なる。
 どちらからともなく。もう誰も止めない。止める必要もない。

 キスだけで体が疼く。今がその時だ。


 ※  ※  ※  ※


「ん…ぅ…っ……んんっ」

 最初のうち、ディフは目を細めて嬉しそうにキスを受けていた。今はもう違う。
 四週間の入院生活の間に本来の白さを取り戻した肌に、うっすらと紅が入っている。

 赤毛の彼はブルネットの自分に比べて色素が薄いのだ。
 ほんの、少しだけ。
 こうして重ねてみるとよくわかる。

 喉の奥から漏れる艶めいた吐息に誘われるようにして服に手をかけ、はだけてゆく。露になった肌に唇を這わせると、焦れたような悲鳴があがった。

 体をよじる。
 布がこすれる。
 また、声が上がる。どんどん追いつめられて行くようだ。

 まいったな、別に苛めている訳じゃないのに。

 ああ、すっかり乳首が固く尖っている。まだ全然触っていないんだけどなあ。

「どこ……見て……る」

 小さく笑って顔を寄せ、舌先で突いた。

「ぁんっ」

 妙に可愛い声が聞こえた。歯を食いしばって声を殺す、その余裕すら無くなっているらしい。

「い……いきなり何しやがるっ」

 それはもしかして睨んでいるのか。それとも誘っているのかな?
 乱れた髪の合間にのぞく左の首筋に、薔薇の花びらほどの大きさの火傷の痕が、ほんのり赤く浮び上がっている。

(今は、怒っているせいじゃない)
(知っているのは……俺だけだ)

「いきなりじゃなきゃいいのかな。……これから、ほら。この尖ってきてるところに触るよ?」
「ぃっ」

 言われてる間に直視できなくなってしまったのだろう。ぷい、と横を向いてしまった。
 けれどすぐに横目でちらっと見上げきて、それから小さくうなずく。

「可愛いな。君は」

 耳元に囁きながら予告した通りに指先でつまむ。

「あっ」

 背中が反り返り、片手がつかまる場所を探してシーツの上をさまよっている。
 何を迷っている? 俺にすがりつけばいいのに。

「か……可愛いとか………言う……な…」
「それじゃあ……なんて言ってほしい?」

 耳たぶを口に含み、そっと歯を当てる。

「うぁっ……あっぁっ……」

 びくびくと陸に挙げられた魚みたいに震えてから、ディフはレオンの肩に手をかけ、目を見あげ……言った。
 すっかり乱れた呼吸にともすれば途切れそうになる声を懸命に繋げて。

「言わせろ。お前は……最高に……可愛い」

 ふっと、涼しげな目元が細められる。

(笑った?)

「すぐに喋ることもできなくなるから……今のうちに言っておくといい」
「なっ………」

(俺は何をされてしまうんだろう?)

 ぞくっと背筋に震えが走る。

(何をされてもいい。レオンになら)

 既にシャツのボタンは全て外され、下のTシャツもまくり上げられ、ジーンズのジッパーも降ろされていた。
 ゆるめられ、もはやほとんど体を覆う役目をはたしていなかった服を自分の手で取り去る。
 身につけたものを一枚残らず脱ぎ捨て、ともすれば体を隠そうとする両手を広げて全てをさらけだした。

 レオンの目の前に。

「お前が欲しい。今、すぐに」
「それは君だけじゃない……」

 彼の体が離れて行く。シャツに手をかけて、脱ぎ始めた。その時になって初めてレオンがまだきちんと服を着ていたことに気づき、今更ながら恥ずかしくなってきた。

 が……正直なもので、目が離せない。
 既に半分ほど起ちあがっていた足の間の"息子"にはどんどん熱い血流が集まって行く。

「きれいだな……」

 ほとんどため息のような声が漏れた。
 服を着てるとわかりづらいがレオンは意外に筋肉質だ。高校の頃は俺よりずっと細かったが今は違う。
 鹿狩りの猟犬にも似たしなやかな体躯はいつまで見ていても飽きない。もちろん、触れても。

 そんなことを考えていたら、すっかり脱ぎ終わったレオンがのしかかって、キスしてきた。
 唇と唇が触れあうだけの軽いキス。だが互いの体が直に触れあう。
 ざわりと肌が泡立ち、皮膚の内側に炭酸のはじけるような刺激が染み込んで行く。たまらず、もじもじと身をよじっていた。
 手が下に滑り降りて行く。

(あ、ちょっと待てお前、どこに触ってるんだ!)


後編に続く

【3-6】★★★退院祝い(後編)

2008/03/26 21:12 三話十海
 細くしなやかな指が痛いほど堅く張りつめた逸物をくすぐり、思わず目を閉じた。すぐに指が離れて行く。
 ほっと息をついたその瞬間、指とはまるで違った何かがこすりつけられてくる。もっと熱くて、太くて、濡れていて……堅い。

(まさか、お前、自分のでっ!)

「あ……何を……んっ…あんっ」
「ああ。言うのを忘れたかな……」



 おや、腰がひいてるじゃないか。逃げないでくれ、可愛い人。
 肩を押さえる手にわずかに力を込める。
 あまり感じやすいのも考えものだね……。

「ほら、もっと擦るよ」
「もっとって……」

 視線が左右に泳いだ。

「だ、だめだ、そんなことされたらっ」
「嫌?」
「ち……が……」

 息が荒くなっている。摺り合わせている物も何やら堅さを増して、脈打ちはじめているようだ。先端からは透明な雫が溢れて、とろとろと伝い落ちている。

「出そ……う…ずっと…してなくて……」

 切なげに目を細めて、それでも目線はそらさず、じっと見上げてくる。強すぎる刺激に、ともすれば体が逃げそうになるのを懸命にこらえているのだろう。
 震えながらも手をのばしてすがりついてくる。
 恥じらう表情とストレートな物言い。何という矛盾。だがかえって身の内にたぎる欲情が煽られる。

「構わないよ……俺も、そうだから……」

 自分と、彼と。脈打つペニスを重ねてにぎり、勢い良く擦りあげる。

「あ、あ、あ、あっ、レオンっ、よせ、あ、もっ…出る……んんっ」

 堅く目を閉じたまま髪を振り乱し、足の先までピン、と体を突っ張らせて。勢いよく白いどろりとした精を吐き出した。
 かなり濃い。
 本当に……我慢してたんだな。
 自分一人でどうにかしようなんて、欠片ほども考えなかったのだろうね、君は。

「くっ……あぁ、可愛い……よ、んぅ…っ」

 二人分の『ミルク』が彼の体を汚して行く。

「ふ…あ………」

 顔まで白い飛沫で汚しながらディフは恍惚とした表情を浮かべ、細かく身を震わせた。うっすらと目を開き、見上げて……口元がかすかにほころんだ。一筋噛みしめられていた赤い髪が解放され、はらりとシーツにこぼれ落ちる。

 ふとイタズラ心がわきあがり、胸に飛び散る雫に手を伸ばして、塗り広げてみた。

「は……あぁ……」


 粘度の高い熱い雫がほとばしる。浴びた瞬間、頭の中で何かが弾けた。余韻に浸る間もなくレオンの指がぬるりとしたそれを塗り広げて行く。
 楽しそうな目、してる。
 あの顔してる時に逃げると、きっと手をひいてしまう。今、ここで放り出されたら……考えただけで気が狂いそうだ。
 また、体が逃げそうになる。片手でシーツぎっちり握って耐えた。
 
「足……開いて」

 震えながらうなずく。だめだ、もうレオンの顔がまともに見られない。目を伏せながらもそろりと足を開く……少しだけ。
 恥ずかしかった。
 果てたばかりの前を見られるのが。
 既に別の刺激を期待してひくついている後ろを晒すのが。
 想像しただけで身が縮み……火照る。

 太ももを撫でられる。どんなに静かに息をしようとしても、レオンの手が動くたびに喉が震える。あえいでしまう。
 膝の裏に手が入ってきて、キスされた。関節の内側、薄い皮膚の交差する場所を狙って。

「あうっ」

 抗議しようとしたはずが、実際に出たのはかすれた悲鳴。びくっと背中が反り返る。

(何度目だろう?)

「こんなところも感じるんだね……」
「ち……が……お前が……触る…から」

 舌が足先に下がって行く。肌の上にひやりとしたラインを描いて。

「よ……せ……そんなとこ………」

 嘘だ。
 
「は……あ……んっ」

 さっきありったけの熱を吐き出したはずの獣が、もう半分ほど首をもたげている。
 足首を掴んで持ち上げられる……こんどはふくらはぎのほうに舌が滑って行く。

「な……んで……足なんか……んんっ」

 たまらず身をよじる。が、がっちり掴まれて逃げられない。

「ほら、こっちも……」
 
 さっきとは反対側の足にもキスされた。

「や……あっ」

 嘘……だろ。
 足にキスされてるだけで、なんで、こんなに熱くなるんだ。
 ああ、もう、痛いほど堅くなってる。信じらんねぇ、さっきイったばかりなのに!

 レオンの唇がじりじりと内股に降りて行く。
 見られている……。
 思っただけで、堅く張りつめたペニスがぴくりと震えた。

「あ」

 ふっとキスが離れた。思わず詰めていた息を吐き出す。

「はぁ……あぁ……」

 全力疾走した後のようにぜいぜいと大きく息をつく。目を閉じたまま、何度も。
 不意に足の間にとろりとした液体が滴り落ちてきた。

「ひっ、な、何だっ」
「ローションだよ……久しぶりだから、忘れちゃったかな」

 熱い疼きが走り抜ける。ローションを塗り付けられた所から頭のてっぺんまで。通りすぎる場所をことごとく赤く染めながら。

「わ……忘れるわけ……な……い……」
「ちゃんとほぐさないと…いけないから」

 たっぷりローションを絡められた指が、後ろの入り口を撫でる。
 言葉にならない悲鳴がほとばしる。

「まだこれからだよ、ディフ」

 低い声が囁く。
 俺をディフと呼ぶのはごく限られた人間だけだ。
 ヒウェルと。オティアと、シエン……そしてレオン。
 
 ベッドの中で呼ぶのは、レオンただ一人。


 目をぎゅっとつぶって首を横にふる。後ろの口が震えて息でもするように開閉し、撫でさするレオンの指にキスしている。

(ずっと、そこに触って欲しかった)

「力を抜いて」
「ぅ…わ……かった……」

 息を吐いて、力を抜こうとする。焦っているせいか、なかなか上手く行かない。
 数度目にやっと成功すると、待ちかねたようにレオンの指がするりと中に忍び込んできた。

「あうぅっ」
 
 ペニスの根本から先端にかけて甘美な刺激が走る。懸命にこらえたが、先走りがちょろりとにじむ。
 見られたろうか……。
 気づかないはずがない。あんな近くから見ているのだから。

「もう我慢できないのかな……」

 さぐるように指が動く。

「は…あ……あっ……そ……こ……」

 お前の言う通りだ、レオン。もう我慢できない。もっと欲しい。
 後ろがひくつき、うねり、指をくわえこんで吸い込む。もっと奥を。もっと強く触って欲しい。
 かき回して欲しい。

(いっそ言ってしまった方がいいんだろうか?)


 だめだ。淫らな所作をねだる自分の声を、自分の耳で聞くなんて……そんなの想像しただけで恥ずかしくて頭がおかしくなりそうだ。

「我慢しなくてもいいよ」

 優しく囁かれ、後ろを弄る指が増やされる。

「くっ、う………あ……ひっ、んっ、う、あっ、ぁあっ」

 もう、止まらない。
 腰をくねらせ、自分からレオンの指を抜き差しするようにして動いていた。
 丹念に後ろを弄られながら、喉から首筋の傷跡まで丁寧にキスされる。

 皮膚の薄い火傷の跡の上を吸われた瞬間、我慢も恥じらいもプライドも臨界点を突破した。

「も……だめ…だ……指じゃ……っ」

 言葉とは裏腹にアヌスは熱心に指に絡み付き、キャンディでもしゃぶるみたいにまとわりついている。
 少し笑った気配がして、ゆっくり引き抜かれた。

「ぁあうっ」

 背中が反り返って、イきそうになるのを必死で堪えた。足の間に意識が持って行かれる。心臓が降りてきたみたいにその部分が激しく脈打っている。

(これ以上焦らされたら……きっと、俺はどんな淫らな願いもためらわずに口にしてしまうだろう)

「ディフ。挿れるよ……」

 失われた指を求めてなおも狂おしく蠢く場所に、ようやく熱い塊が押し付けられた。
 はっと息を飲み瞼をひらく。目の前の景色が雨の日の窓越しの景色みたいにぼうっとにじんでいる。

「来てくれ…レオン」



 潤み切ったヘーゼルブラウンの瞳。混じる緑の色合いがさっきよりも濃くなっている。
 とろけるような、そのくせあどけない表情でほほ笑みかけてきた。

 笑み返し、ぐい、とひと息に彼の中に押し入る。
 甲高い悲鳴が上がり、しがみついてきた。

「ぁ………く…う……」
「ああ……ディフ……君は、最高だ……」



 名前を呼ばれるたびにアヌスが蠢き、迎え入れたレオンを更に奥へと誘う。そこだけ、別の生き物が体内に棲みついたように。

 しがみつく腕に力が入る。震えながらレオンの胸に顔をうずめ、ちろりと舐めた。

 病室で一人で寝ている間、一晩ごとに彼の肌身の記憶がおぼろになるようで……寂しかった。

(そうだ、この味だ)

 かっ色の瞳が細められ、引き締まった身体がゆっくりと動き始める。灼熱の塊が抉る。体の中のもっとも柔らかく、鋭敏な場所を。

「んっ…あ……あぁ……俺も……お前がいないと……ダメ…だ。自分の半分を…どこかに……忘れたみたいで……ぁ」
「ディフ……っ」
「寂しかった……」

 一段と強く抱きしめられる。
 彼は俺の中に居て、俺は彼の中に居る。そのことが、たまらなく嬉しかった。

「愛してる……君が、俺のすべてだよ……」
「俺から離れるなよ、レオン」
「もちろん」
「病室で何度もお前の夢見てた……」

 なめらかな肌が汗ばみ、いつもきちんと整えられているライトブラウンの髪が乱れて額や頬に張り付いている。
 たまらなく淫らで、息をのむほど美しい。

「それは……あとで、ゆっくり聞かせて……もらうよ」

 それは……ちょっと、困る。心臓がどくんと脈打ち、一緒になって後ろがきゅっと締まった。

「く……」

 こみ上げる何かを耐えるようにレオンが眉を寄せ、呻いた。その声にまた後ろが締まる。
 ぐい、と押さえ込まれ、堰を切った様に動きが激しくなった。

「あっ、あっ、あっあっあっっ…レオンっ……そんなにっ……あっ、あぁっ!」

 にじんでいた涙が後から後から沸き出して、ぼろぼろと溢れる。体の下でシーツがよじれる。肌が擦られ、また新たな疼きがわき上がる。
 無防備な鳴き声をあげながら夢中になってレオンの動きに合わせて腰をくねらせていた。
 少しでも彼を感じたい。逃したくない。
 離れたくない。
 重なり合った体の間でペニスが擦られる。前と後ろから攻め立てられ、意識が……溶ける。

「ディフ……ディフ、くぅ‥‥っ」

 名前を呼ばれ、深々と奥までつきあげられた瞬間。完全に理性を手放した。

「レオン……っっ」

 びくびくと痙攣しながらレオンの背中に爪を立て、しがみつく。
 熱い、粘つく衝撃が体の中心を駆け抜け、ペニスの先端からほとばしる。
 体のありとあらゆる部分が束縛から解き放たれて行く。

 ぶるっとレオンが震えて、また俺の名前を呼んだ。掠れた声で。
 
 ああ、お前も今、イってるんだな。
 わかるよ。
 お前の吐き出した熱が俺の中に溢れて広がって……すごくあったかい。

「ふ……ぁ………………」



 またディフが震えている。本当に感じやすいな、君は……。
 ここまで感度が磨かれてしまったのは、持って生まれた体質だろうか。それとも俺のせいだろうか?

 うっすら涙を浮かべて、しあわせそうにほほ笑んでいる。

 天使のほほ笑み……と言うには、いささか艶がありすぎるかな。

(君のその顔は俺だけのものだ)

 汗ばむ背に腕を回して抱きしめ、そっと指先でなぞる。背中に走る真新しい傷跡を。

「ん……」

 子猫のようにすり寄り、胸に顔を埋めてきた。

 いっそ鎧でも着せておきたい。二十四時間、目の届く所に置いておきたい。だが、そんなことをしたら君を潰してしまうだろう。

「すっかり汚れてしまったね。もう少し落ちついたら、一緒にシャワーを浴びよう」

 黙ってこくこくと頷いている。汗の雫の浮いた首筋の火傷の跡が、赤い。まるで露を含んだ薔薇の花びらだ。

 ほんとうに、正直だな、君は。

 体も。
 心も。

「レオン……愛してる」
「ああ。俺も、愛してるよ」



  ※  ※  ※  ※


 真夜中を少し過ぎたころ。
 のどの乾きを覚え、オティアはリビングにやってきた。
 ソファの上に何やら黒い生き物がうずくまっている。一瞬、ぎょっとした。

 目をこらすと、何のことはない。
 まだ新しいスタンディングカラーのライダースジャケット、色は黒。ソファの上に無造作に脱ぎ捨てられている。
 肩から落してばさりと置いた形がそのまま残っていた。

 この光景は以前にも見たことがある。ディフの『抜け殻』だ。

「……またかよ」

 キッチンで水を飲み、灯りを消して部屋に戻る。

 今度は電話は鳴らなかった。


(退院祝い/了)


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【3-1】★マーガレットの花かご(BL版)

2008/03/28 21:53 三話十海
「……ここで、いいですか、センパイ?」

 わずかに眉が寄せられ。ヘーゼルブラウンの瞳がすうっと細められる。

「ん……そこ……あ、待て。もーちょい右」

(やれやれ、意外に注文が多いなこの人は)

 言われるままにエリックは細長い、器用な指を動かした。

「こう?」
「あ……うん、そこだな」
「ここ、ですね」
「ああ。そこだ」

 その瞬間、彼のまとう空気が変わった。厳つさも険しさも全て消え失せて、満開のヒマワリさながらにあどけない笑みが顔いっぱいに広がる。

「サンキュ、エリック」
「どういたしまして」

 ああ、まったく。自分が今、どれだけ強烈な吸引力を発揮してるかわかってるんだろうか、この人は。
 相手はベッドの上で寝間着姿。これ以上ないってくらいにおあつらえ向きのシチュエーションだ。
 ここが病院の一室でさえなければ。

「きれいだな……ああ、いいにおいだ」

 マーガレットの花かご(警察署の有志一同の出資により購入)を片手にエリックがディフの病室を訪れたのは、彼が入院して三日目のことだった。

「これ、あそこの花屋で買ったんだろ? エリスおばさんの店」
「ええ、あそこです」

 エリスおばさんの店は、サンフランシスコ警察署から1ブロックも離れていない所にあるこじんまりとした……しかし充実した品ぞろえの花屋だ。
 警官時代にディフはたびたびそこの店でデートの前に挨拶代わりに手渡す『ちょっとしたプレゼント』を調達していたのである。

「センパイの見舞いだって言ったら、エリスおばさんが選んでくれたんです。『マックスはマーガレットが好きだったから』って」
「うん……好きだ」

 目をほそめてうっとりと、目の前の白い花びらに囲まれた黄色の丸、目玉焼きそっくりの配色の花を見つめている。

「白だからな。他の花を邪魔しない。バラやフリージアと合わせるとけっこうゴージャスに見えるし」

 相変わらず見かけによらずマメな人だ……。
 ぱっと見ガサツなタフガイで中味がこれだから、そこそこ女性にもてたのだろう。これで手料理の一つも披露すれば大抵の女の子はそのギャップにころりと落ちる。

 ただし長続きはあまりせず、二ヶ月もするとさっくり別の女性と歩いている。
 ディフォレスト・マクラウドはそう言う男だった。
 ほんの二年前までは。

 そう信じていたからこそ、エリックも堪え難い吸引力を感じながらも片想いのまま月日を重ねてきたのだ。

「メアリはどうしてる? 元気か?」
「あー、彼女ね……田舎に帰ったそうです」
「ほんとか? もう身内はいないと聞いてたが」
「NYにはね。カンサスに伯母さんが一人いるそうで」
「……ああ、カンサスの。正確には大叔母さんだよ。おばあちゃんの妹だ」
「よくご存知で」
「お得意さんだったからな」

 メアリ・ルー・キンケイドは花屋の看板娘だった。
 ハチドリが羽ばたくみたいにちっちゃな手を動かして、せっせと花束を作っていた。
 ふわふわの茶色い髪をショートカットにした、ハチミツ色の瞳の、小柄な女性。
 美人って訳じゃないけれどころころと鈴を転がすような声で笑う愛くるしい娘で。女性に興味のないエリックでさえ話していると自然と顔がほころんだ。

 グラウンドゼロで身内を亡くし、知らない土地で出直すためにサンフランシスコにやってきたと聞いた。
 父親も警官。婚約者も警官。だから警察署近くの花屋で働くことにしたのだと。

『なんとなく落ちつくのね。パパや彼が、まだそばに居てくれるみたいで』
 
「……いつ辞めたんだ、彼女」
「センパイが爆弾で吹っ飛ばされる少し前っすね」
「そうか……もう二年も前のことか」
「ええ」
「知らなかったな……市内に住んでいるのに」
「まあ、仕方ないんじゃないですか。市警をやめて以来、センパイほとんどあの店に行ってなかったでしょ」
「……まあ、な」



 ディフは小さくため息をつき、枕に顔をうずめた。

(違うんだよ、エリック。俺はただ……彼女の顔を見るのが怖かっただけなんだ)

 二年前の冬を思い出す。

『マックス。寒いの。あたためて』

 それはバレンタインデーの夜の出来事。すがりつく腕を振り払うこともできず黙って抱きしめた。
 愛を交わしたのはたった一晩。けれど決して軽はずみな気持ちでしたことじゃない。
 
 明日、店に行こう。
 明日こそは。

 一日延ばしにしている間にあの事件が起きた。
 処理中の爆弾に吹き飛ばされたのだ。

(それより前に辞めちまってたってことだよな……縁がなかったのかな)

 収容された病院に駆けつけたレオンの青ざめた顔を見て、その手に触れた瞬間……世界中の色が全て塗り替えられてしまった。
 その後はただ一人の相手に身も心も捧げてしまい、彼女の記憶をたどることも滅多に無くなっていたのである。

 ため息が気になったのだろう。エリックが声をかけてきた。

「やっぱつらいですか、センパイ……その体勢」
「まあな。背中に怪我したんだからしょうがないだろ」

 倒壊する倉庫の下敷きになり、ディフは背中に強度の裂傷を負った。そのため現在、病室のベッドにうつぶせに寝ているのである。塀の上に寝そべる猫さながらに、大きめの枕を抱えこんで。

 よく見える位置に花かごを設置するため、エリックは四苦八苦したと言う訳だ。

「一つ、お聞きしてもよろしいですか、センパイ」
「ああ?」
「現場で……ね、気になることがあるんです。未だに見つからないんですよ」
「何が?」

 エリックがくいっと眼鏡のフレームに人さし指を添え、位置を整えた。

「爆発物の類いが」
「ほう」
「爆弾は爆発しても、爆弾を構成する物質が消滅する訳ではない。必ず部品が見つかるはずだって……あなたが言ったんですよ、センパイ」
「そうだっけ?」
「そうです」

 枕を抱えたまま、ディフはちらりと横目で後輩を見上げた。


erick.jpg※月梨さん画、エリック

 身長6フィート(約186cm)、細身とは言えけっこうな圧迫感がある。
 北欧系特有の色の白さとライトブロンドの髪色のおかげでだいぶ印象は和らいではいるのだが……。
 眼鏡の向こうからじっと見下ろす青緑の瞳が硬質の光を帯びている。
 仕事の時の目だ。

「なあ、ハンス・エリック・スヴェンソン。何事にも例外はつきものだよ」

 エリックはわずかに眉をひそめた。
 フルネームで呼んできた。ますますもって怪しい。
 この人、真剣に相手に言うこと聞かせたい時は必ずフルネームで呼んでくるんだ。

「元爆発物処理班のお言葉とも思えませんね」
「ったく。頭堅ぇんだよお前は!」
「オレは、科学者ですから」

 疑問を解明すべく、バイキングの末裔がさらに口を開きかけたその時だ。

 病室にすらりとした茶色の髪の男が入ってきた。とたんにディフの顔がくしゃくしゃに笑み崩れる。
 目が細められ、口の両端が上がり、白い歯がひらめく。上機嫌のゴールデンレトリバーそっくり、嬉しくてたまらないって表情だ。

「レオン!」
「すまない。遅くなったね……ああ、君は確か」
「エリックだ。シスコ市警CSIの」

 二人ともまんざら知らない仲ではない。何度か取調室で顔を合わせたことがある。
 しかし。

「こんにちは、Mr.ローゼンベルク」

 エリックは顔を会わせた瞬間、自分に向けて発せられた剣呑な空気に思わず一歩後じさりたくなった。
 容疑者を間に挟んで渡り合う時の比ではない。抜き身の刃が肌の上を掠めるような気配に全身の皮膚が泡立つ。

「やあ、スヴェンソンくん」

 堅苦しく苗字で呼びかけてから、レオンは素早くベッドの上にうつぶせで横たわる恋人の姿を確認した。
 ……かろうじて毛布は被っている。広い背中も、引き締まった腰も、エリックの目からは遮られている。

 だがそれでもディフがパジャマ姿でいることに変わりは無い。

 重ねた薄い布の下には、鋭敏な体が潜んでいる。
 なだらかな曲線を描く肩甲骨の下に軽く触れるだけで愛らしい悲鳴があがり、生まれたての子馬みたいに震える背中。
 初めてキスした時は「不意打ちだ」の「卑怯だ」のと文句を言われたが、それでも体の反応は実に正直だった。
 今では……。
 顔を寄せただけでもう、耳まで赤くする。

 ゆるくウェーブのかかった赤毛はうなじを覆い、肩の上に広がっている。まるで小さな翼でも広げたように。
 この『髪の合間からちらりと見える』と言うあたりがくせ者だ。傷跡の白さが際立ち、つい目が引きつけられてしまう。

 枕を抱えているのも問題だ。ルームメイトをしていた高校時代、何度この姿にあわてて目をそらしたことだろう。

 これはかなり許しがたい状態だぞ。
 まったく、添い寝の際に見なれているはずの自分ですら忍耐力を試されるこの状態を他の男が見ていたなんて!
 
「FBIのバートン捜査官から聞いたよ。例の倉庫倒壊事件の担当だそうじゃないか」
「ええ、所轄署から協力を要請されまして……」
「そうか。たいへんだな。さぞ忙しいんだろう?」
「ええ、まあ」

 にっこりと誠実そのものの笑みでレオンは立ちふさがり、恋人の寝姿をエリックの視界から遮った。

「応援してるよ、スヴェンソンくん」
「……ありがとうございます。それじゃ、センパイ」
「おう。気ぃつけてな」

 エリックの退場を確認してから、やっとレオンは肩の力を抜いた。

「……傷の具合……どうだい」
「ん、だいぶいい」
「またベッドから抜け出してナースに叱られたりしてないだろうね?」

 ディフはぴくっと小さく震えて、それから不自由な体をもぞもぞよじり、目をそらしてしまった。

 ……有罪(guilty)。

「……ディフ?」
「抜け出したって、あれは、その……ちょっと、洗濯しようとしただけだ」
「洗濯ならアレックスにやらせよう」
「……あ、いや、いい。極めてプライベートな洗い物だから」
「?」
「うん……お前の言う通りだ、大人しく寝て早く治すよ」


(まちがってもアレックスなんかに頼めるか。いや、頼める訳がないっ!)

 そう、極めてプライベートな洗い物だ。到底人の手には任せられない、ぜったい任せたくない類いの。
 まさに今、見下ろしている目元涼しげな男が……正確には夢に現れた彼の面影が原因の。

 体を拭くのもそこそこに慌ただしく飛び出したあの日の残り火がまだ体内にくすぶっていたのだろう。
 夜の眠りとともに解放され、十代の頃さながらに気まずい朝を迎えてしまった。

(言えないよ……レオン。お前には。絶対に)


 レオンは目を細めて恋人の首筋を見つめた。2年前の爆発事件の置き土産が。『薔薇の花びら』ほどの大きさの火傷の痕が、ほんのりと色づき始めている。

(まったく、この子はいったい何を考えているのだろう?)
 
 レオンは最大限の忍耐を発揮して巡らせかけた推測を強制終了し、彼のうなじからつ……と視線をそらせた。

(これ以上見つめたら、触れずにはいられない)

「ん? これは?」

 視線をそらした先。ベッドの手前、ちょうどディフの目が届く位置に花かごが置かれている。
 藤のバスケットにアイビィとマーガレットをあしらった、白と緑のかわいらし花かごだ。細めた目蓋の合間から、ヘーゼルブラウンの瞳がじっと見つめている。

「もっと近くに寄せようか?」
「いや、そのままでいい」

 ゆるく首を横に振ると、ディフは枕を抱える手をほどいてさしのべてきた。
 にぎり返し、手の甲にキスをする。
 わずかに緑を帯びた瞳が細められ、ほほ笑みかけてきた。

「今は、お前を……レオン、お前だけを、見ていたいから」


(マーガレットの花かご/了)


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【3-1-2】マーガレットの花かご(通常版)

2008/03/28 21:59 三話十海
「……ここで、いいですか、センパイ?」

 ヘーゼルブラウンの瞳がすうっと細められる。

「ん……そこ……あ、待て。もーちょい右」

 やれやれ、意外に注文が多いなこの人は。
 言われるままにエリックは細長い、器用な指を動かした。

「こう?」
「あ……うん、そこだな」
「ここ、ですね」
「ああ。そこだ」

 その瞬間、厳つさも険しさも全て消え失せて。満開のヒマワリさながらにあどけない笑みが顔いっぱいに広がる。

「サンキュ、エリック」
「どういたしまして」
「きれいだな……ああ、いいにおいだ」

 マーガレットの花かご(警察署の有志一同の出資により購入)を片手にエリックがディフの病室を訪れたのは、彼が入院して三日目のことだった。

「これ、あそこの花屋で買ったんだろ? エリスおばさんの店」
「ええ、あそこです」

 エリスおばさんの店。警察署から1ブロックも離れていない所にあるこじんまりとした……しかし充実した品ぞろえの花屋で。
 警官時代にディフはたびたびそこの店でデート前のちょっとしたプレゼントを調達していたのである。

「センパイの見舞いだって言ったら、おばさんが選んでくれたんです。『マックスはマーガレットが好きだったから』って」
「うん……好きだ」

 目をほそめてうっとりと、目の前の白い花びらに囲まれた黄色の丸、目玉焼きそっくりの配色の花を見つめている。

「白だからな。他の花を邪魔しない。バラやフリージアと合わせるとけっこうゴージャスに見えるし」

 相変わらず見かけによらずマメな人だ……。
 ぱっと見ガサツなタフガイで中味がこれだから、そこそこ女性にもてたのだろう。これで手料理の一つも披露すれば大抵の女の子はそのギャップにころりと落ちる。

 ただし長続きはあまりせず、二ヶ月もするとさっくり別の女性と歩いている。
 ディフォレスト・マクラウドはそう言う男だった。
 ほんの二年前までは。

「メアリはどうしてる? 元気か?」
「あー、彼女ね……田舎に帰ったそうです」
「ほんとか? もう身内はいないと聞いてたが」
「NYにはね。カンサスに伯母さんが一人いるそうで」
「……ああ、カンサスの。正確には大叔母さんだよ。おばあちゃんの妹だ」

 メアリ・ルー・キンケイドは花屋の看板娘だった。ハチドリが羽ばたくみたいにちっちゃな手を動かして、ディフの数多いガールフレンドのためせっせと花束を作ってくれたものだ。
 ふわふわの茶色い髪をショートカットにした、ハチミツ色の瞳の、小柄な女性。
 美人って訳じゃないが、ころころと鈴を転がすような声で笑う愛くるしい娘で。話していると自然と顔がほころんだ。

 グラウンドゼロで身内を亡くし、出直すためにサンフランシスコにやってきたと聞いた。
 父親も警官。婚約者も警官。だから警察署近くの花屋で働くことにしたのだと。

『なんとなく落ちつくの。パパや彼が、まだそばに居てくれるみたいで』
 
「……いつ辞めたんだ、彼女」
「センパイが爆弾で吹っ飛ばされる少し前っすね」

 さらりと言いやがったよこいつは。

「そうか……もう2年も前のことか」
「ええ」
「知らなかったな……」

 市内に住んでいるのに。
 もっともサンフランシスコ市警を辞めて以来、エリスおばさんの店に足を運ぶこともなかったし。

 ………いや、違うな。
 彼女の顔を見るのが、怖かったのかもしれない。

『マックス。寒いの。あたためて』

 それは二年前のバレンタインデーの出来事。すがりつく腕を振り払うこともできず黙って抱きしめた。
 愛を交わしたのはたった一晩。けれど決して軽はずみな気持ちでしたことじゃない。
 
 明日、店に行こう。
 明日こそは。

 一日延ばしにしている間にあの事件が起きた。
 処理中の爆弾に吹き飛ばされたのだ。

(それより前に辞めちまってたってことだよな……縁がなかったのかな)

「つらくないすか、センパイ……その体勢」
「まあな。背中に怪我したんだからしょうがないだろ」

 倒壊する倉庫の下敷きになり、ディフは背中に強度の裂傷を負った。そのため現在、病室のベッドにうつぶせに寝ているのである。塀の上に寝そべる猫さながらに、大きめの枕を抱えこんで。

 彼からよく見える位置に花かごを設置するため、エリックは四苦八苦したと言う訳だ。

「一つ、お聞きしてもよろしいっすか、センパイ」
「ああ?」
「現場で……ね、一つ気になることがあるんです。未だに見つからないんですよ」
「何が?」

 エリックはくいっと眼鏡のフレームに人さし指を添え、位置を整えた。

「爆発物の類いが」
「ほう」
「爆弾は爆発しても、爆弾を構成する物質が消滅する訳ではない。必ず痕跡が見つかるはずだって……あなたが言ったんですよ、センパイ」
「そうだっけ?」
「そうです」

 枕を抱えたまま、ディフはちらりと横目で後輩を見上げた。

erick.jpg※月梨さん画、エリック

 身長6フィート(約186cm)、細身とは言えけっこうな圧迫感がある。
 北欧系特有の色の白さとライトブロンドの髪色のおかげでだいぶ印象は和らいではいるのだが……。
 眼鏡の向こうからじっと見下ろす青緑の瞳が硬質の光を帯びている。
 仕事の時の目だ。

「なあ、ハンス・エリック・スヴェンソン。何事にも例外はつきものだよ」
「元爆発物処理班のお言葉とも思えませんね」
「ったく。頭堅ぇんだよお前は!」
「オレは、科学者ですから」

 フルネームで呼んできた。ますますもって怪しい。
 この人、真剣に人に相手に言うこと聞かせたい時は必ずフルネームで呼んでくるんだ。

 エリックがさらに口を開きかけたその時……。
 病室にすらりとした茶色の髪の男が入ってきた。とたんにディフの顔がくしゃくしゃに笑み崩れる。
 目が細められ、口の両端が上がり、白い歯がひらめく。上機嫌のゴールデンレトリバーそっくり、嬉しくてたまらないって表情だ。

「レオン!」
「すまない。遅くなったね……ああ、君は確か」
「エリックだ。シスコ市警CSIの」
「こんにちは、Mr.ローゼンベルク」
「やあ、スヴェンソンくん」

 まんざら知らない仲ではない。何度か取調室で顔を合わせたことがある。
 しかし……何なんだろう、この剣呑な空気は。
 容疑者を間にはさんで渡り合う時の比じゃないぞ?

 素早くレオンはベッドの上にうつぶせで横たわる恋人の姿を確認した。
 ……かろうじて毛布は被っている。背中も、腰も、エリックの目からは遮られている。
 だがそれでもディフが寝間着姿でいることに変わりは無い。

(これはかなり許しがたい状態だぞ)
 
「FBIのバートン捜査官から聞いたよ。例の倉庫倒壊事件の担当だそうじゃないか」
「ええ、所轄署から協力を要請されまして……」
「そうか。たいへんだな。さぞ忙しいんだろう?」
「ええ、まあ」

 にっこりと誠実そのものの笑みでレオンは立ちふさがり、恋人の寝姿をエリックの視界から遮った。

「応援してるよ、スヴェンソンくん」
「……ありがとうございます。それじゃ、センパイ」
「おう。気ぃつけてな。花……ありがとう」

 花……。言われてみればベッドの手前のサイドテーブル。ちょうどディフの目が届く位置に花かごが置かれている。

 藤のバスケットにアイビィとマーガレットをあしらった、白と緑のかわいらし花かごだ。
 細めた目蓋の合間から、ヘーゼルブラウンの瞳がじっと見つめている。
 よほどうれしいらしい。

「……もっと近くに寄せようか?」
「いや、そのままでいい」

 全てはもう終わったことなんだから。
 今の自分にできることがあるとしたら、メアリの幸せを祈ることだけだ。


(マーガレットの花かご(通常版)/了)


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【3-7】a day without anythig

2008/04/04 18:48 三話十海
  • 特別なことは何もない。けれどそれなりにしあわせな一日。
  • ちょっと人が増えてるので人物紹介を個別に設けてあります。
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【3-7-0】登場人物

2008/04/04 18:52 三話十海
【ヒウェル・メイリール】
 フリーの記者。25歳。
 黒髪、アンバーアイ、身長180cm、細身(と言うか貧弱)
 フレーム小さめの眼鏡着用。
 口先と舌先、指先を駆使して世を渡る、小悪党と言う言葉がぴったりのこずるい男。
 最初にオティアを拾って来た張本人。
 もはや報われないことはステイタスとして定着した。

【オティア・セーブル】
 不思議な力を持つ双子の片割れ。16歳。
 ややくすんだ金髪、紫の瞳、身長170cm、やせ形。
 極度の人間不信だが、ヒウェルには徐々に心を開きつつある……が。
 口数は少なく喋る言葉は鋭い。
 ヒウェルと出会ったことで彼自身はもとより周囲の人々の運命が変わって行く。
 ポーカーフェイスの裏側で実は意外に心揺れ動いている。
 記憶力と観察力に優れ、我流ながらそこそこ護身術も使える。

【シエン・セーブル】
 不思議な力を持つ双子の片割れ。16歳。
 外見はオティアとほぼ同じ。
 オティアより穏やかだが、臆病でもろい所がある。
 最初の事件で撃たれたディフをオティアと二人で治癒させた。
 ディフに懐きつつある。
 料理が好き。とくに中華。

【レオンハルト・ローゼンベルク】
 通称レオン
 弁護士。ヒウェルとは高校時代からの友人。26歳。
 ライトブラウンの髪と瞳、身長180cm、着やせするタイプで意外と筋肉質。
 一見、温厚そうな美人さん、実は腹黒。実家は金持ちだが家族への情は薄い。
 ディフとは恋人同士。
 恋人と双子に害為す者に対してはとてもとても心が狭い。
 不適切な発言は華麗にスルー。

【ディフォレスト・マクラウド】
 通称ディフ、もしくはマックス。
 元警察官、今は私立探偵。ヒウェルとは高校時代からの友人。25歳。
 ゆるくウェーブのかかった赤毛、ヘーゼルブラウンの瞳、身長180cm、肩幅やや広め。
 がっちりした骨格に適度な筋肉のついた頑丈そうな体格。(実際、丈夫)
 裏表のない直情家、世話好きでおせっかいな熱血漢。
 レオンとは恋人同士。
 双子に対して母親のような愛情を抱きつつある……らしい。
 今回2種類ほどニックネームが増えた。

【アレックス】
 フルネームはアレックス・J・オーウェン。
 レオンの秘書。もともとは執事をしていた。
 有能。万能。瞳の色は水色。

【デイビット】
 熱いハートをたぎらせた陽気で女性に優しいラテン系弁護士。
 ジーノ&ローゼンベルク法律事務所の共同経営者。
 レオンのロウスクールの先輩。

【レイモンド】
 微妙に暴走しがちな体育会系弁護士。笑うと歯が光る。
 ジーノ&ローゼンベルク法律事務所に所属。
 レオンとはロウスクールの同期生。

【エリック】
 シスコ市警の科学捜査官。ディフの警官時代の後輩、22歳。
 ライトブロンド、瞳は青緑色、身長186cm。
 金属フレームの眼鏡着用。
 地道に支持者を獲得しつつあるバイキングの末裔。



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【3-7-1】がしゃん!/midnight

2008/04/04 18:54 三話十海
 がしゃん。

 夜の静寂の中、何かの割れる音が響く。シエンはびくっとして目を開けた……ベッドに横たわったまま。

 がったーんっ……

 続いて今度はもっと派手に何かをひっくり返す音がした。カラコロと何やら固いものが床の上を転がる気配も伝わってくる。

(誰か来た? まさか、泥棒?)

 布団の中で肩をつかんで堅く身を縮める。隣のベッドでオティアが起きあがる気配がした。

「オティア……」
「見てくる」

 何故? 何を? 言葉を交わす必要なんてない。お互いの考えは手にとるようにわかる。

(お前のことは、俺が守る)


 ※ ※ ※ ※


 足音を忍ばせてリビングに行く。灯りはついていた。
 のぞきこむと、床の上に物が散乱している。包帯や傷薬、軟膏、湿布薬、ガーゼ。
 そしてフタの開いた状態で転がった救急箱の傍らに、レオンが立っていた。

「あ」
「……やあ」

 こっちを見て、ばつの悪そうな顔で、笑った。右手の人さし指に小さな切り傷。
 ひと目見てオティアはおおよその事態を把握した。

 最初の「がしゃん」で何かを壊して。片付けようとして指を切って。手当をしようとして……二次災害を引き起こしたってとこか。
 こんな時に真っ先にすっ飛んで来る奴の姿が見えないのが不思議と言えば不思議だが、少し考えてすぐ、納得が行った。

 泥棒でも強盗でもないとわかったのだろう。びくびくしながらシエンがやってきて、背後からそろりと顔を出した。

「レオン?」
「驚かせてしまったかな、すまない」


 ※  ※  ※  ※

 オティアが床の上を片付けている間、シエンはレオンの指の傷を消毒して絆創膏を巻いた。

「はい、おしまい」
「ありがとう」

 救急箱のフタを閉めてから、ふときょろきょろと周囲見回して、シエンはきょとんと首をかしげた。

「ディフは?」
「ああ、今日はもう帰ったよ」

(帰った?)
(どこに?)

 キッチンの皿の破片を回収し、ちり取りを抱えたオティアがやってきてぼそりと言った。

「隣だろ」
「あ」

 そう、ディフの自宅は隣の部屋。

 だけどいつも朝、起きると台所に立っていて朝ご飯を作っているし。夜、おやすみを言う時もリビングか台所にいる。

 レオンが帰っている時は寄り添って。たまにヒウェルと何か話し込んでる時もある。
 この部屋を出て行く時は「行ってきます」。
 入ってくるときは「ただいま」。

 自分やオティア、レオンが戻ってきたときはもちろん「お帰り」。
 朝も夜もこの部屋に居て、自分の部屋に戻るのはそれこそ眠る時だけ……退院してからはそれさえも滅多になくなってきた。

 だからなんだ。「帰った」ってレオンに言われて、どこに行ったんだろうと思ってしまったのは。

(何で、ディフはわざわざ隣に帰ってるんだろ?) 


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【3-7-2】ちいさな鍋/breakfast

2008/04/04 18:55 三話十海
 翌朝。
 ディフはいつものように朝食の用意をしに来て、いつものようにお早うのキスを交わして……レオンの指の絆創膏に気づいた。

「どうしたんだ、これ」
「ああ、いや…」

 ばつの悪そうな顔をするレオンの手をとり、絆創膏の上からそっとキスをした。
 まさにその瞬間。

「おはよー」

 シエンがリビングに入ってきた。

「っあ、えと、んと………」

 その場で十センチ飛び上がりたいのをかろうじて自制し、速やかにレオンの手を離す。自分の手を背後に隠し、精一杯さりげない風を装った。

「………おはよう」
「何やってんだ」

 後ろでオティアの声がした。

(隠した意味がねぇっ!)


 ※  ※  ※  ※


 朝食の席で双子から昨夜の顛末を聞くと、ディフは歯を見せて豪快に笑い、ぽんぽんとレオンの肩を叩いた。

「不可抗力ってやつだろ、気にすんな、レオン」
「ああ……」

 相変わらず、ばつの悪そうな顔で言葉少なに朝食を口に運ぶ。そんなレオンの横顔を見ていると何だか懐かしくなってきた。

 この顔、高校の時によく見たな。
 パンを焦がした時とか。シャツのボタンつけ直そうとして指に針刺した時とか。
 自分でも失敗したなって思ってるんだ……。
 最近滅多にしなくなっていたのにな。何だか得をした気分になってきたよ、レオン。

 顔がほころぶ。

(ああ、まったく可愛いったらありゃしない)


 ※ ※ ※ ※


 朝食の片付けをしていてふと、小さな鍋を見つけた。

(こんなのあったっけ?)

 首をかしげつつ手にとってみる。
 軽い。
 けっこう使い込まれている。
 表面の焦げ方や内側の傷のつき方から察するに、炒め物、焚き物、煮物……ありとあらゆる用途に使い倒されているらしい。
 それにしても、軽い。

「あ、もしかして……シエンか?」

 そう言えば何度かこれを使っていた。
 何気なく「米を炊いてくれるか」と言ったらいそいそとこの鍋を出してきたのだ。いつも自分が使うオレンジの鋳物の鍋ではなく。

「そうか、あの子の手にはこれぐらいの大きさと重さがちょうどいいんだ」

 真新しい食器洗い機に皿と洗剤をセットし、スイッチを入れる。

「そーいやこいつも帰ってきたら増えてたんだよな……」

 おそらく自分がいない間の家事分担を軽減すべく導入されたのだろう。
 言い出しっぺは……多分、ヒウェルだな。

「あれ?」
「む」

 リビングの方で双子が何やら顔をつきあわせている。
 エプロンを外しながらそれとなく見てみる。袖をまくって腕を並べているようだ。

「おや?」

 シエンの方が、若干……だが、明らかに筋肉がついている。
 どうやら四週間の間、重たい調理器具を上げ下げしている間に自然と鍛えられてしまったらしい。
 さながら、一日ごとに伸びる麻の苗を飛び越す間に足腰が鍛えられるニンジャのように。

(って言うかあれ実話なのか?)

 あやうく浮遊しかけたイマジネーションの尻尾をひっつかみ、現実に引き戻して考える。
 そう言えばあの子ら、運動不足なんだな。ほとんど外に出てないし。

「ふむ」

 幸い、このマンションには屋内ジムが付属している。自分も時々、いやしょっちゅう利用している。さすがに子ども二人だけで行かせるのはちょっと考えものだが……。

 頭の中で今日のスケジュールを確認する。予定通りに運べば夕方は早めに上がれそうだ。
 エリックに頼んだ分析結果がいつ出るかが勝負ってとこだな。

(後で電話入れとくか)


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【3-7-3】双子と執事/afternoon tea

2008/04/04 18:57 三話十海
 ユニオン・スクエア近くのオフィスビルの一室。
 ドアのガラスに金色の文字で『ジーノ&ローゼンベルク法律事務所』と書かれた事務所、さらにその奥のキッチンで、てきぱきと手を動かす灰色の髪の男が居た。

 ぴしっと背筋を伸ばして、ダークグレイのスーツに身を包んだ彼の名はアレックス・J・オーウェン。
 もう20年以上もレオンに付き従う忠実な元執事で、現在は法律事務所の秘書を勤めている。

 台の上に並べた直径3インチ半(約9cm)の小さいタルト台が10個、生地はしっかりめに焼き上げて、甘さは極力控えめに。

 デイビットさまとレイモンドさまは3つずつ。
 デイビットさまの分にはカスタードクリームとアーモンドクリームをたっぷりと。フルーツは添える程度でよいだろう。あのお方は見かけによらず甘党でいらっしゃるから。

 こちらの二つにはストロベリー、ラズベリー、ブルーベリー、ダークチェリー、リンゴにオレンジ。フレッシュな味と食感を活かしたフルーツを山盛りにして……お二人とも、甘いものは苦手でいらっしゃるから。

 手際良く人数分のフルーツタルトを準備し、茶葉をティーポットに4杯。きっちり4分待ってから温めたカップに注ぐ。
 全て準備を整えると、アレックスはうやうやしく金髪の少年に声をかけた。

「シエンさま、おやつの用意が整いました」

 呼ばれてシエンは苦笑した。

「バイトなのに『さま』は変だよ、アレックス」
「さようでございますか……それでは何とお呼びすれば?」
「さま、も、さん、もいらない。シエンって呼んでくれる?」
「かしこまりました、シエン。それでは参りましょうか」

 皿に盛ったフルーツタルトと紅茶を銀色のトレイに載せ、二人は歩き出した。

「お茶でございます」

 事務室には珍しく、この事務所に所属する弁護士が三人ともそろっていた。
 
「ありがとう、アレックス」

 レオンはちらりと置かれた紅茶とタルトに目をやり、白い薄手のカップに手を伸ばす。
 
「おお、今日はフルーツタルトだね! 君の作るスイーツはどれも絶品だよ、アレックス。世界で二番目にすばらしい!」
「おそれいります」
「一番目はうちのワイフの焼いてくれるパイだがね」
「さようでございますか」

 デイビット・A・ジーノのいつもの決まり文句だ。『うちのワイフは世界一』。
 やや浅黒い肌、ウェーブのかかった黒髪、話す言葉は歯切れがよく、女性にやさしくハートも熱い。1/4混じったラテンの血潮をフルに燃え立たせるこの陽気なハンサム・ガイはレオンのロウスクールの先輩にあたり、事務所の共同経営者でもある。

 そして超の字のつく愛妻家(恐妻家?)なのだった。

「スイーツと言えば……レオン。赤毛の彼。君のスイートハニーはどうしている? もう退院したのか?」

 一瞬、シエンは凍り付きそうになった。


(スイートハニーって。もしかして……)

「元気ですよ」

 レオンはさらりと流してる。慣れっこらしい。

「それは良かった。相変わらず丈夫な男だな!」

 流された方はちっとも気にする様子もなく、むしろ楽しそうにはっはっは、と大声で笑っている。まだこの大音量には慣れない。

(いい人なんだけど……もうちょっと静かにしてくれるといい……かな?)

alex.JPG※月梨さん画、左がデイビットで右がアレックス

「やあ、きれいなタルトだな。食べるのがもったいないよ」
「おそれいります」

 はるか頭上から深みのあるバリトンが降ってきた。野太い笑みを浮かべた口元に白い歯が光る。
 かっ色の肌の巨漢、レイモンド・ライト・ボーマン。学生時代はアメフトの選手だったが試合中の怪我で視力を悪くし、今も眼鏡をかけている。
 レオンのロウスクールの同期生で見かけによらずかなりの頭脳派なのだが……
 
 いまだに体育会系のリズムが抜けず、たまに暴走する。
 岩を刻んだような重厚なボディの内側には重低音で戦いのドラムが轟き、父祖の地アフリカの太陽にも負けない熱い魂が燃えているのだ。

 最初に会った時、微妙に誰かに似てる? と思ったらやっぱりディフと気が合うらしい。

「それでは、ごゆっくり。私どもは下に参りますので」
「ご苦労さま」
「シエン、下に行くのならついでにこれ届けてもらえるかな。マックスに頼まれてた資料だ」
「はい」

 レイモンドから受けとった書類ファイルを抱えてシエンは部屋を出た。
 きちんと一礼するとアレックスは後に続き、静かに事務室のドアを閉めた。

 デイビットが珍しく静かだったのは、口の中をタルトとフルーツとクリームが占拠しているから。

 事務所を出て、エレベーターに向かうアレックスとシエンを廊下を歩く人々が振り返った。中には目を丸くする者もいる。
 ファイルを抱えた少年がとことこ歩く。それ自体はよくある風景だ。このビルの中に数多く存在するメッセンジャーボーイの中には、インラインスケートやローラーボードで廊下を疾走して行く奴らもいる。

 それに比べればいたって大人しい。
 しかし背後に銀色のトレイにのせたフルーツタルトを二人分、うやうやしく捧げ持った執事(にしか見えない)が従っているとなると……。
 オフィスビルにはあまりにも不似合いな光景だが、当人たちはいたって平穏。
 すたすたと歩いてエレベーターに乗り、下のフロアへと降りて行った。


 ※  ※  ※  ※


 同じビルの二階。
 法律事務所に比べるといささか小振りではあるが、所員の数からすると充分な広さの事務所があった。

 ドアにはめ込まれた磨りガラスにはかっちりした書体で『マクラウド探偵事務所』と記されている。
 『ようこそ』とか『あなたの』とか『迅速丁寧』とか『秘密厳守』とか。余計な文字は何一つない。

 中にはどっしりした木製の事務机、少し離れてパソコンの置かれた小さめのスチールのデスクがもう一つ。
 パーテーションで仕切られた一角にはソファとテーブルが並べられている。
 何もかも実用的で頑丈。事務所の中から奥のキッチンに至るまで細かい所まで掃除が行き届いている。
 
(きっと、ディフの部屋もこんな感じなんだろうな)


 オティアがマクラウド探偵事務所でバイトを始めてからもうすぐ一週間が経とうとしていた。
 決心をするまでは少し迷ったが、どっちがどの事務所に行くかはすぐに決まった。

「……俺は探偵」
「じゃあ、俺はレオンのとこ行くね」

 法律事務所で扱うのは『もう起きてしまった』事件だ。生々しい血に染まったナイフや、まだ熱い銃弾との距離は遠い。
 一方、探偵事務所で扱うのは現在進行形の調査だ。シエンにはいささか荷が重い。
 そこまでの相談も、意志の確認もほぼ一瞬で行われていた。

 二人にとってこれは特別なことでも何でもない。物心ついたときからずっとそうだった。
 言葉に出さなくても自然とわかるのだ。お互いの考えていること、伝えたいことが。


 マクラウド探偵事務所は、言うなれば個人的な調査の請負所である。
 煙草の煙の漂う中、ソフト帽にトレンチコートで冷めたコーヒーをすするハードボイルドも。人間離れした頭脳で鮮やかに謎を解く名探偵とも無縁。
 
 どんなに些細な案件でも依頼人のために地道に調べて地道に成果を上げる。
 
 今のところ調査員は所長のディフただ一人。しかし彼は知っている。
 自分一人にできることの限界、それを補完するためにどこの、誰に応援を頼めば良いのかも。
 そして、そのための人脈も知識もちゃんと確保してあるのだった。

 オティアの役目は協力者ならびに依頼人との必要不可欠な連絡役……

 要するに。
 電話番だった。

 採用にあたって言われたことは二つ。
 用件を聞いて、必要ならすぐにかけ直す旨伝えて連絡。原則としてよほどの緊急事態以外はメールを使う。
 それほど急ぎじゃない用件はまとめて定期的にメールする。


 それまでもっぱらパソコン用に使われていたスチールの机がオティアの席としてあてがわれた。
 電話も二つに増やされて、うち一つがオティアのデスクの上に乗っている。

 しかしながらディフが退院して事務所を再開してから、かかってくる電話ときたら判で押したみたいに同じものばかりで。

「はい、マクラウド探偵事務所」
「よう、マックス、生きてたか? ……あれ、声が違うな。君、誰?」

 なるほど、電話番が必要なはずだと納得した。空いてる時間は好きにしていていいと言われているので、本棚に並んだ本を手当たり次第に読み漁る。
 レオンとは微妙に蔵書の種類が違っていた。

 今もそのうちの一冊を読みふけっていると、電話が鳴った。発信者は『CSI:エリック』。どっかで聞いたような名前だな、と思いつつ受話器をとる。

「はい、マクラウド探偵事務所」
「ハロー、シスコ市警のエリック・スヴェンソンって言いますけど。センパイ…所長はいますか?」

 若い男の声だった。少しばかりRが内にこもる感じの独特の発音で、こころもち濁音のアクセントが強いが声そのものは滑らかで聞き取りやすい。

「所長は外出中です。ご用件は…お急ぎですか?」
「んー、たぶんね。この間頼まれていた分析結果があがったって、伝えといてもらえます? そう言えばわかるから」
「了解」
「ありがとう。それじゃ」

 これは急いだ方が良さそうだ。すぐにメールした。
 折り返し返事が来る。文面はひとこと「Thanks」。
 携帯を閉じて、また本を読み始める。いくらもたたないうちに再び電話が鳴った。

 発信者表示は「マクラウド:テキサス」。

(マクラウド……ディフの親戚か?)

 少しためらってから電話をとると、朗らかではきはきした中年の女性の声が流れ出した。

「ハロー、ディー? 留守電山のように入れたはずなのにちっとも返事くれないってどう言うこと?」
「え。あの、すいません」
「あら? あなた……誰?」

 ディー…ディフォレスト……ディフか。

「ディーにしてはずいぶん高くてきれいな声だし。レオンでもないわよね?」
「俺は……………バイトです。最近入りました」

 舌の奥をまさぐり、使い慣れない丁寧な言い回しをどうにかこうにか引っぱり出す。

「所長のお知り合い……いや、ご家族の方ですか」
「そんなに緊張しないでいいのよ。ええ、あの子の母親です。はじめまして」
「あ、はい。伝言をいれられたのは、ここじゃないですよね」
「ええ、自宅の留守電にね。ごめんなさいね、びっくりしたでしょ? そこの電話とるのってあの子かレオンどっちかだから、つい」

「……いえ、えっとそれじゃ、所長に……伝えておきます。今は出ているので」

 ついこの間までディフが入院していたのを、この人はもしかして知らないんだろうか。言わないほうがいいのかな。

「お願いね。ありがとう」
「はい」

 電話を切ってから、挨拶も名乗ることも忘れていたことに気づく。微妙に緊張していたらしい。
 これは……急ぎではないから、次の定時連絡で知らせればいい。

 それにしても。
 つい聞き流してしまったけど、何でレオンがここの電話をとるんだ?

 首をひねりながらドアの前に行き、開けた。
 銀色のトレイを捧げ持ったアレックスを従えてシエンが入ってきた。目の前で急に開いたドアに驚きもせず。目くばせさえすることもなく。

「すぐさまお茶の仕度をいたします。しばしお待ちを」

 勝手知ったると言った様子でアレックスは奥のキッチンへと入って行く。双子は並んでソファに腰かけた。

「ディフのお袋さんから電話があった」
「テキサスの? どんな人だった」
「マイペース」
「……そうなんだ」


 ※ ※ ※ ※



「お茶が入りましたよ」

 甘さを控えたフルーツタルトをひとくち食べると、シエンはぽわっと顔をほころばせた。

「美味しい! アレックス上手だね」
「お気に召して何よりです。よろしければレシピをお教えしましょうか?」
「……うん。俺も作ってみたい」

 オティアは言葉少なにフォークを動かし、黙々とタルトを口に運んでいる。

(ああ……レオンさまのお小さい頃を思い出す)

 金髪の双子を見守りながら、アレックスは秘かに胸を熱くしていた。
 ちらとも表情には出さず、あくまで秘かに、ひっそりと。

(レオンさまが男性に心奪われた日以来あきらめていたが、まさかこんな日が来ようとは……)

 もしも今、事務所に入って来る者がいたら、きっと戸惑うことだろう。
 探偵事務所に来たはずなのに、他所様の家のリビングに入り込んだような錯覚にとらわれて。

 金髪の双子に従う実直そうな執事。
 古い映画か本の中から切りとられたような、真昼のオフィスビルの一角にはおよそ似つかわしくない光景を目にして。


 ※  ※  ※  ※

 その後、事務所に戻ってきた所長に有能少年助手はきっぱりと言い渡した。

「留守電ぐらい確認しろよ」
「……すまん、気をつける」

 こまごまとした用事をすませてから、ディフは時計を確認し、小さくうなずいた。

「少し早いが今日はこれで上がりにしよう。一カ所外に寄って、それから直帰だ」

 オティアがうなずく。

「一緒に来てくれ」
「どこへ?」


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【3-7-4】ジムにて/evening

2008/04/04 18:58 三話十海
 夕方までに小商い三つ、まとめて上げて。
 晩飯まで一寝入りするかそれともシャワーでも浴びるか考えながらぼやーっとエレベーターの前に突っ立っていると……

「お?」
「よお」
「………」

 オティアとディフが並んで出てきた。二人ともトレーニングウェアだ。ディフが黒のジャージにグレイのTシャツ……これはしょっちゅう見なれている。オティアが紺のジャージに白のTシャツ。こっちは新鮮、見られて嬉しい。

「おそろいで、どちらに? ってかもう上がりか? 早いな」
「ジム。ついでに言うとまだ勤務中だ」
「ふーん。俺も運動不足だし、たまには体動かしてみよっかなーっと」
「……好きにしろ」

 オティアは何も言わない。
 沈黙はOKと受け取り、ジムに向かう二人の後を着いて行った。

 フローリングのジム。ぼちぼち使用者で埋まっているエアロバイクやトレーニングマシンの間を抜け、広めのスペースに三人で立つ。
 エクササイズやヨガ、ダンスの練習なんかに使われることを想定して用意されたスペースなのだが(最近はDVDプレイヤーを持ち込んで某鬼軍曹のブートキャンプなんかしてる奴もいる)。
 今回の目的は少しばかり異なるようで。
 
「探偵なんてのは基本的に体力勝負だからな。今んとこデスクワークだがそのうち外回りにも出てもらうかも知れん。簡単な護身術ぐらい覚えてもらっておいた方がこっちも助かる」
「……」

 こくっとオティアがうなずく。
 なるほど、警察仕込みの格闘術のレッスンって訳か。

「で、ヒウェル。お前、着替えないでいいのか」

 俺の服装はと言うといつものくすんだブルーグレイの上下に綿のワイシャツ(本日の色はクリーム色)、細めのリコリス色のタイ。
 仕事の時はこの格好でどこにでも行くし、他の服もだいたいこんなもんだ。いちいち組み合せを考えずにすむ。
 しかし、少しばかり運動に向いてないのも事実。上着を脱いでレッスン用のサイドバーに引っ掛け、腕をまくった。

「ほい、準備完了」
「……ま、いいだろう……ちょっと手伝え」
「へいへい」

 手招きされるまま、ディフと向き合って立った。

「基本はとにかく身を守ること。その時身近にあるものは何でも使う。投げつけられるものは何でも投げろ。それでも逃げ切れずに接近戦になって、相手が刃物持っていたら……上着を脱いで利き腕に巻く」

 はっと気づくと、がっちりした手で右手首を押さえられた。

「こうして武器を持ってる方の手を押さえて、後ろに回して……こう」

 さすがにやばいと思って暴れたが、ちょっとやそっとじゃビクともしない。単に腕力が強いってだけじゃない。人体のポイントをぎっちり押さえて最小限の出力で効率よく俺の動きを封じていやがる!
 本気で抜けらんねぇ。

「いでででっ、おまっ、本気でやるなっ」
「……本気でやったらこんなもんじゃないぞ?」

 ごもっとも。こいつが力任せにぶちかましたらあっと言う間に傷害罪続出。警官時代にやらかしていたら容疑者への『過剰な暴力』で始末書どころじゃ済むまい。

「体格差のある奴を相手にする時は、足を重点的に狙え」

 唐突に押さえ込まれていた腕が解放され、よろっと前につんのめる。

「じゃ、こいつ相手にやってみろ」
「俺かよっ」
「遠慮するな」
「お前が言うなっ」
「俺だととっさに防御しちまうんだよ」
「そうかーそれじゃ練習にならないもんなー……っておいっ」

 言ってる間にディフは後ろに下がって腕を組み、変わってオティアが前に進み出てきた。
 ……いいだろう。
 荒事は苦手だが相手は16の子どもだ、そう簡単にやられやしないぞ。

「………」

 すっとオティアの体が沈む。
 と思ったら足首に軽い衝撃が走り、気づくと床にひっくり返っていた。

「え?」

 おい、こら、ちょっと待て。
 今、俺に何があったんだーっ?

「よし」

 ディフがうなずいている。
 どうやら足を払われたらしいとその時になって気がついた。

「弱すぎる」
「うわーなんかすっごく屈辱的な言われようなんですけどー」

 かろうじて左の肘をついて直撃は免れていた。が、そのぶん肘が痛いの何のって。だがそんなことはおくびにも出さずに素早く起きあがり(少なくとも自分ではそのつもりだ)、ずれた眼鏡の位置を整える。

 オティアがこっちを見てる。
 気づいた? それとも……心配してくれてるのかな。
 俺の視線に気がつくと、すぐにぷいっと目をそらしてしまった。

(ああ、まったく可愛いよお前って奴は)

「今のは不意打ちだったからだ! もう一回やってみろっ」
「もう一回ねぇ……」
「格闘ゲームだって2R勝つまでは勝負がつかんだろーが」

 ディフが表情も変えずにぼそりと言った。

「お前……馬鹿だろ?」

 あ、なんかいつも言ってる台詞をそっくり返された。微妙にシャクにさわる。

「何とでも言え。ほら、ラウンド2!」

 すっとオティアは踏み込むなり、つま先を踏んづけて来やがった。思わず悶絶したところに肘が繰り出され……ボディに入る直前で止まった。

「う……」

 ぴったり鳩尾の真上じゃねえか。さっきと言い、今と言い、こいつ、人の急所ってもんを知ってやがるな?

「練習にならん。違う相手希望」
「……だ、そーですよ」

 悔しいが俺じゃ、歯が立たない。今のもまともに入ってたらと思うと心底ぞっとする。こそこそと後じさりしてディフと交替する。

「わかった」

 うなずくと、奴は無造作に上着を脱いだ。
 まさか、その下、ランシャツじゃなかろうな? ……良かった、半袖Tシャツだ。

 こいつがノースリーブ着るとかなり、その……エロい。
 もともとディフは鍛えてマッチョになるぜ! と言うタイプではなく、単に体を動かすのが好きなだけで。相当量の運動をハイペースでこなしているうちに自然と筋肉がついたのだ。
 全体的に観賞用ではない実用向きのボディと言った感じで、動きそのものは実に大雑把なのだが、何と言うか……。
 服を着ていても裸でいるような色気を無防備にだだ流しにしていて。
 見ていてつい、ベッドの中ではこうもあろう、ああもあろうと、ロクでもない妄想を掻き立てられそうで……目のやり場に困る。
 当人に自覚がないだけに、余計に始末が悪い。
 高校の時っからロッカールームで何人の男(ゲイの奴限定)を硬直させてきたことか。
 昔っからこうなんだが、レオンとくっついてからは更に磨きがかかったような気がする。

 目の前に立ちはだかった厳つい男を見上げると、オティアはちょい、と手招きし、一言。


「come on」
「……やりにくいな……」

 ディフは苦笑したがすぐに表情を引き締めて。すっと前に出るとオティアに向かってつかみかかった。
 妙にオーバーアクションで無駄が多い。なんつー雑な動きだ。俺を押さえ込んだ時とはえらい違いじゃないか。

 
 オティアは繰り出された太い腕の下に頭をくぐらせ、わき腹を狙ってななめに蹴り上げた。

 ばすん、と鈍い音が響く。

 受けたのか、今の蹴り! さすが熱血体力馬鹿、腹筋に力を入れたんだろうが……痛くないのかお前。
 しかもオティアの頭を逆にがっちりと、ラグビーボールみたいに抱え込んでホールドしている。顔色一つ変えていない。

 オティアはちょっとの間じたばたしたが、すぐに力を抜いて大人しくなった。
 しかし戦意は喪失していないようだ。その証拠に、見ろ。締め上げるディフの腕にしっかり手がかかっている。

 ディフはちらりとオティアの様子を確認し、締め上げる腕を緩めた。
 やりにくそうだ。子ども相手だと今ひとつ力の加減がつかめないらしい。

 途端にオティアの身体が跳ね上がり、顔面を狙ってオーバーヘッドで強烈な蹴りを放ってきた。
 つくづくあいつ、喧嘩慣れしてやがる。どこで覚えたんだ?

 渾身のバイスクル・キックを、しかしディフは軽く手で受け流した。
 奴の腕力なら正面から受けることもできるはずなのに、あえて流れをそらしたのは……オティアの身体への反動を最小限に押さえるためだろう。

(ったく俺を相手にしてた時とはえらい違いじゃないか、ええっ?)

「お前の蹴りは俺には軽い。狙うなら体の末端部に力を集中しろ」
「相手を行動不能にするなら、もっと別のやり方がある」
「……そうだな」

 静かに言うとディフは腕にかかってたオティアの手をとり、あっという間に捻って。床にうつ伏せに倒し、膝を背中に載せて押さえ込んでしまった。
 本来ならこのまま手錠を取り出して後ろ手にかけるのだろうな。

「ぐ」
「……今日はここまでにしておこう」

 そう言って手を離して起きあがる。息一つ乱していない。

「………重い」

 オティアは、と言うとクマの敷物みたいに床にへばっている。(サイズ的には子グマかな)


「ヒウェルよりは歯ごたえあったろ?」
「ウェイトのある相手とは最初からこんなふうにやりあったりしないからな……」

 床に伸びているオティアに遠慮がちに、しかし一応、声をかけてみる。

「立てる? それとも手伝おっか?」
「いらねぇ」

 よれよれとオティアは起きあがった。
 うん、まあ……予想の範囲内ではあったね、うん。


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【3-7-5】母との電話/before dinner

2008/04/04 19:02 三話十海
 久しぶりに自宅に戻ると……なるほど、留守電のライトがぺかぺかと光っている。
 全部、母からだ。
 一応、退院してからも何度かこっちで寝てはいるんだがつい、おっくうで後回しにしていた。

 だいたい自宅にかけてくる人間はごくわずかだし、そう言った連中は急ぎの用事なら留守電に残すよりまず、携帯にかけ直してくる。
 しかし母は例外、あくまで彼女は固定電話にかけないと気がすまないらしいのだ。

 久しぶりに受話器をとり、実家の番号を選んでかける。
 この時間なら親父でもなく兄貴でもなく、母がとるはずだ。

「ハロー、ディー!」

 ほらな。

「バイトの子、入ったのね、名前なんて言うの?」

 開口一番、これか。

「オティア」
「そう。ちょっと緊張してるみたいだけど受け答えのきちんとできてる子だし。いいバイトさん入ってくれてよかったわね! あなたへの伝言もちゃんと伝えてくれたし、珍しくあなたから電話がかかってきたし」
「……母さん。用事は?」


「そうそう、そうだったわね! 結婚するのよ!」

 一瞬、頭の中が真っ白になる。

「……誰が?」
「ジェニーよ。あなたの従姉の」
「ああ……彼女か」

 これが姪っ子ならびっくりだが(まだ3歳だぞ)、ジェニーなら納得だ。

「式は、いつ?」
「来週よ」
「そうか、おめでとうって伝えといて。式場の住所は? 花贈るなら自宅の方がいいかな」
「……帰ってくるって言う選択肢はないのね?」
「ん、まあ、それなりに忙しいんだ」
「ランスが会いたがってたわよ」

 ランスロットは一番上の従兄の息子だ。今年17になる。ちびの頃から俺の後をちょこまかくっついてきたもんだ。
 奴に『おじさん』ではなく『お兄さん』と呼ばせなかったのは人生最大の失敗だったが、最近は前ほど気にならなくなってきた。

「そのうち帰るよ、そのうち」
「なら、いいけど……ああ、そうだ。それであなた、入院したってほんと?」
「いや、もう、退院してるし」

 どこから聞いたんだろう。レオンか、ヒウェルってとこだな、多分。
 おそらくヒウェルだ。あいつ妙にお袋に気に入られてたし。


「ハロー、ヒウェル? なんだかディーと最近連絡とれないんだけど」
「あー、あいつちょっと背中すりむいて入院しまして」
「……命にかかわる怪我じゃないのね?」
「今日、見舞いに行きましたけどね。せっせとダンベルで筋トレしてましたよ」
「そう、ありがとう」


 電話を切ってから改めて留守電のメッセージを再生する。
 
『ハロー、ディー。入院したんですって? 命に別状ないってヒウェルが言ってたけど……』
『退院したら連絡ちょうだいね。それじゃ、愛してるわ』

『留守電ぐらい確認しろよ』

 オティアの声が耳の奥に聞こえた。
 ……まったくだ。

 ごめん、母さん。

 時計を見る。
 そろそろ夕食の時間だ。部屋を出て隣に向かった。

「ただいま。すぐ、飯の仕度するからな」


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【3-7-6】食卓にて/dinner

2008/04/04 19:04 三話十海
「腹減ったー。今日の晩飯、何?」

 いつものように夕飯をたかりに訪れたヒウェルは食卓の上をひと目みるなり蒼白になった。

「俺に何か恨みでもあるのかーっ!」

 本日のメインディッシュはサンフランシスコ名物、カニ。
 ぶっとい足に赤い甲羅に丈夫なハサミ。ボイルされたおおぶりの奴が一人一匹ずつ、ずしん、どばん! と皿の上に鎮座していらっしゃる。

「予測通りのリアクションだな……そう言うと思って、お前の分はロブスターにしといてやったぞ」
「サンキュ、助かったぜディフ」
「前々から不思議だったんだ。シスコ出身なのに、なんでそう蟹が苦手なんだい?」
「あの甲羅のブツブツが苦手なんですよ! 見てるだけで、鳥肌が立つ」
「そうかなぁ」

 くすくす笑うレオンを恨めしげににらむと、ヒウェルは目の前の忌々しき物体から目をそらした。

 サンフランシスコではどっちを向いてもアレの看板にお目にかかる。魚屋の店先には必ずアレがでかい顔をして居座っている。
 だからグルメ企画、それも『シスコの一押しシーフード食べ歩きガイド』なんて仕事だけは極力避けているのだ。
 双子は首をかしげて皿の上のカニとロブスターを見比べている。やがてシエンが口を開いた。

「どうちがうの? どっちも赤くてハサミがあるのに」
「ロブスターはカニじゃない。ザリガニだ」
「阿呆か」

 食卓の中央にどん、どんっと大鉢に盛ったパスタが置かれる。ペペロンチーノとカルボナーラの2種類。
 各自の前には取り皿が置かれ、鉢にはトングが添えられている。
 要するに、食いたい奴は食いたいだけとって食え! と言うことだ。
 付け合わせは温野菜と、カボチャのスープ。こころもち緑黄色野菜が多め。カリフラワーは無し。

「できたぞ。冷めないうちに食え」

 最初のうち、双子はカニをどうやって食べればいいのかとまどっていた。
 ディフがばきっと景気良く甲羅を割るのを見てマネしようとしたが、なかなか上手く行かない。苦戦する二人に気づくとディフは立ち上がり、キッチンからカニ用のハサミをとってきた。

「ちょっと貸せ」

 ばき、べきっと甲羅に切れ目を入れて行く。

「ここの切れ目から割るといい。関節の部分で折って、引き出すとうまく取れるぞ」
「ありがと! 今まで一人一匹なんて食べたことなかったから」
「そうか……」

 すぐに二人ともコツをつかみ、手際良くカニを食べ始める様子をディフは目を細めて。ヒウェルは横目で、ちらちらと見守った。(カニの甲羅が直視できないのだ)

「なあ、ディフ。最近、パスタの出現率多くないか」
「オティアの好物なんだ」
「そうなのか?」
「……」

 もくもくと食べている。確かに気に入っているらしい。カルボナーラよりペペロンチーノの方が好みのようだ。

「なるほどね」

 食事が終わってから、シエンがぽつりと言った。

「どうしてレオンとディフは一緒に住んでないの?」

 ディフは思わず食後のコーヒーを吹きそうになる……が、寸前でどうにか踏みとどまった。

「ど……どうしてって……………」
「だって恋人なんでしょ? 隣の部屋に住んでるなら一緒に住んでも大差なさそうだと思って」
「……いかん、疑問に思ったことがなかった!」
「あー……ないんだ」


 カップを片手にレオンが苦笑する。
 本当は、遠慮がちにルームシェアを提案したのだ。ディフがこのマンションに越してくる時に。
 だがその時は、まだ二人は親友で……それでも高校の時ほど気軽に一緒に寝起きするには互いに意識しすぎていて、微妙な距離を保っていた。

 だから隣同士になるのが精一杯。
 恋人になってからも何となくそのまま月日を重ねてしまったのだ。

「……シエン、そいつが一緒に住むようになったら、俺達は出ていくことになるぞ」
「そんなこと、二度と言うな」
「ごめん、そういう理由で追い出されたことあるから」

 シエンが伏し目がちに答える横でオティアがぼそりと言い切った。

「いや普通に考えても誰が新婚家庭にいたいと思うかと」
「出てくつっても離さないから覚悟しとけ……って誰が新婚かーっ」
「あ、そっか……いくら恋人でもやっぱり同棲はじめるっていうと違うしね」
「そうそう」
「俺を無視して勝手に話進めるんじゃねえっ」

 歯をむき出して怒鳴るディフの隣から、やんわりとレオンが声をかける。

「できれば俺のことも忘れないでいてほしいな」
「……あ」

 ちらっとレオンの顔を見て、真っ赤になってぽそぽそと口にする。『一緒に住まない』理由を探しながら。言葉を選びながら。

「…一緒に住んだら…きっと…ますます甘えてしまうから……かな」
「ふぅん?」
「……適度な距離感が…あった方が……いいんだよ…今は。顔見たいと思ったらすぐ鼻つっこみに来られるし…」

 レオンがうなずく。

(そうだな……一緒に住んだら、きっと我慢できなくなる。君を俺だけのものにしたくなる。誰からも引き離されないように。名実ともに一緒に居られるように)

 今年(2005年)の1月から施行されたばかりのパートナー法の存在が頭をよぎる。

 子どもやパートナーを扶養する義務、パートナーが死亡した際に葬儀を行う権利、遺産相続税や贈与税の免除、家庭裁判所を利用する権利、裁判の際パートナーが法廷でパートナーに不利な証言を拒否できる権利、カップルになった学生が家族用の住居を使用する権利など。

 同性のカップルにも結婚とほぼ同程度の権利と責任が認められるようになったのだ。
 
(それでもね。俺は法の絆で君を縛りたくはないんだ。いつかきっと、つらい思いをさせてしまうから)

 だから……ほほ笑みをもって答えとし、彼の意志を肯定するに留める。


「俺はそもそもあまり家にいないから。ここは寝るための場所でしかなかった…少し前までは」
「…今は?」
「毎日一緒に食事してるだろ?」
「……うん………そうだな……」


(あー、もう、子連れで再婚するカップルじゃあるまいし)

 腹の内でつぶやきつつ、ヒウェルは黙々とキッチンで鍋を洗っていた。

 なーに今さらためらってんだろうねえ。高校ん時は2年も同じ部屋で寝起きしてたくせに。
 一緒の部屋にこそ住んでいないが、一ヶ月の間に何日同じベッドに寝てるのかね、君らは?

 ふと視線を感じて振り返ると、オティアがこっちを見ていた。何となくジムでぶつけた左の肘のあたりをうかがってるようだ。
 
 大丈夫だって。

 にまっと笑って左手を振る。
 まだちょっとうずいたが、んな事ぁどーでもいい。

「………」
「?」

 また、ぷいっと目をそらされてしまった。その隣でシエンが不思議そうに首をかしげ、入れ違いにこっちを見てきた。
 もう一度小さく手を振り、洗い物に戻った。
 やばいな。
 今、俺、にやけてるかも。


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【3-7-7】おやすみ/good night

2008/04/04 19:06 三話十海
 その夜、寝室で。
 例によって泊まることになったディフは嬉しそうにレオンにジムでの様子を報告していた。

「いい蹴りしてんな、あいつ。もうちょっと動きをブラッシュアップすりゃかなり使えるぞ」
「そんなタイプには見えないな……意外だね」
「身を守るため、ってかシエンを守るために身につけたんだろ」
「なるほど」
「優秀だよ、オティアは」

 嬉しそうに笑いながらシャツの裾をめくる。わき腹にうっすら青あざが浮いていた。

「すまん、ここ、湿布貼ってくれるか」
「これは、あの子が?」
「避けるのもシャクだったからな。つい大人げなく受けちまった」
「怪我はしないようにしてくれよ…」

 ぺたりと湿布が貼られた瞬間、ディフはわずかに眉をしかめて身をすくませた。

「ぅっ………ああ。気をつける。ヒウェルは思いっきり床に転がされてた」
「ヒウェルまで参加してたのか」
「どこ行くんだって言われたからジムだって言ったら着いてきたんだ。あー俺も最近運動不足だからなー、とか何とか言って」
「なんというか…随分わかりやすくなったじゃないか。ヒウェルも」
「不気味なくらいにな…最初は同じ里子だから同情してんのかなと思ったが。どうもその範疇越えてるような気がして」
「いや、それは気のせいじゃないよ」
「そうなのか? 双子のうち…とくにオティアの後をついてばっかりいるような気がしたんだが…気のせいじゃなかったのか」

 レオンは思った。
 握った手を口もとに当てている。考え込む時のお決まりの仕草だ。ディフには教えないほうがよかったかな。

「かなり本気のようだけどね…ただ」
「ん?」
「当面は交際禁止だな」
「ああ、犯罪だ。未成年だし。それ以前にヒウェルは存在自体がある意味犯罪だ」

 つきあいが長いだけに容赦ない。

「それでなくても、あの子は考えられる限り最悪の性的虐待の経験者だ。普通に恋愛に発展するかどうかもあやしいね」

 ぎりっとディフが唇を噛みしめる。

「そうだな。ヒウェルには一度クギを刺しておくとして……」
「M26破片手榴弾の一発二発投げ込んどいても釣りが来たな」

 喉の奥から大型犬が唸るような声を出した。かなり本気だ。脅しじゃない。

「ディフ」

 たしなめるような声で名前を呼び、わずかに目を細めて視線を合わせる。
 効果てきめん。凶悪な気配が消え失せ、飼い主にしかられた犬のようにうなだれた。

「…………ごめん」
「君の弁護なら、いくらでもするけどね」
「お前の弁護なら心強いや……でも……そんなことさせたくないよ。約束する、レオン。自重する」
「ああ」

 手のひらで頬を包み込み、さらさらしたライトブラウンの髪をかきわけて額に口付ける。
 微笑んで受けてくれた。


(a day without anything/了)


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【3-8】ペペロンチーノ

2008/04/13 0:25 三話十海
  • 【3-7】の数日後のできごと。
  • 穏やかに続いてきた『食卓』に訪れる一つのうねり、その最初の一波。