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ローゼンベルク家の食卓

【side5】ハートブレイク・ランチ

2008/06/28 4:11 番外十海

 もらってあまり嬉しくないもの。

 期待外れの検査結果。
 帰宅直前の出動要請。
 裁判所からの出頭命令書。
 
 そして………片想いの相手からの弁当の差し入れ。
 しかも、手渡しで。

 ※ ※ ※ ※

 その日、ほんとうに久しぶりにディフォレスト・マクラウドはかつての仕事場を訪れ、後輩のハンス・エリック・スヴェンソンを呼び出した。
 髪の毛はボサボサ、シャツはくしゃくしゃ、白衣を羽織ったままふらりと受け付けに現れたエリックを出迎えたのは、まだ少しやつれてはいるものの以前と変わらぬ快活な笑顔だった。

(良かった……センパイ)

 あの後、捜索の結果、彼の監禁されていた打ち捨てられた安ホテルにたどり着いた。
 現場の捜索を行い、採取した証拠の語る事実と向き合いながら胸を切り裂かれる思いがした。
 病院で目にした、あまりに凄まじい光景と相まって。

「よう、エリック! 久しぶり」
「センパイ」

 答えたきり、言葉が出ない。
 ここがもし、警察署の受け付けでなかったら。二人きりだったなら、迷わず抱きしめていただろうに。

 おそらく彼は笑って抱き返してくれるだろう。だが、それはあくまで友情のハグだ。天地がひっくり返ったとて、恋人同士の甘い抱擁にはなり得ない。
 何て事考えていたら当のご本人が手を伸ばしてばしばしと背中叩いてたりするわけで。
 骨組みのがっしりした手で、ほんの少しだけ遠慮して。それでもぐらりとよろけた。

「どうしたエリック。目が泳いでるぞ?」

 首をかしげてのぞきこんでくる。透き通ったヘーゼルの瞳をいつまでも見つめていたい所だが……結局、目をそらしてしまった。
 顔に早くも気の早い血液が集まりつつある。

(たのむ、ここでうかつに頬なんか染める訳には行かないんだ。落ち着け、落ち着け!)

「いやあ……ちょっと最近、まともな飯食ってなくって」
「相変わらずだなあ。ワーカーホリックも大概にしろよ?」
「……はい。すんません」
「せめてキャンベルを見習え。奴は毎日、スープだけは食ってるじゃないか」
「は、はは、そうですね………」
 
 ずれた眼鏡の位置を直しながら苦笑いを浮かべていると、ディフが肩にかけた大振りのトートバッグから何やら四角い包みを取り出した。
 紙製のランチボックスだ。大きさからして大人向け、一食分。

「何ですか、それ」
「差し入れだ。弁当」

 ぬっと目の前にさし出される。パン。ベーコン。肉と穀類をつつみこんだ油のやわらかな香り。ふわっと温かな食べ物の気配の溶け込んだ空気が漂って来る。

「飯でもおごる、ってのがだいぶたまってるからな」
「……………ありがとうございます」
「ついでだよ。自分たちの分も作ったし」

 手を伸ばして弁当を受けとった。その時、気づいたのだ。
 相手の左手の薬指に光る、銀色の指輪に。シンプルな形状で適度な幅と質感があり、がっちりした彼の手にすっぽりといい具合に収まっている。
 まるでずっと前からそこにあったのだとでも言わんばかりに……だが、ごまかされるものか。
 真新しい銀色の輝きの中央に、ぽつっと青いライオンがいた。騎士の盾のエンブレムさながらに後足で立って。

 ああ。
 そうか。
 そう言うことだったのか。

 彼の笑顔を支えるものがわかった。
 わかってしまった。

「…………………………………………………………………………おめでとうございます」

 最大限の努力を振り絞り、控えめな笑みと、祝福の言葉を引っぱり出した。

「ありがとう」

 ほんのりと頬が染まった。はにかんだ笑顔の上に、桃のシャーベットみたいに淡い薔薇色が広がって行く。
 頭のすみっこでエルビスが歌い始めた。
 あまりにも有名な、あのホテルの歌を。

 こうしてハンス・エリック・スヴェンソンの恋は完膚なきまでに終わった。
 好きだと告げることすらできぬまま。

 その後は最大限の努力を維持しつつ、つとめて平静を装い続け、相手が玄関ロビーを出て行くまで笑顔を保って見送った。

 ※ ※ ※ ※

 革のジャケットを羽織ったがっしりした背中が遠ざかるのを見届けてから、エリックは盛大なため息をついた。
 ふと足元にもわっとした熱気を感じる。見ると、顔と足が茶色で背中の黒いスムースのシェパードがきちっと後足を折り畳んで座っていた。

「……やあ、デューイ」

 手を伸ばし、頭をなでる。指の間で大きな耳がぱたぱた動く。分厚くて、みっしりと柔らかな毛皮に覆われていて……まるでベルベットだ。

「ちょっと温もり分けてもらえる?」

 デューイは耳を伏せて廊下の奥を見た。折しも彼のハンドラー、ギルバート・ワルターが足早に歩いてくる所だった。

「すまん、待たせたな、デューイ……やあ、エリック」
「ども。出動ですか?」
「ああ」
「行ってらっしゃい」

 ハンドラーにリードをとられてのそのそ歩いて行く友人の背を見送る。

 あーあ。
 今日は犬にもふられちゃったな。

「グッドラック、デューイ」

 ランチボックスを抱えてすごすごとオフィスに戻った。
 
 ※ ※ ※ ※

 こんな時に限って、時間がぽっかり空いてしまった。タイミングが悪い。せめて目の回るほど忙しければ、少しは気が紛れるのに。
 ぼんやりと頬杖をついて机の上の弁当を眺める。

『わかったんなら、さっさと仕事しろ!』

 拉致、監禁、及び複数の相手による継続的な暴行。
 薬物も使用されていた。そして背中には……………………。

 あんな酷い目に遭わされた直後だと言うのに、彼は猛然と吼えた。心も体もぼろぼろに引き裂かれながら、自らの怒りと言うよりもむしろ、大切な人を守る為に。

(わかっていたんだ。全て、あの人のためだって)

 明るい褐色の瞳に髪の切れ者弁護士。署内であいつだけは相手にしたくないと恐れられる男。

(オレは、あの人には敵わない………………悔しいけど。すっぱりあきらめるしかないんだ)

 眼鏡を外し、ぎゅっと閉じた目をまぶたの上から押さえる。
 にじんだ涙が拡散し、疲れ目による充血に見える程度に広がり、まぎれてくれるまで、ずっと。
 
 ※ ※ ※ ※
 
 あの赤い髪に指をからめてかきあげるのを何度夢想しただろう。
 首筋にキスをして。くすぐったそうに肩をすくめる姿を何度も夢に見た。ベッドを共にしたいと考えなかったと言えば嘘になる。
 だが、今にして思えば自分は……。
 
 ディフォレスト・マクラウドの隣に居て。彼と笑って、毎日話すことができれば充分だったのだ。
 
 そもそも彼はそれまで自分の付き合ってきた相手とはあまりにもかけ離れたタイプだった。
 がっちりして程よく筋肉質、ハンサムではあるがどちらかと言えば強面。声は張りのあるバリトン、時々地獄の番犬。
 
 初めて会ったのはまだCSIのラボの新入りだった頃。容疑者を連行してきた、目つきの鋭い赤毛の制服警官に凄まれた。

『そら、お望みの容疑者を捕ってきたぞ。責任持って落とせ!』

 くわっと歯を剥き出して、何ておっかない人なんだろうと正直ビビった。
 しかしその後、自分の分析した証拠によって有罪が立証されたことを知ると、廊下ですれ違った時にばんっと背中を叩かれた。

『ありがとな、新入り。お前のおかげだ!』
『どう……いたしまして』
『で。名前、何て言うんだ』

 フルネームを名乗ると彼は首をかしげ、拳を軽く握って口元に当てた。

『ハンス・エリック・スヴェンソン? 長い上に舌噛みそうだな。北欧系か?』
『デンマークです』
『なるほど。俺はディフォレスト・マクラウド。スコティッシュだ。先祖は敵同士だったんだな』

 物騒なことをさらりと言いつつ、にまっと人懐っこい笑みを浮かべる彼に何故だか目が引き寄せられた。

『マックスって呼ばれてる。それで、お前は………ハンス2号か、エリックどっちがいい?』

 当時、鑑識には既に『ハンス』がいたのである。こちらも北欧系の、舌噛みそうなフルネームの男が。

『じゃあ、エリックで』
『OK、エリック。お礼に飯でもおごるよ』

 社交辞令かと思ったら数日後、本当に飯をおごってくれた。
 ただし、それは署の向かいの安食堂のランチではなく意外にも手作りの弁当だった。

『美味いですね。これ……彼女が作ってくれたんですか?』
『いや、俺、今フリーだし』
『じゃあ、ご家族が?』
『実家はテキサスだよ』
『もしかして……………自分で作りました?』
『ああ。そうだ?』

 ちょっと拗ねたような顔で見上げられた。俺が料理するのは変か? と言わんばかりの表情で。

(わあ、なんて可愛いんだろう………)

 その瞬間、エリックは恋に落ちた。


 ※ ※ ※ ※


(これっきりだ、D………もう、あなたの恋人になりたいなんて夢見ることはない。二度と)

 ぐいっと拳で目をぬぐい、まぶたを開けて眼鏡をかけ直す。ぼうっと霞んでいた視界が少しずつクリアになって行く。
 弁当箱は依然としてそこにあった。

(どうしよう、これ。失恋した相手からもらった弁当なんて。今さら食べられないし)

 思う心とはうらはらに、食べ物のにおいに反応してグーっと腹の虫が鳴いた。

(そう言えばここ2週間ほどあったかいご飯を食べていなかったなあ)

 やはり少しはキャンベルを見習うべきなのかもしれない。彼はいつも保温ボトルに入れたスープを持参しているのだ。
 たとえ中味が缶詰のスープだとしても。
 そっと手を伸ばし、ランチボックスのふたを開ける。

「……あれ?」

 ロールパンを縦に割った、こぶりのサンドイッチが3つ。後は小さな耐水性のボックスに入ったおかずがぎっしり。
 エビのチリソース煮、春巻き、ミートローフ、茹でたブロッコリーにニンジン、マッシュポテト。
 何故か微妙に作風がミニマムと言うか、センシティブと言うか……変わっているような気がする。

 もっとこう、同じサンドイッチでもでっかいパンの耳を落さず、そのまま具を挟んだやつとか。
 縦割りにしたバケットにざかざか肉と野菜を挟むタイプのとか……そう言う豪快な系統の弁当だったような気がする、昔ごちそうになってたのは。
 添えられたハシをぱきっと割って、ごく自然に赤いソースをたっぷりからめたエビに手を伸ばした。

「あ、このエビチリ美味しい……」

 ぷりっとした歯ごたえ。適度に甘辛く、ソースの絡み具合も絶妙。
 今まで食べたどんな店のよりも美味かった。テイクアウトの中華など比べようもない。いや、比べようとすること自体がまちがいだ。

「センパイいつ中華作るようになったんだろう? でも、なんか味つけが……あの人らしくないなあ」

 調味料の配合、加熱のタイミングと時間、材料の切り方。どれをとっても繊細で、細やかで。東洋系の人間が作った感じに近い。
 首をかしげならミートローフに口をつけると、こちらは記憶通りの味と食感だった。

「二人で作ってる?」

 改めて弁当を観察すると、そこにはまぎれもなく二人分の作成者の痕跡が浮び上がってきた。一人は大きな手で豪快に作り、もう一人は小さな手で丁寧に、丁寧に作っている。

「……じゃあ、もう一人は……誰なんだろう」

 ぽろっと、涙ひとしずく、机に落ちる。
 ごまかしきれなかった失恋の苦い涙の最後の一滴。
 
 まいった。油断したな……。
 眼鏡を外して袖口でぐいっと目元を拭う。誰にも見られないうち。急いで。できるだけ急いで。

 いつか新しい恋をすることもあるんだろう。
 また誰かと出会って、時めいて……。
 だけど今は少しだけ、思い出に浸っていたい気分だ。

 ハシでエビを一匹つまんで口に放り込む。ぷりっと弾けた。

「あ、それにしても美味しいなあ……このエビチリ」


(ハートブレイク・ランチ/了)


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