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ローゼンベルク家の食卓

【3-13-11】捜索

2008/06/13 3:47 三話十海
「……何やってんだ」

 目を覆う両手を降ろして瞼を開ける。
 オティアが立っていた。

「ちょっと、目が疲れたからマッサージなど」
「ふーん?」

 相変わらず興味なさそうな顔をして、テーブルの上に出しっぱなしにしていた俺の取材ノートをぱらぱらとめくっている。

「きったねぇ字」
「悪かったな。俺が読めりゃいいんだよ」

 ぱたんとノートを閉じてこっちを見上げてくる。
 だったら説明しろよ………目が語っていた。
 こんな時、いつもならレオンとディフ、三人で話しながら考えをまとめる。だけど今はディフがいない。レオンも相談相手にはいまいち不向きな精神状態だ。
 いいだろう。今、話せる相手は、こいつだけだ。

「根っこが意外に深かったんだ……俺がまだ記者になりたての時に手がけた事件で。レオンも関わってた。本人は知らなかったろうけれど、ディフも」

 とつとつと語る。
 2001年から2002年にかけて俺たち3人の関わったあの事件を。昼休みのアイスクリームスタンドから始まって、冷たい雨の降る夜に終わった一件を。

(終わったと思ったんだ、あの時は)

「何故ディフに言わなかったんだ? 当事者だろう」
「そうだな……表向きはまだ、あいつは狙われてもいなかったし……被害者でもなかったし……」

 ルースの笑顔が。目を伏せて、グラスの中の酒を無言であおるディフの姿が脳裏をよぎる。
 7月の冷たい雨の降る夜に、三人でぐだぐだになるまで飲んだくれた。
 この部屋の、この場所で。

(言うべきだったんだろうか。言っていたら、こんな事にはならなかったんだろうか?)

「言えなかったんだ。俺も。レオンも」
「……セクハラ受けててもきづかなそーだしな……」
「あー、お前もやっぱそう思う?」

 自分一人を責めちゃいけない。レオン、俺も同罪だ。

「パリスの別れたカミさん……恋人と家出てったんだけどな。見事な赤毛だったんだ。当時、奴はレオンがディフの恋人だと確信していた。……同じなんだよ。求めているのに、相手の心は別の男にある」
「ふーん……それでぶちこまれたけど、すぐにでてきたわけか」
「ああ。当時はレオンもまだ見習いだったからな。俺も、すぐに担当外されちまったし」

 苦い記憶に口の端が歪む。

「若干の異常性は認められるが、パリスの奴は刑務所でも模範囚だったし」
「市警の……」
「……ん?」
「同僚に。いるだろう、仲良かった奴とか。ディフの情報をあつめたはずだ。接触してる」
「ああ。その通りだ」

 眼鏡をかけ直し、床に落ちた上着を拾い上げた。確かディフの次にパリスの相棒になった奴がいたはずだ。

「電話……いや、直に話した方が口は割らせやすい……ちょっと出てくる」


 ※ ※ ※ ※


 ヒウェルを見送ってからオティアは部屋に戻った。
 携帯を取り出し、渡されたメモのうち上に書いてある番号にかけた。

「ハロー、オティア。どうしたの?」

 かすかにハスキーがかった女の声。ダーヘルムとか言う捜査官だ。

「……話がある」

 ついさっきヒウェルから聞いた昔話を要領よく伝える。彼女は時折短い質問を挟みながら聞いた。

「市警察の、パリスの元同僚。ディフの情報を集めるのに接触してると思う」
「OK。今、Hはそっちに行ってるのね?」
「多分」
「わかったわ。ありがとう。助かった」

 今だ。

「ついでに頼みがある」
「何?」
「探偵事務所の通話記録、あたってるだろう。教えてくれ」

 もう一人の捜査官、バートンが相手ならここまでは頼めない。だがこの女捜査官は違う。
 最終的に事件を解決し、被害者を救出するためなら多少のイレギュラーな方法もいとわないはずだ。
 果たして、すぐに返事があった。

「わかった。数字が続くから、ミスのないようメールで送るわ。あなたのアドレスは?」

 自分の携帯のアドレスを告げ、電話を切る。
 後ろで見守るシエンを振り返る。毛布にくるまり、目に涙をいっぱいに浮かべている。

「……大丈夫だから」

 小さくうなずいた。
 もうじき、メールで情報が届く。そうしたらアレックスに伝えよう。自ずとレオンにも伝わるはずだ。

 微かに携帯が震動する。
 思ったより早かった。パソコンからか?

 送られてきた通話記録のリストに目を通すと、折り返し電話をかけ直す。

「ちゃんと届いた?」
「届いた。リストの1番目はCSIからだ、除外していい。2番目は市内の動物病院、3番目は常連客、4番目は……」
「ちょっと待って。あなた、全部番号覚えてるの?」
「ああ」
「……驚いた……」

 電話の向こうでがさごそと動く気配がする。

「OK、メモとる準備ができたわ。もう一度お願い」
「わかった」

 頭の中の通話リストを一つずつ消して行く。そして最後に一つだけ、知らない番号が残った。

「この番号は今までかかってきたことがない」
「………そう。助かった。ありがとう。また何かあったら知らせて」
「わかった」


 ※ ※ ※ ※


 市内の警察署の近くには、大抵、警官がよく飯を食いに来る店がある。それほどお高くないカジュアルな店で、制服で平気で出入りするから半分職員食堂みたいな店が。
 ご多分に漏れずセントラル署の近くにもそんな店があった。油染みた壁紙、ギンガムチェックのビニールクロスのテーブル掛け、ガラスの器の中のシナモンロールにベーグル、デニッシュ、ドーナッツ。嬉しいくらいにフォーマット通りの安食堂。

 俺の記憶が正しければ、目当ての男はかなりのヘビースモーカーだった。四年の間に禁煙してなければの話。

 喫煙者用のブースでコーヒーとチリビーンズの皿を手に張り込んだ。胃の具合はお世辞にも好調とは言いがたい。しかしこいつならどんな時でも喉を通る。
 ちびちびとチリをスプーンですくって口に運び、煮詰まったコーヒーをすする。半分ほど片付けたところで目当ての男が現れた。
 あいにくと連れがいたが、相棒に喫煙の習慣は無いらしく。コーヒーとドーナッツを片手にこっちに歩いて来る。
 カウンターに腰かけ、制服の胸ポケットをまさぐり、煙草の箱を取り出して。一本口にくわえたところでさりげなく、銀色のオイルライターをかちりと灯してさし出した。

「どうぞ」
「ああ……ありがとう」

 巡査の目がライターの表面に刻まれた赤いグリフォンに引きつけられる。二、三度まばたきしてから、俺の顔を見上げてきた。

「あんたは……」
「ども、お久しぶりです」

 眉をしかめた。いいさ、歓迎されないのは初っ端からわかってた。だが俺もあの頃の駆け出しとは違うんだ。
 しかめっ面一つでおめおめ引き下がったりはしない。

「何しに来た」
「そんなに警戒しなさんな。今は俺はプライベートタイムでね。これは仕事じゃない。あくまで個人的な調べものだ……OK?」

 不審げに煙草をふかしてる。こっちも一本とって火をつけて、一服、二服吸い込み、ゆっくり吐き出した。
 煙が二筋立ちこめる。巡査の吸う甘ったるい煙草の香りと、俺の吸ってるメンソールのミントの香りが混じり合い、ねっとりと油っこい空気に溶け込んで行く。

「珍しいですね。それ、バニラアイスの香りがする」
「アロマ・バニラって言うんだ」
「おう、そのまんまだ、わかりやすい。確か、あなた以前はもっとキツいの吸ってませんでした?」
「女房がいやがるんだよ。煙草のにおいがきついって」
「ああ、なるほどね……結婚したんだ。おめでとうございます」
「……………用件を言え」

 ふっと煙りの輪、一つ。口をつぼめて吐き出し、宙に浮かす。

「最近、会ったでしょう」
「誰に?」
「フレデリック・パリス」

 動きが止まる。Yesと言ったも同然だ。

「所轄ならご存知ですよね。ディフォレスト・マクラウドが誘拐された。じきに容疑者の名前も上がるでしょう……」

 携帯用の灰皿を取り出してきゅっと吸い殻をねじ込み、眼鏡を外す。レンズ越しではなく、直に相手の顔を見る。

「彼は俺の友人で………………かけがえのない家族なんだ。取り戻したい、一秒でも早く」

 こんな台詞、本人の前じゃ逆立ちしたって言えやしない。

「教えてください。どんな小さな事でもいい」
「……わかったよ」

 巡査の口は、四年前のあの時ほど固くはなかった。
 愛想笑いやゆるやかな脅しより、効果的な交渉法ってのもあるんだな。

「二ヶ月ほど前だ。パトロール中にひょっこりフレディと出くわしたんだ……」

 うなずいて、先を促す。

「懐かしさもあったし……あんなことがあったけど、俺にとっちゃいい相棒だったし」
「マックスも、きっと同じことを言う」

 初めて彼は俺の目を見た。

「昔話をしているうちに、聞かれたんだ。マックスが今、何をやってるかって」
「答えたんですね?」
「ああ」
「警察を辞めて、探偵事務所をやってることも」
「そうだ」

 そこまで分れば後はイエローページで事足りる。

「他に、聞かれたことは?」
「いや………俺にも警察官の良心はある。言っていいことと、悪いことの区別はきっちりつけたさ」
「ほう?」

 ちょいと引っかかる言い方だ。してみると公僕の立場からパリスに伏せなきゃならん情報があったってことか。
 それも、かなりシリアスなレベルで。
 突っ込むべきか、引くべきか。迷ってるうちに、立ちこめる紫煙に顔をしかめながら彼の相棒が迎えに来てしまった。
 胡散臭いフリーのジャーナリストとしちゃあ大人しく見送るしかなかった。
 何せ周りには制服私服合わせて警察官がうじゃうじゃいる。これ以上引き留めて反感を買う訳にも行くまい。

 釈然としない気分のまま眼鏡を掛け直し、チリとコーヒーの代金を払って店を出た。
 

 ※ ※ ※ ※


「ああ、パリスは娘に対して接近禁止命令を出されているんだ」

 レオンが事もなげに答えをくれた。情報の出所は四年前にパリスを担当した弁護士だと前置きして。

「申請したのは、別れた奥さん?」
「そんな所だね」

 集めた情報を通してルースを取り巻く事情がおぼろげながらに見えてきた。四年前より、はっきりと。
 俺の記憶の中の彼女はまだ、ちょっと痩せっぽちの十四歳の少女のままだけれど……。

 パリスが離婚したのは娘が6歳の時だった。以来8年間ずっと父一人、娘一人で生きてきた。
 会いたいはずだ。
 会おうとしたはずだ。
 だからこそ母親も法に訴えてまで父親の接近を阻んだのだろう。
 
 恋愛は個々の自由、さりとて堅実な警察官だった(当時はまだ)夫と娘を残して年下の恋人の元に走った女を笑顔で見守るほど、世間は寛大ではない。
 元夫の逮捕は、娘を取り戻す一発逆転の絶好のチャンスだったに違いない。

「……ヒウェル?」
「あ、いや、何でもありません」
「大丈夫かい?」

 目の下にうっすら隈が浮いている。その言葉、そっくりあなたに返したいよ、レオン。

「大丈夫ですよ………それで、ですね」

 ぺらっと手帳をめくる。今開いたページにはついさっき、かつての情報提供者からもう一度集め直したネタがびっしりとメモしてある。

「パリスの奴、警察官時代から複数の犯罪組織と繋がりがあったんですけどね。中でも特に親しくしていたとこがありまして」
「例の『蠍の尾の蛇』だろう?」
「ええ……ご存知でしたか」
「ああ。これでもいろいろと話してくれる知人は多いからね」
「さすがですね」
「君ほどじゃない」

 出所後、パリスは『蠍の尾の蛇』に幹部待遇で迎えられ、表向きは一般企業を装う組織の裏の仕事を手がけていた。
 これまでの調べで裏仕事を手がける幹部の存在には気づいていたのだが、よもやそいつが昔なじみだったとは。

「四年前は世話になったなぁ。お前と、あの忌々しい眼鏡の記者に……」

 今回の一件、単なる犯罪組織の意趣返しだけでは終わらない。もっと根の深い、パリスの個人的な復讐でもある。
 奴はレオンに迎えに来いと言った。
 この手の事件は誘拐だけが目的ではない。見せしめに、拉致した人質がどうなったかを見せつけるのも犯行の目的なんだ。
 生死に関わらず。

「手札が……足りない……」

 落ち着け、ヒウェル。
 これは駆け引きだ。
 少しでも有利に事を運ぶにはどうすればいい?
 既に向こうはレオンの最愛の人を手中に収めている。

「だったら相手にとって同等か、それ以上の価値があるものを入手すればいい」
「………レオン?」
「一般論だよ」

 嘘をつけ!

 だが、真実だ。
 ディフ以外にパリスが心を動かされる相手がいるとしたら、そいつは娘のルース以外にいない。
 彼女なら父親を説得できるんじゃないか?

 携帯を取り出し、開く。
 舌の奥に濃厚なチョコレートの味と香りが蘇る。

「あ! あなたが靴下丸めて脱ぎ捨てて、絶対片付けないヒウェル?」
「他にも知ってるよ、あなたの事。ウェールズ系で、カメラが好きで、チョコが好き」
「うんうん、よく知ってるねぇ……君も、ロッキーロード好きなんだ」

 俺は、あの子に対して四年前より酷いことをしようとしているのかもしれない。
 けれど。
 今は迷っている時間が惜しい。

「ハロー、H?」
「やあ、エリック。ちょっと頼みたいことがあるんだけど……いいかな」
「俺にできることなら」
「ルーシー・ハミルトン・パリスの現住所が知りたい。フレデリック・パリスの娘だ」
「………あの子ですか………わかりました。折り返し電話します」
「頼むよ。24時間、いつでもいい」
「了解」

 10分後にエリックから電話があった。
 ルースは母親との折り合いが悪く、大学進学と同時に家を離れていた。
 現住所はレッドウッド・シティ。サンフランシスコから南に行って、車で1時間もかからない町だ。

「俺が運転しますか。それとも、あなたが?」

 黙ってキーをテーブルの上に乗せた。賢明な判断だ。今、こいつにハンドルを握らせる訳には行かない。

「……お借りします」


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