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ローゼンベルク家の食卓

【3-13-12】★★再会

2008/06/13 3:49 三話十海
 車の助手席でレオンはずっと目を閉じて、黙っていた。
 それでも時折携帯が鳴ると目を開き、素早くポケットから引き出し耳に当てる。
 昨日の夜から、何度も見た仕草をくり返す。
 やっぱり寝てないんだな……。


 ※ ※ ※ ※


 カーナビの案内に従って走って行くと、つつましいアパートにたどり着いた。
 呼び鈴を鳴らすと、ブロンズ色の巻き毛に浅黒い肌のすらりとした娘が現れた。
 ギリシヤ彫刻の女神のような彫りの深い顔立ち。二重の瞼に、夢見る様なアーモンド型の瞳……ああ、予想通りだ。やっぱり美人になったな、ルース。

「ルーシー・ハミルトンさん?」
「はい?」
「覚えてますか、俺を」
「あ………」

 瞼が細められ、グリーンの瞳が記憶をたぐるように左右に動く。
 これは賭けだ。
 父の犯罪を暴いた男と、ディフの友人と。果たして彼女はどちらの俺を覚えていてくれるだろう?

「ヒウェル? マックスの、友だちの」
「はい」
「靴下丸めて脱ぎ捨てて、絶対片付けない」
「そう、その、ヒウェルです」

 ぽってりした唇の口角が上がり、ちらりと白い歯が見える。適度に控えめで、なおかつ若い娘らしい無邪気なほほ笑み。
 賭けは吉と出た。幸運の女神はまだ俺を見捨ててはいないらしい。

「こちらはレオンハルト・ローゼンベルク。弁護士で、俺の高校時代の先輩で……」

 ルースの視線がレオンに移る。

「マックスの、恋人」
「え?」

 わずかに彼女が動揺したところでレオンが穏やかな……この上もなく穏やかな笑みを浮かべて、するりとルースの心のすき間に滑り込む。

「大事なお話があるんです。中に入っても?」
「……どうぞ」


 ※ ※ ※ ※


 レオンから一部始終を聞くなり、ルースは青ざめ、くしゃっと顔を歪ませた。

「パパが……マックスを誘拐したって……そんなっ」
「貴女にはもう、何の関係もないことだし……関わりたくもないだろうけれど」

 そっとレオンが目を伏せる。恋人の身を案じ、打ちひしがれた男の姿を完ぺきに演じている。
 そう、演技だ。彼の本音はこんなもんじゃない。

「それでも……どうか……助けてほしい」
「………………少し…考えさせてください…」

 静まり返った部屋に着信音が響く。レオンが素早く携帯を取り出し、開いて耳に当てた。

「やあ、パリス」

 二度目の脅迫電話だ。

「やあローゼンベルク。ベッドの上から失礼するよ………」

 音量を上げたのか、レオン。
 少しでも聞き取りやすくするためか、それとも……彼女に聞かせるために?

「あぁ……白い花をむしりとって……泥の中に叩き付けて踏みにじるってのはこう言う気分なのかねえ…癖になりそうだ」
「君のポエムにつきあっている暇はない。これでも忙しい身なんでね」
「そいつは……残念……。そうそう、時間と場所だったな……時間は21時に……場所は……ハンターズ・ポイントの……倉庫街……番地……は……」

 細い金属。おそらくはベッドのスプリングの軋る耳障りな音の合間に、掠れた声が聞こえた。
 弱々しく、今にも途切れそうに。だが、確かにそれは彼の声だった。

「来るな……レオン……ぅ…あ……やめ……あぁっ」

 途中から悲鳴に変わる。
 パリスが細かい場所を指定する間、ずっと聞こえていた。
 レオンは淡々とした口調で応えながらメモをとる。仕事の打ち合わせでもしてるみたいに淡々と。

 それが、かえって恐ろしい。

 殺気だけで人が殺せるとしたら、間違いなくパリスは煉獄をすっ飛ばして地獄の最下層までたたき落とされているだろう。
 業火に焼かれるのではなく、未来永劫、氷漬けになって。

「わかった、では21時に」

 そして電話が切れた。
 電話を切ったあと、レオンはしばらく動かない。
 ルースも動かない。父親の命が危ないと察知したのだろうか。それとも、ディフの身を案じているのか。
 二人とも身動き一つしない。表情一つ動かさない。まるで石の彫像だ。
 俺は俺でずっしりと水吸ったみたいに重い心臓を抱えたまま、二体の美しい彫刻を見守るしかなかった。

「……行こう。やはり彼女を頼るべきじゃなかった」
「レオン?」

 携帯を閉じて内ポケットに滑り込ませると、レオンは流れるような仕草で席を立った。

「失礼します。お騒がせしてすみませんでした」
「待って!」

 弾けるような動きでルースが立ち上がった。

「私…………お手伝いします」
「しかし……貴女も危険になる。今更私が言うことではないですが……」
「あんな人でも父親なんです……止めないと……」

 レオンはうなずいた。慈愛と感謝の溢れる控えめな笑顔。しかしライトブラウンの瞳は凍てつき、石よりもなお硬く。本来のあたたかな色をことごとく裏切っている。

 …………やりやがった、この男。


 ※ ※ ※ ※


 ルースの家を出て、車に乗ろうとした所で携帯が鳴った。
 シエンからだ。

「ハロー、シエン」
「……………ヒウェル」

 泣きそうな声だ。って言うかお前、泣いてるな? 俺の名前を呼んだきり、言葉が出ないようだ。

「大丈夫だよ、シエン。大丈夫だから」
「う………うん……」
「ディフは生きてる。さっき声を聞いた。大丈夫だよ」
「うん…………」

 電話の向こうで、とうとうシエンは本格的に泣きだしてしまった。

「シエン。俺が」
「う……うん」

 携帯がオティアに渡されたらしい。

「今、どこにいるんだ?」
「レッドウッド・シティ。これからそっちに戻る」
「お客様がいるよ」

 ひょい、と横からレオンが顔を突っ込んできた。素早いな、さっきルースをエスコートして後部座席に乗せてたと思ったら。

「客?」
「ああ、ご婦人が一人だ……アレックスに飯は一人増えるって言っといてくれ。それと、デザートはチョコレートを使ったやつで頼む」
「ご婦人って……」

 あ、あ、何、お前、その不審そうな声は。

「誤解すんな。昔の知り合いだよ」

 言ってから、余計に誤解招く表現だなと気づいて慌てて付け加える。

「……ルースだよ」
「そうか」

 これで通じるはずだ。四年前の一件を話す時に彼女の名前はオティアに聞かせた。

「言っとく」
「頼んだ」

 電話を切り、ため息をつく。
 シエンにどんな声なのか聞かれなかったのは幸いだった。

 たとえそれが悲鳴でも、ディフが生きていると確認できたことに変わりはない。

「……行きますか」
「ああ」

 車に乗りこみ、ベルトを着けて走り出す。
 サンフランシスコまで1時間。長いドライブになりそうだ。


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