▼ 【3-13-19】対決
海の匂いがする。
潮の香、なんて叙情豊かな表現では追いつかないくらいに強烈な、ぬるりと湿った生臭い海水の匂い。
古くなった油、濡れたコンクリートにへばりつく藻、命果てた体の腐ってゆく匂いが溶け込んだ、決して飲めない混沌のスープ。
ひと息吸い込んだだけでずしりと腹の底が重くなる。
どこからか、かすかに騒がしい音楽が聞こえてくる。ラップだろうか。ヘヴィメタだろうか。相当な大音量で流しているのだろうが、ここからは遠い。細かい部分は霞んで消えて、捩れた騒音だけが耳に響く。さながら音の亡霊だ。
「ヒウェル。アレックス」
「はい」
「時計を合わせよう。30分経って戻らなければ警察を呼んでくれ」
「……了解」
「それまでは、ここで待っているように。決して車から降りてはいけないよ。いいね」
言い残すとレオンはルースを伴い車を降りた。彼女が降りる時、申し分のない礼儀正しさで手を貸し、導いて。
ヒウェルは秘かに舌を巻いた。
一見紳士的な態度だが、その実、巧みに彼女の逃亡を防いでいる。あれじゃルースも逃げられまい。
積み上げられたコンテナと、雑に押しつぶされた車の残骸。黒々と立ちはだかる歪な壁を抜けて二人が歩いて行く。
行く手に立ちはだかる倉庫の窓からは、微かに明かりが漏れていた。
※ ※ ※ ※
倉庫の中は屋根が有る事を除けばあまり表と違いはない。乱雑に積み上げられたコンテナの間を抜けて歩いて行くと、中央近くにぽっかりと空間が空いていて、人だかりがしていた。
男ばかり、全部で7人。
うち、一人がレオンの姿を認めて人だかりの中央に声をかける。
「……ボス」
それを合図にすっと男たちが左右に分かれる。中央に青い防水シートが敷かれ、その上に二人の人間がいる。
床に押し倒された一人の上にもう一人がのしかかり、何事か囁いている。
倒された方が弱々しく首を振る。赤い髪を確かめるより早く、それが誰なのか、わかっていた。
「その手を離せ」
フレデリック・パリスはゆっくりと立ち上がった。手を離す間際にぎりっと、組み敷いた虜の肌に爪を立てて。
小さな悲鳴があがる。
「やあ……遅れずに来てくれて嬉しいよ、ローゼンベルク」
レオンに背を向けたまま、うっとりと目を細めてシートの上で身を震わせるディフを鑑賞している。
「……彼を帰してもらおう」
ようやく、パリスは振り向いた。口元に浮かぶ嘲りの笑みが途中で強ばる。食い入るようにレオンの背後を凝視していた。コンテナの陰に立つルースのすらりとした影が落ちる床を。
「待て。一人で来いと言ったはずだぞ。もう一人居るな。誰だ?」
「心配しなくても、君のよく知ってる人だよ」
「な……まさか……」
震えながらもき然とした足どりでルースが進み出て、レオンの隣に立った。
「ルース?」
「パパ!」
「貴様……娘をどうするつもりだっ」
明らかに動揺している。四年の歳月を経ても父娘の絆は失われていなかった。やはり彼にとって娘の存在は大きいのだ。
(ヒウェル、君の読みは正しかったよ)
そっとレオンはルースの肩に手をかけた。
「随分丁寧な扱いをしていただいたようだから、ね」
「待て……娘には手を出すな! まさかしないだろう? 堅気の弁護士が…」
レオンは黙ってほほ笑む。
凍えるような殺気が滲み出す。ルースがびくっとすくみあがった。
「わかった。彼は返す、だから娘にだけは……」
「賢明な選択だね」
「奴を連れて行け」
「しかし、ボス」
「いいから、さっさと連れて行け!」
部下が二人、ディフを両脇からかかえて引きずって来た。
「行きなさい」
「ローゼンベルクさん」
「巻き込んですまない、ルーシー」
「……はい」
こくり、とうなずきルースが歩き出し、パリスの部下に迎え入れられる。こちらを何度も振り返りながら父親の元へと歩いて行く。
ほっそりした肩から離した手でそのままディフの体を抱きとめる。
上着も、靴も、靴下も失われていたが、かろうじて家を出た時と同じシャツとジーンズを身につけていた。しかしシャツは引き裂かれてところどころに血がにじみ、ほとんど肩にかかっているだけだ。
左の頬に一筋、生々しく赤い切り傷が走り、体中至る所に陵辱の爪痕がくっきりと刻まれている。
ただ髪の毛だけはつやつやと美しく整えられていて、それ故に一層、体の傷が際立って見えた。
二日間。
たった二日間離れた間に、どれほどの責め苦が彼の体を通り過ぎたのか。
居合わせるパリスの手下どもが粘つく視線を向けている。露骨に歯を見せ、舌を閃かせ、せせら笑っている奴もいる。
(やめろ)
(そんな目で彼を見るな)
「……ディフ……」
ぴくりと肩が震え、虚ろなヘーゼルブラウンの瞳が見上げてきて。
一瞬で表情を取り戻した。
血のにじんだ唇が動く。掠れ切ってほとんど声にならない。
『 レ オ ン 』
首筋の火傷の跡の上に生々しい歯形が残っていた。一つではない。くり返し何度も、執拗に狙ってつけられたのだろう。
「来るなって…言ったじゃないか……」
「それは……聞けないよ……」
「レオ……ン……っ」
震える手で弱々しく服を握ってきた。両方の手首にくっきりと赤い筋が刻まれている。
抱きしめたその時、シャツが肩から滑り落ちた。
「っ!」
背中に真新しいタトゥーが刻まれていた。広げた翼に絡み付く蛇。皮膚が赤く腫れ上がり、渇いた血が赤黒くこびりついている。
禍々しい血染めの翼。
誰が。何のために入れたのか。
理解した瞬間、銃を抜いていた。
息をするよりも自然な動作で。それと意識するより早く。
※ ※ ※ ※
車の助手席でヒウェルは時計を確かめた。
約束の時間までにはまだ間がある。しかし、もう待てない。これ以上ぐずぐずしていたら手遅れになる。
(ごめん、レオン。俺やっぱり見過ごせないよ)
SPは連れていない。だが懐に銃がある。
あいつが日頃、銃を持ち歩かないのは撃ち方を知らないからじゃない。なまじ腕が良すぎて危険だからだ。
気づいた時は撃っている。
ディフと違って警告は無し。威嚇も無し。レオンが銃を撃つのは、相手を仕留める時だけだ。
これはレオンに対する裏切りだろうか? 彼が怒りをぶつける唯一の機会を、奪ってしまうのではないか。
それでもいい。後悔はしない。
薄暗い車の中に、ぽつっと四角い白い灯りがともる。
携帯の画面だ。
だが、俺のじゃない。俺のはまだ開いていない。
「ハロー、オルファ」
「え………オティア?」
運転席のアレックスがちらりと後ろを見たが、何も言わない。
「お前、何でっ」
「……レオンが今出た」
電話の向こうでちょいとハスキーな人妻の声が答える。
「OK、位置を教えて」
まだ頭が混乱してる、だがとにもかくにもFBIに繋がってる事は確かだ。カーナビに手を伸ばし、座標を読み上げる。
即座にオティアが復唱し、向こうに伝えた。
「わかった。ローゼンベルクはそこに居るのね?」
「ああ、いるよ! パリスと手下どももね」
「あらH。元気? すぐ行くから。そこを動かないで」
「了解」
オティアは平然と電話を切った。
いつの間に。
いや、いつから?
聞きたいことはいろいろある。だが今は……
(奴を殺人犯にする訳にはいかないんだ。頼む、早く来てくれ……)
※ ※ ※ ※
レオンが銃を抜くと同時に、パリスも銃を抜いた。
やや遅れて手下たちも銃を抜く。しかし、微妙に及び腰だ。ちらちらとボスの顔色をうかがっている。
ビビってやがるな。
パリスは舌打ちした。
無理もない。この男を殺せばローゼンベルクとガリアーノ、ロスを拠点にする二つの強力な一族を敵に回す。そんなことになったら潰れかけた組織はひとたまりもない。
だからマックスを狙ったのだ。身内でも何でもない。しかし奴にとって何より大事な存在を。
見る影も無く汚辱にまみれて、ボロボロに引き裂かれた奴の天使を目の前に放り出して、思い知らせてやるのが本来の目的だった。
二度と俺たちに刃向かうな、と。
だが……。
今、目の前で抱き合う二人を見て狂おしい嫉妬がわき起こる。青黒い炎が胸を、腹を内側から焼き尽くす。
(こいつらをこのままにしておくものか!)
「二人そろってあの世に送ってやる、と言いたい所だがな。俺は慈悲深い男なんだ」
唇がめくれあがり、引きつった笑みを形づくる。そのくせ声だけは妙に落ちつき、静かに響き……語尾が僅かに歪み、震えた。
「お前は殺さないよ、ローゼンベルク。だがその男はもらって行く……一生、お前の手の届かない所で……飼ってやる」
びくりとディフがすくみ上がり、顔を押し付けてきた。弱々しく首を左右に振り、体全体が細かく震えている。指の関節が白くなるほど強く服を握り、すがりついて来る。
「や……だ……いやだ………レオン……っ」
レオンは迷わずパリスに銃口を向けた。左手でディフの体をかき抱いたまま、右手を真っすぐに伸ばして。
(もう一度ディフを奪われるくらいなら……今、ここで死んだ方がマシだ!)
(だがパリス。お前だけは刺し違えてでも葬ってやる。二度と彼には触れさせない)
二人の殺気が交錯し、束の間沈黙がその場を支配した。
「パパ、もうやめて!」
ルースが父親の腕にすがりつき、半狂乱になって叫んだ。
「これ以上、マックスに酷いことしないで!」
「ル……ス……?」
よろよろとディフが顔を挙げ、わずかにろれつの回らない口調で、たどたどしく彼女を呼んだ。
「ごめんね……マックス………ごめんね……」
「下がってろ、ルース!」
「いや!」
レオンはわずかに眉をしかめた。
……不味いな。今撃つと彼女に当たる。
確実に奴に当てなければ意味がない。
邪魔だ。
位置を変えてもらおう。父親か娘、どちらかに。
ほんの少しでいい……そう、ほんの少しで。
「君は娘も巻き込む気か?」
「何?」
「その娘は無理矢理連れてきたわけじゃない。彼女の意思でここにいるんだ」
パリスがわずかに体をひねり、娘の顔を凝視する。信じられないと言った表情で。
いい動きだ。もう少し……。
撃てるのはおそらく一発。だが、それで充分だ。
次へ→【3-13-20】俺の天使に手を出すな
潮の香、なんて叙情豊かな表現では追いつかないくらいに強烈な、ぬるりと湿った生臭い海水の匂い。
古くなった油、濡れたコンクリートにへばりつく藻、命果てた体の腐ってゆく匂いが溶け込んだ、決して飲めない混沌のスープ。
ひと息吸い込んだだけでずしりと腹の底が重くなる。
どこからか、かすかに騒がしい音楽が聞こえてくる。ラップだろうか。ヘヴィメタだろうか。相当な大音量で流しているのだろうが、ここからは遠い。細かい部分は霞んで消えて、捩れた騒音だけが耳に響く。さながら音の亡霊だ。
「ヒウェル。アレックス」
「はい」
「時計を合わせよう。30分経って戻らなければ警察を呼んでくれ」
「……了解」
「それまでは、ここで待っているように。決して車から降りてはいけないよ。いいね」
言い残すとレオンはルースを伴い車を降りた。彼女が降りる時、申し分のない礼儀正しさで手を貸し、導いて。
ヒウェルは秘かに舌を巻いた。
一見紳士的な態度だが、その実、巧みに彼女の逃亡を防いでいる。あれじゃルースも逃げられまい。
積み上げられたコンテナと、雑に押しつぶされた車の残骸。黒々と立ちはだかる歪な壁を抜けて二人が歩いて行く。
行く手に立ちはだかる倉庫の窓からは、微かに明かりが漏れていた。
※ ※ ※ ※
倉庫の中は屋根が有る事を除けばあまり表と違いはない。乱雑に積み上げられたコンテナの間を抜けて歩いて行くと、中央近くにぽっかりと空間が空いていて、人だかりがしていた。
男ばかり、全部で7人。
うち、一人がレオンの姿を認めて人だかりの中央に声をかける。
「……ボス」
それを合図にすっと男たちが左右に分かれる。中央に青い防水シートが敷かれ、その上に二人の人間がいる。
床に押し倒された一人の上にもう一人がのしかかり、何事か囁いている。
倒された方が弱々しく首を振る。赤い髪を確かめるより早く、それが誰なのか、わかっていた。
「その手を離せ」
フレデリック・パリスはゆっくりと立ち上がった。手を離す間際にぎりっと、組み敷いた虜の肌に爪を立てて。
小さな悲鳴があがる。
「やあ……遅れずに来てくれて嬉しいよ、ローゼンベルク」
レオンに背を向けたまま、うっとりと目を細めてシートの上で身を震わせるディフを鑑賞している。
「……彼を帰してもらおう」
ようやく、パリスは振り向いた。口元に浮かぶ嘲りの笑みが途中で強ばる。食い入るようにレオンの背後を凝視していた。コンテナの陰に立つルースのすらりとした影が落ちる床を。
「待て。一人で来いと言ったはずだぞ。もう一人居るな。誰だ?」
「心配しなくても、君のよく知ってる人だよ」
「な……まさか……」
震えながらもき然とした足どりでルースが進み出て、レオンの隣に立った。
「ルース?」
「パパ!」
「貴様……娘をどうするつもりだっ」
明らかに動揺している。四年の歳月を経ても父娘の絆は失われていなかった。やはり彼にとって娘の存在は大きいのだ。
(ヒウェル、君の読みは正しかったよ)
そっとレオンはルースの肩に手をかけた。
「随分丁寧な扱いをしていただいたようだから、ね」
「待て……娘には手を出すな! まさかしないだろう? 堅気の弁護士が…」
レオンは黙ってほほ笑む。
凍えるような殺気が滲み出す。ルースがびくっとすくみあがった。
「わかった。彼は返す、だから娘にだけは……」
「賢明な選択だね」
「奴を連れて行け」
「しかし、ボス」
「いいから、さっさと連れて行け!」
部下が二人、ディフを両脇からかかえて引きずって来た。
「行きなさい」
「ローゼンベルクさん」
「巻き込んですまない、ルーシー」
「……はい」
こくり、とうなずきルースが歩き出し、パリスの部下に迎え入れられる。こちらを何度も振り返りながら父親の元へと歩いて行く。
ほっそりした肩から離した手でそのままディフの体を抱きとめる。
上着も、靴も、靴下も失われていたが、かろうじて家を出た時と同じシャツとジーンズを身につけていた。しかしシャツは引き裂かれてところどころに血がにじみ、ほとんど肩にかかっているだけだ。
左の頬に一筋、生々しく赤い切り傷が走り、体中至る所に陵辱の爪痕がくっきりと刻まれている。
ただ髪の毛だけはつやつやと美しく整えられていて、それ故に一層、体の傷が際立って見えた。
二日間。
たった二日間離れた間に、どれほどの責め苦が彼の体を通り過ぎたのか。
居合わせるパリスの手下どもが粘つく視線を向けている。露骨に歯を見せ、舌を閃かせ、せせら笑っている奴もいる。
(やめろ)
(そんな目で彼を見るな)
「……ディフ……」
ぴくりと肩が震え、虚ろなヘーゼルブラウンの瞳が見上げてきて。
一瞬で表情を取り戻した。
血のにじんだ唇が動く。掠れ切ってほとんど声にならない。
『 レ オ ン 』
首筋の火傷の跡の上に生々しい歯形が残っていた。一つではない。くり返し何度も、執拗に狙ってつけられたのだろう。
「来るなって…言ったじゃないか……」
「それは……聞けないよ……」
「レオ……ン……っ」
震える手で弱々しく服を握ってきた。両方の手首にくっきりと赤い筋が刻まれている。
抱きしめたその時、シャツが肩から滑り落ちた。
「っ!」
背中に真新しいタトゥーが刻まれていた。広げた翼に絡み付く蛇。皮膚が赤く腫れ上がり、渇いた血が赤黒くこびりついている。
禍々しい血染めの翼。
誰が。何のために入れたのか。
理解した瞬間、銃を抜いていた。
息をするよりも自然な動作で。それと意識するより早く。
※ ※ ※ ※
車の助手席でヒウェルは時計を確かめた。
約束の時間までにはまだ間がある。しかし、もう待てない。これ以上ぐずぐずしていたら手遅れになる。
(ごめん、レオン。俺やっぱり見過ごせないよ)
SPは連れていない。だが懐に銃がある。
あいつが日頃、銃を持ち歩かないのは撃ち方を知らないからじゃない。なまじ腕が良すぎて危険だからだ。
気づいた時は撃っている。
ディフと違って警告は無し。威嚇も無し。レオンが銃を撃つのは、相手を仕留める時だけだ。
これはレオンに対する裏切りだろうか? 彼が怒りをぶつける唯一の機会を、奪ってしまうのではないか。
それでもいい。後悔はしない。
薄暗い車の中に、ぽつっと四角い白い灯りがともる。
携帯の画面だ。
だが、俺のじゃない。俺のはまだ開いていない。
「ハロー、オルファ」
「え………オティア?」
運転席のアレックスがちらりと後ろを見たが、何も言わない。
「お前、何でっ」
「……レオンが今出た」
電話の向こうでちょいとハスキーな人妻の声が答える。
「OK、位置を教えて」
まだ頭が混乱してる、だがとにもかくにもFBIに繋がってる事は確かだ。カーナビに手を伸ばし、座標を読み上げる。
即座にオティアが復唱し、向こうに伝えた。
「わかった。ローゼンベルクはそこに居るのね?」
「ああ、いるよ! パリスと手下どももね」
「あらH。元気? すぐ行くから。そこを動かないで」
「了解」
オティアは平然と電話を切った。
いつの間に。
いや、いつから?
聞きたいことはいろいろある。だが今は……
(奴を殺人犯にする訳にはいかないんだ。頼む、早く来てくれ……)
※ ※ ※ ※
レオンが銃を抜くと同時に、パリスも銃を抜いた。
やや遅れて手下たちも銃を抜く。しかし、微妙に及び腰だ。ちらちらとボスの顔色をうかがっている。
ビビってやがるな。
パリスは舌打ちした。
無理もない。この男を殺せばローゼンベルクとガリアーノ、ロスを拠点にする二つの強力な一族を敵に回す。そんなことになったら潰れかけた組織はひとたまりもない。
だからマックスを狙ったのだ。身内でも何でもない。しかし奴にとって何より大事な存在を。
見る影も無く汚辱にまみれて、ボロボロに引き裂かれた奴の天使を目の前に放り出して、思い知らせてやるのが本来の目的だった。
二度と俺たちに刃向かうな、と。
だが……。
今、目の前で抱き合う二人を見て狂おしい嫉妬がわき起こる。青黒い炎が胸を、腹を内側から焼き尽くす。
(こいつらをこのままにしておくものか!)
「二人そろってあの世に送ってやる、と言いたい所だがな。俺は慈悲深い男なんだ」
唇がめくれあがり、引きつった笑みを形づくる。そのくせ声だけは妙に落ちつき、静かに響き……語尾が僅かに歪み、震えた。
「お前は殺さないよ、ローゼンベルク。だがその男はもらって行く……一生、お前の手の届かない所で……飼ってやる」
びくりとディフがすくみ上がり、顔を押し付けてきた。弱々しく首を左右に振り、体全体が細かく震えている。指の関節が白くなるほど強く服を握り、すがりついて来る。
「や……だ……いやだ………レオン……っ」
レオンは迷わずパリスに銃口を向けた。左手でディフの体をかき抱いたまま、右手を真っすぐに伸ばして。
(もう一度ディフを奪われるくらいなら……今、ここで死んだ方がマシだ!)
(だがパリス。お前だけは刺し違えてでも葬ってやる。二度と彼には触れさせない)
二人の殺気が交錯し、束の間沈黙がその場を支配した。
「パパ、もうやめて!」
ルースが父親の腕にすがりつき、半狂乱になって叫んだ。
「これ以上、マックスに酷いことしないで!」
「ル……ス……?」
よろよろとディフが顔を挙げ、わずかにろれつの回らない口調で、たどたどしく彼女を呼んだ。
「ごめんね……マックス………ごめんね……」
「下がってろ、ルース!」
「いや!」
レオンはわずかに眉をしかめた。
……不味いな。今撃つと彼女に当たる。
確実に奴に当てなければ意味がない。
邪魔だ。
位置を変えてもらおう。父親か娘、どちらかに。
ほんの少しでいい……そう、ほんの少しで。
「君は娘も巻き込む気か?」
「何?」
「その娘は無理矢理連れてきたわけじゃない。彼女の意思でここにいるんだ」
パリスがわずかに体をひねり、娘の顔を凝視する。信じられないと言った表情で。
いい動きだ。もう少し……。
撃てるのはおそらく一発。だが、それで充分だ。
次へ→【3-13-20】俺の天使に手を出すな