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ローゼンベルク家の食卓

【3-13-20】俺の天使に手を出すな

2008/06/13 3:58 三話十海
 ばすん!

 倉庫の中に低い金属音が響く。銃声よりずっと大きく、雷さながらに低く轟く。
 入り口と裏口が同時に打ち破られ、銃を構えた一団がなだれ込んできた。

「FBIだ。銃を降ろせ!」

 りん、としたオルファの声が夜気を震わせる。澄んだ響きとは裏腹に、聞く者の殺気を削ぐ鋭さを備えた声。
 お決まりの紺色の上っ張りを着て先頭に立ち、銃を構えていた。
 やや遅れて裏口からバートンが入って来る。
 
 ああ、Ma'am、気の利かない人だ。まったく有能すぎるよ、あなたは。
 惜しいな。
 あと2秒。いや、1秒遅れてくれれば、奴を殺せたのに。

 手下どもはボスより早く銃を投げ出した。もともと撃つのにあまり乗り気ではなかったのだろう。
 パリスは最後まで食い下がった。が……。

「パパ……もう、やめて……お願い………」

 すがりつく娘を見おろし、くしゃっと顔を歪める。

「パパ。何があっても私、パパを愛してる。だから……お願い」
「……………………………ルース」

 ほとんどため息のような声で娘の名を呼び、震える腕で彼女を抱きしめた。

「……銃を。こちらに」

 低く、静かに穏やかに。子どもをなだめるようなバートンの声に、パリスは魔法にかかったようにゆっくりと引き金から指を離し、銃をさし出した。
 素早く左右からFBIの捜査官と警察官たちが駆け寄り、パリスを押さえ込むと後ろ手に手錠をかけた。
 一味が残らず確保されるのを見届けてからオルファが携帯を開き、一言告げる。

「OK、オティア。片がついたわ」

 ああ、そう言うことか。道理で早いと思った。

 ため息をつくとレオンは上着を脱ぎ、ディフの体を包みこんだ。彼は微かに身じろぎして目を閉じ、体の力を抜いた。

「マックス……」

 よろよろとルースが近づいてくる。バートン捜査官に支えられるようにして。

 ディフは手を伸ばし、ぽふっと手のひらで彼女の頭を包み込み、撫でた。
 何も言わずただ、愛おしげに。
 彼女の目から涙がこぼれ落ちる。ディフの手がカールしたブロンズ色の髪の毛を撫でおろし、すっぽりと頬を包む。

 その時、彼の顔に浮かんだのは最もこの場にふさわしくないものだった。
 微かに。それでも確かに彼は頬笑んでいた。
 引き裂かれて、汚されて。ふみにじられて。
 ぼろぼろにされているにも関わらず、透き通った、どこか人間離れした笑顔で。

「きれいに…なったな……ルース……」
「マッ……クス……ごめんね……ごめんね……」
 
 レオンは微かに身震いした。
 この腕の中にしっかり抱きしめているはずなのに、一瞬、彼が消えてしまうかのような錯覚にとらわれた。色も形も、重ささえも失い、音もなく空気に溶け込んでしまいそうで。
 馬鹿な。
 そんなことあるものか。あってはならない。決して。

「……バートン。彼女を」
「わかった」

 ルースがバートン捜査官とともに去ってしまうと、急にディフの表情が崩れた。

「ごめん……レオン……ごめ……ん……」

 細かく体を震わせ、何度もごめんとつぶやく。泣きそうな声、しかし涙は出ない。

「ごめ……ん……」

 よろよろと手を伸ばし、レオンの頬に触れようとしたが、びくっと途中で動きが止まる。まるで熱い鉄にでも触れたように。

「あ……あぁ……」

 くしゃっと顔を歪ませ、唇をわななかせながら首を横に振っている。ヘーゼルの瞳に深い絶望の色が滲んでいる。
 胸の奥を、灼けた針で抉られたような心地がした。

 その時、レオンは理解した。パリスが一体どんな手口で彼の心を引き裂いたのか……。

 自分への想いを利用したのだ。
 純粋で一途であるが故に鋭い刃となり、容赦無く彼自身を切り裂いたはずだ。
 他の男に抱かれた彼を裏切り者と罵り、罪悪感を植え付け煽って。ディフが自分で自分を許せなくなるように仕向け、追い詰めた。
 その上、あんな刺青まで刻んで……。

(やはり殺しておけばよかった)
(いや、パリスだけじゃない。君を汚した奴ら全て、一人残らず殺してやりたい。できるものなら……今、すぐにでも!)

 自分から彼の手を握る。一瞬、びくっと震えて逃げようとしたが、力を入れて引き寄せる。
 堅く目を閉じてすがりついてきた。

「無理……しなくていい。今……あの子達が来るから……」
「うん……」


 ※ ※ ※ ※


 オティアの携帯が鳴った。びくっとシエンがすくみあがる。

「……ハロー?」
「OK、オティア、片がついたわ」
「ディフは? レオンはっ?」
「そこで騒いでる眼鏡に落ちつくように言って。二人とも無事よ」
「………二人とも、無事だ」

 オティアの言葉を聞き、アレックスが目を閉じてつぶやいた。

「おお、神よ……」

 同感だ。
 滅多に祈りなんか捧げない俺だけど、この時ばかりは神に感謝した。
 車を降りると、双子も着いてきた。止める道理はなかった。

 群がる警官、ぺかぺか光るパトカーだの救急車のライトの合間を抜けて倉庫に入って行くと、既にパリス一味は確保された後で。
 ディフの体は毛布に包まれ、救急隊のストレッチャーの上に横たえられていた。

 オティアとシエンの顔を見るなり、ディフは一瞬だけ泣き出しそうな顔をして。それから、はっきりと笑顔になった。

「シエン………オティア………」
「ディフ」

 ぼろぼろと涙をこぼすシエンの頬に手を伸ばし、震える指先で涙を拭う。

「ごめん……な………」
「ううん……良かった」

 輪郭を確かめる様にシエンの顔を撫でているうちに、次第にヘーゼルブラウンの瞳に力が宿り、手の動きもしっかりしてきた。

「ごめん、心配かけた」

 何言ってやがるか、この意地っ張りが。自分の方こそずっと心配してやがったくせに。

「怪我……してる」

 双子が頬の傷に手をさしのべると、ディフはゆるく首を横に振り、静かな声で告げた。

「ありがとな……でも、証拠だから」

 ああ、同じだ……あの時と。男の顔から、保護者の顔に。『まま』の顔になっている。

 やがて、付きそうレオンとともにディフは救急車で病院に運ばれて行った。
 双子はぴたりと寄り添い、手を握っている。
 去年の十月の終わりに、工場で再会した時のように。
 もうこの世には存在しない『撮影所』の廊下で、いくつもの銃口に狙われた時のように、支え合って。

 今度こそ、本当に終わったのだ。もう二度と『蠍の尾の蛇』がオティアとシエンの行く手に影を落す事はない。
 けれど………。

「大丈夫………かな」
「大丈夫だよ」

 かすれて弱ってはいたけれど、いつも奴の声だった。いつもの目だった。
 なんとも穏やかな、しあわせそうな顔をしていた。双子に会えたことがほんとうに嬉しくてたまらないって表情だった。

 レオン。やっぱり俺にとって彼は天使じゃないよ。
 なるほど、確かに奴には翼が生えているのかもしれない。
 だけど、そいつは俺に言わせりゃ無垢なる天使の翼なんかじゃなくて。長く、大きくて力強い親鳥の翼だ。

 血がつながってようがいまいが関係ない。
 XY染色体なんか知ったことか。
 あいつはあの子たちの『ママ』なんだ……。

「大丈夫だよ」

 半分は双子に。半分は自分に言い聞かせる。呪文のように、くり返し。
 これから訪れるであろう波を予感して。

「………大丈夫だから」

 そうであって欲しいと願いながら。
 祈りながら。


(俺の天使に手を出すな/了)


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