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ローゼンベルク家の食卓

【3-14-10】新たなる扉

2008/06/21 19:23 三話十海
 あの二人が結婚した。
 正確には同棲を始めたということだが、もうとっくに同棲しているのと同じだったし、事実婚ということになるんだろう。元々、いつそうなってもおかしくなかった。

 ディフのためにはそのほうがいいと思う。

 自分の中にもまだある、深い闇。いつまでも消えない記憶と感情。どうしようもない苛立ちと絶望。
 そんなものを消せるとは思わないけれど、それでも。
 
 丁度良い機会だし、前から考えていたことを実行しよう。
 レオンはおそらく反対しないだろうが……

 ヒウェルが帰るのを確認してから書斎に入る。

「おや、どうしたんだい?」

 思った通りレオンは反対しなかった。全て聞き終えるとうなずいて、静かに一言。

「わかったよ。ただし、ディフを説得するのは自分でやるんだね」


 ※ ※ ※ ※


「隣に引っ越したい」
「何? もう一度言ってみろ」
「だから。なんで新婚家庭にいなきゃいけねーんだよ。ディフが使ってた部屋が空くんだから、そっちに行く」

 長い間、ディフは拳を握って口元に当てて考えた。
 去年の冬の平凡だが穏やかで平和な一日。食卓で交わした会話が記憶の底から浮び上がる。

「……シエン、そいつが一緒に住むようになったら、俺達は出ていくことになるぞ」
「そんなこと、二度と言うな」
「ごめん、そういう理由で追い出されたことあるから」
「いや普通に考えても誰が新婚家庭にいたいと思うかと」

 出ていく、とは言っていない。引っ越すと言っても同じフロアの、隣の部屋だ。

「……いいだろう…だが飯はちゃんと食べに来いよ。資料や本なんかは書庫に残しておく。鍵も俺が1本持つ。いいな?」
「わかったよ……」

 ちらりとシエンに目を向ける。双子はいつも一緒だ。オティアが引っ越すと言うのなら、それはシエンも行く、と言うことなのだ。
 少し困ったような顔をしていた。

(心配するな。俺はもう、大丈夫だから)

 気がつくと、笑みかけていた。まず口の端をくいっと上げて。続いて目を細めてにまっと豪快に。

(こんな風に笑うのは久しぶりだ)

「OK、それじゃあ、明日から始めよう。とりあえず、アレックスに相談だな」
「……うん」


 ※ ※ ※ ※


 今日はまだジョーイから催促の電話が来ない。メールも。
 ラッキー! とか内心思いつつだらだらと仕事を続ける。別にやる気がない訳じゃないんだ。ちょとばかしノリが悪いっつーか、波が来ないんだよな。
 この程度のテキスト量なら三日で書き上げたことだってある。その後、しばらく使い物にならなくなったが、とにかく、ある。
 もっと深刻な修羅場を潜ったことだってあるんだ。

 この程度。まだ………とか思ってたら電話が鳴った。

「ハーイ、ヒウェル。仕事、進んでる?」
「……やあ、ジョーイ。もちろん絶好調さ!」
「んー、その不自然にあっかるい声がかえって信用できないんだよねえ」

 呼び鈴が鳴る。
 まさか……そんなこと、ないよな?

「やだなあ、人聞きの悪い。やってますって、今、バリバリと」

 がちゃっとドアを開ける。

「ハーイ、ヒウェル。もう逃がさないよー」

 予感的中。本人が来やがったーっ!
 それからはもう、ジョーイは俺の部屋に居座り、背後霊状態、まーさーにstand by me。ただしこのスタンド、絶対に俺の思う通りにゃ動いちゃくれない。

「ジョーイ、仕事たまってるだろ社に戻れば?」
「お気遣い無く。仕事環境ぜーんぶモバイル対応だから!」

 もはや気が散る、とか。他社の仕事もやってんだから守秘義務が、とか、甘いことをほざいている余裕はない。
 背後霊をはり付けたまま、ひたすら書いて、書いて、たまに頭かかえて、ディスカッションして(これはありがたい。電話よりメールよりチャットより、直に面付き合わせてしゃべるのが一番頭が回る)そして、また書く。

 互いに限界が来たかと感じたらひっくり返って仮眠して。
 時間が来たら起きてる方に叩き起こされ、再び仕事する。

「腹減った………」
「待ってろ……なんか探して………」

 かぱっと冷蔵庫を開ける。

「……なあ、ジョーイ」
「なあに?」
「ピーナッツバターとチョコバーと牛乳とマスタード、どれがいい?」
「そうねえ、とりあえず牛乳かな?」
「……ごめん、ヨーグルトだった。って言うか、ヨーグルトになってる」
「自家製、とか言わないよね?」

 レオンに宣言した通り、とてもじゃないが上に飯をたかりに行く余裕はなかった。


 ※ ※ ※ ※


 ヒウェルはここのところ夕食に来ない。
 一度だけ、編集さんがぴったりひっついてて逃げられない、と電話があった。
 仕事が忙しいんだってレオンが言っていた。そのレオンも、やっぱりすごく忙しいらしい。

 ヒウェル、ちゃんとご飯食べてるかな。
 食べてないだろうな。

「よぉ……シエン……げんき……か」

 久しぶりに部屋に行ってみたら、ドアを開けて出てきたヒウェルは髪の毛はくしゃくしゃ、シャツはよれよれ。
 ゾンビみたいな状態だった。

「俺は平気だけど……これ」

 用意してきたお弁当、二人分さし出した。

「おおー、なんかいいにおいがするー」

 くしゃくしゃの天然パーマの男の人がにゅう〜っと出てきた。
 大人の男の人って言うよりなんだかカートゥーンのキャラクターがそのまま実体化したような雰囲気。
 この人なら、あまり怖くない……かな?

「あ……紹介するよ。こいつ、出版社の編集で……ジョーイっての」
「ありがとうねー。もぉお腹ぺっこぺこで。この部屋なーんも食い物ないから」
「連絡してくれたら何かもってくるよ?」
「んー」

 ジョーイは首をかしげて、目をぱちぱちさせてからキッチンの方をちらっと見て。きっぱりと言い切った。

「人間の飲めるコーヒー」
「何だとぉ?」
「ん、わかった。次はコーヒーもってくるね」
「ありがとねー。こいつのとこに缶詰だからまともな食い物あきらめてたよ」
「ジョーイ、うるさい」

 ばふっとヒウェルはクッションを投げつけてから、こっちを向いてにこっと笑った。

「……ありがとな、シエン」
「うん。お仕事、がんばってね」


 ※ ※ ※ ※


 次のデリバリーは、おやつとステンレスボトルに詰まったコーヒーが一緒に届けられた。
 まだほんのりとあたたかい、ブルーベリーマフィン。

「ブルーベリーって目にいいんだよね」
「ああ……ありがとな」

 いつの間にそんな事まで覚えたのだろう。

「なるほどねえ」

 マフィンをかじりながらしみじみした口調でジョーイがつぶやいた。

「あれが魔窟を人の住処に変えた恋人さんの正体か。ついにティーンズまで守備範囲にしやがって、この犯罪者め!」
「俺は犯罪者か!」

 勝手に人を有罪にしておきながら、ご当人、今度はしみじみとコーヒーなんかすすってやがる。

「ああ……まともなコーヒーだ」
「うるせえよ、ジョーイ」


 ※ ※ ※ ※


 ジョーイとの不毛な缶詰状態は一週間ほど続いた。
 その間、シエンの差し入れのおかげで生き延びたと言っても過言ではない。

 ようやく仕事を終えてからベッドに倒れ込み、泥のように眠りこけてから起きたらもう夕方だった。
 久しぶりにシャワーを浴びて、きちんとひげを剃り、顔を洗う。

「腹減ったー。今日の飯、何?」

 晴れて一週間ぶりに部屋から出て、軋む足腰を伸ばしながら食いに行った夕飯の美味いことと言ったら!
 相変わらず中華がメインってことはシエンが作っているのだろう。
 少しずつディフも動き回るようになってはいるが、まだ本調子ではないらしい。

 だいたい奴は体力に任せて無茶をやらかすから……こんな風に精神的に参った時は、かえって長引く。
 それでもレオンと指輪を交わして以来、だいぶ落ちついたんだなと感じる。

 黒い肩掛けは、相変わらず彼の背中を覆っている。もっと華やいだ色にすればよかったと今さらながら悔やまれる。

 夕食の後、双子は連れ立って廊下を歩いて行く。

「じゃあ、おやすみー」

 いつもの風景だが、ちょっと待て。方向が微妙に違ってないか?
 見ると、廊下のつきあたりに見慣れないドアがある。
 どっしりした木の表面はつやつやしていて、ノブもぴかぴか。まだ新しい。

「……あんなドアあったっけ?」
「新しくつくったんだ」
「でも、あの位置だと隣の部屋に突き抜けちまいませんか?」
「それでいいんだよ」
「……へ? ってことは、つまり……二軒分繋げちまったのか」
「ディフの荷物を全部こちらに持ってくるのも無理だったしね。とはいっても、一応隣の家なんで、鍵はかけてあるよ。普段は」
「今後はあっちが双子のお部屋ってことですか」
「ああ。あの子たちの希望でね」

 そう言や、リビングの壁にバグパイプがかかっている。あれは確かにディフの部屋にあったものだ。

「つまりディフがこっちに引っ越して、双子が隣に引っ越した、と。全然気づかなかった……」
「君は引越し手伝いの役にはたちそうもないからね」

 ぐっ、と言葉に詰まる。思わずうつむき、口を歪めていた。

「そーらそうでしょうとも、どーせ俺は貧弱ですよ……荷物の移動にしろ家具の組み立てにしろ、アレックスとディフが居ればじゅーぶんでしょうから……」

 レオンは軽く肩をすくめてさらりと言った。

「実は俺も手伝わせてもらえなかった」
「…………………………………………………………………………………でしょうね」

 レオンにお手伝いさせたら危険。双子と、俺と、ディフとアレックスの間での暗黙の了解だった。

 それに……。
 こいつ、俺に比べりゃしゃっきりとしちゃいるが、全身から漂う疲労の色は隠せない。
 ここんとこ激務続きで疲れているのだ。ゆっくり休んでいろと言われたに違いない。

 そして唐突に気づく。
 俺、今新婚家庭にお邪魔してるんだ。急に何とも言えない気まずさを覚え、そそくさと立ち上がる。
 レオンはにっこりとほほ笑んで小さく手を振った。

 出ようとしたところにディフが入ってきた。

「何だ、もう帰るのか?」
「ああ。何気に全身ぼろぼろだしね……久々にゆっくり寝直すよ」
「そうか。おやすみ」
「おやすみなさい」

 新婚夫婦にうやうやしく一礼して退散した。
 真新しいドアに一瞥くれて。

 あの向こうにオティアがいるのだと思うと……胸が震えた。


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