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ローゼンベルク家の食卓

【3-13-10】ライオンは眠れない

2008/06/13 3:46 三話十海
「くれぐれも独自に動かないでくれ。いいね?」

 悪いがバートン、それは聞けない。

 FBIの二人が帰ってから、アレックスとヒウェルと三人で話し合い、拠点をディフの部屋に移すことにした。
 直ちにデイビットに連絡をとり、現在俺の引き受けている案件は全て彼とレイモンドに任せたい旨告げた。

「……ディフに何かあったね?」

 さすがに付き合いが長いだけのことはある。俺がこんな風に無茶を言い出す理由を察したようだ。

「この間の脅迫状に関係があるのかい、レオン」
「まあ、そんな所だね。いいかい、デイビット。これは極めてプライベートな事なんだ」

 さらりと答えてから、さらに念を押す。

「くれぐれもこちらは来ないように。弁護士としての業務に集中してくれ。いいね」

 しばらくの沈黙があってから、OK、と返事が帰ってきた。

「ありがとう。レイによろしく伝えてくれ」

 これでいい。
 これで仕事に煩わされることなく、ディフの救出に専念できる。


 ※ ※ ※ ※


 フレデリック・パリスはディフを狙っていた。
 今になって悔やまれてならない。
 その事を彼に教えるべきだったのではないか、と。
 
 パリスは腐った警官の見本のような男だった。
 犯罪組織と繋がり、容疑者に取り調べと称してセクシャルハラスメントをくり返していた。別れた妻と同じ、赤毛の男女に。
 四年前、一人の駆け出しの新聞記者によってこの事実は暴かれ、フレデリック・パリスは逮捕された。
 初犯でなはかった事、くり返し犯行が行われた事などから情状酌量の余地無しと判断され、執行猶予はつかなかった。

 ありふれた警察官のスキャンダルとして片付けられたこの一件だが、表には出なかった一面がある。
 知っているのは俺と、アレックスと、ヒウェル、そしてパリス本人のみ。

 既にパリスの標的は別れた妻ではなく、ディフに変わっていたのだ。おそらく、一連のハラスメントは彼への執着と欲情の代償行為だ。
 パリスのように性根の腐った男にとって、ディフのような真っ白な魂の持ち主は……惹かれると同時に、汚さずにはいられない存在なのだ。
 暗闇の中にいると星はことさらに明るく、輝いて見える。そのことは、他ならぬ俺自身が一番良く知っている。

(これで二度目だ。殺しても飽き足らない)

「伝えておくべきだったんだろうか……」
「レオン?」

 四年前の7月、この部屋で。パリスの逮捕を知り、打ちひしがれた彼を前に俺は口をつぐみ、真実に鍵を掛けた。
 結果としてディフはパリスの呼び出しに何の疑いもなく飛び出し、護衛すら振り切って自ら彼のもとに出向いてしまった。
 待ち構える罠のまっただ中に。

「俺の……せいだ………」

 悔やんでも悔やみ切れない。
 今、この瞬間も、ディフが俺を呼ぶ声が聞こえるような気がしてならない。

「それでもね、奴なら言いますよ。俺で良かった、レオンや子どもたちじゃなくて良かったって」
「言うだろうね。だがそれが何だ?」

 ヒウェルはくいっと眼鏡の位置を整え、腕の時計に目をやった。黄色がかった茶色の瞳がわずかに細められる。
 ああ、こんな時にさえ、君はそんな風に穏やかな目をしていられるのだな。
 俺には無理だ。

「……少し仮眠とった方がいい。1時間たったら起こしに来ます。眠れなくても、目は閉じていて。いいですね?」
「……ああ」

 寝室に入るとベッドに横たわり、目を閉じる。
 眠るつもりは毛頭なかった。


  ※  ※  ※  ※


 携帯の位置を特定するのにいろいろと方法はあるんだが。
 この際、一番手っ取り早く、なおかつ信頼できる筋をたどることにした。

 さて、今週の彼はナイトシフトだろうか、それともデイシフトだろうか? いずれにせよ、おそらく職場にいるはずだ。FBIの二人から渡された毛髪を突貫作業で分析してるだろうからな。
 
 案の定、彼の携帯にかけると4コールで応答があった。

「よ、バイキング。元気?」
「何か用ですか、H?」

 FBIといい、こいつといい、何だって公僕ってのは俺を頭文字で呼びたがるのか。
 そんなに言いづらいか俺の名前は。
 人妻のちょいとハスキーな声で呼ばれるのと、この男ののほほんとした声とでは雲泥の差があるんだが。

「ちょっと頼まれてくんないかな。携帯電話の位置を知りたいんだ。番号は……」

 一通り聞いてから、エリックは声を潜めて言った。

「それ、センパイの電話ですよね」
「……ああ。だから急いでる」
「10分下さい。こっちからかけ直します」

 電話を切り、タイを緩めて。眼鏡だけ外して居間のソファでひっくりかえる。
 土足を椅子に乗せるなと、怒鳴る相手は今はいない。何の気兼ねがあろうか。

 目を閉じるか閉じないかのうちにまた電話が鳴った。

「ハロー?」

 5分しか経ってないぞ。優秀だな、バイキング。

「電源、切られてました。すみません、お役に立てなくて」
「気にすんな。そんな事だろうと思った」
「それから……これ極秘なんですけどね」
「ああ?」
「FBIから頼まれた毛髪の分析結果が出ました」

 ああ、やっぱり教えてくれるか。ブラボー、エリック。君ならきっとそうしてくれると思ったぜ!

「あの毛髪は……センパイのものです。DNAデータが一致しました」
「あったのか、毛根」
「いえ。毛髪に体液が付着してて」
「血液か?」
「いいえ。おそらく……涙です」

 いっそ血なら良かったものを。

 ディフは肉体的な苦痛には強い。人一倍耐性がある。殴られようが、刺されようが、場合によっては撃たれようが滅多に音を上げない。
 そんな奴が涙を流すなんて、いったいどんな目に合わされたのか……。
 ぞくっと背筋が震える。この結果を、何と言ってレオンに伝えるべきだろう?

「それから、他の人間のDNAも付着していました」
「当ててみようか。フレデリック・パリスだろ?」
「どうしてそれを?」
「企業秘密さ。それじゃ、またな」

 問い返される前に電話を切った。おそらくレオンから所轄署に協力要請が行くだろうが、それにしたってあくまで非公式だ。
 ここで全ての手札を晒したら、かえってこっちのゴタゴタにエリックを巻き込むことになる。

 すまんねバイキング。また何かあったら頼むよ。

 ソファに横になり、改めて目を閉じた。
 不規則な暮らしには慣れている。眠れる時に寝て、起きたら動けばいい。

(羊がいっぴき……羊がにひき………)

 幻の羊を追いかけながらうとうとしてると、ふわっとやわらかな香りが鼻をくすぐる。
 パンと、レタス、トマト、アボカド、軽くあぶったベーコン、そしてゆで卵。

「あ……食い物のにおい」

 むくっと起きあがる。
 オティアが立っていた。

「レオンは」
「横んなってる」
「そうか」

 手にしたトレイにはサンドイッチが乗っている。微妙に造りがディフのとは違うが、挟んである具が同じだ。厚めにスライスした食パンを軽くトーストしてある所も同じ。

「……これ……シエンが?」
「ああ」

 ディフが誘拐されたと知って、シエンはベッドから出て来なくなった。起きあがれなくなった、と言うべきだろう。
 未だに消えない恐怖の記憶と不安が彼の繊細な心を圧迫し、今、この瞬間も苛んでいるだろうに。
 それでも飯、作ってくれたのか。
 青い顔をして、よろめきながら。
 涙がこぼれそうになる。

 こんな時ぐらい子どもらしく泣いてろよ、シエン。『まま』がいなくなったんだぞ。心配なんだろ? 怖いんだろ?
 改めて目の前の双子の片割れの様子をうかがう。
 いつもと同じポーカーフェイス。だが、目に力がない。紫の瞳に、うっすらとミルク色の膜がかかっているような錯覚にとらわれる。
 無理しやがって。
 元気がないのはお前も一緒じゃないか。

「……ありがとな。レオン呼んでくる…」

 ふらふらと寝室に入り、小さくノックしてドアを開ける。
 もう、起きていた。
 足音を聞いただけで起きあがっていたとしか思えないタイミングだ。

 やっぱり寝てなかったか。

「……飯です」

 シエンの作ってくれた差し入れを、リビングで黙々と食った。レオンはただ機械的にサンドイッチを口に運び、噛んで、飲み込む。
 一言も喋らない。

「シエン……具合どうだ」
「良くはない」
「……そうか……」

 お前もきついんじゃないか。
 思っても口に出せない。

 こいつら、具合悪くなる時も一緒だからな……。


  ※  ※  ※  ※


 リビングのソファにあぐらをかいて、四年前の取材記録を引っぱり出した。
 関係者の名前、連絡先、話したこと、会った時の態度まで克明に記録されている。
 つくづく真面目だったんだな、あの頃の俺って。

 しかし、いくら目を通しても内容が頭に入らない。意識の上を滑って行くばかりで、ちっとも考えがまとまらない。
 目がチカチカする。しまいにゃ白い紙の上で黒い文字がダンスを始めやがった。
 
 くそ……どうかしてるぞ。しっかりしろ、ヒウェル。

 眼鏡を外し、手のひらで閉じた瞼を覆う。
 レオンを起こしに行った時、寝室でかいま見た光景が忘れられない。
 ベッドサイドの小さな棚の上に、ちょこんと座った茶色のテディベア。
 すっかり年季が入って色あせている。隣にいるのは真っ白なライオン。大きさもちょうどぴったり、お似合いの1ペア。

 ライオンは去年の秋にディフが入院した時にシエンが見舞いでプレゼントしたものだ。

 クマの方は学生寮からアパート、そしてこの部屋と、奴が引っ越すたびに一緒に移動してきた。
 野郎の一人暮らしの部屋に何故、こんなに年期の入ったぬいぐるみがあるかってぇと、これにはいささか深い訳がある。

 ディフの奴には面白い寝ぼけ癖があって。時たま夜中にむくりと起きあがり、ぼーっとしたままこいつを探すのだ。

「俺のクマどこ?」

 そこでおもむろにこのクマをばふっと渡すと、満足してベッドに戻って行く。

「あった……」

 俺がこの現象に出くわしたのは高校3年の時だった。
 最初に奴が枕元に立ってた時はグリズリーに襲われる夢を見てぎょっとしたが、慣れればどーってことはない。
 事実、レオンとルームメイトだった時もよくやらかしてたらしい。

 しかしながらレオンが卒業して俺が入れ違いでルームメイトになった時は若干、バリエーションが加わっていた。

「俺のクマ、どこ?」
「そら、ここだ」
「………レオン、どこ?」
「レオンは卒業しちゃったんだよ。もう、ここには居ないんだ」

 そうすると奴はふて腐れた顔をして、すごすごと自分のベッドにもどって行くのだった。
 要するに、探してるのはクマじゃなくてレオンだったんだな。

(当時付き合ってた本命の彼女の前でも同じことやらかして、それでふられたんじゃないかと……勝手に推測している)

 今、俺たちが探しているのは、クマの持ち主だ。
 ライオンは一人ぼっち。眠らずに探している。

「早く…帰って来いよ…お前がいないと……部屋が広すぎんだよ……」


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