▼ 【3-13-18】決意
その夜のローゼンベルク家の食卓にシエンの姿はなく。夕食は終始重苦しい空気の中進み、皿の中身はほとんど減らなかった。
それでもデザートのチョコレートムースを口に運ぶと、ルースはわずかに顔をほころばせ、小さな声で「美味しい……」と呟いた。
「おそれ入ります」
給仕をしていたアレックスが静かにうなずいた。
夕食後、ヒウェルがキッチンに皿を運んでいると、ルースがそっと近づいてきた。
「あ……ごめん、お客さんに皿運ばせちまって」
「ううん。いいの、慣れてるから……あのね、ヒウェル」
「ん?」
「ありがとう。気を使ってくれて」
彼女のアパートを出てから、ヒウェルは意識してずっと四年前と同じ口調でルースに話しかけていたのだ。
周りは知らない人間ばかり、唯一彼女が知ってるのは自分だけだったから。
「あ、いや……無理頼んでるのは俺の方だし」
「金髪のあの子、マックスが世話してるんでしょ?」
「………ほんとはもう一人いるんだけどな。はずかしがり屋だから」
「マックスのこと、心配してるんだ」
「………」
「わかるの。そう言う人だもの。だから……」
ぽふっとヒウェルはルースの頭に手を乗せ、なでた。カールした髪の毛が、ひょろ長い指の間を通り抜けて行く。
「ヒウェル?」
「奴がいたら、きっとこうする。だから……代理だ」
「うん」
後片付けが終わってから、全員リビングに集まった。沈黙のうちに時間が流れて行く。何度も時計に目が行く。
約束の時間にハンターズ・ポイントに行き着くには、そろそろ出なければいけない。ヒウェルとレオンはどちらからともなく顔を見合わせ、うなずいた。
「オティア。そろそろ部屋に……」
その時、廊下に通じるドアが開いて、シエンが出てきた。
「俺も行く」
しばらくぶりに聞く、はっきりした声で。
きちんと服を着て、まっすぐに大人たちを見つめている。紫の瞳はわずかに涙でうるんでいたが、奥に、強い意志の光があった。
微塵の迷いも感じられない。
声にも、表情にも。
「それはできないよ、シエン」
レオンは思った。
危険すぎる。
運が悪ければ自分も、ディフも二人とも殺されるかもしれない。
よしんば無事に再会できたとしても、ディフが酷い状態にあることは容易に予測できる。そんな彼を果たしてシエンと会わせて良いものか。
「アレックスと一緒に待っていなさい」
「嫌だ」
ヒウェルは驚きで目を見張った。
シエンがこんな風に自分の意見を強く口にすることは滅多にない。強いて言うなら、弱ったオティアを守ろうと自分の前に立ちはだかった時ぐらいだ。
ましてレオンの言葉に真っ向から逆らうなんて……。
「ディフは俺を助けに来てくれた。工場の時も。撮影所の時も。だから、俺も、行く」
その隣で静かにオティアが立ち上がり、兄弟にぴたりと寄り添った。
「……連れていけ。でないと、後悔する」
レオンは代わる代わる双子の顔を見ていたが、やがて小さくため息をついた。
「……しかたないね。でも、これだけは約束してくれ。決してアレックスとヒウェルの側を離れない。俺が良いと言うまで、現場には来ない。いいね?」
「でも」
「約束を守れないのなら、連れて行くことはできないよ」
「………わかった」
シエンが何か言おうとするが、それより早くオティアがうなずいた。
「いいだろう。アレックス、車を回してくれ」
「かしこまりました」
「ヒウェル、書斎に」
「了解」
※ ※ ※ ※
書斎に行くと、レオンは机の一番下の引き出しの鍵を開けた。
「銃の扱いはわかるね?」
「そりゃまあ……22口径程度なら」
「ではこれを」
渡された小型の自動拳銃をヒウェルは手に取り、カシャカシャとリズミカルな音を立てて安全装置と装填数を確かめ、また元に戻す。
「……おや。君は銃を扱う時は左手を使うのだね」
「利き目が左なんですよ。だからこっちを軸にした方が狙いがつけやすい」
「初めて知った」
言いながらレオンは自分用の拳銃を左の内ポケットに滑り込ませた。携帯電話でも扱うみたいに、さりげなく。
「……行きますか」
「ああ」
警察は無し。SPは無し。だが、銃は無し、とは……パリスは言わなかった。
※ ※ ※ ※
アレックスが駐車場に向かい、ヒウェルとレオンが書斎に行くのを確認してからオティアは携帯を開いた。
「ハロー、オティア。どうしたの?」
「これから……出る。レオンも一緒だ」
「OK」
危険だ、とも。やめろ、とも言われない。好都合だ。
もっとも彼女なら言わないだろうと確信があったし、そうでなければこのタイミングで電話なんかしない。
「あなたの携帯の位置はマークしてる。決して電源を切らないで。いいわね?」
「わかった」
通話を終え、携帯を閉じた所で二人が戻ってきた。
シエンの手を握り、立ち上がる。
ヒウェルがこちらを向いて、軽い口調でさらりと言った。
いつもと同じ、にやけた笑顔。獲物を見つけた狐ってのは、きっとこんな顔をするのだろう。
「さて……戦闘開始だ」
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それでもデザートのチョコレートムースを口に運ぶと、ルースはわずかに顔をほころばせ、小さな声で「美味しい……」と呟いた。
「おそれ入ります」
給仕をしていたアレックスが静かにうなずいた。
夕食後、ヒウェルがキッチンに皿を運んでいると、ルースがそっと近づいてきた。
「あ……ごめん、お客さんに皿運ばせちまって」
「ううん。いいの、慣れてるから……あのね、ヒウェル」
「ん?」
「ありがとう。気を使ってくれて」
彼女のアパートを出てから、ヒウェルは意識してずっと四年前と同じ口調でルースに話しかけていたのだ。
周りは知らない人間ばかり、唯一彼女が知ってるのは自分だけだったから。
「あ、いや……無理頼んでるのは俺の方だし」
「金髪のあの子、マックスが世話してるんでしょ?」
「………ほんとはもう一人いるんだけどな。はずかしがり屋だから」
「マックスのこと、心配してるんだ」
「………」
「わかるの。そう言う人だもの。だから……」
ぽふっとヒウェルはルースの頭に手を乗せ、なでた。カールした髪の毛が、ひょろ長い指の間を通り抜けて行く。
「ヒウェル?」
「奴がいたら、きっとこうする。だから……代理だ」
「うん」
後片付けが終わってから、全員リビングに集まった。沈黙のうちに時間が流れて行く。何度も時計に目が行く。
約束の時間にハンターズ・ポイントに行き着くには、そろそろ出なければいけない。ヒウェルとレオンはどちらからともなく顔を見合わせ、うなずいた。
「オティア。そろそろ部屋に……」
その時、廊下に通じるドアが開いて、シエンが出てきた。
「俺も行く」
しばらくぶりに聞く、はっきりした声で。
きちんと服を着て、まっすぐに大人たちを見つめている。紫の瞳はわずかに涙でうるんでいたが、奥に、強い意志の光があった。
微塵の迷いも感じられない。
声にも、表情にも。
「それはできないよ、シエン」
レオンは思った。
危険すぎる。
運が悪ければ自分も、ディフも二人とも殺されるかもしれない。
よしんば無事に再会できたとしても、ディフが酷い状態にあることは容易に予測できる。そんな彼を果たしてシエンと会わせて良いものか。
「アレックスと一緒に待っていなさい」
「嫌だ」
ヒウェルは驚きで目を見張った。
シエンがこんな風に自分の意見を強く口にすることは滅多にない。強いて言うなら、弱ったオティアを守ろうと自分の前に立ちはだかった時ぐらいだ。
ましてレオンの言葉に真っ向から逆らうなんて……。
「ディフは俺を助けに来てくれた。工場の時も。撮影所の時も。だから、俺も、行く」
その隣で静かにオティアが立ち上がり、兄弟にぴたりと寄り添った。
「……連れていけ。でないと、後悔する」
レオンは代わる代わる双子の顔を見ていたが、やがて小さくため息をついた。
「……しかたないね。でも、これだけは約束してくれ。決してアレックスとヒウェルの側を離れない。俺が良いと言うまで、現場には来ない。いいね?」
「でも」
「約束を守れないのなら、連れて行くことはできないよ」
「………わかった」
シエンが何か言おうとするが、それより早くオティアがうなずいた。
「いいだろう。アレックス、車を回してくれ」
「かしこまりました」
「ヒウェル、書斎に」
「了解」
※ ※ ※ ※
書斎に行くと、レオンは机の一番下の引き出しの鍵を開けた。
「銃の扱いはわかるね?」
「そりゃまあ……22口径程度なら」
「ではこれを」
渡された小型の自動拳銃をヒウェルは手に取り、カシャカシャとリズミカルな音を立てて安全装置と装填数を確かめ、また元に戻す。
「……おや。君は銃を扱う時は左手を使うのだね」
「利き目が左なんですよ。だからこっちを軸にした方が狙いがつけやすい」
「初めて知った」
言いながらレオンは自分用の拳銃を左の内ポケットに滑り込ませた。携帯電話でも扱うみたいに、さりげなく。
「……行きますか」
「ああ」
警察は無し。SPは無し。だが、銃は無し、とは……パリスは言わなかった。
※ ※ ※ ※
アレックスが駐車場に向かい、ヒウェルとレオンが書斎に行くのを確認してからオティアは携帯を開いた。
「ハロー、オティア。どうしたの?」
「これから……出る。レオンも一緒だ」
「OK」
危険だ、とも。やめろ、とも言われない。好都合だ。
もっとも彼女なら言わないだろうと確信があったし、そうでなければこのタイミングで電話なんかしない。
「あなたの携帯の位置はマークしてる。決して電源を切らないで。いいわね?」
「わかった」
通話を終え、携帯を閉じた所で二人が戻ってきた。
シエンの手を握り、立ち上がる。
ヒウェルがこちらを向いて、軽い口調でさらりと言った。
いつもと同じ、にやけた笑顔。獲物を見つけた狐ってのは、きっとこんな顔をするのだろう。
「さて……戦闘開始だ」
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