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ローゼンベルク家の食卓

【3-14-3】迷子のレオン1

2008/06/21 19:15 三話十海
 ディフからの電話を切ってふーっと一息。片手にキープしていた煙草をくわえて吸い込み、ぽぽぽぽっと煙の輪っかを吐き出した。

「……器用ですねえ、H」
「よう、エリック。喫煙エリアにようこそ」

 どこに居るかと言うと警察の廊下のそのまた突き当たりの角。コーヒーとチョコバーの自販機の並ぶこの一角には灰皿が設けてあり、スモーカーのささやかな憩いの場となっている。

「廊下に出たら後ろ姿が見えたもんで……電話ですか?」
「ああ、もう終わったよ」

 携帯を閉じて無造作にポケットに突っ込んだ。
 フレデリック・パリスは弁護士の同席を拒んだ。その代わり、記者を一名指名し、可能な限り取り調べに立ち会わせることを要求したのである。
 すなわち、この俺だ。

「お前は最初に俺を記事にした奴だからな。最後まで見届けろ」
「……そりゃまた光栄で」

 そんな訳で俺は捜査上の守秘義務に関する誓約書を何枚も書かされた上で、奴の取り調べに同席する栄誉に預かることとなった。
 実際、パリスはよく喋った。『あなたにとって不利な証拠になる』ような事柄まで包み隠さず事細かに。
 部下を指図してやらせたこともあれば彼自身が行ったことも有り。ざっと今日まで聞いた限りでは、最低でも終身刑になりそうな気配だ。

 加えて双子の事件の際に書き溜めてきた取材記事と記録を警察側に進呈し、この三日間と言うもの、金髪眼鏡のバイキングの末裔と顔を付き合わせている。
 エリックは自販機でコーヒーを一杯買うと俺の隣に座り、すすってひとこと。

「あー……あったかいなあ」
「またロクなもの食ってないのか」
「そーでもないですよ。リンゴとクラッカーと、バナナと……ああ、あとは今日、チーズも食いました」
「ああ、確かに健康的だね。俺に比べれば」
「あなたはもっと、きちんとしたもの食った方がいいですよ。チョコバーだけじゃなくて」
「ちゃんと栄養のバランスには気をつけてるよ」
「どのへんが?」
「……今日食ったのは、ピーナッツバター入り」
「ああ、ピーナッツスプレッドは体にいいらしいですからね」

 何せずーっと顔つきあわせてるもんだから互いの食い物や飲み物の好みにやたらと詳しくなってしまった訳で。
 この男が、仕事場以外でも白っぽい服を好むと言う事も初めて知った。(なにせ今まで会う時はいつも白衣だったから)
 やがて俺はフィルターぎりぎりまで灰にした煙草を灰皿にねじ込み、エリックは空になった紙コップをくしゃりと握りつぶしてゴミ箱に放り込んだ。

「それじゃ、俺、そろそろ帰るわ。いい加減、原稿書かないと」
「おつかれさんです。俺もそろそろ分析に戻ります」

 いつ寝てるんだろうなあ、こいつ。(きっと向こうもそう思ってる)
 へろへろと手を振って廊下を歩き出すと、携帯が鳴った。ポケットから引っぱり出して発信者を確かめる。
 ……まさか。
 こいつから電話がかかってくるなんて!

「よう。どうした、オティア?」

 ハロー、も、元気? も無し。開口一番、必要なことだけぼそりと言ってきた。

「レオンが戻ってきてない」
「……………マジか?」

 時計を確かめる。21時45分。
 さっき、ディフは面会時間が終わって帰ったと言っていた。まだマンションに着いてないってのはどう言うことだ?
 まさかレオンの奴、離れがたくなってこっそり病室に引き返したんじゃあるまいな。

「……アレックスに来てもらえ。番号分るな?」
「もう来てる。ああ、それと、ディフんところには行くな。あそこにはいない」
「………………わかった」

 こっちの考えを読まれたんじゃないかと思って一瞬、どきりとした。オティアの直感は鋭い。彼がNoと言うのなら、病室にはいないのだ。

「事務所かな……」
「今日は行ってない」
「っ、じゃ、ほとんど行方不明か……どーこほっつきあるいてんだ。奴らしくねぇ」

 電話の向こうで沈黙が答える。
 それは俺の知ったことじゃない、と。

「心当たり探してみるよ。見つけたら連絡する。じゃあな」

 電話を切ってポケットに突っ込む。
 いったいどこに行ったんだ、レオン?


 ※ ※ ※ ※


『俺の天使』と離れるとレオンがどんな事をやらかすか……。
 経験を元にすれば自ずと答えは出る。おそらく、どこかで飲んだくれてるはずだ。やさぐれた野郎一人が飲んでいても目立たない程度に規模の大きい店で。
 病院からマンションまでの道すがら、条件に合いそうな店をピックアップして順繰りに回って行く。
 五軒目で迷子を見つけた頃には、かなり遅い時刻になっていた。

 ぼんやりとカウンターに肘をつき、ちっぽけなグラスに注いだ透明な酒を、氷も浮かべずストレートでくいくい飲んでいる。
 ぱっと見、素面に見えるが俺はごまかされない。
 さりげなく近づき、隣に腰を降ろした。

「……そう言う飲み方する酒じゃないですよ、それ」
「………やぁ」

 ほらな。
 微妙に反応が、鈍い。

「……ども」

 のろのろとレオンは左手首に巻いた腕時計に視線を落した。

「……ああ、こんな時間か……」
「ええ。こんな時間です。いけませんよ、こんなとこで一人で無防備に飲んだくれちゃ」
「大丈夫だよ」

 へっと口を歪めて笑い飛ばす。
 ああ、もう、この人はてんでわかっちゃいないんだ。自分が今、どれほど隙だらけになってるか。

「どーだか? 『天使』と離れてる時のあなたがどうなるかは……いささか前例を見てますんでね」

 とろんとしたかっ色の瞳が宙をさまよう。

「……あの時も……こんな店だったかな……」
「ええ。またあなたに言いよる奴がいたら、ウォッカ3倍の特製カクテルで潰しときますかね」
「もう随分前のことのような気がするな」
「そうですね。ほんの4年、いや5年前かな?」

 まだレオンとディフが恋人じゃなくて親友同士だった頃の話だ。
 双子も、ルースも、パリスも、俺たちの時間には影すら登場してはいなかった。
 あの頃は、まさか俺たち三人が同じマンションに住んで。毎晩飯を一緒に食うようになるなんて思ってもみなかった……。
 ただ一つ変わってないことがあるとしたら、あの時も、今も、変わらずレオンはディフだけを見てるってことだろう。

「君のせいでディフが引っ越してくることになったんだ、確か」
「あ……そう言やそんなこと言ってたなあ」

 苦笑いして髪の毛をくしゃっとかきあげた。

「『悪い男とつきあうから放っとけない』って。確かに悪い男だ」
「わかっていたのにな……彼は、俺のだめなところを見つけると喜ぶんだ」

 ふうっとため息をつくと、レオンはグラスの中味を一気にあおった。

「………………それすんっごい性格悪い奴ってことすかもしかして」
「自分が役にたてるって思うんだろうね」
「あ…あーあーあー……それすっげえわかる」
「それにつけこんでるんだから、俺のほうがよっぽど悪い男だ」
「さあてね。あなたの代わりは何にも誰にもできやしない。奴ぁ、あなたと居るのが一番幸せなんだ」

 これ、言っちまっていいのかな。少しだけ迷ってから、口にする。

「……ずっと探してた」
「……クマを?」

 ゆるく首を横に振る。

「あなたを。レオン、どこ? って」
「初耳だね」
「………初めて言いましたから」
「聞いていても何もかわらなかっただろうけどね……」
「それじゃ、俺はこの件に関しちゃ『悪い男』にならなかったと安心していいのかな」
「それでも」
「……それでも?」
「…………………………帰ろうか。送ってくれるだろ」

 こらこら、またそうやって内側に溜め込もうとする。眼鏡を外して直に彼の瞳をのぞきこむ。

「レオン。言えるのは今だけだ。聞いたらすぐに忘れる」

 しばらくためらってから、レオンは低い声で言葉を綴り始めた。ずっと内側に押し込めてきたものを、少しずつ紐解くようにして。

「後悔しているんだろう、俺は。彼を守りたいのは本当だけれど……それでも」

 黙って先を促す。

「この手で彼を傷つける………いつか」

 わずかに声が震えていた。

「それでも、手を離せますか?」
「できるわけがない」

 レオンは自分の手を見つめて、くっと握った。その場にはいない誰かの手を握りしめるように。

「もう………無理だ」

 ぽん、と背中を軽く叩く。ほんとは頭でも撫でてやりたいところだが、そいつは俺の役目じゃない。

「離れちゃだめだ、あなたも。ディフも」
「わかってる」
「そのたんびにこっちはいい迷惑」

 にやっと笑って眼鏡をかけ直し、席を立った。

「帰りましょう。送ります」
「車は……置いていけばいいか」
「車で来たんですかっ」

 うーわー。仮にも飲み来るのにそう言うことするか? 何か、根本的にまちがってるぞ。

「パーキングにいれてあるから平気だろう」
「いや……そう言う問題じゃないし……」

 頭を抱えながら、レオンが会計を済ませる間に持ち帰り用にボトルウォーターを一本買い求める。

「んじゃま、俺の車で帰りましょう」
「ああ」

 店を出て駐車場に歩いて行く。五月の末とは言え、夜はまだ冷える。海からの湿った風が流れ込み、空気中に湿気の居座る夜はなおさらに。

「君の車には乗ったことがない気がするな」
「……まあ、普通のトヨタのセダンっすよ。ふつーの!」

 リモコンでロックを解除し、助手席に乗せてあった荷物をまとめて後部座席に突っ込んだ。
 めき、とか、ばき、とか不吉な音が聞こえたが、もともとかなりカオスな状況なんだ。2、3上乗せしたところでどーってこたぁあるまい。

「どうぞ」

 ちらっと後ろの混沌に目を向けてから、レオンは大人しく助手席に座った。

「これ、飲んどいてください」

 手の中にボトルウォーターを押しつけ、運転席に座る。
 赤いキャップの透き通ったペットボトルを抱えたままぼんやりしてる。
 やっぱ相当飲んでたな。顔に出ないから始末が悪い。
 エンジンをかけて走り出した。

「どうして、ここに?」
「オティアから電話かかってきたんですよ。レオンが帰ってこないって」
「良かったじゃないか」
「やーまったく役得です」
「とっくに着信拒否にされてるかと思ったよ」

 ぎくっとした。その可能性、薄々考えてはいた。

「…………実は俺からはまだかけてません」

 にこっと極上の笑みを浮かべると、レオンは手をさし出してきた。
 憮然として携帯を引っぱり出し、その手に押し付けた。

「……ほんっと顔きれいなくせに性格悪ぃよ、あなたはっ」

 慣れた手つきでオティアの番号を呼び出し、リダイアルしている。
 耳に押し当て、待つことしばし。どきどきしながら横目で伺っていると、目を閉じて首を左右に振りやがった。

「……残念ながら」
「……やっぱし」

 がっくりと肩を落す。

「ハロー。遅くなって悪かったね。いや、携帯を充電するのを忘れていて」
「ぃ?」
「今、帰るところだから。もうすぐ着くよ。ああ、一緒にいる」

 ぱくぱくと酸素不足の金魚みたいに口を動かす。喋ってるし。ってか、オティア、電話に出てるし。つながってるし!

「そうかな? ああ、うん。そんなに飲んでないよ。本当だって」

 こ、この男は………あーもう、なんって明るい声であっけらかんと話すか、この状況下で!
 ちらっとこっちを見て、にこっと笑った。

「かわるかい? ………はいはい。わかったよ。すまなかった。シエンにも………ああ、戻ったら謝るから。では、後で」

 電話を切ってからレオンはぽつりと言った。軽く肩をすくめて、まるでイタズラを見つかった子どもみたいに。

「怒られた」
「…………あなたって人は……ほんっとにもう、性格悪ぃなあっ! 俺の繊細な心を弄んで楽しいですかっ、ええっ?」
「楽しい」
「っかーっ、さらっと言いやがった!」
「ヒウェル、運転するときは前を見たほうがいいよ」
「わーってますよっ! ったく、なーにが『残念ながら』だ! てっきり着信拒否にされてると思ったじゃねえか……」
「だから言ったろう? 『残念ながら』かかってしまいましたって」

 このよっぱらい、かなり始末が悪い。


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