▼ 【3-14-4】迷子のレオン2
マンションの地下駐車場に車を停めた。こんな時でもブレーキを踏むタイミングが荒くならない己の自制心を褒めてやりたい。
「着きましたよ。降りてください」
「ん……ありがとう」
「どーいたしまして」
素早く助手席側に回ってドアを開け、『姫』をエスコートした。
とりあえずちゃんと立って歩いてはいるが、いつぐらりと来ても支えられるよう、そばに付き添ってエレベーターに向かった。
「そんなに飲んでないよ」
「一応ドアの前まで送らせていただきます……それぐらいの役得あってもいいでしょ?」
「誰かの顔が見たいだけだろう」
楽しそうな顔しやがって。ああ、図星だよ。図星だともさ。
「ええそうですよ。オティアの顔が見たい」
最上階のボタンを押す。
しかしエレベーターのドアが閉まるなりレオンの奴は手を伸ばし、3階のボタンを押しやがった。俺の部屋のあるフロアだ。
「……大人しく帰れってことですか」
「いや」
ちょこんと首をかしげると、『姫』はあどけない口調でおおせられた。
「戻る前に……水が飲みたい」
おいおい、今、自分が両手に抱えてるのは何なんだ? 俺には500ml入りのミネラルウォーターのペットボトルに見えるんですがね?
「自分とこ帰ってから飲めばいいでしょうがっ」
「アルコール検査の前に水を飲むのは常套手段じゃないか」
だったら車ん中で飲めばいいだろうに! まさかボトルからは直に飲めない、とか言うつもりじゃあるまいな?
「……誘ってるつもりなら、きっぱりお断りしますよ」
横目で表情をうかがいながら憮然とした口調で言い切ると、レオンはぱちぱちとまばたきして、それからくっくっと声をたてて笑い始めた。
上品に口に手ーあててるところが余計にムカつく。
「……っ!」
ったく、人が心配してるってぇのにこのよっぱらいときたら!
こいつは鏡で毎日この綺麗な顔を見てるうちに、だんだん性格がねじれて悪くなってったんだ。きっとそうに違いない。
タイミング良く開いたエレベーターからざかざか大またに歩き出す。
「さっさと来りゃいいじゃないですか! ええ、水でも何でも好きなだけ飲んでけばいい!」
頭から湯気ふき出しそうな心境で自分の部屋の前まで歩き、拳を握ってずいっと親指でポイントする。
「Hey,Leon! come on!(来るんだったらとっとと来やがれレオン!)」
「そんなに怒るなよ」
「怒る? 誰が? 俺が?」
さして悪びれる様子もなくとことこと歩いて来た。
妙な話だが、自分が子ども相手に怒鳴り散らしてるような錯覚にとらわれる。
「………………いや…………………そうか……」
こいつは確かに子どもなのだ。
最愛の人から離れて、ひとりぼっちで途方に暮れてる。
頭の片隅で古いジャズのレコードが回り始める。少しかすれて調子の外れた歌声が記憶の中から流れ出す。
Sometimes I Feel like a Motherless Child……
ガキの時分はこの歌が大っきらいで、ちらとでも耳にするたびに速攻で消したもんだ。ラジオのスイッチを切る、テレビのチャンネルを変える。それができなきゃ急いで音の聞こえる範囲から退避した。
今はと言うと……さりげなくiPodのローテーションに加えてある。
くいっと眼鏡の位置整えてから鍵を開け、うやうやしくドアを開けた。
「魔界へようこそ」
「ふむ」
中に入るとレオンは周囲を見回し、それから軽く拳を握って口元に当てた。ディフそっくりの仕草と口調で。
「……何言いたいかはおおよそ察しがつきますよ……」
「シエンが掃除に来てるんじゃなかったかな?」
「来ましたよ、先週。おかげで食器類は清潔に保たれてる」
積み上げた資料や雑誌をざっと横に避けてソフアーの上に空間を開け、テーブルにどんっとコップを置いて。
「それ、こっちに」
水のペットボトルを受け取り、封を切ってコップに注いだ。
「どうぞ」
「ありがとう」
やれやれ、やっといつもの顔になってきたか。
ほっとして、冷蔵庫の隅に転がってたリンゴを一個取り出し、皮のままかじる。
レオンは素直に水を飲みながらぼんやりしている。
リンゴが芯だけになってもまだぼんやり。
「………レオン?」
「………………ん、何かな」
「ぼーっとしてた。珍しく。後一回呼んで返事がなけりゃ、『姫』って呼んでやろうかと思った」
「ああ……じゃあ、戻るよ。水、ありがとう」
「どーいたしまして。次に飲む時は誘ってください。おつきあいしますよ」
立ち上がる彼をドアまで送り出す。
「………レオン。大丈夫だよ。大丈夫だから」
別れ際にそっと手を握った。
「……ああ」
「おやすみ。オティアとシエンによろしく」
「来ないのか?」
「……よろしいので?」
「そうか、おやすみ」
すたすたと歩き出しやがったよ、この人は! ちょっとは引き留めるとかしようと思わないのか、ええ? ってかもしかして俺をいじくって発散してないか、レオン?
「っこのいじめっこがっ」
走って追いかけるとエレベーターに乗り込み、今度こそ最上階を押す。
「……あの部屋に、戻るのが怖かったんだ……本当は」
「怖い? 自分の家じゃありませんか…………………ディフがいないから?」
彼は少し自嘲気味に笑って、そのあとはずっと黙っていた。
Sometimes I feel like a motherless child
Sometimes I feel like a motherless child
Sometimes I feel like a motherless child
A long ways long ways long ways from home
エレベーターのドアの開く直前、ぼそりとささやく。我ながら妙なこと口走ってるなと自嘲しながら。
「たまに奴のことをお袋みたいだなって思うことがある。同い年なのに。男なのに」
レオンは何も言わずに聞いてくれた。
ひょっとしたら聞こえてなかっただけなのかもしれないが、とにかく今度は声を立てて笑うようなマネはしなかった。
※ ※ ※ ※
レオンの部屋のドアの前まで来たが、肝心の鍵を持ってる奴が動こうとしない。
「まさか鍵忘れて開けられない、とか言いませんよね?」
「………あるよ」
「じゃ、なんで入らないんすか」
「怒られると思うと入りづらいじゃないか」
にやりと笑う。
「入りなさい。レオン。ついてってあげますから?」
「冗談だよ」
「ほんとに?」
いい年こいた大人二人が大人げない会話をしているところに、かちゃりとドアが開く。
「あ」
「おかえりなさいませ」
「やあ、アレックス」
レオンは小さく溜息をついた。
「ただいま」
もしかしてアレックスに叱られるのが怖かったのか? まさかな。
やっぱ電話の相手だろう。
しかし肝心のお怒りの人は一向に出てくる気配がない。ちらとでも顔が拝めればと思ったんだがなあ。
「おかえりなさい」
ひょっこりとシエンが顔を出した。
「よ、シエン。迷子は無事に回収したぜ」
「心配をかけたようで、すまなかったね」
「ん……アレックスがいてくれたし」
のびあがって未練ったらしく奥をうかがっていると、シエンに気を使われてしまった。
「あ……えっと……」
今度は俺がため息をつく番だった。
「ん、いやいいんだ。役目は果たしたから」
「さっき電話をしたらすごく叱られてね」
「あー……」
シエンは微妙な表情で後ろを振り返り、部屋の方を見ている。
「何て叱られたんです?」
「よっぱらいと話をする気はないって」
「ぷっ」
遠慮無くふき出した。さっきこいつは俺のことをさんざん笑ってくれたんだ。ちょっとぐらいお返ししたっていいだろう?
「今日はオティアに弁明するのは諦めるよ……遅くに悪かったね。おやすみ、シエン」
「おやすみ……」
※ ※ ※ ※
自分の部屋に戻る途中、ディフの部屋の前で足が止まる。
Sometimes I feel like a motherless child
A long ways from home
確かに俺に母親はいない。オティアにも。シエンにも。レオンの両親は健在だが家族の絆は薄く、無いに等しい。
だが、俺の家はここだ。
「メイリールさま」
背後から控えめに呼びかけられる。
「どうした、アレックス。レオンは?」
「お休みになられました」
やれやれ、やっぱりつぶれたか。その方が安心だ。少なくともこれ以上飲む心配はない。
「それで……不しつけなお願いなのですが、レオンさまはどちらに車を置いてこられたのか、お教えいただけますでしょうか?」
「車、取りに行くのか?」
「はい」
賢明な判断だ。ハンドルロックなんて気の利いたものを、あの状態のレオンがかけたとは思えない。
「案内するよ。……いや、店まで送ろう」
「おそれ入ります」
アレックスと二人、エレベーターに向かって歩き出す。
二度目の『夜のドライブ』の始まりだ。今度はいじめられることはないだろう。
次へ→【3-14-5】★そして彼は黒をまとう
「着きましたよ。降りてください」
「ん……ありがとう」
「どーいたしまして」
素早く助手席側に回ってドアを開け、『姫』をエスコートした。
とりあえずちゃんと立って歩いてはいるが、いつぐらりと来ても支えられるよう、そばに付き添ってエレベーターに向かった。
「そんなに飲んでないよ」
「一応ドアの前まで送らせていただきます……それぐらいの役得あってもいいでしょ?」
「誰かの顔が見たいだけだろう」
楽しそうな顔しやがって。ああ、図星だよ。図星だともさ。
「ええそうですよ。オティアの顔が見たい」
最上階のボタンを押す。
しかしエレベーターのドアが閉まるなりレオンの奴は手を伸ばし、3階のボタンを押しやがった。俺の部屋のあるフロアだ。
「……大人しく帰れってことですか」
「いや」
ちょこんと首をかしげると、『姫』はあどけない口調でおおせられた。
「戻る前に……水が飲みたい」
おいおい、今、自分が両手に抱えてるのは何なんだ? 俺には500ml入りのミネラルウォーターのペットボトルに見えるんですがね?
「自分とこ帰ってから飲めばいいでしょうがっ」
「アルコール検査の前に水を飲むのは常套手段じゃないか」
だったら車ん中で飲めばいいだろうに! まさかボトルからは直に飲めない、とか言うつもりじゃあるまいな?
「……誘ってるつもりなら、きっぱりお断りしますよ」
横目で表情をうかがいながら憮然とした口調で言い切ると、レオンはぱちぱちとまばたきして、それからくっくっと声をたてて笑い始めた。
上品に口に手ーあててるところが余計にムカつく。
「……っ!」
ったく、人が心配してるってぇのにこのよっぱらいときたら!
こいつは鏡で毎日この綺麗な顔を見てるうちに、だんだん性格がねじれて悪くなってったんだ。きっとそうに違いない。
タイミング良く開いたエレベーターからざかざか大またに歩き出す。
「さっさと来りゃいいじゃないですか! ええ、水でも何でも好きなだけ飲んでけばいい!」
頭から湯気ふき出しそうな心境で自分の部屋の前まで歩き、拳を握ってずいっと親指でポイントする。
「Hey,Leon! come on!(来るんだったらとっとと来やがれレオン!)」
「そんなに怒るなよ」
「怒る? 誰が? 俺が?」
さして悪びれる様子もなくとことこと歩いて来た。
妙な話だが、自分が子ども相手に怒鳴り散らしてるような錯覚にとらわれる。
「………………いや…………………そうか……」
こいつは確かに子どもなのだ。
最愛の人から離れて、ひとりぼっちで途方に暮れてる。
頭の片隅で古いジャズのレコードが回り始める。少しかすれて調子の外れた歌声が記憶の中から流れ出す。
Sometimes I Feel like a Motherless Child……
ガキの時分はこの歌が大っきらいで、ちらとでも耳にするたびに速攻で消したもんだ。ラジオのスイッチを切る、テレビのチャンネルを変える。それができなきゃ急いで音の聞こえる範囲から退避した。
今はと言うと……さりげなくiPodのローテーションに加えてある。
くいっと眼鏡の位置整えてから鍵を開け、うやうやしくドアを開けた。
「魔界へようこそ」
「ふむ」
中に入るとレオンは周囲を見回し、それから軽く拳を握って口元に当てた。ディフそっくりの仕草と口調で。
「……何言いたいかはおおよそ察しがつきますよ……」
「シエンが掃除に来てるんじゃなかったかな?」
「来ましたよ、先週。おかげで食器類は清潔に保たれてる」
積み上げた資料や雑誌をざっと横に避けてソフアーの上に空間を開け、テーブルにどんっとコップを置いて。
「それ、こっちに」
水のペットボトルを受け取り、封を切ってコップに注いだ。
「どうぞ」
「ありがとう」
やれやれ、やっといつもの顔になってきたか。
ほっとして、冷蔵庫の隅に転がってたリンゴを一個取り出し、皮のままかじる。
レオンは素直に水を飲みながらぼんやりしている。
リンゴが芯だけになってもまだぼんやり。
「………レオン?」
「………………ん、何かな」
「ぼーっとしてた。珍しく。後一回呼んで返事がなけりゃ、『姫』って呼んでやろうかと思った」
「ああ……じゃあ、戻るよ。水、ありがとう」
「どーいたしまして。次に飲む時は誘ってください。おつきあいしますよ」
立ち上がる彼をドアまで送り出す。
「………レオン。大丈夫だよ。大丈夫だから」
別れ際にそっと手を握った。
「……ああ」
「おやすみ。オティアとシエンによろしく」
「来ないのか?」
「……よろしいので?」
「そうか、おやすみ」
すたすたと歩き出しやがったよ、この人は! ちょっとは引き留めるとかしようと思わないのか、ええ? ってかもしかして俺をいじくって発散してないか、レオン?
「っこのいじめっこがっ」
走って追いかけるとエレベーターに乗り込み、今度こそ最上階を押す。
「……あの部屋に、戻るのが怖かったんだ……本当は」
「怖い? 自分の家じゃありませんか…………………ディフがいないから?」
彼は少し自嘲気味に笑って、そのあとはずっと黙っていた。
Sometimes I feel like a motherless child
Sometimes I feel like a motherless child
Sometimes I feel like a motherless child
A long ways long ways long ways from home
エレベーターのドアの開く直前、ぼそりとささやく。我ながら妙なこと口走ってるなと自嘲しながら。
「たまに奴のことをお袋みたいだなって思うことがある。同い年なのに。男なのに」
レオンは何も言わずに聞いてくれた。
ひょっとしたら聞こえてなかっただけなのかもしれないが、とにかく今度は声を立てて笑うようなマネはしなかった。
※ ※ ※ ※
レオンの部屋のドアの前まで来たが、肝心の鍵を持ってる奴が動こうとしない。
「まさか鍵忘れて開けられない、とか言いませんよね?」
「………あるよ」
「じゃ、なんで入らないんすか」
「怒られると思うと入りづらいじゃないか」
にやりと笑う。
「入りなさい。レオン。ついてってあげますから?」
「冗談だよ」
「ほんとに?」
いい年こいた大人二人が大人げない会話をしているところに、かちゃりとドアが開く。
「あ」
「おかえりなさいませ」
「やあ、アレックス」
レオンは小さく溜息をついた。
「ただいま」
もしかしてアレックスに叱られるのが怖かったのか? まさかな。
やっぱ電話の相手だろう。
しかし肝心のお怒りの人は一向に出てくる気配がない。ちらとでも顔が拝めればと思ったんだがなあ。
「おかえりなさい」
ひょっこりとシエンが顔を出した。
「よ、シエン。迷子は無事に回収したぜ」
「心配をかけたようで、すまなかったね」
「ん……アレックスがいてくれたし」
のびあがって未練ったらしく奥をうかがっていると、シエンに気を使われてしまった。
「あ……えっと……」
今度は俺がため息をつく番だった。
「ん、いやいいんだ。役目は果たしたから」
「さっき電話をしたらすごく叱られてね」
「あー……」
シエンは微妙な表情で後ろを振り返り、部屋の方を見ている。
「何て叱られたんです?」
「よっぱらいと話をする気はないって」
「ぷっ」
遠慮無くふき出した。さっきこいつは俺のことをさんざん笑ってくれたんだ。ちょっとぐらいお返ししたっていいだろう?
「今日はオティアに弁明するのは諦めるよ……遅くに悪かったね。おやすみ、シエン」
「おやすみ……」
※ ※ ※ ※
自分の部屋に戻る途中、ディフの部屋の前で足が止まる。
Sometimes I feel like a motherless child
A long ways from home
確かに俺に母親はいない。オティアにも。シエンにも。レオンの両親は健在だが家族の絆は薄く、無いに等しい。
だが、俺の家はここだ。
「メイリールさま」
背後から控えめに呼びかけられる。
「どうした、アレックス。レオンは?」
「お休みになられました」
やれやれ、やっぱりつぶれたか。その方が安心だ。少なくともこれ以上飲む心配はない。
「それで……不しつけなお願いなのですが、レオンさまはどちらに車を置いてこられたのか、お教えいただけますでしょうか?」
「車、取りに行くのか?」
「はい」
賢明な判断だ。ハンドルロックなんて気の利いたものを、あの状態のレオンがかけたとは思えない。
「案内するよ。……いや、店まで送ろう」
「おそれ入ります」
アレックスと二人、エレベーターに向かって歩き出す。
二度目の『夜のドライブ』の始まりだ。今度はいじめられることはないだろう。
次へ→【3-14-5】★そして彼は黒をまとう