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ローゼンベルク家の食卓

【3-13-9】天使のいない夜

2008/06/13 3:45 三話十海
「やあ、オティア。珍しいね、どうしたんだい?」
「ディフが帰ってきてない」
「……すぐ帰る。夕食はアレックスに頼みなさい」

 こんな時間まで彼が戻らないなんて、子どもたちが家に来てからは初めてのことだ。しかも、何の連絡も無しに。すぐにバートン捜査官に電話すると、申し訳なさそうに告げられた。

「実は……マックスにつけておいた護衛が……振り切られた。すまない」
「彼はプロだからね。それで、ディフは今どこに?」
「現在、捜索中だ」

 ディフが自分の意志で護衛をまいたとなると、容易に見つかりはしないだろう。
 彼は探偵だ。尾行のやり方を心得ていると同時に、かわすやり方も熟知している。
 だが何故、そんな事をしたのだろう?

 バートン捜査官との電話を終えてから改めてディフの携帯にかけるが、電源が切られていた。
 駐車場に降りる途中で探偵事務所にも立ち寄ってみたが、居なかった。ざっと見たところ荒らされた形跡もない。

 ただの思い過ごしであってくれればいいのだが……。
 

 ※ ※ ※ ※

 
 家に戻り、遅い夕食をとる。無言のまま、機械的に食べ物を口に運ぶ。ほとんど味もにおいもわからない。
 シエンがしきりと時計を気にしている。珍しく携帯を食卓の上に置いている。ディフからの電話を待っているのだ。いつ、かかってきてもいいように。かかってきたら、すぐ出られるように。
 
 極めて静かな夕食を終え、食後のコーヒーを飲んでいると、インターフォンが鳴った。
 階下に荷物が届いたらしい……バイク便で。届けに上がってくるよう伝えた。

 ほどなく呼び鈴が鳴る。運送会社の制服を来た配達員が封筒を持って立っていた。サインをして受けとる。少し厚みがあるが、妙に軽い。
 差出人はディフォレスト・マクラウド、だが筆跡が違う。

 彼の字じゃない。

「オティア。シエン。二人とも、部屋に行きなさい」
「でも、お皿、洗わないと……」
「アレックスに頼むから。いいね」
「……はい」

 ヒウェルが足早にキッチンに歩いて行き、使い捨てのゴム手袋を持って戻ってきた。

「これを」
「ありがとう」
 
 手早くはめて、封筒を明かりに透かす。配線や金属の類いは入っていないようだ。注意深くハサミで封を切り、中身をテーブルの上に取り出す。
 中に入っていたのは一房の髪の毛。色は見慣れた赤、ゆるくウェーブがかかっている。

「くそっ」

 ヒウェルが悪態をつく。ほぼ同時に部屋の中に鈍い音が響いた。

「………レオン。大丈夫ですか?」

 右手に鈍い痛みと衝撃の名残が残っている。知らずにテーブルを殴りつけていたらしい。

「ああ……」

 拳を握る。薄い手袋を通してきりきりと、爪が手のひらに食い込む。

「FBIに連絡を」
「了解」

 ヒウェルと顔を見合わせ、どちらからともなく書斎に向かって歩き出す。この話、これ以上子どもたちに聞かせる訳には行かない。


 ※ ※ ※ ※


 火のついていない煙草をぎりっと噛む。本来ならエンドレスでふかしたい所だがここはレオンの書斎だ、喫煙などもっての他。
 たとえ非常時だろうとこれだけは変わらない。

 目の前には一枚の封筒。中身は一房の赤毛。長さといい、色といい、今さら誰のものかなんて確かめるまでもない。
 レオンはテーブルを殴りつけた後は至って落ちついている……ように見える。いつもと同じ様に穏やかで、冷静で。
 ヤバい傾向だ。どれだけストレス感じていようが、表面に出ないから始末が悪いんだよこの男は。

「Mrs.ダーヘルムとMr.バートンがおいでになりました」

 アレックスの案内でFBIの「モルダーとスカリー」がお出ましだ。
 二人とも慣れた手つきで薄いゴムの手袋を取り出し、はめて、封筒と中身を受けとった。

「ざっと見たけど刃物で切断されてる……毛根がないとDNA鑑定は難しいわね」
「だが封筒から犯人のが出るかも知れないだろう。前科があれば、割り出せる」
「OK。うちのラボに持ち帰る? それとも市警で?」

 すっと片手を上げてご注進申し上げた。

「市警。元身内だから優先順位が高い」

 それに市警察のCSIにはエリックがいる。奴なら最優先でやってくれるはずだ。
 腹の底で薄らぐらい算盤をはじいていると、藤色がかったグレイの瞳で見上げられた。

「捜査に私情を持ち込むつもり? H」

 低い声、落ちついた口調。どんな時でも冷静、聡明にして剛胆。ああ、まったくもって魅力的な人だよ、オルファ……あなたが女性でさえなければ。

「持ち込みますよ。俺ぁ奴の友人ですからね。それに俺は警官じゃない」
「そうよね、ジャーナリストですものね。あなたが私情を挟まないのは……」
「書く時だけ」

 書く時だけ。
 その一言が、ちりっと記憶の底に引っかかる。
 改めて、ジップロックの中に収められた『証拠品』を凝視する。

 透明な袋に封じこまれた一房の赤毛。小さなラベルに採取した日付を添えて……。
 以前、これと同じ光景を見ている。

 そうだ。
 確かに、俺は、見た。

 記憶をたぐっている最中にレオンの携帯が鳴った。
 レオンは携帯を取り出し、ちっぽけな液晶画面に表示される名前を確認してから開いて耳に当てた。

「ディフ?」

 相手の返答を聞くなり、レオンは無言で携帯をスピーカーモードに切り替えた。

「やあ……ローゼンベルク。借り物の携帯から失礼するよ。俺を覚えているか?」

 流れる声に記憶が巻き戻る。
 奴だ。

「四年前は世話になったなぁ。お前と、あの忌々しい眼鏡の記者に……」

 フレデリック・パリス。
 四年前、俺が始めての署名入りの記事を書いた際にターゲットにした男。
 元警察官、犯罪組織と繋がり、容疑者に取り調べと称してセクハラをくり返していた。
 自分を裏切った妻と同じ、赤毛の人間に異様に執着する性質があり、秘かにディフを狙っていた。

 何故、今、奴の声がレオンの携帯から聞こえるのか。
 借り物って言ったよな。誰からだ?
 くそ、考えたくもない!

「ディフォレスト・マクラウドを預かっている。理由はわかってるだろう? この間、手紙でも警告したあの一件。考え直してもらえないか?」
「馬鹿なことを……それで俺が態度を変えるとでも」

 なるほど、件の脅迫状の送り主は彼だったのか。ってことは、あれか。警察官から犯罪組織の一員に鞍替えしたってことか?
 ある意味、適職だ。

「彼は………………最高だな。君が仕込んだのか?」

 やりやがった!

 レオンの顔から血の気が失せた。
 端正な顔立ちそのままに、蝋人形さながらに蒼白く。表情こそ変わらないが、凍えるような殺気が全身からにじみ出す。
 部屋の気温が一気に下がったような気がした。
 オルファとジェフリー、二人のFBIの顔色が変わる。無理もない、初めて見るだろうからな、レオンのこんな一面を。
 慣れてるはずの俺だって、今回のはさすがに背筋が凍る。この殺気が向けられた相手が自分じゃないことに安堵せずにはいられない。

(哀れなり、パリス。汝の墓は今、掘られた)

「首筋の薔薇の花びらみたいな傷跡がね……あまりに赤く染まってきれいだから……思わず噛んじまった。いい声で鳴いたよ。あいつがあんな声出すなんてねぇ」
「用件は手短に頼むよ。俺の気が変わらないうちにね」
「OK、ローゼンベルク。迎えに来てやれよ。奴は当分一人じゃ歩けそうにないぜ…君一人で、だ。SPは無し、警察も無し」
「わかった。」
「時間と場所は追って連絡する。電話にはすぐ出ろよ? 遅れたらその分、マックスの苦痛が長くなる……いや、“快楽”と言うべきかな」

 くぐもった忍び笑いとともに電話が切れた。

「……ヒウェル」
「はい」
「携帯電話からだ。場所を特定してくれ」
「了解」

 レオンはFBIの捜査官二人の方をちらりと見やり、いつもと全く変わらない口調で静かに告げた。

「聞いてのとおりです。アレックス!」
「はい」
「Mrs.ダーヘルムとMr.バートンがお帰りだ。案内してさしあげてくれ」
「かしこまりました……こちらにどうぞ」

 有無を言わさぬ態度で会見の終わりを告げると、レオンは速やかに『モルダーとスカリー』を送り出した。
 部屋を出る間際にジェフリーが振り向いて口を開いた。いつものように低い、穏やかな声で。

「OK、今はおいとまするよ。だけどレオン、くれぐれも独自に動かないでくれ。いいね?」

 レオンはちらりとアレックスに目配せし、有能執事は黙って出口を指し示した。うやうやしく、この上もなく優雅な仕草で。


 ※ ※ ※ ※


 目の前で書斎のドアがばたりと閉まる。少し先には忠実な執事の背中。

「どうする」
「どうするって…見つけるしかないでしょう。彼が何かやらかす前に」

 オルファとジェフリー、二人のFBI捜査官は互いに視線は会わせず前を見たまま、小声で話しながら歩き出した。リビングに入ると……ひっそりとオティアがいた。

「あ……」

 はっと二人は口をつぐんだ。

「レオンに追い出されたのか」
「……まあ、そんな所だな」
「話がある」
「今じゃなきゃダメかい?」
「明日じゃ意味がない」

 ジェフリーはちらりとオルファに目配せした。『どうする?』

「ディフは誘拐されたんだな。レオンがあんたたちを追い出すならそれしかない」
「君……」
「俺なら、ぶちきれた弁護士でも追い払ったりしない。そう思わないか?」
「的確な判断力ね。その通りよ」
「オルファ?」
「そこまで知って声をかけたのだから、あなたが伝えたいことには意味がある。言って」
「簡単だ」

 ちらりとアレックスの方を見ると、オティアは一歩二人に近づき、低い声でぼそぼそと囁きかけた。

「俺はあんたたちに連中の動きを教える」

 藤色がかった灰色の瞳すっと細められる。

「OK」

 ほっそりした指がペンを握り、さらさらと手帳に番号を書いてからはぎ取り、オティアに手渡す。

「これが私たちの携帯番号。ジェフでも私でもどちらでもいい。相談したいことがあったら、好きな方に連絡して」

 少年は黙ってうなずいた。


 ※ ※ ※ ※


 エレベーターに乗り、扉が閉まるのを確認してからバートンは口を開いた。

「いいのか、これで」
「いいのよ。マクラウドを無事に取り戻したいのはあの子も同じでしょ? 自主的に情報提供してるんだから断る理由がない」

 相棒の声にはよどみも揺れも無く、迷いは微塵も感じられない。いつもながら意志の強い人だ。

「しかし……」
「彼は法を駆使するけど正義は信じちゃいない。そう言ったのはあなたよ? ジェフ」

 そうだ、確かに言った。
 オルファはスーツの襟元をきゅっと指先で整えた。わずかに茶色を帯びた柔らかな色合いの上着の下には、愛用の拳銃が潜んでいる。
 彼女のほっそりした腕に相応しい小口径の銃。だが狙いは外さない。いつでも的確に、最大限の効果を与えられる場所を撃ち抜く。

「それに……いざと言う瞬間、ローゼンベルクを止めるのにHじゃあ役不足だ」
「OK、わかった。もう異議は唱えないよ」
「ありがとう。それじゃ、市警察との交渉、お願いできる? あなたの方が、受けがいいから」


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