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ローゼンベルク家の食卓

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2008年5月の日記

【ex2-7】ヒウェル釣られる2

2008/05/12 0:45 番外十海
 さすがに市警察は口が堅い。しかし、件の不良警官、フレデリック・パリスの交友関係は実にバラエティに富んでいて。また、その中には彼を蹴落とすためならいくらでも喋ってくれる『お友達』も存在したのである。

 ウワサの尻尾を掴めば、後は裏付けを取りさえすれば良かった。本来の仕事をこなしつつ、カメラを抱えてパリスに張り付き続けること約二ヶ月弱。六月も終わり、直に七月と言う頃にようやく、決定的な一枚を写すとことに成功した。

 それからはもう、夜も昼もなく寝食の暇を惜しんで執筆に没頭し……一週間後に半ばゾンビになりつつ、書き上げたレポートをプリントアウトし、物的証拠と入念な調査結果を揃えてペットの紹介記事と一緒にデスクに提出した。

 読み終わるまで、デスクは一言も喋らなかった。柄にもなくおどおどしながら待っていると、ばさりと紙の束を置いて一言。

「足りないな」
「裏付けが?」
「いや。お前さんの名前だよ。書いた奴の名前書かないでどうするんだ?」
「え? それって……」
「さっさと書け。手書きでいいから」

 震える手で胸ポケットからボールペンを抜き取り、自分の署名を記事の最後に書き加えた。
 初めての署名入りの記事だ……やったぜ、ちくしょう!

 しかしその反面、かすかな疑いがくすぶっていた。消し忘れたおき火のようにちろちろと。
 もしかして、俺は、体よく『姫』に使われたんじゃないかって。



 ※ ※ ※ ※


 新聞の出る前に、報告に伺った。ネタを賜った張本人なんだ、締めくくりを知らせるのが筋と言うもんだろう……ってのは建前で。
 例の疑いを確認しておきたいってのもあったんだ。
 謁見の場は、ブラッドフォード法律事務所……彼のバイト先だ……を指定された。
 その方がいい。この話、断じて自宅でする訳には行かない。何てったって今や、フレデリック・パリスの元相棒だった男が隣に住んでいるのだから。

 事務所を訪れ、さすがに堅くなりながら来訪の旨を告げると、受付嬢と楽しげに話していたやたらフレンドリーで声のでかいラテン系の男が中へと案内してくれた。

「Hey,レオン! 君のお友達を連れてきたよ」
「ありがとう、デイビット。申し訳ないけれど少し外してもらえるかな。デリケートな話なんだ……彼は新聞記者なんだよ」
「おお、そうだったのか。クロニクル? イクザミナー?」
「一応、Eのつく方で……あ、これ名刺です」
「ほう、確かに! じゃあ私からも」

 入れ違いに彼から渡された名刺には、デイビット・A・ジーノと書かれていた。

「それじゃ、ごゆっくり!」

 Mr.ジーノが出て行くと、急に応接室の中はシーンと静かになった。

「座って。長くなるんだろう?」
「ええ、まあ……ね。煙草いいっすか?」
「かまわないよ」

 革張りのソファに腰を降ろし、一本取り出して口にくわえる。愛用の赤い模様の入った銀色のオイルライターで火を着けて一服吸い込み、肺にためてから吐き出す。
 ミントの香りが鼻腔から喉、胸、腹へと走り抜ける。
 よし、だいぶすっきりしたぞ。

「例の警官の記事ね。明日の朝刊に出ます。一応、ご報告しとこうと思って」
「思ったよりはやかったね」
「最近、めぼしい事件もありませんでしたからね。何か、インパクトのある目玉が欲しかったんでしょう」

 くいっと眼鏡の位置を整えて、レオンと目線を合わせた。
 ほほ笑んでる。
 やわらかな和毛にくるまれた小鳥みたいな顔で。(だまされないぞ、あんたの中身はそんな可愛げのあるもんじゃない)
 
「……あなたの言う通り、事情聴取にかこつけて女性にセクハラしてました。年齢も職業もバラバラだけど、共通項が一つあった」
「ほう?」
「被害者が全員、見事な赤毛だったんですよね」
「そうらしいね」
「男も何人かいた。両方、イケるくちだったみたいですね」
「何度もやっているだろうとは思ったんだが、そこまで広範囲だとは思わなかったな」
「……本当に?」
「よく居るだろう? セクハラとコミュニケーションを混同しているタイプ。それとは少し違うなと思ったからね」
「ええ。赤毛に異様な執着を持ってる奴だった。証拠と称して被害者の髪の毛を一房ずつコレクションしてやがった……」
「彼の別れた奥さんも赤毛だったそうじゃないか」

 やっぱり知ってたんだな。だが、それだけじゃないだろ。俺は知ってる。あなたも知ってるはずだ、レオン。
 クリスタルガラスの灰皿に煙草をねじ込み、じわりと駒を進めた。

「俺たちの『共通の友人』と同様にね。これって、単なる偶然でしょうか?」
「……不満そうだね。じゃあ種明かしをしようか」
「ええ、ぜひ」
「その男、俺がディフの家にいる時に尋ねてきたことがあってね」
「引っ越す前? 後?」
「前、だ」
「……」
「そのあとも彼の家の周辺で何度か見かけた」
「つきまとってた……いや、狙ってた?」
「署内で顔をあわせることもあったんだが、やけにからんでくるしね。少し聞いてみたら、他の赤毛の女性にも同じようなことをしていたらしい」
「あいつ、そっち方面に対する警戒心まっっったくないからなぁ……」
「その分こちらが心配してあげればいいだけさ」
「……怖い人だ……」
「あれだけあからさまに敵意を向けられたら嫌でも気づくよ」
「そりゃあディフがあなたに向ける目は…別格ですから。嫌でも気づきます…………………本人以外は」

 うっすらとレオンが微笑う。さっきみたいな作り笑いじゃない。
 本気の……しかし、ひとかけらの温かさもない、月よりもなお冷たい笑みだった。
 ひと目見た途端、体の中心から生きて行くための根本的な熱みたいなものが、すうっと奪われるのを感じた。

 その時、思ったのだ。
 二度とこの男には逆らうまい、と。

「明日の朝刊、楽しみにしてるよ、ヒウェル」


 ※ ※ ※ ※


 俺の書いた記事は翌日の朝刊を飾り、ほどなくフレデリック・パリスは逮捕、警察を懲戒免職された。
 親父とお袋からは電話がかかってきて、『この新聞は額縁に入れて飾る!』とまで言われた。
 ちょっとは恩返し、できたのかな。

 ただ唯一この事件で悔やむことがあるとすれば、奴がルースの父親だったってことだ。
 
 続けて追いかけたかったのだが、第二報から先は俺はこの件の担当を外されて、然るべきベテランの記者がとって代わった。
 どうやら体のいいトカゲの尻尾にされていたらしい。
 事が事だけに万が一『外れ』を引いた場合、斬り捨てても惜しくない新米に署名を入れさせたって訳だ。記事に署名を入れるってのは、つまりそう言うことなのだ。

 ……なるほどね。よーくわかった。
 そう言うことならこの先、自ら進んでヤバい事件に首をつっこんでやろうじゃないの。
 斬り捨て上等、どんどん露払いを買って出て、署名入りの記事を書きまくってやる。
 その調子で二年、いや一年も実績を積めば、フリーになっても食って行ける程度にハクも着くだろうよ。

 せいぜい俺を利用するがいい。俺もあんたらを利用する。



次へ→【ex2-8】7月の雨
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【ex2-8】7月の雨

2008/05/12 0:48 番外十海
「……センパイ?」
「ああ……エリックか」
「コーヒー、冷めちゃってますよ」
「そーだな」

 別にコーヒーが飲みたかった訳じゃない。ただ一人になりたかったんだ。今、詰め所にいると嫌でもフレディの話が耳に入っちまう。

「……雨、降ってますね」
「ああ、予報通りだな」

 そのまま二人でぼんやりと、休憩室の窓から外を眺めていた。
 雨粒があとからあとからぶつかって、滴り落ちて。霞んで歪んだ風景の中に、ちらりと見覚えのある人影が見えた。

「……あれはっ」
「センパイ?」

 紙コップを放り出して外に飛び出した。
 降りしきる雨の中にぽつんと、やせっぽちの女の子が立っている。白い服を着て、傘もささずに。ブロンズ色の髪の毛がぐっしょり濡れて顔の回りにへばりついている。

「ルース」

 小さな体が腕の中に飛び込んで来る。
 黙って受けとめ、自分の体で包み込んだ。降りしきる雨から少しでもこの子を守りたくて。

「や……わたし……他所になんか……行きたくない」
「ルース。ママが心配するぞ?」
「知らない、ママなんか!」

 水色の瞳がすがりつくように見上げてくる。ここに居たいと訴えている……。
 だけど。
 ふっと雨が途切れる。背後から誰かが傘をさしかけていた。

「センパイ」
「……エリック。迷子を保護した。名前は………ルーシー・ハミルトン・パリス」

 びくっと細い肩が震える。耳慣れぬ母親の姓に反応したのだろう。

「マックス……いや、お願い」

 かすれた声で言いながら首を横に振る。喉元にせり上がる苦い塊を飲み下し、言葉を続けるしかなかった。

「母親が探してるはずだ。知らせてくれ」
「了解」

 片手で傘を持ったまま、エリックは携帯を取り出し、電話をかけた。
 ルースが顔をくしゃくしゃに歪めて、つっぷしてくる。俺の胸に体を埋める様にして。

(ごめんな、ルース)

 黙って背中を撫でる。
 今の俺には、君を受けとめることはできない。
 だから、せめてずっと君を抱きしめていよう。迎えが来る、その瞬間まで。

「センパイ。すぐに母親が迎えに来るそうです」
「…………そうか」

 鉛色の空から、あとからあとから透明な糸が降りて来る。
 ちくしょう。
 7月だってのに、なんて冷たい雨なんだろうな………。


(ファーストミッション/了)

後日談→アフターミッション
次へ→【ex3】有能執事奮闘す

【ex2-0】登場人物紹介

2008/05/12 1:07 番外十海
【ヒウェル・メイリール】
 新米の新聞記者。21歳。
 黒髪、アンバーアイ、身長180cm、細身(と言うか貧弱)
 フレーム小さめの眼鏡着用。
 この頃はまだ堅気。
 口先と舌先、指先を駆使して世を渡る、小悪党と言う言葉がぴったりのこずるい男……の萌芽はすでにちらほら。

【レオンハルト・ローゼンベルク】
 通称レオン
 カリフォルニア大学サンフランシスコ校のロウスクールに通う傍ら、法律事務所でバイト中。
 ヒウェルとは高校時代からの友人。22歳。
 ライトブラウンの髪と瞳、身長180cm、着やせするタイプで意外と筋肉質。
 一見、温厚そうな美人さん、実は腹黒。実家は金持ちだが家族への情は薄い。
 ディフとは一生親友でいようと心に決めていた。

【ディフォレスト・マクラウド】
 通称ディフ、もしくはマックス。
 サンフランシスコ市警察の警察官。21歳。
 ゆるくウェーブのかかった赤毛、ヘーゼルブラウンの瞳、身長180cm、肩幅やや広め。
 がっちりした骨格に適度な筋肉のついた頑丈そうな体格。(実際、丈夫)
 裏表のない直情家、世話好きでおせっかいな熱血漢。
 ヒウェルは高校の同級生で、レオンとは学生時代からの無二の親友。

【フレデリック・パリス】
 通称フレディ。
 サンフランシスコ市警察の警察官でディフの相棒。34歳。
 妻と離婚して娘のルースと二人暮らし。

【ルーシー・パリス】
 通称ルース。ルーシーと言う名前は「COOLじゃないから好きじゃない」らしい。
 フレディの娘、14歳。
 ディフになついている。

【アレックス】
 フルネームはアレックス・J・オーウェン。
 レオンの執事。
 有能。万能。瞳の色は水色。

【デイビット】
 熱いハートをたぎらせた陽気で女性に優しいラテン系弁護士。
 レオンのロウスクールの先輩で同じ法律事務所に勤めている。

【エリック】
 シスコ市警の鑑識課のラボ研究員。
 ディフの後輩、18歳。大学を飛び級しまくったバイキングの末裔。
 ライトブロンド、瞳は青緑色、身長186cm。
 金属フレームの眼鏡着用。


次へ→【ex2-1】ルースと呼ばれた子

クレープみたいに

2008/05/13 18:39 短編十海
拍手御礼用短編の再録。レオンとディフの高校時代のお話。
【side3】チョコレート・サンデーに繋がる一編。

 時計の針が夜の十時を少し過ぎた頃。

 微かに聞こえていた水音が止んだ。レオンはちらりと浴室のドアを見やり、肩をすくめた。
 さあ、試練の始まりだ。意志を強く持て。

 じきに浴室のドアが開き、中からにゅっとルームメイトが出てきた。水気の残る頭をわしわしとタオルで拭いて、身につけているのはトランクス一枚のみ。がっちりした骨格の上を覆う引き締まった筋肉も。その表面を包むきめの細かな肌も、何もかもむき出しのまま、隠そうともしない。

 しなやかな腰から続く広い背中。日焼けした手足と比べていっそう白さが際立つ。肩から背骨にかけて肩甲骨の描くなだらかな隆起は、まるで翼の付け根みたいだ。

 ばさっとタオルが滑り落ち、肩にかかる。白い布地の下から鮮やかな赤毛が現れた。さんざんかき回されて乱れ、しかも湿気を吸っていつもよりくるりと強く巻いている。
 困ったものだね。
 つい、手を伸ばして整えてやりたくなる。

「はー、さっぱりしたぁ。風呂、空いたぞレオン」
「ああ」

 ディフはパンツ一丁のままざかざかと大またに簡易キッチンまで歩いて行き、冷蔵庫を開けた。
 中から紙パックの1リットルサイズの牛乳を取り出し、そのまま直にぐいぐい飲み始める。あのサイズのを2本、常に自分用にキープしてあるのだ。

「ふぅ……」

 無造作に手の甲で口元を拭い、話しかけてきた。

「あー、そう言えば同じクラスのヒウェルってやつがさー」

 何度か聞いたことのある名前だ。仲がいいらしい。写真が趣味で暇さえあればトイカメラでかしゃかしゃやってると言っていた。

「ゲイだった」
「……そうなんだ」
「3年生と付き合ってんだってさ。アッシュって名前だったかな」
「サンフランシスコは開放的でいいね」


 さらりと答えて、開いたノートと教科書に目線を戻す。
 いつものように意志の力を駆使して。

「君のほうはどうなんだい?」
「ああ、モニークな。Wデートじゃなくて1on1でデートしたいなって言ったら……OKしてくれた」

 しばらく喉を鳴らす音がして、それからばくん、と冷蔵庫の扉が閉まった。


「サンフランシスコのことはよくわかんないから、案内してくれると嬉しいって言ったら『うん、いいわよ』って」
「良かったじゃないか」
「…………可愛いって言われたのが、ちょっとな」

 拗ねた口調だ。だいたいどんな顔をしてるか見なくてもわかる。
 眉を寄せて、きっと拳を握って口元に当てている。

「女の子のほうが精神的な成長は早いから」
「…そっか。じゃ、しょうがねーな、張り合っても」

 ぺたぺたと湿った足音がベッドのそばへと移動してゆき、ばさりと布の動く気配がした。
 やれやれ、やっと何か着てくれたか。まったく彼ときたら油断すると風呂上がりに何も着ないで出てくるから目のやり場に困る。
 一度注意したらさすがに全裸はやらなくなったが、できれば下着姿でうろちょろするのも自重して欲しいものだ。
 安堵の息を吐いてディフの方を見ると……確かに着てはいた。白地に青のストライプのパジャマの上着だけ。しかも、その格好で膝を抱えてベッドの上に座りこんでいる。
 目が合うと、ちょっと困ったような顔をして頭をかき回した。

「ごめんな、お前のこと誘おうかと思ったんだけど、ヒウェルが『そーゆー時は1on1でデートしたいって言え、チャンスだから!』って言うから、つい」
「俺は誘ってもらっても、行けないだろうから」
「……そっか……」

(それに女の子が相手では、ね)

 何とはなしに感じていた。
 自分は生涯、女性を愛することはないだろうと。
 経験不足故に異性が苦手だとか、硬派を気取っているとか、そう言ったものとはレベルが違う。
 もっと根本的な部分で、自分は女性を受け入れられない。無理に接触しようとすると、ある種の拒否反応を起こしてしまう。

 だから日常生活の中でも必要以上の接触は避けていた。もう少し大人になれば普通に話すことぐらいできるようにはなるだろう。
 けれどデートに誘ったりパーティーでエスコートしたりするのは難しい。手をつないで歩く。ダンスをする。興味もないし、さしてしたいとも思わない。
 まして生涯の伴侶として一生を共に過ごすなんて……無理だ。

 まさか、湯上がりのルームメイトのあまりに無防備な姿にこんな風にうろたえるようになるとは、予想だにしなかったけれど。

「せっかくデートなんだから、花でも持って行っておいで」
「そうだな。花……何がいいかな……」

 小さくあくびをすると、ごろん、とベッドにひっくり返った。無防備に足を投げ出し、指をもにもにと握ったり開いたりしている。
 目をそらし、ノートに視線を戻した。けれど書かれた文字をいくら目で追っても意識の表面を上滑りするばかりで、ちっとも頭に入らない。

「俺、マーガレットが好きなんだ。家の庭にいっぱい咲いてた」
「花屋の店員に相談すればいい。向こうはプロだから、だいたいのイメージを伝えればつくってくれるよ」
「うん……そうする…………さんきゅ、レオン……………………」

 声の最後はほとんど寝息になっていた。
 用心のためさらに5分ほど置いてから顔を上げると、ディフは完全に眠っていた。うつぶせになって枕を抱えて。

「しょうがないなぁ……」

 布団をかけようにも、当人がその上に寝ている。
 どうしたものかとしばし熟考。
 ふと思いついて左右の端からくるっと持ち上げて、巻き付けるようにして彼の体を覆ってみる。

「ん…………さんきゅ、レオン」

 起きたのかと思ったが、クレープみたいな格好のまま幸せそうに眠っている。どうやら寝言らしい。

「どういたしまして」

 くすっと笑って、勉強に戻る。
 今度は集中できた。



(クレープみたいに/了)

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【後編】

2008/05/17 3:39 三話十海
  • 赤いグリフォン、完結編。
  • 二人ほど新しい登場人物が顔を出しています。気になる方は【3-10-0】登場人物をどうぞ。

【3-10-10】特別なお弁当

2008/05/17 3:42 三話十海
 ヒウェルが夕食に来なくなってからもう一週間経った。その間、オティアは何もなかったような顔をしていたけれど……。

(変だよ、絶対に)

 いつも無口だけど、ほとんどまったく口を開かない。
 夕食の後、いつものようにオティアが皿洗いをしている所に寄って行って声をかける。

「手伝って」
「何を」
「はい」

 冷蔵庫から取り出した卵二つ、さし出した。


 ※ ※ ※ ※


 ガチャリ。
 ドアが開いて、ぬうっとヒウェルが顔を出す。

「…よお、シエン」

 よれよれのぼろぼろ。髪の毛もくしゃくしゃ。シャツもしわだらけ。無精髭もぽつぽつ伸びてる。

「あ……その、具合悪かった…?」
「いや……〆切りが、ちょっとね。飯食う時間も惜しくて」
「これ」

 持って来たお弁当をさし出すと、ヒウェルはくんくんとにおいをかいだ。

「…お、うまそう」

 なんだか犬っぽい。
 ディフがレトリバーならヒウェルはスパニエルあたりかな?
 もーちょっとカジュアルな犬っぽいな……
 テリアとか。


「お前が作ったのか」
「ん…オティアもいっしょに」
「悪ぃ、受けとれな……」

 ない、と言う前にお腹がぐきゅるるる〜と鳴った。

「食べたほうが…」
「…そーする…………あ。こないだの写真、できてる。見てくか?」
「ん」
「入れよ」

 半分予想はしていたけど、部屋の中はすごいことになっていた。
 テーブルの上をざっと片付けてお弁当を広げていると、ヒウェルがこの間写した写真を持ってきてくれた。
 壁にかかっているサンフランシスコの風景写真より小さいけれど、丁寧にパネルにしてある。

「……オレンジジュースしかないけど」

「ありがと。でも俺はもう食べたから」
「そう…か。じゃ、ありがたくいただきます」

 ものすごい勢いでガツガツ食べてる。やっぱりお腹が減っていたんだ。
 ちらっとこっちを見てぼそりと言った。

「…美味い」
「よかった。こっちは俺がつくったんだけどオムレツはオティアが……」

 ヒウェルは目をしばたかせて、慌ててジュースにむせたふりしてる。きっと泣きそうになったんだ。

「…何か…あった?」
「……いや……なん……でも……ない!」

 その不自然に爽やかな笑顔がかえってあやしい。

「そうか…じゃあ違うんだ」
「なにが?」
「ん…オティアがすごく落ち込んでるから…」
「ぁ…………」

 顔がくしゃっとゆがむ。

「違うならいいんだ」
「……………ごめんな……」
「え?」
「…俺のせいなんだ…あいつの気持ちも考えずに一方的に俺の感情、押し付けたから…」
「ええ?」

 いったい何のことなの? わかんないよ、ヒウェル。

「…シエン。最初は仕事の関わりで知り合ったお前たちだけどな…今は何より大事で…大切だ…」
「ん…ありがとう」

 うれしいけど、微妙に寂しい。そんなに優しいこと言ってくれるのはオティアがいるからだよね。
 俺が、オティアと同じ顔してるから……。

「オティアに伝えてくれ。約束通りもう二度と、お前にウザがられるようなマネはしないって」
「オティアがそう言ったの?」

 思わず眉をひそめる。

「相手するのもいちいちウザいって…ま、いつものことだ」
「なんでそうやって好きな人にはつっかかるのかなぁ…」
「…………………………………え……?」
「気にしなくていいよ」
「もう二度とこんなことで煩わせるなって…だから、俺……飯たかりに行くのも…やめようって……」
「ああ、うん。そういうことで悩むの嫌いみたいで。やつあたりだよ」
「やつあたり?」

 本当は、それだけじゃない。
 やつあたりっていうほどやつあたりじゃない。そういう面もあるけど。
 俺も、オティアも、無意識に思っている。必要以上に他人と関わることは避けなくちゃいけないって。
 いつ離れても、捨てられても、つらい思いをしないですむように。いつでもさらりとお別れできるように。

 ここに来る前は、オティアのほうが俺よりもずっと徹底してた。
 誰にも心は許さず、寄ってきたら切り捨てる。それが当たり前で……
 でも、ヒウェルに対してはそれができない。だからイライラしてるし、落ち込むんだ。

 だけど今、ここで言ってもヒウェルには……多分、通じないし理解できない。
 余計に混乱させてしまうだけだろうな。

「子供なんだよ、要するに」
「………マセた口叩くくせに……」
「ごめん…その、俺のせい…かも」

「シエン」
「俺達が…お互いが一番じゃないといやなんだよオティアは…。ずっとそんなじゃいけないってわかってるんだけど」
「俺、兄弟いないからわかんないけど…そーゆーのはちょっと、うらやましい」
「だから、オティアがヘンなこと言い出しても気にしないでいいよ。それに…」
「それに?」
「ちゃんとオティアと話できるの、まだヒウェルだけだから。俺以外では」
「…そうなのかっ?」
「ディフとは家では会話が成立してないでしょ?」
「……あー確かに…言われてみれば……」
「レオンは居る時間が短いから…」

 話している間にヒウェルはお弁当を全部食べ終わっていた。もしかしてここのところ、ずっと真っ当な物食べてなかったのかな。

「……足りなかったら、まだあるけど」
「いや、いっぺんに食い過ぎるとアレだし。腹減ったら………仕事、一区切りついたらまた食いに行くよ」
「うん」

 良かった。やっぱり、夕食はみんながそろってる方がいい。

「写真ありがと…」

 写真のパネルを、そおっとテーブルに置いた。

「うん…気に入ってくれたみたいで…嬉しいよ」
「じゃあ、俺、そろそろ帰るね」

 お弁当を片付けて、部屋を出た。ドアまで見送ってくれた。

「サンキュ、シエン。また懲りずに掃除しに来てくれよ」

 うなずいて手をふって家に帰った。


 ※ ※ ※ ※

 でも、その後ヒウェルはなかなか夕食に来なかった。

 明日は来るのかな、ヒウェル。
 お弁当を持っていってから、もうすぐ三日目になる。


次へ→【3-10-11】猫とサリーと探偵と

【3-10-11】猫とサリーと探偵と

2008/05/17 3:45 三話十海
 高校一年の十月、入学してやっとひと月立った頃にちょっと派手なケンカをやらかした。

「引っ込んでな、カントリーボーイ!」

 突き飛ばされて窓ガラスに激突し、夢中で腕を引き抜いて。ほとんど無意識のうちに相手の顔面にパンチをお見舞いしたらしい。
 気がつくと喧嘩の相手は逃げ出して、クラスの女の子たちや通りがかりの他の生徒が遠巻きに俺を見ていた。
 微妙に凍り付いたギャラリーをかき分けてヒウェルがのこのこ近づき、声をかけてきた。

「マックス」
「………あ?」
「痛くないのか?」

 その時初めて気づいたんだ。シャツの左袖が大きく裂けて。ざっくり一直線に走る傷口から、真っ赤な血がぽたぽたこぼれ落ちてるって。

「……そう言えば、ちょっと痛いような」
「いいから血、止めような」
「こう言う時って押さえるんだっけ、縛るんだっけ」
「それ以前に、布かなんか当てた方がいいと思うぞ」

 もちろんハンカチなんて気の利いたものは二人とも持っちゃいない。
 男二人でまぬけ面を付き合わせているところに、さっき助けた女の子のうち一人がつかつかと近寄ってきた。

「見せなさい」

 それがヨーコ・ユウキだった。

 日本からの留学生。
 小学生が背伸びしたみたいな見た目に反して姉さんみたいに面倒見がよくて。どこか俺たちとは違う視界を持っていて……心の奥深い所をすっと見通すような、不思議な女の子だった。


 ※ ※ ※ ※


「あれ、マクラウドさん?」
「よぉ、サリー。久しぶり」

 何だってそんなことを思い出したのかと言うと、今、目の前に立ってる少年(いや本当はとっくにそんな時期は過ぎてるんだが見た目がどうしてもね)が、彼女によく似た面影を宿しているからだ。

 気のせいなんかじゃない。れっきとしたDNAの繋がり故に。
 彼……サリーことサクヤ・ユウキはヨーコの従弟で、現在カリフォルニア大学に留学中。学部は違うがレオンの後輩に当たる。

「おひさしぶりです」

 眼鏡の向こうで濃い茶色の瞳が細められ、おだやかな笑みを浮かべる。
 顔かたちは似ているけど、まとう空気がまるで違う。ヨーコがしゃきっとした原色のストライプ模様なら、サリーはふんわりとした中間色の淡い水玉だ。

「それで………何やってんですか、こんなとこで」
「ん……まあ、ね、仕事中」

 聞きたくなる気持ちもわかる。こちとら四つん這いになって公園の植え込みの中からにゅっと顔出した所だからな。
 顔にも頭にも服にも、いたるところに木の枝だの葉っぱをくっつけて。

「ああ、ペット探し。猫ですか? 犬ですか?」
「猫」
「よかったら手伝いましょうか」
「助かるよ」

 灌木の下から這い出し、ばさばさと枝葉を払い落す。

「写真、ありますか?」
「これだ。名前はタイガー、茶虎で足に白靴下、四歳の雄」
「OK、それじゃ、俺はこっちを探しますね」
「じゃあ、俺はこっちに行こう。見つけたら携帯で連絡してくれ」
「わかりました」

 彼は獣医の卵で、以前に何度かペット探しを手伝ってくれたことがある。迷子のペットを探し出すのにかけては俺なんかよりよっぽど上手く、動物の扱いにも慣れている。
 時々、言葉が通じてるんじゃないかと思うくらいだ。

『俺は驚かないぞ。ヨーコが黒猫と話して、ホウキで飛んでいてもな!』
『お前……何を言ってるんだ』
『ジャパニメーションであっただろ、そーゆー話!』

 えらくファンタジックな方向に想像力を暴走させてたよな、ヒウェルの奴。
 怪我の一件以来、どうにもあいつはヨーコに頭が上がんなくなっていたっけ。

 だけど今なら。
 そう、オティアとシエンの存在を知った今なら、思うのだ。ヒウェルの想像もあながち外れてなかったんじゃないかって。

 思い巡らせつつ20分ほど猫を探してうろうろしていると……

「おっと」

 胸ポケットの中で携帯が震えた。
 取り出し、ディスプレイに表示される名前を見る。

「ハロー、サリー?」
「見つけましたよ。公園西側のベンチまで来てください。近くに大きなイチョウの木があります」
「わかった。すぐ行く」

 言われた場所に行くと、確かにサリーはベンチに座っていた。その周りには……いるわいるわ。
 大小さまざま、縞模様、ぶちもよう、白、黒、少し青みがかったグレイから銀色に近いのまで、トラジマ、キジトラ、その他もろもろ。
 大量の猫が集まっていた。

 みやお。
 みゃう。
 うなおーおう。

 甘えた声だ。欠片ほども警戒していない。
 そしてサリーはと言うとにこにこしながら何か餌を配っている。

「ケンカしちゃだめだよ。まだまだいっぱいあるからね……」

 そろりそろりと近づいて、猫どもを驚かさないよう、極力静かな声で話しかける。

「……サリー」
「あ、マクラウドさん。この子ですよね」

DSCF0011.jpg

 指さす先には、まさしく写真の通りの靴下はいた虎猫が一匹かりかりと、ちっぽけな魚みたいなのをひとつまみ、一心不乱に食べている。
 えらく気に入ってるらしい。

「ああ、そいつだ。……変わったキャットフードだな」
「これはイリコと言って、小魚を干したものです。おやつですね。カルシウムとるのにいいんですよ」
「そ、そうか……」

 カルシウムって、いらいらに効くんだっけ。

 ここ数日、食卓に流れるぎくしゃくした空気と。それに気づきながら、どうしようもできない自分に苛立つ日が続いていた。
 昨夜なんざとうとう、心配してくれるレオンに八つ当たりしてしまったのだ。

『放っとけ! お前に話したってどうにかなるもんじゃないだろ!』
『所詮は他人なんだよ……』

 レオンは何も言わず、少しだけ悲しげな顔をして、そうかもしれないね、とだけ言った。
 互いに背中を向けたまま眠りにつき、翌朝は何事もなかったようにおはようのキスを交わしたけれど……。
 
 両の眉から力が抜け、口元に苦渋混じりの笑みが浮かぶ。気まずさ、悔しさ、後悔、恥。ずっと胸の奥に押し込めてきた負の感情が一斉にわき上がる。ざらつく砂粒のように喉につまり、舌の根にわだかまる。
 一粒一粒が、やけに重たい。

「俺も、かじった方がいいのかな」
「はい、どうぞ」

 
 無造作にジップロックの袋から取り出し、手のひらに乗せてくれた。
 そして自分もひとつまみとって、ぽりぽりと食べ始める。

 しばらくベンチに並んで座ってイリコをかじった。猫に混じってぽりぽりと。

「……けっこう美味いね、これ」
「サンフランシスコの猫は魚好きでいいなぁ」
「魚の美味い町だからな」
「サクラメントでこれあげたら見向きもされなかったことが」
「ははっ、こっちの猫釣る時はもっぱらレバーだからな。あとターキー」
「レバーかぁ」

 ふにゅっと冷たいものが手に押し付けられる。自分の分を食い終わったタイガーが俺の手の中のイリコに注目していた。

「食うか? ん?」

 ふんふん、とにおいをかぐと食べ始めた。
 ああ、こいつは飼い猫だからなあ……。
 思わずため息が出る。

「どうかしました?」
「ん……プライベートで、ちょっと…な」

 そろりとタイガーに手をのばすと、耳を伏せて身体を低くして歯をむき出し、フーっと唸られた。
 慌てて手を引っ込める。

『無条件にそういう言葉を信じられるような育ち方をしてないんだ、俺達は』

 目を伏せる。

『放っとけ!』
『所詮は他人なんだよ……お前も、あの子たちも』

 自分の吐いた言葉に。言われた言葉に、ため息が漏れた。胸の奥から、深々と。
 ………ごめん、レオン。
 ごめん、シエン。

「だめだよ」

 サリーになでられ、タイガーは嘘みたいにおとなしくなった。もわもわに太くなっていた尻尾がすーっと元に戻って行く。

「良かったら、聞きますよ。解決にはならないかもしれないけど」


 ああ、同じだ、ヨーコと。
 どこか俺たちとは違った視界から、心の奥底まですっと見通すような不思議な目。
 どうする。
 何と言って説明したものか……今の俺と、双子と、レオンと(ついでにヒウェルと)の間にもつれてからまった繋がりを。
 しばらく迷ってから、微妙に目線をそらしつつ答える。小さな声で、ほとんど囁くように。

「子育てで、ちょっと」
「ご結婚、してましたっけ?」
「いや、独身。話すと長くなるんだが……」

 サリーはぱちぱちとまばたきして、タイガーをだきあげた。

「……この子届けに行きましょうか。歩きながらでも」
「そうだな」

 ベンチから立ち上がると、サリーは集まっていた猫たちに一言

「またね」

 さらりとあいさつして歩き出した。


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【3-10-12】探偵+猫=ご招待

2008/05/17 3:47 三話十海
 歩きながらサリーがぽつりと言った。

「またお巡りさんに言われちゃいましたよ」
「ん?」
「ウィークデーの昼間に、未成年が一人で何やってるのかって」
「ああ……」

 サリーはしょっちゅう中学生にまちがわれる。ほっそりして華奢な骨格だし、背も俺たちの目から見れば低い。つるんとした顔立ちも、くりくりした瞳も、幼く見える。

「日本じゃそんなに童顔って言われたことないのに……」
「やっぱり環境にもよるんだろう」
「動物はどこの国でもかわらないのになぁ」
「そうか? 俺の目からすると日本の猫はみんな子猫サイズに見えるぞ」
「それは骨格の差もあるけど……食べさせ方の問題」
「……そう言うもんかな……」
「日本の猫は魚や鳥のような小動物、昆虫が主食だったんですよ。何百世代もね。日本固有の猫科動物は大型化しなかった」
「こっちの猫は肉食だものな」

 さすが獣医の卵だ。着眼点が違う。俺が普段何となく感じていただけのことを、きちんと裏付けをつけてわかりやすく説明してくれる。

「ご存知ですか? 日本人ってアメリカ人よりも腸が長いんですよ、すごく。ずっと穀物が主食だったせいなんだ。遺伝子に刻まれた種族の歴史は簡単にはかわらないってことですね」
「なるほどな。日本に行けば君やヨーコが標準って訳だ」
「標準……とは言い難いけど、すごく外れてるわけじゃないかな。俺がかわらないって言ったのは、んー……」

 サリーはそっと胸に抱いた猫の喉を撫でた。


「動物は嘘つかない、ってことかな」
「ま、確かに連中は嘘をつかない…人に対する反応も実に正直だ。逃げたい時は全力で逃げるからな」
「マクラウドさんは、身体が大きいから怖がられやすいんですよ」
「あ、やっぱりそう思うか」
「一度びっくりさせるとしばらくダメだし」

 大当たり。実はサリーと会う前に一度タイガーを見つけたのだが、逃げられていた。


「こっちの人間にはどうしても、東洋人って実際の年齢より若く見える。最初にヨーコに会った時は小学生が飛び級してきたと思ったよ」
「まあ、日本じゃアメリカの人は5〜6歳は上に見えますからね。逆に考えると」
「なるほどな……確かに見た目は幼く見えるけど中身はしっかりしてるもんな。君も、彼女も」

 左の腕を軽くさする。
 
「ガラスの破片で腕をざっくりやっちまった事があるんだが、彼女、顔色一つ変えずに手当してくれてな。おかげで跡一つ残らずきれいに治ったよ」
「あー……もしかして」
「ん?」
「メイリールさん、そのときにいました?」
「ああ、ヒウェル? いたよ、一緒に」
「でしょうね」
「もっと重症だったろ、ってブツブツ言ってた。ヨーコににらまれて黙ってたけどな」
「あなたは?」
「……思ったより軽くてラッキーだったと」
「そっか。だからかな、羊子さんが紹介してくれたの」

 記憶を手繰る。
 あの時、ヨーコの手が触れた瞬間、ずきずきと熱く疼いていた傷口がすっと楽になった。あの感触は、双子が力を使って怪我を治してくれた時に似ているような気がする。

「今思えば彼女は本当に『何か』したのかもしれない。だとしても俺のためを思ってしてくれたんだし。魔女だろうが妖精だろうが、いい友だちだってことに変わりはないよ」
「妖精は言い過ぎ……」

 魔女は有りなのか、サリー。

「そのうちに、俺や彼女のことを、話す時が来るかもしれないですね。あ、でも」
「うん?」
「あなたの恋人の話、聞きたがってましたよ。すごく」

 言葉の意味を理解した瞬間、頭のてっぺんからつま先まで凍り付いた。たっぷり十秒ほど。
 それからじわじわと顔が熱くなり、硬直していた手足が自由を取り戻した時にはカッカと火照っていた。

「なっ……今さら………何聞きたいっつーんだ……………」
「俺に聞き出せって、メールで指令が。こっちに居ない間のことだから気になるんじゃないかな」

 何を指令されたかは、だいたい予想がつく。
 いつから付き合ってたの? 一緒に住んでるの? 先に告ったのはどっちよ?
 だいたいこんなとこだろ。同級生の女の子から浴びせられる定番の質問だ。

「OK、サリー。直に俺からメールで報告入れとくよ」
「そうしてくれると助かります。正直に答えることないと思いますけどね、俺としては」
「うん……まあ隠すようなことでもないし。でも、君の言葉は覚えておくよ。ありがとな、サリー」

「そう言えばローゼンベルクさんとは俺、まだ直接会ったことはないですね」
「ああ」

 レオン。
 結局、『ごめん』はまだ言えていない。

「レオンがね。身よりのない子を引き取ったんだ」

 ともすれば喉の奥に逃げこみそうな言葉を引っぱり出した。

「俺もその件についちゃ一枚噛んでるから………世話、してるんだ。飯とか、着るものとか、いろいろ」
「フォスターペアレント(里親)?」
「いや、それこそ結婚してなきゃ登録できないよ」
「……ですよね。それで?」
「その子たち双子なんだけど……あ、名前はオティアと、シエンって言うんだ。年は十六。それで………シエンって子の方に、言われたんだ。俺が『まま』で、レオンが『ぱぱ』だって」

 サリーは何も言わずにうなずいた。何となく勇気づけられて先を続ける。

「その言葉につい有頂天になっちまってさ。無造作に踏み込んじまったんだよ」
「どこに?」
「……境界線の内側。テリトリーの中」
「噛まれた?」
「いや、気分的には……前足でビシっとやられたって感じかな。結局は他人なんだ……あの子にとって。それに気づかなかった自分が悔しくて。情けなくて、な」
「でも爪は出さなかった」
「………そうだな」

「家族の基本は夫婦ですけど、それは他人同士が一緒に住むところから始まるんですよ。血がつながっていたところで、信頼関係がなければ他人より悪くなる」
「信頼……してくれてるのかな……一緒に居ても逃げないくらいには」

「俺は、父とはほとんど会ったことがないんですけど。今でも自分に父がいる感じはしませんね」
「そうなのか?あれ、じゃあ、ヨーコと君は…ファミリーネームが同じだけど実際には、母方つながりってことか」
「ええ。羊子さんとはイトコだけど、姉弟みたいに育ちました」

 静かな口調で語られる重たい話にどきりとした。

「俺にとっては、父より羊子さんのが『家族』だったんですよ。事実上」
「近くに居たから……か?」
「違う家に住んでましたけど、行き来が頻繁だったので」
「なるほどなあ。一人っ子って言う割には妙に面倒見が良かったんだ、彼女。姉さんみたいだって思う時があった。そうか、君がいたからなんだな、サリー」
「血がつながっていてもつながってなくても、結局は人と人の集まりなんだから、時間をかけていくしかないんでしょうね。お互いが歩み寄らないと一緒には暮らせない」
「歩み寄り、か…距離感を見極めるのが難しくってね。つい鼻面つっこんで『ふーっ』ってやられちまう」

 サリーの腕の中のタイガーを見下ろし、肩をすくめる。さっきよりは軽く、明るく笑えたような気がした。

「難しい年頃ですしね。丁度、独立心がつよくなってきて。親や人に頼ることがかっこわるいって思う頃です」

 つかの間記憶が巻き戻る。無鉄砲に突き進み、壁にぶつかるたびに頭突きで粉砕して前進していた十代のころに。

「……………ああ………君の言う通りだ。自分もそうだったのに、忘れてたよ。親父の七光りから抜け出したくって俺、シスコの高校に進学したんだ」
「へぇ、ここの出身じゃないんですか」
「うん。生まれはテキサスだ」
「テキサス……けっこう遠いなぁ。カウボーイハット似合いそうですね」
「うん、家にあるよ、テンガロンハット」
「あとで見せてください。たぶん、写真とったら羊子さんが喜ぶから」
「ああ、いいよ。……そうだ、ついでに晩飯食いに来ないか? 猫、見つけてもらったし、お礼がしたい」
「そうですね。ごちそうになろうかな」
「じゃあ、ぜひ」


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【3-10-13】猫好きなの?

2008/05/17 3:51 三話十海
「戻ったぞ」

 事務所に入って行くとオティアがデスクから顔を上げた。

「ああ、オティア。彼はサリーだ。以前、何度かペット探しを手伝ってもらった。獣医の卵だよ」
「こんにちは」
「こっちはオティアだ。俺のアシスタントをしてる」

 軽く頭をさげると、すっと立って簡易キッチンに向かった。相変わらずのポーカーフェイスだが、そこはかとなく視線の滞空時間が長かったような?

「もう一人のシエンは上で……レオンの事務所でバイトしてるんだ」
「ああ、法律事務所」
「うん。そこ、適当に座っててくれ」

 手を洗い終わった所にちょうどいいタイミングでグラスに注がれたアイスコーヒーと、皿に盛られたマドレーヌが出てきた。

「サンキュ、オティア。お前は?」
「もう食べた」
「そうか」

 確かに、いつものお茶の時間にしてはいささか遅い。
 

「これ、美味いぞ」

 伏せた貝殻の形の焼き菓子をサリーにすすめる。言うまでもなくアレックスのお手製、アイスコーヒーも同様。
 
「いただきます」

 するとソファにうずくまっていたタイガーがひょいと首をのばし、くんくんとサリーの手にあるマドレーヌのにおいをかいだ。

「食べる?」

 サリーがマドレーヌのすみっこをちょいとちぎり、手のひらに乗せてさし出した。

「食うのか、お前」

 くんくんくん………
 念入りにおいを嗅いでから、あむっと一口で平らげた。慎重なんだか大胆なんだか。

 ひとかけら食ったら満足したのだろう。ちょしちょしと顔を洗い始めた。

「……………」

 顔を洗うタイガーの仕草をじっと見ている。ほんの少しスモークのかかった紫の瞳が。
 なるほどね。気になってたのは猫だったのか。

「飼い主に連絡とるから、その間猫の世話頼んでもいいかな、サリー」
「ええ」
「ありがとな。助かるよ」

 タイガーの飼い主に電話している間、背後で何やら会話の気配がした。

「猫好きなの? さわってみる?」

 そーっと見てみると……オティアが手をのばして、茶色の虎猫を撫でていた。

 そうか、猫好きだったのか……ああなんて穏やかな表情をしてるんだろう。
 他の奴から見れば些細な変化だろうが、俺にとっては充分だ。
 って言うかお前、初対面の相手とちゃんとコミュニケーションとれてるじゃないか!

「君、動物飼ってたことある?」

 だまってふるふると首を横に振る。

「そっか、そのわりに上手いね猫の扱い」


 言葉こそないが穏やかな空気の流れる二人の間で、猫がごろごろと喉を鳴らしていた。


 ※ ※ ※ ※


 飼い主が迎えにくるまで、オティアはずっと猫をなでていた。

「タイガー!」
「なー」
「もう、お前って子は! ありがとうございますっ。本当にありがとうございますっ!」

 山のような感謝と、ささやかな支払いを済ませて飼い主が猫を連れて帰って行くのを、オティアは微妙にがっかりした様子で見送っていた。
 基本的にいつもと同じポーカーフェイスなのだが、トータルで見ているとそこはかとなく感じるのだ。

「猫、好きなのか?」
「………嫌いじゃない」
「そう、か」

 つまり、好きってことだよな。

「よかったよかった、これで一件落着ですね」

 サリーがソファから立ち上がる。
 その時、初めて気づいた。猫を預かってる間、ケージ使わなかったような……。
 ソファの上には赤みがかった猫の毛が散らばっている。そうだ、確かにずっとあそこにいた。いつもは逃げ出さないように飼い主がくるまでケージに入れておくのに。

「それじゃあ、俺もそろそろおいとまします。後で伺いますね。何時ぐらい?」
「そうだな……19時ぐらいに。住所はここだ」

 メモ用紙から一枚とって、さらさらとマンションの住所を書いて手渡した。

「電話くれれば迎えに行くよ」
「いえ、たぶんわかります。それじゃ、ごちそうさまでした」
「おう。手伝ってくれてありがとな、サリー」

 にこにこと手を振って、サリーは帰って行く。ドアが閉まってからオティアが問いただすような視線を向けてきた。


「……あーその……彼、夕飯に招待したんだ」
「ああ」
「高校ん時の同級生のイトコでな。今、こっちに留学してるんだ。日本から」

 説明しながら慌ただしく携帯を引っぱり出し、Hの項目から一つ選んでかける。


「……何か用かぁ?」

 あいかわらずゾンビみたいな声だ。すうっと深く息を吸い、挨拶をすっ飛ばして初手から本題に入る。

「お前、今日飯食いに来い。来るよな?」
「え、いや俺………」
「客が来るんだよ。お前も知ってる奴。知り合いが一人でも多く同席してた方が向こうだってくつろげるだろ?」
「誰、客って」
「サリー」
「げっ」
「お前の分も用意しとく。いいな?」

 答えを聞かずに電話を切り、ふう、と息を吐く。
 よし……言ってやったぞ。

 俺が携帯を閉じるのを確認してからオティアがぼそりと言った。

「……レオン、知ってるのか?」
「あ」


 慌てて電話をかける。今度はLの項目、一番上。

「やあ」

 いつもと同じ声、同じ口調。だが、言葉が出てくるまでにほんの少しいつもより時間がかかっているような気がした。

(レオン、もしかして意識して『いつもと同じ』ように答えてるのか?)

 できるだけ簡潔な言葉を選んで伝える。
 夕食に客を招待した、と。サリーとレオンは直接会ったことはないが、今までに何度か彼のことを話していた。まったくの知らない仲と言う訳でもない。

「わかったよ。今日は早めに帰る。シエンにも言っておくよ」
「ああ。……………………すまん、勝手に決めて……」
「かまわないさ。歓迎するよ」
「ありがとな、レオン。それで………」

 言わなければいけないことがある。
 今、この瞬間に、伝えたい言葉がある。

「えっと……あの………その………」

 ためらってる場合じゃないだろうが。腹くくって、行くぞ、よし!

「……ごめん、レオン………………ごめん」

 小さな声だった。かすれて、よれて。携帯がギリで拾ってくれるかどうかの微かな声。
 ほんの少し間があって、やわらかな囁きが返される。

「愛してるよ」
「俺もっ」

 即答していた。勢い余って咳き込みそうになる。
 オティアがちらっとこっちを見た。急に猛烈な羞恥心がこみあげてきた。

「……じゃあ……また後で……」

 頬の火照りをおぼえながら電話を切る。
 結局、愛してるとは言えなかった。

(いいさ。今夜二人きりになったらちゃんと言う)


 ※ ※ ※ ※


(まったくこいつら、職場で何やってるんだか)

 オティアは内心やれやれとため息をついた。
 あと30分あの調子でしゃべってたら新聞紙丸めてはり倒すことも考えたが、どうやらそこまでやらずにすんだようだ。

「あ………その………仕事するか」
「ん」


 ちらりとソファの上に視線を向ける。茶色いふかふかの毛が散らばっていた。

(とりあえず掃除……しなきゃな)

 コロコロクリーナーを取りにロッカーに向かった。


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【3-10-14】コーンブレッド

2008/05/17 3:56 三話十海
 ディフからの電話を切ってから、なにげなくシャツのにおいをかいでみる。
 ……汗臭ぇ。ヤニも大概に染み付いてるな、これ。
 顎を撫でると、伸びた無精髭が指に触れた。
 それほど毛深いって訳じゃないんだが、三日間ひげ剃りさぼってたからなあ。さすがに客が来るのに、これはまずかろう。


「シャワー浴びてくるか」


 ※  ※  ※  ※


「腹減った。今日の飯、何?」

 久々に顔を出すと、白地に緑のストライプのエプロンつけて髪の毛をきゅっと後ろで一つにまとめた……
 要するにいつもの晩飯時のスタイルのディフがぬっと出てきてひとこと。

「カニだ」
「俺に何か恨みでもあるのかーっ!」
「ジョークだよ、ジョーク」

 ポトフだった。
 客を呼ぶにしちゃいささか地味なメニューだが今日は冷える。こう言うあったかいものが欲しくなる。

「いいタイミングだ。そろそろ来る頃だな」
「彼?」
「ああ」

 ほぼ同時に呼び鈴が鳴り、ディフが玄関へと迎えに出た。

「おう、よく来てくれたな。待ってた」
「こんばんは。おじゃまします」
「もうちょっと準備にかかるからリビングで待っててくれ」

 ほどなく眼鏡をかけた、ほとんど中学生みたいな黒髪の男を連れて戻ってきた。

「ヒウェル、覚えてるよな」
「どもー……」
「お久しぶりです」

 にこにこと人畜無害な笑顔を浮かべちゃいるんだが。どうにも、その、ヨーコの従弟だと思うとこいつも油断できない何ゾがあるような気がしてっ!

「ひ、ひさしぶり……元気?」
「ええ」

 落ちつかない。

「そ、そうか……ヨーコは?」
「元気ですよ。といっても、最近会ってなくて、メールばっかりですけど」
「そうか……」

 シエンがひょこっとキッチンから顔を出して挨拶をする。

「こんにちは」

 オティアはいつものように黙々とテーブルをセッティングしている。


「ああ、シエン。こいつサリーっての、高校生んときの同級生のイトコで今日本から留学中」
「サクヤ・ユウキです。サクヤって呼びにくいらしくて、サリーって呼ばれてるけど」
「何で、サリー?」

 きょとんとして首をかしげるシエンにディフが説明した。

「ヨーコは教え子からメリィさんって呼ばれてるんだそうだ。メリィの従弟だから、サリー。わかりやすいだろ?」

 前にも聞いた理屈だが、聞くたびに笑いたくなる。

「……メリィさんか……くっくっく、似合わねー」


 呼ばれるたびにどんな顔してんだろうなあ、ヨーコ。
 しばらく笑っていると、なぜか背筋がぞわっとした。あわてて周囲を見回す。

(ヒーウェールーぅうう?)

 何だか今、彼女ににらまれたような……
 いや、んな訳ゃない。気のせいだ。
 ここはサンフランシスコ、ヨーコは太平洋の向こう側だ!
 でも……なあ。
 気がつくと背後に立ってそうで。ってか夢に出そうで油断できないんだよ、あの女は。

 ぶるっと頭をふるって意識を現実に向ける。サリーが和やかにレオンと挨拶を交わしていた。

「できたぞ。冷めないうちに食え」

 北欧製のどっしりした木の食卓に料理が並び、夕食が始まった。
 
「うわっぷ!」

 深皿に盛りつけられたポトフを食おうとしたら眼鏡がくもった。
 何だかこの感覚も久しぶりだ……この部屋に来るの自体、10日ぶりか? しばらく、こんなあったかい飯食ってなかったもんな。
 と言うか、シエンが弁当持ってきてくれてから3日ぶりのまともな食事だ。

 コンソメと塩、コショウで味付けしたシンプルなスープの中に、大きめに切ったキャベツやニンジン、タマネギ、カボチャ、ジャガイモなんかがごろごろ浸っている。肉類はソーセージと豚肉。けっこうでかい塊なのに、柔らかくて。口に入れて軽く歯を当てただけでほろりと崩れた。

 付け合わせは茹でたナスとトマトのサラダ。ソイソースをベースにしたドレッシングで軽く和えてある。
 添えられたコーンブレッドは、店で買ったにしちゃ妙にあったかいし、形も微妙にいびつで……まさか、これ自分で焼いたのか、ディフ?

 地道に手ーかけてやがる。しかも、機嫌良さそうだ。そして、こいつがご機嫌だと必然的にレオンも上機嫌になる。

「そうか、君もカリフォルニア大学の学生なんだね」
「はい。今はシスコ市内の動物病院で実習を」
「え? 大学生?」

 シエンが目を丸くした。

「……もしかして高校生だと思ったか、シエン」
「あー、よくあること、よくあること! 俺も最初会った時中学生だと思った」
「東洋人は若く見えるみたいで……学校にいても、すごいスキップしてきたのかと思われてね」
「そーいや日本には飛び級制ってないんだよな」

「ヨーコん時は……ああ、こいつの従姉なんだけどな。てっきり小学生だと思ってさあ」
「速攻で体に教え込まれてたよな」
「何やったんだろう、羊子さん」


「小学生? あ、もしかしてものすごくスキップしたとか」
「教えてあげる……日本には飛び級制は……ないのよ」


「って、左右のこめかみに拳握って押し当てて、指の関節のとこでこう」
「ぐりぐりっと?」
「そう、ぐりぐりと」
「それ彼女の得意技です」
「だろーな。たびたび食らってた」
「ディフが?」
「いや」
「俺」
「……だろうね」

 言われる前に自白したら、さらりとレオンに納得された。


「相手が強くても。年上でも向かっていっちゃうところがあるから……ちょっと心配でしたけどね」
「だ、ろうな。セクハラしてきた三年の男子に面と向かって『恥を知れ!』ってタンカ切ってた」
「やっぱり?」

 双子が何となくディフの方を見ている。うんうん、俺もそう思うよ。だから気が合ったんだろうな。

「ちっちゃい頃、俺がいじめられてると飛んできて……手は出さずに口だけで相手を言い負かしちゃってましたね」
「さすがだな」
「って言うか泣かせてました」
「やっぱり?」
「弁護士向きの人材だね」
「残念ながら高校で先生やってます」
「ああ、それもある意味適職だね」

 なごやかな会話を交わしつつ、何げなく双子とディフを観察してみる。
 確かにシエンの言う通りだった。
 双子と話す時はほとんどディフとシエンがしゃべって、オティアはたまにうなずいたりつっこんだりするくらいで、直接はディフと言葉を交わしていない。

「味薄かったら、塩足せよ」
「大丈夫。おいしいよ。ね?」

 二人で顔を合わせ、オティアがうなずく。万事この調子だ。

「ポトフのお肉すごい柔らかいよね。どうやったの?」
「ああ、それは……叩いた」
「叩いた?」
「うん。金属の専用のハンマーがあるから、それで、ドンドンとな。肉の繊維が適度に破壊されて食べやすくなるんだ」

 話しかけるのはもっぱらシエン、オティアが自分から話題を提供することはない。
 ディフのほうも、無意識からしているのかわからないが、オティアにだけ話しかけるってことは、あまりない。
 なるほどなあ……。
 三人の間でなんとなく会話が成立してるのは間にシエンがいるからなんだな。

「そー言やお前さん、動物病院で実習中なんだよな、サリー」
「はい」
「やっぱ、あれか。変わったペットとか来る訳? チンパンジーとか、アメリカバイソンとか、ワニとか」
「どんな動物園だ」
「さすがに、それは……あ、でもこの間、ちょっと変わった子たちが来たな」
「どんな?」
「シェパードです。名前はヒューイとデューイって言ってたなあ。すごく頭がよくて」
「どの辺が変わってるんだ」
「警察犬だったんですよ」

 ディフが懐かしそうに目を細める。

「……連中、元気だったか」
「とても。……って、あ、そうか。警察の方でしたね、元」
「ああ、元同僚だ」
「じゃあ連れてきた人もお知り合いかな」
「どんな奴だ?」
「背の高い、金髪の眼鏡かけた男の人です」
「ああエリックか」

 ディフの後輩か。でも、あいつK9課でも爆発物処理班でもなかったような。

「……何で鑑識が警察犬連れて獣医に?」
「頼まれてって言ってましたよ」

 断れなかったんだな、バイキング。あいつ微妙に押しに弱いから。

「ヒューイはフレンドリーだがデューイはちょいと気難しいからな。手こずったろ?」
「いえ全然。おとなしく注射させてくれましたよ」
「ほんとに? 大したもんだ」
「エリックさんの言うこともよく聞いてたし」
「うん、あいつ犬に好かれてるから」


 ※ ※ ※ ※


corn2.jpg

 コーンブレッドを一口、口に入れるとサリーが「ん」と小さく声を出した。

「このパン、面白い味ですね。もちもちして、コーンスープみたいな味がする」

「ああ、コーンブレッドな。お袋にレシピ聞いて焼いてみた」
「自分で焼いたんですか? すごいなあ」
「それほどでもないぞ。アメリカの典型的な家庭料理だし」

 やっぱホームメイドか、このコーンブレッド。とうとうパンも焼くようになっちゃったよ、この男は……。

「簡単だったよ、ボウル一つで材料まぜて、ハンドミキサーで混ぜて」

 にこにこしながらシエンが言った。

「お前も一緒に?」
「うん。粉チーズとか入れても美味しそうだよね」
「そうだな、今度試してみるか」

 確かに典型的な家庭料理だけどさあ。
 ふつーからに伝授されるもんだと思うぞ、こーゆーものは?
 思わず心の中で突っ込んでから、はたと気づく。なんかこの感覚も久しぶりだなって。

 ニセモノでもいい。他人の寄せ集まりでもかまやしない、どのみち俺には血のつながった身内は居やしない。
 やはりここに居たいのだ、俺は。『家族』の中に居たいのだ。
 何ができるのだろう。どうすればいいのだろう?
 愚かにも一度自分の手で壊しかけた、この脆くも温かな絆を守るには……。

「アメリカの家庭料理か……お腹にたまりそうですね」
「ああ。腹持ちいいぞ。そう言や、日本の家庭料理ってどんなのがあるんだ?」

 考えている間になごやかに食事は進み、のほほんとしたペースで平和な会話が進んで行く。

「こっちで有名なのは、スキヤキ、スシ、テンプラ……色々ありますけど」

 サリーは顎に手を当ててちょっとの間考えてから、言った。

「日本人としては、ごはんと味噌汁、肉じゃが……寿司でも巻き寿司とか、かな?」
「マキズシ?」
「カリフォルニアロールの親戚かな」
「どう違うんだ?」
「主に中味と、巻き方」
「ふうん……」

 ぱちぱちとまばたきしてから、ディフが言った。

「食ってみたいな、いっぺん」
「お前ほんと食うことには熱心だね」
「食って覚えるからな」
「時間さえあれば作れますけど」
「ぜひに!」

 即答していた。

 一斉に皆して注目してきた。レオンが。シエンが。ディフが。オティアでさえちらっとこっちを見たが、すぐに目を逸らしてしまった。
 ここ数日の嫌な流れを変えたのが、サリーの存在だってのは確かなんだ。魔女の一族だろうが何だろうが、こいつに賭けてみようと思ったのだ。

「いいですよ−。えーっと……二週間ぐらいください。準備もあるし」
「そっか! ありがとな、サリー」

 食後にディフがテンガロンハットを持ち出して、一人ずつ順番に被ってみた。
 意外にオティアとシエンが似合っていた。レオンも予想外に決まっていた。テキサス生まれのディフは言わずもがな。アメリカンサイズの帽子はサリーには少し大きめで、タオルを詰めたらどうにか安定してくれた。
 しかし、俺が被ると……何故か全員が微妙な顔をした。


 食後の余興が終わるとオティアは食べ終わった食器を下げて、さっさとキッチンに行ってしまった。

「いつもあんな感じか?」
「ああ。あんな感じだね」


 ヨーコが見たがるからと言ってサリーはディフと俺の写真を携帯のカメラで撮影し、お礼を言って帰っていった。


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【3-10-15】可愛い弟

2008/05/17 3:58 三話十海
 キッチンに向かうと水音が聞こえてきた。皿を洗ってるんだな。
 のそのそと歩いていって、にゅっと鼻をつっこんでみる。

「手伝おっか?」
「……」

 ちらっとこっちを見ただけで返事はない。だが、とにもかくにも存在を認めてくれた。

「遠慮すんな。二人でやった方が早い」

 腕をまくって、勝手に手伝い開始。オティアが皿をざっと水ですすいで、食器洗浄機に入れる。
 その間、オーブンの天板を洗う。まだほんのり温かい。
 シンクにはコーンブレッドの材料を混ぜるのに使ったでかいボウルが水にひたしてあった。ついでにこれも洗っとくか。
 鍋にはまだポトフが残っていた。いったいどれだけ大量に作ったのか。多分、温め直して明日の朝も食うのだろう。

「……オムレツ、うまかった」

 鍋を見ながらぼそりと言う。オティアとは視線をあわせずに。

「シエンに頼まれたからだ」
「……そうなんだ」

 ぱたん、と食洗機のフタを締めてスイッチを入れるとオティアはリビングに歩いて行き、一言ディフに報告を入れて。

「終わった」
「おう。おつかれさん」

 すたすたと部屋に戻ってゆく。
 見送っていると、ディフがこっちを見て首をかしげていた。

「何やってんだ」
「オーブンの天板、洗ってた。あとボウルも」
「……熱でもあるのか?」

 つくづく失礼な男だねおい。一発シメとくか? とは言え、腕力では到底かなわない。しかし、“舌力”なら話は別だ。

「レオンは?」
「書斎。調べものがあるんだと」

 察するに早く帰るために仕事を持ち帰ったな。だったらしばらく戻ってこないだろう。よし、今のうち。

「しかしさ…お前も双子の世話するようになってから何つーか…険が抜けたよな」
「…そうかね」
「何かさ、お前…このごろ……妙にその、なんつーか」
「言いたいことがあるんならはっきり言え」
「……………色っぽい」

 顔をひきつらせ、ずざざっとディフが後じさる。
 面白れぇ。
 
「人ごみとか混んでるバスの中とかケーブルカーん中では気をつけろよー痴漢されないように」
「貴様………さっき食ったもの今吐くか、あぁんっ?」

 もわっと赤い髪の毛が逆立ち、眉がつり上がる。地獄の番犬みたいな面構えだが、かすかに頬が赤い。

「このうなじとか尻のあたりがねー撫でてさわってーつってるみたいで」
「寄るなーっ」

 手をわきわきさせると、本気で怯えた顔して壁に張り付きやがった。
 あー、面白ぇ……。

 ささやかな勝利を噛みしめていると、背後に気配を感じた。まさか、レオンっ?
 慌てて振り向くと、シエンが見ていた。

「……ジョークだよ、ジョークっ」

 無駄に爽やかな顔ではっはっはと笑いながらディフの背中を叩く。

「なるほど……それが貴様のジョークか。ならば」

 不穏な空気。
 はっと気づくと、前屈みにされて。がっちりした右足が俺の左足に絡みつき、残りの足が脇腹に引っ掛けられて。
 俺にとっては不自然極まりない体勢のまま、腕が背中側にぎりぎり引っぱられる。

「ぬおお、背筋がきしむ! ってか腕、腕がーっ!」
「これが俺のツッコミだ!」
「ノーノーノー、ロープ、ロープ、ロープ!」


 ※ ※ ※ ※

 仲いいなあ、二人とも。

 おとなげない大人二人を、シエンがにこにこしながら見守っていた。
 その笑顔を見ながら、ヒウェルは必死で自分に言い聞かせていた。
 シエンは弟。可愛い弟なんだ、と……。

 ※ ※ ※ ※

何ができるのだろう。どうすればいいのだろう?
この儚くも温かい、かりそめの『家族』を守るには。

(赤いグリフォン/了)

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【ex3】有能執事奮闘す

2008/05/19 2:28 番外十海
12000ヒット御礼企画。
主演は有能執事アレックス。
時期的には【3-2】チンジャオロースーの頃のお話です。

 私の名はアレックス・J・オーウェン。
 父祖の地ヨーロッパに居る頃より代々、ローゼンベルク家に付き従ってきた一族の末裔である。
 現在はローゼンベルク家のご嫡男にして唯一の直系跡継ぎ、レオンハルトさまのもとで秘書として働いている。
 レオンさまが法律事務所を設立し、本家には戻らないと決心なさった段階で執事としての職は辞したものの、心の中では今も変わらぬ気持ちでお仕えしている。

 十月の終わりにレオンさまが身よりのない子どもを二人引き取り、私めがお世話を言いつかった。
 しばらくの間はマクラウドさまとともに衣食住のお世話をしてきたのだが……食事はほとんどマクラウドさまの担当だった。
 あの方の作る料理のほうがレオンさまは喜ばれるのだ。昔から。

 ところが十一月に入り、マクラウドさまが入院してしまわれた。
 全治四週間。何でも倒壊した倉庫の下敷きになったとの事だが、その割に入院期間が短いように思えるのは気のせいだろうか……。
 何ぶん丈夫な方だから、そう言うこともあるのだろう。
 ともあれ、オティアさまとシエンさま、二人のお子の世話は今や私一人の肩にかかっている。

 心をこめて、お食事を用意せねば。
 そう、かつてレオンさまのお世話をした時のように!


 ※ ※ ※ ※


 しかしながら、結果は芳しくなかった。
 お二人の健やかな成長のため、選びぬかれた素材を使い、持てる技術の全てを尽くして作った料理は、どうにも……その……あまり、好評ではない。
 ウサギ肉のマスタードソース、フォアグラのソテー、ほたて貝柱とかぶのクリームソース、子羊の香草焼き、鴨のオレンジソース煮、オマール海老のスープ、チキンのオーブン焼きハチミツ風味……etc

 いずれもレオンさまは普通に召し上がってくださったものばかり。あまり、美味しそうではなかったが、それでもとにかく残さず食べてくださった。
 子ども向けに少し甘めの味付けを心がけているのだが、オティアさまはいつも無反応だし、シエンさまは喜んでくださるが、やはり……微妙だ。
 もっとカジュアルなものをお出ししたほうがよいのだろうか?

 思い悩みつつ法律事務所での業務を勤めていると、デイビットさまが声をかけてきた。

「やあ、アレックス。調子はどうだい?」
「……おかげさまで」
「そうか! 君の仕事ぶりはいつもパーフェクトだからな!」
「おそれいります」
「時に君、今、レオンのとこの双子の世話をしてるそうじゃないか」
「はい」
「赤毛さんは入院中だし、何かと苦労するだろう! 良かったらこれを使ってくれたまえ」
 
 何やら平べったい紙袋を渡された。たたんだ布のような手触りだ。

「これは……?」
「エプロンだよ。男の一人暮らしではなかなかこう言うものは買わないだろうからね! 大丈夫、サイズはぴったりのはずだ」
「それはそれは……ありがとうございます」

 きちっと胸に手を当てて一礼し、感謝の意を表した。


 ※ ※ ※ ※

 
 いつものようにWHOLE FOODS(オーガニック食材専門のスーパー)で買い物を済ませてマンションに戻る。
 キッチンに入り、買って来た食材の詰まった袋をカウンターに乗せた。
 デイビットさまにいただいた袋を開けると、中から白い布がさらりとこぼれ出た。

 あのお方にしては地味な選択だ。
 広げてみる。

「これは……」

 裾と肩ひもに、幅広のフリルがたっぷりとあしらわれている。これは、執事と言うよりむしろメイドにふさわしい服装ではないか?
 奥方のイザベラさまのご趣味だろうか。
 しかし、せっかく頂いたものだからありがたく使わせていただくことにする。
 確かにサイズはピッタリだった。

「あ、アレックス、お帰り」
「これはシエンさま、オティアさま」

 お二人がこちらを見ておられた。そろって目を丸くして、何やら困惑しておいでのようだ。

「すぐに夕食の仕度にとりかかりますので今しばらくお待ちください……どうかなされましたか?」
「……」
「あ……うん、それ……」

 どうやら困惑の原因はこのエプロンらしい。

「デイビットさまからいただきまして」
「そ、そう」

 あいまいな笑みを浮かべるシエンさまの隣で、オティアさまがぼそりと呟く。

「……悪趣味」
「……ユニークなお方ですから」


 ※ ※ ※ ※



 お二人が部屋に戻られてから、昨日書店で購入してきた本を広げる。アメリカの家庭料理のレシピブックを参考にカジュアルな料理に挑戦することにしたのである。

 しかし……読み返すたびに軽い目眩を覚える。

 適量?
 だいたい?
 およそ?
 何なのだこのあいまいなレシピは!

alex2.JPG ※月梨さん画「苦悩の有能執事」

 いや、悩んでばかりいては始まらない。とにかく作ってみようではないか。
 本日の献立はマカロニ&チーズと温野菜のサラダ、オニオンスープ。

 オーブンを余熱してからマカロニを茹でて。
 みじん切りにしたタマネギとチェダーチーズ、スライスチーズとトマトスープを茹でたてのマカロニと混ぜろとあるが、ここで一つ問題がある。

『缶詰のトマトスープを1カップ半』

 缶詰のトマトスープ。
 そう、既にでき上がっていて缶を開けて温めるだけの、缶詰のトマトスープだ!
 しかも銘柄まで指定してある……とまどいながらも買ってきたが、果たして本当にこれを使ってもよいのだろうか?

 思案の末、不本意ながらレシピに従うことにする。
 塩、コショウを加えて味を見てみるが、やはり……不満が残る。次に作る時は自前でスープを用意しよう。
 バターを塗った焼き皿に入れて、その上からバターと砕いたクラッカー……またこのようなものを!……を散らし、オーブンに入れる。

 焼き時間は30分、『クラッカーがキツネ色になるまで』。
 なるほど、このために必要だったらしい。

 オニオンスープのレシピはさらに簡素かつあいまいなものだった。

 タマネギ、適量。
 一口大にスライス。
 塩胡椒少々(まただ!)
 乾燥パセリ少々(これは許容範囲ではあるが)

 そして……『固形スープを1個か2個』

 このようなものなど使うのは……いや、しかしレシピに書いてあるのだ。初めての料理を作る際にはレシピに忠実に従うべきだろう。アレンジを加えるのは、その後だ。

 さらに温野菜のサラダにおいて家庭料理の混沌は頂点に達した。

『適度な大きさに切った野菜を茹でる』

 ………………………………………………………………おお、神よ。
 思わず額に手を当て、目を閉じる。

 世のご婦人たちはいったい、どのようにこのレシピを参考にして料理を作っておられるのだろう。
 今度、マクラウドさまにお聞きしてみよう。


 ※ ※ ※ ※


 悩みつつ作ったその日の夕食は、とても喜んでいただけた。
 オティアさまは明らかに今までより早いペースで黙々と口に運び、シエンさまはぱあっと顔を輝かせて……ほほ笑まれた。

「これ美味しい………アレックスってすごいね!」
「おそれいります」

 これで、よいのだろう。
 いささか不本意ではあるが、お二人が喜んで食べてくださることが一番なのだから。



 ※ ※ ※ ※



 そんな調子でカジュアルな家庭料理をお作りして一週間ほど経つうちに、料理をしている間、シエンさまがキッチンに顔を出すようになった。
 どうやら、興味がおありらしい。

「ご自分でもやってみますか?」
「……うん。やる」

 試しにサラダ用の野菜の下ごしらえをお任せしてみた。
 怪我などなさらぬよう、慎重に見守っていると思ったより器用に包丁をお使いになる。

「以前、料理の作り方を教わったことがおありですか?」
「うん。中華だけど」
「さようでございますか。それでは、明日はメインの料理をお任せしてもよろしいでしょうか」
「………なんでもいい?」
「ええ、何なりと、お好きなものを。必要なものをお教えいただければ私が用意いたします」

「えーっと……それじゃあね」

 リクエストされたのは、タマネギ、たけのこの水煮の缶詰、タマネギ、ピーマン、シシトウ、ニンジン、鷹の爪、豚肉など。
 たけのこの缶詰は中華街まで足を運んで調達した。

「何をお作りになるのですか?」
「酢豚!」

 火傷しないように見守っていると、なかなかに本格的な作り方ではないか。しかも慣れていらっしゃる。
 ざっと豚肉を揚げる手つきなど、実にあざやかだが……中華鍋を片手であおるのだけは苦戦しておられたのでお手伝いした。
 無理もない。
 この家の台所の調理器具はマクラウドさまが持ち込んだものがほとんどで、シエンさまには重すぎるのだ。

「できた。アレックス、味見してくれる?」

 できあがった酢豚は、ぴりっと辛味が効いていてたいへん美味な仕上がりだった。
 以前、中華料理店で食べたことのあるものはもっと甘辛かったような気がしないでもないが。
 これはこれで、美味。

「たいへん美味しゅうございます」
「よかった……」

 ああ、とてもいいお顔をしていらっしゃる。やはりこの方は料理がお好きなのだ。
 翌日はチンジャオロースーをお作りになられたが、昨日同様に鍋をあおるのは難しそうだったのでお手伝いした。
 もう少し軽い器具をそろえて、楽に調理できるようにしてさしあげた方がよいのではないか。

 そんな事を考えていた矢先、夕食の席に顔を出したメイリールさまが紙に包んだなにやら丸いものを、とん、っと食卓に乗せた。

「シエン」
「何?」
「これ、使え」
「えっ」
「重たいだろ、ここの鍋」
「………うん」
「あと、これな、キッチンタイマー。パスタ茹でるのに。ここをキリっと回して時間に合わせるんだ」
「……………ありがと」

 小振りの片手用鍋と、小さな黄色いヒマワリの形のキッチンタイマーを手にして、シエンさまはそれは喜んでいらっしゃる。

 これは中々に新鮮な体験だ。レオンさまは料理にはまったく関心を示さなかったし、する必要もなかったのだから。

 それにしても珍しいことがあるものだ。
 メイリールさまが台所のことに気を使うとは……。

 いや、それ以前に。
 あのお方、ピーマンは苦手だったはずではないか?
 いつ趣旨替えなさったのだろう。


 ※ ※ ※ ※


 夕食後、片付けの終わったダイニングテーブルの天板に軽く触れる。
 北欧から取り寄せた、ウォールナットの無垢材で作った一点もののオーダーメイド。

「こんなでっかい食卓で……一人で飯食うのか?」

 思ってもいなかった。よもやこの食卓に子どもの加わる日が来ようとは………。
 オティアさまとシエンさま、お二人がこの家に来てからの日々は実に新鮮で。驚きと、喜びと、新たな経験をもたらしてくれる。

 それに今はもう、レオンさまは一人ではない。


(有能執事奮闘す/了)


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アフターミッション

2008/05/23 19:07 短編十海

 フレデリック・パリスが逮捕された日の夜。
 その日『カリフォルニアの青空』は一日中鉛色の雲に閉ざされ、7月だと言うのに冷たい雨が降っていた。
 自宅に戻っていたレオンは重たい足音を聞いた。

 足を引きずる様な足音が、エレベーターから出て廊下を歩いて来る。
 あのエレベーターを使うのは3人しかいない。自分と、アレックスと、そしてディフだ。
 アレックスは既に自室に下がっている。だとしたら、上がってくるのは一人しかいない。

 いつもディフが帰ってくる時は、エレベーターから自分の部屋のドアまでリズミカルに大またで歩いて行く。
 しかし今夜の足音はまるで別人だ。
 やはりこたえたのだろう。こたえないはずがない。そうと知って為した事だ。全てはディフを守るために。
 悔いはない。

 だが、それでも彼が今、悲しい顔をしているのかと思うと胸の底が少し、痛んだ。
 リビングの片隅に設置されたミニバーへと足を運び、棚に並ぶ酒の瓶に目を走らせる。琥珀色の液体を満たしたボトルを一本選んで取り出した。


 ※ ※ ※ ※


「……よぉ、レオン」

 元気がないな。塩で揉んだレタスみたいだ。耳を伏せて、しょんぼりうなだれた犬にも似ている。

「いい酒をもらったんだ。一緒にどうだい?」

 手の中のボトルに目をとめると、ディフは嬉しそうにほほ笑んだ。

「いいねぇ。入れよ」

 彼の後をついてリビングに入る。
 引っ越して間もない部屋は既にきっちり片付けられていた。警察の激務の間によくぞここまで、とも思うがもともとあまり物が無かったからだろう。
 例外は本。
 意外に彼の蔵書は多かった。警察学校の教科書やカレッジの参考書、爆発物処理班に移動が決まってからは新しい部署の仕事を覚えるため、片っ端から本を読みまくって必要な知識を吸収していったらしい。

 そして……もう一つ。台所用品も実に充実していたのだった。

「座っててくれ。グラス、持って来るから」
「ああ」

 ソファに腰かけていると間もなく、グラスを二つと銀色のアイスペールをぶらさげて戻ってきた。フタを開けると透き通った氷がカラコロと心地よい音を立てる。

「いくつだ?」
「そうだな……とりあえず、二つ」

 曇り一つないカットグラスに氷を入れて、とろりとした琥珀色の酒を注ぐ。手にとったグラスを軽く触れ合わせてから各々の口に運んだ。

「ああ、いい香りだ」

 ディフはバーボンよりスコッチを好む。 身の内に流れるスコティッシュの血が呼ぶのだろうか。あるいは水が合うのか。
 水もソーダも入れず、ただ氷だけ浮かべてくいくいと飲む。そして自分の中を満たす深い香りに目を閉じて感じ入るのだ。
 いつもはそんな風にして酒そのものを愛おしむように飲んでいるのだが……今夜は、心無しかピッチが早い。

 原因の一端が自分にもあると知っているから、レオンも止めずに付き合った。
 黙って盃を重ねていると、インターフォンが鳴った。

 のっそりとディフが立ち上がり、受話器を取る。

「あぁ……来いよ。今、レオンと飲んでる。うん。じゃ、また後で」
「誰か来るのかい?」


 ※ ※ ※ ※


 居間に通されるなりヒウェルは目を剥いた。

(ハイランド・パークの40年ものじゃねえか! こいつら、自分より年季の入った酒を、くいくいくいくいと惜しげもなく!)

「お前ら………なんっつー雑な飲み方を………」
「大丈夫、足りなかったらまた持ってくるから」
「そう言う問題じゃねーっ!」

 ため口叩いてから相手がレオンだと気づき、ほんの少しだけ焦った。が、今はそれどころじゃない。

「飲むなとは言わん。水かソーダで割れ。でなきゃ、せめて、腹に何ぞ入れてから飲め!」

 レオンは肩をすくめ、ディフはしばらくヒウェルの顔を見てから……何事もなかったかのように、くいっと飲んだ。氷も何も入れずに。

(こいつ……割る気ないな?)

 ちらりと見たウィスキーのボトルは既に半分以上空いていた。見ている間にさらに一杯注いでくいっと飲んだ。
 一息に。
 いつもはこんなにピッチの早い奴じゃない。
 原因を作ったのが他ならぬ自分の書いた記事だとわかっているだけに、止められない。

「ああ、もう……台所借りるぞっ」


 ※ ※ ※ ※


 ヒウェルがキッチンに行ってしまうとディフはグラスを置き、ぽつりとつぶやいた。

「……電話……来たんだ…ロッカールームで…」
「うん」
「嫌な感じがした……あの時……何で話しかけなかったんだろう…」

 目を伏せている。透き通ったヘーゼルの瞳が半ば閉じた瞼の陰になり、暗い憂いの色を帯びる。
 
(話しかけてもおそらく何も変わらなかっただろうな)
(君と出会うよりずっと前から、彼は悪事に手を染めていたんだから)

 思っても口には出せない。言える訳がない。

「人生はそんなことの積み重ねだね。言えなかったことなんていくらでもある……」

 まばたきするとディフは眉根を寄せ、まなじりを下げた。今にも泣き出しそうな切なげな表情で自分の両手を見つめ、ぐっと握る。

「………あの子の手の感触が…忘れられないんだ」

 口の端がほんの少し歪み、震えている。必死で堪えているのだろう。
 黙ったまま肩を寄せる。手を伸ばし、ゆるやかに波打つ赤い髪をなでた。それと知らずに初めて抱き合った夜のように。

 ディフはゆっくりとこちらを見ると手を伸ばし、きゅっと服を掴んだ。
 震える声が囁く。

「お前は……急にいなくなったりするなよ、レオン?」
「ああ……約束する」

 ほっとした顔でほほ笑んで、こてんと肩に頭を乗せてきた。


 ※ ※ ※ ※


 料理は滅多にしないがバイト先で習い覚えた酒のつまみなら手慣れたもんだ。

 冷蔵庫を開けると、さすがに充実している。とりあえず卵を4つ。オレンジ色の鍋に水を注いで火にかけ、ボイルする。
 卵がゆで上がるまでの間にトマトを1cmの輪切りにして。
 ツナ缶にみじん切りにしたタマネギとマヨネーズ、塩、こしょうを加えて混ぜ合わせ、輪切りにしたトマトの上に盛って、仕上げにパセリを散らす。

 ゆであがった卵を取り出し、一旦冷水にひたしてから殻を剥いて、横に二つに切る。
 まずは白身の先端をちょいと水平に削いですわりを良くして。
 さらに黄身を取り出し、白身の切片も一緒くたにすりつぶしてカラシと酢とウスターソースと塩、こしょうを混ぜて練り合わせる。


 店で出すなら、こいつを口金のついた袋に入れてきゅっと絞り出す所だが……。
 どうせ食うのはぐだぐだの酔っぱらいだ。気取る事もあるまい。
 白身のくぼみに適当にスプーンで盛りつけ、仕上げにパプリカを散らして、デビルドエッグのできあがり。

 ついでに生のニンジンとキュウリも切ってスティックにしてみた。

「さてっと……こんなとこかな」

 できあがったつまみを大皿に盛りつけ、リビングに戻ると……。
 
 ぴとっと肩寄せ合ってる奴らがいたりする訳で。しかもディフの奴、レオンの肩に頭乗せてもたれかかってやがる。
 何なんだ、この、むずがゆい空気は。
 何やらいたたまれない気分で立ち尽くしていると、レオンがこちらを見て手招きしてきた。言われるまま傍に寄るとひょいと手が伸びてきて、デビルズエッグを一つ取った。

「ほらヒウェルがつくってくれたよ」
「ん……」

 さし出された卵を、ディフは素直にはもっと口に入れた。
 レオンの手から、直に。

 お前って奴はっ! ああ、もう、見てる方が恥ずかしい。
 そーらこんなもん見せつけられたんじゃあパリスの奴も嫉妬に狂いもするよなあ、と妙に納得しているとレオンが苦笑して、ディフから身体を離した。
 ほんの少しだけ。

「まだそんなに飲んでないだろ?」
「……ごめん、横着した」

 恥ずかしそうな顔をして、今度は自分の手で二つ目をとった。
 どうやら気に入ったらしい。
 でもなあ、ディフ。
 口の端に、すりつぶした卵の黄味くっつけてほほ笑むな。
 拭いてくれ。
 頼むから。

「ん?」

 さすがに気づいたらしい。無造作に軽く握った拳でくいっと拭って、じっと見て……
 あ。あ。あー……
 やっぱ舐めたか。

「美味いな、これ」
「そりゃどーも」

 ことん、とつまみを盛りつけた大皿をテーブルに乗せると、レオンが酒瓶を掲げた。

「ああ君は水割り? それともソーダ割りにするかい」
「……ソーダで。あるよな?」
「ああ、冷蔵庫に」

 再びキッチンに向かう。冷蔵庫から缶入りのソーダを一本とり、ついでにグラスを持って居間に戻った。
 まったく、いつもちょこまか動くはずの奴が今日はどっかり座ったまんま、動きゃしねえ。

 ……まあ、仕方ないわな。

 その後、野郎三人で顔つきあわせてぐたぐだ飲んだ。
 1本目のボトルはあっという間に空になり、ディフが爆発物処理班のチーフからもらったとか言う16年ものを出してきて2本目に突入。

「いい酒はストレートで味わうのが一番なんだよー」
「ええい、言ってることは正しいが限度ってものを知れ!」

 用意したつまみは好評で、ばくばく食ってる。もっぱらディフが一人で。レオンはほとんど手をつけない。


(に、してもえらい食いっぷりだな……お前、今日まともに食事してないんじゃないか、もしかして?)

 やがて、豪快にあくびをすると、ディフはぱたっとソファに突っ伏して、すやすやと寝息を立て始めた。
 まったく予想の斜め上を行ってくれるねお前って奴は! ここは、普通ならいびきをかくところだろうがよ。

「そろそろ出ますかね、アレ」

 レオンがすっと立って奥へ歩いて行き、まもなく見なれた茶色の物体を抱えて戻ってきた。ほぼ同時にディフがむくりと起きあがる。


「……俺のクマどこ?」
「ここだよ」
「あった……」

 絶妙のタイミングでぽふっと手渡されたクマを大事そうに抱え込むと、今度こそディフはお休みになられてしまった。


「……片付けますか」
「そうだね」

 アイスペールを手にレオンが立ちあがった瞬間、かろん、とトングが床に落ちた。
 まるで彼の手から逃げ出したみたいに。

「おっと」

 慌てて拾おうとするレオンの手の中でアイスペールがぐらりと傾き、溶けかけた氷が今にもこぼれ落ちそうになる。
 あわてて押さえた。

「………すまないね」
「……俺がやっときますから」
「………じゃあ『こっち』を運んでおく」

「お願いします」


 ※ ※ ※ ※


 注意深くディフを抱き上げると、レオンは寝室へと歩き出した。
 腕の中でディフはクマをしっかりかかえて眠っている。無邪気な顔だ。こうしていると、あの時とちっとも変わらない。

 そっとベッドに横たえるとうっすらと目を開けた。

「レ……オ……」
「ここにいるよ」
「ん……」

 ほっとした表情で顔もふっとすりよせて、手を握られてしまった。試しに引き抜こうとしたけど、骨組みのがっちりした指がしっかりとからみつき、びくともしない。

 困ったな。
 これじゃ、動けない。
 さて、どうしよう?


 ※ ※ ※ ※

 
 皿とグラスを洗い終わってもレオンはまだ戻ってこない。どうしたんだろうと様子を見に行くと。

「やあ、ヒウェル」

『姫』は少し困った顔をして、しっかりとディフに捕まっていた。察するに『俺のクマどこ?』の第二段階が発動したらしい。

「あーその…お助けしましょっか。それとも俺、お邪魔?」
「ああ……ん。助けてくれないかな」
「それじゃ……ちょっと失礼して」

 屈み込んで、ぽしょぽしょと耳打ちする。
 ルームメイトをしていた一年の間、この寝ぼけ癖が出るたびにずーっと俺の声を聞いてたんだ。きっと効果はあるはずだ。

「……な? だから安心しろ」
「うん……」

 効果てきめん。するりと手を放した。

「……何を?」
「レオンはいつだってお前の隣にいる、だから安心しろって」
「……そうか」

 クマ抱えて幸せそうな顔して熟睡してやがる。

「馬鹿だ、こいつ」

 もう聞かれる心配がないと思うと気が抜けて、ぽろりと本音が口からこぼれた。

「俺に恨み言の一つでも吐けば、ちったあすっきりするだろうと思って……わざわざ出向いてやったってぇのに」
「ディフにだってわかってるさ、どうしようもなかったんだって」

 くいっと眼鏡の位置を整えつつレオンの顔をねめつけた。目線を斜めに傾げて。

「……あー、まったく。だから放っとけねーんだ」
「面倒見がいいのはディフだけじゃないね」

 わかってないな。
 へっと笑って軽く首を横に振る。

「あなたも『込み』ってことですよ…‥それじゃ、片付け終わったんで俺は退散します」

 二人並んでディフの部屋を出ると、レオンが鍵を閉めた。(合鍵を持ってると知っても、今さら驚く気にはならなかった)

「おやすみ」
「おやすみなさい……」

 エレベーターの扉が閉まる。
 一人になって、考える。

 あの二人を守ることに少しでも役に立ったのなら、使われるのも悪くないかもしれない。


(アフターミッション/了)


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【3-11-1】電話1

2008/05/25 3:43 三話十海
 時刻は夜の九時。サンフランシスコのアパートの一室で電話が鳴る。
 結城朔也は手を伸ばして携帯を取り、ディスプレイに浮かぶ名前を確認した。

『よーこ』

 日本の従姉からだ。かちゃりと開いて耳に当てる。

「Good-evening,サクヤちゃん。元気?」
「やあ、羊子さん。今、電話して大丈夫なの?」
「大丈夫よ。昼休みだから」

 太平洋を隔てているとは思えないほどクリアに声が聞こえるが、やはりそこはアメリカと日本。返事が帰ってくるまでに1、2秒ほどタイムラグがある。
 しかし二人とも慣れたもので、その辺りの間合いをつかんで一呼吸置いて会話をするやり方を身につけていた。

「メール見たけど……海苔に、巻き簾に、お米に寿司桶……しかもお米が2キロって」
「うん、あとからあげ粉もね。味噌としょうゆとワサビはこっちでもそろったから」

 夕方のうちに(サンフランシスコの時間で)日本から送ってほしい食材のリストをメールで送っておいたのだ。

「サクヤちゃん、お寿司屋さんでも始める気?」
「たくさん食べそうな人がいるし」
「ああ、マックス?」
「うん」
「わかるわ……彼、嬉しそうな顔して、ばくばく食べるからねー。何っつーか、大型犬の餌付けしてる気分?」

 電話の向こうで楽しげに笑う気配がする。高校時代のことを思い出しているのだろう。

「それでね……羊子さん。ちょっと気になることがあるんだ」
「ん、何?」
「あの双子……」
「ああ。レオンとマックスが面倒見てるって言う、金髪の双子ちゃん?」

 口調は変わらないが声のトーンが変わった。しっとりと落ちついて、聞く者の心のすき間に入りこみ、包み込むような響きに。
 赤い縁の眼鏡の向こうですうっと細められた切れ長の瞳が見えるような気がした。

「俺たちと、似た感じがする」
「それはそれは……なかなかに興味深い」
「写真、撮ろうとしたんだけど断られちゃったよ。羊子さんの同級生たちは撮ったけど」
「ああ、そっち送ってくれればOK。あとは……自力で観るから」

 ほんの少し間が空いて、打って変わった楽しげな声が聞こえてきた。

「それじゃ、必要なもの見つくろってEMSで送るわ。またね、サリーちゃん

 ああ、なんだかすごく嬉しそうだ。
 どうにも彼女、マクラウドさんの考えたニックネームがいたくお気に召したらしくて事あるごとに連呼したがる。

「それじゃまた電話するよ、メリィ先生」
「………メリィさん言うなーっっ」

 お叱りの言葉の第二便が飛んでくる前に素早く電話を切った。


 ※ ※ ※ ※


 こちら日本。とある高校の昼休み、社会科教員室にて。
 結城羊子は切られたばかりの携帯を握り、ふるふると小刻みに震えていた。

「……っくっそー………」

 羊子→羊→メリィさんの羊、羊、羊………
 で、メリィ先生。
 実にわかりやすい。教え子たちにつけられたこのあだ名は奇しくも十代の頃のニックネームとまったく同じだった。(その頃は『メリィちゃん』だったのだが)いつの時代も子どもの発想は同じってことか。
 もっとも赴任した当初は『魔女先生』なんて言われていたのだから、それよりはマシになったのだろうけれど。
 
(魔女、か……)

 そろりと指先で机の上の黄色い紙箱を手でなぞる。トランプより少し厚みのある箱の中には、一組のタロットカードがきっちり収められている。78枚、フルセット。あっという間にすり切れたり破れたりで消耗が激しいので常に2組ストックしている。

(こんなもん、持ち歩いてるんじゃあ、無理もないわな)

 軽く物思いにふけってるところで、携帯が鳴った。
 メールの着信音だ。

「お、来た来た………」

 いそいそと開いて、写真を表示させる。テンガロンハットを被ったかつてのクラスメイトが写っていた。
 赤毛と黒髪、それから遠くから見かける程度だった茶色い髪……秘かに学内で『姫』と呼ばれていた上級生。

「まー、マックスってばすっかり厳つくなっちゃって……うわ、ヒウェルすっげえ胡散臭い! あんなに可愛いくて……いじめがいがあったのになあ」

 部屋の中に他に誰もいない安心感から、つい思ったことが口に出る。

「風見もちょっと道踏み外すと将来こーなっちゃうのかなぁ……」
「誰がどうなるって言うんですか?」

 不意に背後から声をかけられ、羊子は椅子に座ったまま飛び上がった。
 振り向くと束になったノートを抱えた男子生徒が一人、しげしげと携帯をのぞきこんでいる。
 涼しげな目元に若侍のような風格と気品を漂わせ、ぴしっと背筋が伸びている。ちょっとした所作にも隙がない。

「風見………」
「はい、風見です」

 さりげない風を装い、携帯を閉じる。風見光一はそんな事などさして気にする風もなく、どさっと1クラス分のノートを机の上に積み上げた。

「頼まれてた日本史のレポート、回収してきましたよ」
「あ、うん……さんきゅ」
「珍しいですね、羊子センセが携帯みながら物思いにふけってるなんて」
「っ見てたの? 入室前にノックしろって言ってるでしょうに!」
「しましたよ。でも全然気づかなかったし?」

 くっそー……理論武装して来やがったか。イノセントな子犬みたいに首かしげて。

「それで……何見てたんですか、先生」
「………ん……高校の時の同級生の、写真」
「日本の?」
「ううん。サンフランシスコ」
「ああ。留学してたときの」
「そ。あたしの従弟が今、あっちに留学しててね。あたしの同級生と会ったから」
「それで、写真を」
「そうよ」

 かちゃっと携帯を開いてさし出した。見られちゃったのなら今さら隠してもしょうがない。

「こっちの赤毛のごっついのがマックス。で、この眼鏡かけた胡散臭いのがヒウェル」
「なるほど。センセがあっちに居た時に可愛がってた人ですね」
「なっ」

(………やっぱ聞こえてたか)

「泣ける話だ………」

 芝居がかった口調で肩をすくめ、首を横に振っている。

「風見ぃ!」

 そいつぁどう言う意味だ? 言葉が飛び出すより早く風見光一は一礼して部屋を出ていた。

「くっそー……逃げられた」

 と、思ったらひょこっと顔だけ中に戻して一言。

「ま、道踏み外しそうになったら拳骨くれる人たちがいるんだから、そんな風にはなれないって!」

 にこっと笑うと今度こそドアを閉めて、立ち去って行った。

「ふん……ませた口きいちゃって………」

 閉じた携帯を軽く指先でつつく。
 ここは少し騒がしすぎる。大事なことは、後でもっとじっくり観よう。さしあたって、郵便局にEMSのラベルをもらいに行って……

「米、買って来なきゃな。あ、おばさんにも電話しとこ。色々入れたいものあるだろうし」


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【3-11-2】まきずしまきに

2008/05/25 3:45 三話十海
 日本とサンフランシスコの間の電話から数日後の日曜日。
 サンフランシスコ北部の海沿い、マリーナの一角にあるアパートの駐車場に、どっしりした四輪駆動車が入って行く。

 ばんっと運転席のドアが開いて、頑丈そうな体つきの男が降りてきた。厳つい顔にかけた濃いめのサングラスを外すと、その下からヘーゼルブラウンの瞳が表れる。長い赤毛をなびかせて大またでざかざか階段を登り、骨組みのしっかりした指がとある部屋の呼び鈴を押した。

「よう、サリー!」
「いらっしゃい、マクラウドさん」
「ああ、ディフでいいよ。言いづらいだろ?」
「OK、ディフ。どうぞ、中へ。準備はもうできてます」

 案内されて中に入ると、ディフはぐるりと見回した。
 室内は中間色でまとめられ、家具も背の低いものが多い。本棚には英語の本に混じって日本語の雑誌や本が並び、小さな写真立てには優しげな女性ときりっとした眼鏡の女性、そしてサクヤ本人の写った写真が飾られていた。
 眼鏡をかけているのはヨーコだ。
 体つきも髪型も記憶にあるのよりだいぶ大人っぽくなっているが、全てを見通すような瞳は変わらない。もう一人の女性はサリーに似ている。
 きっと母親だろう。その隣の金色のふかふかしたレトリバーは……おそらくサリーの犬だろうな。
 ヨーコにはもっとアグレッシブな犬種が似合いそうだ。テリアとか。ドーベルマンとか。
 
「気持ちのいい部屋だ。家具の趣味もいい」
「ありがとう。ここ借りられたのもディフのおかげですよ」
「ああ、レオンの知り合いの不動産屋紹介してもらったからな」

 サンフランシスコ市内の動物病院で実習が決まった時、サリーは最初は一人で不動産屋に行って部屋を探した。
 しかし、見た目と童顔が災いして家出少年と間違えられ、あやうく警察に通報される所だった。大学に電話して確認をとる間、とてもとても気まずい思いをしたのである。
 そこでディフに相談し、付き添いとして不動産屋に同行してもらってようやくこの部屋を決めることができたのだ。

「どれを運べばいいんだ?」
「これと、これと……あとお米も」

 目の前にどん、と置かれた大量の荷物に思わず目をしばたかせた。
 一抱えはありそうな袋に入った米。印刷された文字は日本語だが2kgと書かれた重さは読める。
 大きめの猫なら一匹余裕で寝られそうなくらいのサイズの丸い木の桶。ただし、直径に対して深さは浅い。
 米はわかる。
 だが、桶の用途が想像できない。

「………………………何に使うんだ、これ」
「色々と」
「日本食って……手間かかるんだな」
「寿司をつくろうと思わなければ、普通に家にある鍋でいいんですけどね」
「これは?」
「ああ、それは炊飯器と言ってお米を炊く専用の家電です」
「そんなのがあるのか……」
「日本人の主食は米ですから」
「そうだよな、毎日食うんだものな、大量に」

 丸みを帯びた立方体の『米を炊く専用の家電』を、ディフは何気なくぺたぺたと手のひらで叩いて目を細めた。

「これ……猫が乗りそうだ」
「上があったかくなりますからね」
「ああ、乗るな、絶対。それじゃ、これ運ぶぞ」

 荷物の詰まった大きな段ボール箱を担ぐとディフは歩き出した。来た時と同じように大またで、悠々と。
 その後ろを、小さめの箱を抱えてサリーがちょこまかと着いて行く。箱の中身は市内のスーパーで調達したり、EMSで送ってもらった食材が詰まっている。

 本日のローゼンベルク家のランチは日本食(ジャパニーズスタイル)。


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【3-11-3】まきずしまいた

2008/05/25 3:47 三話十海
「それじゃ、台所お借りしますね」

 持参した荷物の中からサリはー白い布を取り出して広げた。
 後ろあきで医者が手術のときにつけるオペ用の白衣に似ているが、雰囲気はやわらかくて家庭的だ。
 裾と襟元にレースがあしらわれている。サイズはサリーにぴったりだ。

「変わった白衣だな」
「日本のエプロン……みたいなものです。袖までカバーしてるから便利ですよ」
「機能的でいいな。それも、向こうから送ってきたのか?」
「ええ、まあ……」

 ちょっと遠い目をしている。

「それで、一応聞いておきたいんですが、苦手なものって何かありますか? 日本の食材はわからないだろうけど、甘いのとか辛いのとか」
「オティアとシエンは甘いものが苦手なんだ。アレルギーは特にない。レオンは魚の卵が苦手だな」
「じゃあ甘さ控えめで。薄味のほうがいいのかな……魚の卵は今回はないし」
「そうだな」

 いつものように腕まくりして、髪を後ろで一つにまとめ、自分用のエプロンを着けていると。奥からとことことシエンが出てきた。
 見なれない食材や調理器具が珍しいのだろう。興味シンシンと言った様子でサリーの手元に注目している。
 何だかとても楽しそうだ。そのうち、自分もエプロンを身につけ始めた。

「手伝う」
「ありがとう。じゃ、じゃがいもの皮、むいてくれるかな?」
「うん」

 シエンがイモの皮を剥く間にサリーはてきぱきと米を量っていた。ざっと洗ってから炊飯器の蓋を開け、中から金属製の鍋のような器を取り出す。
 なるほど、内部構造はあんな風になってるんだな。
 金属製の器に米を入れ、内側の数字の書かれたラインまで水を注ぐと元のようにセットして。
 蓋を閉めて、スイッチオン。

「………これで炊けるのか?」
「はい」
「米に水吸わせなくていいのか?」
「タイマーついてますから、自動で」
「便利だな」

 さすが主食を作る専用家電だ。
 米の準備が終わると、今度は干したキノコと、何かわからんが細長いヒモのような干物、黒に近い緑色の板状の物体を水につけている。

「そのキノコ、いいにおいがするな……」
「それ、もしかしてシイタケ?」
「そうだよ。よく知ってるね」

 シエンはにこっと笑って小さくうなずいた。

「生より干し椎茸のほうが……ちょっと堅くなるけど、栄養あるんです」
「なるほど……で、こっちの細長いのは?」
「カンピョウ。これぐらいの果実って言うか、野菜?」

 サリーはくるっと空中に両手のひらで猫いっぴき分ぐらいの大きさの円を描いた。

「それを、細長く切って干したものです。ソイソースで煮て、寿司の中に入れるんですよ」
「変わった食べ物だな。でも美味そうなにおいだ」
「ちょっと想像がつきませんよね、この形だと」
「最初に食おうと思った奴はよっぽど腹が減ってたんだろうな……こっちの板みたいなのは?」
「それは、コンブ。スープのだしを取るのに使うんです」
「これも、日本から?」
「はい。鍋、お借りできます? 大きめのがいいな」
「これでいいか? 重いから気をつけてな」

 オレンジ色のほうろうびきの鍋に水を満たし、コンブとやらを入れて火にかける。

「泡がついたらすぐ引き上げてください。お湯が沸騰したら、これをひとつかみばさっと入れて、しばらくぐらぐらさせる」
「……わかった」

 袋に入った茶色のふかふかした物体は、強烈な魚のにおいがした。何となく前にサリーからもらった「イリコ」に似ているが、もっとマイルドなにおいだな。
 猫が好みそうだ、こいつも。


「サリー、じゃがいもむき終わったよ」
「ありがとう、じゃこれぐらいの大きさに切って……」

 切った野菜を薄切りの肉と、透明でぷるぷるした極細のパスタみたいなものと一緒に鍋で炒め始めた。
 妙に平べったくて、編み目模様のついた特大のソースパンみたいな変わった形の鍋は、サリーが自分の家から持ってきたものだ。
 調味料を加えて、蓋をしようとしてるのだが……どう見ても蓋のサイズが合ってない。鍋の本体より1周り小さいぞ?

「そのフタ、小さすぎないか?」
「これはこうやって使うんです」
「おい、それ、中に入ってるぞ! フタの意味あるのか?」
「熱効率を良くしてるんですよ」
「………合理的だな」
「ええ、これだと煮崩れないし、味が均一になるんですよ。落しぶたって言うんです。日本独特かな」
「うん、初めて見た」
「この鍋の模様も、熱効率を上げるためですね〜」
「なるほど……」

 その隣のコンロでは、平べったい鍋の中で細長い魚が煮えている。

 くつくつと鍋が煮え立ち、ソイソースの香りが漂い始める。
 肉や魚、野菜と混ざり合い、やわらかく溶け合っている。どっちもソイソースがベースなのに微妙に香りが違うんだな。
 鶏肉を切ったり、卵を混ぜたりと他の料理の下ごしらえをしているうちに、炊飯器がピーっとにぎやかな電子音を立てた。

「あ、炊けた。中身をここにあけてもらえますか?」
「OK」
「熱いから気をつけて」

 オーブンミトンをはめた両手で炊飯器から金属の器を取り出し、浅くて広い木の桶の中に炊きあがった飯をあけた。

「すごいな、ちゃんとできてる」

 真っ白な飯をサリーがしゃもじで混ぜる。ついさっき慎重に量って調合したビネガーを少しずつ注ぎながら。混ぜ終わると飯をぽこぽこと山にした。

「これ、なにしてるの?」
「酢がなじむように蒸らしてる」
「すっぱいにおいがする……」
「これはしばらくこのまま。その間に………」

 さっき混ぜ合わせた卵と野菜をマグカップに注いだものを、湯気の噴き上がる中華せいろにセットする。

「中華せいろがあるなんて、謎の家だよね、ここ」
「ああ、それはシエンが使うんだ。餃子蒸すのに。この子は中華が好きだし、得意だからな」
「そっか、中華はいいよねー」
「……うん」

 ここからが本日のメインエベント。
 手巻き寿司のセットはここらでもちょっと大きなスーパーに行けば米とノリと、巻くためのシート……細い竹の棒を繋ぎ合わせた、ちょっと変わった構造をしてる……が手に入る。
 しかしサリーが持ち込んだ日本産のノリは、俺が知ってるのより厚みがあってしっかりしていて、色もほとんど真っ黒に近い。
 巻くためのシートも「巻き簾」と言う名前があると教えてもらった。
 初めて知ることばかりだ。慣れ親しんだアメリカ料理と違い、何気なくさっさと作っているように見えて、さりげなく手順が細かい。
 寿司用の飯に混ぜるビネガーは後で調合を聞いておかなきゃ忘れそうだ。

「そろそろいいかな……」

 飯の山を崩してから、プラスチックの枠に紙を張った平べったい道具を渡される。

「これであおいでくれませんか?」
「何だこれ」
「うちわ。扇子みたいなもんですね」

 言われた通りにばたばたとあおいだ。

「ディフ、ちょっと強すぎますって、もーちょっとゆっくりでいいから」
「そ、そうか」

 言われて少しペースを落した。シエンがくすっと笑った。気まずいような、うれしいようなくすぐったい気分になる。

 巻き簾の上に海苔を敷いて、その上にビネガーを混ぜた飯を平に乗せて。
 さっき煮込んだ具……細長くしたオムレツと、ソイソースで煮込んだ細長い魚、スティック状に切ったキュウリにカンピョウ。
 それから、この赤と白のぷるぷるしたものは何だろう。簡単に縦にさけるし、においがシーフードっぽい。

「カニか?」
「……の、ようなもの。魚のペーストを蒸して加工したものです」
「そうか……」

 じゃあヒウェルに食わせても問題ないな。そもそも殻がついてないし。
 中に具材をみっしり入れて、どうやるんだろうと思っていたら巻き簾の片側に手をかけて。ロールケーキでも巻くみたいにしてひょい、くるっと巻いてしまった。軽く押さえてから、ぱらりと簾を離すと……さっきまでシート状だったのが、もう黒いスティックになっている。
 どこの伝統工芸だ。まるで魔法でも使ったみたいだ!

「……今、何やったんだ、サリー?」
「そんなに難しく考えないで、とにかく具を入れてごはんと海苔でまけばいいんだよ」
「なるほど……巻けばいいんだな」
「巻くの多少コツあるけど……何回かやれば慣れるし。あ、でも力いれすぎてつぶさないのだけ注意かな」

 しみじみと自分の手を見る。シエンもこっちを見上げていた。二人で顔を見合わせ、肩をすくめた。

「………それが一番難しいや」
「カリフォルニアロールのほうが難しいよ、むしろ。あれ裏巻きだから」
「そう言えばあれはライスが外側だったな」
「海苔が苦手な人向けなんだよね」
「ああ! 最初に口に当たるのがライスになってるからか」
「たぶんね。裏巻き自体は日本に古くからあるけど、アメリカ人に出した人はすごいと思うな」
「食べて欲しかったのかな。ノリが苦手な人にも……」

 未開封のまま残ったノリ(ヨーコがそりゃもう大量に送ってくれたので)に視線を向けた。真っ黒なシート、材料は海藻。
 確かに謎の食べ物だ。

「まあ見た目があまり食い物っぽくないし?」
「中味もアボガドとキュウリだしねー」
「キュウリは巻いてるじゃないか。これにも入ってるし、キュウリだけ巻いたスシもあったよな……カッパ巻き」
「『カッパ』って何?」

 シエンに言われて考え込む。気にしたことなかった。

「キューカンバー(キュウリ)の略……じゃ、ないよな」
「日本の想像上の動物だよ。んー、こっちで言うなら……妖精?」
「……何でキュウリ巻いたスシがフェアリー巻きなんだ」
「キュウリが好物なんだ、カッパって」
「なるほど。緑は妖精が好きな色だしな」
「一見関係なさそうなものの名前がついてることはアメリカでもよくあるでしょ?」
「ああ……あるね。サイドカーとかホーセズネックとかスクリュードライバーとか」
「それ、全部お酒の名前じゃあ……」

 話す傍ら、サリーは鮮やかな手つきで、ひょい、ひょい、と巻き寿司を巻き続け、キッチンカウンターに黒い謎のスティックが並んで行く。

「ニンジャの秘伝書みたいだな」
「切って食べるんだよ」
「丸ごとかじるんじゃないのか。2月の3日に」
「ヘンなこと知ってますね、ディフ……それ日本の一部地域でしかやってないよ」
「ヨーコが日本のポピュラーな伝統行事だと」
「最近は確かにポピュラーになってきたけど……なんていうか、縁起担ぎなんだよね。それは。食べ切れたらラッキーみたいな」
「運試しみたいなもんか? 軽く一本食い切ったらなんか微妙にがっかりした顔されたぞ」
「子供や女性には難しいからね」
「そうだな。やっぱり切った方がいいな。半分ずつぐらい?」
「いや……もっと、小分けに。薄切りにした方がいいと思う」
「うん、俺もその方がいいな」
「………そうか」

 協議の結果、巻き寿司の厚みは約1cmで統一することになった。サリーにコツを教わりつつ切り分ける。
 次は何が来るかと思ったら意外に見なれたもの……鶏肉が出てきた。一口大に切り分ける。

「じゃ、次はこの粉つけて」
「何だ、これ?」

 オレンジと黄色の派手な袋、表面にはフライドチキンらしき料理の写真が印刷されている。文字は日本語だ。

「唐揚げ粉。ヨーコさんが送ってくれた」
「いいにおいがするな。調味料が混ざってるのか。これで何を作るんだ?」
「チキンのフライ」
「の、割には衣が薄いぞ?」
「ジャパニーズスタイルだから」
「なるほど………華奢になる訳だ」


 ※ ※ ※ ※

【本日のローゼンンベルク家のランチの献立】
 ミソスープ(豆腐とネギと油揚げ)
 巻き寿司
 肉じゃが
 茶わん蒸し
 鳥の唐揚げ


「腹減ったー。今日の飯、何?」

 この家でランチをいただくのは珍しいことだ。
 ってか滅多にない。
 客が来てるんだから今日は昼飯に来いと、ままに指定されちまったんだからしょうがない。それ以前に日本食をリクエストしたのは俺なのだ。

 さんさんと差し込む太陽の光の中、何とはなしに場違いな所にいるようで。妙に落ちつかない気分で食卓に向かうと……。
 テーブルの上には、かつてない異国情緒が満ちていた。

「何だ、これ」
「あ、ヒウェル。サリーが作ってくれたんだ。巻き寿司って言うんだよ」
「そー言えばこの黒いシートにはそこはかとなく見覚えが………」

 若干、背筋の凍る記憶とともに。
 そして全員が席につき、日本食パーティーが始まる。人数分、さらっとハシが出てくる当たりこの家も大概に……謎だ。
 
 さーてっと……どれから食うべきか。
 少し迷ってから、マグカップに入ったカスタードプリンらしきものを口に含む。
 
「う? このプリン甘くねーぞ」

 サリーがちょっと困ったような顔をして言った。

「プリンじゃないです、それ」
「え、違うのか? そーいや肉とかキノコとか入ってるな」
「日本の伝統食ですよ、一応」
「……ヨークシャープディングみたいなもんか?」
「んーまぁ、卵の凝固を利用してるって点では同じだけど」
「菓子じゃないとわかりゃ美味いよ、うん」

 ちらりと見ると、オティアもシエンも問題なく口に運んでいる。
 さすがにまっ黒いシートに包まれた寿司らしきものは、軽く躊躇していたが。

「美味いぞ、それ。色がすごいけどな」

 ディフが言うと、シエンがうなずき、二人とも手を伸ばして……。
 ちまちま食べ終わってから、二つ目をとった。どうやら気に入ったらしい。
 こんな時のこいつらの行動って、何つーか親鳥とひな鳥、いや親犬と子犬、親猫と子猫。ちょっと動物の親子っぽいなと思った。
(ままがちょっとごついけどな)

 野菜と薄切り肉の煮込み料理を口に運ぶと、シエンがぱあっと顔を輝かせた。

「これ、美味しい」
「それは肉じゃが。この中じゃあ、一番新しい料理かなぁ」

 レオンも器用にハシで口に運んでからうなずいた。(フォークで食ってるのは俺だけか、もしかして?)

「ポトフとか……ビーフシチューに似てるね」
「元々はカレーを参考につくられたんだよ。今から100年ちょっと前……あれシチューだったかな?」

 フォークでつついていると、半透明のぷるぷるした極細のパスタみたいなものを見つけた。

「………シチューにはコレ入れないと思うぞ…」
「そこは日本的アレンジ」
「けっこう美味いな、これ。挑戦してみたい。後で詳しいレシピ教えてくれるか?」
「いいですよ」

 なーに気取ってやがる。レオンと双子が気に入ったみたいだから、だろ。ほんと、わかりやすいよ、お前って。

「俺はもっと甘いほーが好きだなー」
「……わかったお前の分は砂糖かけて食え」
「げー、まずそー」
「メイリールさんって甘党でしたっけ? チョコばっかり食べてるって聞きましたけど」
「酒もやるよ。確かにチョコは好きだけどな」

 何気なく答えてから、はたと気づく。
 俺、いつの間にサリーとなごやかに飯食いながら語らってるんだろう……。

 衣の薄いチキンのフライをつつきながらシエンがサリーに問いかける。

「ねえ、サリー、これって油淋鶏?」
「そうだよ。あんかけないけどね。元は中華。隣の国だからね、中国は」
「そっかー」

「粉が余ってるから、気に入ったならあげるよ。つけて揚げるだけだから」
「やってみるか? シエン?」
「うん」
「じゃ、ありがたくもらうよ。代わりに気になる食材があったら持ってってくれ」
「サンキュ、ディフ。でも一人だとあんまり作らないからなあ……」

 馴染みの薄い相手と盛り上がるには、食い物の話と相場が決まってる。
 だが、それにしてもサリーのこの馴染み具合はどうだ?
 ディフのこともマックスじゃなくて「ディフ」って呼んでるし、何より客がいるってのに双子がほとんど警戒してない。
 オティアは相変わらずほとんどしゃべらないが、それでもずいぶんと穏やかだ。

 ……何ものなんだろうなあ、こいつ。
 今にして思えば夕飯食いに来た時も、この家に兆していた揺れを感じ取り、そっと手を当てるようにして鎮めてしまったような気がしないでもない。

 ええい。
 歯切れが悪いぞ、我ながら。
 感謝するべきなんだろうか。
 そんなことを考えていたら、サリーと目が合ってしまった。

 にこっとほほ笑んできた。

「……美味かったよ、ごちそうさん」

 ま、この場では一番妥当な一言だ。

「どういたしまして。みんな食べてくれてよかったなー。日本食、合わない人もけっこういるから」
「俺たちは君の従姉に食わせてもらったことあるしな」
「……何か君より味付けがダイナミックだったような記憶がそこはかとなくあるんだが」
「家庭の味ってのがありますから」
「その辺は万国共通かもな」


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【3-11-4】電話2

2008/05/25 3:49 三話十海
 日曜の昼下がり。
 日本のとあるアパートの一室で携帯が鳴った。聞き覚えのある着メロだ。結城羊子は迷わず携帯を開いて耳に当てた。

「Hi,サクヤちゃん。割烹着、サイズぴったりだった?」

 電話の向こうでため息をつく気配がした。

「………いや……あ、うん。使ったよ」
「そっかー。三十分かけて君に似合いそうなの選んだのよ、あれ!」
「わざわざ国際電話で言うようなことじゃないでしょう……」
「はっはっは、照れるな照れるな。それで、今日はどうだった、日本食パーティ」
「うん、好評だった」

 従弟からその日のランチのてん末を聞くなり、羊子は目を丸くした。

「えー!? 巻き簾も、寿司桶も、レオンのとこに置いてきちゃったの?」
「……うん。自分ちでも作ってみたいって言うし、一人だと使うチャンスもないしね。お米も余ったから、置いてきた」
「ほーんとサクヤちゃんってさ、いいお嫁さんになれそなタイプよね」
「お嫁さんはやめてよ」
「食べてくれる人がいっぱいいたから張り切っちゃった?」

「うん、ちょっとね」
「まあ、何となくわかるわ、その気持ち」

 くすっと笑いがこぼれる。白い割烹着を着たサクヤの後ろで、でっかいのとちっちゃいのが手元を熱心にのぞきこむ姿を思い浮かべて。


「……そーいや、台所に鍋、あった? カボチャみたいなオレンジのやたらごっつい鍋」
「あったよ、重たいやつ」
「そっか。大事に使ってるんだ、あの鍋」

「ルームメイトが風邪で寝込んでるから」
「ああ……おかゆさん、作るんだ?」
「オカユサン?」
「うん。こっちで言うところのリゾット? 日本では寝込んだ時の定番メニューなんだよ」
「ふうん……作り方、わかるか?」

「あれ抱えてさ、わんこみたいな顔して女子寮に来たのよーマックスが。おかゆの作り方教えてくれって言って」
「今でもつくってるらしいよ、おかゆ」
「へーえ、そりゃ教えた甲斐があった」


 ちらりとデスクの上のノートに視線を落とす。
 ここ数日、送られた写真を手がかりに少しずつ観てきた光景が書き留めてある。
 メールで送ろうかとも思ったが、やはり直接伝えた方が良いだろう。

「あの双子……ね」
「うん」
「二人とも治癒能力持ってる。これは確か。あたしとはちょっと性質違うけど」
「そう。やっぱりね」
「暴走すると危険ね。倉庫一個ぶっつぶしてるわ、あの子ら」
「そんなことまで」

 まさか、とも。本当に、とも言わないのは、『それ』が事実だと知っているからだ。

「マックスもヒウェルも知ってるみたいよ。おそらくレオンも」
「そっか……できるだけ接触持った方がよさそうだね」
「ええ。そうしてあげて。あたしもマックスとは連絡欠かさないようにする」

 電話を終えると、羊子は改めてノートパソコンを開き、かちかちと英語でメールを打ち始めた。

『Hi,マックス。元気してる?』

 サクヤが世話になってることのお礼と写真の感想。
 近況報告。
 当たり障りのない友だち同士のメールの最後にこう付け加えてみる。

『国は違うけど、あたし一応、高校の先生だし。子育てで何ぞ悩みがあったら聞くよ?』

 さしあたってこんな所で。
 あとは、サクヤに任せておこう。

 軽く文面を読み返し、送信した。
 30分ほどして返事が返ってくる。

 ひととおり目を通し、返信する。びしっと、ひとこと。今はそれで充分。

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【3-11-5】甘やかすなと言われても

2008/05/25 3:51 三話十海
 寝室に入ってきたディフは何となく元気がなかった。
 と言ってもさほど深刻な状態ではない。犬がぴしゃっと叱られて、ちょっと耳を伏せているような。そんな感じだ。

「どうしたんだい?」
「ヨーコにしかられた……メールで。過保護すぎだって」
「彼女から見たらそうかもしれないけれど、そんなに気にすることはないよ」
「……そうか?」
「君自身が納得できないなら、ね」
「自分でもそうなんじゃないかなって思ってたから、かえってすっきりした」
「あの子達の経歴を考えたら、過保護でも足りないぐらいだけどね」

 拳を握って口元に当て、考えている。

「さすがに本人達が嫌がるようなことはできないけど、ね」

 こくっとうなずくとベッドに腰かけ、目を伏せた。

「多分……俺は……ヨーコほど強くないんだ」

 少し驚いた。彼が自分の弱さを認めるなんて、滅多にないことだ。
 昔からとんでもない負けず嫌いで、怖い物知らずで、意地っ張りで。相手が強かろうが決して後には引かずにがむしゃらに突き進む。そんな君が……。
 あの子たちが、君を変えたのだろうか?

「彼女は教師だろ? 教師は公平でないといけない。そしてたくさんの子供に目を配る。それと視点が違うのは当たり前だよ」
「うん」

 こてん、と肩に頭を乗せて来る。

「お前にも……よろしくって言ってた」
「遠い国にいても、すぐに連絡がとれるのはいいことだね」
「ああ……」

 ちらっと見上げてくるヘーゼルアイに、わずかにとまどうような色が浮かんでいた。

「俺をあんまり甘やかすなってさ。何でわかったんだろ?」

 ほほ笑んで、波打つ赤い髪を撫でた。

「それは大統領命令でも聞けないね」

 わずかに頬を染めながら、彼は嬉しそうに目を細め、体を預けてきた。
 全身の力を抜いて、安心しきって………俺の腕の中に。


(ジャパニーズ・スタイル/了)

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