▼ 【3-11-1】電話1
時刻は夜の九時。サンフランシスコのアパートの一室で電話が鳴る。
結城朔也は手を伸ばして携帯を取り、ディスプレイに浮かぶ名前を確認した。
『よーこ』
日本の従姉からだ。かちゃりと開いて耳に当てる。
「Good-evening,サクヤちゃん。元気?」
「やあ、羊子さん。今、電話して大丈夫なの?」
「大丈夫よ。昼休みだから」
太平洋を隔てているとは思えないほどクリアに声が聞こえるが、やはりそこはアメリカと日本。返事が帰ってくるまでに1、2秒ほどタイムラグがある。
しかし二人とも慣れたもので、その辺りの間合いをつかんで一呼吸置いて会話をするやり方を身につけていた。
「メール見たけど……海苔に、巻き簾に、お米に寿司桶……しかもお米が2キロって」
「うん、あとからあげ粉もね。味噌としょうゆとワサビはこっちでもそろったから」
夕方のうちに(サンフランシスコの時間で)日本から送ってほしい食材のリストをメールで送っておいたのだ。
「サクヤちゃん、お寿司屋さんでも始める気?」
「たくさん食べそうな人がいるし」
「ああ、マックス?」
「うん」
「わかるわ……彼、嬉しそうな顔して、ばくばく食べるからねー。何っつーか、大型犬の餌付けしてる気分?」
電話の向こうで楽しげに笑う気配がする。高校時代のことを思い出しているのだろう。
「それでね……羊子さん。ちょっと気になることがあるんだ」
「ん、何?」
「あの双子……」
「ああ。レオンとマックスが面倒見てるって言う、金髪の双子ちゃん?」
口調は変わらないが声のトーンが変わった。しっとりと落ちついて、聞く者の心のすき間に入りこみ、包み込むような響きに。
赤い縁の眼鏡の向こうですうっと細められた切れ長の瞳が見えるような気がした。
「俺たちと、似た感じがする」
「それはそれは……なかなかに興味深い」
「写真、撮ろうとしたんだけど断られちゃったよ。羊子さんの同級生たちは撮ったけど」
「ああ、そっち送ってくれればOK。あとは……自力で観るから」
ほんの少し間が空いて、打って変わった楽しげな声が聞こえてきた。
「それじゃ、必要なもの見つくろってEMSで送るわ。またね、サリーちゃん」
ああ、なんだかすごく嬉しそうだ。
どうにも彼女、マクラウドさんの考えたニックネームがいたくお気に召したらしくて事あるごとに連呼したがる。
「それじゃまた電話するよ、メリィ先生」
「………メリィさん言うなーっっ」
お叱りの言葉の第二便が飛んでくる前に素早く電話を切った。
※ ※ ※ ※
こちら日本。とある高校の昼休み、社会科教員室にて。
結城羊子は切られたばかりの携帯を握り、ふるふると小刻みに震えていた。
「……っくっそー………」
羊子→羊→メリィさんの羊、羊、羊………
で、メリィ先生。
実にわかりやすい。教え子たちにつけられたこのあだ名は奇しくも十代の頃のニックネームとまったく同じだった。(その頃は『メリィちゃん』だったのだが)いつの時代も子どもの発想は同じってことか。
もっとも赴任した当初は『魔女先生』なんて言われていたのだから、それよりはマシになったのだろうけれど。
(魔女、か……)
そろりと指先で机の上の黄色い紙箱を手でなぞる。トランプより少し厚みのある箱の中には、一組のタロットカードがきっちり収められている。78枚、フルセット。あっという間にすり切れたり破れたりで消耗が激しいので常に2組ストックしている。
(こんなもん、持ち歩いてるんじゃあ、無理もないわな)
軽く物思いにふけってるところで、携帯が鳴った。
メールの着信音だ。
「お、来た来た………」
いそいそと開いて、写真を表示させる。テンガロンハットを被ったかつてのクラスメイトが写っていた。
赤毛と黒髪、それから遠くから見かける程度だった茶色い髪……秘かに学内で『姫』と呼ばれていた上級生。
「まー、マックスってばすっかり厳つくなっちゃって……うわ、ヒウェルすっげえ胡散臭い! あんなに可愛いくて……いじめがいがあったのになあ」
部屋の中に他に誰もいない安心感から、つい思ったことが口に出る。
「風見もちょっと道踏み外すと将来こーなっちゃうのかなぁ……」
「誰がどうなるって言うんですか?」
不意に背後から声をかけられ、羊子は椅子に座ったまま飛び上がった。
振り向くと束になったノートを抱えた男子生徒が一人、しげしげと携帯をのぞきこんでいる。
涼しげな目元に若侍のような風格と気品を漂わせ、ぴしっと背筋が伸びている。ちょっとした所作にも隙がない。
「風見………」
「はい、風見です」
さりげない風を装い、携帯を閉じる。風見光一はそんな事などさして気にする風もなく、どさっと1クラス分のノートを机の上に積み上げた。
「頼まれてた日本史のレポート、回収してきましたよ」
「あ、うん……さんきゅ」
「珍しいですね、羊子センセが携帯みながら物思いにふけってるなんて」
「っ見てたの? 入室前にノックしろって言ってるでしょうに!」
「しましたよ。でも全然気づかなかったし?」
くっそー……理論武装して来やがったか。イノセントな子犬みたいに首かしげて。
「それで……何見てたんですか、先生」
「………ん……高校の時の同級生の、写真」
「日本の?」
「ううん。サンフランシスコ」
「ああ。留学してたときの」
「そ。あたしの従弟が今、あっちに留学しててね。あたしの同級生と会ったから」
「それで、写真を」
「そうよ」
かちゃっと携帯を開いてさし出した。見られちゃったのなら今さら隠してもしょうがない。
「こっちの赤毛のごっついのがマックス。で、この眼鏡かけた胡散臭いのがヒウェル」
「なるほど。センセがあっちに居た時に可愛がってた人ですね」
「なっ」
(………やっぱ聞こえてたか)
「泣ける話だ………」
芝居がかった口調で肩をすくめ、首を横に振っている。
「風見ぃ!」
そいつぁどう言う意味だ? 言葉が飛び出すより早く風見光一は一礼して部屋を出ていた。
「くっそー……逃げられた」
と、思ったらひょこっと顔だけ中に戻して一言。
「ま、道踏み外しそうになったら拳骨くれる人たちがいるんだから、そんな風にはなれないって!」
にこっと笑うと今度こそドアを閉めて、立ち去って行った。
「ふん……ませた口きいちゃって………」
閉じた携帯を軽く指先でつつく。
ここは少し騒がしすぎる。大事なことは、後でもっとじっくり観よう。さしあたって、郵便局にEMSのラベルをもらいに行って……
「米、買って来なきゃな。あ、おばさんにも電話しとこ。色々入れたいものあるだろうし」
次へ→【3-11-2】まきずしまきに
結城朔也は手を伸ばして携帯を取り、ディスプレイに浮かぶ名前を確認した。
『よーこ』
日本の従姉からだ。かちゃりと開いて耳に当てる。
「Good-evening,サクヤちゃん。元気?」
「やあ、羊子さん。今、電話して大丈夫なの?」
「大丈夫よ。昼休みだから」
太平洋を隔てているとは思えないほどクリアに声が聞こえるが、やはりそこはアメリカと日本。返事が帰ってくるまでに1、2秒ほどタイムラグがある。
しかし二人とも慣れたもので、その辺りの間合いをつかんで一呼吸置いて会話をするやり方を身につけていた。
「メール見たけど……海苔に、巻き簾に、お米に寿司桶……しかもお米が2キロって」
「うん、あとからあげ粉もね。味噌としょうゆとワサビはこっちでもそろったから」
夕方のうちに(サンフランシスコの時間で)日本から送ってほしい食材のリストをメールで送っておいたのだ。
「サクヤちゃん、お寿司屋さんでも始める気?」
「たくさん食べそうな人がいるし」
「ああ、マックス?」
「うん」
「わかるわ……彼、嬉しそうな顔して、ばくばく食べるからねー。何っつーか、大型犬の餌付けしてる気分?」
電話の向こうで楽しげに笑う気配がする。高校時代のことを思い出しているのだろう。
「それでね……羊子さん。ちょっと気になることがあるんだ」
「ん、何?」
「あの双子……」
「ああ。レオンとマックスが面倒見てるって言う、金髪の双子ちゃん?」
口調は変わらないが声のトーンが変わった。しっとりと落ちついて、聞く者の心のすき間に入りこみ、包み込むような響きに。
赤い縁の眼鏡の向こうですうっと細められた切れ長の瞳が見えるような気がした。
「俺たちと、似た感じがする」
「それはそれは……なかなかに興味深い」
「写真、撮ろうとしたんだけど断られちゃったよ。羊子さんの同級生たちは撮ったけど」
「ああ、そっち送ってくれればOK。あとは……自力で観るから」
ほんの少し間が空いて、打って変わった楽しげな声が聞こえてきた。
「それじゃ、必要なもの見つくろってEMSで送るわ。またね、サリーちゃん」
ああ、なんだかすごく嬉しそうだ。
どうにも彼女、マクラウドさんの考えたニックネームがいたくお気に召したらしくて事あるごとに連呼したがる。
「それじゃまた電話するよ、メリィ先生」
「………メリィさん言うなーっっ」
お叱りの言葉の第二便が飛んでくる前に素早く電話を切った。
※ ※ ※ ※
こちら日本。とある高校の昼休み、社会科教員室にて。
結城羊子は切られたばかりの携帯を握り、ふるふると小刻みに震えていた。
「……っくっそー………」
羊子→羊→メリィさんの羊、羊、羊………
で、メリィ先生。
実にわかりやすい。教え子たちにつけられたこのあだ名は奇しくも十代の頃のニックネームとまったく同じだった。(その頃は『メリィちゃん』だったのだが)いつの時代も子どもの発想は同じってことか。
もっとも赴任した当初は『魔女先生』なんて言われていたのだから、それよりはマシになったのだろうけれど。
(魔女、か……)
そろりと指先で机の上の黄色い紙箱を手でなぞる。トランプより少し厚みのある箱の中には、一組のタロットカードがきっちり収められている。78枚、フルセット。あっという間にすり切れたり破れたりで消耗が激しいので常に2組ストックしている。
(こんなもん、持ち歩いてるんじゃあ、無理もないわな)
軽く物思いにふけってるところで、携帯が鳴った。
メールの着信音だ。
「お、来た来た………」
いそいそと開いて、写真を表示させる。テンガロンハットを被ったかつてのクラスメイトが写っていた。
赤毛と黒髪、それから遠くから見かける程度だった茶色い髪……秘かに学内で『姫』と呼ばれていた上級生。
「まー、マックスってばすっかり厳つくなっちゃって……うわ、ヒウェルすっげえ胡散臭い! あんなに可愛いくて……いじめがいがあったのになあ」
部屋の中に他に誰もいない安心感から、つい思ったことが口に出る。
「風見もちょっと道踏み外すと将来こーなっちゃうのかなぁ……」
「誰がどうなるって言うんですか?」
不意に背後から声をかけられ、羊子は椅子に座ったまま飛び上がった。
振り向くと束になったノートを抱えた男子生徒が一人、しげしげと携帯をのぞきこんでいる。
涼しげな目元に若侍のような風格と気品を漂わせ、ぴしっと背筋が伸びている。ちょっとした所作にも隙がない。
「風見………」
「はい、風見です」
さりげない風を装い、携帯を閉じる。風見光一はそんな事などさして気にする風もなく、どさっと1クラス分のノートを机の上に積み上げた。
「頼まれてた日本史のレポート、回収してきましたよ」
「あ、うん……さんきゅ」
「珍しいですね、羊子センセが携帯みながら物思いにふけってるなんて」
「っ見てたの? 入室前にノックしろって言ってるでしょうに!」
「しましたよ。でも全然気づかなかったし?」
くっそー……理論武装して来やがったか。イノセントな子犬みたいに首かしげて。
「それで……何見てたんですか、先生」
「………ん……高校の時の同級生の、写真」
「日本の?」
「ううん。サンフランシスコ」
「ああ。留学してたときの」
「そ。あたしの従弟が今、あっちに留学しててね。あたしの同級生と会ったから」
「それで、写真を」
「そうよ」
かちゃっと携帯を開いてさし出した。見られちゃったのなら今さら隠してもしょうがない。
「こっちの赤毛のごっついのがマックス。で、この眼鏡かけた胡散臭いのがヒウェル」
「なるほど。センセがあっちに居た時に可愛がってた人ですね」
「なっ」
(………やっぱ聞こえてたか)
「泣ける話だ………」
芝居がかった口調で肩をすくめ、首を横に振っている。
「風見ぃ!」
そいつぁどう言う意味だ? 言葉が飛び出すより早く風見光一は一礼して部屋を出ていた。
「くっそー……逃げられた」
と、思ったらひょこっと顔だけ中に戻して一言。
「ま、道踏み外しそうになったら拳骨くれる人たちがいるんだから、そんな風にはなれないって!」
にこっと笑うと今度こそドアを閉めて、立ち去って行った。
「ふん……ませた口きいちゃって………」
閉じた携帯を軽く指先でつつく。
ここは少し騒がしすぎる。大事なことは、後でもっとじっくり観よう。さしあたって、郵便局にEMSのラベルをもらいに行って……
「米、買って来なきゃな。あ、おばさんにも電話しとこ。色々入れたいものあるだろうし」
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