ようこそゲストさん

ローゼンベルク家の食卓

【3-11-1】電話1

2008/05/25 3:43 三話十海
 時刻は夜の九時。サンフランシスコのアパートの一室で電話が鳴る。
 結城朔也は手を伸ばして携帯を取り、ディスプレイに浮かぶ名前を確認した。

『よーこ』

 日本の従姉からだ。かちゃりと開いて耳に当てる。

「Good-evening,サクヤちゃん。元気?」
「やあ、羊子さん。今、電話して大丈夫なの?」
「大丈夫よ。昼休みだから」

 太平洋を隔てているとは思えないほどクリアに声が聞こえるが、やはりそこはアメリカと日本。返事が帰ってくるまでに1、2秒ほどタイムラグがある。
 しかし二人とも慣れたもので、その辺りの間合いをつかんで一呼吸置いて会話をするやり方を身につけていた。

「メール見たけど……海苔に、巻き簾に、お米に寿司桶……しかもお米が2キロって」
「うん、あとからあげ粉もね。味噌としょうゆとワサビはこっちでもそろったから」

 夕方のうちに(サンフランシスコの時間で)日本から送ってほしい食材のリストをメールで送っておいたのだ。

「サクヤちゃん、お寿司屋さんでも始める気?」
「たくさん食べそうな人がいるし」
「ああ、マックス?」
「うん」
「わかるわ……彼、嬉しそうな顔して、ばくばく食べるからねー。何っつーか、大型犬の餌付けしてる気分?」

 電話の向こうで楽しげに笑う気配がする。高校時代のことを思い出しているのだろう。

「それでね……羊子さん。ちょっと気になることがあるんだ」
「ん、何?」
「あの双子……」
「ああ。レオンとマックスが面倒見てるって言う、金髪の双子ちゃん?」

 口調は変わらないが声のトーンが変わった。しっとりと落ちついて、聞く者の心のすき間に入りこみ、包み込むような響きに。
 赤い縁の眼鏡の向こうですうっと細められた切れ長の瞳が見えるような気がした。

「俺たちと、似た感じがする」
「それはそれは……なかなかに興味深い」
「写真、撮ろうとしたんだけど断られちゃったよ。羊子さんの同級生たちは撮ったけど」
「ああ、そっち送ってくれればOK。あとは……自力で観るから」

 ほんの少し間が空いて、打って変わった楽しげな声が聞こえてきた。

「それじゃ、必要なもの見つくろってEMSで送るわ。またね、サリーちゃん

 ああ、なんだかすごく嬉しそうだ。
 どうにも彼女、マクラウドさんの考えたニックネームがいたくお気に召したらしくて事あるごとに連呼したがる。

「それじゃまた電話するよ、メリィ先生」
「………メリィさん言うなーっっ」

 お叱りの言葉の第二便が飛んでくる前に素早く電話を切った。


 ※ ※ ※ ※


 こちら日本。とある高校の昼休み、社会科教員室にて。
 結城羊子は切られたばかりの携帯を握り、ふるふると小刻みに震えていた。

「……っくっそー………」

 羊子→羊→メリィさんの羊、羊、羊………
 で、メリィ先生。
 実にわかりやすい。教え子たちにつけられたこのあだ名は奇しくも十代の頃のニックネームとまったく同じだった。(その頃は『メリィちゃん』だったのだが)いつの時代も子どもの発想は同じってことか。
 もっとも赴任した当初は『魔女先生』なんて言われていたのだから、それよりはマシになったのだろうけれど。
 
(魔女、か……)

 そろりと指先で机の上の黄色い紙箱を手でなぞる。トランプより少し厚みのある箱の中には、一組のタロットカードがきっちり収められている。78枚、フルセット。あっという間にすり切れたり破れたりで消耗が激しいので常に2組ストックしている。

(こんなもん、持ち歩いてるんじゃあ、無理もないわな)

 軽く物思いにふけってるところで、携帯が鳴った。
 メールの着信音だ。

「お、来た来た………」

 いそいそと開いて、写真を表示させる。テンガロンハットを被ったかつてのクラスメイトが写っていた。
 赤毛と黒髪、それから遠くから見かける程度だった茶色い髪……秘かに学内で『姫』と呼ばれていた上級生。

「まー、マックスってばすっかり厳つくなっちゃって……うわ、ヒウェルすっげえ胡散臭い! あんなに可愛いくて……いじめがいがあったのになあ」

 部屋の中に他に誰もいない安心感から、つい思ったことが口に出る。

「風見もちょっと道踏み外すと将来こーなっちゃうのかなぁ……」
「誰がどうなるって言うんですか?」

 不意に背後から声をかけられ、羊子は椅子に座ったまま飛び上がった。
 振り向くと束になったノートを抱えた男子生徒が一人、しげしげと携帯をのぞきこんでいる。
 涼しげな目元に若侍のような風格と気品を漂わせ、ぴしっと背筋が伸びている。ちょっとした所作にも隙がない。

「風見………」
「はい、風見です」

 さりげない風を装い、携帯を閉じる。風見光一はそんな事などさして気にする風もなく、どさっと1クラス分のノートを机の上に積み上げた。

「頼まれてた日本史のレポート、回収してきましたよ」
「あ、うん……さんきゅ」
「珍しいですね、羊子センセが携帯みながら物思いにふけってるなんて」
「っ見てたの? 入室前にノックしろって言ってるでしょうに!」
「しましたよ。でも全然気づかなかったし?」

 くっそー……理論武装して来やがったか。イノセントな子犬みたいに首かしげて。

「それで……何見てたんですか、先生」
「………ん……高校の時の同級生の、写真」
「日本の?」
「ううん。サンフランシスコ」
「ああ。留学してたときの」
「そ。あたしの従弟が今、あっちに留学しててね。あたしの同級生と会ったから」
「それで、写真を」
「そうよ」

 かちゃっと携帯を開いてさし出した。見られちゃったのなら今さら隠してもしょうがない。

「こっちの赤毛のごっついのがマックス。で、この眼鏡かけた胡散臭いのがヒウェル」
「なるほど。センセがあっちに居た時に可愛がってた人ですね」
「なっ」

(………やっぱ聞こえてたか)

「泣ける話だ………」

 芝居がかった口調で肩をすくめ、首を横に振っている。

「風見ぃ!」

 そいつぁどう言う意味だ? 言葉が飛び出すより早く風見光一は一礼して部屋を出ていた。

「くっそー……逃げられた」

 と、思ったらひょこっと顔だけ中に戻して一言。

「ま、道踏み外しそうになったら拳骨くれる人たちがいるんだから、そんな風にはなれないって!」

 にこっと笑うと今度こそドアを閉めて、立ち去って行った。

「ふん……ませた口きいちゃって………」

 閉じた携帯を軽く指先でつつく。
 ここは少し騒がしすぎる。大事なことは、後でもっとじっくり観よう。さしあたって、郵便局にEMSのラベルをもらいに行って……

「米、買って来なきゃな。あ、おばさんにも電話しとこ。色々入れたいものあるだろうし」


次へ→【3-11-2】まきずしまきに

【3-11-2】まきずしまきに

2008/05/25 3:45 三話十海
 日本とサンフランシスコの間の電話から数日後の日曜日。
 サンフランシスコ北部の海沿い、マリーナの一角にあるアパートの駐車場に、どっしりした四輪駆動車が入って行く。

 ばんっと運転席のドアが開いて、頑丈そうな体つきの男が降りてきた。厳つい顔にかけた濃いめのサングラスを外すと、その下からヘーゼルブラウンの瞳が表れる。長い赤毛をなびかせて大またでざかざか階段を登り、骨組みのしっかりした指がとある部屋の呼び鈴を押した。

「よう、サリー!」
「いらっしゃい、マクラウドさん」
「ああ、ディフでいいよ。言いづらいだろ?」
「OK、ディフ。どうぞ、中へ。準備はもうできてます」

 案内されて中に入ると、ディフはぐるりと見回した。
 室内は中間色でまとめられ、家具も背の低いものが多い。本棚には英語の本に混じって日本語の雑誌や本が並び、小さな写真立てには優しげな女性ときりっとした眼鏡の女性、そしてサクヤ本人の写った写真が飾られていた。
 眼鏡をかけているのはヨーコだ。
 体つきも髪型も記憶にあるのよりだいぶ大人っぽくなっているが、全てを見通すような瞳は変わらない。もう一人の女性はサリーに似ている。
 きっと母親だろう。その隣の金色のふかふかしたレトリバーは……おそらくサリーの犬だろうな。
 ヨーコにはもっとアグレッシブな犬種が似合いそうだ。テリアとか。ドーベルマンとか。
 
「気持ちのいい部屋だ。家具の趣味もいい」
「ありがとう。ここ借りられたのもディフのおかげですよ」
「ああ、レオンの知り合いの不動産屋紹介してもらったからな」

 サンフランシスコ市内の動物病院で実習が決まった時、サリーは最初は一人で不動産屋に行って部屋を探した。
 しかし、見た目と童顔が災いして家出少年と間違えられ、あやうく警察に通報される所だった。大学に電話して確認をとる間、とてもとても気まずい思いをしたのである。
 そこでディフに相談し、付き添いとして不動産屋に同行してもらってようやくこの部屋を決めることができたのだ。

「どれを運べばいいんだ?」
「これと、これと……あとお米も」

 目の前にどん、と置かれた大量の荷物に思わず目をしばたかせた。
 一抱えはありそうな袋に入った米。印刷された文字は日本語だが2kgと書かれた重さは読める。
 大きめの猫なら一匹余裕で寝られそうなくらいのサイズの丸い木の桶。ただし、直径に対して深さは浅い。
 米はわかる。
 だが、桶の用途が想像できない。

「………………………何に使うんだ、これ」
「色々と」
「日本食って……手間かかるんだな」
「寿司をつくろうと思わなければ、普通に家にある鍋でいいんですけどね」
「これは?」
「ああ、それは炊飯器と言ってお米を炊く専用の家電です」
「そんなのがあるのか……」
「日本人の主食は米ですから」
「そうだよな、毎日食うんだものな、大量に」

 丸みを帯びた立方体の『米を炊く専用の家電』を、ディフは何気なくぺたぺたと手のひらで叩いて目を細めた。

「これ……猫が乗りそうだ」
「上があったかくなりますからね」
「ああ、乗るな、絶対。それじゃ、これ運ぶぞ」

 荷物の詰まった大きな段ボール箱を担ぐとディフは歩き出した。来た時と同じように大またで、悠々と。
 その後ろを、小さめの箱を抱えてサリーがちょこまかと着いて行く。箱の中身は市内のスーパーで調達したり、EMSで送ってもらった食材が詰まっている。

 本日のローゼンベルク家のランチは日本食(ジャパニーズスタイル)。


次へ→【3-11-3】まきずしまいた

【3-11-3】まきずしまいた

2008/05/25 3:47 三話十海
「それじゃ、台所お借りしますね」

 持参した荷物の中からサリはー白い布を取り出して広げた。
 後ろあきで医者が手術のときにつけるオペ用の白衣に似ているが、雰囲気はやわらかくて家庭的だ。
 裾と襟元にレースがあしらわれている。サイズはサリーにぴったりだ。

「変わった白衣だな」
「日本のエプロン……みたいなものです。袖までカバーしてるから便利ですよ」
「機能的でいいな。それも、向こうから送ってきたのか?」
「ええ、まあ……」

 ちょっと遠い目をしている。

「それで、一応聞いておきたいんですが、苦手なものって何かありますか? 日本の食材はわからないだろうけど、甘いのとか辛いのとか」
「オティアとシエンは甘いものが苦手なんだ。アレルギーは特にない。レオンは魚の卵が苦手だな」
「じゃあ甘さ控えめで。薄味のほうがいいのかな……魚の卵は今回はないし」
「そうだな」

 いつものように腕まくりして、髪を後ろで一つにまとめ、自分用のエプロンを着けていると。奥からとことことシエンが出てきた。
 見なれない食材や調理器具が珍しいのだろう。興味シンシンと言った様子でサリーの手元に注目している。
 何だかとても楽しそうだ。そのうち、自分もエプロンを身につけ始めた。

「手伝う」
「ありがとう。じゃ、じゃがいもの皮、むいてくれるかな?」
「うん」

 シエンがイモの皮を剥く間にサリーはてきぱきと米を量っていた。ざっと洗ってから炊飯器の蓋を開け、中から金属製の鍋のような器を取り出す。
 なるほど、内部構造はあんな風になってるんだな。
 金属製の器に米を入れ、内側の数字の書かれたラインまで水を注ぐと元のようにセットして。
 蓋を閉めて、スイッチオン。

「………これで炊けるのか?」
「はい」
「米に水吸わせなくていいのか?」
「タイマーついてますから、自動で」
「便利だな」

 さすが主食を作る専用家電だ。
 米の準備が終わると、今度は干したキノコと、何かわからんが細長いヒモのような干物、黒に近い緑色の板状の物体を水につけている。

「そのキノコ、いいにおいがするな……」
「それ、もしかしてシイタケ?」
「そうだよ。よく知ってるね」

 シエンはにこっと笑って小さくうなずいた。

「生より干し椎茸のほうが……ちょっと堅くなるけど、栄養あるんです」
「なるほど……で、こっちの細長いのは?」
「カンピョウ。これぐらいの果実って言うか、野菜?」

 サリーはくるっと空中に両手のひらで猫いっぴき分ぐらいの大きさの円を描いた。

「それを、細長く切って干したものです。ソイソースで煮て、寿司の中に入れるんですよ」
「変わった食べ物だな。でも美味そうなにおいだ」
「ちょっと想像がつきませんよね、この形だと」
「最初に食おうと思った奴はよっぽど腹が減ってたんだろうな……こっちの板みたいなのは?」
「それは、コンブ。スープのだしを取るのに使うんです」
「これも、日本から?」
「はい。鍋、お借りできます? 大きめのがいいな」
「これでいいか? 重いから気をつけてな」

 オレンジ色のほうろうびきの鍋に水を満たし、コンブとやらを入れて火にかける。

「泡がついたらすぐ引き上げてください。お湯が沸騰したら、これをひとつかみばさっと入れて、しばらくぐらぐらさせる」
「……わかった」

 袋に入った茶色のふかふかした物体は、強烈な魚のにおいがした。何となく前にサリーからもらった「イリコ」に似ているが、もっとマイルドなにおいだな。
 猫が好みそうだ、こいつも。


「サリー、じゃがいもむき終わったよ」
「ありがとう、じゃこれぐらいの大きさに切って……」

 切った野菜を薄切りの肉と、透明でぷるぷるした極細のパスタみたいなものと一緒に鍋で炒め始めた。
 妙に平べったくて、編み目模様のついた特大のソースパンみたいな変わった形の鍋は、サリーが自分の家から持ってきたものだ。
 調味料を加えて、蓋をしようとしてるのだが……どう見ても蓋のサイズが合ってない。鍋の本体より1周り小さいぞ?

「そのフタ、小さすぎないか?」
「これはこうやって使うんです」
「おい、それ、中に入ってるぞ! フタの意味あるのか?」
「熱効率を良くしてるんですよ」
「………合理的だな」
「ええ、これだと煮崩れないし、味が均一になるんですよ。落しぶたって言うんです。日本独特かな」
「うん、初めて見た」
「この鍋の模様も、熱効率を上げるためですね〜」
「なるほど……」

 その隣のコンロでは、平べったい鍋の中で細長い魚が煮えている。

 くつくつと鍋が煮え立ち、ソイソースの香りが漂い始める。
 肉や魚、野菜と混ざり合い、やわらかく溶け合っている。どっちもソイソースがベースなのに微妙に香りが違うんだな。
 鶏肉を切ったり、卵を混ぜたりと他の料理の下ごしらえをしているうちに、炊飯器がピーっとにぎやかな電子音を立てた。

「あ、炊けた。中身をここにあけてもらえますか?」
「OK」
「熱いから気をつけて」

 オーブンミトンをはめた両手で炊飯器から金属の器を取り出し、浅くて広い木の桶の中に炊きあがった飯をあけた。

「すごいな、ちゃんとできてる」

 真っ白な飯をサリーがしゃもじで混ぜる。ついさっき慎重に量って調合したビネガーを少しずつ注ぎながら。混ぜ終わると飯をぽこぽこと山にした。

「これ、なにしてるの?」
「酢がなじむように蒸らしてる」
「すっぱいにおいがする……」
「これはしばらくこのまま。その間に………」

 さっき混ぜ合わせた卵と野菜をマグカップに注いだものを、湯気の噴き上がる中華せいろにセットする。

「中華せいろがあるなんて、謎の家だよね、ここ」
「ああ、それはシエンが使うんだ。餃子蒸すのに。この子は中華が好きだし、得意だからな」
「そっか、中華はいいよねー」
「……うん」

 ここからが本日のメインエベント。
 手巻き寿司のセットはここらでもちょっと大きなスーパーに行けば米とノリと、巻くためのシート……細い竹の棒を繋ぎ合わせた、ちょっと変わった構造をしてる……が手に入る。
 しかしサリーが持ち込んだ日本産のノリは、俺が知ってるのより厚みがあってしっかりしていて、色もほとんど真っ黒に近い。
 巻くためのシートも「巻き簾」と言う名前があると教えてもらった。
 初めて知ることばかりだ。慣れ親しんだアメリカ料理と違い、何気なくさっさと作っているように見えて、さりげなく手順が細かい。
 寿司用の飯に混ぜるビネガーは後で調合を聞いておかなきゃ忘れそうだ。

「そろそろいいかな……」

 飯の山を崩してから、プラスチックの枠に紙を張った平べったい道具を渡される。

「これであおいでくれませんか?」
「何だこれ」
「うちわ。扇子みたいなもんですね」

 言われた通りにばたばたとあおいだ。

「ディフ、ちょっと強すぎますって、もーちょっとゆっくりでいいから」
「そ、そうか」

 言われて少しペースを落した。シエンがくすっと笑った。気まずいような、うれしいようなくすぐったい気分になる。

 巻き簾の上に海苔を敷いて、その上にビネガーを混ぜた飯を平に乗せて。
 さっき煮込んだ具……細長くしたオムレツと、ソイソースで煮込んだ細長い魚、スティック状に切ったキュウリにカンピョウ。
 それから、この赤と白のぷるぷるしたものは何だろう。簡単に縦にさけるし、においがシーフードっぽい。

「カニか?」
「……の、ようなもの。魚のペーストを蒸して加工したものです」
「そうか……」

 じゃあヒウェルに食わせても問題ないな。そもそも殻がついてないし。
 中に具材をみっしり入れて、どうやるんだろうと思っていたら巻き簾の片側に手をかけて。ロールケーキでも巻くみたいにしてひょい、くるっと巻いてしまった。軽く押さえてから、ぱらりと簾を離すと……さっきまでシート状だったのが、もう黒いスティックになっている。
 どこの伝統工芸だ。まるで魔法でも使ったみたいだ!

「……今、何やったんだ、サリー?」
「そんなに難しく考えないで、とにかく具を入れてごはんと海苔でまけばいいんだよ」
「なるほど……巻けばいいんだな」
「巻くの多少コツあるけど……何回かやれば慣れるし。あ、でも力いれすぎてつぶさないのだけ注意かな」

 しみじみと自分の手を見る。シエンもこっちを見上げていた。二人で顔を見合わせ、肩をすくめた。

「………それが一番難しいや」
「カリフォルニアロールのほうが難しいよ、むしろ。あれ裏巻きだから」
「そう言えばあれはライスが外側だったな」
「海苔が苦手な人向けなんだよね」
「ああ! 最初に口に当たるのがライスになってるからか」
「たぶんね。裏巻き自体は日本に古くからあるけど、アメリカ人に出した人はすごいと思うな」
「食べて欲しかったのかな。ノリが苦手な人にも……」

 未開封のまま残ったノリ(ヨーコがそりゃもう大量に送ってくれたので)に視線を向けた。真っ黒なシート、材料は海藻。
 確かに謎の食べ物だ。

「まあ見た目があまり食い物っぽくないし?」
「中味もアボガドとキュウリだしねー」
「キュウリは巻いてるじゃないか。これにも入ってるし、キュウリだけ巻いたスシもあったよな……カッパ巻き」
「『カッパ』って何?」

 シエンに言われて考え込む。気にしたことなかった。

「キューカンバー(キュウリ)の略……じゃ、ないよな」
「日本の想像上の動物だよ。んー、こっちで言うなら……妖精?」
「……何でキュウリ巻いたスシがフェアリー巻きなんだ」
「キュウリが好物なんだ、カッパって」
「なるほど。緑は妖精が好きな色だしな」
「一見関係なさそうなものの名前がついてることはアメリカでもよくあるでしょ?」
「ああ……あるね。サイドカーとかホーセズネックとかスクリュードライバーとか」
「それ、全部お酒の名前じゃあ……」

 話す傍ら、サリーは鮮やかな手つきで、ひょい、ひょい、と巻き寿司を巻き続け、キッチンカウンターに黒い謎のスティックが並んで行く。

「ニンジャの秘伝書みたいだな」
「切って食べるんだよ」
「丸ごとかじるんじゃないのか。2月の3日に」
「ヘンなこと知ってますね、ディフ……それ日本の一部地域でしかやってないよ」
「ヨーコが日本のポピュラーな伝統行事だと」
「最近は確かにポピュラーになってきたけど……なんていうか、縁起担ぎなんだよね。それは。食べ切れたらラッキーみたいな」
「運試しみたいなもんか? 軽く一本食い切ったらなんか微妙にがっかりした顔されたぞ」
「子供や女性には難しいからね」
「そうだな。やっぱり切った方がいいな。半分ずつぐらい?」
「いや……もっと、小分けに。薄切りにした方がいいと思う」
「うん、俺もその方がいいな」
「………そうか」

 協議の結果、巻き寿司の厚みは約1cmで統一することになった。サリーにコツを教わりつつ切り分ける。
 次は何が来るかと思ったら意外に見なれたもの……鶏肉が出てきた。一口大に切り分ける。

「じゃ、次はこの粉つけて」
「何だ、これ?」

 オレンジと黄色の派手な袋、表面にはフライドチキンらしき料理の写真が印刷されている。文字は日本語だ。

「唐揚げ粉。ヨーコさんが送ってくれた」
「いいにおいがするな。調味料が混ざってるのか。これで何を作るんだ?」
「チキンのフライ」
「の、割には衣が薄いぞ?」
「ジャパニーズスタイルだから」
「なるほど………華奢になる訳だ」


 ※ ※ ※ ※

【本日のローゼンンベルク家のランチの献立】
 ミソスープ(豆腐とネギと油揚げ)
 巻き寿司
 肉じゃが
 茶わん蒸し
 鳥の唐揚げ


「腹減ったー。今日の飯、何?」

 この家でランチをいただくのは珍しいことだ。
 ってか滅多にない。
 客が来てるんだから今日は昼飯に来いと、ままに指定されちまったんだからしょうがない。それ以前に日本食をリクエストしたのは俺なのだ。

 さんさんと差し込む太陽の光の中、何とはなしに場違いな所にいるようで。妙に落ちつかない気分で食卓に向かうと……。
 テーブルの上には、かつてない異国情緒が満ちていた。

「何だ、これ」
「あ、ヒウェル。サリーが作ってくれたんだ。巻き寿司って言うんだよ」
「そー言えばこの黒いシートにはそこはかとなく見覚えが………」

 若干、背筋の凍る記憶とともに。
 そして全員が席につき、日本食パーティーが始まる。人数分、さらっとハシが出てくる当たりこの家も大概に……謎だ。
 
 さーてっと……どれから食うべきか。
 少し迷ってから、マグカップに入ったカスタードプリンらしきものを口に含む。
 
「う? このプリン甘くねーぞ」

 サリーがちょっと困ったような顔をして言った。

「プリンじゃないです、それ」
「え、違うのか? そーいや肉とかキノコとか入ってるな」
「日本の伝統食ですよ、一応」
「……ヨークシャープディングみたいなもんか?」
「んーまぁ、卵の凝固を利用してるって点では同じだけど」
「菓子じゃないとわかりゃ美味いよ、うん」

 ちらりと見ると、オティアもシエンも問題なく口に運んでいる。
 さすがにまっ黒いシートに包まれた寿司らしきものは、軽く躊躇していたが。

「美味いぞ、それ。色がすごいけどな」

 ディフが言うと、シエンがうなずき、二人とも手を伸ばして……。
 ちまちま食べ終わってから、二つ目をとった。どうやら気に入ったらしい。
 こんな時のこいつらの行動って、何つーか親鳥とひな鳥、いや親犬と子犬、親猫と子猫。ちょっと動物の親子っぽいなと思った。
(ままがちょっとごついけどな)

 野菜と薄切り肉の煮込み料理を口に運ぶと、シエンがぱあっと顔を輝かせた。

「これ、美味しい」
「それは肉じゃが。この中じゃあ、一番新しい料理かなぁ」

 レオンも器用にハシで口に運んでからうなずいた。(フォークで食ってるのは俺だけか、もしかして?)

「ポトフとか……ビーフシチューに似てるね」
「元々はカレーを参考につくられたんだよ。今から100年ちょっと前……あれシチューだったかな?」

 フォークでつついていると、半透明のぷるぷるした極細のパスタみたいなものを見つけた。

「………シチューにはコレ入れないと思うぞ…」
「そこは日本的アレンジ」
「けっこう美味いな、これ。挑戦してみたい。後で詳しいレシピ教えてくれるか?」
「いいですよ」

 なーに気取ってやがる。レオンと双子が気に入ったみたいだから、だろ。ほんと、わかりやすいよ、お前って。

「俺はもっと甘いほーが好きだなー」
「……わかったお前の分は砂糖かけて食え」
「げー、まずそー」
「メイリールさんって甘党でしたっけ? チョコばっかり食べてるって聞きましたけど」
「酒もやるよ。確かにチョコは好きだけどな」

 何気なく答えてから、はたと気づく。
 俺、いつの間にサリーとなごやかに飯食いながら語らってるんだろう……。

 衣の薄いチキンのフライをつつきながらシエンがサリーに問いかける。

「ねえ、サリー、これって油淋鶏?」
「そうだよ。あんかけないけどね。元は中華。隣の国だからね、中国は」
「そっかー」

「粉が余ってるから、気に入ったならあげるよ。つけて揚げるだけだから」
「やってみるか? シエン?」
「うん」
「じゃ、ありがたくもらうよ。代わりに気になる食材があったら持ってってくれ」
「サンキュ、ディフ。でも一人だとあんまり作らないからなあ……」

 馴染みの薄い相手と盛り上がるには、食い物の話と相場が決まってる。
 だが、それにしてもサリーのこの馴染み具合はどうだ?
 ディフのこともマックスじゃなくて「ディフ」って呼んでるし、何より客がいるってのに双子がほとんど警戒してない。
 オティアは相変わらずほとんどしゃべらないが、それでもずいぶんと穏やかだ。

 ……何ものなんだろうなあ、こいつ。
 今にして思えば夕飯食いに来た時も、この家に兆していた揺れを感じ取り、そっと手を当てるようにして鎮めてしまったような気がしないでもない。

 ええい。
 歯切れが悪いぞ、我ながら。
 感謝するべきなんだろうか。
 そんなことを考えていたら、サリーと目が合ってしまった。

 にこっとほほ笑んできた。

「……美味かったよ、ごちそうさん」

 ま、この場では一番妥当な一言だ。

「どういたしまして。みんな食べてくれてよかったなー。日本食、合わない人もけっこういるから」
「俺たちは君の従姉に食わせてもらったことあるしな」
「……何か君より味付けがダイナミックだったような記憶がそこはかとなくあるんだが」
「家庭の味ってのがありますから」
「その辺は万国共通かもな」


次へ→【3-11-4】電話2

【3-11-4】電話2

2008/05/25 3:49 三話十海
 日曜の昼下がり。
 日本のとあるアパートの一室で携帯が鳴った。聞き覚えのある着メロだ。結城羊子は迷わず携帯を開いて耳に当てた。

「Hi,サクヤちゃん。割烹着、サイズぴったりだった?」

 電話の向こうでため息をつく気配がした。

「………いや……あ、うん。使ったよ」
「そっかー。三十分かけて君に似合いそうなの選んだのよ、あれ!」
「わざわざ国際電話で言うようなことじゃないでしょう……」
「はっはっは、照れるな照れるな。それで、今日はどうだった、日本食パーティ」
「うん、好評だった」

 従弟からその日のランチのてん末を聞くなり、羊子は目を丸くした。

「えー!? 巻き簾も、寿司桶も、レオンのとこに置いてきちゃったの?」
「……うん。自分ちでも作ってみたいって言うし、一人だと使うチャンスもないしね。お米も余ったから、置いてきた」
「ほーんとサクヤちゃんってさ、いいお嫁さんになれそなタイプよね」
「お嫁さんはやめてよ」
「食べてくれる人がいっぱいいたから張り切っちゃった?」

「うん、ちょっとね」
「まあ、何となくわかるわ、その気持ち」

 くすっと笑いがこぼれる。白い割烹着を着たサクヤの後ろで、でっかいのとちっちゃいのが手元を熱心にのぞきこむ姿を思い浮かべて。


「……そーいや、台所に鍋、あった? カボチャみたいなオレンジのやたらごっつい鍋」
「あったよ、重たいやつ」
「そっか。大事に使ってるんだ、あの鍋」

「ルームメイトが風邪で寝込んでるから」
「ああ……おかゆさん、作るんだ?」
「オカユサン?」
「うん。こっちで言うところのリゾット? 日本では寝込んだ時の定番メニューなんだよ」
「ふうん……作り方、わかるか?」

「あれ抱えてさ、わんこみたいな顔して女子寮に来たのよーマックスが。おかゆの作り方教えてくれって言って」
「今でもつくってるらしいよ、おかゆ」
「へーえ、そりゃ教えた甲斐があった」


 ちらりとデスクの上のノートに視線を落とす。
 ここ数日、送られた写真を手がかりに少しずつ観てきた光景が書き留めてある。
 メールで送ろうかとも思ったが、やはり直接伝えた方が良いだろう。

「あの双子……ね」
「うん」
「二人とも治癒能力持ってる。これは確か。あたしとはちょっと性質違うけど」
「そう。やっぱりね」
「暴走すると危険ね。倉庫一個ぶっつぶしてるわ、あの子ら」
「そんなことまで」

 まさか、とも。本当に、とも言わないのは、『それ』が事実だと知っているからだ。

「マックスもヒウェルも知ってるみたいよ。おそらくレオンも」
「そっか……できるだけ接触持った方がよさそうだね」
「ええ。そうしてあげて。あたしもマックスとは連絡欠かさないようにする」

 電話を終えると、羊子は改めてノートパソコンを開き、かちかちと英語でメールを打ち始めた。

『Hi,マックス。元気してる?』

 サクヤが世話になってることのお礼と写真の感想。
 近況報告。
 当たり障りのない友だち同士のメールの最後にこう付け加えてみる。

『国は違うけど、あたし一応、高校の先生だし。子育てで何ぞ悩みがあったら聞くよ?』

 さしあたってこんな所で。
 あとは、サクヤに任せておこう。

 軽く文面を読み返し、送信した。
 30分ほどして返事が返ってくる。

 ひととおり目を通し、返信する。びしっと、ひとこと。今はそれで充分。

次へ→【3-11-5】甘やかすなと言われても

【3-11-5】甘やかすなと言われても

2008/05/25 3:51 三話十海
 寝室に入ってきたディフは何となく元気がなかった。
 と言ってもさほど深刻な状態ではない。犬がぴしゃっと叱られて、ちょっと耳を伏せているような。そんな感じだ。

「どうしたんだい?」
「ヨーコにしかられた……メールで。過保護すぎだって」
「彼女から見たらそうかもしれないけれど、そんなに気にすることはないよ」
「……そうか?」
「君自身が納得できないなら、ね」
「自分でもそうなんじゃないかなって思ってたから、かえってすっきりした」
「あの子達の経歴を考えたら、過保護でも足りないぐらいだけどね」

 拳を握って口元に当て、考えている。

「さすがに本人達が嫌がるようなことはできないけど、ね」

 こくっとうなずくとベッドに腰かけ、目を伏せた。

「多分……俺は……ヨーコほど強くないんだ」

 少し驚いた。彼が自分の弱さを認めるなんて、滅多にないことだ。
 昔からとんでもない負けず嫌いで、怖い物知らずで、意地っ張りで。相手が強かろうが決して後には引かずにがむしゃらに突き進む。そんな君が……。
 あの子たちが、君を変えたのだろうか?

「彼女は教師だろ? 教師は公平でないといけない。そしてたくさんの子供に目を配る。それと視点が違うのは当たり前だよ」
「うん」

 こてん、と肩に頭を乗せて来る。

「お前にも……よろしくって言ってた」
「遠い国にいても、すぐに連絡がとれるのはいいことだね」
「ああ……」

 ちらっと見上げてくるヘーゼルアイに、わずかにとまどうような色が浮かんでいた。

「俺をあんまり甘やかすなってさ。何でわかったんだろ?」

 ほほ笑んで、波打つ赤い髪を撫でた。

「それは大統領命令でも聞けないね」

 わずかに頬を染めながら、彼は嬉しそうに目を細め、体を預けてきた。
 全身の力を抜いて、安心しきって………俺の腕の中に。


(ジャパニーズ・スタイル/了)

次へ→【3-12】バニラアイス