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ローゼンベルク家の食卓

【3-11-3】まきずしまいた

2008/05/25 3:47 三話十海
「それじゃ、台所お借りしますね」

 持参した荷物の中からサリはー白い布を取り出して広げた。
 後ろあきで医者が手術のときにつけるオペ用の白衣に似ているが、雰囲気はやわらかくて家庭的だ。
 裾と襟元にレースがあしらわれている。サイズはサリーにぴったりだ。

「変わった白衣だな」
「日本のエプロン……みたいなものです。袖までカバーしてるから便利ですよ」
「機能的でいいな。それも、向こうから送ってきたのか?」
「ええ、まあ……」

 ちょっと遠い目をしている。

「それで、一応聞いておきたいんですが、苦手なものって何かありますか? 日本の食材はわからないだろうけど、甘いのとか辛いのとか」
「オティアとシエンは甘いものが苦手なんだ。アレルギーは特にない。レオンは魚の卵が苦手だな」
「じゃあ甘さ控えめで。薄味のほうがいいのかな……魚の卵は今回はないし」
「そうだな」

 いつものように腕まくりして、髪を後ろで一つにまとめ、自分用のエプロンを着けていると。奥からとことことシエンが出てきた。
 見なれない食材や調理器具が珍しいのだろう。興味シンシンと言った様子でサリーの手元に注目している。
 何だかとても楽しそうだ。そのうち、自分もエプロンを身につけ始めた。

「手伝う」
「ありがとう。じゃ、じゃがいもの皮、むいてくれるかな?」
「うん」

 シエンがイモの皮を剥く間にサリーはてきぱきと米を量っていた。ざっと洗ってから炊飯器の蓋を開け、中から金属製の鍋のような器を取り出す。
 なるほど、内部構造はあんな風になってるんだな。
 金属製の器に米を入れ、内側の数字の書かれたラインまで水を注ぐと元のようにセットして。
 蓋を閉めて、スイッチオン。

「………これで炊けるのか?」
「はい」
「米に水吸わせなくていいのか?」
「タイマーついてますから、自動で」
「便利だな」

 さすが主食を作る専用家電だ。
 米の準備が終わると、今度は干したキノコと、何かわからんが細長いヒモのような干物、黒に近い緑色の板状の物体を水につけている。

「そのキノコ、いいにおいがするな……」
「それ、もしかしてシイタケ?」
「そうだよ。よく知ってるね」

 シエンはにこっと笑って小さくうなずいた。

「生より干し椎茸のほうが……ちょっと堅くなるけど、栄養あるんです」
「なるほど……で、こっちの細長いのは?」
「カンピョウ。これぐらいの果実って言うか、野菜?」

 サリーはくるっと空中に両手のひらで猫いっぴき分ぐらいの大きさの円を描いた。

「それを、細長く切って干したものです。ソイソースで煮て、寿司の中に入れるんですよ」
「変わった食べ物だな。でも美味そうなにおいだ」
「ちょっと想像がつきませんよね、この形だと」
「最初に食おうと思った奴はよっぽど腹が減ってたんだろうな……こっちの板みたいなのは?」
「それは、コンブ。スープのだしを取るのに使うんです」
「これも、日本から?」
「はい。鍋、お借りできます? 大きめのがいいな」
「これでいいか? 重いから気をつけてな」

 オレンジ色のほうろうびきの鍋に水を満たし、コンブとやらを入れて火にかける。

「泡がついたらすぐ引き上げてください。お湯が沸騰したら、これをひとつかみばさっと入れて、しばらくぐらぐらさせる」
「……わかった」

 袋に入った茶色のふかふかした物体は、強烈な魚のにおいがした。何となく前にサリーからもらった「イリコ」に似ているが、もっとマイルドなにおいだな。
 猫が好みそうだ、こいつも。


「サリー、じゃがいもむき終わったよ」
「ありがとう、じゃこれぐらいの大きさに切って……」

 切った野菜を薄切りの肉と、透明でぷるぷるした極細のパスタみたいなものと一緒に鍋で炒め始めた。
 妙に平べったくて、編み目模様のついた特大のソースパンみたいな変わった形の鍋は、サリーが自分の家から持ってきたものだ。
 調味料を加えて、蓋をしようとしてるのだが……どう見ても蓋のサイズが合ってない。鍋の本体より1周り小さいぞ?

「そのフタ、小さすぎないか?」
「これはこうやって使うんです」
「おい、それ、中に入ってるぞ! フタの意味あるのか?」
「熱効率を良くしてるんですよ」
「………合理的だな」
「ええ、これだと煮崩れないし、味が均一になるんですよ。落しぶたって言うんです。日本独特かな」
「うん、初めて見た」
「この鍋の模様も、熱効率を上げるためですね〜」
「なるほど……」

 その隣のコンロでは、平べったい鍋の中で細長い魚が煮えている。

 くつくつと鍋が煮え立ち、ソイソースの香りが漂い始める。
 肉や魚、野菜と混ざり合い、やわらかく溶け合っている。どっちもソイソースがベースなのに微妙に香りが違うんだな。
 鶏肉を切ったり、卵を混ぜたりと他の料理の下ごしらえをしているうちに、炊飯器がピーっとにぎやかな電子音を立てた。

「あ、炊けた。中身をここにあけてもらえますか?」
「OK」
「熱いから気をつけて」

 オーブンミトンをはめた両手で炊飯器から金属の器を取り出し、浅くて広い木の桶の中に炊きあがった飯をあけた。

「すごいな、ちゃんとできてる」

 真っ白な飯をサリーがしゃもじで混ぜる。ついさっき慎重に量って調合したビネガーを少しずつ注ぎながら。混ぜ終わると飯をぽこぽこと山にした。

「これ、なにしてるの?」
「酢がなじむように蒸らしてる」
「すっぱいにおいがする……」
「これはしばらくこのまま。その間に………」

 さっき混ぜ合わせた卵と野菜をマグカップに注いだものを、湯気の噴き上がる中華せいろにセットする。

「中華せいろがあるなんて、謎の家だよね、ここ」
「ああ、それはシエンが使うんだ。餃子蒸すのに。この子は中華が好きだし、得意だからな」
「そっか、中華はいいよねー」
「……うん」

 ここからが本日のメインエベント。
 手巻き寿司のセットはここらでもちょっと大きなスーパーに行けば米とノリと、巻くためのシート……細い竹の棒を繋ぎ合わせた、ちょっと変わった構造をしてる……が手に入る。
 しかしサリーが持ち込んだ日本産のノリは、俺が知ってるのより厚みがあってしっかりしていて、色もほとんど真っ黒に近い。
 巻くためのシートも「巻き簾」と言う名前があると教えてもらった。
 初めて知ることばかりだ。慣れ親しんだアメリカ料理と違い、何気なくさっさと作っているように見えて、さりげなく手順が細かい。
 寿司用の飯に混ぜるビネガーは後で調合を聞いておかなきゃ忘れそうだ。

「そろそろいいかな……」

 飯の山を崩してから、プラスチックの枠に紙を張った平べったい道具を渡される。

「これであおいでくれませんか?」
「何だこれ」
「うちわ。扇子みたいなもんですね」

 言われた通りにばたばたとあおいだ。

「ディフ、ちょっと強すぎますって、もーちょっとゆっくりでいいから」
「そ、そうか」

 言われて少しペースを落した。シエンがくすっと笑った。気まずいような、うれしいようなくすぐったい気分になる。

 巻き簾の上に海苔を敷いて、その上にビネガーを混ぜた飯を平に乗せて。
 さっき煮込んだ具……細長くしたオムレツと、ソイソースで煮込んだ細長い魚、スティック状に切ったキュウリにカンピョウ。
 それから、この赤と白のぷるぷるしたものは何だろう。簡単に縦にさけるし、においがシーフードっぽい。

「カニか?」
「……の、ようなもの。魚のペーストを蒸して加工したものです」
「そうか……」

 じゃあヒウェルに食わせても問題ないな。そもそも殻がついてないし。
 中に具材をみっしり入れて、どうやるんだろうと思っていたら巻き簾の片側に手をかけて。ロールケーキでも巻くみたいにしてひょい、くるっと巻いてしまった。軽く押さえてから、ぱらりと簾を離すと……さっきまでシート状だったのが、もう黒いスティックになっている。
 どこの伝統工芸だ。まるで魔法でも使ったみたいだ!

「……今、何やったんだ、サリー?」
「そんなに難しく考えないで、とにかく具を入れてごはんと海苔でまけばいいんだよ」
「なるほど……巻けばいいんだな」
「巻くの多少コツあるけど……何回かやれば慣れるし。あ、でも力いれすぎてつぶさないのだけ注意かな」

 しみじみと自分の手を見る。シエンもこっちを見上げていた。二人で顔を見合わせ、肩をすくめた。

「………それが一番難しいや」
「カリフォルニアロールのほうが難しいよ、むしろ。あれ裏巻きだから」
「そう言えばあれはライスが外側だったな」
「海苔が苦手な人向けなんだよね」
「ああ! 最初に口に当たるのがライスになってるからか」
「たぶんね。裏巻き自体は日本に古くからあるけど、アメリカ人に出した人はすごいと思うな」
「食べて欲しかったのかな。ノリが苦手な人にも……」

 未開封のまま残ったノリ(ヨーコがそりゃもう大量に送ってくれたので)に視線を向けた。真っ黒なシート、材料は海藻。
 確かに謎の食べ物だ。

「まあ見た目があまり食い物っぽくないし?」
「中味もアボガドとキュウリだしねー」
「キュウリは巻いてるじゃないか。これにも入ってるし、キュウリだけ巻いたスシもあったよな……カッパ巻き」
「『カッパ』って何?」

 シエンに言われて考え込む。気にしたことなかった。

「キューカンバー(キュウリ)の略……じゃ、ないよな」
「日本の想像上の動物だよ。んー、こっちで言うなら……妖精?」
「……何でキュウリ巻いたスシがフェアリー巻きなんだ」
「キュウリが好物なんだ、カッパって」
「なるほど。緑は妖精が好きな色だしな」
「一見関係なさそうなものの名前がついてることはアメリカでもよくあるでしょ?」
「ああ……あるね。サイドカーとかホーセズネックとかスクリュードライバーとか」
「それ、全部お酒の名前じゃあ……」

 話す傍ら、サリーは鮮やかな手つきで、ひょい、ひょい、と巻き寿司を巻き続け、キッチンカウンターに黒い謎のスティックが並んで行く。

「ニンジャの秘伝書みたいだな」
「切って食べるんだよ」
「丸ごとかじるんじゃないのか。2月の3日に」
「ヘンなこと知ってますね、ディフ……それ日本の一部地域でしかやってないよ」
「ヨーコが日本のポピュラーな伝統行事だと」
「最近は確かにポピュラーになってきたけど……なんていうか、縁起担ぎなんだよね。それは。食べ切れたらラッキーみたいな」
「運試しみたいなもんか? 軽く一本食い切ったらなんか微妙にがっかりした顔されたぞ」
「子供や女性には難しいからね」
「そうだな。やっぱり切った方がいいな。半分ずつぐらい?」
「いや……もっと、小分けに。薄切りにした方がいいと思う」
「うん、俺もその方がいいな」
「………そうか」

 協議の結果、巻き寿司の厚みは約1cmで統一することになった。サリーにコツを教わりつつ切り分ける。
 次は何が来るかと思ったら意外に見なれたもの……鶏肉が出てきた。一口大に切り分ける。

「じゃ、次はこの粉つけて」
「何だ、これ?」

 オレンジと黄色の派手な袋、表面にはフライドチキンらしき料理の写真が印刷されている。文字は日本語だ。

「唐揚げ粉。ヨーコさんが送ってくれた」
「いいにおいがするな。調味料が混ざってるのか。これで何を作るんだ?」
「チキンのフライ」
「の、割には衣が薄いぞ?」
「ジャパニーズスタイルだから」
「なるほど………華奢になる訳だ」


 ※ ※ ※ ※

【本日のローゼンンベルク家のランチの献立】
 ミソスープ(豆腐とネギと油揚げ)
 巻き寿司
 肉じゃが
 茶わん蒸し
 鳥の唐揚げ


「腹減ったー。今日の飯、何?」

 この家でランチをいただくのは珍しいことだ。
 ってか滅多にない。
 客が来てるんだから今日は昼飯に来いと、ままに指定されちまったんだからしょうがない。それ以前に日本食をリクエストしたのは俺なのだ。

 さんさんと差し込む太陽の光の中、何とはなしに場違いな所にいるようで。妙に落ちつかない気分で食卓に向かうと……。
 テーブルの上には、かつてない異国情緒が満ちていた。

「何だ、これ」
「あ、ヒウェル。サリーが作ってくれたんだ。巻き寿司って言うんだよ」
「そー言えばこの黒いシートにはそこはかとなく見覚えが………」

 若干、背筋の凍る記憶とともに。
 そして全員が席につき、日本食パーティーが始まる。人数分、さらっとハシが出てくる当たりこの家も大概に……謎だ。
 
 さーてっと……どれから食うべきか。
 少し迷ってから、マグカップに入ったカスタードプリンらしきものを口に含む。
 
「う? このプリン甘くねーぞ」

 サリーがちょっと困ったような顔をして言った。

「プリンじゃないです、それ」
「え、違うのか? そーいや肉とかキノコとか入ってるな」
「日本の伝統食ですよ、一応」
「……ヨークシャープディングみたいなもんか?」
「んーまぁ、卵の凝固を利用してるって点では同じだけど」
「菓子じゃないとわかりゃ美味いよ、うん」

 ちらりと見ると、オティアもシエンも問題なく口に運んでいる。
 さすがにまっ黒いシートに包まれた寿司らしきものは、軽く躊躇していたが。

「美味いぞ、それ。色がすごいけどな」

 ディフが言うと、シエンがうなずき、二人とも手を伸ばして……。
 ちまちま食べ終わってから、二つ目をとった。どうやら気に入ったらしい。
 こんな時のこいつらの行動って、何つーか親鳥とひな鳥、いや親犬と子犬、親猫と子猫。ちょっと動物の親子っぽいなと思った。
(ままがちょっとごついけどな)

 野菜と薄切り肉の煮込み料理を口に運ぶと、シエンがぱあっと顔を輝かせた。

「これ、美味しい」
「それは肉じゃが。この中じゃあ、一番新しい料理かなぁ」

 レオンも器用にハシで口に運んでからうなずいた。(フォークで食ってるのは俺だけか、もしかして?)

「ポトフとか……ビーフシチューに似てるね」
「元々はカレーを参考につくられたんだよ。今から100年ちょっと前……あれシチューだったかな?」

 フォークでつついていると、半透明のぷるぷるした極細のパスタみたいなものを見つけた。

「………シチューにはコレ入れないと思うぞ…」
「そこは日本的アレンジ」
「けっこう美味いな、これ。挑戦してみたい。後で詳しいレシピ教えてくれるか?」
「いいですよ」

 なーに気取ってやがる。レオンと双子が気に入ったみたいだから、だろ。ほんと、わかりやすいよ、お前って。

「俺はもっと甘いほーが好きだなー」
「……わかったお前の分は砂糖かけて食え」
「げー、まずそー」
「メイリールさんって甘党でしたっけ? チョコばっかり食べてるって聞きましたけど」
「酒もやるよ。確かにチョコは好きだけどな」

 何気なく答えてから、はたと気づく。
 俺、いつの間にサリーとなごやかに飯食いながら語らってるんだろう……。

 衣の薄いチキンのフライをつつきながらシエンがサリーに問いかける。

「ねえ、サリー、これって油淋鶏?」
「そうだよ。あんかけないけどね。元は中華。隣の国だからね、中国は」
「そっかー」

「粉が余ってるから、気に入ったならあげるよ。つけて揚げるだけだから」
「やってみるか? シエン?」
「うん」
「じゃ、ありがたくもらうよ。代わりに気になる食材があったら持ってってくれ」
「サンキュ、ディフ。でも一人だとあんまり作らないからなあ……」

 馴染みの薄い相手と盛り上がるには、食い物の話と相場が決まってる。
 だが、それにしてもサリーのこの馴染み具合はどうだ?
 ディフのこともマックスじゃなくて「ディフ」って呼んでるし、何より客がいるってのに双子がほとんど警戒してない。
 オティアは相変わらずほとんどしゃべらないが、それでもずいぶんと穏やかだ。

 ……何ものなんだろうなあ、こいつ。
 今にして思えば夕飯食いに来た時も、この家に兆していた揺れを感じ取り、そっと手を当てるようにして鎮めてしまったような気がしないでもない。

 ええい。
 歯切れが悪いぞ、我ながら。
 感謝するべきなんだろうか。
 そんなことを考えていたら、サリーと目が合ってしまった。

 にこっとほほ笑んできた。

「……美味かったよ、ごちそうさん」

 ま、この場では一番妥当な一言だ。

「どういたしまして。みんな食べてくれてよかったなー。日本食、合わない人もけっこういるから」
「俺たちは君の従姉に食わせてもらったことあるしな」
「……何か君より味付けがダイナミックだったような記憶がそこはかとなくあるんだが」
「家庭の味ってのがありますから」
「その辺は万国共通かもな」


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