▼ 【後編】
- 赤いグリフォン、完結編。
- 二人ほど新しい登場人物が顔を出しています。気になる方は【3-10-0】登場人物をどうぞ。
記事リスト
- 【3-10-10】特別なお弁当 (2008-05-17)
- 【3-10-11】猫とサリーと探偵と (2008-05-17)
- 【3-10-12】探偵+猫=ご招待 (2008-05-17)
- 【3-10-13】猫好きなの? (2008-05-17)
- 【3-10-14】コーンブレッド (2008-05-17)
- 【3-10-15】可愛い弟 (2008-05-17)
▼ 【3-10-10】特別なお弁当
ヒウェルが夕食に来なくなってからもう一週間経った。その間、オティアは何もなかったような顔をしていたけれど……。
(変だよ、絶対に)
いつも無口だけど、ほとんどまったく口を開かない。
夕食の後、いつものようにオティアが皿洗いをしている所に寄って行って声をかける。
「手伝って」
「何を」
「はい」
冷蔵庫から取り出した卵二つ、さし出した。
※ ※ ※ ※
ガチャリ。
ドアが開いて、ぬうっとヒウェルが顔を出す。
「…よお、シエン」
よれよれのぼろぼろ。髪の毛もくしゃくしゃ。シャツもしわだらけ。無精髭もぽつぽつ伸びてる。
「あ……その、具合悪かった…?」
「いや……〆切りが、ちょっとね。飯食う時間も惜しくて」
「これ」
持って来たお弁当をさし出すと、ヒウェルはくんくんとにおいをかいだ。
「…お、うまそう」
なんだか犬っぽい。
ディフがレトリバーならヒウェルはスパニエルあたりかな?
もーちょっとカジュアルな犬っぽいな……
テリアとか。
「お前が作ったのか」
「ん…オティアもいっしょに」
「悪ぃ、受けとれな……」
ない、と言う前にお腹がぐきゅるるる〜と鳴った。
「食べたほうが…」
「…そーする…………あ。こないだの写真、できてる。見てくか?」
「ん」
「入れよ」
半分予想はしていたけど、部屋の中はすごいことになっていた。
テーブルの上をざっと片付けてお弁当を広げていると、ヒウェルがこの間写した写真を持ってきてくれた。
壁にかかっているサンフランシスコの風景写真より小さいけれど、丁寧にパネルにしてある。
「……オレンジジュースしかないけど」
「ありがと。でも俺はもう食べたから」
「そう…か。じゃ、ありがたくいただきます」
ものすごい勢いでガツガツ食べてる。やっぱりお腹が減っていたんだ。
ちらっとこっちを見てぼそりと言った。
「…美味い」
「よかった。こっちは俺がつくったんだけどオムレツはオティアが……」
ヒウェルは目をしばたかせて、慌ててジュースにむせたふりしてる。きっと泣きそうになったんだ。
「…何か…あった?」
「……いや……なん……でも……ない!」
その不自然に爽やかな笑顔がかえってあやしい。
「そうか…じゃあ違うんだ」
「なにが?」
「ん…オティアがすごく落ち込んでるから…」
「ぁ…………」
顔がくしゃっとゆがむ。
「違うならいいんだ」
「……………ごめんな……」
「え?」
「…俺のせいなんだ…あいつの気持ちも考えずに一方的に俺の感情、押し付けたから…」
「ええ?」
いったい何のことなの? わかんないよ、ヒウェル。
「…シエン。最初は仕事の関わりで知り合ったお前たちだけどな…今は何より大事で…大切だ…」
「ん…ありがとう」
うれしいけど、微妙に寂しい。そんなに優しいこと言ってくれるのはオティアがいるからだよね。
俺が、オティアと同じ顔してるから……。
「オティアに伝えてくれ。約束通りもう二度と、お前にウザがられるようなマネはしないって」
「オティアがそう言ったの?」
思わず眉をひそめる。
「相手するのもいちいちウザいって…ま、いつものことだ」
「なんでそうやって好きな人にはつっかかるのかなぁ…」
「…………………………………え……?」
「気にしなくていいよ」
「もう二度とこんなことで煩わせるなって…だから、俺……飯たかりに行くのも…やめようって……」
「ああ、うん。そういうことで悩むの嫌いみたいで。やつあたりだよ」
「やつあたり?」
本当は、それだけじゃない。
やつあたりっていうほどやつあたりじゃない。そういう面もあるけど。
俺も、オティアも、無意識に思っている。必要以上に他人と関わることは避けなくちゃいけないって。
いつ離れても、捨てられても、つらい思いをしないですむように。いつでもさらりとお別れできるように。
ここに来る前は、オティアのほうが俺よりもずっと徹底してた。
誰にも心は許さず、寄ってきたら切り捨てる。それが当たり前で……
でも、ヒウェルに対してはそれができない。だからイライラしてるし、落ち込むんだ。
だけど今、ここで言ってもヒウェルには……多分、通じないし理解できない。
余計に混乱させてしまうだけだろうな。
「子供なんだよ、要するに」
「………マセた口叩くくせに……」
「ごめん…その、俺のせい…かも」
「シエン」
「俺達が…お互いが一番じゃないといやなんだよオティアは…。ずっとそんなじゃいけないってわかってるんだけど」
「俺、兄弟いないからわかんないけど…そーゆーのはちょっと、うらやましい」
「だから、オティアがヘンなこと言い出しても気にしないでいいよ。それに…」
「それに?」
「ちゃんとオティアと話できるの、まだヒウェルだけだから。俺以外では」
「…そうなのかっ?」
「ディフとは家では会話が成立してないでしょ?」
「……あー確かに…言われてみれば……」
「レオンは居る時間が短いから…」
話している間にヒウェルはお弁当を全部食べ終わっていた。もしかしてここのところ、ずっと真っ当な物食べてなかったのかな。
「……足りなかったら、まだあるけど」
「いや、いっぺんに食い過ぎるとアレだし。腹減ったら………仕事、一区切りついたらまた食いに行くよ」
「うん」
良かった。やっぱり、夕食はみんながそろってる方がいい。
「写真ありがと…」
写真のパネルを、そおっとテーブルに置いた。
「うん…気に入ってくれたみたいで…嬉しいよ」
「じゃあ、俺、そろそろ帰るね」
お弁当を片付けて、部屋を出た。ドアまで見送ってくれた。
「サンキュ、シエン。また懲りずに掃除しに来てくれよ」
うなずいて手をふって家に帰った。
※ ※ ※ ※
でも、その後ヒウェルはなかなか夕食に来なかった。
明日は来るのかな、ヒウェル。
お弁当を持っていってから、もうすぐ三日目になる。
次へ→【3-10-11】猫とサリーと探偵と
(変だよ、絶対に)
いつも無口だけど、ほとんどまったく口を開かない。
夕食の後、いつものようにオティアが皿洗いをしている所に寄って行って声をかける。
「手伝って」
「何を」
「はい」
冷蔵庫から取り出した卵二つ、さし出した。
※ ※ ※ ※
ガチャリ。
ドアが開いて、ぬうっとヒウェルが顔を出す。
「…よお、シエン」
よれよれのぼろぼろ。髪の毛もくしゃくしゃ。シャツもしわだらけ。無精髭もぽつぽつ伸びてる。
「あ……その、具合悪かった…?」
「いや……〆切りが、ちょっとね。飯食う時間も惜しくて」
「これ」
持って来たお弁当をさし出すと、ヒウェルはくんくんとにおいをかいだ。
「…お、うまそう」
なんだか犬っぽい。
ディフがレトリバーならヒウェルはスパニエルあたりかな?
もーちょっとカジュアルな犬っぽいな……
テリアとか。
「お前が作ったのか」
「ん…オティアもいっしょに」
「悪ぃ、受けとれな……」
ない、と言う前にお腹がぐきゅるるる〜と鳴った。
「食べたほうが…」
「…そーする…………あ。こないだの写真、できてる。見てくか?」
「ん」
「入れよ」
半分予想はしていたけど、部屋の中はすごいことになっていた。
テーブルの上をざっと片付けてお弁当を広げていると、ヒウェルがこの間写した写真を持ってきてくれた。
壁にかかっているサンフランシスコの風景写真より小さいけれど、丁寧にパネルにしてある。
「……オレンジジュースしかないけど」
「ありがと。でも俺はもう食べたから」
「そう…か。じゃ、ありがたくいただきます」
ものすごい勢いでガツガツ食べてる。やっぱりお腹が減っていたんだ。
ちらっとこっちを見てぼそりと言った。
「…美味い」
「よかった。こっちは俺がつくったんだけどオムレツはオティアが……」
ヒウェルは目をしばたかせて、慌ててジュースにむせたふりしてる。きっと泣きそうになったんだ。
「…何か…あった?」
「……いや……なん……でも……ない!」
その不自然に爽やかな笑顔がかえってあやしい。
「そうか…じゃあ違うんだ」
「なにが?」
「ん…オティアがすごく落ち込んでるから…」
「ぁ…………」
顔がくしゃっとゆがむ。
「違うならいいんだ」
「……………ごめんな……」
「え?」
「…俺のせいなんだ…あいつの気持ちも考えずに一方的に俺の感情、押し付けたから…」
「ええ?」
いったい何のことなの? わかんないよ、ヒウェル。
「…シエン。最初は仕事の関わりで知り合ったお前たちだけどな…今は何より大事で…大切だ…」
「ん…ありがとう」
うれしいけど、微妙に寂しい。そんなに優しいこと言ってくれるのはオティアがいるからだよね。
俺が、オティアと同じ顔してるから……。
「オティアに伝えてくれ。約束通りもう二度と、お前にウザがられるようなマネはしないって」
「オティアがそう言ったの?」
思わず眉をひそめる。
「相手するのもいちいちウザいって…ま、いつものことだ」
「なんでそうやって好きな人にはつっかかるのかなぁ…」
「…………………………………え……?」
「気にしなくていいよ」
「もう二度とこんなことで煩わせるなって…だから、俺……飯たかりに行くのも…やめようって……」
「ああ、うん。そういうことで悩むの嫌いみたいで。やつあたりだよ」
「やつあたり?」
本当は、それだけじゃない。
やつあたりっていうほどやつあたりじゃない。そういう面もあるけど。
俺も、オティアも、無意識に思っている。必要以上に他人と関わることは避けなくちゃいけないって。
いつ離れても、捨てられても、つらい思いをしないですむように。いつでもさらりとお別れできるように。
ここに来る前は、オティアのほうが俺よりもずっと徹底してた。
誰にも心は許さず、寄ってきたら切り捨てる。それが当たり前で……
でも、ヒウェルに対してはそれができない。だからイライラしてるし、落ち込むんだ。
だけど今、ここで言ってもヒウェルには……多分、通じないし理解できない。
余計に混乱させてしまうだけだろうな。
「子供なんだよ、要するに」
「………マセた口叩くくせに……」
「ごめん…その、俺のせい…かも」
「シエン」
「俺達が…お互いが一番じゃないといやなんだよオティアは…。ずっとそんなじゃいけないってわかってるんだけど」
「俺、兄弟いないからわかんないけど…そーゆーのはちょっと、うらやましい」
「だから、オティアがヘンなこと言い出しても気にしないでいいよ。それに…」
「それに?」
「ちゃんとオティアと話できるの、まだヒウェルだけだから。俺以外では」
「…そうなのかっ?」
「ディフとは家では会話が成立してないでしょ?」
「……あー確かに…言われてみれば……」
「レオンは居る時間が短いから…」
話している間にヒウェルはお弁当を全部食べ終わっていた。もしかしてここのところ、ずっと真っ当な物食べてなかったのかな。
「……足りなかったら、まだあるけど」
「いや、いっぺんに食い過ぎるとアレだし。腹減ったら………仕事、一区切りついたらまた食いに行くよ」
「うん」
良かった。やっぱり、夕食はみんながそろってる方がいい。
「写真ありがと…」
写真のパネルを、そおっとテーブルに置いた。
「うん…気に入ってくれたみたいで…嬉しいよ」
「じゃあ、俺、そろそろ帰るね」
お弁当を片付けて、部屋を出た。ドアまで見送ってくれた。
「サンキュ、シエン。また懲りずに掃除しに来てくれよ」
うなずいて手をふって家に帰った。
※ ※ ※ ※
でも、その後ヒウェルはなかなか夕食に来なかった。
明日は来るのかな、ヒウェル。
お弁当を持っていってから、もうすぐ三日目になる。
次へ→【3-10-11】猫とサリーと探偵と
▼ 【3-10-11】猫とサリーと探偵と
高校一年の十月、入学してやっとひと月立った頃にちょっと派手なケンカをやらかした。
「引っ込んでな、カントリーボーイ!」
突き飛ばされて窓ガラスに激突し、夢中で腕を引き抜いて。ほとんど無意識のうちに相手の顔面にパンチをお見舞いしたらしい。
気がつくと喧嘩の相手は逃げ出して、クラスの女の子たちや通りがかりの他の生徒が遠巻きに俺を見ていた。
微妙に凍り付いたギャラリーをかき分けてヒウェルがのこのこ近づき、声をかけてきた。
「マックス」
「………あ?」
「痛くないのか?」
その時初めて気づいたんだ。シャツの左袖が大きく裂けて。ざっくり一直線に走る傷口から、真っ赤な血がぽたぽたこぼれ落ちてるって。
「……そう言えば、ちょっと痛いような」
「いいから血、止めような」
「こう言う時って押さえるんだっけ、縛るんだっけ」
「それ以前に、布かなんか当てた方がいいと思うぞ」
もちろんハンカチなんて気の利いたものは二人とも持っちゃいない。
男二人でまぬけ面を付き合わせているところに、さっき助けた女の子のうち一人がつかつかと近寄ってきた。
「見せなさい」
それがヨーコ・ユウキだった。
日本からの留学生。
小学生が背伸びしたみたいな見た目に反して姉さんみたいに面倒見がよくて。どこか俺たちとは違う視界を持っていて……心の奥深い所をすっと見通すような、不思議な女の子だった。
※ ※ ※ ※
「あれ、マクラウドさん?」
「よぉ、サリー。久しぶり」
何だってそんなことを思い出したのかと言うと、今、目の前に立ってる少年(いや本当はとっくにそんな時期は過ぎてるんだが見た目がどうしてもね)が、彼女によく似た面影を宿しているからだ。
気のせいなんかじゃない。れっきとしたDNAの繋がり故に。
彼……サリーことサクヤ・ユウキはヨーコの従弟で、現在カリフォルニア大学に留学中。学部は違うがレオンの後輩に当たる。
「おひさしぶりです」
眼鏡の向こうで濃い茶色の瞳が細められ、おだやかな笑みを浮かべる。
顔かたちは似ているけど、まとう空気がまるで違う。ヨーコがしゃきっとした原色のストライプ模様なら、サリーはふんわりとした中間色の淡い水玉だ。
「それで………何やってんですか、こんなとこで」
「ん……まあ、ね、仕事中」
聞きたくなる気持ちもわかる。こちとら四つん這いになって公園の植え込みの中からにゅっと顔出した所だからな。
顔にも頭にも服にも、いたるところに木の枝だの葉っぱをくっつけて。
「ああ、ペット探し。猫ですか? 犬ですか?」
「猫」
「よかったら手伝いましょうか」
「助かるよ」
灌木の下から這い出し、ばさばさと枝葉を払い落す。
「写真、ありますか?」
「これだ。名前はタイガー、茶虎で足に白靴下、四歳の雄」
「OK、それじゃ、俺はこっちを探しますね」
「じゃあ、俺はこっちに行こう。見つけたら携帯で連絡してくれ」
「わかりました」
彼は獣医の卵で、以前に何度かペット探しを手伝ってくれたことがある。迷子のペットを探し出すのにかけては俺なんかよりよっぽど上手く、動物の扱いにも慣れている。
時々、言葉が通じてるんじゃないかと思うくらいだ。
『俺は驚かないぞ。ヨーコが黒猫と話して、ホウキで飛んでいてもな!』
『お前……何を言ってるんだ』
『ジャパニメーションであっただろ、そーゆー話!』
えらくファンタジックな方向に想像力を暴走させてたよな、ヒウェルの奴。
怪我の一件以来、どうにもあいつはヨーコに頭が上がんなくなっていたっけ。
だけど今なら。
そう、オティアとシエンの存在を知った今なら、思うのだ。ヒウェルの想像もあながち外れてなかったんじゃないかって。
思い巡らせつつ20分ほど猫を探してうろうろしていると……
「おっと」
胸ポケットの中で携帯が震えた。
取り出し、ディスプレイに表示される名前を見る。
「ハロー、サリー?」
「見つけましたよ。公園西側のベンチまで来てください。近くに大きなイチョウの木があります」
「わかった。すぐ行く」
言われた場所に行くと、確かにサリーはベンチに座っていた。その周りには……いるわいるわ。
大小さまざま、縞模様、ぶちもよう、白、黒、少し青みがかったグレイから銀色に近いのまで、トラジマ、キジトラ、その他もろもろ。
大量の猫が集まっていた。
みやお。
みゃう。
うなおーおう。
甘えた声だ。欠片ほども警戒していない。
そしてサリーはと言うとにこにこしながら何か餌を配っている。
「ケンカしちゃだめだよ。まだまだいっぱいあるからね……」
そろりそろりと近づいて、猫どもを驚かさないよう、極力静かな声で話しかける。
「……サリー」
「あ、マクラウドさん。この子ですよね」
指さす先には、まさしく写真の通りの靴下はいた虎猫が一匹かりかりと、ちっぽけな魚みたいなのをひとつまみ、一心不乱に食べている。
えらく気に入ってるらしい。
「ああ、そいつだ。……変わったキャットフードだな」
「これはイリコと言って、小魚を干したものです。おやつですね。カルシウムとるのにいいんですよ」
「そ、そうか……」
カルシウムって、いらいらに効くんだっけ。
ここ数日、食卓に流れるぎくしゃくした空気と。それに気づきながら、どうしようもできない自分に苛立つ日が続いていた。
昨夜なんざとうとう、心配してくれるレオンに八つ当たりしてしまったのだ。
『放っとけ! お前に話したってどうにかなるもんじゃないだろ!』
『所詮は他人なんだよ……』
レオンは何も言わず、少しだけ悲しげな顔をして、そうかもしれないね、とだけ言った。
互いに背中を向けたまま眠りにつき、翌朝は何事もなかったようにおはようのキスを交わしたけれど……。
両の眉から力が抜け、口元に苦渋混じりの笑みが浮かぶ。気まずさ、悔しさ、後悔、恥。ずっと胸の奥に押し込めてきた負の感情が一斉にわき上がる。ざらつく砂粒のように喉につまり、舌の根にわだかまる。
一粒一粒が、やけに重たい。
「俺も、かじった方がいいのかな」
「はい、どうぞ」
無造作にジップロックの袋から取り出し、手のひらに乗せてくれた。
そして自分もひとつまみとって、ぽりぽりと食べ始める。
しばらくベンチに並んで座ってイリコをかじった。猫に混じってぽりぽりと。
「……けっこう美味いね、これ」
「サンフランシスコの猫は魚好きでいいなぁ」
「魚の美味い町だからな」
「サクラメントでこれあげたら見向きもされなかったことが」
「ははっ、こっちの猫釣る時はもっぱらレバーだからな。あとターキー」
「レバーかぁ」
ふにゅっと冷たいものが手に押し付けられる。自分の分を食い終わったタイガーが俺の手の中のイリコに注目していた。
「食うか? ん?」
ふんふん、とにおいをかぐと食べ始めた。
ああ、こいつは飼い猫だからなあ……。
思わずため息が出る。
「どうかしました?」
「ん……プライベートで、ちょっと…な」
そろりとタイガーに手をのばすと、耳を伏せて身体を低くして歯をむき出し、フーっと唸られた。
慌てて手を引っ込める。
『無条件にそういう言葉を信じられるような育ち方をしてないんだ、俺達は』
目を伏せる。
『放っとけ!』
『所詮は他人なんだよ……お前も、あの子たちも』
自分の吐いた言葉に。言われた言葉に、ため息が漏れた。胸の奥から、深々と。
………ごめん、レオン。
ごめん、シエン。
「だめだよ」
サリーになでられ、タイガーは嘘みたいにおとなしくなった。もわもわに太くなっていた尻尾がすーっと元に戻って行く。
「良かったら、聞きますよ。解決にはならないかもしれないけど」
ああ、同じだ、ヨーコと。
どこか俺たちとは違った視界から、心の奥底まですっと見通すような不思議な目。
どうする。
何と言って説明したものか……今の俺と、双子と、レオンと(ついでにヒウェルと)の間にもつれてからまった繋がりを。
しばらく迷ってから、微妙に目線をそらしつつ答える。小さな声で、ほとんど囁くように。
「子育てで、ちょっと」
「ご結婚、してましたっけ?」
「いや、独身。話すと長くなるんだが……」
サリーはぱちぱちとまばたきして、タイガーをだきあげた。
「……この子届けに行きましょうか。歩きながらでも」
「そうだな」
ベンチから立ち上がると、サリーは集まっていた猫たちに一言
「またね」
さらりとあいさつして歩き出した。
次へ→【3-10-12】探偵+猫=ご招待
「引っ込んでな、カントリーボーイ!」
突き飛ばされて窓ガラスに激突し、夢中で腕を引き抜いて。ほとんど無意識のうちに相手の顔面にパンチをお見舞いしたらしい。
気がつくと喧嘩の相手は逃げ出して、クラスの女の子たちや通りがかりの他の生徒が遠巻きに俺を見ていた。
微妙に凍り付いたギャラリーをかき分けてヒウェルがのこのこ近づき、声をかけてきた。
「マックス」
「………あ?」
「痛くないのか?」
その時初めて気づいたんだ。シャツの左袖が大きく裂けて。ざっくり一直線に走る傷口から、真っ赤な血がぽたぽたこぼれ落ちてるって。
「……そう言えば、ちょっと痛いような」
「いいから血、止めような」
「こう言う時って押さえるんだっけ、縛るんだっけ」
「それ以前に、布かなんか当てた方がいいと思うぞ」
もちろんハンカチなんて気の利いたものは二人とも持っちゃいない。
男二人でまぬけ面を付き合わせているところに、さっき助けた女の子のうち一人がつかつかと近寄ってきた。
「見せなさい」
それがヨーコ・ユウキだった。
日本からの留学生。
小学生が背伸びしたみたいな見た目に反して姉さんみたいに面倒見がよくて。どこか俺たちとは違う視界を持っていて……心の奥深い所をすっと見通すような、不思議な女の子だった。
※ ※ ※ ※
「あれ、マクラウドさん?」
「よぉ、サリー。久しぶり」
何だってそんなことを思い出したのかと言うと、今、目の前に立ってる少年(いや本当はとっくにそんな時期は過ぎてるんだが見た目がどうしてもね)が、彼女によく似た面影を宿しているからだ。
気のせいなんかじゃない。れっきとしたDNAの繋がり故に。
彼……サリーことサクヤ・ユウキはヨーコの従弟で、現在カリフォルニア大学に留学中。学部は違うがレオンの後輩に当たる。
「おひさしぶりです」
眼鏡の向こうで濃い茶色の瞳が細められ、おだやかな笑みを浮かべる。
顔かたちは似ているけど、まとう空気がまるで違う。ヨーコがしゃきっとした原色のストライプ模様なら、サリーはふんわりとした中間色の淡い水玉だ。
「それで………何やってんですか、こんなとこで」
「ん……まあ、ね、仕事中」
聞きたくなる気持ちもわかる。こちとら四つん這いになって公園の植え込みの中からにゅっと顔出した所だからな。
顔にも頭にも服にも、いたるところに木の枝だの葉っぱをくっつけて。
「ああ、ペット探し。猫ですか? 犬ですか?」
「猫」
「よかったら手伝いましょうか」
「助かるよ」
灌木の下から這い出し、ばさばさと枝葉を払い落す。
「写真、ありますか?」
「これだ。名前はタイガー、茶虎で足に白靴下、四歳の雄」
「OK、それじゃ、俺はこっちを探しますね」
「じゃあ、俺はこっちに行こう。見つけたら携帯で連絡してくれ」
「わかりました」
彼は獣医の卵で、以前に何度かペット探しを手伝ってくれたことがある。迷子のペットを探し出すのにかけては俺なんかよりよっぽど上手く、動物の扱いにも慣れている。
時々、言葉が通じてるんじゃないかと思うくらいだ。
『俺は驚かないぞ。ヨーコが黒猫と話して、ホウキで飛んでいてもな!』
『お前……何を言ってるんだ』
『ジャパニメーションであっただろ、そーゆー話!』
えらくファンタジックな方向に想像力を暴走させてたよな、ヒウェルの奴。
怪我の一件以来、どうにもあいつはヨーコに頭が上がんなくなっていたっけ。
だけど今なら。
そう、オティアとシエンの存在を知った今なら、思うのだ。ヒウェルの想像もあながち外れてなかったんじゃないかって。
思い巡らせつつ20分ほど猫を探してうろうろしていると……
「おっと」
胸ポケットの中で携帯が震えた。
取り出し、ディスプレイに表示される名前を見る。
「ハロー、サリー?」
「見つけましたよ。公園西側のベンチまで来てください。近くに大きなイチョウの木があります」
「わかった。すぐ行く」
言われた場所に行くと、確かにサリーはベンチに座っていた。その周りには……いるわいるわ。
大小さまざま、縞模様、ぶちもよう、白、黒、少し青みがかったグレイから銀色に近いのまで、トラジマ、キジトラ、その他もろもろ。
大量の猫が集まっていた。
みやお。
みゃう。
うなおーおう。
甘えた声だ。欠片ほども警戒していない。
そしてサリーはと言うとにこにこしながら何か餌を配っている。
「ケンカしちゃだめだよ。まだまだいっぱいあるからね……」
そろりそろりと近づいて、猫どもを驚かさないよう、極力静かな声で話しかける。
「……サリー」
「あ、マクラウドさん。この子ですよね」
指さす先には、まさしく写真の通りの靴下はいた虎猫が一匹かりかりと、ちっぽけな魚みたいなのをひとつまみ、一心不乱に食べている。
えらく気に入ってるらしい。
「ああ、そいつだ。……変わったキャットフードだな」
「これはイリコと言って、小魚を干したものです。おやつですね。カルシウムとるのにいいんですよ」
「そ、そうか……」
カルシウムって、いらいらに効くんだっけ。
ここ数日、食卓に流れるぎくしゃくした空気と。それに気づきながら、どうしようもできない自分に苛立つ日が続いていた。
昨夜なんざとうとう、心配してくれるレオンに八つ当たりしてしまったのだ。
『放っとけ! お前に話したってどうにかなるもんじゃないだろ!』
『所詮は他人なんだよ……』
レオンは何も言わず、少しだけ悲しげな顔をして、そうかもしれないね、とだけ言った。
互いに背中を向けたまま眠りにつき、翌朝は何事もなかったようにおはようのキスを交わしたけれど……。
両の眉から力が抜け、口元に苦渋混じりの笑みが浮かぶ。気まずさ、悔しさ、後悔、恥。ずっと胸の奥に押し込めてきた負の感情が一斉にわき上がる。ざらつく砂粒のように喉につまり、舌の根にわだかまる。
一粒一粒が、やけに重たい。
「俺も、かじった方がいいのかな」
「はい、どうぞ」
無造作にジップロックの袋から取り出し、手のひらに乗せてくれた。
そして自分もひとつまみとって、ぽりぽりと食べ始める。
しばらくベンチに並んで座ってイリコをかじった。猫に混じってぽりぽりと。
「……けっこう美味いね、これ」
「サンフランシスコの猫は魚好きでいいなぁ」
「魚の美味い町だからな」
「サクラメントでこれあげたら見向きもされなかったことが」
「ははっ、こっちの猫釣る時はもっぱらレバーだからな。あとターキー」
「レバーかぁ」
ふにゅっと冷たいものが手に押し付けられる。自分の分を食い終わったタイガーが俺の手の中のイリコに注目していた。
「食うか? ん?」
ふんふん、とにおいをかぐと食べ始めた。
ああ、こいつは飼い猫だからなあ……。
思わずため息が出る。
「どうかしました?」
「ん……プライベートで、ちょっと…な」
そろりとタイガーに手をのばすと、耳を伏せて身体を低くして歯をむき出し、フーっと唸られた。
慌てて手を引っ込める。
『無条件にそういう言葉を信じられるような育ち方をしてないんだ、俺達は』
目を伏せる。
『放っとけ!』
『所詮は他人なんだよ……お前も、あの子たちも』
自分の吐いた言葉に。言われた言葉に、ため息が漏れた。胸の奥から、深々と。
………ごめん、レオン。
ごめん、シエン。
「だめだよ」
サリーになでられ、タイガーは嘘みたいにおとなしくなった。もわもわに太くなっていた尻尾がすーっと元に戻って行く。
「良かったら、聞きますよ。解決にはならないかもしれないけど」
ああ、同じだ、ヨーコと。
どこか俺たちとは違った視界から、心の奥底まですっと見通すような不思議な目。
どうする。
何と言って説明したものか……今の俺と、双子と、レオンと(ついでにヒウェルと)の間にもつれてからまった繋がりを。
しばらく迷ってから、微妙に目線をそらしつつ答える。小さな声で、ほとんど囁くように。
「子育てで、ちょっと」
「ご結婚、してましたっけ?」
「いや、独身。話すと長くなるんだが……」
サリーはぱちぱちとまばたきして、タイガーをだきあげた。
「……この子届けに行きましょうか。歩きながらでも」
「そうだな」
ベンチから立ち上がると、サリーは集まっていた猫たちに一言
「またね」
さらりとあいさつして歩き出した。
次へ→【3-10-12】探偵+猫=ご招待
▼ 【3-10-12】探偵+猫=ご招待
歩きながらサリーがぽつりと言った。
「またお巡りさんに言われちゃいましたよ」
「ん?」
「ウィークデーの昼間に、未成年が一人で何やってるのかって」
「ああ……」
サリーはしょっちゅう中学生にまちがわれる。ほっそりして華奢な骨格だし、背も俺たちの目から見れば低い。つるんとした顔立ちも、くりくりした瞳も、幼く見える。
「日本じゃそんなに童顔って言われたことないのに……」
「やっぱり環境にもよるんだろう」
「動物はどこの国でもかわらないのになぁ」
「そうか? 俺の目からすると日本の猫はみんな子猫サイズに見えるぞ」
「それは骨格の差もあるけど……食べさせ方の問題」
「……そう言うもんかな……」
「日本の猫は魚や鳥のような小動物、昆虫が主食だったんですよ。何百世代もね。日本固有の猫科動物は大型化しなかった」
「こっちの猫は肉食だものな」
さすが獣医の卵だ。着眼点が違う。俺が普段何となく感じていただけのことを、きちんと裏付けをつけてわかりやすく説明してくれる。
「ご存知ですか? 日本人ってアメリカ人よりも腸が長いんですよ、すごく。ずっと穀物が主食だったせいなんだ。遺伝子に刻まれた種族の歴史は簡単にはかわらないってことですね」
「なるほどな。日本に行けば君やヨーコが標準って訳だ」
「標準……とは言い難いけど、すごく外れてるわけじゃないかな。俺がかわらないって言ったのは、んー……」
サリーはそっと胸に抱いた猫の喉を撫でた。
「動物は嘘つかない、ってことかな」
「ま、確かに連中は嘘をつかない…人に対する反応も実に正直だ。逃げたい時は全力で逃げるからな」
「マクラウドさんは、身体が大きいから怖がられやすいんですよ」
「あ、やっぱりそう思うか」
「一度びっくりさせるとしばらくダメだし」
大当たり。実はサリーと会う前に一度タイガーを見つけたのだが、逃げられていた。
「こっちの人間にはどうしても、東洋人って実際の年齢より若く見える。最初にヨーコに会った時は小学生が飛び級してきたと思ったよ」
「まあ、日本じゃアメリカの人は5〜6歳は上に見えますからね。逆に考えると」
「なるほどな……確かに見た目は幼く見えるけど中身はしっかりしてるもんな。君も、彼女も」
左の腕を軽くさする。
「ガラスの破片で腕をざっくりやっちまった事があるんだが、彼女、顔色一つ変えずに手当してくれてな。おかげで跡一つ残らずきれいに治ったよ」
「あー……もしかして」
「ん?」
「メイリールさん、そのときにいました?」
「ああ、ヒウェル? いたよ、一緒に」
「でしょうね」
「もっと重症だったろ、ってブツブツ言ってた。ヨーコににらまれて黙ってたけどな」
「あなたは?」
「……思ったより軽くてラッキーだったと」
「そっか。だからかな、羊子さんが紹介してくれたの」
記憶を手繰る。
あの時、ヨーコの手が触れた瞬間、ずきずきと熱く疼いていた傷口がすっと楽になった。あの感触は、双子が力を使って怪我を治してくれた時に似ているような気がする。
「今思えば彼女は本当に『何か』したのかもしれない。だとしても俺のためを思ってしてくれたんだし。魔女だろうが妖精だろうが、いい友だちだってことに変わりはないよ」
「妖精は言い過ぎ……」
魔女は有りなのか、サリー。
「そのうちに、俺や彼女のことを、話す時が来るかもしれないですね。あ、でも」
「うん?」
「あなたの恋人の話、聞きたがってましたよ。すごく」
言葉の意味を理解した瞬間、頭のてっぺんからつま先まで凍り付いた。たっぷり十秒ほど。
それからじわじわと顔が熱くなり、硬直していた手足が自由を取り戻した時にはカッカと火照っていた。
「なっ……今さら………何聞きたいっつーんだ……………」
「俺に聞き出せって、メールで指令が。こっちに居ない間のことだから気になるんじゃないかな」
何を指令されたかは、だいたい予想がつく。
いつから付き合ってたの? 一緒に住んでるの? 先に告ったのはどっちよ?
だいたいこんなとこだろ。同級生の女の子から浴びせられる定番の質問だ。
「OK、サリー。直に俺からメールで報告入れとくよ」
「そうしてくれると助かります。正直に答えることないと思いますけどね、俺としては」
「うん……まあ隠すようなことでもないし。でも、君の言葉は覚えておくよ。ありがとな、サリー」
「そう言えばローゼンベルクさんとは俺、まだ直接会ったことはないですね」
「ああ」
レオン。
結局、『ごめん』はまだ言えていない。
「レオンがね。身よりのない子を引き取ったんだ」
ともすれば喉の奥に逃げこみそうな言葉を引っぱり出した。
「俺もその件についちゃ一枚噛んでるから………世話、してるんだ。飯とか、着るものとか、いろいろ」
「フォスターペアレント(里親)?」
「いや、それこそ結婚してなきゃ登録できないよ」
「……ですよね。それで?」
「その子たち双子なんだけど……あ、名前はオティアと、シエンって言うんだ。年は十六。それで………シエンって子の方に、言われたんだ。俺が『まま』で、レオンが『ぱぱ』だって」
サリーは何も言わずにうなずいた。何となく勇気づけられて先を続ける。
「その言葉につい有頂天になっちまってさ。無造作に踏み込んじまったんだよ」
「どこに?」
「……境界線の内側。テリトリーの中」
「噛まれた?」
「いや、気分的には……前足でビシっとやられたって感じかな。結局は他人なんだ……あの子にとって。それに気づかなかった自分が悔しくて。情けなくて、な」
「でも爪は出さなかった」
「………そうだな」
「家族の基本は夫婦ですけど、それは他人同士が一緒に住むところから始まるんですよ。血がつながっていたところで、信頼関係がなければ他人より悪くなる」
「信頼……してくれてるのかな……一緒に居ても逃げないくらいには」
「俺は、父とはほとんど会ったことがないんですけど。今でも自分に父がいる感じはしませんね」
「そうなのか?あれ、じゃあ、ヨーコと君は…ファミリーネームが同じだけど実際には、母方つながりってことか」
「ええ。羊子さんとはイトコだけど、姉弟みたいに育ちました」
静かな口調で語られる重たい話にどきりとした。
「俺にとっては、父より羊子さんのが『家族』だったんですよ。事実上」
「近くに居たから……か?」
「違う家に住んでましたけど、行き来が頻繁だったので」
「なるほどなあ。一人っ子って言う割には妙に面倒見が良かったんだ、彼女。姉さんみたいだって思う時があった。そうか、君がいたからなんだな、サリー」
「血がつながっていてもつながってなくても、結局は人と人の集まりなんだから、時間をかけていくしかないんでしょうね。お互いが歩み寄らないと一緒には暮らせない」
「歩み寄り、か…距離感を見極めるのが難しくってね。つい鼻面つっこんで『ふーっ』ってやられちまう」
サリーの腕の中のタイガーを見下ろし、肩をすくめる。さっきよりは軽く、明るく笑えたような気がした。
「難しい年頃ですしね。丁度、独立心がつよくなってきて。親や人に頼ることがかっこわるいって思う頃です」
つかの間記憶が巻き戻る。無鉄砲に突き進み、壁にぶつかるたびに頭突きで粉砕して前進していた十代のころに。
「……………ああ………君の言う通りだ。自分もそうだったのに、忘れてたよ。親父の七光りから抜け出したくって俺、シスコの高校に進学したんだ」
「へぇ、ここの出身じゃないんですか」
「うん。生まれはテキサスだ」
「テキサス……けっこう遠いなぁ。カウボーイハット似合いそうですね」
「うん、家にあるよ、テンガロンハット」
「あとで見せてください。たぶん、写真とったら羊子さんが喜ぶから」
「ああ、いいよ。……そうだ、ついでに晩飯食いに来ないか? 猫、見つけてもらったし、お礼がしたい」
「そうですね。ごちそうになろうかな」
「じゃあ、ぜひ」
次へ→【3-10-13】猫好きなの?
「またお巡りさんに言われちゃいましたよ」
「ん?」
「ウィークデーの昼間に、未成年が一人で何やってるのかって」
「ああ……」
サリーはしょっちゅう中学生にまちがわれる。ほっそりして華奢な骨格だし、背も俺たちの目から見れば低い。つるんとした顔立ちも、くりくりした瞳も、幼く見える。
「日本じゃそんなに童顔って言われたことないのに……」
「やっぱり環境にもよるんだろう」
「動物はどこの国でもかわらないのになぁ」
「そうか? 俺の目からすると日本の猫はみんな子猫サイズに見えるぞ」
「それは骨格の差もあるけど……食べさせ方の問題」
「……そう言うもんかな……」
「日本の猫は魚や鳥のような小動物、昆虫が主食だったんですよ。何百世代もね。日本固有の猫科動物は大型化しなかった」
「こっちの猫は肉食だものな」
さすが獣医の卵だ。着眼点が違う。俺が普段何となく感じていただけのことを、きちんと裏付けをつけてわかりやすく説明してくれる。
「ご存知ですか? 日本人ってアメリカ人よりも腸が長いんですよ、すごく。ずっと穀物が主食だったせいなんだ。遺伝子に刻まれた種族の歴史は簡単にはかわらないってことですね」
「なるほどな。日本に行けば君やヨーコが標準って訳だ」
「標準……とは言い難いけど、すごく外れてるわけじゃないかな。俺がかわらないって言ったのは、んー……」
サリーはそっと胸に抱いた猫の喉を撫でた。
「動物は嘘つかない、ってことかな」
「ま、確かに連中は嘘をつかない…人に対する反応も実に正直だ。逃げたい時は全力で逃げるからな」
「マクラウドさんは、身体が大きいから怖がられやすいんですよ」
「あ、やっぱりそう思うか」
「一度びっくりさせるとしばらくダメだし」
大当たり。実はサリーと会う前に一度タイガーを見つけたのだが、逃げられていた。
「こっちの人間にはどうしても、東洋人って実際の年齢より若く見える。最初にヨーコに会った時は小学生が飛び級してきたと思ったよ」
「まあ、日本じゃアメリカの人は5〜6歳は上に見えますからね。逆に考えると」
「なるほどな……確かに見た目は幼く見えるけど中身はしっかりしてるもんな。君も、彼女も」
左の腕を軽くさする。
「ガラスの破片で腕をざっくりやっちまった事があるんだが、彼女、顔色一つ変えずに手当してくれてな。おかげで跡一つ残らずきれいに治ったよ」
「あー……もしかして」
「ん?」
「メイリールさん、そのときにいました?」
「ああ、ヒウェル? いたよ、一緒に」
「でしょうね」
「もっと重症だったろ、ってブツブツ言ってた。ヨーコににらまれて黙ってたけどな」
「あなたは?」
「……思ったより軽くてラッキーだったと」
「そっか。だからかな、羊子さんが紹介してくれたの」
記憶を手繰る。
あの時、ヨーコの手が触れた瞬間、ずきずきと熱く疼いていた傷口がすっと楽になった。あの感触は、双子が力を使って怪我を治してくれた時に似ているような気がする。
「今思えば彼女は本当に『何か』したのかもしれない。だとしても俺のためを思ってしてくれたんだし。魔女だろうが妖精だろうが、いい友だちだってことに変わりはないよ」
「妖精は言い過ぎ……」
魔女は有りなのか、サリー。
「そのうちに、俺や彼女のことを、話す時が来るかもしれないですね。あ、でも」
「うん?」
「あなたの恋人の話、聞きたがってましたよ。すごく」
言葉の意味を理解した瞬間、頭のてっぺんからつま先まで凍り付いた。たっぷり十秒ほど。
それからじわじわと顔が熱くなり、硬直していた手足が自由を取り戻した時にはカッカと火照っていた。
「なっ……今さら………何聞きたいっつーんだ……………」
「俺に聞き出せって、メールで指令が。こっちに居ない間のことだから気になるんじゃないかな」
何を指令されたかは、だいたい予想がつく。
いつから付き合ってたの? 一緒に住んでるの? 先に告ったのはどっちよ?
だいたいこんなとこだろ。同級生の女の子から浴びせられる定番の質問だ。
「OK、サリー。直に俺からメールで報告入れとくよ」
「そうしてくれると助かります。正直に答えることないと思いますけどね、俺としては」
「うん……まあ隠すようなことでもないし。でも、君の言葉は覚えておくよ。ありがとな、サリー」
「そう言えばローゼンベルクさんとは俺、まだ直接会ったことはないですね」
「ああ」
レオン。
結局、『ごめん』はまだ言えていない。
「レオンがね。身よりのない子を引き取ったんだ」
ともすれば喉の奥に逃げこみそうな言葉を引っぱり出した。
「俺もその件についちゃ一枚噛んでるから………世話、してるんだ。飯とか、着るものとか、いろいろ」
「フォスターペアレント(里親)?」
「いや、それこそ結婚してなきゃ登録できないよ」
「……ですよね。それで?」
「その子たち双子なんだけど……あ、名前はオティアと、シエンって言うんだ。年は十六。それで………シエンって子の方に、言われたんだ。俺が『まま』で、レオンが『ぱぱ』だって」
サリーは何も言わずにうなずいた。何となく勇気づけられて先を続ける。
「その言葉につい有頂天になっちまってさ。無造作に踏み込んじまったんだよ」
「どこに?」
「……境界線の内側。テリトリーの中」
「噛まれた?」
「いや、気分的には……前足でビシっとやられたって感じかな。結局は他人なんだ……あの子にとって。それに気づかなかった自分が悔しくて。情けなくて、な」
「でも爪は出さなかった」
「………そうだな」
「家族の基本は夫婦ですけど、それは他人同士が一緒に住むところから始まるんですよ。血がつながっていたところで、信頼関係がなければ他人より悪くなる」
「信頼……してくれてるのかな……一緒に居ても逃げないくらいには」
「俺は、父とはほとんど会ったことがないんですけど。今でも自分に父がいる感じはしませんね」
「そうなのか?あれ、じゃあ、ヨーコと君は…ファミリーネームが同じだけど実際には、母方つながりってことか」
「ええ。羊子さんとはイトコだけど、姉弟みたいに育ちました」
静かな口調で語られる重たい話にどきりとした。
「俺にとっては、父より羊子さんのが『家族』だったんですよ。事実上」
「近くに居たから……か?」
「違う家に住んでましたけど、行き来が頻繁だったので」
「なるほどなあ。一人っ子って言う割には妙に面倒見が良かったんだ、彼女。姉さんみたいだって思う時があった。そうか、君がいたからなんだな、サリー」
「血がつながっていてもつながってなくても、結局は人と人の集まりなんだから、時間をかけていくしかないんでしょうね。お互いが歩み寄らないと一緒には暮らせない」
「歩み寄り、か…距離感を見極めるのが難しくってね。つい鼻面つっこんで『ふーっ』ってやられちまう」
サリーの腕の中のタイガーを見下ろし、肩をすくめる。さっきよりは軽く、明るく笑えたような気がした。
「難しい年頃ですしね。丁度、独立心がつよくなってきて。親や人に頼ることがかっこわるいって思う頃です」
つかの間記憶が巻き戻る。無鉄砲に突き進み、壁にぶつかるたびに頭突きで粉砕して前進していた十代のころに。
「……………ああ………君の言う通りだ。自分もそうだったのに、忘れてたよ。親父の七光りから抜け出したくって俺、シスコの高校に進学したんだ」
「へぇ、ここの出身じゃないんですか」
「うん。生まれはテキサスだ」
「テキサス……けっこう遠いなぁ。カウボーイハット似合いそうですね」
「うん、家にあるよ、テンガロンハット」
「あとで見せてください。たぶん、写真とったら羊子さんが喜ぶから」
「ああ、いいよ。……そうだ、ついでに晩飯食いに来ないか? 猫、見つけてもらったし、お礼がしたい」
「そうですね。ごちそうになろうかな」
「じゃあ、ぜひ」
次へ→【3-10-13】猫好きなの?
▼ 【3-10-13】猫好きなの?
「戻ったぞ」
事務所に入って行くとオティアがデスクから顔を上げた。
「ああ、オティア。彼はサリーだ。以前、何度かペット探しを手伝ってもらった。獣医の卵だよ」
「こんにちは」
「こっちはオティアだ。俺のアシスタントをしてる」
軽く頭をさげると、すっと立って簡易キッチンに向かった。相変わらずのポーカーフェイスだが、そこはかとなく視線の滞空時間が長かったような?
「もう一人のシエンは上で……レオンの事務所でバイトしてるんだ」
「ああ、法律事務所」
「うん。そこ、適当に座っててくれ」
手を洗い終わった所にちょうどいいタイミングでグラスに注がれたアイスコーヒーと、皿に盛られたマドレーヌが出てきた。
「サンキュ、オティア。お前は?」
「もう食べた」
「そうか」
確かに、いつものお茶の時間にしてはいささか遅い。
「これ、美味いぞ」
伏せた貝殻の形の焼き菓子をサリーにすすめる。言うまでもなくアレックスのお手製、アイスコーヒーも同様。
「いただきます」
するとソファにうずくまっていたタイガーがひょいと首をのばし、くんくんとサリーの手にあるマドレーヌのにおいをかいだ。
「食べる?」
サリーがマドレーヌのすみっこをちょいとちぎり、手のひらに乗せてさし出した。
「食うのか、お前」
くんくんくん………
念入りにおいを嗅いでから、あむっと一口で平らげた。慎重なんだか大胆なんだか。
ひとかけら食ったら満足したのだろう。ちょしちょしと顔を洗い始めた。
「……………」
顔を洗うタイガーの仕草をじっと見ている。ほんの少しスモークのかかった紫の瞳が。
なるほどね。気になってたのは猫だったのか。
「飼い主に連絡とるから、その間猫の世話頼んでもいいかな、サリー」
「ええ」
「ありがとな。助かるよ」
タイガーの飼い主に電話している間、背後で何やら会話の気配がした。
「猫好きなの? さわってみる?」
そーっと見てみると……オティアが手をのばして、茶色の虎猫を撫でていた。
そうか、猫好きだったのか……ああなんて穏やかな表情をしてるんだろう。
他の奴から見れば些細な変化だろうが、俺にとっては充分だ。
って言うかお前、初対面の相手とちゃんとコミュニケーションとれてるじゃないか!
「君、動物飼ってたことある?」
だまってふるふると首を横に振る。
「そっか、そのわりに上手いね猫の扱い」
言葉こそないが穏やかな空気の流れる二人の間で、猫がごろごろと喉を鳴らしていた。
※ ※ ※ ※
飼い主が迎えにくるまで、オティアはずっと猫をなでていた。
「タイガー!」
「なー」
「もう、お前って子は! ありがとうございますっ。本当にありがとうございますっ!」
山のような感謝と、ささやかな支払いを済ませて飼い主が猫を連れて帰って行くのを、オティアは微妙にがっかりした様子で見送っていた。
基本的にいつもと同じポーカーフェイスなのだが、トータルで見ているとそこはかとなく感じるのだ。
「猫、好きなのか?」
「………嫌いじゃない」
「そう、か」
つまり、好きってことだよな。
「よかったよかった、これで一件落着ですね」
サリーがソファから立ち上がる。
その時、初めて気づいた。猫を預かってる間、ケージ使わなかったような……。
ソファの上には赤みがかった猫の毛が散らばっている。そうだ、確かにずっとあそこにいた。いつもは逃げ出さないように飼い主がくるまでケージに入れておくのに。
「それじゃあ、俺もそろそろおいとまします。後で伺いますね。何時ぐらい?」
「そうだな……19時ぐらいに。住所はここだ」
メモ用紙から一枚とって、さらさらとマンションの住所を書いて手渡した。
「電話くれれば迎えに行くよ」
「いえ、たぶんわかります。それじゃ、ごちそうさまでした」
「おう。手伝ってくれてありがとな、サリー」
にこにこと手を振って、サリーは帰って行く。ドアが閉まってからオティアが問いただすような視線を向けてきた。
「……あーその……彼、夕飯に招待したんだ」
「ああ」
「高校ん時の同級生のイトコでな。今、こっちに留学してるんだ。日本から」
説明しながら慌ただしく携帯を引っぱり出し、Hの項目から一つ選んでかける。
「……何か用かぁ?」
あいかわらずゾンビみたいな声だ。すうっと深く息を吸い、挨拶をすっ飛ばして初手から本題に入る。
「お前、今日飯食いに来い。来るよな?」
「え、いや俺………」
「客が来るんだよ。お前も知ってる奴。知り合いが一人でも多く同席してた方が向こうだってくつろげるだろ?」
「誰、客って」
「サリー」
「げっ」
「お前の分も用意しとく。いいな?」
答えを聞かずに電話を切り、ふう、と息を吐く。
よし……言ってやったぞ。
俺が携帯を閉じるのを確認してからオティアがぼそりと言った。
「……レオン、知ってるのか?」
「あ」
慌てて電話をかける。今度はLの項目、一番上。
「やあ」
いつもと同じ声、同じ口調。だが、言葉が出てくるまでにほんの少しいつもより時間がかかっているような気がした。
(レオン、もしかして意識して『いつもと同じ』ように答えてるのか?)
できるだけ簡潔な言葉を選んで伝える。
夕食に客を招待した、と。サリーとレオンは直接会ったことはないが、今までに何度か彼のことを話していた。まったくの知らない仲と言う訳でもない。
「わかったよ。今日は早めに帰る。シエンにも言っておくよ」
「ああ。……………………すまん、勝手に決めて……」
「かまわないさ。歓迎するよ」
「ありがとな、レオン。それで………」
言わなければいけないことがある。
今、この瞬間に、伝えたい言葉がある。
「えっと……あの………その………」
ためらってる場合じゃないだろうが。腹くくって、行くぞ、よし!
「……ごめん、レオン………………ごめん」
小さな声だった。かすれて、よれて。携帯がギリで拾ってくれるかどうかの微かな声。
ほんの少し間があって、やわらかな囁きが返される。
「愛してるよ」
「俺もっ」
即答していた。勢い余って咳き込みそうになる。
オティアがちらっとこっちを見た。急に猛烈な羞恥心がこみあげてきた。
「……じゃあ……また後で……」
頬の火照りをおぼえながら電話を切る。
結局、愛してるとは言えなかった。
(いいさ。今夜二人きりになったらちゃんと言う)
※ ※ ※ ※
(まったくこいつら、職場で何やってるんだか)
オティアは内心やれやれとため息をついた。
あと30分あの調子でしゃべってたら新聞紙丸めてはり倒すことも考えたが、どうやらそこまでやらずにすんだようだ。
「あ………その………仕事するか」
「ん」
ちらりとソファの上に視線を向ける。茶色いふかふかの毛が散らばっていた。
(とりあえず掃除……しなきゃな)
コロコロクリーナーを取りにロッカーに向かった。
次へ→【3-10-14】コーンブレッド
事務所に入って行くとオティアがデスクから顔を上げた。
「ああ、オティア。彼はサリーだ。以前、何度かペット探しを手伝ってもらった。獣医の卵だよ」
「こんにちは」
「こっちはオティアだ。俺のアシスタントをしてる」
軽く頭をさげると、すっと立って簡易キッチンに向かった。相変わらずのポーカーフェイスだが、そこはかとなく視線の滞空時間が長かったような?
「もう一人のシエンは上で……レオンの事務所でバイトしてるんだ」
「ああ、法律事務所」
「うん。そこ、適当に座っててくれ」
手を洗い終わった所にちょうどいいタイミングでグラスに注がれたアイスコーヒーと、皿に盛られたマドレーヌが出てきた。
「サンキュ、オティア。お前は?」
「もう食べた」
「そうか」
確かに、いつものお茶の時間にしてはいささか遅い。
「これ、美味いぞ」
伏せた貝殻の形の焼き菓子をサリーにすすめる。言うまでもなくアレックスのお手製、アイスコーヒーも同様。
「いただきます」
するとソファにうずくまっていたタイガーがひょいと首をのばし、くんくんとサリーの手にあるマドレーヌのにおいをかいだ。
「食べる?」
サリーがマドレーヌのすみっこをちょいとちぎり、手のひらに乗せてさし出した。
「食うのか、お前」
くんくんくん………
念入りにおいを嗅いでから、あむっと一口で平らげた。慎重なんだか大胆なんだか。
ひとかけら食ったら満足したのだろう。ちょしちょしと顔を洗い始めた。
「……………」
顔を洗うタイガーの仕草をじっと見ている。ほんの少しスモークのかかった紫の瞳が。
なるほどね。気になってたのは猫だったのか。
「飼い主に連絡とるから、その間猫の世話頼んでもいいかな、サリー」
「ええ」
「ありがとな。助かるよ」
タイガーの飼い主に電話している間、背後で何やら会話の気配がした。
「猫好きなの? さわってみる?」
そーっと見てみると……オティアが手をのばして、茶色の虎猫を撫でていた。
そうか、猫好きだったのか……ああなんて穏やかな表情をしてるんだろう。
他の奴から見れば些細な変化だろうが、俺にとっては充分だ。
って言うかお前、初対面の相手とちゃんとコミュニケーションとれてるじゃないか!
「君、動物飼ってたことある?」
だまってふるふると首を横に振る。
「そっか、そのわりに上手いね猫の扱い」
言葉こそないが穏やかな空気の流れる二人の間で、猫がごろごろと喉を鳴らしていた。
※ ※ ※ ※
飼い主が迎えにくるまで、オティアはずっと猫をなでていた。
「タイガー!」
「なー」
「もう、お前って子は! ありがとうございますっ。本当にありがとうございますっ!」
山のような感謝と、ささやかな支払いを済ませて飼い主が猫を連れて帰って行くのを、オティアは微妙にがっかりした様子で見送っていた。
基本的にいつもと同じポーカーフェイスなのだが、トータルで見ているとそこはかとなく感じるのだ。
「猫、好きなのか?」
「………嫌いじゃない」
「そう、か」
つまり、好きってことだよな。
「よかったよかった、これで一件落着ですね」
サリーがソファから立ち上がる。
その時、初めて気づいた。猫を預かってる間、ケージ使わなかったような……。
ソファの上には赤みがかった猫の毛が散らばっている。そうだ、確かにずっとあそこにいた。いつもは逃げ出さないように飼い主がくるまでケージに入れておくのに。
「それじゃあ、俺もそろそろおいとまします。後で伺いますね。何時ぐらい?」
「そうだな……19時ぐらいに。住所はここだ」
メモ用紙から一枚とって、さらさらとマンションの住所を書いて手渡した。
「電話くれれば迎えに行くよ」
「いえ、たぶんわかります。それじゃ、ごちそうさまでした」
「おう。手伝ってくれてありがとな、サリー」
にこにこと手を振って、サリーは帰って行く。ドアが閉まってからオティアが問いただすような視線を向けてきた。
「……あーその……彼、夕飯に招待したんだ」
「ああ」
「高校ん時の同級生のイトコでな。今、こっちに留学してるんだ。日本から」
説明しながら慌ただしく携帯を引っぱり出し、Hの項目から一つ選んでかける。
「……何か用かぁ?」
あいかわらずゾンビみたいな声だ。すうっと深く息を吸い、挨拶をすっ飛ばして初手から本題に入る。
「お前、今日飯食いに来い。来るよな?」
「え、いや俺………」
「客が来るんだよ。お前も知ってる奴。知り合いが一人でも多く同席してた方が向こうだってくつろげるだろ?」
「誰、客って」
「サリー」
「げっ」
「お前の分も用意しとく。いいな?」
答えを聞かずに電話を切り、ふう、と息を吐く。
よし……言ってやったぞ。
俺が携帯を閉じるのを確認してからオティアがぼそりと言った。
「……レオン、知ってるのか?」
「あ」
慌てて電話をかける。今度はLの項目、一番上。
「やあ」
いつもと同じ声、同じ口調。だが、言葉が出てくるまでにほんの少しいつもより時間がかかっているような気がした。
(レオン、もしかして意識して『いつもと同じ』ように答えてるのか?)
できるだけ簡潔な言葉を選んで伝える。
夕食に客を招待した、と。サリーとレオンは直接会ったことはないが、今までに何度か彼のことを話していた。まったくの知らない仲と言う訳でもない。
「わかったよ。今日は早めに帰る。シエンにも言っておくよ」
「ああ。……………………すまん、勝手に決めて……」
「かまわないさ。歓迎するよ」
「ありがとな、レオン。それで………」
言わなければいけないことがある。
今、この瞬間に、伝えたい言葉がある。
「えっと……あの………その………」
ためらってる場合じゃないだろうが。腹くくって、行くぞ、よし!
「……ごめん、レオン………………ごめん」
小さな声だった。かすれて、よれて。携帯がギリで拾ってくれるかどうかの微かな声。
ほんの少し間があって、やわらかな囁きが返される。
「愛してるよ」
「俺もっ」
即答していた。勢い余って咳き込みそうになる。
オティアがちらっとこっちを見た。急に猛烈な羞恥心がこみあげてきた。
「……じゃあ……また後で……」
頬の火照りをおぼえながら電話を切る。
結局、愛してるとは言えなかった。
(いいさ。今夜二人きりになったらちゃんと言う)
※ ※ ※ ※
(まったくこいつら、職場で何やってるんだか)
オティアは内心やれやれとため息をついた。
あと30分あの調子でしゃべってたら新聞紙丸めてはり倒すことも考えたが、どうやらそこまでやらずにすんだようだ。
「あ………その………仕事するか」
「ん」
ちらりとソファの上に視線を向ける。茶色いふかふかの毛が散らばっていた。
(とりあえず掃除……しなきゃな)
コロコロクリーナーを取りにロッカーに向かった。
次へ→【3-10-14】コーンブレッド
▼ 【3-10-14】コーンブレッド
ディフからの電話を切ってから、なにげなくシャツのにおいをかいでみる。
……汗臭ぇ。ヤニも大概に染み付いてるな、これ。
顎を撫でると、伸びた無精髭が指に触れた。
それほど毛深いって訳じゃないんだが、三日間ひげ剃りさぼってたからなあ。さすがに客が来るのに、これはまずかろう。
「シャワー浴びてくるか」
※ ※ ※ ※
「腹減った。今日の飯、何?」
久々に顔を出すと、白地に緑のストライプのエプロンつけて髪の毛をきゅっと後ろで一つにまとめた……
要するにいつもの晩飯時のスタイルのディフがぬっと出てきてひとこと。
「カニだ」
「俺に何か恨みでもあるのかーっ!」
「ジョークだよ、ジョーク」
ポトフだった。
客を呼ぶにしちゃいささか地味なメニューだが今日は冷える。こう言うあったかいものが欲しくなる。
「いいタイミングだ。そろそろ来る頃だな」
「彼?」
「ああ」
ほぼ同時に呼び鈴が鳴り、ディフが玄関へと迎えに出た。
「おう、よく来てくれたな。待ってた」
「こんばんは。おじゃまします」
「もうちょっと準備にかかるからリビングで待っててくれ」
ほどなく眼鏡をかけた、ほとんど中学生みたいな黒髪の男を連れて戻ってきた。
「ヒウェル、覚えてるよな」
「どもー……」
「お久しぶりです」
にこにこと人畜無害な笑顔を浮かべちゃいるんだが。どうにも、その、ヨーコの従弟だと思うとこいつも油断できない何ゾがあるような気がしてっ!
「ひ、ひさしぶり……元気?」
「ええ」
落ちつかない。
「そ、そうか……ヨーコは?」
「元気ですよ。といっても、最近会ってなくて、メールばっかりですけど」
「そうか……」
シエンがひょこっとキッチンから顔を出して挨拶をする。
「こんにちは」
オティアはいつものように黙々とテーブルをセッティングしている。
「ああ、シエン。こいつサリーっての、高校生んときの同級生のイトコで今日本から留学中」
「サクヤ・ユウキです。サクヤって呼びにくいらしくて、サリーって呼ばれてるけど」
「何で、サリー?」
きょとんとして首をかしげるシエンにディフが説明した。
「ヨーコは教え子からメリィさんって呼ばれてるんだそうだ。メリィの従弟だから、サリー。わかりやすいだろ?」
前にも聞いた理屈だが、聞くたびに笑いたくなる。
「……メリィさんか……くっくっく、似合わねー」
呼ばれるたびにどんな顔してんだろうなあ、ヨーコ。
しばらく笑っていると、なぜか背筋がぞわっとした。あわてて周囲を見回す。
(ヒーウェールーぅうう?)
何だか今、彼女ににらまれたような……
いや、んな訳ゃない。気のせいだ。
ここはサンフランシスコ、ヨーコは太平洋の向こう側だ!
でも……なあ。
気がつくと背後に立ってそうで。ってか夢に出そうで油断できないんだよ、あの女は。
ぶるっと頭をふるって意識を現実に向ける。サリーが和やかにレオンと挨拶を交わしていた。
「できたぞ。冷めないうちに食え」
北欧製のどっしりした木の食卓に料理が並び、夕食が始まった。
「うわっぷ!」
深皿に盛りつけられたポトフを食おうとしたら眼鏡がくもった。
何だかこの感覚も久しぶりだ……この部屋に来るの自体、10日ぶりか? しばらく、こんなあったかい飯食ってなかったもんな。
と言うか、シエンが弁当持ってきてくれてから3日ぶりのまともな食事だ。
コンソメと塩、コショウで味付けしたシンプルなスープの中に、大きめに切ったキャベツやニンジン、タマネギ、カボチャ、ジャガイモなんかがごろごろ浸っている。肉類はソーセージと豚肉。けっこうでかい塊なのに、柔らかくて。口に入れて軽く歯を当てただけでほろりと崩れた。
付け合わせは茹でたナスとトマトのサラダ。ソイソースをベースにしたドレッシングで軽く和えてある。
添えられたコーンブレッドは、店で買ったにしちゃ妙にあったかいし、形も微妙にいびつで……まさか、これ自分で焼いたのか、ディフ?
地道に手ーかけてやがる。しかも、機嫌良さそうだ。そして、こいつがご機嫌だと必然的にレオンも上機嫌になる。
「そうか、君もカリフォルニア大学の学生なんだね」
「はい。今はシスコ市内の動物病院で実習を」
「え? 大学生?」
シエンが目を丸くした。
「……もしかして高校生だと思ったか、シエン」
「あー、よくあること、よくあること! 俺も最初会った時中学生だと思った」
「東洋人は若く見えるみたいで……学校にいても、すごいスキップしてきたのかと思われてね」
「そーいや日本には飛び級制ってないんだよな」
「ヨーコん時は……ああ、こいつの従姉なんだけどな。てっきり小学生だと思ってさあ」
「速攻で体に教え込まれてたよな」
「何やったんだろう、羊子さん」
「って、左右のこめかみに拳握って押し当てて、指の関節のとこでこう」
「ぐりぐりっと?」
「そう、ぐりぐりと」
「それ彼女の得意技です」
「だろーな。たびたび食らってた」
「ディフが?」
「いや」
「俺」
「……だろうね」
言われる前に自白したら、さらりとレオンに納得された。
「相手が強くても。年上でも向かっていっちゃうところがあるから……ちょっと心配でしたけどね」
「だ、ろうな。セクハラしてきた三年の男子に面と向かって『恥を知れ!』ってタンカ切ってた」
「やっぱり?」
双子が何となくディフの方を見ている。うんうん、俺もそう思うよ。だから気が合ったんだろうな。
「ちっちゃい頃、俺がいじめられてると飛んできて……手は出さずに口だけで相手を言い負かしちゃってましたね」
「さすがだな」
「って言うか泣かせてました」
「やっぱり?」
「弁護士向きの人材だね」
「残念ながら高校で先生やってます」
「ああ、それもある意味適職だね」
なごやかな会話を交わしつつ、何げなく双子とディフを観察してみる。
確かにシエンの言う通りだった。
双子と話す時はほとんどディフとシエンがしゃべって、オティアはたまにうなずいたりつっこんだりするくらいで、直接はディフと言葉を交わしていない。
「味薄かったら、塩足せよ」
「大丈夫。おいしいよ。ね?」
二人で顔を合わせ、オティアがうなずく。万事この調子だ。
「ポトフのお肉すごい柔らかいよね。どうやったの?」
「ああ、それは……叩いた」
「叩いた?」
「うん。金属の専用のハンマーがあるから、それで、ドンドンとな。肉の繊維が適度に破壊されて食べやすくなるんだ」
話しかけるのはもっぱらシエン、オティアが自分から話題を提供することはない。
ディフのほうも、無意識からしているのかわからないが、オティアにだけ話しかけるってことは、あまりない。
なるほどなあ……。
三人の間でなんとなく会話が成立してるのは間にシエンがいるからなんだな。
「そー言やお前さん、動物病院で実習中なんだよな、サリー」
「はい」
「やっぱ、あれか。変わったペットとか来る訳? チンパンジーとか、アメリカバイソンとか、ワニとか」
「どんな動物園だ」
「さすがに、それは……あ、でもこの間、ちょっと変わった子たちが来たな」
「どんな?」
「シェパードです。名前はヒューイとデューイって言ってたなあ。すごく頭がよくて」
「どの辺が変わってるんだ」
「警察犬だったんですよ」
ディフが懐かしそうに目を細める。
「……連中、元気だったか」
「とても。……って、あ、そうか。警察の方でしたね、元」
「ああ、元同僚だ」
「じゃあ連れてきた人もお知り合いかな」
「どんな奴だ?」
「背の高い、金髪の眼鏡かけた男の人です」
「ああエリックか」
ディフの後輩か。でも、あいつK9課でも爆発物処理班でもなかったような。
「……何で鑑識が警察犬連れて獣医に?」
「頼まれてって言ってましたよ」
断れなかったんだな、バイキング。あいつ微妙に押しに弱いから。
「ヒューイはフレンドリーだがデューイはちょいと気難しいからな。手こずったろ?」
「いえ全然。おとなしく注射させてくれましたよ」
「ほんとに? 大したもんだ」
「エリックさんの言うこともよく聞いてたし」
「うん、あいつ犬に好かれてるから」
※ ※ ※ ※
コーンブレッドを一口、口に入れるとサリーが「ん」と小さく声を出した。
「このパン、面白い味ですね。もちもちして、コーンスープみたいな味がする」
「ああ、コーンブレッドな。お袋にレシピ聞いて焼いてみた」
「自分で焼いたんですか? すごいなあ」
「それほどでもないぞ。アメリカの典型的な家庭料理だし」
やっぱホームメイドか、このコーンブレッド。とうとうパンも焼くようになっちゃったよ、この男は……。
「簡単だったよ、ボウル一つで材料まぜて、ハンドミキサーで混ぜて」
にこにこしながらシエンが言った。
「お前も一緒に?」
「うん。粉チーズとか入れても美味しそうだよね」
「そうだな、今度試してみるか」
確かに典型的な家庭料理だけどさあ。
ふつー母から娘に伝授されるもんだと思うぞ、こーゆーものは?
思わず心の中で突っ込んでから、はたと気づく。なんかこの感覚も久しぶりだなって。
ニセモノでもいい。他人の寄せ集まりでもかまやしない、どのみち俺には血のつながった身内は居やしない。
やはりここに居たいのだ、俺は。『家族』の中に居たいのだ。
何ができるのだろう。どうすればいいのだろう?
愚かにも一度自分の手で壊しかけた、この脆くも温かな絆を守るには……。
「アメリカの家庭料理か……お腹にたまりそうですね」
「ああ。腹持ちいいぞ。そう言や、日本の家庭料理ってどんなのがあるんだ?」
考えている間になごやかに食事は進み、のほほんとしたペースで平和な会話が進んで行く。
「こっちで有名なのは、スキヤキ、スシ、テンプラ……色々ありますけど」
サリーは顎に手を当ててちょっとの間考えてから、言った。
「日本人としては、ごはんと味噌汁、肉じゃが……寿司でも巻き寿司とか、かな?」
「マキズシ?」
「カリフォルニアロールの親戚かな」
「どう違うんだ?」
「主に中味と、巻き方」
「ふうん……」
ぱちぱちとまばたきしてから、ディフが言った。
「食ってみたいな、いっぺん」
「お前ほんと食うことには熱心だね」
「食って覚えるからな」
「時間さえあれば作れますけど」
「ぜひに!」
即答していた。
一斉に皆して注目してきた。レオンが。シエンが。ディフが。オティアでさえちらっとこっちを見たが、すぐに目を逸らしてしまった。
ここ数日の嫌な流れを変えたのが、サリーの存在だってのは確かなんだ。魔女の一族だろうが何だろうが、こいつに賭けてみようと思ったのだ。
「いいですよ−。えーっと……二週間ぐらいください。準備もあるし」
「そっか! ありがとな、サリー」
食後にディフがテンガロンハットを持ち出して、一人ずつ順番に被ってみた。
意外にオティアとシエンが似合っていた。レオンも予想外に決まっていた。テキサス生まれのディフは言わずもがな。アメリカンサイズの帽子はサリーには少し大きめで、タオルを詰めたらどうにか安定してくれた。
しかし、俺が被ると……何故か全員が微妙な顔をした。
食後の余興が終わるとオティアは食べ終わった食器を下げて、さっさとキッチンに行ってしまった。
「いつもあんな感じか?」
「ああ。あんな感じだね」
ヨーコが見たがるからと言ってサリーはディフと俺の写真を携帯のカメラで撮影し、お礼を言って帰っていった。
次へ→【3-10-15】可愛い弟
……汗臭ぇ。ヤニも大概に染み付いてるな、これ。
顎を撫でると、伸びた無精髭が指に触れた。
それほど毛深いって訳じゃないんだが、三日間ひげ剃りさぼってたからなあ。さすがに客が来るのに、これはまずかろう。
「シャワー浴びてくるか」
※ ※ ※ ※
「腹減った。今日の飯、何?」
久々に顔を出すと、白地に緑のストライプのエプロンつけて髪の毛をきゅっと後ろで一つにまとめた……
要するにいつもの晩飯時のスタイルのディフがぬっと出てきてひとこと。
「カニだ」
「俺に何か恨みでもあるのかーっ!」
「ジョークだよ、ジョーク」
ポトフだった。
客を呼ぶにしちゃいささか地味なメニューだが今日は冷える。こう言うあったかいものが欲しくなる。
「いいタイミングだ。そろそろ来る頃だな」
「彼?」
「ああ」
ほぼ同時に呼び鈴が鳴り、ディフが玄関へと迎えに出た。
「おう、よく来てくれたな。待ってた」
「こんばんは。おじゃまします」
「もうちょっと準備にかかるからリビングで待っててくれ」
ほどなく眼鏡をかけた、ほとんど中学生みたいな黒髪の男を連れて戻ってきた。
「ヒウェル、覚えてるよな」
「どもー……」
「お久しぶりです」
にこにこと人畜無害な笑顔を浮かべちゃいるんだが。どうにも、その、ヨーコの従弟だと思うとこいつも油断できない何ゾがあるような気がしてっ!
「ひ、ひさしぶり……元気?」
「ええ」
落ちつかない。
「そ、そうか……ヨーコは?」
「元気ですよ。といっても、最近会ってなくて、メールばっかりですけど」
「そうか……」
シエンがひょこっとキッチンから顔を出して挨拶をする。
「こんにちは」
オティアはいつものように黙々とテーブルをセッティングしている。
「ああ、シエン。こいつサリーっての、高校生んときの同級生のイトコで今日本から留学中」
「サクヤ・ユウキです。サクヤって呼びにくいらしくて、サリーって呼ばれてるけど」
「何で、サリー?」
きょとんとして首をかしげるシエンにディフが説明した。
「ヨーコは教え子からメリィさんって呼ばれてるんだそうだ。メリィの従弟だから、サリー。わかりやすいだろ?」
前にも聞いた理屈だが、聞くたびに笑いたくなる。
「……メリィさんか……くっくっく、似合わねー」
呼ばれるたびにどんな顔してんだろうなあ、ヨーコ。
しばらく笑っていると、なぜか背筋がぞわっとした。あわてて周囲を見回す。
(ヒーウェールーぅうう?)
何だか今、彼女ににらまれたような……
いや、んな訳ゃない。気のせいだ。
ここはサンフランシスコ、ヨーコは太平洋の向こう側だ!
でも……なあ。
気がつくと背後に立ってそうで。ってか夢に出そうで油断できないんだよ、あの女は。
ぶるっと頭をふるって意識を現実に向ける。サリーが和やかにレオンと挨拶を交わしていた。
「できたぞ。冷めないうちに食え」
北欧製のどっしりした木の食卓に料理が並び、夕食が始まった。
「うわっぷ!」
深皿に盛りつけられたポトフを食おうとしたら眼鏡がくもった。
何だかこの感覚も久しぶりだ……この部屋に来るの自体、10日ぶりか? しばらく、こんなあったかい飯食ってなかったもんな。
と言うか、シエンが弁当持ってきてくれてから3日ぶりのまともな食事だ。
コンソメと塩、コショウで味付けしたシンプルなスープの中に、大きめに切ったキャベツやニンジン、タマネギ、カボチャ、ジャガイモなんかがごろごろ浸っている。肉類はソーセージと豚肉。けっこうでかい塊なのに、柔らかくて。口に入れて軽く歯を当てただけでほろりと崩れた。
付け合わせは茹でたナスとトマトのサラダ。ソイソースをベースにしたドレッシングで軽く和えてある。
添えられたコーンブレッドは、店で買ったにしちゃ妙にあったかいし、形も微妙にいびつで……まさか、これ自分で焼いたのか、ディフ?
地道に手ーかけてやがる。しかも、機嫌良さそうだ。そして、こいつがご機嫌だと必然的にレオンも上機嫌になる。
「そうか、君もカリフォルニア大学の学生なんだね」
「はい。今はシスコ市内の動物病院で実習を」
「え? 大学生?」
シエンが目を丸くした。
「……もしかして高校生だと思ったか、シエン」
「あー、よくあること、よくあること! 俺も最初会った時中学生だと思った」
「東洋人は若く見えるみたいで……学校にいても、すごいスキップしてきたのかと思われてね」
「そーいや日本には飛び級制ってないんだよな」
「ヨーコん時は……ああ、こいつの従姉なんだけどな。てっきり小学生だと思ってさあ」
「速攻で体に教え込まれてたよな」
「何やったんだろう、羊子さん」
「小学生? あ、もしかしてものすごくスキップしたとか」
「教えてあげる……日本には飛び級制は……ないのよ」
「って、左右のこめかみに拳握って押し当てて、指の関節のとこでこう」
「ぐりぐりっと?」
「そう、ぐりぐりと」
「それ彼女の得意技です」
「だろーな。たびたび食らってた」
「ディフが?」
「いや」
「俺」
「……だろうね」
言われる前に自白したら、さらりとレオンに納得された。
「相手が強くても。年上でも向かっていっちゃうところがあるから……ちょっと心配でしたけどね」
「だ、ろうな。セクハラしてきた三年の男子に面と向かって『恥を知れ!』ってタンカ切ってた」
「やっぱり?」
双子が何となくディフの方を見ている。うんうん、俺もそう思うよ。だから気が合ったんだろうな。
「ちっちゃい頃、俺がいじめられてると飛んできて……手は出さずに口だけで相手を言い負かしちゃってましたね」
「さすがだな」
「って言うか泣かせてました」
「やっぱり?」
「弁護士向きの人材だね」
「残念ながら高校で先生やってます」
「ああ、それもある意味適職だね」
なごやかな会話を交わしつつ、何げなく双子とディフを観察してみる。
確かにシエンの言う通りだった。
双子と話す時はほとんどディフとシエンがしゃべって、オティアはたまにうなずいたりつっこんだりするくらいで、直接はディフと言葉を交わしていない。
「味薄かったら、塩足せよ」
「大丈夫。おいしいよ。ね?」
二人で顔を合わせ、オティアがうなずく。万事この調子だ。
「ポトフのお肉すごい柔らかいよね。どうやったの?」
「ああ、それは……叩いた」
「叩いた?」
「うん。金属の専用のハンマーがあるから、それで、ドンドンとな。肉の繊維が適度に破壊されて食べやすくなるんだ」
話しかけるのはもっぱらシエン、オティアが自分から話題を提供することはない。
ディフのほうも、無意識からしているのかわからないが、オティアにだけ話しかけるってことは、あまりない。
なるほどなあ……。
三人の間でなんとなく会話が成立してるのは間にシエンがいるからなんだな。
「そー言やお前さん、動物病院で実習中なんだよな、サリー」
「はい」
「やっぱ、あれか。変わったペットとか来る訳? チンパンジーとか、アメリカバイソンとか、ワニとか」
「どんな動物園だ」
「さすがに、それは……あ、でもこの間、ちょっと変わった子たちが来たな」
「どんな?」
「シェパードです。名前はヒューイとデューイって言ってたなあ。すごく頭がよくて」
「どの辺が変わってるんだ」
「警察犬だったんですよ」
ディフが懐かしそうに目を細める。
「……連中、元気だったか」
「とても。……って、あ、そうか。警察の方でしたね、元」
「ああ、元同僚だ」
「じゃあ連れてきた人もお知り合いかな」
「どんな奴だ?」
「背の高い、金髪の眼鏡かけた男の人です」
「ああエリックか」
ディフの後輩か。でも、あいつK9課でも爆発物処理班でもなかったような。
「……何で鑑識が警察犬連れて獣医に?」
「頼まれてって言ってましたよ」
断れなかったんだな、バイキング。あいつ微妙に押しに弱いから。
「ヒューイはフレンドリーだがデューイはちょいと気難しいからな。手こずったろ?」
「いえ全然。おとなしく注射させてくれましたよ」
「ほんとに? 大したもんだ」
「エリックさんの言うこともよく聞いてたし」
「うん、あいつ犬に好かれてるから」
※ ※ ※ ※
コーンブレッドを一口、口に入れるとサリーが「ん」と小さく声を出した。
「このパン、面白い味ですね。もちもちして、コーンスープみたいな味がする」
「ああ、コーンブレッドな。お袋にレシピ聞いて焼いてみた」
「自分で焼いたんですか? すごいなあ」
「それほどでもないぞ。アメリカの典型的な家庭料理だし」
やっぱホームメイドか、このコーンブレッド。とうとうパンも焼くようになっちゃったよ、この男は……。
「簡単だったよ、ボウル一つで材料まぜて、ハンドミキサーで混ぜて」
にこにこしながらシエンが言った。
「お前も一緒に?」
「うん。粉チーズとか入れても美味しそうだよね」
「そうだな、今度試してみるか」
確かに典型的な家庭料理だけどさあ。
ふつー母から娘に伝授されるもんだと思うぞ、こーゆーものは?
思わず心の中で突っ込んでから、はたと気づく。なんかこの感覚も久しぶりだなって。
ニセモノでもいい。他人の寄せ集まりでもかまやしない、どのみち俺には血のつながった身内は居やしない。
やはりここに居たいのだ、俺は。『家族』の中に居たいのだ。
何ができるのだろう。どうすればいいのだろう?
愚かにも一度自分の手で壊しかけた、この脆くも温かな絆を守るには……。
「アメリカの家庭料理か……お腹にたまりそうですね」
「ああ。腹持ちいいぞ。そう言や、日本の家庭料理ってどんなのがあるんだ?」
考えている間になごやかに食事は進み、のほほんとしたペースで平和な会話が進んで行く。
「こっちで有名なのは、スキヤキ、スシ、テンプラ……色々ありますけど」
サリーは顎に手を当ててちょっとの間考えてから、言った。
「日本人としては、ごはんと味噌汁、肉じゃが……寿司でも巻き寿司とか、かな?」
「マキズシ?」
「カリフォルニアロールの親戚かな」
「どう違うんだ?」
「主に中味と、巻き方」
「ふうん……」
ぱちぱちとまばたきしてから、ディフが言った。
「食ってみたいな、いっぺん」
「お前ほんと食うことには熱心だね」
「食って覚えるからな」
「時間さえあれば作れますけど」
「ぜひに!」
即答していた。
一斉に皆して注目してきた。レオンが。シエンが。ディフが。オティアでさえちらっとこっちを見たが、すぐに目を逸らしてしまった。
ここ数日の嫌な流れを変えたのが、サリーの存在だってのは確かなんだ。魔女の一族だろうが何だろうが、こいつに賭けてみようと思ったのだ。
「いいですよ−。えーっと……二週間ぐらいください。準備もあるし」
「そっか! ありがとな、サリー」
食後にディフがテンガロンハットを持ち出して、一人ずつ順番に被ってみた。
意外にオティアとシエンが似合っていた。レオンも予想外に決まっていた。テキサス生まれのディフは言わずもがな。アメリカンサイズの帽子はサリーには少し大きめで、タオルを詰めたらどうにか安定してくれた。
しかし、俺が被ると……何故か全員が微妙な顔をした。
食後の余興が終わるとオティアは食べ終わった食器を下げて、さっさとキッチンに行ってしまった。
「いつもあんな感じか?」
「ああ。あんな感じだね」
ヨーコが見たがるからと言ってサリーはディフと俺の写真を携帯のカメラで撮影し、お礼を言って帰っていった。
次へ→【3-10-15】可愛い弟
▼ 【3-10-15】可愛い弟
キッチンに向かうと水音が聞こえてきた。皿を洗ってるんだな。
のそのそと歩いていって、にゅっと鼻をつっこんでみる。
「手伝おっか?」
「……」
ちらっとこっちを見ただけで返事はない。だが、とにもかくにも存在を認めてくれた。
「遠慮すんな。二人でやった方が早い」
腕をまくって、勝手に手伝い開始。オティアが皿をざっと水ですすいで、食器洗浄機に入れる。
その間、オーブンの天板を洗う。まだほんのり温かい。
シンクにはコーンブレッドの材料を混ぜるのに使ったでかいボウルが水にひたしてあった。ついでにこれも洗っとくか。
鍋にはまだポトフが残っていた。いったいどれだけ大量に作ったのか。多分、温め直して明日の朝も食うのだろう。
「……オムレツ、うまかった」
鍋を見ながらぼそりと言う。オティアとは視線をあわせずに。
「シエンに頼まれたからだ」
「……そうなんだ」
ぱたん、と食洗機のフタを締めてスイッチを入れるとオティアはリビングに歩いて行き、一言ディフに報告を入れて。
「終わった」
「おう。おつかれさん」
すたすたと部屋に戻ってゆく。
見送っていると、ディフがこっちを見て首をかしげていた。
「何やってんだ」
「オーブンの天板、洗ってた。あとボウルも」
「……熱でもあるのか?」
つくづく失礼な男だねおい。一発シメとくか? とは言え、腕力では到底かなわない。しかし、“舌力”なら話は別だ。
「レオンは?」
「書斎。調べものがあるんだと」
察するに早く帰るために仕事を持ち帰ったな。だったらしばらく戻ってこないだろう。よし、今のうち。
「しかしさ…お前も双子の世話するようになってから何つーか…険が抜けたよな」
「…そうかね」
「何かさ、お前…このごろ……妙にその、なんつーか」
「言いたいことがあるんならはっきり言え」
「……………色っぽい」
顔をひきつらせ、ずざざっとディフが後じさる。
面白れぇ。
「人ごみとか混んでるバスの中とかケーブルカーん中では気をつけろよー痴漢されないように」
「貴様………さっき食ったもの今吐くか、あぁんっ?」
もわっと赤い髪の毛が逆立ち、眉がつり上がる。地獄の番犬みたいな面構えだが、かすかに頬が赤い。
「このうなじとか尻のあたりがねー撫でてさわってーつってるみたいで」
「寄るなーっ」
手をわきわきさせると、本気で怯えた顔して壁に張り付きやがった。
あー、面白ぇ……。
ささやかな勝利を噛みしめていると、背後に気配を感じた。まさか、レオンっ?
慌てて振り向くと、シエンが見ていた。
「……ジョークだよ、ジョークっ」
無駄に爽やかな顔ではっはっはと笑いながらディフの背中を叩く。
「なるほど……それが貴様のジョークか。ならば」
不穏な空気。
はっと気づくと、前屈みにされて。がっちりした右足が俺の左足に絡みつき、残りの足が脇腹に引っ掛けられて。
俺にとっては不自然極まりない体勢のまま、腕が背中側にぎりぎり引っぱられる。
「ぬおお、背筋がきしむ! ってか腕、腕がーっ!」
「これが俺のツッコミだ!」
「ノーノーノー、ロープ、ロープ、ロープ!」
※ ※ ※ ※
仲いいなあ、二人とも。
おとなげない大人二人を、シエンがにこにこしながら見守っていた。
その笑顔を見ながら、ヒウェルは必死で自分に言い聞かせていた。
シエンは弟。可愛い弟なんだ、と……。
※ ※ ※ ※
何ができるのだろう。どうすればいいのだろう?
この儚くも温かい、かりそめの『家族』を守るには。
(赤いグリフォン/了)
次へ→【3-11】ジャパニーズ・スタイル
のそのそと歩いていって、にゅっと鼻をつっこんでみる。
「手伝おっか?」
「……」
ちらっとこっちを見ただけで返事はない。だが、とにもかくにも存在を認めてくれた。
「遠慮すんな。二人でやった方が早い」
腕をまくって、勝手に手伝い開始。オティアが皿をざっと水ですすいで、食器洗浄機に入れる。
その間、オーブンの天板を洗う。まだほんのり温かい。
シンクにはコーンブレッドの材料を混ぜるのに使ったでかいボウルが水にひたしてあった。ついでにこれも洗っとくか。
鍋にはまだポトフが残っていた。いったいどれだけ大量に作ったのか。多分、温め直して明日の朝も食うのだろう。
「……オムレツ、うまかった」
鍋を見ながらぼそりと言う。オティアとは視線をあわせずに。
「シエンに頼まれたからだ」
「……そうなんだ」
ぱたん、と食洗機のフタを締めてスイッチを入れるとオティアはリビングに歩いて行き、一言ディフに報告を入れて。
「終わった」
「おう。おつかれさん」
すたすたと部屋に戻ってゆく。
見送っていると、ディフがこっちを見て首をかしげていた。
「何やってんだ」
「オーブンの天板、洗ってた。あとボウルも」
「……熱でもあるのか?」
つくづく失礼な男だねおい。一発シメとくか? とは言え、腕力では到底かなわない。しかし、“舌力”なら話は別だ。
「レオンは?」
「書斎。調べものがあるんだと」
察するに早く帰るために仕事を持ち帰ったな。だったらしばらく戻ってこないだろう。よし、今のうち。
「しかしさ…お前も双子の世話するようになってから何つーか…険が抜けたよな」
「…そうかね」
「何かさ、お前…このごろ……妙にその、なんつーか」
「言いたいことがあるんならはっきり言え」
「……………色っぽい」
顔をひきつらせ、ずざざっとディフが後じさる。
面白れぇ。
「人ごみとか混んでるバスの中とかケーブルカーん中では気をつけろよー痴漢されないように」
「貴様………さっき食ったもの今吐くか、あぁんっ?」
もわっと赤い髪の毛が逆立ち、眉がつり上がる。地獄の番犬みたいな面構えだが、かすかに頬が赤い。
「このうなじとか尻のあたりがねー撫でてさわってーつってるみたいで」
「寄るなーっ」
手をわきわきさせると、本気で怯えた顔して壁に張り付きやがった。
あー、面白ぇ……。
ささやかな勝利を噛みしめていると、背後に気配を感じた。まさか、レオンっ?
慌てて振り向くと、シエンが見ていた。
「……ジョークだよ、ジョークっ」
無駄に爽やかな顔ではっはっはと笑いながらディフの背中を叩く。
「なるほど……それが貴様のジョークか。ならば」
不穏な空気。
はっと気づくと、前屈みにされて。がっちりした右足が俺の左足に絡みつき、残りの足が脇腹に引っ掛けられて。
俺にとっては不自然極まりない体勢のまま、腕が背中側にぎりぎり引っぱられる。
「ぬおお、背筋がきしむ! ってか腕、腕がーっ!」
「これが俺のツッコミだ!」
「ノーノーノー、ロープ、ロープ、ロープ!」
※ ※ ※ ※
仲いいなあ、二人とも。
おとなげない大人二人を、シエンがにこにこしながら見守っていた。
その笑顔を見ながら、ヒウェルは必死で自分に言い聞かせていた。
シエンは弟。可愛い弟なんだ、と……。
※ ※ ※ ※
何ができるのだろう。どうすればいいのだろう?
この儚くも温かい、かりそめの『家族』を守るには。
(赤いグリフォン/了)
次へ→【3-11】ジャパニーズ・スタイル