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ローゼンベルク家の食卓

【3-10-14】コーンブレッド

2008/05/17 3:56 三話十海
 ディフからの電話を切ってから、なにげなくシャツのにおいをかいでみる。
 ……汗臭ぇ。ヤニも大概に染み付いてるな、これ。
 顎を撫でると、伸びた無精髭が指に触れた。
 それほど毛深いって訳じゃないんだが、三日間ひげ剃りさぼってたからなあ。さすがに客が来るのに、これはまずかろう。


「シャワー浴びてくるか」


 ※  ※  ※  ※


「腹減った。今日の飯、何?」

 久々に顔を出すと、白地に緑のストライプのエプロンつけて髪の毛をきゅっと後ろで一つにまとめた……
 要するにいつもの晩飯時のスタイルのディフがぬっと出てきてひとこと。

「カニだ」
「俺に何か恨みでもあるのかーっ!」
「ジョークだよ、ジョーク」

 ポトフだった。
 客を呼ぶにしちゃいささか地味なメニューだが今日は冷える。こう言うあったかいものが欲しくなる。

「いいタイミングだ。そろそろ来る頃だな」
「彼?」
「ああ」

 ほぼ同時に呼び鈴が鳴り、ディフが玄関へと迎えに出た。

「おう、よく来てくれたな。待ってた」
「こんばんは。おじゃまします」
「もうちょっと準備にかかるからリビングで待っててくれ」

 ほどなく眼鏡をかけた、ほとんど中学生みたいな黒髪の男を連れて戻ってきた。

「ヒウェル、覚えてるよな」
「どもー……」
「お久しぶりです」

 にこにこと人畜無害な笑顔を浮かべちゃいるんだが。どうにも、その、ヨーコの従弟だと思うとこいつも油断できない何ゾがあるような気がしてっ!

「ひ、ひさしぶり……元気?」
「ええ」

 落ちつかない。

「そ、そうか……ヨーコは?」
「元気ですよ。といっても、最近会ってなくて、メールばっかりですけど」
「そうか……」

 シエンがひょこっとキッチンから顔を出して挨拶をする。

「こんにちは」

 オティアはいつものように黙々とテーブルをセッティングしている。


「ああ、シエン。こいつサリーっての、高校生んときの同級生のイトコで今日本から留学中」
「サクヤ・ユウキです。サクヤって呼びにくいらしくて、サリーって呼ばれてるけど」
「何で、サリー?」

 きょとんとして首をかしげるシエンにディフが説明した。

「ヨーコは教え子からメリィさんって呼ばれてるんだそうだ。メリィの従弟だから、サリー。わかりやすいだろ?」

 前にも聞いた理屈だが、聞くたびに笑いたくなる。

「……メリィさんか……くっくっく、似合わねー」


 呼ばれるたびにどんな顔してんだろうなあ、ヨーコ。
 しばらく笑っていると、なぜか背筋がぞわっとした。あわてて周囲を見回す。

(ヒーウェールーぅうう?)

 何だか今、彼女ににらまれたような……
 いや、んな訳ゃない。気のせいだ。
 ここはサンフランシスコ、ヨーコは太平洋の向こう側だ!
 でも……なあ。
 気がつくと背後に立ってそうで。ってか夢に出そうで油断できないんだよ、あの女は。

 ぶるっと頭をふるって意識を現実に向ける。サリーが和やかにレオンと挨拶を交わしていた。

「できたぞ。冷めないうちに食え」

 北欧製のどっしりした木の食卓に料理が並び、夕食が始まった。
 
「うわっぷ!」

 深皿に盛りつけられたポトフを食おうとしたら眼鏡がくもった。
 何だかこの感覚も久しぶりだ……この部屋に来るの自体、10日ぶりか? しばらく、こんなあったかい飯食ってなかったもんな。
 と言うか、シエンが弁当持ってきてくれてから3日ぶりのまともな食事だ。

 コンソメと塩、コショウで味付けしたシンプルなスープの中に、大きめに切ったキャベツやニンジン、タマネギ、カボチャ、ジャガイモなんかがごろごろ浸っている。肉類はソーセージと豚肉。けっこうでかい塊なのに、柔らかくて。口に入れて軽く歯を当てただけでほろりと崩れた。

 付け合わせは茹でたナスとトマトのサラダ。ソイソースをベースにしたドレッシングで軽く和えてある。
 添えられたコーンブレッドは、店で買ったにしちゃ妙にあったかいし、形も微妙にいびつで……まさか、これ自分で焼いたのか、ディフ?

 地道に手ーかけてやがる。しかも、機嫌良さそうだ。そして、こいつがご機嫌だと必然的にレオンも上機嫌になる。

「そうか、君もカリフォルニア大学の学生なんだね」
「はい。今はシスコ市内の動物病院で実習を」
「え? 大学生?」

 シエンが目を丸くした。

「……もしかして高校生だと思ったか、シエン」
「あー、よくあること、よくあること! 俺も最初会った時中学生だと思った」
「東洋人は若く見えるみたいで……学校にいても、すごいスキップしてきたのかと思われてね」
「そーいや日本には飛び級制ってないんだよな」

「ヨーコん時は……ああ、こいつの従姉なんだけどな。てっきり小学生だと思ってさあ」
「速攻で体に教え込まれてたよな」
「何やったんだろう、羊子さん」


「小学生? あ、もしかしてものすごくスキップしたとか」
「教えてあげる……日本には飛び級制は……ないのよ」


「って、左右のこめかみに拳握って押し当てて、指の関節のとこでこう」
「ぐりぐりっと?」
「そう、ぐりぐりと」
「それ彼女の得意技です」
「だろーな。たびたび食らってた」
「ディフが?」
「いや」
「俺」
「……だろうね」

 言われる前に自白したら、さらりとレオンに納得された。


「相手が強くても。年上でも向かっていっちゃうところがあるから……ちょっと心配でしたけどね」
「だ、ろうな。セクハラしてきた三年の男子に面と向かって『恥を知れ!』ってタンカ切ってた」
「やっぱり?」

 双子が何となくディフの方を見ている。うんうん、俺もそう思うよ。だから気が合ったんだろうな。

「ちっちゃい頃、俺がいじめられてると飛んできて……手は出さずに口だけで相手を言い負かしちゃってましたね」
「さすがだな」
「って言うか泣かせてました」
「やっぱり?」
「弁護士向きの人材だね」
「残念ながら高校で先生やってます」
「ああ、それもある意味適職だね」

 なごやかな会話を交わしつつ、何げなく双子とディフを観察してみる。
 確かにシエンの言う通りだった。
 双子と話す時はほとんどディフとシエンがしゃべって、オティアはたまにうなずいたりつっこんだりするくらいで、直接はディフと言葉を交わしていない。

「味薄かったら、塩足せよ」
「大丈夫。おいしいよ。ね?」

 二人で顔を合わせ、オティアがうなずく。万事この調子だ。

「ポトフのお肉すごい柔らかいよね。どうやったの?」
「ああ、それは……叩いた」
「叩いた?」
「うん。金属の専用のハンマーがあるから、それで、ドンドンとな。肉の繊維が適度に破壊されて食べやすくなるんだ」

 話しかけるのはもっぱらシエン、オティアが自分から話題を提供することはない。
 ディフのほうも、無意識からしているのかわからないが、オティアにだけ話しかけるってことは、あまりない。
 なるほどなあ……。
 三人の間でなんとなく会話が成立してるのは間にシエンがいるからなんだな。

「そー言やお前さん、動物病院で実習中なんだよな、サリー」
「はい」
「やっぱ、あれか。変わったペットとか来る訳? チンパンジーとか、アメリカバイソンとか、ワニとか」
「どんな動物園だ」
「さすがに、それは……あ、でもこの間、ちょっと変わった子たちが来たな」
「どんな?」
「シェパードです。名前はヒューイとデューイって言ってたなあ。すごく頭がよくて」
「どの辺が変わってるんだ」
「警察犬だったんですよ」

 ディフが懐かしそうに目を細める。

「……連中、元気だったか」
「とても。……って、あ、そうか。警察の方でしたね、元」
「ああ、元同僚だ」
「じゃあ連れてきた人もお知り合いかな」
「どんな奴だ?」
「背の高い、金髪の眼鏡かけた男の人です」
「ああエリックか」

 ディフの後輩か。でも、あいつK9課でも爆発物処理班でもなかったような。

「……何で鑑識が警察犬連れて獣医に?」
「頼まれてって言ってましたよ」

 断れなかったんだな、バイキング。あいつ微妙に押しに弱いから。

「ヒューイはフレンドリーだがデューイはちょいと気難しいからな。手こずったろ?」
「いえ全然。おとなしく注射させてくれましたよ」
「ほんとに? 大したもんだ」
「エリックさんの言うこともよく聞いてたし」
「うん、あいつ犬に好かれてるから」


 ※ ※ ※ ※


corn2.jpg

 コーンブレッドを一口、口に入れるとサリーが「ん」と小さく声を出した。

「このパン、面白い味ですね。もちもちして、コーンスープみたいな味がする」

「ああ、コーンブレッドな。お袋にレシピ聞いて焼いてみた」
「自分で焼いたんですか? すごいなあ」
「それほどでもないぞ。アメリカの典型的な家庭料理だし」

 やっぱホームメイドか、このコーンブレッド。とうとうパンも焼くようになっちゃったよ、この男は……。

「簡単だったよ、ボウル一つで材料まぜて、ハンドミキサーで混ぜて」

 にこにこしながらシエンが言った。

「お前も一緒に?」
「うん。粉チーズとか入れても美味しそうだよね」
「そうだな、今度試してみるか」

 確かに典型的な家庭料理だけどさあ。
 ふつーからに伝授されるもんだと思うぞ、こーゆーものは?
 思わず心の中で突っ込んでから、はたと気づく。なんかこの感覚も久しぶりだなって。

 ニセモノでもいい。他人の寄せ集まりでもかまやしない、どのみち俺には血のつながった身内は居やしない。
 やはりここに居たいのだ、俺は。『家族』の中に居たいのだ。
 何ができるのだろう。どうすればいいのだろう?
 愚かにも一度自分の手で壊しかけた、この脆くも温かな絆を守るには……。

「アメリカの家庭料理か……お腹にたまりそうですね」
「ああ。腹持ちいいぞ。そう言や、日本の家庭料理ってどんなのがあるんだ?」

 考えている間になごやかに食事は進み、のほほんとしたペースで平和な会話が進んで行く。

「こっちで有名なのは、スキヤキ、スシ、テンプラ……色々ありますけど」

 サリーは顎に手を当ててちょっとの間考えてから、言った。

「日本人としては、ごはんと味噌汁、肉じゃが……寿司でも巻き寿司とか、かな?」
「マキズシ?」
「カリフォルニアロールの親戚かな」
「どう違うんだ?」
「主に中味と、巻き方」
「ふうん……」

 ぱちぱちとまばたきしてから、ディフが言った。

「食ってみたいな、いっぺん」
「お前ほんと食うことには熱心だね」
「食って覚えるからな」
「時間さえあれば作れますけど」
「ぜひに!」

 即答していた。

 一斉に皆して注目してきた。レオンが。シエンが。ディフが。オティアでさえちらっとこっちを見たが、すぐに目を逸らしてしまった。
 ここ数日の嫌な流れを変えたのが、サリーの存在だってのは確かなんだ。魔女の一族だろうが何だろうが、こいつに賭けてみようと思ったのだ。

「いいですよ−。えーっと……二週間ぐらいください。準備もあるし」
「そっか! ありがとな、サリー」

 食後にディフがテンガロンハットを持ち出して、一人ずつ順番に被ってみた。
 意外にオティアとシエンが似合っていた。レオンも予想外に決まっていた。テキサス生まれのディフは言わずもがな。アメリカンサイズの帽子はサリーには少し大きめで、タオルを詰めたらどうにか安定してくれた。
 しかし、俺が被ると……何故か全員が微妙な顔をした。


 食後の余興が終わるとオティアは食べ終わった食器を下げて、さっさとキッチンに行ってしまった。

「いつもあんな感じか?」
「ああ。あんな感じだね」


 ヨーコが見たがるからと言ってサリーはディフと俺の写真を携帯のカメラで撮影し、お礼を言って帰っていった。


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