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ローゼンベルク家の食卓

【3-10-11】猫とサリーと探偵と

2008/05/17 3:45 三話十海
 高校一年の十月、入学してやっとひと月立った頃にちょっと派手なケンカをやらかした。

「引っ込んでな、カントリーボーイ!」

 突き飛ばされて窓ガラスに激突し、夢中で腕を引き抜いて。ほとんど無意識のうちに相手の顔面にパンチをお見舞いしたらしい。
 気がつくと喧嘩の相手は逃げ出して、クラスの女の子たちや通りがかりの他の生徒が遠巻きに俺を見ていた。
 微妙に凍り付いたギャラリーをかき分けてヒウェルがのこのこ近づき、声をかけてきた。

「マックス」
「………あ?」
「痛くないのか?」

 その時初めて気づいたんだ。シャツの左袖が大きく裂けて。ざっくり一直線に走る傷口から、真っ赤な血がぽたぽたこぼれ落ちてるって。

「……そう言えば、ちょっと痛いような」
「いいから血、止めような」
「こう言う時って押さえるんだっけ、縛るんだっけ」
「それ以前に、布かなんか当てた方がいいと思うぞ」

 もちろんハンカチなんて気の利いたものは二人とも持っちゃいない。
 男二人でまぬけ面を付き合わせているところに、さっき助けた女の子のうち一人がつかつかと近寄ってきた。

「見せなさい」

 それがヨーコ・ユウキだった。

 日本からの留学生。
 小学生が背伸びしたみたいな見た目に反して姉さんみたいに面倒見がよくて。どこか俺たちとは違う視界を持っていて……心の奥深い所をすっと見通すような、不思議な女の子だった。


 ※ ※ ※ ※


「あれ、マクラウドさん?」
「よぉ、サリー。久しぶり」

 何だってそんなことを思い出したのかと言うと、今、目の前に立ってる少年(いや本当はとっくにそんな時期は過ぎてるんだが見た目がどうしてもね)が、彼女によく似た面影を宿しているからだ。

 気のせいなんかじゃない。れっきとしたDNAの繋がり故に。
 彼……サリーことサクヤ・ユウキはヨーコの従弟で、現在カリフォルニア大学に留学中。学部は違うがレオンの後輩に当たる。

「おひさしぶりです」

 眼鏡の向こうで濃い茶色の瞳が細められ、おだやかな笑みを浮かべる。
 顔かたちは似ているけど、まとう空気がまるで違う。ヨーコがしゃきっとした原色のストライプ模様なら、サリーはふんわりとした中間色の淡い水玉だ。

「それで………何やってんですか、こんなとこで」
「ん……まあ、ね、仕事中」

 聞きたくなる気持ちもわかる。こちとら四つん這いになって公園の植え込みの中からにゅっと顔出した所だからな。
 顔にも頭にも服にも、いたるところに木の枝だの葉っぱをくっつけて。

「ああ、ペット探し。猫ですか? 犬ですか?」
「猫」
「よかったら手伝いましょうか」
「助かるよ」

 灌木の下から這い出し、ばさばさと枝葉を払い落す。

「写真、ありますか?」
「これだ。名前はタイガー、茶虎で足に白靴下、四歳の雄」
「OK、それじゃ、俺はこっちを探しますね」
「じゃあ、俺はこっちに行こう。見つけたら携帯で連絡してくれ」
「わかりました」

 彼は獣医の卵で、以前に何度かペット探しを手伝ってくれたことがある。迷子のペットを探し出すのにかけては俺なんかよりよっぽど上手く、動物の扱いにも慣れている。
 時々、言葉が通じてるんじゃないかと思うくらいだ。

『俺は驚かないぞ。ヨーコが黒猫と話して、ホウキで飛んでいてもな!』
『お前……何を言ってるんだ』
『ジャパニメーションであっただろ、そーゆー話!』

 えらくファンタジックな方向に想像力を暴走させてたよな、ヒウェルの奴。
 怪我の一件以来、どうにもあいつはヨーコに頭が上がんなくなっていたっけ。

 だけど今なら。
 そう、オティアとシエンの存在を知った今なら、思うのだ。ヒウェルの想像もあながち外れてなかったんじゃないかって。

 思い巡らせつつ20分ほど猫を探してうろうろしていると……

「おっと」

 胸ポケットの中で携帯が震えた。
 取り出し、ディスプレイに表示される名前を見る。

「ハロー、サリー?」
「見つけましたよ。公園西側のベンチまで来てください。近くに大きなイチョウの木があります」
「わかった。すぐ行く」

 言われた場所に行くと、確かにサリーはベンチに座っていた。その周りには……いるわいるわ。
 大小さまざま、縞模様、ぶちもよう、白、黒、少し青みがかったグレイから銀色に近いのまで、トラジマ、キジトラ、その他もろもろ。
 大量の猫が集まっていた。

 みやお。
 みゃう。
 うなおーおう。

 甘えた声だ。欠片ほども警戒していない。
 そしてサリーはと言うとにこにこしながら何か餌を配っている。

「ケンカしちゃだめだよ。まだまだいっぱいあるからね……」

 そろりそろりと近づいて、猫どもを驚かさないよう、極力静かな声で話しかける。

「……サリー」
「あ、マクラウドさん。この子ですよね」

DSCF0011.jpg

 指さす先には、まさしく写真の通りの靴下はいた虎猫が一匹かりかりと、ちっぽけな魚みたいなのをひとつまみ、一心不乱に食べている。
 えらく気に入ってるらしい。

「ああ、そいつだ。……変わったキャットフードだな」
「これはイリコと言って、小魚を干したものです。おやつですね。カルシウムとるのにいいんですよ」
「そ、そうか……」

 カルシウムって、いらいらに効くんだっけ。

 ここ数日、食卓に流れるぎくしゃくした空気と。それに気づきながら、どうしようもできない自分に苛立つ日が続いていた。
 昨夜なんざとうとう、心配してくれるレオンに八つ当たりしてしまったのだ。

『放っとけ! お前に話したってどうにかなるもんじゃないだろ!』
『所詮は他人なんだよ……』

 レオンは何も言わず、少しだけ悲しげな顔をして、そうかもしれないね、とだけ言った。
 互いに背中を向けたまま眠りにつき、翌朝は何事もなかったようにおはようのキスを交わしたけれど……。
 
 両の眉から力が抜け、口元に苦渋混じりの笑みが浮かぶ。気まずさ、悔しさ、後悔、恥。ずっと胸の奥に押し込めてきた負の感情が一斉にわき上がる。ざらつく砂粒のように喉につまり、舌の根にわだかまる。
 一粒一粒が、やけに重たい。

「俺も、かじった方がいいのかな」
「はい、どうぞ」

 
 無造作にジップロックの袋から取り出し、手のひらに乗せてくれた。
 そして自分もひとつまみとって、ぽりぽりと食べ始める。

 しばらくベンチに並んで座ってイリコをかじった。猫に混じってぽりぽりと。

「……けっこう美味いね、これ」
「サンフランシスコの猫は魚好きでいいなぁ」
「魚の美味い町だからな」
「サクラメントでこれあげたら見向きもされなかったことが」
「ははっ、こっちの猫釣る時はもっぱらレバーだからな。あとターキー」
「レバーかぁ」

 ふにゅっと冷たいものが手に押し付けられる。自分の分を食い終わったタイガーが俺の手の中のイリコに注目していた。

「食うか? ん?」

 ふんふん、とにおいをかぐと食べ始めた。
 ああ、こいつは飼い猫だからなあ……。
 思わずため息が出る。

「どうかしました?」
「ん……プライベートで、ちょっと…な」

 そろりとタイガーに手をのばすと、耳を伏せて身体を低くして歯をむき出し、フーっと唸られた。
 慌てて手を引っ込める。

『無条件にそういう言葉を信じられるような育ち方をしてないんだ、俺達は』

 目を伏せる。

『放っとけ!』
『所詮は他人なんだよ……お前も、あの子たちも』

 自分の吐いた言葉に。言われた言葉に、ため息が漏れた。胸の奥から、深々と。
 ………ごめん、レオン。
 ごめん、シエン。

「だめだよ」

 サリーになでられ、タイガーは嘘みたいにおとなしくなった。もわもわに太くなっていた尻尾がすーっと元に戻って行く。

「良かったら、聞きますよ。解決にはならないかもしれないけど」


 ああ、同じだ、ヨーコと。
 どこか俺たちとは違った視界から、心の奥底まですっと見通すような不思議な目。
 どうする。
 何と言って説明したものか……今の俺と、双子と、レオンと(ついでにヒウェルと)の間にもつれてからまった繋がりを。
 しばらく迷ってから、微妙に目線をそらしつつ答える。小さな声で、ほとんど囁くように。

「子育てで、ちょっと」
「ご結婚、してましたっけ?」
「いや、独身。話すと長くなるんだが……」

 サリーはぱちぱちとまばたきして、タイガーをだきあげた。

「……この子届けに行きましょうか。歩きながらでも」
「そうだな」

 ベンチから立ち上がると、サリーは集まっていた猫たちに一言

「またね」

 さらりとあいさつして歩き出した。


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