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ローゼンベルク家の食卓

【ex2】ファーストミッション

2008/05/12 0:16 番外十海
  • 本編開始よりさかのぼること3年前、2001年から2002年にかけてのお話。
  • 当時はまだレオンはロウスクールの学生でディフは警察官でした。二人の間柄は恋人ではなくてあくまで親友。
  • ヒウェルは大学を出て新聞社に勤めたばかりの新米記者。この頃はまだ堅気だったのです。

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【ex2-1】ルースと呼ばれた子

2008/05/12 0:21 番外十海
 9月のはじめの、やたらと暑い日だった。
 たまたま出先でディフと会った。
 昼休みだと言うので一緒に飯を食い、その後スタンドでアイスでも食うかってことになった。

「ロッキーロードにトッピングはホットファッジで」
「……相変わらずだな。そんなにチョコばっか食って飽きないのか?」
「別に。好きなものはいくら食っても飽きないし?」

 たあいのない話をしていてふと、妙な気配を感じた。
 どうも、その……視線を感じる。それも微妙にいかがわしい気配のまとわりつく視線。新聞や雑誌の陰からちらちらと、ポルノ映画のポスターを盗み見ているような。
 原因は……ディフだった。
 
 警官の制服と言やアダルトショップのコスプレ衣装の定番中の定番だ。
 もっとも、こいつの場合はコスプレじゃなくて本物なんだが。

 ネイビーブルーの制服きた警察官が、舌つきだしてバニラアイスをぺろぺろと丹念になめたり。
 コーンの奥に入り込んだアイスを目を細めて舌つっこんでなめたり。
 しまいにゃコーンの下を噛み切ってこぼれたのを口で受けとめて食ったり。

 頬についたのを指ですくいとって口に入れて、指をぺろっと舐めて……。
 見られていると意識してるでもなし。見てる相手に狙って色気をふりまいてる訳でもない。ただ、いつものようにあるがままに振る舞ってるだけ、これが奴にとっての自然体なのだ。
 わかっちゃいるんだが………。

 大人になって、警察で揉まれてこいつもずいぶん強面になった。いい加減改善されてるだろうと思ったが甘かった。
 むしろ高校の時とくらべて格段にグレードアップしてやがる!
 あまりのエロさに硬直し、ふと思いついてカメラを取り出し、写真に撮った。

「何撮ってんだ」
「いや、ちょっとね。日常の記録ってやつ?」
「ふーん?」

 この写真、後日レオンに売りつけてみよう。いくらで買ってくれるかな?

「Hi、マックス! いいもの食べてるじゃん」

 軽快な声とともに弾むような足どりで女の子が走ってきた。
 浅黒い肌にカールしたブロンズの髪。年齢は14、5歳ってとこか。
 ちょいと痩せっぽちで前歯が大きく見えるがいい骨格をしてる。あと3〜4年もすりゃ美人になりそうだ。

「よう、ルーシー」
「もう、ルースって呼んでって言ってるじゃない」

 女の子は両手を腰に当ててぷっと口をとがらせた。

「その名前、のたーっとしてて好きじゃないの。ぜんっぜんCOOLじゃないし」
「OK、ルース」
「いい加減、覚えてよね!」
「すまん、つい」

 くすくす笑ってやがる。あ、もしかしてこの男、わざと言ってるのか? ルーシーって……。

(小学生か、お前はっ!)

「いいの? ポリスがバニラアイスなんか食べてて」
「お巡りさんだってアイスぐらい食うさ。それに今は休み時間だ。食うか?」
「うん!」
「何がいい?」
「ロッキーロード!」

 エロい食い方していたのが、がらりと雰囲気が変わってる。
 内心、ほっとした。

(そっか……こいつ、子どもの前だと男の顔から保護者の顔になるんだ)

「あ、この子はルースってんだ。相棒の娘。こいつはヒウェル、俺の高校の同級生」
「よろしく、ルース」
「あ! あなたが靴下丸めて脱ぎ捨てて、絶対片付けないヒウェル?」
「………そ、俺」

 いったいこいつはこの子に俺のことをどーゆー風に話したのか。
 わずかにひきつった笑いを浮かべつつ、三人で並んでアイスを食った。


「他にも知ってるよ、あなたの事。ウェールズ系で、カメラが好きで、チョコが好き」
「うんうん、よく知ってるねぇ……君も、ロッキーロード好きなんだ、ルーシ……?」

 むっとした顔でにらんできた。
 あー、確かにこりゃ可愛い。つい、やりたくなるディフの気持ちもわかる。

「……ス」
「うん。大好き。ダイエット中なんだけどね、今日は特別」
「ダイエットぉ? 君みたいなスマートな子がこれ以上細くなってどーすんの」
「んー、理想のウェストサイズまであともーちょっとなんだよね」

 久々に新鮮な会話だ。いかにもティーンエイジャーの女の子らしいや。
 アイスを食べ終わったところで、ふう、とルースがため息をついた。

「どうした、ルース。食った分のカロリーが気になるんならその分動けばいいだろ」

 いかにも体育会系なディフの発言に、ルースは微妙な笑顔で首を横に振った。

「そうじゃなくって。お弁当のことで、ちょっと……ね」
「弁当? 学食で食えば十分だろ」
「………そうじゃないの。最近、みんなと半分ずつ取り替えっこして食べるのが流行ってるから」
「へえ、最近じゃジュニアハイでもそんなことやってんだ」
「懐かしいなあ、俺もやったよ……小学校ん時」

「んー、男の子がやってるのとはちょーっと違うんだなぁ。それやらないと、女の子のグループから微妙に浮いちゃうって感じ?」
「ああ、なるほどね」
「そうなのか?」
「そうなんだよ。アイス、ごちそうさま。それじゃ、またね!」

 ルースを見送った後もまだディフは首をかしげていた。

「弁当と女の友情……どこがどう、つながってるんだ?」
「深く考えるな。あの年頃の女の子ってのは謎に満ちてるんだよ」
「そうだな……まあ、何にせよ弁当がため息の原因なら、あの子がしょげるのも無理ないか」

 ふう、と小さくため息をつくと、ディフはぐいっと手の甲で口元をぬぐった。

「あの子の父親はいい奴だが料理はあまり得意じゃないからな……奴が持たせる弁当と言や、ピーナッツバターにジェリーのサンドイッチがせいぜいだろうから」

 その口ぶりから何となく察した。
 ルースの家に母親はいない。父親と二人暮らしなのだと。


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【ex2-2】赤い髪のマックス1

2008/05/12 0:23 番外十海
 パパの相棒、マックスはすごく大きくて、がっしりしていて、目つきも鋭くて。
 最初会った時は怖かった。
 でも笑うと可愛い。
 ちょっとふわふわした赤い髪の毛はママに似てる。

 大人のくせに時々、同い年の男の子より子どもっぽい。かと思うと優しくて、あったかくて。
 でも、私のことを決して子どもあつかいしなかった。
 友だちとしていつも同じ目線で話してくれた。

 アイスをおごってもらった日の翌日、水曜日の朝。朝ご飯の途中で玄関のチャイムが鳴った。

「こんな朝っぱらに……誰だ?」

 パパが不機嫌そうにドアを開けたら、マックスが立っていた。

「よ、おはよう」
「マックス? どうしたんだ。今日は非番だろ」
「お互いに、な。ルースいるか?」
「あ、ああ」

 食べかけのトーストを放り出して玄関に走って行った。

「Hi!」
「よう、ルース! 良かった、間に合ったな。ほら、これ」

 かさっと紙袋を手渡された。ずっしりと重い。
 いいにおいがする。

「……え、これ……お弁当!?」
「ついでだよ、ついで。夕べ、ミートローフ焼いたから」

 ミートローフと野菜と卵のサンドイッチ。
 きちんと四つに切り分けてある。

「これなら分けて食うのに楽だろ? さすがにランチボックスまでは手が回らなかったけど」
「ありがとう!」

 がっしりした背中に腕を回して抱きついた。
 ごつごつしていて、堅いけど、あったかい。

「マックス……大好き……」
「ああ。俺も大好きだよ、ルース」

 見上げると、うれしそうにほほ笑んでいた。ヘーゼルブラウンの瞳を細めて、ご機嫌なゴールデンレトリバーそっくりの表情で。
 ほんと、こう言う時っていつものおっかない顔が嘘みたい……男の人だけど、やっぱりママに似てるな。


 ※ ※ ※ ※


 何てこった。

 娘と抱き合い、顔中笑み崩す相棒の姿を見ながらパリスは秘かに驚き、とまどっていた。

 最初にこいつが配属されて自分の相棒になった時は、何とも生意気そうな新人が来やがったと、正直うっとおしく思った。
 どうせテキサスレンジャーかぶれの、腕っ節の強さを鼻にかけたタフガイ気取りの男だろうと。

 一緒に勤務するうちに、そんな先入観はあっさり消えたのだが。
 実際彼の腕力は強かったが、最小限の労力で効率よく容疑者を取り押さえるやり方を心得ていた。
 たまに行き過ぎることもあったが、二言三言、助言を与えると素直に聞いて、二度と同じ失敗はくり返さなかった。
 殴られても。時にはナイフで切られても決して膝をつかず、犯人を逮捕してから「血が出てるぞ」と指摘するとそこで初めて痛そうな顔をする。

 つくづく無鉄砲な奴だと呆れ、同時に丈夫な男だと感心したもんだ。
 どこまでも一本気で、真っすぐで。長い事町を巡るうちに誰もが身につける灰色にも染まらず、真っ白なまま。それ故に敵も多いが降り掛かった火の粉は自らの手で払い、決して自分を曲げようとはしない。
 だが、相棒の自分に対してはどこまでも誠実で、裏切らない。
 彼から向けられる無条件の好意と信頼に最初のうちこそとまどったが、今ではすっかり空気を呼吸するように自然に受け入れている。

 
 110906_0012~01.JPG
 illustrated by Kasuri
 そんな男に。
 何故か今、妻の面影が重なる。自分を捨てて恋人と去って行った女の姿が。

(馬鹿な。錯覚だ)

 ああ。しかし……。
 何てきれいな髪の毛してやがるんだろうなあ、こいつは。赤くて、艶やかで、ほんの少しウェーブがかかっている
 ほんとにそっくりだよ。
 あの女に。


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【ex2-3】赤い髪のマックス2

2008/05/12 0:25 番外十海
「その制服も、じきに見納めだな」

 ロッカールームでフレディに言われた。
 年末の休暇が開ければ俺は爆発物処理班に移ることが決まっていた。

 911テロの後、市警察ではテロ対策でCSIと爆発物処理班の規模の拡大と人員の増強が行われた。
 爆発物処理班の班長は俺と同じスコティッシュで、以前から懇意にしてもらっていた。その彼が直々に俺をスカウトしてくれたのだ。

「マックス。君は化学と機械工学の学位をとってるそうだな。うちに……来るつもりはないか?」
「これからサンフランシスコで起きるであろう爆発のうち、一つでもいい。未然に防ぎたい。君の力を貸してくれ」

 チーフのその一言で転属を決意したが、パトロール警官にまったくの未練がないかと言えば嘘になる。
 何よりフレディと別の部署になるのが残念だった。警官として現場で必要なことは全て彼から教わった。新人としてこの署に配属されて以来、ずっと相棒で、友だちだった。そのコンビも、もうじき終わる。

「そうだな……まあ、式典の時なんかは着る訳だし。ガキの頃から憧れてたから、ちょっぴり寂しいけどな」
「俺も寂しいよ。お前、よく似合ってるし」
「ん……まあ、あれだ。CHiPsとどっちに入るか迷ったんだけど、あっちは制服、茶色だろ? 髪の色に合わないんだよ。どことなくぼけた感じになっちまう」
「あきれた奴だ。そんな理由で市警察に入ったのか!」
「高校生ん時の話だって! 勘弁してくれよ」

 フレディはポン、と肩に手を置いて顔を寄せてきた。

「お前、きれいな髪の毛してるな」
「そうかぁ?」
「伸ばさないのか」
「よせよ、ロンゲの警察官なんてしまらねぇ。俺の髪の毛、変なクセついてっからな。伸ばすと犬みたいだぞ、きっと」
「そんなことないだろ」

 肩にかかっていた手がすっと首筋をかすめて上に上がり、くしゃり、と髪の毛をなでられた。
 うわ、くすぐってぇ。
 思わず首をすくめる。

「本当に、きれいな赤毛だよ、お前は……」
「よせって。子どもじゃないんだから」
「赤毛の人間って気性が激しいんだってな……」
「ああ、よくそう言われる」
「ベッドの中でも」
「………そりゃ初耳だ」

 おいおい、警察のロッカールームでわい談か? 高校生じゃあるまいし。
 にやりと笑ったフレディが、また何やらロクでもないことを言いかけた所で奴の携帯が鳴った。

「鳴ってるぞ」
「……ああ。ったくこんな時に」

 ディスプレイを見るなり舌打ちして、俺の髪の毛から手を放し、離れて行った。

「今はまだ署内にいるんだ……ああ、後でかけ直す」

 込み入った電話らしい。
 一旦背中を向けて制服を脱いで。私服のシャツに袖を通しながらちらりと奴の方を振り返る。
 目が合った。
 薄い水色の瞳。どこか鋼鉄の輝きにも似ている。
 いつも隣で俺のことを見守ってくれた瞳が、なぜか……初めて見る、奇妙な光を宿しているように思えた。
 俺の視線に気づくと軽く手を振り、早足で部屋を出て行った。

 何だか、あまり感じのいい電話じゃなかった。

 心配だよ、フレディ。お前、まさかヤバい事に足つっこんでたり、しないよ……な?


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【ex2-4】アレックスは見た

2008/05/12 0:30 番外十海
 2002年2月。

 マクラウドさまの引っ越し準備は着々と進んでいる。
 あの方がレオンさまと同じマンションに引っ越したいと言い出した時は心の底からほっとした。あの方と離れている間、レオンさまは痛々しいほどに荒んだ生活をなさっておられたから……。
 これで、レオンさまも落ちつかれることだろう。
 すぐさま隣の部屋をご用意し、ロウスクールでの勉学と法律事務所でのバイトに忙しいレオンさまに成り代わり準備に手をつくした。

 今日もマクラウドさまのアパートを訪れたのだが、いかにも実用本意のがっちりしたシンプルな家具ばかりで。
 あの方らしいと思ってみていると、ふと風変わりな物体を見つけた。
 クマのぬいぐるみだ。だいぶ年季が入っている。

 はて……どこかで見たことがあるような……。

「すまんね、アレックス。わざわざ足運んでもらって」
「いえ。それが私の勤めでございますから……時に、マクラウドさま。何か必要なものはありませんか?」
「んー……」

 荷造りの始まった部屋の中をぐるりと見回していらっしゃる。

「今あるものだけで充分……あ、いや、ちょっと待て。本棚、しっかりしたの、用意してもらえるかな」
「本棚でございますか?」
「うん。一部屋まるごと書庫にしたいんだ」
「さようでございますか。どのお部屋をお使いになる予定ですか?」

 書庫に使う部屋と、収める本の量を確認してからアパートを出た。

 やはりあのクマは見覚えがある。しかしレオンさまに渡したはずのクマが、なぜマクラウドさまの部屋にあるのだろう……。
 首をかしげながら階段を降りて駐車場に向かう途中で……視線を感じた。
 さりげなく目を向ける。
 街路樹の陰に男が一人立っていた。ほとんど灰色に近い鋭い水色の瞳にブロンズ色の髪、浅黒い肌。ギリシャ系かイタリア系の血が混じっているのだろうか。
 
 こちらの視線に気づくと、ぷいと目をそらして足早に去って行く。
 妙だ。
 男が視界から消えてから、彼の居た位置に立ってみた。
 
「これは……」

 マクラウドさまの部屋の窓がよく見える。カーテンが開いていれば部屋の中まで見えそうではないか。ふと足元を見ると、真新しい吸い殻が何本も散らばっていた。
 そうとうな時間をこの場所ですごしていたようだ。

 レオンさまにお知らせするべきだろう。一刻も早く。


次へ→【ex2-5】レオンは見た

【ex2-5】レオンは見た

2008/05/12 0:33 番外十海
 アレックスから不審な男の報告を受けて以来、できるだけ時間を作ってディフのアパートを訪れることにした。
 主に水曜日……彼の非番の日に。すっかりそれが習慣になった、四月のある日。

「悪ぃな、お前にまで手伝わせて。飯、食ってくだろ?」

 午前中いっぱい引っ越しの準備をしてひと息入れると、ディフはいつものようにエプロンをつけて甲斐甲斐しく食事の仕度を始めた。
 
「何か手伝おうか?」
「いや、いい、休んでいてくれ」
「……わかったよ」

 仕方がないか。
 俺は料理には……と言うより家事全般に、壊滅的に向いていないのだから。素直にリビングに行き、ソファに腰かけて見るともなしに新聞を読んでいると、呼び鈴が鳴った。
 ディフが手を拭きながら大またで部屋を横切り、覗き穴から外を確認してから玄関を開けた。

「よう、フレディ」
「………客がいたのか」
「うん、学生時代からの友だちがな。前に話したことあったろ、レオンハルト・ローゼンベルクだ」
「ああ……覚えているよ」

 新聞を置いて、玄関の方を見る。
 刹那、視線がかち合った。
 ブロンズ色の髪の毛、水色の瞳、浅黒い肌………あの男か!
 
「あ、ちょうど飯できたんだ、食ってくか?」
「いや、いい。近くまで来たついでに寄っただけだから。じゃあ、またな」
「おう、ルースによろしくな」

 ドアの閉まる直前、男は刺すような目を向けてきた。むき出しの敵意に一瞬、背筋がぞくりと震えた。

「誰だい、今のは」
「同僚だよ。同じ署の。去年まで相棒だったんだ。いい奴だよ」
「そう………か」

 いい奴だって?
 君は気づいていないのか。
 
 ……そうだろうな。
 君はいつでも誰に対しても誠実で、裏表がない。一度信用した相手のことは決して疑わず、自分も誠意を尽くす。
 一本気で単純、と言ってしまえばそれまでだけど。

 ローゼンベルクのどろどろとした『家族』の騙し合いを見慣れた俺には、君が天使に見えたよ。
 だけど君が君のやり方で生きて行くには優しくない世界だから……。


 君を守りたい。親友として。

(それでいいんだ。そうあり続けようと自分に誓った)

 そのためならどんな手段も使う。あらゆる物を利用しよう。
 そのまっさらな魂が汚れぬように……。



 ※ ※ ※ ※


 パリスはアパートを出て歩き出した。
 街路樹の下の『定位置』にはとてもじゃないが立っていられなかった。

 レオンハルト・ローゼンベルクの名前は何度か聞いたことがあった。高校時代のルームメイトで、今でも親友なのだと。
 嘘をつくな、マックス。あれが親友だって? 冗談じゃない……。

 求めても。
 願っても。
 奴の心は他の男に向けられている。

 お前も同じなのか。
 俺を捨てて出ていったあの女と。

 目を閉じると艶やかな赤い髪の毛がまぶたの裏に翻る。
 今頃、ローゼンベルクの指があの柔らかな赤色をかき上げているのだろうか。

 腹立たしい。忌々しい………許せない。
 気が狂いそうだ。
 お前が他の奴を見ているなんて。俺以外の男の前で、あんな嬉しそうな顔してるなんて我慢できないよ、マックス。
 天使のような純情そうな顔をして、しっかり男をくわえこんでいやがったか。

 腹の底からふつふつと、青黒い炎が噴き上がる。

『お前をねじ伏せてやりたい』
『屈服させて。打ちのめして。徹底的に汚してやりたい……』

 ああ………そうだ。
 手に入らぬものならば、いっそ自分で壊してしまおうか。
 他の奴なんかで代用せずに。


次へ→【ex2-6】ヒウェル釣られる1

【ex2-6】ヒウェル釣られる1

2008/05/12 0:37 番外十海
 勉学の甲斐あって無事に大学を卒業、さらに一応成績優秀だったおかげでいわゆる一流の新聞社に潜り込むことができた。
 できたけど、それだけ。
 新米の俺に回ってくる仕事と言や、イベントの取材やらインテリアやグルメ、ペットの紹介記事とか実に細々としたお仕事ばっかりで……。
 このままじゃダメなんだ。与えられた仕事をこなすだけじゃ。
 自分から狩りに出なけりゃ、事件を射止めることなぞできやしない。とは言え、道を歩いていてそうおいそれとど派手な事件に出くわすはずもなく、悶々としているうちに日は流れて行く。

 その日も、ガーデニングと、キルトと創作パイの展示発表会の記事なんぞをたらたらとまとめていた所に携帯が鳴った。
 こりゃまた珍しい。『姫』から電話かかってくることなんざ滅多になかったのに。

「ハロー、レオン?」
「やあ、ヒウェル。念願の記者になれたそうだね、おめでとう」
「そりゃどーも。どーにかバーテンにならずにすみました、おかげさんで」
「ところで、面白い話があるんだ。とある警察官の不祥事について……聞きたいかい?」
「詳しく聞かせてください」

 手帳を引っぱり出してページをめくる。どうやら運が向いてきた。それとも罠か?
 どっちでもいい。
 とりあえず食い付いてから考えよう。

「俺が世話になってる事務所で担当した被疑者がね。ああ女性だったんだが……とある警察官に、事情聴取にかこつけてハラスメントを受けていたんだよ」
「セクシャルな?」
「まあね」

 どっちかと言うとゴシップ誌向きなような気がしないでもないが。いつの時代も人はこの手の話題を読みたがる。
 金を払って新聞を買う読者であれ。ネット上のニュースの見出しを何気なくクリックして流し読みする読者であれ。
 この手の話題には、ほぼ必ず食い付く。加害者がサンフランシスコ市警察の警官となればなおさらに、二重のスキャンダルに夢中になる。

「で、その警察官の名前は? ああ、ご心配なく、そのご婦人の名前はチラとも出しゃしませんよ。加害者の名前さえわかればいい」

 そう、ここで大事なのはむしろ被害者より加害者(いや、容疑者か?)が誰であるか、だ。
 獲物はそいつだ。

「君ならそう言うと思ったよ……フレデリック・パリスだ」


 ※ ※ ※ ※


 電話を切ってからレオンは小さく安堵の息をついた。
 これでいい。

 あれからも度々、アパートの周囲でパリスとすれ違った。先輩弁護士のデイビットについて市警察に行った際にも。
 その度に敵意と悪意をむき出しにした目を向けて来たが、もう恐ろしいとは思わなかった。

 彼が手を染めていたのは、被疑者へのセクハラだけではない。対象も女性だけではなかった。
 巡回区域のチンピラから上前を跳ね、さらにそれを束ねる犯罪組織とも繋がり、目こぼしと情報の見返りに恩恵を受けていたような腐った男だった。突けばいくらでも膿みが出そうだ。
 こんな奴と相棒だったのかと思うと寒気がした。

 だが、そんな男だからこそ、ディフに惹かれもしたのだろう。暗闇の中にいると星はことさらに明るく、輝いて見えるものだ。

(俺も……ある意味、彼と同じ、なのかな)

 だからこそ、恋人として触れることはしないと決意した。どんなに狂おしくこの身が……魂が、彼を求めても。
 
 時々、途中経過を確認するべきかもしれないな。詰まっているようなら、次のヒントを与えてやろう。もっとも、ヒウェルなら放っておいてもいろいろ探り出しそうな気がするけれど。
 さしあたって自分はディフの身辺の安全にさえ気を配っていればいい。


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【ex2-7】ヒウェル釣られる2

2008/05/12 0:45 番外十海
 さすがに市警察は口が堅い。しかし、件の不良警官、フレデリック・パリスの交友関係は実にバラエティに富んでいて。また、その中には彼を蹴落とすためならいくらでも喋ってくれる『お友達』も存在したのである。

 ウワサの尻尾を掴めば、後は裏付けを取りさえすれば良かった。本来の仕事をこなしつつ、カメラを抱えてパリスに張り付き続けること約二ヶ月弱。六月も終わり、直に七月と言う頃にようやく、決定的な一枚を写すとことに成功した。

 それからはもう、夜も昼もなく寝食の暇を惜しんで執筆に没頭し……一週間後に半ばゾンビになりつつ、書き上げたレポートをプリントアウトし、物的証拠と入念な調査結果を揃えてペットの紹介記事と一緒にデスクに提出した。

 読み終わるまで、デスクは一言も喋らなかった。柄にもなくおどおどしながら待っていると、ばさりと紙の束を置いて一言。

「足りないな」
「裏付けが?」
「いや。お前さんの名前だよ。書いた奴の名前書かないでどうするんだ?」
「え? それって……」
「さっさと書け。手書きでいいから」

 震える手で胸ポケットからボールペンを抜き取り、自分の署名を記事の最後に書き加えた。
 初めての署名入りの記事だ……やったぜ、ちくしょう!

 しかしその反面、かすかな疑いがくすぶっていた。消し忘れたおき火のようにちろちろと。
 もしかして、俺は、体よく『姫』に使われたんじゃないかって。



 ※ ※ ※ ※


 新聞の出る前に、報告に伺った。ネタを賜った張本人なんだ、締めくくりを知らせるのが筋と言うもんだろう……ってのは建前で。
 例の疑いを確認しておきたいってのもあったんだ。
 謁見の場は、ブラッドフォード法律事務所……彼のバイト先だ……を指定された。
 その方がいい。この話、断じて自宅でする訳には行かない。何てったって今や、フレデリック・パリスの元相棒だった男が隣に住んでいるのだから。

 事務所を訪れ、さすがに堅くなりながら来訪の旨を告げると、受付嬢と楽しげに話していたやたらフレンドリーで声のでかいラテン系の男が中へと案内してくれた。

「Hey,レオン! 君のお友達を連れてきたよ」
「ありがとう、デイビット。申し訳ないけれど少し外してもらえるかな。デリケートな話なんだ……彼は新聞記者なんだよ」
「おお、そうだったのか。クロニクル? イクザミナー?」
「一応、Eのつく方で……あ、これ名刺です」
「ほう、確かに! じゃあ私からも」

 入れ違いに彼から渡された名刺には、デイビット・A・ジーノと書かれていた。

「それじゃ、ごゆっくり!」

 Mr.ジーノが出て行くと、急に応接室の中はシーンと静かになった。

「座って。長くなるんだろう?」
「ええ、まあ……ね。煙草いいっすか?」
「かまわないよ」

 革張りのソファに腰を降ろし、一本取り出して口にくわえる。愛用の赤い模様の入った銀色のオイルライターで火を着けて一服吸い込み、肺にためてから吐き出す。
 ミントの香りが鼻腔から喉、胸、腹へと走り抜ける。
 よし、だいぶすっきりしたぞ。

「例の警官の記事ね。明日の朝刊に出ます。一応、ご報告しとこうと思って」
「思ったよりはやかったね」
「最近、めぼしい事件もありませんでしたからね。何か、インパクトのある目玉が欲しかったんでしょう」

 くいっと眼鏡の位置を整えて、レオンと目線を合わせた。
 ほほ笑んでる。
 やわらかな和毛にくるまれた小鳥みたいな顔で。(だまされないぞ、あんたの中身はそんな可愛げのあるもんじゃない)
 
「……あなたの言う通り、事情聴取にかこつけて女性にセクハラしてました。年齢も職業もバラバラだけど、共通項が一つあった」
「ほう?」
「被害者が全員、見事な赤毛だったんですよね」
「そうらしいね」
「男も何人かいた。両方、イケるくちだったみたいですね」
「何度もやっているだろうとは思ったんだが、そこまで広範囲だとは思わなかったな」
「……本当に?」
「よく居るだろう? セクハラとコミュニケーションを混同しているタイプ。それとは少し違うなと思ったからね」
「ええ。赤毛に異様な執着を持ってる奴だった。証拠と称して被害者の髪の毛を一房ずつコレクションしてやがった……」
「彼の別れた奥さんも赤毛だったそうじゃないか」

 やっぱり知ってたんだな。だが、それだけじゃないだろ。俺は知ってる。あなたも知ってるはずだ、レオン。
 クリスタルガラスの灰皿に煙草をねじ込み、じわりと駒を進めた。

「俺たちの『共通の友人』と同様にね。これって、単なる偶然でしょうか?」
「……不満そうだね。じゃあ種明かしをしようか」
「ええ、ぜひ」
「その男、俺がディフの家にいる時に尋ねてきたことがあってね」
「引っ越す前? 後?」
「前、だ」
「……」
「そのあとも彼の家の周辺で何度か見かけた」
「つきまとってた……いや、狙ってた?」
「署内で顔をあわせることもあったんだが、やけにからんでくるしね。少し聞いてみたら、他の赤毛の女性にも同じようなことをしていたらしい」
「あいつ、そっち方面に対する警戒心まっっったくないからなぁ……」
「その分こちらが心配してあげればいいだけさ」
「……怖い人だ……」
「あれだけあからさまに敵意を向けられたら嫌でも気づくよ」
「そりゃあディフがあなたに向ける目は…別格ですから。嫌でも気づきます…………………本人以外は」

 うっすらとレオンが微笑う。さっきみたいな作り笑いじゃない。
 本気の……しかし、ひとかけらの温かさもない、月よりもなお冷たい笑みだった。
 ひと目見た途端、体の中心から生きて行くための根本的な熱みたいなものが、すうっと奪われるのを感じた。

 その時、思ったのだ。
 二度とこの男には逆らうまい、と。

「明日の朝刊、楽しみにしてるよ、ヒウェル」


 ※ ※ ※ ※


 俺の書いた記事は翌日の朝刊を飾り、ほどなくフレデリック・パリスは逮捕、警察を懲戒免職された。
 親父とお袋からは電話がかかってきて、『この新聞は額縁に入れて飾る!』とまで言われた。
 ちょっとは恩返し、できたのかな。

 ただ唯一この事件で悔やむことがあるとすれば、奴がルースの父親だったってことだ。
 
 続けて追いかけたかったのだが、第二報から先は俺はこの件の担当を外されて、然るべきベテランの記者がとって代わった。
 どうやら体のいいトカゲの尻尾にされていたらしい。
 事が事だけに万が一『外れ』を引いた場合、斬り捨てても惜しくない新米に署名を入れさせたって訳だ。記事に署名を入れるってのは、つまりそう言うことなのだ。

 ……なるほどね。よーくわかった。
 そう言うことならこの先、自ら進んでヤバい事件に首をつっこんでやろうじゃないの。
 斬り捨て上等、どんどん露払いを買って出て、署名入りの記事を書きまくってやる。
 その調子で二年、いや一年も実績を積めば、フリーになっても食って行ける程度にハクも着くだろうよ。

 せいぜい俺を利用するがいい。俺もあんたらを利用する。



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【ex2-8】7月の雨

2008/05/12 0:48 番外十海
「……センパイ?」
「ああ……エリックか」
「コーヒー、冷めちゃってますよ」
「そーだな」

 別にコーヒーが飲みたかった訳じゃない。ただ一人になりたかったんだ。今、詰め所にいると嫌でもフレディの話が耳に入っちまう。

「……雨、降ってますね」
「ああ、予報通りだな」

 そのまま二人でぼんやりと、休憩室の窓から外を眺めていた。
 雨粒があとからあとからぶつかって、滴り落ちて。霞んで歪んだ風景の中に、ちらりと見覚えのある人影が見えた。

「……あれはっ」
「センパイ?」

 紙コップを放り出して外に飛び出した。
 降りしきる雨の中にぽつんと、やせっぽちの女の子が立っている。白い服を着て、傘もささずに。ブロンズ色の髪の毛がぐっしょり濡れて顔の回りにへばりついている。

「ルース」

 小さな体が腕の中に飛び込んで来る。
 黙って受けとめ、自分の体で包み込んだ。降りしきる雨から少しでもこの子を守りたくて。

「や……わたし……他所になんか……行きたくない」
「ルース。ママが心配するぞ?」
「知らない、ママなんか!」

 水色の瞳がすがりつくように見上げてくる。ここに居たいと訴えている……。
 だけど。
 ふっと雨が途切れる。背後から誰かが傘をさしかけていた。

「センパイ」
「……エリック。迷子を保護した。名前は………ルーシー・ハミルトン・パリス」

 びくっと細い肩が震える。耳慣れぬ母親の姓に反応したのだろう。

「マックス……いや、お願い」

 かすれた声で言いながら首を横に振る。喉元にせり上がる苦い塊を飲み下し、言葉を続けるしかなかった。

「母親が探してるはずだ。知らせてくれ」
「了解」

 片手で傘を持ったまま、エリックは携帯を取り出し、電話をかけた。
 ルースが顔をくしゃくしゃに歪めて、つっぷしてくる。俺の胸に体を埋める様にして。

(ごめんな、ルース)

 黙って背中を撫でる。
 今の俺には、君を受けとめることはできない。
 だから、せめてずっと君を抱きしめていよう。迎えが来る、その瞬間まで。

「センパイ。すぐに母親が迎えに来るそうです」
「…………そうか」

 鉛色の空から、あとからあとから透明な糸が降りて来る。
 ちくしょう。
 7月だってのに、なんて冷たい雨なんだろうな………。


(ファーストミッション/了)

後日談→アフターミッション
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【ex2-0】登場人物紹介

2008/05/12 1:07 番外十海
【ヒウェル・メイリール】
 新米の新聞記者。21歳。
 黒髪、アンバーアイ、身長180cm、細身(と言うか貧弱)
 フレーム小さめの眼鏡着用。
 この頃はまだ堅気。
 口先と舌先、指先を駆使して世を渡る、小悪党と言う言葉がぴったりのこずるい男……の萌芽はすでにちらほら。

【レオンハルト・ローゼンベルク】
 通称レオン
 カリフォルニア大学サンフランシスコ校のロウスクールに通う傍ら、法律事務所でバイト中。
 ヒウェルとは高校時代からの友人。22歳。
 ライトブラウンの髪と瞳、身長180cm、着やせするタイプで意外と筋肉質。
 一見、温厚そうな美人さん、実は腹黒。実家は金持ちだが家族への情は薄い。
 ディフとは一生親友でいようと心に決めていた。

【ディフォレスト・マクラウド】
 通称ディフ、もしくはマックス。
 サンフランシスコ市警察の警察官。21歳。
 ゆるくウェーブのかかった赤毛、ヘーゼルブラウンの瞳、身長180cm、肩幅やや広め。
 がっちりした骨格に適度な筋肉のついた頑丈そうな体格。(実際、丈夫)
 裏表のない直情家、世話好きでおせっかいな熱血漢。
 ヒウェルは高校の同級生で、レオンとは学生時代からの無二の親友。

【フレデリック・パリス】
 通称フレディ。
 サンフランシスコ市警察の警察官でディフの相棒。34歳。
 妻と離婚して娘のルースと二人暮らし。

【ルーシー・パリス】
 通称ルース。ルーシーと言う名前は「COOLじゃないから好きじゃない」らしい。
 フレディの娘、14歳。
 ディフになついている。

【アレックス】
 フルネームはアレックス・J・オーウェン。
 レオンの執事。
 有能。万能。瞳の色は水色。

【デイビット】
 熱いハートをたぎらせた陽気で女性に優しいラテン系弁護士。
 レオンのロウスクールの先輩で同じ法律事務所に勤めている。

【エリック】
 シスコ市警の鑑識課のラボ研究員。
 ディフの後輩、18歳。大学を飛び級しまくったバイキングの末裔。
 ライトブロンド、瞳は青緑色、身長186cm。
 金属フレームの眼鏡着用。


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