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ローゼンベルク家の食卓

【3-10-13】猫好きなの?

2008/05/17 3:51 三話十海
「戻ったぞ」

 事務所に入って行くとオティアがデスクから顔を上げた。

「ああ、オティア。彼はサリーだ。以前、何度かペット探しを手伝ってもらった。獣医の卵だよ」
「こんにちは」
「こっちはオティアだ。俺のアシスタントをしてる」

 軽く頭をさげると、すっと立って簡易キッチンに向かった。相変わらずのポーカーフェイスだが、そこはかとなく視線の滞空時間が長かったような?

「もう一人のシエンは上で……レオンの事務所でバイトしてるんだ」
「ああ、法律事務所」
「うん。そこ、適当に座っててくれ」

 手を洗い終わった所にちょうどいいタイミングでグラスに注がれたアイスコーヒーと、皿に盛られたマドレーヌが出てきた。

「サンキュ、オティア。お前は?」
「もう食べた」
「そうか」

 確かに、いつものお茶の時間にしてはいささか遅い。
 

「これ、美味いぞ」

 伏せた貝殻の形の焼き菓子をサリーにすすめる。言うまでもなくアレックスのお手製、アイスコーヒーも同様。
 
「いただきます」

 するとソファにうずくまっていたタイガーがひょいと首をのばし、くんくんとサリーの手にあるマドレーヌのにおいをかいだ。

「食べる?」

 サリーがマドレーヌのすみっこをちょいとちぎり、手のひらに乗せてさし出した。

「食うのか、お前」

 くんくんくん………
 念入りにおいを嗅いでから、あむっと一口で平らげた。慎重なんだか大胆なんだか。

 ひとかけら食ったら満足したのだろう。ちょしちょしと顔を洗い始めた。

「……………」

 顔を洗うタイガーの仕草をじっと見ている。ほんの少しスモークのかかった紫の瞳が。
 なるほどね。気になってたのは猫だったのか。

「飼い主に連絡とるから、その間猫の世話頼んでもいいかな、サリー」
「ええ」
「ありがとな。助かるよ」

 タイガーの飼い主に電話している間、背後で何やら会話の気配がした。

「猫好きなの? さわってみる?」

 そーっと見てみると……オティアが手をのばして、茶色の虎猫を撫でていた。

 そうか、猫好きだったのか……ああなんて穏やかな表情をしてるんだろう。
 他の奴から見れば些細な変化だろうが、俺にとっては充分だ。
 って言うかお前、初対面の相手とちゃんとコミュニケーションとれてるじゃないか!

「君、動物飼ってたことある?」

 だまってふるふると首を横に振る。

「そっか、そのわりに上手いね猫の扱い」


 言葉こそないが穏やかな空気の流れる二人の間で、猫がごろごろと喉を鳴らしていた。


 ※ ※ ※ ※


 飼い主が迎えにくるまで、オティアはずっと猫をなでていた。

「タイガー!」
「なー」
「もう、お前って子は! ありがとうございますっ。本当にありがとうございますっ!」

 山のような感謝と、ささやかな支払いを済ませて飼い主が猫を連れて帰って行くのを、オティアは微妙にがっかりした様子で見送っていた。
 基本的にいつもと同じポーカーフェイスなのだが、トータルで見ているとそこはかとなく感じるのだ。

「猫、好きなのか?」
「………嫌いじゃない」
「そう、か」

 つまり、好きってことだよな。

「よかったよかった、これで一件落着ですね」

 サリーがソファから立ち上がる。
 その時、初めて気づいた。猫を預かってる間、ケージ使わなかったような……。
 ソファの上には赤みがかった猫の毛が散らばっている。そうだ、確かにずっとあそこにいた。いつもは逃げ出さないように飼い主がくるまでケージに入れておくのに。

「それじゃあ、俺もそろそろおいとまします。後で伺いますね。何時ぐらい?」
「そうだな……19時ぐらいに。住所はここだ」

 メモ用紙から一枚とって、さらさらとマンションの住所を書いて手渡した。

「電話くれれば迎えに行くよ」
「いえ、たぶんわかります。それじゃ、ごちそうさまでした」
「おう。手伝ってくれてありがとな、サリー」

 にこにこと手を振って、サリーは帰って行く。ドアが閉まってからオティアが問いただすような視線を向けてきた。


「……あーその……彼、夕飯に招待したんだ」
「ああ」
「高校ん時の同級生のイトコでな。今、こっちに留学してるんだ。日本から」

 説明しながら慌ただしく携帯を引っぱり出し、Hの項目から一つ選んでかける。


「……何か用かぁ?」

 あいかわらずゾンビみたいな声だ。すうっと深く息を吸い、挨拶をすっ飛ばして初手から本題に入る。

「お前、今日飯食いに来い。来るよな?」
「え、いや俺………」
「客が来るんだよ。お前も知ってる奴。知り合いが一人でも多く同席してた方が向こうだってくつろげるだろ?」
「誰、客って」
「サリー」
「げっ」
「お前の分も用意しとく。いいな?」

 答えを聞かずに電話を切り、ふう、と息を吐く。
 よし……言ってやったぞ。

 俺が携帯を閉じるのを確認してからオティアがぼそりと言った。

「……レオン、知ってるのか?」
「あ」


 慌てて電話をかける。今度はLの項目、一番上。

「やあ」

 いつもと同じ声、同じ口調。だが、言葉が出てくるまでにほんの少しいつもより時間がかかっているような気がした。

(レオン、もしかして意識して『いつもと同じ』ように答えてるのか?)

 できるだけ簡潔な言葉を選んで伝える。
 夕食に客を招待した、と。サリーとレオンは直接会ったことはないが、今までに何度か彼のことを話していた。まったくの知らない仲と言う訳でもない。

「わかったよ。今日は早めに帰る。シエンにも言っておくよ」
「ああ。……………………すまん、勝手に決めて……」
「かまわないさ。歓迎するよ」
「ありがとな、レオン。それで………」

 言わなければいけないことがある。
 今、この瞬間に、伝えたい言葉がある。

「えっと……あの………その………」

 ためらってる場合じゃないだろうが。腹くくって、行くぞ、よし!

「……ごめん、レオン………………ごめん」

 小さな声だった。かすれて、よれて。携帯がギリで拾ってくれるかどうかの微かな声。
 ほんの少し間があって、やわらかな囁きが返される。

「愛してるよ」
「俺もっ」

 即答していた。勢い余って咳き込みそうになる。
 オティアがちらっとこっちを見た。急に猛烈な羞恥心がこみあげてきた。

「……じゃあ……また後で……」

 頬の火照りをおぼえながら電話を切る。
 結局、愛してるとは言えなかった。

(いいさ。今夜二人きりになったらちゃんと言う)


 ※ ※ ※ ※


(まったくこいつら、職場で何やってるんだか)

 オティアは内心やれやれとため息をついた。
 あと30分あの調子でしゃべってたら新聞紙丸めてはり倒すことも考えたが、どうやらそこまでやらずにすんだようだ。

「あ………その………仕事するか」
「ん」


 ちらりとソファの上に視線を向ける。茶色いふかふかの毛が散らばっていた。

(とりあえず掃除……しなきゃな)

 コロコロクリーナーを取りにロッカーに向かった。


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