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ローゼンベルク家の食卓

【3-12-3】ヒウェル看病

2008/05/31 22:23 三話十海
 アレックスを見送ってから、ふと足元の違和感に気づく。

「あ」

 何てこったい。かたっぽスリッパでかたっぽ革靴じゃねえか。たかが双子の発熱程度で、何あわてふためいてるんだ?
 とにかくこのままじゃ歩きづらくてしかたない。とりあえず両方脱いで、来客用のスリッパにはき替えたが、どうにも上等すぎて足に馴染まない。
 そもそもこの家にあがりこむ時、客用のスリッパなんざはいた試しがなかった。

「……とりあえず仕事、区切りまでやっとくか」

 食卓にかけてノーパソを開く。あわてふためいて出てきたから、書いた分のバックアップすらとっていなかった。
 途中で落したらどうするつもりだったんだ。まったく、不用心にもほどがある。
 一区切りつくまでやったらあいつらの様子を見に行って………。

 用事があったら呼ぶように言っておいたとアレックスは言っていた。けれど、あいつらそもそも遠慮しいだから苦しいからって声かけてくれるんだろうか。
 それ以前に二人そろって熱があるんだ。聞こえるような声出せるのか? こっちまで呼びに来ることができるのか?
 二人して息も絶え絶えにベッドの中でぐったりしてやしないか。

 そんなことを考えてるうちに、はっと気づくと画面右上の時計が30分経過していた。
 かたやエディタ上の文字は、一行増えただけ。

 …………………………………………………………いかん。まっっったく集中できん。
 とりあえず保存して。
 パソコンを閉じて、立ち上がった。

 見てくるだけだ。
 ちらっと様子を見てくるだけだ。

 アレックスの用意してくれた予備の氷枕二つ、タオルでくるんで、抱えて部屋に向かった。


 ※ ※ ※ ※

 
 ノックしてからそろっと部屋に入る。双子は隣り合ったベッドに横たわり、ぐったりと目を閉じていた。
 顔が赤い。のろのろとまぶたがあがり、とろんとした目が二組、こっちを見た。

「………ヒウェル?」
「よ、シエン。アレックスに、応援たのまれた」

 オティアは何も言わない。すぐに、ぷいっと目をそらせてしまったが構わず歩み寄る。

「氷枕、新しいの持って来た。替えるぞ」

 双子のベッドのうち、オティアの方が若干、ドアに近い。だからこっちに先に行くんだ、それが自然な流れだろう?
 胸の内で見え見えの言い訳をつぶやきつつ手を伸ばすと、オティアは頭をずらして起きあがろうとした。
 しかし動きはまるで粘着質の液体の中を動くように緩慢で……動くのが辛いのだと一目で知れた。

「そのままでいい。ちょっとだけ、触るぞ」

 軽く手を頭の後ろに差し入れて持ち上げる。指に触れる金色の髪の毛はじっとりと濡れていた。
 アレックスの用意した氷枕はたかだか30分の間にすっかり溶けていたが、きちんとタオルにくるまれていて水滴が漏れた気配はない。
 それに濡れているのは主に髪の毛の根本の部分、地肌に近い場所。おそらくこの湿り気は汗だ。

 氷枕を入れ替えつつそれとなく観察すると、頬にも、額にも汗がにじんでいる。
 熱の下がる前ぶれの汗ならまだいいが、体調不良から来る嫌な汗だと厄介だ。いずれにせよこのまま放っておいたら衣服に染み付き、体を冷やしてしまう。

「汗……拭いとくか? 軽く」

 答えはない。
 浴室に行き、タオルを二本とってきた。

「ふ……拭くぞ」

 なぜ、そこでどもるか。緊張しすぎだ。何、意識してやがる。
 そっと、そっと、極力そっと。タオルを近づけ、軽く顔を拭く。
 手が震えた。

「ん……」

 目を閉じて、気持ち良さそうにしている。やっぱり気持ち悪かったんだな、このじっとりが。少し勇気づけられ、首筋をタオルで撫でた。

「けっこう汗かいてるな………着替えた方が………いい」

 答えはない。
 クローゼットを開けて、下着とパジャマを二人分取り出す。細かいチェックのパジャマを二着。オティアは白地に淡い水色、シエンのは白に近いベージュとクリーム色。なぜかこう言う時もそろいのを選んでしまう。

「………さてと」

 ごくり、と口の中にわいた唾を飲み込む。大きく深呼吸してから、普通なら言った瞬間に殴り倒されても文句の言えない一言を口にする。

「脱がすぞ」

 パジャマのボタンに手をかけたまま、約2秒ほど待機。
 ……沈黙のまま。
 拒絶の兆しは、無し。
 一つ、一つ、ボタンを外して行くが、オティアはなすがまま、されるがまま。あまつさえ、すっかりボタンを外し終えたパジャマの上着を肩から外そうとすると、自分から協力して腕を抜き取った。

 ああ、神様。これが夢なら覚めないでくれ。
 すっかり汗を吸って重くなったアンダーシャツを汗ばんだ体から取り去る。

 大人になり切る前の少年独特の、すんなりした身体が目の前に露になる。

 それなりに筋肉はついているが、肩や胸のあたりはやはりまだ少し肉付きが薄く、それでいてほのかな丸みがある。
 どことなくあどけなさが残っていて、つるりと皮を剥いたばかりの桃みたいにみずみずしい。
 あと5〜6年もすればすっかり大人の体ができ上がるのだろうが、今は……天使みたいだ。

 もし人の一生の間に与えられる幸運の量が決まっているのなら、今日の俺はこの先十年分の幸運を使い切ってるだろう。
 この一瞬で。
 それでも構わない。
 構うもんか。

 熱のせいでうっすらと上気した肌をタオルでぬぐう。
 そうだ、これは看病。看病なんだから、勘違いするなよ、ヒウェル。
 必死に自分に言い聞かせても、視線が吸い寄せられてしまう。

 左の鎖骨のすぐ下に、ぽつっと小さなホクロがあった。何気なく。いや、ついうっかりと手を伸ばして、触れた。
 タオル越しに。
 熱のせいで高くなった体温が伝わってくるような気がして、息を飲む。

「ぅ……」

 ふるっと小さくオティアが体を震わせる。
 あ。
 寒いんだ。

「ごめん、すぐ、終わるから」

 さっ、さっと、素早く胸、腹、背中と汗をふき取り、乾いた下着とパジャマを着せる。
 ズボンを抜き取る時少しだけ、自分を見失いそうになった。
 無防備にオティアの脚が目の前にあるもんだから……しかもベッドの上だし。それでも遠慮して上の方からは視線をそらせた。
 が。
 この年になって初めて思い知らされた。
 惚れた相手の体ってのは、たとえつま先だろうと普段見えてない場所ってだけでこうも心をかき乱すものなんだって。

 象牙を削りだしたようなつま先に見惚れていると、ふと視線を感じた。
 隣のベッドからシエンがじっとこっちを見ていた。

「すまん、待たせて。すぐ、そっちに行くからな」

 それからはさくさくとノンストップで手を動かし、すっかり着替えの終わったオティアを元通り布団に寝かせた。

「……おわったぞ……」
「ん……」

 目を閉じたまま小さくうなずく。こいつがこんなに素直になるなんてな……まるで初めて会ったあの日みたいだ。
 そっと手を伸ばして、額に張り付く金色の髪の毛を整えた。

(ずっと、こうしたかったんだ)

 ふう、とため息をついてから隣のベッドに向かう。
 今度はシエンの番だ。

「おまたせ。じゃ、汗ふこうな」

 とろりと潤んだ紫の瞳が見上げてきた。頬がうっすらと紅潮してる……。
 ああ。
 試練の時、パート2。
 しっかりしろ、ヒウェル。これは看病、看病なんだからな!


「濡れた服……脱がすよ」
「うん」


 オティアの時とまったく同じ光景がくり返されるが、二度目だからって免疫ができる訳じゃない。
 こめかみの中でずっくんずっくん暴れ回る血液の流れを無理矢理深呼吸で押さえ込み、シエンのパジャマ脱がせて、汗をふいた。
 つい左の鎖骨の下に目が行ってしまう。

 ホクロはなかった。

 視線を感じたのだろうか。
 シエンは頬を染めて目を閉じて、そっと顔を横に向けた。まるで初夜の床の花嫁さながらに……ってお目にかかったことはないが。

 いや、そもそもこの状況下でその比喩は問題あるだろ!

「………ヒウェル……?」
「あ、何でも無い…うん」


 平静を装いつつ、てきぱきと手を動かした。指先に触れるしっとりと汗ばんだ肌の感触、ゆだねられる体の重さからつとめて意識をそらせて。

「ありがと……ごめん、ね」
「謝るな。ありがとう、だけでいい。OK?」
「……ん」

 きちんと乾いた寝間着に着替えさせて、氷枕を取り替えて、そっと寝かせる。

「ほい、こっちもおわり」

 布団をかぶせると、シエンは小さな声で「ありがと」と言った。


「……どういたしまして」

 脱がせた服を抱えて部屋を出て。ギクシャクと歩いてリビングに行き、とりあえずソフアの上に重ねる。
 それからまた、油の切れたブリキの木こりみたいな動きでキッチンに向かい、500mlボトル入りの水を2本取り出して双子の部屋に向かう。


「水、ここに置いとくから。もっと欲しくなったら……携帯鳴らせ」


 それから、すっかりぬるくなった氷枕を抱えて今度こそ部屋を出て、ドアを閉めた。


 ※ ※ ※ ※


 リビングに戻り、さっきソファの上に積んでおいた下着とパジャマを抱えて洗濯室に向かう。
 腕の中に抱えた衣服からほのかに残り香が立ちのぼり鼻腔をくすぐる。

 嗅覚ってのは厄介だ。
 その瞬間、見たばかりの二人の裸身が鮮やかに頭の中にリプレイ&フラッシュバック。
 やばい、やばい、絶対にやばい。
 一秒でも早くこの危険物を処理しなければ!

「っせい!」

 まとめて洗濯機に放り込み、ほう、とひと息。ずっくんずっくんとうずくこめかみを押さえつつキッチンに引き返す。

「お」

 アレックスが買って来たものを冷蔵庫に入れていた。

「おや、メイリールさま、そちらにおられましたか」
「ん、ちょっと洗濯室にね。おかえり、アレックス」
「お疲れさまでした。留守中、変わりはございませんでしたか?」
「ああ、いたって平穏、変わりな………」

 ぼとっと何かが床に落ちた。
 喉の奥、鼻の奥を濃厚な鉄サビ臭が満たし、鼻の穴から生暖かいしょっぱい液体がぼとぼとと垂れる。
 まいったな、鼻水か?

 足元に鮮やかな赤い色が散っていた。

 鼻血。
 しかも、今頃。

「う………」

 原因は言わずもがな。
 十代のガキか、俺は。
 直接見た瞬間じゃなくて思い出しヌードで出るあたり微妙にスレてるっつーか……ズレてると言うか。
 どうしたもんか?
 途方に暮れていると、すっと目の前にティッシュの箱がさし出された。

「どうぞ」
「どうも」

 俺が鼻血をぬぐってる間、アレックスはてきぱきと床の血痕を拭き取り、きれいさっぱり消し去ってくれた。そりゃもうルミノールテストでもかけなきゃわからないくらいに跡形もなく。
 さらに水で冷やしたタオルをさし出し、さりげなく居間のソファを示して一言。

「おつかれさまでした。しばらくお休みになられてはいかがでしょう」
「……そうさせてもらうよ。ありがとう、アレックス」

 最高に気まずい気分でソファに深く腰かけ上を向き、眼鏡を外してタオルで顔の上半分を冷やす。
 キッチンの方角からは、しばらく何やらカチャカチャ食器を動かす気配がしていた。
 やがて冷蔵庫の扉が閉まり、静かな足音がリビングを通り抜け、双子の部屋へと歩いて行く。

 まったく彼は優秀だ。余計なことは何一つ言わない。
 そのことが、ひたすらありがたかった。


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