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ローゼンベルク家の食卓

クレープみたいに

2008/05/13 18:39 短編十海
拍手御礼用短編の再録。レオンとディフの高校時代のお話。
【side3】チョコレート・サンデーに繋がる一編。

 時計の針が夜の十時を少し過ぎた頃。

 微かに聞こえていた水音が止んだ。レオンはちらりと浴室のドアを見やり、肩をすくめた。
 さあ、試練の始まりだ。意志を強く持て。

 じきに浴室のドアが開き、中からにゅっとルームメイトが出てきた。水気の残る頭をわしわしとタオルで拭いて、身につけているのはトランクス一枚のみ。がっちりした骨格の上を覆う引き締まった筋肉も。その表面を包むきめの細かな肌も、何もかもむき出しのまま、隠そうともしない。

 しなやかな腰から続く広い背中。日焼けした手足と比べていっそう白さが際立つ。肩から背骨にかけて肩甲骨の描くなだらかな隆起は、まるで翼の付け根みたいだ。

 ばさっとタオルが滑り落ち、肩にかかる。白い布地の下から鮮やかな赤毛が現れた。さんざんかき回されて乱れ、しかも湿気を吸っていつもよりくるりと強く巻いている。
 困ったものだね。
 つい、手を伸ばして整えてやりたくなる。

「はー、さっぱりしたぁ。風呂、空いたぞレオン」
「ああ」

 ディフはパンツ一丁のままざかざかと大またに簡易キッチンまで歩いて行き、冷蔵庫を開けた。
 中から紙パックの1リットルサイズの牛乳を取り出し、そのまま直にぐいぐい飲み始める。あのサイズのを2本、常に自分用にキープしてあるのだ。

「ふぅ……」

 無造作に手の甲で口元を拭い、話しかけてきた。

「あー、そう言えば同じクラスのヒウェルってやつがさー」

 何度か聞いたことのある名前だ。仲がいいらしい。写真が趣味で暇さえあればトイカメラでかしゃかしゃやってると言っていた。

「ゲイだった」
「……そうなんだ」
「3年生と付き合ってんだってさ。アッシュって名前だったかな」
「サンフランシスコは開放的でいいね」


 さらりと答えて、開いたノートと教科書に目線を戻す。
 いつものように意志の力を駆使して。

「君のほうはどうなんだい?」
「ああ、モニークな。Wデートじゃなくて1on1でデートしたいなって言ったら……OKしてくれた」

 しばらく喉を鳴らす音がして、それからばくん、と冷蔵庫の扉が閉まった。


「サンフランシスコのことはよくわかんないから、案内してくれると嬉しいって言ったら『うん、いいわよ』って」
「良かったじゃないか」
「…………可愛いって言われたのが、ちょっとな」

 拗ねた口調だ。だいたいどんな顔をしてるか見なくてもわかる。
 眉を寄せて、きっと拳を握って口元に当てている。

「女の子のほうが精神的な成長は早いから」
「…そっか。じゃ、しょうがねーな、張り合っても」

 ぺたぺたと湿った足音がベッドのそばへと移動してゆき、ばさりと布の動く気配がした。
 やれやれ、やっと何か着てくれたか。まったく彼ときたら油断すると風呂上がりに何も着ないで出てくるから目のやり場に困る。
 一度注意したらさすがに全裸はやらなくなったが、できれば下着姿でうろちょろするのも自重して欲しいものだ。
 安堵の息を吐いてディフの方を見ると……確かに着てはいた。白地に青のストライプのパジャマの上着だけ。しかも、その格好で膝を抱えてベッドの上に座りこんでいる。
 目が合うと、ちょっと困ったような顔をして頭をかき回した。

「ごめんな、お前のこと誘おうかと思ったんだけど、ヒウェルが『そーゆー時は1on1でデートしたいって言え、チャンスだから!』って言うから、つい」
「俺は誘ってもらっても、行けないだろうから」
「……そっか……」

(それに女の子が相手では、ね)

 何とはなしに感じていた。
 自分は生涯、女性を愛することはないだろうと。
 経験不足故に異性が苦手だとか、硬派を気取っているとか、そう言ったものとはレベルが違う。
 もっと根本的な部分で、自分は女性を受け入れられない。無理に接触しようとすると、ある種の拒否反応を起こしてしまう。

 だから日常生活の中でも必要以上の接触は避けていた。もう少し大人になれば普通に話すことぐらいできるようにはなるだろう。
 けれどデートに誘ったりパーティーでエスコートしたりするのは難しい。手をつないで歩く。ダンスをする。興味もないし、さしてしたいとも思わない。
 まして生涯の伴侶として一生を共に過ごすなんて……無理だ。

 まさか、湯上がりのルームメイトのあまりに無防備な姿にこんな風にうろたえるようになるとは、予想だにしなかったけれど。

「せっかくデートなんだから、花でも持って行っておいで」
「そうだな。花……何がいいかな……」

 小さくあくびをすると、ごろん、とベッドにひっくり返った。無防備に足を投げ出し、指をもにもにと握ったり開いたりしている。
 目をそらし、ノートに視線を戻した。けれど書かれた文字をいくら目で追っても意識の表面を上滑りするばかりで、ちっとも頭に入らない。

「俺、マーガレットが好きなんだ。家の庭にいっぱい咲いてた」
「花屋の店員に相談すればいい。向こうはプロだから、だいたいのイメージを伝えればつくってくれるよ」
「うん……そうする…………さんきゅ、レオン……………………」

 声の最後はほとんど寝息になっていた。
 用心のためさらに5分ほど置いてから顔を上げると、ディフは完全に眠っていた。うつぶせになって枕を抱えて。

「しょうがないなぁ……」

 布団をかけようにも、当人がその上に寝ている。
 どうしたものかとしばし熟考。
 ふと思いついて左右の端からくるっと持ち上げて、巻き付けるようにして彼の体を覆ってみる。

「ん…………さんきゅ、レオン」

 起きたのかと思ったが、クレープみたいな格好のまま幸せそうに眠っている。どうやら寝言らしい。

「どういたしまして」

 くすっと笑って、勉強に戻る。
 今度は集中できた。



(クレープみたいに/了)

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