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羊さんたちの遊卓

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【5-4】チェックイン

 
 ユニオン・スクエアの真ん中に、どんとそびえる赤みがかった砂色の建物。
 1964年に建てられた鉛筆のようなタワーは地上46階建ての新館に高さこそ及ばないものの、このホテルのシンボルとして。またサンフランシスコのランドマークの一つとして、カリフォルニアの青空に向かってすっくとそびえ立っている。

 うやうやしくベルボーイに出迎えられ、一歩ロビーに足を踏み入れるなりヨーコは目を輝かせた。

「すごい、これ、地図だ……」
 
 なだらかなアーチを描く白い天井からはきらめくシャンデリアが等間隔で巨大な蜂の巣のようにつり下がり、敷き詰められた絨毯には古風な世界地図が描かれていた。
 そして中央には子どもの背丈ほどもある地球儀が据えられている。

「うわあ、おっきな地球儀。さわってもいいのかな。ぐるぐるしてもいいのかな」
「よーこさん、よーこさん」
「自粛してくだサイ」
「人目もありますから」
「……はーい」

 三方から一斉にたしなめられ、とりあえずこの場は一時退却することにする。

「ロビーだけでもずいぶん広いなあ。天井も高いし、バスケの試合ができそうですよね。2コート分」
「うちの学校の体育館とどっちが広いかな」
「中庭にはプールもありますヨ」
「えっ、ほんとっ?」

 背後で交わされるにぎやかな会話をほほ笑ましく思いつつ、ランドールはチェックインの手続きを済ませた。

「ヨーコ。チェックインが済んだよ。後は係の者が案内してくれる。荷物もね」

 声をかけると彼女は地球儀にのばしかけた手を慌ててひっこめて、ささっとこっちを振り向いた。

「え、もう?」
「ああ。私もできれば部屋まで案内したい所だけど、一応まだ勤務中だから……ね」
「そっか……あ、カル」
「何だい?」
「あのね」

 ちょい、ちょい、と手招きされて素直に近づく。さっきまでは普通に話していたのに、何だって急にこんな小さな声で話すのだろう?
 聞き取ろうと軽く身をかがめた瞬間。赤いコートがひるがえり、華奢な腕が巻き付いて来る。
 あ、と思ったときには柔らかなぬくもりが頬に触れ、透き通った声で告げられる。

「ありがとう、何もかも……それと……」

 最後の一言はため息よりもかすかに、確実に彼にだけ聞かせるためにささやかれた。

「えらかったね」
「…………うん」

 すぐにわかった。彼女の言葉が、単に宿と飛行機のチケットの手配に対するねぎらいだけではないと……。

『ヒゲぐらい剃りなさい、カルヴィン・ランドールJr。いい男が台無しよ?』

 やんわりと抱擁を返す。
 サリーにしていたのと比べればおとなしいキス。だがテリーの時はハグとほおずりだけだった。
 
 幸せそうににこにこしながらハグを交わす二人を見守る人たちが約3名+1。

「あー、やってるし……」
「いいんじゃないかな。空港に比べれば人目は少ないし、親子は無理でも兄妹ぐらいには、どうにか」

 風見が言ったちょうどその時、ヨーコが手をのばしてそろりとランドールの髪の毛を撫でた。

「って言うか、おねえちゃんと弟?」
「犬と飼い主だろ」
「テリー……」
「言い得て妙な表現デス」
「ロイ……」

 どっちが犬かは敢えてだれも追求しない。

「んじゃ、役目は果たしたことだし、俺そろそろ学校戻るよ」
「うん。ありがとう」
「ありがとうございました!」

 地球儀の横を通り過ぎながらヨーコに手を振ると、にこっと笑って手を振り返してくれた。その隣にはランドールがきちんと背筋を伸ばして寄り添っている。

 確かにこいつは遊び人で、しかもゲイで金持ちだ。だけど飼い主がついてるのなら……

(ひとまずサリーの身は安全だ)
 
 テリーの後ろ姿を見送りながらランドールが言った。

「いい奴だな、彼は」
「うん、いい子だよ。面倒見いいし、飴ちゃんくれたし」
「ヨーコ。君のいい人の基準は、キャンディをくれるかどうかなのかい?」
「できればケーキの方が」
「ヨーコ!」
「冗談、冗談だって」
「まったく……知らない人がお菓子をあげると言ってもついてっちゃいけないよ?」
「はーい」

 首をすくめてちょろっと舌を出してる。
 ああ、やっぱり心配だ。いっそ仕事を休んで付き添っていようか……いや、さすがにそれは過保護と言うものだろう。
 サリーも一緒だし、何より今回は腕の立つ若きナイトが二人も付き添っている。

「そろそろ私も戻らないと。秘書に首に縄をかけられて連れ戻されないうちにね」
「わお、ワイルド」
「仕事が終わったらまた来るよ。詳しいことはそのときに打ち合わせよう」
「OK。部屋に来る?」
「いや、ホテルのレストランに席を取った。ディナーをとりながら話そう」
「レストランって……インテルメッツォ(コーヒースタンド)じゃないよね?」
「まさか。最上階のシティスケープレストランだよ」
「最上階? それって……ドレスコードがあるんじゃあ」
「心配ないよ。馴染みの店だからね。あそこから眺めるサンフランシスコの夜景は最高だよ」
「それは……ちょっと見てみたいかも」
「たっぷり堪能してくれ。それじゃ、夜にまた」

 にこやかに手を振り、黒いコートをなびかせて歩いて行くランドールを見送りつつヨーコは心中密かに焦っていた。

(やっばいなー……一応、ワンピース一枚持って来たけどニットだしな……)

「よーこさん」

(アクセサリー、きちんとしたのを着ければどうにかなる……かな?)

「よーこさんってば」

(あとはシルクのスカーフ、アクセントで巻いて)

「……先生!」

 はっと顔を上げる。サリーと風見、ロイが待っていた。すぐそばには客室係が控えている。

「ごめん、すぐ行く!」


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【5-3】空港にて

 
 およそ11時間後、サンフランシスコ国際空港にて。
 時刻は午前9時30分。慌ただしい朝の空気の中、サリーこと結城朔也は到着ロビーで日本からの飛行機を待っていた。白いセーターに茶色のチェックのコットンスラックス、その上からダッフルコートを羽織ったその姿は例によって高校生とまちがえられそうな愛らしさ。
 着ている服からしてジュニアサイズなのだからなおさらに磨きがかかっている。
 一人で来ていたら警官に声をかけられていたかも知れない。けれど今日はありがたいことに約一名、付き添いがいた。

「まだか?」

 テリーはさっきから到着便の電光掲示板と腕時計を交互ににらんでいる。

「まだだよ。出発がちょっと遅れたみたいだしね」
「そーか……」
「テリーまで来ることないのに」
「いや、お前車持ってないだろ?」
「うん、それはすごく助かった。今回は荷物も人も3人分だしね」
「だろ? 俺も、ヨーコさんに挨拶したかったし」
「夏とはちょっとちがう顔見られるかも知れないよ? 今日は学校の生徒が一緒だし」
「そーなんだよなー、それがちょっと実感なくて……ジュニアハイで教えてるんだっけ?」
「ううん、ハイスクール」
「マジかよ。生徒にまぎれたりしないのか?」
「たまに教壇に立っててもだれも気づいてくれない時があるって」
「やっぱりな……」

「あ、来た」

 やっと来たか! でも見てる方向が逆じゃないか。何で到着ゲートじゃなくてロビーの方を見てるんだ?

 サリーの視線を追いかけてテリーは思わず口元をひくっと引きつらせた。
 ロングフレアの黒いコートを着た背の高い男が足早に歩いて来る。印象的な眉にウェーブのかかった黒髪。コートはもちろん、下に着ているスーツも靴も手入れの行き届いた高級品、しかも新品ではなく適度に体になじんでいる。
 仕草にも表情にも気負った所はみじんもない。一目見てこのクラスの衣服を身につける事に慣れているのだと知れる。

「ランドールさん!」

 黒髪の男はこちらに気づくと屈託のない笑顔で手を振った。

「やあ、サリー。遅れてすまなかったね」
「大丈夫ですよ、まだ時間があります」
「そうか、安心したよ……おや、君は……」
「どーも」

(出やがったな、遊び人社長!)

 一応、こいつが来ると聞いてはいた。だからこそ車を出すのにかこつけて空港までひっついてきたのだ。だがいざ現物と顔を合わせると……やっぱり面白くない。いらつく、むかつく、落ち着かない。

(サリーに手ぇ出しやがったら、タダじゃおかねえ)

 断固たる決意をこめてにらみつけるが爽やかな笑顔で返された。

「確かテリーくんだったね」
「はい」
「車、出してくれるそうです」
「そうか、ありがとう。さすがに私の車一台ではいささか窮屈だからね」
「窮屈って……運転手付きリムジンじゃないんすか?」
「いや、トヨタのセダンだよ。プライベートだし……遠方から来る友人を出迎えるんだ、やっぱり自分でハンドルを握りたいじゃないか」

 チクリと放ったはずの皮肉もするりとかわされる。多分向こうはかわしたと言う自覚すらしていなさそうだ。

(くそう、なんなんだこの余裕は! それともこいつ、ただの天然か?)

「あ、来た」

 今度こそ到着ゲートの方を見ている。
 ほどなくカラコロとキャスター付きのスーツケースを引っ張って、赤いコートを着た小柄な女性が姿を現した。迷わず、まっすぐにこっちに向かって歩いて来る。

「サクヤちゃーん」

 ストレートの黒髪をなびかせ、とたたたっと駆け寄ってくる。ぴょんとサリーに飛びつき、抱きつくなり頬にキスをした。

「よーこさん」
「久しぶりー」
「……やっぱアメリカ式なんだ?」
「だってここ、アメリカだよ?」
「風見くんたちが固まってるよ?」
「ありゃ?」

「ども、お久しぶりです、サクヤさん」
「Hello」
「おひさしぶり。元気そうだね」

 やや離れた場所から見守る風見とロイににこにこと挨拶してから、サクヤはちょこんと首をかしげた。

「……で、テリーにはしないの? ハグ」

 ヨーコは一旦サクヤを解放し、今度はぴょん、とテリーに抱きついた。

「テリー、久しぶり! 会えてうれしいわ」
「ようこそ、サンフランシスコへ」

 テリーは身を屈めるとを頬をすりよせた。まるで妹にするように、軽く。

「ああ、風見くんたちは会うの初めてだったよね。こっちは大学の友達でテリーって言うんだ」
「やあ」
「こっちの二人はよーこさんの高校の教え子。風見光一くんと」
「ロイ・アーバンシュタインです」
「風見光一です。よろしくお願いします」

 ややぎこちなく挨拶を交わすテリーたちの隣では、ヨーコとランドールが旧交を暖め合っていた。

「Hi,カル」
「やあ、ヨーコ」
「なんだかあまり久しぶりって感じがしないね……元気だった?」
「ああ。君も元気そうだね」
「うん。座席ひろかったし、のびのび座れた!」
「そうか。良かったよ」
「でも……あの、その……お値段張ったでしょ、あれ」
「そうでもないよ。知り合いのツテで手配してもらったからね。それに先方が気を利かせてツアー扱いにしてくれたし」
「さすが、やりくり上手い」
「私じゃないよ。秘書が有能なんだ」

 サリーは密かに安堵していた。

(よかった……ランドールさん相手にアメリカ式の挨拶やらなくて)

 どう見たって大人と子ども。人前でおおっぴらに抱擁なんか交わして、ほっぺにちゅーとかやらかしたら悪目立ちすること請け合いだ。さすがに親子には見えないだろうし。

 一方、ロイも別の理由で安堵していた。

(よかった……サクヤさんには彼氏がいたんだ!)

 もちろん、この彼氏とは言うまでもなくテリーのことである。

(ほんとうに……よかった。これで心配の種はMr.ランドールただ一人!)

 ロイ・アーバンシュタインはニンジャである。そしてニンジャとは主君に仕えるもの。
 幼なじみの風見光一を、ロイは密かに『仕えるべき主君』と心に決めていた。
 サクヤにしろ、ランドールにしろ、彼の目からしてみれば主君との絆に割り込むライバルなのだ。宿敵なのだ。

「それじゃ、パーキングに行こうか」
「あ、ちょっと待ってその前に」
「おなかへった?」
「ううん、のどかわいた」

 ちらちらとヨーコが売店の方に目を走らせている。

「いいよ、荷物見ててあげるから」
「サンキュー。他に飲み物ほしい人、いる?」
「いや、私は……」
「俺も一緒に行きます」
「ボクも」
「いってらっしゃい」

 しばらくして、ヨーコはコーヒーを片手に戻ってきた。微妙に不満げな顔をして。その後ろから風見とロイが同じく紙コップを手に困ったような顔でとことと歩いてくる。

「どうしたの?」
「ワイン売ってもらえなかった……」
「あー……それはしかたないよ」
「飛行機の中でもワインもらえなかったし……」
「そのかわりトランプもらえたじゃないすか」
「アニメの絵のついたピンク色のかっわいーのだったけどな……」
「あー……」
「飛行機のミニチュア模型と、二択で」

 明らかにお子様用のサービス品。ちなみにもらったのはヨーコ一人だけ。

「こんなことなら、いっそロイに買ってもらえばよかった!」
「生徒にお酒を買わせないでくだサイ!」
「って言うか違法です、先生」

 教え子たちの突っ込みも素知らぬ振りして立て板に水と受け流し、ヨーコはちょこまかランドールに歩み寄るとくいくいとコートの袖をひっぱった。

「カル、ワイン買ってきてもらっていい?」
「ああ、いいよ。赤? 白?」
「んー……ちょっと冷えてきたから……グリューワインがいい!」

 赤ワインにオレンジピールやシナモン、クローブなどの香辛料やレーズン、ナッツ、そして砂糖を加えてあたためたこの飲み物はクリスマスに欠かせない。
 本来はヨーロッパで好まれるが期間限定で空港のカフェのメニューにのっていたらしい。
 グリューワインと聞いてサリーも目を輝かせた。

「あ、いいなそれ。俺も飲もっかな」
「OK、グリューワインを二人分だね?」
「お願いします」

 サリーとランドールの間にずいっとテリーが割り込んだ。

「お前はやめとけ!」
「えー。あっためるからアルコール飛んでるのに……」
「いいからやめとけ」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

「それじゃ、風見とロイをお願いね、カル」
「ああ。ホテルの位置はわかるね? 念のためナビに座標入れておくかい?」
「や、俺の車カーナビ着いてないんで」

 二台の車に分乗し、ホテルめざして走り出す。
 出発直前にだれがどの車に乗るかでほんの少し物議がかもされたものの、結局テリーの車にサリーとヨーコが。ランドールの車に風見とロイが乗って行くことで合意に達した。

「ひゃあ、やっぱりアメリカ仕様の車って大きいねー」
「ちらかっててごめんな。兄貴からの借り物なんだけど」

 ちょこんと後部座席に乗り込み、シートベルトをつける。ちなみにランドールの買ってきたグリューワインに口をつけるのは、車に乗り込むまで我慢したらしい。

「それで、ヨーコさんホテルはどこ?」
「んっとね、O'FARRELL STREETの333、HILTON SAN FRANCISCO……」

 宿泊先を書いたEメールをプリントアウトした紙を読み上げながら、さっとヨーコの顔がこわばった。

「これって。ビジネスホテル・ヒルトン戸有のサンフランシスコ支店とかじゃないよね?」
「それは、ないと思うな……」
「じゃあ、やっぱり………『あの』ヒルトンホテルなんだ……」

 一方、その頃、もう一台の車の中では。

「うわっ、広いなー。日本とは全然、建物の間合いが……って言うか土地そのものの縮尺が違うよ!」

 風見光一が初めて見るサンフランシスコの風景に目を輝かせていた。

「日の光も違う。まぶしくって、見えるもの全てが色鮮やかに輝いてるって感じだ」
「楽しんでるようだね、コウイチ」

 ちらりと後部座席をうかがい、ランドールが声をかける。風見は背筋をのばし、英語で答えた。

「はい、すごく……あの、ランドールさん」
「何だい?」
「もしかして何か心配事でもあるんですか? さっき、車のドア閉めたときに……えぇっと……」

 風見は目を閉じてとんとんとこめかみを人差し指でリズミカルに叩いた。

「ちょっと寂しそうな顔してたんで、気になって」
「本当に? そんな風に見えたかな」
「…………はい」
「参ったな」

 ちょっと苦笑すると、ランドールはできるだけ簡潔な表現を選びながらゆっくりと答えた。英語に不馴れな風見が聞き取れるように、理解できるように。
 それ故に逃げやごまかしは封じられ、自分の気持ちをストレートに言わなければならない。
 しかしながら何故だかこの少年に対しては気負ったり格好をつける必要性を感じなかった。彼と話していると、自分の中に残っている子どもの部分にまっすぐに触れ、向き合ってくれるような……そんな気がするのだ。

「さっき空港で、君たちを出迎えたときにね」
「はい」
「彼女は……………私だけハグしてくれなかった」
「あ」
「ああ」
「サリーは従弟だし、テリーくんは彼の友人だ。私に比べて付き合いも長い。それは理解できるんだ……」
「もしかして、待ってました?」
「……うん」

 風見とロイは顔を見合わせた。
 
「忘れてないと思いますよ?」
「礼儀を守ってるつもりなんじゃないかな。俺たちやサクヤさん、テリーさんは年下だけど……」
「私は年上だから……かい?」

 二人の少年は声をそろえて答えた。

「Yeah!」
「なるほど、そう言うことか」

 自分にいい聞かせるようにつぶやきながらうなずくランドールの横顔を見ながら風見は思った。

 もしかしてランドールさん、拗ねてる?

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【5-2】あくまで普通らしい

 
 2006年12月22日、明日から連休を控えた金曜日の午後。
 風見光一は成田空港の第二ターミナルの雑踏の中に居た。
 どこかでかすかに犬が吠えている。目の前を女の人がキャリーバッグに入れた猫を抱えて歩いて行く。ここから飛び立つのも、ここに降り立つのも、人間だけではない。
 正に空の玄関口だ。
 ぼーっとしたまま巨大なカートを引いて慌ただしく目の前を通り過ぎる人の流れを眺めていると、金髪の幼なじみが心配そうに声をかけてきた。

「Hey,コウイチ。どうしたんだい、ぼーっとして?」
「うん……なんだかまだ半分、夢を見ているような心地がして……」
「そうだね。ボクもまさかアメリカでクリスマスをすごすことになるなんて、思ってなかったよ」
「ロイは半分里帰りみたいなもんだもんな」
「でも、実家はワシントンだから。今回はさすがに行けないかな」
「そっか………大陸の反対側だもんな」

 二人とも終業式を終えてから一旦家に立ち寄り、私服に着替えて荷物を持ってその足でここまでやってきた。おかげでまだ頭が学校生活から抜けきっていない。
 すぐそこのカウンターでは、赤いケープ付きのコートを羽織った担任教師がプリントアウトしたeチケットの控えを手に航空会社の職員と言葉を交わしている。
 
「ふぇ?」

 いきなり素っ頓狂な声をあげた。

「あのお客様?」
「あ、いえ、何でもないです。ありがとうございました」

 はたはたと手をふり、妙にカクカクした動きで戻ってきた。

「どうかしました、ヨーコ先生?」
「あ、いや、席が……ね」
「まさか、ダブルブッキング?」
「いや、そうじゃなくて」

 今回のサンフランシスコ行きに際しては、現地のチームメイトが宿も飛行機のチケットも全て準備万端、整えてくれたはずだった。

「カルのとってくれた席………普通の席だよって言うからてっきりエコノミーか、いいとこビジネスエコノミーかと思ってたら……」
「まさか、ビジネスクラス?」
「いや。ファーストクラスだった」
「え」
「ええーっ?」
「やっぱ声でちゃうよな、うん」

 ただでさえホリデー価格で運賃の跳ね上がるこのシーズン、下手すりゃ車の買えるお値段である。現実を理解しつつも心のどこかで『何かのまちがいだろう?』なんて半信半疑で乗り込んでみたが、やっぱりきっちりファーストクラスなのだった。

「これが、ランドールさんの普通なんだ……」

 しかも3人座るべきところを座席を押さえてあったのは4つ。すなわち窓際に二人並んで座り、もう一人が前に座ってさらにその隣が空くと言う無駄、いや余裕たっぷりの采配だった。
 当然のことながら羊子が前に一人で、その後ろにロイと風見が並んで座ることになった。
 さすがファーストクラスはスペースひろびろ、冬服の男子高校生二人が並んで座っても楽に足を伸ばせる余裕があった。

「うわ、座席ひろーい」
「ほんとだ。これなら向こうに着くまで楽にすごせますね……いいのかな、高校生がファーストクラスなんか乗っちゃって」
「いいんじゃないかな。ゆったりしてるから、向こうについてすぐ、動ける」
「なるほど」

 素直にはしゃぐ風見と羊子の言葉にうなずきながらも、ロイはほんのちょっぴり残念だった。

(ああ、これがもしもエコノミーならもっとコウイチとぴとっと寄り添えるのに!)

「それにしてもさあ、君ら」

 コートを脱いだ教え子二人を代わる代わる見ながら羊子はどこか不満げに顔をしかめた。

「華がないって言うか、地味って言うか……黒いぞ」
「そうかなあ」
「色があんまし制服と代わり映えしないし?」

 確かにその通り。風見光一はカジュアル系量販店の黒のフリースに黒のジーンズ、足下はいつも学校に履いていっているスニーカー。ロイはほどよく履き慣らしたジーンズにかろうじてブルー系のシャツ重ね着してはいるものの、上に着ていたファー付きのロングコートは黒だった。

「せっかくの休みなんだから、もっと派手な服着てくればいいのに」
「黒はニンジャの基本色ですから」
「基本って……まさかロイ、その青いシャツも裏返すと黒、とか言わないよね?」
「よくおわかりで」
「……冗談抜きでリバなんだ」
「基本ですから」
「あー、あったよね、鬼平犯科帳で、そう言うの。ばっと普通の着物を裏返すと黒装束に変わるってやつ」

 風見はにまっと笑うと軽くロイをひじでつついた。

「よっ、兄さん、粋だね」
「あ、ありがとう……」

 はにかみつつほほ笑み返す幼なじみから羊子に視線を移し、着ているものをまじまじと観察してみる。

「羊子先生は、何て言うか、赤いですね」
「うん、クリスマスカラーを意識してみた」

 着ていたケープつきコートは赤に緑のタータンチェックに黒いフェイクファーの縁取り。足下は学校ではほとんどお目にかからないカフェオレ色のブーツ。(下駄箱に入らないしどうせ校内では上履きだから)
 コートの下は白のタートルネックのふかふかのカットソーにコートと同じ柄の巻きスカート、アクセントで黒のベルトを巻いている。しっかり黒のレギンスを履いているのは寒さ対策だろう。

「これはこれで妙になじみがあるって言うか、見慣れた感じだなあ……学校に赤い服はあんまし着てこないのに」
「オウ!」

 ぽん、とロイが拳で手のひらを叩いた。

「そこはかとなく配色が巫女装束デス」
「なるほど!」
「こらこら。どこの世界にブーツ履いた巫女さんがいるかね」

 結城羊子の実家は神社。そして風見とロイの二人は時々、そこでバイトをしているのである。

「そーいや結城神社のお仕事大丈夫なんですか? 年末のこの忙しい時期に、俺ら二人ともこっちに来ちゃって……」
「ああ、そのことなら心配ないよ。蒼太に助っ人頼んできたから」
「なるほどー。って、蒼太さんって……」

 時折顔を会わせる生真面目な先輩の本職を思い出し、風見とロイは目を剥いた。

「お坊さんに神社の手伝い頼んじゃったんデスカ」

 あっけにとられる二人に向かって羊子はにまっと笑い、片目をつぶる。

「大丈夫だって、日本の神様は心が広いから。何てったって八百万もいるんだぞ?」

(きっと蒼太さん本人にも同じことを言ったにちがいない)

 密かに思ったが口には出さない二人だった。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 飛行機が離陸して、水平飛行に入った頃合いを見計らって羊子はキャビンアテンダントに声をかけた。

「Excuse me……」

 すかさず明るい茶色の髪に青い瞳の女性が来てくれる。

「雑誌と……キャンディをいただけますか?」
「あ、俺も雑誌ください」
「ボクも」
「かしこまりました」

 彼女はにっこりほほえむと、まもなく小さなカゴに盛ったキャンディと雑誌を三冊抱えてもどってきた。

「どうぞ」

 白いほっそりとした手が3人に雑誌を一冊ずつ手渡してくれる。風見には少年マンガを。ロイにはメンズ向けのファッション雑誌、英語版。そして羊子にはなぜか少女マンガ。

「……ありがとう」
「Thanks」
「ありがとうございます」

 軽やかに歩み去るCA嬢の背中を見送ってから、羊子がむすっとした顔で言った。

「なんでーっ? なんでロイがファッション雑誌であたしが少女マンガなわけ?」
「何でって言われましても………」
「英語版がないからじゃないですか?」
「アメコミがあるじゃん、アメコミがー」

 ぶーたれつつ羊子はキャンディの包みを開けるとぽいっと口に放り込んだ。ふわっとメロンの香りが広がり、片方の頬がぷっくり丸く膨らむ。
 苦笑して少年マンガを開きながら風見光一は密かに思った。機内で眠ることを考慮してか、今日の羊子はほとんど化粧らしい化粧をしていない。赤い服と相まっていつもに増して幼く見えてしまう。
 それでキャンディください、なんて言われちゃったら……多分、のどの乾燥を防ぐためなんだろうけれど。

(でも最大の敗因は、あれだな。アメリカのスタッフに声かけちゃったことだよな……)

 それから40分ほど、羊子は一言もしゃべらずページをめくっていた。やがてぱたり、と雑誌を閉じた気配がして座席の横から顔を出してきた。

「風見ーそっち読み終わった?」
「はい」
「じゃ、交換しよ?」
「いいですよ」
「……けっこう気に入ってマス?」
「今週のマガジン、まだ読んでなかったし?」
「って言うかコウイチ、少女マンガ読むんだ」
「うん、けっこう面白いよ? MOMO」

 ごく普通に互いのマンガ雑誌を交換して読み出す二人を見ながら、ロイは心中密かにうなった。

(……日本のマンガ文化は奥が深いデス)

 やがて2ローテーション目の読書が終わった頃。

「どうぞ、映画のプログラムです」
「あ、どうも」
「お客様にはこちらを」
「ありがとうございます」

 青い目のCA嬢がにこやかに差し出してくれたリーフレットをぺらりとめくるなり羊子の顔が固まった。

「なんで、あたしだけ……アニメ?」
「え」
「そっち見せなさい、そっちの!」
「どうぞ」
「………洋画………」
「あー、その……一冊どうぞ。俺はロイと一緒に見ますから」
「もらう」

 だが羊子が選んだのは結局、アニメーション映画の「カーズ」だった。しかも、にまにましたり、時々足をじたばたさせながら見ている。

「……けっこう気に入ってマス?」
「いや、あれは多分、吹き替え版だ」
「なるほど、声に萌えまくってるんだネ」
「麦人さんに土田大さんだもんな……」

次へ→【5-3】空港にて

【5-1】兆シノ夢

 
 夢を見た。

 足にまとわりつく湿った砂。打ち寄せる波。手足が冷える。でも、それがここちよい。
 ばしゃりと散った波頭が鳥になる。白い翼の海鳥が周囲を円を描いて飛び回る……手をのばした瞬間、足下の暗闇に引きずり込まれた。
 窓のない暗い部屋。たちこめる獣の臭いに息が詰まる。まとわりつく手、手、手……。

 肌を這いずりまわるじっとり湿った指に悪寒が走る。振り払うのはいつでもできる。だが今はまだ早い。こらえるんだ。真実が見えてくるまで。
 意識の周囲に透明な薄い壁を張り巡らすのにとどめる。生々しい感触が少しだけ弱まり、考える余裕ができた。

(この夢、だれが見ているか……わかった)

 周囲の闇がすうっと引いて行く。夢を見ている者と自分の物理的な距離に気づいたからだろうか。

(どこ……? どこにいるの?)

 チリ……。
 かすかな鈴の音。意識を向けると、その方角に闇がわだかまっていた。
 もやもやとした闇色の霧の中心で、胎児のように丸まって眠っている子どもがいる。乾涸びた根がしゅるしゅるとまとわりついてゆく。今の彼に振り払う力はない。

 チリン!

 鈴が鳴った。さっきより強く。
 ちいさな白い猫がうなる。乾涸びた根は一瞬ひるんで後退するがまた別の根が影のようにからみつき、決してゼロにはならない。

 乾涸びた根は既に、少年の身近な人々にも狙いを定めていた。少年を拠点に現実の世界に結びつきを強めようとうごめいていた。
 今はまだ薄い、だがこのままではいつか、彼は捕まってしまう。
 急がなければ。

 高い場所にある寝室の窓の外、灯りに群がる虫のように『よからぬもの』どもが飛び回っている。何て数。

(でもあいつらは小物)

 本体は別にいる。瞳を凝らし、横たわる距離と時間の向こうに揺らぐ真実を見据える。
 フィルムの逆回しのように景色が巻き戻り、やがて見えてきた。最初にこの場所にやってきた『モノ』の面影が……。

 飛び回るちっぽけな魔物どもの中に、ひっそりと立つ影三つ。頭上にゆるく螺旋を描く頂く二対の角をいただき、やせ衰え枯れ木のように背が高い。裾がぼろぼろになった赤い長衣をまとっている。華奢な体格、腰はふっくらと丸みを帯び、胸元が盛り上がっていた。

(見つけた)

 いきなりくんっと視界が後退した。現(うつつ)の光に包まれて、ほの暗い夜の夢がみるみる希薄になって行く。夢の終わる間際に、坂の多い海辺の街が見えた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 ぱちりと目を開けると、結城羊子はベッドの上に半身を起こした。

「シスコか……」

 寝間着がじっとりと湿っている。獣くさい息のにおい、肌の上を這いずる指……わずかに身震いすると羊子は頭をゆすって忌まわしい夢の名残を払いのけた。
 普段は滅多にこんな風に海の向こうの異変を感知することはない。だが、サンフランシスコは彼女にとっては特別だ。わずか一年だったけど自分はあの町に暮らしていた。住んでいた。思春期の多感なひとときを確かにあの町で過ごした。
 友人も多いし、今は従弟のサクヤが住んでいる。

 どこで、何が起きているのかは知ることができた。

 何者かがあの子を狙っている。過去の傷を足がかりに彼の心を浸食しようとしている。なまじ人にはない能力を持っている子なだけに、支配されてしまったら取り返しのつかないことになる!
 しかも今回の相手は宿主を拠点にしてその家族を狙う性質を持っているようだ。このままでは、もう一人の少年や赤毛の気さくな友人、それに彼の愛する伴侶にも危害が及ぶ。狙われた少年にぞっこん参ってるへたれ眼鏡にも。

 元々あの子はああいったモノを引きつけやすい傾向がある。これまではサクヤとカルが対応してきたし、身近に『お守り』もある。
 ……だが、今度ばかりはいつになく強力な奴が寄って来たようだ。
 
 枕元でメール受信を知らせる携帯のライトがチカチカと点滅していた。だれからのメールか、見なくてもわかっていた。
 

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【5-0】登場人物紹介

 
 sally02.jpg
【結城朔也】
 通称サリー。カリフォルニア大学に留学中の日本人。23歳。
 癒し系獣医。
 サクヤという名が言いづらいためにサリーと呼ばれているが、男性。
 従姉のヨーコ(羊子)とは母親同士が双子の姉妹で顔立ちがよく似ている。
 身長はかろうじてヨーコよりは高い。
 
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【結城羊子】
 通称ヨーコ、サリー(朔也)の従姉。26歳。
 小動物系女教師。
 高校時代、サンフランシスコに留学していた。
 現在は日本で高校教師をしている。実家は神社。
 身長154cmの凹凸の少ないコンパクトなボディに豪快な男気がぎっしり詰まっている。
 
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【風見光一】
 目元涼やか若様系高校生。ヨーコの教え子でサクヤの後輩。17歳。
 家が剣道場をやっている。自身も剣術をたしなみ、幼い頃から祖父に鍛えられた。
 幼なじみのロイとは祖父同士が親友で、現在は同級生。
 無自覚にぶいぶい可愛さを振りまく罪な奴。
 剣を携えた若武者のドリームイメージを有す。
 風の刃をふるい悪夢を一刀両断。
 
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【ロイ・アーバンシュタイン】
 はにかみ暴走系留学生。ヨーコの教え子。17歳。
 金髪に青い目のアメリカ人、箸を使いこなし時代劇と歴史に精通した日本通。
 祖父は映画俳優で親日家、小さい頃に風見家にステイしていたことがある。
 現在は日本に留学中。
 ニンジャのドリームイメージを持ち、密かに風見を仕えるべき『主』と決めている。
 コウイチに近づく者は断固阻止の構え。
 
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【カルヴィン・ランドールJr】
 純情系青年社長。ハンサムでゲイでお金持ち。33歳。
 通称カル。ジーノ&ローゼンベルク法律事務所の顧客の一人。
 世慣れた遊び人なのにどこか純真で一途に片思いなんかもしたりした。
 ヨーコとともにある事件に巻き込まれたのをきっかけに秘められた能力に目覚める。
 骨の髄からとことん紳士。全ての女性は彼にとって敬うべき「レディ」。
 風見とは海と世代を越えたメル友同士。
 吸血鬼を彷彿とさせるドリームイメージを持つ。
 
 
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【テリオス・ノースウッド】
 通称テリー。熱血系おにいちゃん。
 獣医学部の大学院生、専門はイヌ科。
 サリーの大学の友人だが周りからは彼氏と思われているらしい。
 基本的に面倒見が良く、女の子に甘い。
 動物はなんでも好きだけれど特に犬系大好き。
 社長がサリーにちょっかい出してると信じて絶賛警戒中。
 
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【オティア・セーブル/Otir-Sable 】(左) 
 不思議な力を持つ双子の片割れ。17歳。
 ややくすんだ金髪、紫の瞳、身長170cm、やせ形。
 マクラウド探偵事務所の有能少年助手。
 双子の兄弟との深刻な仲違いがきっかけで精神不安定気味。
 そんな彼の過去の壮絶な心の傷に、夢魔の群れが忍び寄る。
 
【オーレ/Oule】(右)
 オティアの飼い猫。探偵事務所のびじんひしょ。
 白毛に青い瞳、左のお腹にすこしゆがんだカフェオーレ色の丸いぶちがある。
 小さい頃の名前はモニーク。もらわれてから名前が変わった。
 最愛の『おうじさま』=オティアを守る天下無敵のお姫様。
 趣味はフリークライミングとトレッキング(いずれも室内)、好物はエビ。
 
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【ディフォレスト・マクラウド/Deforest-Macleod】 
 通称ディフ、もしくはマックス。
 元警察官、今は私立探偵。ヨーコとは高校時代からの友人。26歳。
 ゆるくウェーブのかかった赤毛、ヘーゼルブラウンの瞳、身長180cm、肩幅やや広め。
 マクラウド探偵事務所の所長でオティアの保護者。
  



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