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羊さんたちの遊卓

#1「ひとすじの光」

 
 青い森。月光の森。
 熱のない金色の光、彩(いろ)のない銀の影。

『君は一緒に来てはいけない。残って後に続く者を導け』
『いいね……羊子』

 ちょっぴり皺の寄った、骨組みのがっしりした手が頬を包む。間近に見上げた面影に胸が高鳴った。
 唇が……温かい。
 瞳を閉じた。
 
 背に回された腕が優しく髪を撫でる。
 ずるい人。とっくに気づいてたんだね? 私の想いに。ちゃんと、見ていてくれたんだね……女として。隠していたんだ。すっかりだまされてた。
 あの時も。あの時も。
 嬉しい。悔しい。

 やっぱり嬉しい。

『行きなさい。さあ』

 優しい腕が放される。ついさっきまで私を包んでくれた胸が。肩が。唇が、遠ざかる。
 残されたのはただ一つ、手の中にずしりと、小さな中折れ式の拳銃。

『振り向いてはいけないよ。いいね、羊子』

 うなずいて、一歩踏み出した。

『……いい子だ』

 走る。
 走る。
 息を乱し、声を殺して前へ、前へ、ひたすら前へと地を蹴って。吹き付ける風に飛ばされて、あの人に抱かれたあたたかさも、重ねた唇のぬくもりすら散り散りになって消えて行く。
 冷たい炎に灼かれて灰になって……

 朽ち果てた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 張り巡らされた罠と追いすがる敵をどうやってかいくぐったのか。ひたすら撃った。走った。彼との約束を果たす、ただそれだけを拠り所に。
 私に戦う能力はない。手の中に握り閉めた小さな拳銃だけが頼り。見通す力と癒す力を駆使して生き延びた。

 もう一度会いたい人を背後に残して。

 一蹴りごとにあの人から遠ざかる。自分の意志で遠ざかる。涙は出ない……出さない。出すものか。

 地面に落ちた影が不意に盛り上がり、正面に、敵が立ちはだかる。ぞろりと身の丈を遥かに越えた黒い刃を振りかざして。
 撃つ間もなく斬りつけられた一撃を、かろうじて銃のグリップで受ける。衝撃に腕の骨が痺れてきしみ、あっと言う間に押し切られた。
 
 服が切り裂かれ、皮膚が、肉が裂ける。吹き出す真っ赤な血を見ながら仰向けに倒れた。

 家族の顔は浮かばなかった。父も、母も、叔母も。
 だれよりも近しい子。ずっと守り、慈しんできたはずの従弟のサクヤさえ……酷い奴だ、私は。
 ちっちゃいころからいつも私の後をついてきた。癒す力が初めて目覚めたのも、あの子の怪我を治そうとしたときだった。
 
 あの子には今、心を許せる友達はいないのに。少なくとも人間の中には。

 黒い剣を構えた男(そう、多分男だ)がのしかかってくる。下卑た嘲りの笑いを浮かべた口元から、生臭い息がふきつけられる。

『さあて、どこから切り刻んであげようかな、お嬢ちゃん』

 切っ先が胸に押し当てられる。死を覚悟したが、鋭い刃が裂いたのは身につけた衣服だけだった。
 無造作にかきわけられ、素肌が風さらされる。まとわりつくねっとりとした視線に怖気がたった。

『きれいだねえ……まだだれの手も触れていないんだろう。においでわかる。いいねえ、たっぷり時間をかけて刻んであげよう』

 舌なめずりをしながらのしかかってくる。そうだ、もっと近づいて来い。
 こわばる指先に意識を集中する。

『その体から全ての血が流れ尽くすまで……愛してあげるよ』

 無造作に胸をつかまれた。その瞬間、銃口を押しつけ引き金を引いた。
 反動で男の体がのけぞり、吹き飛び、倒れた。

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 illustrated by Kasuri

「当たりに来てくれて……ありが……と……」

 くっと口の端がつり上がる。だが、そこまでだった。
 肌を刺す鋭い草の刃の間に横たわったまま、ぼんやりと知覚した。一つ心臓が脈打つごとに体内の温もりが流れ出し、冷たい地面に吸い取られて行くのを。
 このまま永遠の眠りに落ちればあの人にまた会えるのかな。叱られるかな。ああ、でもできることなら生きてもう一度……。

 声が聞きたい。
 顔が見たい。
 少しゆっくりと間延びした低い声で呼んで欲しい……『羊子』って。

 空しく願いながら灰色の霧に飲み込まれた。

『羊子くん!』

 意識を失う刹那、聞き覚えのある声で呼ばれたような気がした。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 目を開けた瞬間、思った。

 あ、起きちゃった。
 もう、目を覚ますことなんかないって覚悟してたのに。

 広い、静かな畳の部屋に寝かされていた。清潔な寝間着を着せられ、怪我は手当されていた。高い天井、太い柱。
 自分の家に似ている、でも違う。

 ここは、どこだろう?

 右の手のひらがこわばっている。拳銃をにぎりしめた形のまま、固まってしまったみたい。起き上がろうとすると、体の節々が悲鳴を上げた。
 胸部を斜めに走る衝撃に思い出す。
 そうだ、私、斬られたんだ。

「う……」
「じっとしていなさい」
「あ……風見先生?」
「もう大丈夫だ、羊子くん。結城神社には知らせておいた。安心していい。少し、眠りなさい」
「は……い………」

 あの人がどうなったのかは、聞けなかった。
 聞く必要もなかった。

 とろとろと眠り、また覚める。焼け付くようにのどが乾いていた。水が欲しかった。よろめきながら半身を布団の上に起こす。枕元に水差しと湯のみが置かれている。
 腕を伸ばそうとして、右手の動かなかった訳を知った。包帯でぐるぐる巻かれてる……さらに左手にはでかい絆創膏。こまったな。これじゃ飲めない。

 ちょっと眠って回復もしたし、手だけでも治しておこうか。
 意識を集中するが……何も起きない。
 完全な空振り。今まで普通にあったものが、ない。根元からごっそりえぐりとられたように消えてしまっている。

(そんな、まさか?)

 単なる失敗だ。こう言うこともあるよ、落ち着いて、もう一度……あ、そうだ、別に自分で飲む必要もないよね。式ちゃん呼ぼう、式ちゃん。
 首にかけた守りの鈴に手を触れて、りん、と鳴らす。

「出ておいで」



 りん。



「出て………おいで………」


 りん。
 りん。
 りん。
 りん。

「出てきて……お願い…………っっ」

 りんっ!

 むしりとって叩き付けた。
 消えてしまった。何もかも無くしてしまった!

「あ……あ……」

 来てはいけないとあの人は言った。残って後に続く者を導けと。

「う……ぐ…………………………」

 それすらかなわない。

「あぁっ」

 共に散ることが叶わないのなら、せめてあの人に託された願いを果たしたかった。それだけを支えに生き延びたのに。
 これじゃ、何もできないよ……何も……。

(ナニモナイ)
(ナニモ残ラナカッタ
(全テ消エテシマッタ)

 おしまい。

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 illustrated by Kasuri

 哭いた。
 溶けたはらわたを喉の底から絞り出して、身をよじり、吠えた。意識の片隅で今、同じ苦しみをサクヤにも伝えてしまうのだろうかと憂いながら。

 感じたのだ。力を失っても、何故か……そのつながりだけは絶たれてはいないと。
 喉が枯れる。泣くのって、けっこう体力使うんだな………もう声すら出ない。悲しみも痛みもちっとも減らない、なのにうずくまって震えるのが精一杯だ。
 その分、じりじりと内側が灼けて行く。冷たい炎に灼かれて行く。ぎりっと歯を食いしばる。口の端にかすかに鉄さびの味がした。

 ちりん。

 かすかに鈴の音色を聞いた。

「……え?」

 顔を上げると、小さな男の子がそこにいた。小学生ぐらいだろうか? 目元の涼やかな、幼いながらも凛とした男の子。風見先生によく似てる。
 お孫さんが一緒に住んでるって前に聞いたことがあった。
 この子が?

「おねえさん、これ」

 手のひらには、さっき自分が投げ捨てたはずの鈴が握られていた。

「だいじなものなんだよね。はい……」

 少年はとことこと歩み寄ると鈴を手のひらに載せてくれた。

「あ……」

 ありがとう、って言いたかった。けれど声が枯れきってて音にならない。少年はちょこんと首をかしげると水差しの水を湯のみに注ぎ、両手で捧げもった。
 
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 illustrated by Kasuri

「おねえさん、手、けがしてるから……どうぞ」
「うん……」

 目をとじて口をつけた。
 水が、流れて行く。しゃがれた喉を通り抜け、燃え尽きた心臓を潤して、私の中に、染み通る。ちりっと口の端の傷に染みる、その痛みすら生きている印なのだと思うと愛おしい。

「おいしい?」
「うん、おいしい………」

 それは、何の変哲もないただの水。けれど真っ黒に塗りつぶされて、乾涸びて、これっきり終わりだと思った心に一筋の光をくれた。

「ありがとう」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

 やがて時は流れて………。
 結城羊子は教師になった。生まれた町から私鉄の駅二つ分離れた高校で歴史を教えている。

『君は一緒に来てはいけない。残って後に続く者を導け』

 あの人と交わした約束を守って。
 力は失われたがタロットカードを使った鍛錬は未だに続けている。カードを使うとぼんやりと波動を読み取ることはできるのだ。
 全てが失われた訳じゃない。教え子たちからはこっそり『魔女先生』なぞと呼ばれているらしい。

(魔女、かぁ……)

 そう言や昔、高校の同級生にそんな風に呼ばれてたなあ。あいつ今、どうしてるんだろう?

 今日は入学式。教職についてから三年目で初めてクラス担任を受け持つことになった。
 ほんの少し緊張しながら教室に入る。

 うわ……やっぱりみんな、背が高い。
 ちょこまかと歩いて教壇に立つが、だれも気づいてはくれない。身長154cm、童顔でぺったんとした体型の彼女は教師として認識されないらしい。『あー、だれか女子が前に立ってるか?』と思われるのがせいぜいか。

 OK、想定内。よくあることだ。

 深く息を吸い、ぱしぃん、と両手を打ち鳴らす。
 これでも神社の娘だ、柏手は打ち慣れている。年季の入った鋭い音に、しん、と教室が静まり返った。視線が一斉に向けられるその瞬間をつかまえる。

「はい、みんな席について。予鈴はとっくに鳴ったぞ?」

 ざわざわと席に座る生徒の一人に目が吸い寄せられた。ぴしりと伸びた背筋、涼しげな目鼻立ち、どこか若様然とした凛とした風貌。

(まさか……あの子は……)

 歳月を経てあの時の小さな男の子は今はもう自分より背が高い。こっちを見て、にこっとほほ笑んだ。その笑顔はあの時と変わらない。

(……覚えてないんだろうなあ)

 にまっとほほ笑み返し、壇上から教室を見回した。

「諸君、入学おめでとう。私は結城羊子、今日からこのクラスの担任だ。以後、よろしく……それじゃ自己紹介してもらおうか。まずはそこの君から」
「はい。風見光一です」

 伝説【レジェンド】を識る者と深き路【ディープ・ルート】を辿る者。再び巡り会ったこの時から、新たな夢が始まる。


(ひとすじの光/了)
  • この師弟コンビのこの後の活躍は…こちらをご参照ください。
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