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【サンプル7:終幕】

小説十海
 
 村を囲む壁の外。雪姫川を渡った北側、ほとんど人の手の入らぬその岸辺に、薪が積み上げられていた。その上には、息絶えたエイベルとメイガンの亡骸が横たえられている。
 二人一緒に布で包み、固く固く紐で結んだ。離れぬように。分けられぬように。
 髪も瞳も唇も。肉も骨もあまさず灰になるように、薪にも布にも、しっかりと油をしみ込ませた。

 そこまで準備を整えておきながら、グレンは立ちすくんでいた。燃える松明を手に、石になったように動かない。
 長い長い沈黙の後、ハーツが声をかけた。
「代わってやろうか?」
「いや。俺が、やる」
 ずずっと鼻水をすする気配がしたが、聞こえないふりをした。
「メイガンは、俺に頼んだんだから」
「……だよな。惚れた女の、最後の願いだものな」
 のっそりとグレンはうなずいて、一歩進み、手を伸ばした。松明の火が薪に触れる。
 燃え上がる炎が、鮮やかな赤毛と精悍な横顔を照らした。
 ぼとぼと涙を流し、鼻水をすすっている。みっともないことこの上ない。だが、目はそらさない。惚れた女の亡骸が、炎に包まれる有り様を見守っていた。
 見届けていた。

 グレンは悔しかった。
 愛した夫のために、メイガンが自分を誘惑したことが。
 そんなにまでして彼女の愛した男が、とっくの昔に死んでいたことが。
 よりによってその男が、自分なんかに嫉妬して、彼女を道連れにしたことが。
「もしも。もしも俺が、もっと、上手くやっていたら。メイガンは……」
 問いかけても答えはなく。雪姫川はただ、滔々{とうとう}と。滔々と流れ行くのみ。
「グレン……泣いてる?」
 ハンカチを手に歩き出そうとするネイネイを、ハーツが押しとどめる。
「おじさん」
「あいつ、女の子の前だとかっこつけちまうからさ。泣かせてやってくれよ」
 ネイネイは片方だけ耳を伏せた。
 それからスミレ色の瞳でハーツを見て。ずびずび鼻をすするグレンの背中を見て。もう一度ハーツを見上げてから、改めて、ぴっと両耳を立てた。
「お茶をいれてくる。泣いた後はのどが渇くからね」
「そうだな。それがいい」
 ポットの底にカミツレ敷いて、仕上げにシナモンひとつまみ。
 熱いお湯とハチミツ注いで……。

(青き月影、白い牙/了)

次へ→【NPCデータ】

【サンプル6:それが君の願いなら】

小説十海

 刻印の出現は、グレンにナジャとしての使命を思いださせる。だが同時に、人狼屍鬼エイベルに宣戦布告をしたも同然だった。よりによって彼自身の家(縄張り)で。
 結果として、怒り狂ったエイベルは日没も待たずに襲って来た。充分な対策を練ることができず、ナジャたちは苦戦を強いられる。

 計画では、あえて守りの薄い家畜小屋を用意し、そこに狼を誘い込む手はずだった。しかし、敵は準備ができ上がる前に。陽の落ちる前に襲ってきたのだ。
 罠は動かせない。中まで狼を誘導しなければ意味がない。
 幸い……そう、幸いなことに、エイベルは執拗にグレンを狙ってきた。
「こっちだ。俺はここにいるぞ。俺が怖いか、エイベル!」
 怒り狂った狼は、あっさりと挑発に乗ってきた。
(そうだ、俺を追って来い!)

 月影青く尾を引いて
 闇に閃く 白い牙
 凍える息は生臭く、墓場の土の味がした。

 行く手に、家畜小屋が見えてくる。開け放たれた入り口から飛び込んだ。すぐ後ろを人狼屍鬼が追ってくる。
 かちっと、背後で牙が空を噛む。
 間一髪、窓から強引に抜け出たその直後。全ての出入り口と窓に、鉄格子が落とされた。
 小屋の中にはあらかじめ薪と、油をしみ込ませた藁が積み上げられていた。
「今だ!」
 ハーツの合図で一斉に火が放たれた。
「メイガン! メーイーガーン……メイガァアアアン!」
 燃え盛る小屋の中、人狼屍鬼の断末魔の絶叫が響く。
「やめて! 私の夫に何をするの!」
 半狂乱になって駆け寄る妻の目の前で、小屋は無残にも轟音とともに崩れ落ちた。
「あ……あ……」
 ぼう然とへたり込むメイガンの肩に、ためらいながらグレンが手を乗せる。
 彼女が振り向いた。止めどなく涙を流す虚ろな瞳が、ゆっくりと焦点を結ぶ。
「ディー……」
 その時だ。
 小屋の残骸から、焼け焦げた肉塊が飛び出した。
 ぱあっと真っ赤な花が咲く。頬に。手に。熱い、真っ赤なしぶきが飛んだ。それが、彼女の首から迸る血だと理解するのに、ほんの少し時間がかかった。
 何と言う執念。
 エイベルは最後の力を振り絞り、メイガンの咽を噛み裂いていた。
「お前に……彼女は……………渡さない」
 妻の鮮血に染まる口でニタリと笑うと、エイベルは息絶えた。今度こそ、永久に。

「メイガン……メイガン……」
 倒れた彼女を抱き起こす。噛み裂かれた首筋から血が噴き出し、地面に赤い水たまりを作る。
「ハーツ! 頼む、彼女を助けてくれ、治してくれ! お前ならできるだろ?」
「グレン」
 ハーツは動かない。ただ見ているだけ。そして、告げた。スミレ色の瞳が厳しいほどに、まっすぐに、震え、おののく若い心を貫き通す。
「彼女に先はない。仮に魔法で傷を塞いだとしても、屍病で死ぬ運命が待っている」
「でもっ!」
 傷口を手でふさぐ。だがそれだけじゃ、とてもじゃないけど止められなかった。
「このまま見送ってやれ」
「嫌だ!」
「デ……ィー……」
 指先にかすかな動きが伝わる。メイガンが首を振っていた。
 小さく、だがはっきりと、横に。
「私と……彼を……一緒、に、焼いてっ……離れたく、ないの」
 ひゅう、ひゅうと咽を鳴らしながら。口から血を吐きながら。彼女は奇跡的な努力を振り絞って言い終えた。
「どちらがどちらの骨なのか。灰なのか。分からなくなるまで……お願い」
 それは、彼女の最後の言葉。
 死に行く女から、残される男に託された、たった一つの願い。

次へ→【シナリオ6:結末】

【サンプル5:刻印は輝く】

小説十海

 わかっていた。
 人狼屍鬼の正体が誰なのか。だからこそあの一瞬、剣を振る手が鈍った。
(丸い月に誘われて、今夜もあの男は狩りに走るだろう。血と、悲鳴と、肉を求めて)
 メイガンは、家の前に立っていた。自分が来ると、知っていたみたいだ。姿を見るなり、するすると滑るような足取りで近づいてきた。
「ディー」
 懐かしい子供の頃の呼び名が、胸元で響く。しなやかな指が服を握りしめる。
 彼女は腕の中に居た。幼ない日の淡い思い出なんかじゃない。確かな、生身の女として。
「がまんできなかったのよ」
 取りすがったまま、メイガンは震える声を振り絞った。
「仕事を求めて牧場から牧場へ、町から村へ流れ歩く暮らしが……世話する家畜も、耕す土地も、眠る小屋さえも、何一つ自分のものじゃない。ねえ、ディー、あなたなら、わかるでしょう? 同じ辛さを知っているもの。ね?」
 ぺったりと身を寄せ、体を預け、全てを委ねて来る。触れ合う体と体から、肌の熱さが。息遣いに上下する、胸の丸みが伝わってくる。
「地面にしっかりと根っこを下ろしたかった。明日の寝床を心配しないですむ暮らしがしたかったの! だから、あの人の求婚を受けたのよ……」

 誰が彼女を責められるだろう?
 よくある事だ。今までもそれこそ何人、いや何十人ものザハールの女性が同じ理由で土地の若者に嫁いできたのだ……好いた惚れた以前にまず、安定した暮らしを求めて。
「最初のうちは幸せだった。何もかもうまく行ってた。去年の冬、あの人が狼に噛まれるまでは」
「わかってる、メイガン。君のせいじゃない」
 エイベルを噛んだ狼が、人狼屍鬼だったから。彼が『食い殺されずに』生き延びてしまったから……
 エイベル自身が屍病を患い、己を噛んだ獣と同じ、不屍の怪物になってしまったから。
「ただ、運が悪かった。それだけなんだ」

 人狼屍鬼は、知性のある不屍だ。太陽を恐れず、人間に化ける。
 恐らく、エイベルは、以前と何も変わらなかったのだろう。少なくとも、メイガンにとっては。
 月が満ちるとともに感情の抑制を失い、ついには夜毎の殺戮に走る。それでも、彼女は夫を見捨てる事ができなかった。離れる事ができなかったのだ。

「あの人、決して私には牙を向けなかった。私を守るため、外で『狩り』をしていた。それだけなのよ」
 何人死のうが構わない。今の平穏な暮らしを守るためなら。
 何人殺しても構わない。彼女を守るためならば。
 そして、二人は『狩り場』を変えた。月が変わる事に転々と。
「お願い、見逃して。他所に行くわ。もう二度とこの村には戻らない。だから、お願い……」
 濡れた銀灰色の瞳が見上げている。ふっくらした桜桃の唇が、うっすらと開いている。何かを求めている。誘っている。
 そう、彼女は体全体で告げていた。『お願い』を聞いてくれれば、自分も応える用意があると。
(やばい。これ以上見たら……)
 きつく目を閉じ、顔を背ける。しかし、その程度で逃げ切れるはずがなかった。
「私のこと、まだ好きなんでしょう?」
 滴るほどの蜜を含んだ声が、追いすがる。
 できるものなら、頷いてしまいたい。惚れた女の頼みを断る道理があるか?
「………メイガン」
 つぶやいた瞬間。閉ざされた瞼の裏に、矢車菊の青が閃く。己が何者なのか。何故『ここ』に居るのか。左目に刻まれた印が告げる。
 忘れるな。見るべきものを見よ、と。

「メイガン。もう俺は、あの頃の子供じゃないんだ」
 二度目に口にした名前は、明らかに先刻の呼びかけとは違っていた。
 研ぎ澄まされた言の刃が、甘い過去を断ち切り、『今』をえぐり出す。
「ディー?」
「今の俺は……君たちを見逃せない」
 うつむいた顔をあげる。左のこめかみから頬にかけて青々と、疾駆する馬の形が燃え上がる。
 幾度生まれ変わっても、変わらずそれは、そこにある。自ら輪舞に身を投じ、戦い続ける者の印……希望の灯火{ナジャ}の刻印。
 メイガンは全てを悟ったようだった。
「そう………あなたは……」
 固い声でつぶやくと、彼女は手を離し、後ろに下がった。
「だったら、しかたないね」
 その瞳からは、一切の温かさも。親しみも消え失せていた。
 ああ、メイガン。メイガン。俺は、君の。いや、君たちの『敵』になっちまったんだな。

次へ→【シナリオ5:人狼屍鬼との対決】

【サンプル3:そして彼は耳を塞ぐ】

小説十海

 仕事を終えて帰ってきたグレンを呼びつけ、宿の裏庭に連れ出した。
 大鍋亭の裏庭は細長く、雪姫川の岸辺まで続いている。ここなら人に話を聞かれる心配はない。せいぜいがとこ、川の魚か水鳥ぐらいなものだ。
「なあ、グレン。お前の幼なじみな。メイガンつったっけ?
「うん!」
 ったく、煮崩れイモみてぇにだらけきった面しやがって。どうした相棒。しゃっきりしやがれ!
「一月前に、引っ越して来たんだってな」
「ああ、うん、前はエルルタンタに住んでたって聞いた」
「そうだ、確かに旦那の方はあの村の生まれだ。だがな。あの二人、ここへはエルルタンタから引っ越してきた訳じゃない」
「……え?」
「半年前にいきなりユーリモレに引っ越したそうだ。そこから先はオレインベギ、メンディリラと来て、サガルロンドじゃ二回。アンヘイルダールで六回目だ」
 そらされる視線を追いかける。一歩踏み出し、小刻みに揺れる緑の瞳を正面から見据えた。
「いくらザハールが流浪の民だからって、ちょいとばかし多過ぎやしねぇか?」
「………別に。珍しいことじゃないだろ」
 あーららら。完璧に顔、背けちまったよ。
「おいこら、グレン。グレン。こっちを見ろ。話を聞け」
 頬に手を当て、ぐいっとこっちを向かせた。
「何、しやがる」
「ひと月に一度、引っ越してるんだよ。しかも、あの二人の行く先々でことごとく『壁の中の狼』が暴れてる」
 それが『何』を意味するか。お前はもう、わかってるはずだ。
 頼む。これ以上、言わせるな。
「運が悪かっただけだ」
 やっぱ、だめか。
「メイガンは、悪くない」
 目を細めて赤毛の青年をねめつけ、ぴしりと言い放つ。
「いっちょ前に、女にうつつ抜かしやがって。色惚けしてる場合じゃねえぞ、グレンディール!」
「何だとっ!」
 お、いい顔になったな。歯ぁ剥いてにらんでやがる。
「言っていいことと悪いことがあるぞ、ハーティアル! あとその名前で呼ぶな!」
「お前もな」
 なるほど、まだ闘志は健在か。根こそぎ『牙』を抜かれた訳じゃなさそうだ。安心した。
「一度や二度なら、運が悪いで済みもしよう。だが、六回ともなりゃ、もう偶然でも何でもない。あの夫婦は、怪しい」
「メイガンを、悪く、言うな」
「グレン。お前さん、あの家に呼ばれて何をやった? 鍋を直しただけだろ。鉄格子も、鉄の刺の取り付けも頼まれなかった。襲われないって知ってるからだ!」
「言うな、言うな、言うな、聞きたくない!」
 あー、あー、あー、耳塞いじまったよ。子供か、お前は。
「わかったよ。だがこれだけは忘れるな。俺は黙っても、お前さんの『青い馬』は……ちゃんと知ってる。そうだろ、グレン?」
 答えず、足音荒く立ち去る相棒が、視線をそらしてすれ違うその刹那。
 低い声でささやいた。
「見るべきものを、見ろ」
 グレンは一瞬、足を止めた。だが、それだけ。結局、振り向きもせずに行ってしまった。
 あえて止めず、行くに任せる。

(あいつが自分で思い止まらなきゃ、意味がない)

次へ→【シナリオ4:真相】

【サンプル4:うそつきは誰?】

小説十海

 グレンは立ち尽くしていた。愛剣を手にしたまま、ぼう然と目を見開いて。
 空には月齢十二の丸い月。青白く冴えた光を浴びて、そいつは二本足で立っていた。
 輪郭に限って言えば、その姿は以前対戦した人狼鬼(ウルフマン)に似ていた。元は同じ生き物だったのだから当然だ。だが赤く燃える瞳は半ば白く濁り、針金のような剛毛は色が生来の灰色が抜け落ち、不吉な銀色の輝きを帯びている。
 その事実が知らしめた。かの者は生ける屍。人狼鬼が屍病を患い変じた不屍の魔物……人狼屍鬼(ワーウルフ)なのだと。
「気を付けろ、グレン! そいつに噛まれたらコトだ!」
 ハーツの言葉が虚ろになった頭の中を通り抜ける。
 意味はわかる。人狼屍鬼に噛まれた者は屍病に冒され、熱と痛みに苦しみもがいた揚げ句三日後に死に、日没とともに起き上がる。新たな人狼屍鬼として……。
(こいつも元は人間だったのだ)
 人狼屍鬼はぶるっと首を揺すってくわえた物を吐き出した。食いちぎられた子牛の首が地面に転がる。
(今は、違う!)
 剣を握り出し、左足を軸に一歩引いて体を捻る。上体を屈めて低く構え、上目に敵をにらみ付けた。じりっと右足に力を込めたその刹那、そいつは墓場の息を吐きながらこちらを見据え、呼びかけて来た。
 がちがちと牙を鳴らし、確かに人の言葉で。
「………ディー………」
 心臓を凍えた手でつかまれた心地がした。
 何故その名で呼ぶのか。
 それしか知らないからだ。
 子供の頃の呼び名を知ってる者は、この村でただ二人だけ。一人はメイガン、そしてもう一人は……。
「まさか、お前っ」
 次の瞬間。
 人狼屍鬼は身を翻し、跳ねた。助走も無しに軽々と家畜小屋の屋根を飛び越え、視界から姿が消える。それでもグレンは動けなかった。
 ひゅんっと空を切って礫が二発飛ぶ。
 ああ、ネイネイとハーツが打ったんだ。ぼんやりと頭の隅っこで考える。投石杖を使ったネイネイの弾の方がハーツに比べて、遠くまで飛ぶ。だがそれでも人狼屍鬼には届かなかった。
 当たった所でどれほどの意味があったかわからないが……。
 屍闇の力を得た人狼屍鬼は、傷を受けてもすぐ再生してしまうのだ。
「くっそ」
 ハーツが舌打ちする。悔しげに歯ぎしりして敵の消えた暗がりをにらんでいた。がすぐに赤毛の相棒に向き直り、耳をひっつかんで怒鳴った。
「何やってんだお前!」
「…………ごめん。体すくんで、動けなかった」
「ああ、それじゃしょうがねぇわな」
 ハーツは肩をすくめたが、スミレ色の瞳が語っていた。
(お前、ビビってなんかいないだろ)
 いたたれず、目をそらす。
 壁の中の狼が誰なのか、わかった。
 知りたくはなかった。
 
     ※

『何故、あそこでためらった』
『お前は何を知っている?』

 問いただせぬまま、言い出せぬまま時間は流れ、朝を迎える。

 大鍋亭の裏庭、雪姫川を見下ろす岸辺の斜面に3人は居た。
 ネイネイは篭いっぱいに盛ったイモの皮を剥き、ハーツとグレンも各々自分の小刀を出して手伝った。
 ありふれた日々の暮らしの風景。こうしていると、何もかも夢だったみたいに思えてくる。
 昨夜の戦いも。半ば人、半ば狼の姿。忌わしい病をもたらす、人狼屍鬼……『壁の中の狼』の存在も。
 だが、現実だ。
「なあ、グレン」
「んー」
 ぽつりとハーツが言った。
「お前さんは、昔っからほんっとに馬鹿正直で、真っ直ぐで。一度親身になった相手からの頼みは、絶対に断らねぇよな」
「どーゆー意味だ」
「一途で誠実だってことさね。でもよぉ、グレン? 人間ってのはな、オウガ程じゃねぇが仮面を被って生きてるもんだ。それこそ、いくつもの仮面を使い分けてな」
 いきなり何を言い出すのか、この親父は。夕べからずっと、言いたいことがあるんだろうとは思っていた。に、したって。
(イモの皮むきながらする話か?)
「何が言いたい」
 心当たりは、あった。故に自ずと声は低く、表情は険しくなる。だが、ヒゲの薬草師は相変わらず、のほほんとした口調で言葉を続ける。
「お前さんのそう言う所につけ込んで、利用する奴も居るってことさね」
「胸っくそ悪ぃ。考えたくもない」
「俺だって、『物分かりのいい優しいおいちゃん』の仮面を被ってるだけかも知んねえよ?」
 笑ってやがる。咽の奥でクツクツと声を立てて。
 グレンは顔を真っ赤にしてハーツをにらんだ。剥きかけのイモを鍋の底にたたきつけ、立ち上がる。
「あ、どこ行くのグレン!」
「……それでも。それでも、俺は……っ!」
 吐き出すように言い捨て、大股で歩み去る。だがハーツは見逃さなかった。グレンの怒りの形相にほんの少し、泣きそうな表情が混じっていたのを。
 ネイネイは耳を伏せた。さくさくイモを剥きながら、ハーツの方をちらとも見ずに、さらりと言った。
「おじさん、今、嘘言ったでしょ?」
「……………………バレた?」
 ネイネイは答えず、ぴこっと片方の耳をはね上げた。

次へ→【サンプル5:刻印は輝く】