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▼ 【7-3】約束
【エピソード7】
参道脇の砂利を敷き詰めた駐車場に車を止めると、三上蓮は大げさにため息をついた。
「それにしても。あなたって人は、つくづく罪な女性だ」
「え?」
羊子は目をぱちくり。鳩が豆鉄砲をくらったような表情で首をかしげている。
「私にプロポーズしたこと、すっかり忘れちゃったんですね?」
「え? プロポーズ?」
「はい。あなたはまだ小学校四年生で、私が中一の時に」
「え、え、それって、まさか、わ、私が、三上さんに?」
「はい。そのまさかです」
※ ※ ※ ※
それはクリスマスを間近に控えた日。
三上蓮は身寄りがなく、さる教会の営む施設で育てられていた。
そして、その教会の神父は羊子の父、羊治と古くからの知己だったのだ。
「羊子。お父さんは、神父さまとお話があるから、しばらくここで待っていなさい」
「うん」
そこは何もかも神社とは違っていた。
交差したアーチのつくるドーム型の天井。
祭壇へと伸びる通路の両脇には堅い木の椅子が壁のように並び、壇上では聖歌隊が合唱の練習をしている。男の子、女の子、年齢はばらばら。先生の弾くオルガンに合わせて、一生懸命歌ってる。
奥の壁の、一段と高くなった場所には丸い窓が開いていた。
パズルのように組み合わされた色とりどりのガラスを通り抜け、まぶしい冬の日差しが降り注ぐ。
しばらくの間、羊子はちょこん、と椅子に座って歌を聞いていた。
お父さんはまだ戻らない。
歌はどこかで聞いたような曲ばかりで、親しみがある。だけど、じっとしてるのはつまらない。
きょろきょろと見回しているうちに、上へ続く階段を見つけた。目を輝かせて狭い階段を上る。
ついた先は屋根裏部屋だった。
「うわー」
梁のむき出しになった部屋には、使わなくなった古い道具や本、そしてほこりっぽい空気と静寂が詰まっていた。
窓から差し込む陽の光が、ほのかな影の中にすっぱりと斜めに切り込んでいる。
「あれ?」
かさり、とつま先に紙の感触。見下ろすと床の上に楽譜が落ちていた。表紙にローマ字で名前が書いてある。
「R、E、N……れん?」
「呼んだ?」
そこには先客がいた。糸のように細い目をした、ひょろりとした背の高い男の子が一人。
木登りでもするように窓際の梁に腰かけ、ぼんやりと外を見下ろしていた。
「やっほー」
ひょい、と手をあげて、とことこと近づく。
「君、だれ?」
「よーこ。この楽譜、あなたの?」
「ああ、どうも」
男の子は気だるそうに楽譜を受け取ると、筒状に丸めてぐい、と無造作にポケットに突っ込んだ。学生服のポケットが不自然に膨れ上がるが、一向に気にする様子はない。
『牧人、ひつじを 守れるその宵』
階下からかすかに、聖歌隊の歌うクリスマスキャロルが聞こえてくる。
「なにしてるの?」
「隠れてるんだ」
「かくれんぼ?」
「いや」
男の子(どう見ても羊子よりは年上だったが)はさらりと答えた。悪いとも後ろめたいとも思っていないらしい。
「合唱の練習、さぼってる」
「いけないんだー」
「別に、好きでやってる訳じゃないし?」
「うた、にがて?」
「いや。ただ、他に選択肢がないって言うか……」
レンは内心苦笑した。
年端も行かない子どもに、いったい何を真面目に答えているのか。
「僕は、ここに住んでるからね。必然的に参加が義務づけられてるんだ。それが、面白くない」
「………………住んでる? ここに?」
「ああ、もちろん屋根裏って意味じゃない。教会に住んでるんだ」
腕組みして、真剣に考え込んでる。
この子は知っているのだろうか。『ここに住んでいる』、その言葉の意味を。
「大したことじゃない。僕には家族がいないから、ね」
「……………」
「それだけだ」
透き通った瞳が眼鏡の奥で、ぱちっとまばたきする。
「そう。レンには、おとうさんも、おかあさんも、いないのね」
参ったな……。
物心ついてから、何百回と認識してきた事実だけれど、改めて他人に。しかも、小さな女の子に言われると……
案外、こたえる。
うつむいたその時。
ぽふっとやわらかい、弾力のあるものに包まれていた。小さな腕、小さな胸に。
「え?」
「決めた。わたし、レンと結婚する」
「ええっ?」
小さなよーこが伸び上がって、自分を抱きしめていた。腕を精一杯のばして、レンの頭を胸元にかかえこむようにして。
「結婚して……レンの家族になってあげる」
「あ……」
「そうすれば、もうさみしくないよね」
結婚と言う言葉の意味を、よく理解していないらしい。
それでも、彼女の抱擁はあたたかい。
「……………ありがとう」
『たえなるみ歌は 天(あめ)よりひびきぬ』
『喜びたたえよ 主イエスは生まれぬ』
※ ※ ※ ※
「思い出しましたか?」
「……うわー、うわー、うーわーーーー」
羊子は頭を抱えてダッシュボードにつっぷしていた。
「結婚って、あの時は、その、他人と他人が家族になること、としか認識してなかったからーっ」
「ええ、そうでしょうね、確かにそれも真理です。ただ……ね?」
「な、何?」
「今だから言える事なんですが……あの時、完全に私を弟扱いしてましたよね」
「え……あ……そ、そうかな?」
「家族になるって、要するにそのつもりだったんでしょ?」
「う………あ……えっと…………」
かくっと羊子は肩を落とした。
「ごめんなさい」
にっこりほほ笑むと、三上はぽん、と羊子の頭を手のひらで包み込んだ。
「いいんですよ。あなたはあなたの思うまま、生きてください。恋してください」
(上原さんもきっと、それを望んでいる)
車を降りて助手席側に回り、ドアを開けた。すかさずぴょん、と赤いコートが飛び降りる。
「改めて……お帰りなさい」
「ただいま」
(牧人ひつじを/了)
次へ→#8「Mary go around」
▼ 【7-2】告解
【エピソード7】
「アパート寄ってきますか?」
「ん、いい。直接、実家に帰る」
「了解……じゃ、このまま神社に向かいますね」
「お願いね」
再び車が走り出す。
目指す先は隣の綾河岸市の結城神社……羊子の実家である。年末年始は実家の手伝い、巫女さんに徹するのだ。
(さて……そろそろかな)
風見邸がはるか後方に消えたところで切り出した。
「何かあったんでしょう」
「え、事件のことならもう報告したじゃない?」
「いや、悪夢事件のことじゃなくてですね……あなたのことですよ」
とりあえず『先生』の仮面を外してもらう事にしよう。
普段は禁止されてる少女時代の呼び名……この状況では効果的なはず。
「今なら彼らもいませんし、先生から普通の女の子に戻っていいんですよ、メリィちゃん」
「メリィちゃん言うなーっ」
はい、想定内のリアクション。
このあだ名、自分が口にした場合は生徒たちが呼ぶのとは若干、違った意味を帯びてくる。
これは時間を遡る一つの鍵。彼女がまだまだ新米の悪夢狩人だった頃。今よりも弱く、未熟だった日々に繋がる扉を開く。
「メーリさんの羊、羊、羊♪」
「うーたーうーなーっ」
「白状するまで歌い続けますよ、エンドレスで」
「わかった、言う、言います!」
それでも羊子が口を割るまでにはさらに若干の時間を要した。
三上は待った。忍耐強く待った。ここで急かすのは逆効果。既に彼女は話し始めている。ただ、声が喉から出るまでに時間がかかっているだけなのだ。
「………好きになったの」
しばし黙考。今回のアメリカ行きで彼女の周囲に存在した生身の男性を思い浮かべる。
サクヤ、風見、ロイ、いずれもメリィちゃんの目から見れば弟、もしくは生徒でしかない。恋愛の対象にはなり得ない。
事件に関わっていたと言う同級生たちも同様だ。とてもじゃないが同年代の男どもにこの暴れ羊さんの手綱を押さえられるとは思えない。
してみると、該当者はただ一人だ。
「例の、吸血鬼社長?」
こくっとうなずいた。
「それで? まさか黙ったまま帰国したとかそんなことないですよね」
今度はふるふると首を横に振っている。
「それはよかった」
(言わないまま離れたら、余計にこじれてしまいますから、ね……)
「で、結果は?」
「振られた」
「おや」
「そもそも恋愛対象だなんて思われてない。親しく接してくれるのも友だちだから。私のことをとっても大事にしてくれてる、でもそれはあくまで妹みたいに思ってるからで……」
支離滅裂だが言わんとすることは理解できる。
「わかってるんだけど、悔しくて。やりきれなくて」
「ひっぱたきましたか」
「……」
「まさか、グーパンチ?」
「………………………………キスした」
「はい?」
おやおや、また黙ってしまったか。
「メーリーぃさんのぉ」
「やめーいっ!」
ちらっと助手席に目を走らせる。
うさぎのぬいぐるみに半分顔を埋めて隠していた。視線に気づいたのか、ちらっとこっちを見上げてきた。
「さ、最初は……そんなつもりなかったんだ……ただ、その……友だちの家のクリスマスパーティに招待されて……つい……」
「やけ酒でもしましたか」
再び沈黙。だがYesと答えたも同然だ。
「珍しいこともあったもんだ。あなたが外で飲酒するなんて……まさか、一人で?」
「風見とロイも一緒だった」
ならひとまずは安心……いや、ある意味心配か。
「飲んで、飲んで、よっぱらってふわふわになったら、切ないのも苦しいのも忘れられるかな、消せるかなって思った。でも、消えなかった」
「でしょうね」
「やりきれないよ、ほんと……そうしたらあの人が迎えに来て。あんまり優しくて礼儀正しいもんだから」
「ぶち切れてキスした、と」
「う……うん」
「どこに? 頬? 額? 手? それとも……」
「う………」
「唇、ですか」
「うう」
「逃げられた?」
「それは、なかった。って言うか、むしろ逆?」
「ほう?」
「押さえ込まれて………」
こくっと喉を鳴らすと、彼女は蚊の鳴くような声でつぶやいた。
「…………れられた」
「聞こえませんよ。もう一度お願いします」
「……………………」
「メリィちゃん?」
がばっと顔を上げるなり、羊子は車のエンジンに負けじとばかりに大音声を張り上げたのだった。
「がっつり舌入れられたって言ってるでしょ!」
「おやおや」
わずかに眉をひそめる。
その顔を見てようやく自分の口走った言葉の意味を認識したのだろう。羊子は再びウサギにつっぷしてしまった。
神社に住み込み、神職見習いに身をやつしていそいそと立ち働いたこの数日間。三上は結城羊子の母親と叔母(サクヤの母)から娘や息子に関するあれやこれやを聞かされていた。
羊子の師匠であり、三上にとっては仲間でもあった上原が彼女の初恋であったこと。
彼を失って以来、恋人と呼べる存在がいないことも。
(そんな濃厚なキス、おそらくは初めての経験だったろうに)
帰国直前、風見から電話を受けた蒼太が開口一番、低い声で口走ったのもこれで納得が行く。
illustrated by Kasuri
『三上さん、聖水を売ってくれ! 徳用サイズで。それと十字架も!』
『吸血鬼でも退治するんですか』
『似たようなもんだ』
『まあ、まあ、とりあえず落ちついて……』
標的は社長だったのか。電話で一部始終を聞いたに違いない。
素直に言ってしまう彼らも彼らだが……こんな経験はさすがにないだろうし、仕方あるまい。
見なかったことにして口をつぐんだり、奥歯に物の詰まったような無難な表現でごまかしたり。そんな大人びた対応を期待するには、ピュアすぎる。
風見くんも。ロイくんも。
確かに社長は吸血鬼を彷彿とさせるドリームイメージの持ち主だ。しかし、それにまつわるトラウマは既に克服したと聞いた気がする。
と、なれば、信仰心がなければただの棒や水でしかない十字架や聖水は蒼太くんが使っても効かないのでは……
アドバイスしておくべきだろうか?
ま、いっか。
言ったところでおそらく右から左に豪快にスルーされるのは目に見えてるし、実害もなかろうから。
それにしても『がっつり舌を』入れたとは。
「うーん……妹にするにしてはやりすぎ感が否めないとこですね……」
「妹……だよ。でなきゃ、娘」
声が震えている。恥じらいか、それとも悲しみのためか。
「だって彼……男の人しか愛せない人だもの」
「ああ。Omosessuale(同性愛者)ですか……教義的にはアウトなんですよねぇ。ちょっと断罪してきましょうか……」
「だめだめだめ、断罪しちゃだめーっ!」
頬を紅潮させ、きっとにらみつけるその顔はまるで十代の少女だ。一途で真剣そのもの、ちらとも迷わず真っすぐに。
実際に初めて三上が『メリィちゃん』に出会ったのはまさにその十代の少女の頃なのだが……その時でさえ、こんな顔は見せなかった。
ただ一人の相手を除いては。
「そんなことしたら、永久に絶交だ!」
ドスの効いた声と皮肉めいた言い回しで脅しをかける。そんな余裕さえないらしい。
『そんなことチラとでも考えてごらんなさい? 生まれてきたことを後悔させてあげる』
そう、いつもの結城羊子ならきっとこう言うだろう。
これではまるっきり拗ねた子どもだ。ほとんど小学生レベル。さてはて、ここは笑うべきか、憂うべきか……どっちだろう?
「……ってのは『もちろん』冗談ですよ?」
「みーかーみーっ!」
口の端がにゅっと跳ね上がる。
呼び捨て、ですか。
なかなかにレアな状況じゃないか、これは?
「紛らわしい冗談言うなーっ」
「冗談って言う前に割り込んだのあなたじゃないですか」
「うー、うー、うー……」
むーっとした顔で口をとがらせると、そっぽを向いてしまった。
「冗談でも、そんなこと言うなっ」
「はいはい……」
しばらくは黙って車を走らせる。助手席の羊もいたって静か。
落ちついたであろう頃合いを見計らって再び声をかけた。
「教義と言ったって解釈でどうとでも取れるシロモノですし、だいたい私がエセ聖職者なのは知ってるでしょう、あなたは」
「自分でエセとか言うな」
「……というか、珍しいですね、あなたが生徒の前でそんなになるのも」
「言ーうーなーっ」
今までの『言うな』とは微妙に、いや、露骨に口調が違う。ちらっと隣を見ると、完ぺきに頭を抱えていた。
幸い前方は赤信号。渋滞していてしばらく動く気遣いはない。
手をのばして、ばふばふっと頭を軽く叩いてやった。
「まぁ、ここで溜まってるものを吐くだけ吐いて、また彼らの前には先生として立ってあげてください」
こくっと手のひらにうなずく気配が伝わってくる。細かい震動も……震えているのか。
まずいな。このまま放っておいたら、泣き出すかもしれない。それもあまりいい泣き方ではない。
「メリィちゃーん。こっち見て」
「だから、その呼び名はやめろとっ」
がばっと顔を上げた。
今だ。
「っ!」
それは一瞬。
瞬きよりも早く夢と現が二重に重なる。時と時の狭間で唇と唇が触れ合い、離れた。
「………」
羊子はまばたきをして、人差し指の先でつ……と唇をなぞり、しっかりした声で問いかけた。
「いきなり何をするか」
「神父のキスに祝福以外の何があると?」
「よく言う。エセ聖職者のくせに」
「今のが正真正銘『清らかなキス』です。いかがです、社長と同じでしたか?」
「……………」
心震わすような熱さも、胸を締め付ける切なさも伴わない。
強いて感じるものがあったとすれば、いたわりと慈しみ、さらりとした温もり。
ただ、それだけだ。
「全然、違う」
「だったら……」
信号が変わり、車が動き始めた。
「目はあるかもしれませんよ? あなたがあきらめなければ、の話ですが」
「煽ってるの?」
「迷える子羊に手をさしのべるのは、聖職者のつとめですから」
「ふん、エセ神父のくせに」
つい、と顎をそらして口元に笑みを浮かべている。
「また溜まったらいつでも協力しますよ。ヤケ酒とか」
「覚えとく」
ほほ笑む彼女の顔はどこか小悪魔めいた余裕と若干の皮肉を含んでいて……
今やすっかり、『メリィちゃん』から大人に戻っていた。
(やれやれ、一安心、と言うところですかね)
それにしても。
(上原さんがずっと忘れられなかったんですね。その意味では良い傾向にはあるんでしょうが……相手がねぇ)
ため息一つつくと、三上は再び運転に集中した。
行く手にこんもりしげった鎮守の森と、神社の鳥居が見え始めていた。
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▼ 【7-1】帰国
【エピソード7】
来る。
だれかが、来る。
常に追われる身の悲しさ、こうして信頼置ける仲間の元に身を寄せていても神経はぴりぴりと張りつめている。
だからこそ、こうしていち早く気配に気づくことができるのだが。
三上蓮は聖書を閉じ、文机の傍らに立てかけた十字架に手を伸ばした。上辺を握り、かちりと隠されたスイッチを押す。
すっと横軸と縦軸の交差のすぐ下に切れ目が生じ、中に隠された刃が鋭く光る。
これでいつでも抜刀OK、しかしできればそんな羽目には陥りたくないものだ。もとよりここは神社の境内、長い時間をかけて練り上げられてきた結界は、そう容易く破られはしないだろうが……
用心に越したことはない。
時刻は深夜0時。訪問にはいささか不向きだが、襲撃にはうってつけ。さて、どちらだろう?
ほどなく、だだだだだっと廊下を踏みならすけたたましい足音が響き、ばんっとふすまが開け放たれた。
「三上さん!」
「……なんだ、蒼太くんじゃないですか。いったいどうしたんですか」
「風見から電話がきた」
「ああ……」
ちらっと頭の中で計算する。今はサンフランシスコは朝の7時か。そんなに朝早くにいったいどうしたのだろう?
「また、緊急事態でも?」
つかつかと部屋の中に入ると、蒼太は真剣この上ない表情で低ぅい声で告げたのである。
「聖水を売ってくれ」
「はい?」
「神父なんだからそれぐらい持ち歩いてるだろう。あと十字架も!」
僧侶が聖水と十字架を求めるとは、さてはてこれまた面妖な。
※ ※ ※ ※
クリスマスの翌日。
朝、起きたらホテルの部屋のベッドの中に居た。
靴と眼鏡は外されていたけれど、服はきちんと着たままで。少し体があちこち強ばってぎしぎしいっていた。隣にはうさぎのぬいぐるみ。
ふかふかの表面に顔をうずめて、ほんのちょっとだけ泣いた。
「さて……デトックスしてくるか」
バスタブにお湯を汲みながら思い出し、リビングに向かう。風見はもう起きていた。
「かざみー」
「あ……先生」
ぱくん、と携帯が閉じられた所だった。
「すまん、電話中か?」
「もう終りましたから。あー、その、えっと……」
「風呂」
「え?」
「風呂入って来るから」
「あ……」
「じゃ、な」
1時間30分の入浴でどうにかアルコールの名残は抜けた。
クローゼットを開けるとメモが残されていた。
『好きなのを持って帰りなさい。全て君のために用意したものだ。 追伸:メリー・クリスマス from カル』
「おばか……」
迷わず白いボレロの上着と、赤いドレスをスーツケースに詰めた。
昨日着てた緑のスーツは……サクヤちゃんが使えるかな? サイズ、ほとんど一緒だし。
※ ※ ※ ※
「待たせたね。行こうか」
夕方、ホテルに迎えに来たカルはいつもと同じ穏やかな笑顔。ほっとするけど胸の奥にほんのわずかに、もやもやした塊が残る。
ロイのおじいさまからいただいたうさぎのぬいぐるみは、結局押しても引いてもスーツケースには収まらなくて。
無理に詰め込むのも可哀想な気がして、結局、抱えて帰ることにした。
サンフランシスコ国際空港のロビーで彼は言った。
「私は小さな大人だから、いつでも駆け付けるよ………とは言わない。約束出来ないからね………けれど、ここから出来る事があるなら、必ず力になる」
うさぎを風見に預けて。のびあがってカルを抱きしめて、さよならのキスをした。友人同士にふさわしく、つつましく互いの頬に。
「……ありがとう。元気でね」
「ああ、君も」
※ ※ ※ ※
「……あれ?」
「どうした、サクヤ!」
「うん、大丈夫。なんか、目が乾燥してたみたいで」
ヨーコさんたちを空港に送った帰り道、車の中で、急に涙がぽろぽろこぼれてきた。
いけないな。
まだ、繋がってるみたいだ。
でも、ヨーコさん、がんばったね。飛行機が離陸するまで、我慢したんだ。
※ ※ ※ ※
成田空港の到着ロビー。サンフランシスコからの便から降りて、入国手続きを終えた人々が続々と荷物を受け取り、出てくる。
様々な国籍、人種の人々が行き交う中でも彼の風貌はひときわ異彩を放っていた。
黒い詰め襟に白いカラー、神父服の上にライトベージュのトレンチコートを羽織り、目もとには黒のサングラス。
広くがっしりした肩に背負った十字架を何度か警備員に見とがめられたが、その度に爽やかな笑顔で切り抜けた。
「あなたは神を信じますか?」
「これでどこでも礼拝ができるんです。便利でしょう?」
その度にみんな、やや強ばった笑顔とともにそそくさと離れていった。いっそ次はこう答えてみようか。『これ、コスプレなんです』と。
(おや?)
ちらっと視界の端を赤い色がよぎる。まばたきして改めて注視する。すぐ後ろを歩くのは金髪の少年と黒髪のすらりとした若様然とした少年……
しまった、あやうく見過ごす所だった!
三上蓮は滅多に目標を見失う男ではない。
そのための特殊な才能に恵まれていて日頃から鍛錬を積んでいるし、普段から人の顔は注意深く覚えるようにしている。
にも関わらず、今回ばかりは迎えに来たはずの人物を見逃す所だった。
(背後に風見くんやロイくんがいたから気づいたものの……どこのお子様ですかあなたは)
赤いケープに胸に抱えたうさぎのぬいぐるみ。どこか拗ねたような表情でちょこまか歩く。背の高い他の乗客の間を歩いて来る姿はさながら森の中の赤ずきん。
(ああしてると本当に良く似合うんですよね「メリィちゃん」って呼び方)
本人の前では絶対に口にしてはいけない。昔はともかく、今は。
illustrated by Kasuri
「やあ、おかえりなさい。長旅おつかれさま」
「え、三上さん?」
「結城神社の宮司さんから頼まれまして……」
「父から?」
「宮司さんはやはり年始の準備で忙しいですから、代理ということで。車は貸していただきました」
「でも、どうして三上さんが?」
「クリスマスも無事終ったことですし、神社のお手伝いを」
カソリックの神父が。
まさか神社に潜伏しているなんて……
お釈迦様でも思うまい。
「まさか、その格好でっ?」
「さすがにTPOはわきまえて、ちゃんと浅葱の袴を履いてますよ」
「神父さんに神社のお手伝いさせちゃったんだ……」
「お坊さんだけじゃなくて……」
「まぁ、日本じゃ何でも八百万の一柱ですから。気にしない気にしない」
「日本の文化は奥が深いデス」
空港のパーキングに向かう。確かに止まっていたのは神社のワゴン車だった。3人分のスーツケースを積み込む余裕はたっぷりある。
「あ、チョット待って」
ロイはスーツケースを開けて、中から梱包材でがっちり包まれた小さな瓶を取り出した。
「これ、お土産デス、三上さん」
「ありがとう」
受け取り、丁寧にプチプチをはがし中から現れたドクロのラベルを見るなり温厚そうな神父の双眸がきらりと光る。獲物を見つけた肉食獣さながらに。
「やあ、メガデスソースですか! これは……なかなか手に入らなくて苦労してたんですよね。ありがとうございます」
「喜んでいただけてボクもうれしいデス!」
「あとでこれ使ったアラビアータでもご馳走しましょう……大丈夫ですよ、ちゃんと辛さは初心者向けにしますから」
それってどんな初心者か? って言うか自分が食べるなんて事態はまるっきりの想定外。
(でも、でもせっかく先輩である三上サンがごちそうしてくれるんだし、断る訳にはーっ)
「楽しみにしてマス……」
「はははは」
爽やかな笑顔で答えつつ三上は密かに首をかしげていた。
やめとけロイ、とか。あたしの生徒にんな危険物食わすな、とか。来て然るべきと予測していたはずの突っ込みが飛んでこない。
「………」
羊さんはうさぎのぬいぐるみを抱えて上の空。
(はて、これはいささか面妖な)
とりあえず自力でフォローを入れておくことにする。
「……まぁ、今のは冗談ですから。そんなに怯えないでください、ロイくん」
「は、はい」
(見抜かれた……不覚!)
高校生2人は戸有市の風見の自宅前で車を降りた。休暇中、ロイは風見の家ですごすのだ。
「それでは二人とも、よいお年を」
「よいお年を」
「アリガトウゴザイマシタ」
「風見。ロイ」
「はい」
「はい」
「おつかれさん。また、学校でな! それとも初詣、来るか?」
「いいですね」
「藤原も誘って、一緒にな。土産、渡せるだろ?」
「あ」
「あぁ」
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