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【9-12】仕事始めのちょっと後

 
 市内某所では、巫女さん好きな青年二人がこんな会話を交わしていた。
 
「結城神社の巫女さんって、かわいいよな」
「ああ、めがねかけてる」
「そうそう、胸ぺったんこで」
「ちっちゃくて」
「黒髪きれい」

(ご祈願の時はあんなにキリっとしてたのに、ひっそり神社の裏でえくえく泣いてるんだものなあ………)
(胸ぺったんでも、乳が動いてても、可愛いものは可愛いんだ。あの笑顔に撃墜されて悔い無し!)

「……もーいっぺん行ってみるか」
「そうだな」

 思い立ったが吉日。
 新年のにぎわいも過ぎ去り、すっかり普段の静けさを取り戻した神社に出向いた二人はきょろきょろと境内を探し回った。
 
「いないな……」
「いないな」

 折しも、境内を掃除している神主が一人。

「あの人に聞いてみよう」

「すいませーん」

 参拝客に声をかけられ、三上は顔を上げた。

「あのー、この間居た、眼鏡の巫女さんは……今日はいないんですか」
「眼鏡の巫女さん、ですか」

(やれやれ、またですか)

 三が日が過ぎて以来、何度同じ質問をされたことだろう。まずは根本的な誤解を正す所からスタートしないと。

「二人いるのですが、どちらをお探しで?」
「えっ」
「ええっ」

 かたっぽ実は男です、とか。もう一人も多分、君たちより年上ですよ、とか……。
 肝心なことを教える予定は、無い。


(夢守り神社でおめでとう!/了)

next episode→【ex10】水の向こうは空の色(前編)

【9-11】ぴしっとまっすぐ

 
 巫女さん? 千秋が、巫女さんに?

「……風見くん」

 三上に声をかけられて、はっと我に返る。その時初めて気付いた。羊子に手を引かれ、奥に消える千秋の姿をじっと見送っていたことに。
 それこそキリンのように。あるいはプレーリードッグのように、ながぁくのび上がって。
 
「気になりますか?」
「えっ、いや、その、あの」
「まあまあ落ち着いて。甘酒のおかわりいかがです?」
「あ、ください……」

 って、そうじゃなくて。

「俺、自分でやります!」
「いいんですよ、ついでですから」

 そう言って台所から戻ってきた三上の手には、骸骨のラベルの小瓶が握られていた。

「あ、ソレ」
「愛用させていただいてますよ、ロイくんのお土産」
「光栄デス」

 風見とロイはちらっと目を見合わせた。

(まさか……甘酒に?)
(入れちゃうのか、アレを!)

 二人が恐る恐る見守る中、三上は瓶の蓋をぴっと開け…‥
 小皿に取り分けた昆布の佃煮に振りかけた。
 
「試してみます?」
「い、いえ」
「謹んでご辞退申し上げマス」
「そうですか……美味しいのに」

 平然と赤く染まった佃煮をあまさず食べ終わり、甘酒をすすると、三上はすっと立ち上がった。

「さて、午後の仕込みがあるのでお先に失礼しますよ」
「……行ってらっしゃい」
「お疲れさまデス」

 向かい合って甘酒のおかわりをすすること、しばし。
 やがて。
 ひたひたと、廊下を近づいてくる足音が二組。静かに静かに、しとやかに。

(来た!)

「お待たせー」

 さらりとふすまが開いてまず羊子が。

「どうしたー藤島。早く来いよ」
「………………はい」

 手招きされ、手を引かれ、ようやくもう一人が入ってくる。
 白衣(はくえ)に赤い半襟、緋色の袴、足下は白い足袋。巫女さん姿の藤島千秋は、しずしずと前に進み出て……そ、と顔を上げた。

「どうかな」
「ふあ」
「……何、それ」
「いや……その……えっと……」

 とっさに言葉が上手く出てこない。とりあえず見たままを口にする。

「ぴしっとまっすぐ」

 途端に千秋は眉を寄せ、きっと風見をにらみつけ、袴の紐に手をかけた。

「やっぱ脱ぐ!」
「わーこら藤島よせ、落ち着けっ」
「だって、これだと体のラインがもろに出るし! ごまかせないし!」

 ダウンジャケットとセーターを脱いだ藤島千秋の胸元は、これまた羊子といい勝負に………平らだったのだ。

「風見! おまえも言葉が足りてないぞ」
「あ……」
「主語を抜かすな、主語を!」

 そうだった!
 こほっと小さく咳払いしてのどを整える。

「背筋がぴしっとまっすぐに伸びてる。合わせもきれいだ。見てて気持ちいい」
「……ほんと?」
「うん。すごく……」

 千秋の目を見て、風見はきっぱりと言い切った。

「かっこいい」

(あーあ)

 その瞬間、場に居合わせたほとんど全員がため息をついていた。
 約一名を除いては。

(そんなところもキュートだよコウイチ………!)

 言われた当の千秋は目をぱちくり。ぽっかり開いた空白の瞬間に、するりと割って入った者がいる。

「おや、これはかわいらしい」
「ありがとうございます」

 ようやく、千秋の頬に笑みが浮かぶ。ちょっぴり寂しそうな陰りを眉のあたりに残してはいたけれど。

「み、三上さん、いつの間に」
「ちょっと忘れ物をとりに」

 三上は身をかがめて炬燵の上から激辛ソースの瓶を手にとった。合間にひそっと風見の耳元にささやく。

「こーゆー時の女の子は、『かわいい』とか『きれい』とか言ってほしいんですよ」
「そうなんですか?」
「はい。言いづらければ『似合ってる』でもかまいませんよ」
「そうなんだ……」

 一方で羊子はぱたぱたと千秋の肩を叩いた。

「まあ、あれだ。かっこいいってのは、風見にとっちゃ最上級の褒め言葉だよな」
「……そうですね」

 恥じらいながらも今度こそ、ぱあっと100%の笑顔が花開く。

「うん、光一もかっこいいよ!」

 一連の動静を物静かな笑顔で見守りつつ、ロイのナイーヴな心は揺れに揺れまくっていた。

(ああ、何故今日は赤い袴を履いてこなかったんだろう。バカ、バカ、僕のバカ!)

 揺れすぎて妙な方向に暴走し、

(僕のほうが胸は大きかったはず! 負けないっ)

 何やら根本的にまちがった対抗意識を燃え上がらせる。

(こうなったら……こうなったらーっ!)

 その瞬間。一部の人間にはロイの姿が一瞬、二重写しになったように感じられた。
 しゅっと飛び上がる気配とともに一陣の風が室内を吹き抜け、髪の毛を、袖や袴の裾を舞い上がらせる。

「あれ、ロイ、どこ?」

 千秋が首をかしげた。

「いるじゃないか、ほら」
「え、あれぇ?」

 確かにロイはいた。さっきと同じ場所にきちっと正座して、心なしか誇らしげに胸を張っている。
 ただし、服装が変わっていた。袴が浅葱色から赤に。そして長くたなびく金色の髪。
 
「巫女さんだ……」
「巫女さんだね」
「わざわざ着替えてきたのか」
「いつの間に? って言うか、何で?」

 この時点でさすがにロイも我に返った。

(ハッ、し、しまった思わず着替えちゃったけど。僕のほうが胸があるなんて、言えないっ?!)

 えらいことをしてしまった。だが、ここでもう一度早着替えをやらかして元に戻った所で女装した事実は消えない。
 どうする。
 どうしよう。
 つすーっと背中を冷たい汗が流れる。

「…………千秋を見てたら、また着たくなっちゃった」
「ロイ。おまえ、そんなに気に入ったのか、巫女さん」
「Yes、き、きにいっちゃった……」
「そっか。似合ってるしな」
「う、うん!」

 そのひと言だけで、彼の心は厳かな雅楽の音に包まれて高天ケ原まで舞い上がっていた。

「せっかくだから写真とっとくか?」
「はい!」
「よし、お前らも入れ!」
「えー」

 かくしてまず、全員で集合写真。次いで二人、あるいは三人ずつ組みになってパシャリ、パシャリ。

「うーん、改めて見るとやっぱり壮観だなあ。巫女さん四人に神主さん二人」
「よし、次、巫女さん四人で行ってみよっか」
「はーい」
「ついでだ風見も来い!」
「えっ、俺もっ?」
「私がシャッターを押しましょうか」
「お願いします」
「では、皆さん、こっちを見て。1+1は……」
「にー」

 パシャリ。

 ひとしきり映した後、赤外線通信でお互いの携帯に写真を転送する。
 とっておきの一枚を選び出すと、風見はいつものようにメールを打った。

 思えば昨年の十二月。無事に帰国したと素っ気なく伝えて以来、あの人にメールを送っていなかった。
 どうしてもあのシーンが目の前にチラついて、それまでのように気軽に話しかけることができなかったのだ。
 だけど、今はちがう。

(おひさしぶりです……いや、ごぶさたしてます、か?)

 ほのかにまとわりつく照れ臭さを振り払い、指を動かす。
 結局、出だしの挨拶はHappy new yearにした。

(お正月の、写真、ですっと……送信)

 遠い海の向こう、サンフランシスコのランドールに宛てて。夜明けのゴールデンゲートブリッジの写真へのお返しとしては、ちょっぴりスケールが小さいけど……
 いかにも日本! って感じだし。神社の風景写真だけ送るより気が利いてるよな、きっと。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「ん……」

 カルヴィン・ランドールJrは携帯を取り出し、届いたメールを開いた。
 添付された写真には、コウイチとサリーとヨーコ、ロイ、そして見知らぬ少女が写っている。メールの説明によればコウイチのクラスメイトだと言う。実に楽しそうに笑っている。いい笑顔だ。

「ジンジャの写真か……」

 赤いハカマに白いキモノはジンジャのユニフォームだ。以前、サリーとヨーコが着ているのを見たことがある。
 サリーとロイの髪の毛が長いのは、エクステンションをつけているからだろう。
 こうして髪形が同じになると、サリーとヨーコはますますそっくりに見えるな……まるで双子だ。
 もっともこれは写真だからこその錯覚だ。実際に本人を目の前にすれば、同じ服装、同じ髪形をしていても見分ける自信があった。

 まず、身にまとうにおいからしてちがう。

「おや?」

 何度か写真を見直し、気付く。
 心に浮かんだささやかな疑問を記して返信した。

『写真ありがとう。ところで、どうしてコウイチだけハカマの色が違うんだい?』
『それから、君と君のGirl friendがエクステンションを付けていないのは何故?』
 
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【9-10】それを彼女と人は云う

  
 昼食後。
 社務所の中庭で、風見はたすき掛けをして、木刀を手に素振りをしていた。
 びゅっ、びゅっと剣先が空を切る。
 一心不乱に木刀を振るう風見の姿を、縁側にちょこん、と腰かけた羊子と、タオルを手にしたロイが見守っていた。

「感心だなあ。正月も稽古か、風見」
「毎日やっとかないと、かえって調子狂っちゃって」
「そんなこと言ってお前今朝、沐浴の前も素振りしてたろ?」
「朝は……あまり時間がとれなかったから……」
「足りないってか」
「はい……」

 玄関がカラリと開く気配がして、だれかが廊下を歩いてくる。

「こっちですよ」
「ありがとうございます」

 縁側の縁に腰かけ、足をぶらぶらさせながら羊子が顔をあげる。

「おかえりー、サクヤちゃん……と、来たか!」
「ただいま」
「こんにちは」

 サクヤに次いで入ってきた人物を見るなり、ロイと風見は口をあんぐりと開けた。

「千秋っ?」
「藤島サンっ」
「やっほー」

 スリムジーンズに白のセーター。上からコケモモ色のダウンジャケットを羽織った細身のショートカットの女の子が手を振っていた。

「何で、二人、一緒に?」
「羊子先生とまちがえちゃって……うっかり『先生』って声かけちゃったの」
「こっちもつい、返事しちゃって」
「サクヤちゃんも『先生』だものね」
「そうなんですか?」
「獣医なんだ。まだ見習いだけど」

 サクヤさんとは初対面のはずなのに、ごく自然に三人で話してる……。
 妙なことに感心しつつ、ふと風見光一は我に返った。

「ど、どうしたんだよ、こんなに早く」
「もうお昼すぎたよ?」
「え、あ、いや、そうだね、うん」

 問題は、時間のことじゃない。
 千秋を初詣でに誘う予定ではあった。だけど、まだ、電話もメールもしてないのに、向こうから現れるなんて!

「い、い、いつもは、三が日は家でのんびりしてるって言ってたじゃないか」
「うん、そのつもりだったんだけど」

 千秋はポケットから携帯をとり出し、かしゃっと開いた。

「滅多に見られない袴姿が傑作だから、ぜひ来いって先生からメールもらったの」
「よーこ先生っ! どういう誘い文句ですかーっ」
「ご飯の支度してこよーっと」

 教え子の追求をしれっとかわし、羊子はぴょこんと立ち上がる。

「まだ食べるんですか!」
「サクヤちゃんと三上さんの分だってば」

 振り向きもせずにほてほてと、台所に行ってしまった。

「まったく、道場の稽古着だって同じようなもんだろ……」
「そお?」

 千秋は首をかしげて、前後左右からじっくりと風見の姿を眺めた。

「浅葱色の袴って新鮮だなー」
「そ、そうかな」
「うん」
「……」
「……」

 しばし無言で見つめあう。

「あっ、そうだ!」

 いきなり風見は草履を脱ぎ、たんっと縁側に飛び上がった。

「渡すものがあったんだ。ちょっと待ってて」

 たーっと駆け出し、一気に宿房の自分の部屋へダッシュ。荷物を入れたバッグから、虹色のシフォンの袋をとり出す。結ばれた藤色のリボンを整え、全速力でとって返した。

(あれっ、いないっ?)

 待ちきれずに帰ってしまったんだろうか?

「コウイチ! こっちこっち!」
「あ……」

 居間の方から声がする。(確かに中庭は寒い)

 通りすがりにちらっと台所を見ると、サクヤと三上が行儀良く箸を動かしている。
 三上のコロッケはやはり赤かった。
 さらにその上に、茶色い瓶からぱしゃぱしゃと真っ赤なソースを振りかけている。無造作にかけているけど、ケチャップじゃない。
 ラベルの『炎に包まれた骸骨』に見覚えがある。

(ほんとに、かけてるよ、メガデスソース……)

 しかし食べている本人は、いつもと同じ穏やかそのもの。汗一つかいてない。平然と真っ赤なコロッケを口に運び、湯気の立つ味噌汁を口に含んでいる。

(あれ食べて、平気なんだ……)

「光一、何やってんの? 炬燵入りなよ」
「え、あ、うん」

 慌ててそそくさと炬燵に入る。

「あー、その……こ、これ」

 そ、と天板に虹色の袋を乗せた。

「わあ、可愛い。何、これ。お年玉?」
「いや、そ、そうじゃなくて! ロスに行った時の、お土産」
「サンフランシスコじゃなかった?」
「そっ、そうだったーっ」
「開けてみていい?」
「う、うん」

 華奢な指が丁寧にリボンをほどき、光の加減で虹のように色の変わる薄い布の袋から、ばら色の薄紙の包みをとり出し、開く。

 銀色の翼が現れた。

「これは……」
「ぶ、ブローチ」

 流れるような流線型が収束し、羽ばたく鳥の片翼を横から見た形を作り上げている。
 そして翼の先端には一粒、透き通った青い石がはめこまれていた。

「それ、本物のアクアマリンなんだ。あんまり上等なものじゃないけど、でもキレイだろ?」
「………」

 千秋はほんのり頬を染め、うっとりと目を細めた。

「素敵………さんきゅ、光一!」

 いつもと同じ威勢のいい、きびきびとした口調だった。けれど、いつもとはちがった柔らかさを感じる。のどの内側をこしょこしょと、見えない指先でくすぐられるような心地がして、落ち着かない。もぞっと炬燵の中で足を組み替えた。

「光一のことだから、てっきりゴールデンゲートブリッジのペナントなんじゃないかと思ってた。根性、とか書いてあったりして」
「んな訳ないだろ! 第一、根性って……アメリカなのに」
「向こうじゃ流行ってるんでしょ、漢字グッズ。ね、ロイ?」
「え、あ、うん、そうだネ」
「あと、地球儀のついたペン立てとか。百歩譲って妙にファンシーなマグカップ?」
「昭和の温泉町かっ」

 不意に頭上から涼やかな声が降ってきた。かすかにつーんと、トウガラシの残り香を漂わせて。

「おや、こちらはひょっとして風見くんの彼女ですか?」
「み、三上さんっ。」

 いつの間にっ? ご飯もう食べ終わった? いや、そうじゃなくて彼女って。
 彼女って!

 翼のブローチを買い求めた時の記憶がよみがえる。やたらと鮮やかに、くっきりと。

『ひょっとしてガールフレンドへのプレゼントかな?』

「いや………あの、その………腐れ縁というか何というか」
「ほう……腐れ縁、ね」

 むーっと千秋が頬をふくらませる。

「ちょっ、なにそれっ! せめて、幼なじみとかっ」
「あっ、それもあったか」
「光一ーっ!」

 ロイは秘かに衝撃を受けていた。顔にも口にも出さないが内側では超新星が爆発し、星をも砕く衝撃波が荒れ狂っていた。

(こっこの場で腐れ縁とは彼女と言ったも同じコト! しかも幼なじみってーーっ!)

 確かに自分はGirl friendにはなれないけれど。なれないけれど。
 ぎゅっとロイは拳を握りしめた。あくまで炬燵布団の下で、ひっそりと。

(幼なじみならボクも同じだ、対等だっ)

 三者三様にあたふたする高校生たちの姿を、三上はにこやかに見守っていた。
 さんざん火種をまいておきながら、あくまでにこやかに。

(若いっていいですねえ……)

「甘酒できたぞー」

 微妙すぎるバランスを保っていた沈黙が破られる。盆に乗せた湯飲みを持って羊子とサクヤがやってきた。

「何かごそごそやってると思ったら、そんなもの作ってたんですか……って言うか、さっきお昼ご飯食べたばかりじゃないですか!」
「うん、だからお汁粉は自粛したよ?」

 やれやれ。
 羊子先生は、食べて消耗した体力を補う人だ。ハードワークになると、とにかく食べる。
 分かってはいるけど、時々不思議になる。どうやったら、このちっちゃい体にあれだけの食べ物が入るんだろう?

「昆布の佃煮もあるよ」
「……いただきます」
「お雑煮の出汁とった後の再利用だけどな!」

 佃煮をつまみつつ、甘酒をすする。

「あ、意外にあっさりした口当たり」
「境内でお振舞いしてるのと同じだよ」
「自家製ですね」
「うん。お米と麹で作ってる」
「酒粕じゃないんだ」
「念のためだよ。車で来てる人もいるでしょ?」
「なるほど……。またこの佃煮が後を引きますね」
「はぁ……あったまる」

 ほう、と小さくため息をつくと、千秋はぐるっと炬燵の周りを見回し、肩をすくめて笑った。

「どうした、藤島」
「何だか不思議な気がするなあ。私以外は全員、巫女さんと神主さんなんだもの」
「ああ……制服みたいなものですからね」
「先生も、ロイも、光一も、学校で会う時とは何かちがう感じ」
「服装が変わればイメージも変わるさ。あ、そうだ」

 ぽん、と羊子は教え子の肩を叩いた。

「どうだ、今度、藤島もやってみるか、巫女さんのバイト」
「えー。私が巫女さん? どーしよっかなー」
「とりあえず、着てみろ」

 え、ちょっと待て先生。今、何て言った?

「えー、いいんですか?」
「OKOK。こっち来て! 着付けは基本的に道場の稽古着と同じだから」
「わあ……どきどきしちゃうな」
 
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【9-9】3倍でもまだ足りない

  
「……で。結局その子、どこの猫だったの?」
「うん、四丁目の櫻井さんとこのシロの子だった」
「あー、はいはい、乾物屋さんの」
「乾物屋さんって……いりことか、かつぶし売ってる?」
「うん」
「セレブだ……(猫的に)」
「セレブだネ(猫的に)」
「そっか、君の家は四丁目か……人間にとってはすぐ近だけど、子猫の基準だと、けっこう大冒険よね」
 
 羊子はつん、とピンク色の子猫の鼻を人さし指でつついた。

「根性あるなぁ」
「み」

 子猫は目を細めて指先を舐めた。

「それじゃ、ちょっとこの子送ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい」

 ぞろ、ぞろ、ぞろ。猫をひきつれ一同、サクヤを玄関まで見送った。

「風見、ロイ」
「はい」
「情報提供者をおもてなししといて。その間に私、昼ご飯用意しとくから」
「おもてなし、ですか……」

 足下には猫の群れ。鼻をふくらませ、尻尾をつぴーんと立てて期待に目を輝かせてる。

「これを、ね」

 もさっと手渡されたのは低塩いりこ、大袋入り。袋のラベルは確かに『櫻井乾物店』。

 何となく床に直まきするのは申し訳ないような気がした。しかも、こんな寒い玄関先で。
 結局居間に引き返し、古新聞をしいていりこをぱらぱらと盛った。

「……どうぞ」
「にゃー」
「みゃ」
「んなーっ」

 ぱりぱりぱり、さくさくさく……。
 猫の食べる音も、これだけ集まるとけっこう響く。雨が降っているような錯覚にとらわれる。全員が満足する頃には、さしもの大袋も半分くらいに減っていた。

「お待たせ。ご飯できたよ」

 おたま片手に、ひょい、と羊子が顔をのぞかせる。

(あ、ちょっと雰囲気ちがう?)

 巫女装束の上から白いかっぽう着を着ていた。

「炬燵で食うか? それとも食卓?」
「……あったかい方で」
「OK。じゃ、そこのお皿、向こうに運んでくれる」
「ハイ」

 おせちの重も並んでいるが、メインのおかずはコロッケ。こんがり小判形のキツネ色、千切りキャベツたっぷり、トマトを添えて。
 台所の中には香ばしい熱気がただよっている。あらかじめ作り置きしたのを冷凍して、食べる分だけ揚げていったらしい。

「こっちのはサクヤちゃんの分っと……」

 ぴっと一人分、とりわけてラップで包んでいた。

「ご飯どんだけ食べる?」
「もーちょっと」
「追加ね?」
「いや、もーちょっと少なくていいです……」
「小食だなあ」
「先生を基準にすれば、大抵の人は小食デス」

 3人で炬燵に座り、きちっと手を合わせた。

「たなつものもものきぐさも あまてらす ひのおおかみの めぐみえてこそ……いただきます」
「いただきます」
「イタダキマス」

 さく、と揚げたてのコロッケを口に運び、もぎゅ、もぎゅっと噛む。
 2秒ほどして、風見は顔を真っ赤にして、のどの奥からくぐもったうめき声を漏らした。

「んぐっ」
「どうした?」

 目を白黒させながらも最初の一口を飲み下し、かすれた声を絞り出した。

「か……」
「か?」
「辛いっ!」
「あっ」

 慌てて断面を見ると、赤い! 半端なく赤い。かなり赤に近いピンクの中に、真っ赤な水玉模様がぎっしり詰まっている……これは輪切りにした鷹の爪だ!

「ごめんっ、それ三上さん専用の激辛明太子入りだ!」

 電光石火の早業でロイがコップに満たした水を持って参上。

「水! コウイチ、水を!」
「うぐぐぐ、うっんぐっ」

 むせかえりつつ水を飲み下すと、風見はふーっと深く息を吐いた。

「すまん。大丈夫か?」
「え、ええ……大丈夫です……三上さん、いっつもこんなの食べてるんだ」
「うん。ロイから土産でもらったソースかけて食べてる」
「うわぁ……」
「びっくりしたろ? 別のと取り換えるからちょっと待ってろ」
「い、いえ! そんなもったいない。口つけた分は全部食べます!」

 幸い、三上専用のコロッケは一つだけだった。ちょっとずつ、ちょっとずつ。キャベツに混ぜて口に運ぶ。白ご飯の熱さが痛くて、とても一緒には食べられない。
 汗だくになって四苦八苦する風見を見かね、ロイが申し出た。

「半分手伝うよ」
「……いや、でも」
「コウイチ、無理しちゃダメダ」
「うん、じゃあ……ちょっとだけ」
「がんばれ。水ならいくらでもあるからな」

 そして、二人は一つのコロッケを分けあった。ひーはー言いながら、ゆでダコのように真っ赤になって。
 
 その頃、参道では。
 無事に子猫を送り届け、足取りも軽く戻ってきたサクヤの姿を、先刻すれ違った巫女さん好きの青年が再び目撃していた。

(あ、さっきの眼鏡巫女さんだ……やっぱ可愛いな……って!)

 ごく自然に胸元に引き寄せられた彼の目は、次の瞬間、限界まで見開かれた。

(ない!)
(ぺったんこになってるーっ!)
 
 今度は保護すべき子猫はいない。
 向けられた視線に気付き、サクヤはちらりとそちらを見やり……ほほ笑んで、一礼した。
 
(OKOK! 可愛いからOK!)

 ぽーっとなったまま、青年はぎくしゃくと礼を返し……遠ざかるサクヤの後ろ姿を見送った。
 
(……いい。この神社いい! 大好き! 神様、ありがとう!)
 
次へ→【9-10】それを彼女と人は云う

【9-8】うらぎりものー!

 
「おつかれ、サクヤちゃん。羊子ちゃん。しばらく私たちが変わるから」
「お昼食べてらっしゃい」
「はい」
「はーい」

 W母さんsと入れ替わりにサクヤと羊子は本殿詰めから解放された。
 社務所に向かう途中でサクヤはふと足を止めた。

「どしたの、サクヤちゃん」
「うん、ちょっと先に行ってて」
「OK」

 聞こえた。
 かすかだけど、聞こえた。

 足早に参道を離れ、横合いの脇道に入る。木々の枝間をかいくぐり、鎮守の森の奥深く分け入る、細い細い道へ。
 さすがにこの辺りを通る参拝客は滅多にいない。

「どこ? 出ておいで」
「……にー……」

 がさっと下生えが揺れて、子猫が一匹出てきた。白に茶色のぶち模様。尻尾は丸く、おだんごのよう。短い足でよちよちと歩み寄ると、子猫はサクヤの顔を見上げ、かぱっと口を開いた。

「にーう」
「そっか、迷子になっちゃったのか……うん、大丈夫、後で君の家がどこかうちの猫に聞いてみるから」
「にーっ」

 寒さでぶるぶる震えている。この大きさだ、まだ家の中で飼われているのかもしれない。

「おいで」

 サクヤはそっと子猫を抱き上げて、懐に入れた。子猫はしばらくもぞもぞしていたが、やがてもふっと丸くなり、サクヤの胸に顔をうずめた。

「……よしよし、いい子だね……」

 そ、と胸元を押さえて歩き出す。やわらかな丸い熱が、ほわっと襟の合わせ目から立ち上る。
 あったかい。でも、ふわふわの子猫の毛皮がちょっぴりくすぐったいな。
 できるだけ揺らさないように、静かに……。

(おおっ、かわいい眼鏡の巫女さん!)
(しかも巨乳!)
(巨乳だ!)

 しずしずと、しとやかな足取りで参道を歩くサクヤの姿は、自然とすれ違う男性客の視線を引き寄せていた。特にこう、まあるく盛り上がった胸元の周辺に。
 しかし本人、一向に気付かない。子猫が気になってそれどころじゃない。

「もう少しだからね」
「にうー」

 もぞもぞと子猫が身じろぎした。

(ち……ち……)

 運悪く、胸元を凝視していた男性の一人がそれを目撃してしまったのだが……。

(乳が動いたーっ)

 うかつにここで叫び声でも上げようものなら、連れの友人はもとより、周囲の人々にも巫女さんの胸をガン見していた事実が知れ渡る。
 だから黙って知らんぷり。視線はしっかり外さずに。

 一方で当のサクヤは慎重に歩を進め、社務所に戻ってきた。

「すぐあったかい部屋に連れてってあげるからねー」
「おかえりー、サクヤちゃ……っ!」

 従弟の姿をひと目見るなり、羊子は顔面蒼白で凍りついた。

「そんな……そんな、まさかっ」

 うるっと眼鏡の奥の瞳に涙がにじむ。

「あー、これね」
「サ……サクヤちゃんに負けたーっ」
「表で拾ったんだけど、迷子みたいだからしばらく預かって………あれ?」

 ダダダダーっと、サバンナを駆けるシマウマのような足音にびっくりして顔を上げる。既に羊子の姿はなかった。

「……どうしちゃったんだろう?」
「にー」

 懐から子猫がのびあがり、ふにっと前足でサクヤの顔に触れた。

「……ああ、うん、何でもないからね」

 サクヤは子猫を抱えて居間へと向かい、ひょい、と炬燵の布団をめくりあげた。

「に?」

 折り重なってぬくぬくと猫団子を形成していた3匹が顔を上げ、しぱしぱとまばたきした。

「寝てるとこごめんね。この子がどこの子か、しらない?」
 
 猫たちはのそのそとはい出すと、代わる代わる子猫のにおいを熱心に嗅いぎ、小さな声で「にゅ」とひとこと。

「そっか……じゃあ、知ってる子がいないか、聞いてきてもらえるかな。迷子なんだ」
「にゃーっ」
「ありがとう」

 廊下のガラス戸を開けて、3匹の猫たちが悠然と外に出るのを見送った。

「さてっと、しばらく待っててね」

 子猫はサクヤの膝の上によじのぼり、ころんと丸くなった。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

 その一方で、羊子は神社の裏手にしゃがみこみ、肩を震わせていた。

「あれ、先生」
「何やってんですか」

 そこに、休憩に入った風見とロイが通りかかる。
 がばっと羊子は顔を上げた。

「サクヤちゃんが巨乳に……サクヤちゃんが巨乳にっ」

(わあ)

 黒い瞳いっぱいに涙を浮かべ、えくえく泣き濡れるその姿は三頭身ぐらいに縮んだんじゃないかと言うよなあどけなさ。
 一瞬、以前魔女の呪いで子どもになった時の姿がダブる。

 羊子はぐしっと袖で涙をぬぐった。

「一人だけずるい! サクヤちゃんは、仲間だと思ってたのにぃっ」
「そんなことある訳ないじゃないですか。気のせいですよ気のせい」
「でもでもっ! さっき社務所に入ってきたらーっ」

 羊子は両手で己の胸の回りに弧を描き、見えないドーム状の隆起を描き出した。

「こーんなに! ばいーんって。ばいーんって!」

 風見とロイは顔を見合わせた。
 困ったことに先生は目一杯本気らしい。
 無理もないか。ランドールさんに、マクラウドさん、それにロイ。
 
 あまりにも「自分より男性が巨乳」と言う事実を見せつけられたせいで、基準がずれちゃってるのかもしれない。

「わかりました……とにかく涙ふいて」
「うん……」
「事実かどうか、まずは確かめなきゃ。ね?」
「うん……」
「ここ寒いから、社務所に戻りましょ」
「………うん」
「アメ食べますか?」
「………もらう」

 ぺりっと包み紙を剥がし、はもはもとアメをほお張る羊子を連れて、二人は社務所に向かうのだった。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「ただいま……わ」

 居間に入って行くと、こたつの周囲が、もこもこの毛玉で埋め尽くされていた。
 猫だ。
 白に黒にぶちに灰色。赤虎、茶虎、黒虎、鉢割れ、サバに三毛。尻尾の長いの、短いの。先っちょがカギになったの……。
 神社に飼われている猫だけではない。ご近所中の猫が集まってきている。
 一歩踏み込んだ途端、一斉に猫がこっちを見た。
 
「あ、おかえり」

 もこもこの毛玉の海の真ん中から、ひょい、とサクヤが身を起こす。襟の合わせ目から、にゅっと茶色と白のぶちの子猫が顔を出した。

「にう」
「あ」
「あ」
「あ……」

 へにゃあっと羊子の全身から力が抜け、ぺったりと畳に座り込む。

「猫だったんだ……」
「だから言ったじゃないですか」
「うん……うん……よかったぁあ」

 涙目のまま、羊子はぎゅむっとサクヤに後ろから抱きついた。

「どうしたの、よーこちゃん。何があったの?」
「ううん、いいの、もういいの」

 わさわさと羊子は手を伸ばし、自分に負けず劣らずぺったりした胸元を確かめる。

「ちょっ、やめてよ、くすぐったいっ」
「うふふっ」

 こそばゆさと、むずがゆさの入り交じった感触が込み上げてくる。いたたまれず、風見とロイはそっと目をそらすのだった。
  
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