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#8「Mary go around」

 
 影がまとわりついてくる。
 ねっとりした粘液質の実体と、明確な悪意をそなえた影が。

 盛り上がった波がそのまま鋭い刃となり、斬りつける。
 
 傷の痛みに、カっと意識の奥底で何かが燃え上がった。

(お前らなんか……燃えてしまえ!)

 紅蓮の炎が迸り、闇を焼き付くした。
 業火のただ中にありながら、ちっとも熱くない。彼の手も、指先も、髪さえも、めらめらと炎に縁取られていると言うのに……

(僕がやったの……か?)

「そうだ。それが、君の力だ」
「っ!」

 急激に意識がはっきりした。
 これは夢なのか。それとも現実なのか。戸惑いながらまぶたを挙げる。

「おはよう、三上蓮くん」

 見覚えのない男がのぞき込んでいる。濃いグレイのスーツに青いシャツ、ネクタイは締めていないが服そのものはぴしっとしていて、質が良さそうだ。
 皺の寄ったまぶたの間からのぞく眼光は鋭いが、今はいたわりに満ちている。

 そうだ。
 ここ数日と言うもの、悪夢にうなされていた。
 連日のバイトや試験勉強で疲れがたまっているのだろうと思っていた。
 次第に悪夢を見る回数は頻繁になり、気を抜くと起きている時でさえすうっと白日夢の中に引き込まれるようになり、そして……。

「ここは?」
「私の事務所だ。この場所は、安全だ」
「そう……です……か……」

 ソファに寝かされていた。

 どうやら、バイト中に倒れたらしい。オーバーワークか。
 苦笑しながら起き上がると、ずきりと胸に痛みが走る。

「そんな、まさかっ!」

 上着もシャツも切り裂かれ、皮膚に血がにじんでいる。

「あれは、夢、夢のはずだ、なのに、どうしてっ?」
「落ちついて……まずは傷を治そう。メリィ!」
「はい」

 ちりん、と澄んだ鈴の音がした。
 長い髪、切れ長の瞳に金色の眼鏡。セーラー服を着た細身の少女がすっと現れる。
 
(メリィ? どっから見ても日本人なのに)

「じっとして」
「え……あ、はい」

 ほっそりした手がかざされる。一瞬、彼女の姿が写真の二重写しになったように、ぶれた。

 ぽうっと、春の日差しにも似た穏やかな温もりを感じる。皮膚から肉を伝い、体の内側に向けてキリキリと差し込んでいた痛みが……失せた。

「えっ?」

 信じられない。
 傷そのものが、消えている!

「夢みたいだ……」
「そうだ。『夢』こそが、重要なんだ」
「……え?」
「改めて、教えよう。私は上原烈。高原神父から、君のことを託された」
「神父さまから?」
「ああ。君の疑問には全て答える用意がある。だから……焦る必要はない」

 その日、はじめて三上蓮は己の中に宿る『夢の力』の存在と、悪夢と戦う宿命を知らされたのだった。
 戸惑いながらもやがて受け入れ、力の使い方を学び、磨きをかけた。
 上原からは夢の力の使い方と、敵である夢魔の知識を。そして彼の先輩であり、信頼できる仲間でもある風見紫狼からは剣の心得を。常念寺の和尚からは、処世術と、ある種のゆとりを。

 上原の助手二人とは、なかなか接点がなかったが……。
 年上の『メリィ』は上原しか眼中になかった。
 ひたすら彼の期待に応え、彼の役に立ちたくて、常にきびきびと飛び回り、油断なく気を配っていた。

 そして、年下の『サクヤ』は人見知りと言うか、ほとんど自分と話そうとはしなかったのだ。
 彼はまるで、人間そのものを嫌っているように見えた。鋭い目で睨み、警戒していた。
 ……そう、ある意味二人とも、大人の中で精一杯がんばって。がんばりすぎて張りつめていた。

 その後、大学進学にともない三上は戸有市を離れた。
 一人前の狩人として独り立ちしてからも、上原とは連絡を取り合い、時に協力し、その度に多くを学んだ。 
 夢の力は血筋に伝わる。三上にとって夢魔を狩ることは、まだ見ぬ生みの親の手がかりを追い求めることでもあった。

 そして、忘れもしない西暦2001年、運命の一夜。

 仲間の大多数が『夢の力』を失った。にも関わらず、三上の能力は消えなかった。それ故に彼は追われる身となり、かつての仲間との音信も途絶えて行った。
 人づてに上原の戦死を聞いた時には、既に4年もの歳月が経過していた。

 その頃には力を失った仲間たちが、徐々に力を取り戻し、また、自分たちとは違った力を持つ、新たな夢の守り人たちが現れ始めていた。

 再び始まった『夢魔狩り』の日々。
 旧知の仲間である常念寺の住職に呼ばれ、子ども時代をすごした街を再び訪れたのは昨年のこと。
 すきま風の吹き込む本堂で、二人の狩人に引き合わされた。
 一人は背筋のピンと伸びた高校生。どことなく武士を思わせるきびきびとした所作で、風見光一と名乗った。

「あ、もしかして風見先生のお孫さん、ですか」
「はい!」
「そうですか。大きくなりましたね……先生は、お元気ですか?」
「はい、びしばししごかれてます」
「はは、相変わらずですね」
「いまだに稽古でも、一本取れないし……」
「まだ衰えませんか……さすが、というべきでしょうね。光一君もかなり使うと見受けられますが」
「いや、俺なんかまだまだ未熟者で」

 かすかに笑みを浮かべると、光一はくしゃくしゃと自分の髪の毛をかき回した。祖父の厳しさ、と言うより己の未熟さに思わず苦笑したと言った所か。

「あと、じいちゃんからの伝言です。道場の方に顔出すようにと。」

(千里眼ですか、あの人は……)

 内心、舌を巻きつつにこやかに答える。

「おや、技の一つも習得できなかった不肖の弟子に何の用なのでしょうね」
「『風神流の伝えるものは”技”や”力”のみにあらず、”魂”もその一つ…』じいちゃんの受け売りですけど、たぶん、そういうことかと思います」
「……なるほど、確かに先生の仰りそうなことですね。まぁ、すっかりご無沙汰していたのも確かですし、土産の一つも持って伺うことにしましょう」

 過ぎた日を懐かしみつつ、もう一人に向き直る。
 赤いフレームの眼鏡をかけ、長い髪を赤いリボンでくくったリスのようなちっちゃな女の子……。
 白と黒の市松格子のスカートの上に黒のハイネックのカットソー、丈の短いカフェオレ色の上着を羽織り、まるで学校の先生のようなおとなしめの服装。
 だが、それが妙にしっくりと馴染んでいる。
 きちっと一礼すると、胸元のペンダントの鈴がちりん、と鳴った。

「結城羊子です」
「三上蓮です、はじめまして」
「はぁ?」

 和尚が呆れたような声を出した。

「しっかりせい、お主、この子には以前も会っておろうが」
「え?」
「メリィじゃよ。ほれ、上原の事務所で一緒だったじゃろ……」

 ぱちくりと、まばたきをして。しみじみと目の前の『結城羊子』を観察する。

 メリィ。上原さんのことしか見えていなかった、きりっとした女の子。
 そして、今、目の前にいる羊子。

(メリィさんの羊、ひつじ、ひつじ……)

『君、だれ?』
『よーこ。この楽譜、あなたの?』

『そう。レンには、おとうさんも、おかあさんも、いないのね』

『決めた。わたし、レンと結婚する』
『結婚して……レンの家族になってあげる』
『そうすれば、もうさみしくないよね』

 記憶がぐるりと円を描き、出発点に戻る。別々の面影がすうっと重なり、一つになった。 

「よーこ……」
「はい?」

(ああ。そうか。そうだったんだ!)

 何故、忘れていたのだろう。もっと、ずっと前に彼女とは会っていたのだ。

「……メリィちゃん」

 ひくっと、羊子の口元が引きつった。
 あちゃぁ、と小さくつぶやき、風見光一が額に手を当てる。

「メリィちゃん言うなっつーとろーがーっ!」

 猛然と繰り出された回し蹴りを、ひらりと黒いマントをはためかせて受け流す。

「と言われましても、聞くのは初めてですよ?」
 
(良かった、元気そうで)

 上原烈の死を知った時。戦友であり、師であった人を喪った哀しみとともに残された彼女を想い、胸が痛んだ。
 けれど……今は。

「うーっ」
「先生、落ちついて、落ちついて。ああ、ほら、キャラメルあげますから」
「毎度毎度、食い物で懐柔されると思うな!」
「メロンパンもありますよ?」
「……もらう」
「ほうじ茶と煎茶も用意してありますよ、どっちにします?」
「ほうじ茶がいいな」
「はいはい、ただ今……」

 両手でメロンパンを抱え込み、ちまちまとかじっている。まるで小動物だ。
 いい具合に肩の力が抜けている。もう、今にも破裂しそうな張りつめた心を抱えた少女ではない。

(うん、本当に、良かった)

(Mary go around/了)