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羊さんたちの遊卓

【サンプル6:それが君の願いなら】


 刻印の出現は、グレンにナジャとしての使命を思いださせる。だが同時に、人狼屍鬼エイベルに宣戦布告をしたも同然だった。よりによって彼自身の家(縄張り)で。
 結果として、怒り狂ったエイベルは日没も待たずに襲って来た。充分な対策を練ることができず、ナジャたちは苦戦を強いられる。

 計画では、あえて守りの薄い家畜小屋を用意し、そこに狼を誘い込む手はずだった。しかし、敵は準備ができ上がる前に。陽の落ちる前に襲ってきたのだ。
 罠は動かせない。中まで狼を誘導しなければ意味がない。
 幸い……そう、幸いなことに、エイベルは執拗にグレンを狙ってきた。
「こっちだ。俺はここにいるぞ。俺が怖いか、エイベル!」
 怒り狂った狼は、あっさりと挑発に乗ってきた。
(そうだ、俺を追って来い!)

 月影青く尾を引いて
 闇に閃く 白い牙
 凍える息は生臭く、墓場の土の味がした。

 行く手に、家畜小屋が見えてくる。開け放たれた入り口から飛び込んだ。すぐ後ろを人狼屍鬼が追ってくる。
 かちっと、背後で牙が空を噛む。
 間一髪、窓から強引に抜け出たその直後。全ての出入り口と窓に、鉄格子が落とされた。
 小屋の中にはあらかじめ薪と、油をしみ込ませた藁が積み上げられていた。
「今だ!」
 ハーツの合図で一斉に火が放たれた。
「メイガン! メーイーガーン……メイガァアアアン!」
 燃え盛る小屋の中、人狼屍鬼の断末魔の絶叫が響く。
「やめて! 私の夫に何をするの!」
 半狂乱になって駆け寄る妻の目の前で、小屋は無残にも轟音とともに崩れ落ちた。
「あ……あ……」
 ぼう然とへたり込むメイガンの肩に、ためらいながらグレンが手を乗せる。
 彼女が振り向いた。止めどなく涙を流す虚ろな瞳が、ゆっくりと焦点を結ぶ。
「ディー……」
 その時だ。
 小屋の残骸から、焼け焦げた肉塊が飛び出した。
 ぱあっと真っ赤な花が咲く。頬に。手に。熱い、真っ赤なしぶきが飛んだ。それが、彼女の首から迸る血だと理解するのに、ほんの少し時間がかかった。
 何と言う執念。
 エイベルは最後の力を振り絞り、メイガンの咽を噛み裂いていた。
「お前に……彼女は……………渡さない」
 妻の鮮血に染まる口でニタリと笑うと、エイベルは息絶えた。今度こそ、永久に。

「メイガン……メイガン……」
 倒れた彼女を抱き起こす。噛み裂かれた首筋から血が噴き出し、地面に赤い水たまりを作る。
「ハーツ! 頼む、彼女を助けてくれ、治してくれ! お前ならできるだろ?」
「グレン」
 ハーツは動かない。ただ見ているだけ。そして、告げた。スミレ色の瞳が厳しいほどに、まっすぐに、震え、おののく若い心を貫き通す。
「彼女に先はない。仮に魔法で傷を塞いだとしても、屍病で死ぬ運命が待っている」
「でもっ!」
 傷口を手でふさぐ。だがそれだけじゃ、とてもじゃないけど止められなかった。
「このまま見送ってやれ」
「嫌だ!」
「デ……ィー……」
 指先にかすかな動きが伝わる。メイガンが首を振っていた。
 小さく、だがはっきりと、横に。
「私と……彼を……一緒、に、焼いてっ……離れたく、ないの」
 ひゅう、ひゅうと咽を鳴らしながら。口から血を吐きながら。彼女は奇跡的な努力を振り絞って言い終えた。
「どちらがどちらの骨なのか。灰なのか。分からなくなるまで……お願い」
 それは、彼女の最後の言葉。
 死に行く女から、残される男に託された、たった一つの願い。

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