▼ #2「奥津城より」
友だちが病気になった。高校は別だけど、小学校から中学校までずっと一緒だった女の子。
学校帰りに倒れているのが見つかって、それきり目を覚まさない。
放課後、お見舞いに行った。彼女の好きな白い百合の花を持って。
花屋に寄っていたら少し遅くなったので、近道をすることにした。
竹やぶの脇の細い道を通り、崩れ落ちた家の横を抜ける………家と言っても、ずっと昔に火事で焼け落ちて、今は黒く煤けた柱と平べったい石がいくつか、残っているだけなんだけど。
夏の盛りでも、ここには草一本生えない。芽吹いたそばから黒く干涸びねじくれて、後に残るのは燃えかすみたいな草の亡きがら。
犬も、猫も、スズメもカラスも。虫さえもここには入ろうとしない。まるで目に見えない線が引かれてるみたいに。
足早に通り過ぎようとしたその時。
カラ……カラ……カサリ。
空気がゆらいだ。真っ黒に干涸びた枯れ草が互いにこすれ合い、かすかな音を立てる。
カラ、カラ、カサリ。
「あ………」
誰かいる。
白いワンピースの裾と、肩まで伸びた髪の毛を風になびかせて……彼女だ。
「すずちゃん」
名前を呼ぶと、すうっとこっちを振り返り、ぼんやりと見つめてきた。まばたき一つせずに。
「こうちゃん?」
「うん……病気になったって言うから、心配した」
すずちゃんは俺の抱えた花束を見てふわっとほほ笑んだ。
「きれい……それ、あたしに?」
「うん。お見舞い」
「うれしいな……」
雲の中を歩くような足どりで近づいて来る。
「すずちゃん、君、靴はいてない!」
「うん、わすれちゃった」
よく見ると着ているのもワンピースじゃなくて寝間着……ネグリジェだった。いったいどうしたんだ、すずちゃん。
「こんなとこで、何やってるの?」
「……よばれたの」
「呼ばれた?」
こくっとうなずいた。
「知ってる? ここで昔、火事があったの」
「うん……聞いたことある」
「みんな燃えて……」
ぶわっと視界が赤く染まる。夕陽よりもなお赤く。頬がじりじりと焼ける。熱い!
燃えている。
辺り一面、火の海だ!
「すずちゃん?」
いない。どこに行った?
「うわ……ああ」
すぐそばまで炎が迫っている。
髪の毛の焦げるにおいを嗅いだ。
早く逃げなければ!
走っても、走っても炎が追って来る。それどころか近づいて来る。
……違う。
燃えているのは、俺だ!
手が燃えている。足が、髪が、体が。ごうごうと炎をあげて燃えている。
熱い。熱い。熱い!
「うわぁっ」
口の中が焼けただれる。目の前で手が炎に包まれ、皮膚が焼け落ち、肉が爛れる。血は流れない。じゅわじゅわと泡立ち、沸騰して蒸発してしまうから。
『みんな燃えて……死んだの』
『死んだの』
『死』
『死』
『死』
『死』
赤い炎がくねって伸びて、手に、足に絡み付く……動けない。はっきりと悪意を感じた。憎しみを感じた。
『 あ な た も こ こ で 死 ぬ の 』
(いやだ!)
叫ぶ喉の奥に熱気が流れ込み、はらわたが焼ける。
このまま焼けてしまうのか、俺は。骨まで残さず燃え尽きて、先祖代々の奥津城に眠ることさえ叶わずに。
いやだ、いやだ、いやだ!
恐ろしい。恐ろしい!
炎が笑う。
声の無い声で。
胸が、喉が、顔が、皮膚も肉も一塊にごぞりと崩れ落ちる。
ああ、それでも意識が消えない。
ぱちん、と片方の眼球が弾けてどろりと溶け落ちた。
炎が笑う。
幼い子どもみたいに甲高い、調子の外れた無邪気な声で。
笑いさざめきひらひらと、空ろになった目の玉の、くぼみの中で踊っている。
左手はもう、ほとんど筋一本で繋がってるだけだ。
鼻が崩れ、耳が落ちる。
それでもまだ倒れない。立ったままぼうぼうと、松明みたいに燃えている。
俺はいつまで燃えてるんだろう……。
「惑わされるな!」
シャリン!
鈴が鳴る。
月の光が薄く結晶し、しん、と冷えた夜の空気の真ん中で触れあうような澄んだ音。
さらり。
緑の枝が揺れた。
葉っぱの先から水晶みたいな雫が散って、ざあっと降り注ぐ。
優しい雨が染み通る。
「………み…………」
だれかがよんでる。
「しっかりしろ……お前は燃えてなんかいない………」
本当だ。
手も、足も、顔も髪も胴体も、燃えてなんかいない。
「………ざ……み……」
りん、とした呼び声。とても良く知っているだれかの声が俺の名前を呼ぶ。
その瞬間、風が走った。俺を中心にうずを巻き、迫る炎を押し戻す。
そうだ……。
風よ、走れ。もっと早く、もっと強く。こんな、憎しみに満ちた炎なんか………
「消してやる!」
意志が力となり、形を成す。
「行けぇっ」
降り注ぐ雨が風の螺旋に乗って広がり、紅蓮の炎を鎮めた。
「風見!」
「はっ」
目蓋を上げる。
焼け跡にいた。
「大丈夫か?」
情けないことに俺は地面に仰向けにのびていて、小柄な女性がそばにいた。
ハーフアップにした長い髪。赤い縁の眼鏡の奥から、黒目の大きなくりっとした瞳がのぞきこんでいる。
「え? 羊子先生? 何で、ここに?」
「お前のことがちょいと気になってな。後、ついてきた」
「………先生、それ、ちょっとストーカーっぽい……」
「おばか」
こん、と握った拳でおでこを軽く小突かれる。
「一人で突っ走るなっつっただろ?」
「すみません」
「そら、これ」
さし出された百合の花束を受けとった。花びらも、茎も、葉も、しゃんとしてる……よかった。
「あ……そうだ、すずちゃん!」
起きあがり、慌てて見回すが……いない。どこに?
「……佐藤さんなら入院中だぞ。今朝、お前が言ってたじゃないか」
「あれ……そうでしたっけ」
「しっかりしろ」
ぱふぱふと背中を叩かれた。
あんな事があった直後なのに、落ち着いてるなあ……見かけは俺よりちっちゃいのに、やっぱり大人なんだ。
羊子先生はとことこと歩いて行くと、煤けた石を見下ろし、小さくうなずいた。
さっきまですずちゃんが立っていた場所だ。
「どうしたんです?」
「うん……ちょっと……ね……」
先生は肩にかけたバッグから手帳を取り出し、ぱらりと開いて中に挟んであったものを手にとった。
白い紙……和紙かな。何となく、人の形に切り抜かれているように見える。
羊子先生は人型の紙で、ちょい、ちょい、と石を撫でるとまた元のように手帳に挟み込んだ。
「さてと……ここの近くに、お墓とか、ないか?」
何で知ってるんだろう。
※ ※ ※ ※
竹やぶの手前で道を右に曲がり、まっすぐ進むと墓地がある。畑と住宅地の間にぽっかりと思い出したように墓石の並ぶ空間が広がっているのだ。
羊子先生はしばらくちょこまかと墓地の中を歩き回っていたが、やがて一つのお墓の前で立ち止まった。
四角柱の形の墓石。これは、まあ普通だ。けれど先端がピラミッドみたいに尖っているのは珍しい。
墓石の前に、線香立てじゃなくて小さな棚があるのも変わってる。
「変わった形ですよね、これ」
「神道式の墓だよ。奥津城(おくつき)って言うんだ……そら」
「ほんとだ」
墓石には確かに『佐藤家之奥津城』と刻まれていた。
「佐藤さんが倒れてたのって、もしかしてここじゃない?」
「……そうです」
墓石の台座の部分にわずかに開いたすき間を指さす。
「そこをのぞきこむようにしてうずくまってたって」
「だろうね」
「何なんです、それ」
「ああ、ここは、床下収納庫みたく開くようになっていてね」
「……収納庫って……何、しまうんですか」
「お骨」
そうだよ……な。お墓なんだし。
「さて、と」
羊子先生は手帳に挟んであった人型の紙を取り出すと、墓石のすき間に押し込み、とん、と軽く押した。
すう………すとん。
まるで吸い込まれるみたいに落ちて行った。それがそこにあったことすら、夢だったみたいにあっけなく。
「……帰りたかったんだね……」
「でも、こんなに近くにあったのに、何で?」
「縛られてたんだよ。あの場所でずっと」
「あ」
手足に絡み付いた炎を思い出す。
「あいつか……」
「そう言うこと。さてと、病院に行こうか? たぶん、彼女も目を覚ましてるよ」
「はい……あ、ちょっと待って」
花束から一輪、白い百合を取り出し、墓前に手向けた。
「OK。行きましょうか」
「ん……」
羊子先生は満足げにうなずくと目元をなごませ、笑いかけてきた。
「優しいな、風見」
「何も無いのも寂しいし、幼馴染の家のお墓ですから。」
※ ※ ※ ※
病院に行くと、佐藤さんはすっかり元気になっていて……
ただ、「すっごくのどが乾くの」と言って水をごくごく飲んでいた。
それは悪夢のかすかな名残り。
時の流れとともに消えてゆくだろう。
そう、祈りたい。
(奥津城より/了)
inspired from "The Tomb" (by H.P.Lovecraft)
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