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羊さんたちの遊卓

【5-2】あくまで普通らしい

 
 2006年12月22日、明日から連休を控えた金曜日の午後。
 風見光一は成田空港の第二ターミナルの雑踏の中に居た。
 どこかでかすかに犬が吠えている。目の前を女の人がキャリーバッグに入れた猫を抱えて歩いて行く。ここから飛び立つのも、ここに降り立つのも、人間だけではない。
 正に空の玄関口だ。
 ぼーっとしたまま巨大なカートを引いて慌ただしく目の前を通り過ぎる人の流れを眺めていると、金髪の幼なじみが心配そうに声をかけてきた。

「Hey,コウイチ。どうしたんだい、ぼーっとして?」
「うん……なんだかまだ半分、夢を見ているような心地がして……」
「そうだね。ボクもまさかアメリカでクリスマスをすごすことになるなんて、思ってなかったよ」
「ロイは半分里帰りみたいなもんだもんな」
「でも、実家はワシントンだから。今回はさすがに行けないかな」
「そっか………大陸の反対側だもんな」

 二人とも終業式を終えてから一旦家に立ち寄り、私服に着替えて荷物を持ってその足でここまでやってきた。おかげでまだ頭が学校生活から抜けきっていない。
 すぐそこのカウンターでは、赤いケープ付きのコートを羽織った担任教師がプリントアウトしたeチケットの控えを手に航空会社の職員と言葉を交わしている。
 
「ふぇ?」

 いきなり素っ頓狂な声をあげた。

「あのお客様?」
「あ、いえ、何でもないです。ありがとうございました」

 はたはたと手をふり、妙にカクカクした動きで戻ってきた。

「どうかしました、ヨーコ先生?」
「あ、いや、席が……ね」
「まさか、ダブルブッキング?」
「いや、そうじゃなくて」

 今回のサンフランシスコ行きに際しては、現地のチームメイトが宿も飛行機のチケットも全て準備万端、整えてくれたはずだった。

「カルのとってくれた席………普通の席だよって言うからてっきりエコノミーか、いいとこビジネスエコノミーかと思ってたら……」
「まさか、ビジネスクラス?」
「いや。ファーストクラスだった」
「え」
「ええーっ?」
「やっぱ声でちゃうよな、うん」

 ただでさえホリデー価格で運賃の跳ね上がるこのシーズン、下手すりゃ車の買えるお値段である。現実を理解しつつも心のどこかで『何かのまちがいだろう?』なんて半信半疑で乗り込んでみたが、やっぱりきっちりファーストクラスなのだった。

「これが、ランドールさんの普通なんだ……」

 しかも3人座るべきところを座席を押さえてあったのは4つ。すなわち窓際に二人並んで座り、もう一人が前に座ってさらにその隣が空くと言う無駄、いや余裕たっぷりの采配だった。
 当然のことながら羊子が前に一人で、その後ろにロイと風見が並んで座ることになった。
 さすがファーストクラスはスペースひろびろ、冬服の男子高校生二人が並んで座っても楽に足を伸ばせる余裕があった。

「うわ、座席ひろーい」
「ほんとだ。これなら向こうに着くまで楽にすごせますね……いいのかな、高校生がファーストクラスなんか乗っちゃって」
「いいんじゃないかな。ゆったりしてるから、向こうについてすぐ、動ける」
「なるほど」

 素直にはしゃぐ風見と羊子の言葉にうなずきながらも、ロイはほんのちょっぴり残念だった。

(ああ、これがもしもエコノミーならもっとコウイチとぴとっと寄り添えるのに!)

「それにしてもさあ、君ら」

 コートを脱いだ教え子二人を代わる代わる見ながら羊子はどこか不満げに顔をしかめた。

「華がないって言うか、地味って言うか……黒いぞ」
「そうかなあ」
「色があんまし制服と代わり映えしないし?」

 確かにその通り。風見光一はカジュアル系量販店の黒のフリースに黒のジーンズ、足下はいつも学校に履いていっているスニーカー。ロイはほどよく履き慣らしたジーンズにかろうじてブルー系のシャツ重ね着してはいるものの、上に着ていたファー付きのロングコートは黒だった。

「せっかくの休みなんだから、もっと派手な服着てくればいいのに」
「黒はニンジャの基本色ですから」
「基本って……まさかロイ、その青いシャツも裏返すと黒、とか言わないよね?」
「よくおわかりで」
「……冗談抜きでリバなんだ」
「基本ですから」
「あー、あったよね、鬼平犯科帳で、そう言うの。ばっと普通の着物を裏返すと黒装束に変わるってやつ」

 風見はにまっと笑うと軽くロイをひじでつついた。

「よっ、兄さん、粋だね」
「あ、ありがとう……」

 はにかみつつほほ笑み返す幼なじみから羊子に視線を移し、着ているものをまじまじと観察してみる。

「羊子先生は、何て言うか、赤いですね」
「うん、クリスマスカラーを意識してみた」

 着ていたケープつきコートは赤に緑のタータンチェックに黒いフェイクファーの縁取り。足下は学校ではほとんどお目にかからないカフェオレ色のブーツ。(下駄箱に入らないしどうせ校内では上履きだから)
 コートの下は白のタートルネックのふかふかのカットソーにコートと同じ柄の巻きスカート、アクセントで黒のベルトを巻いている。しっかり黒のレギンスを履いているのは寒さ対策だろう。

「これはこれで妙になじみがあるって言うか、見慣れた感じだなあ……学校に赤い服はあんまし着てこないのに」
「オウ!」

 ぽん、とロイが拳で手のひらを叩いた。

「そこはかとなく配色が巫女装束デス」
「なるほど!」
「こらこら。どこの世界にブーツ履いた巫女さんがいるかね」

 結城羊子の実家は神社。そして風見とロイの二人は時々、そこでバイトをしているのである。

「そーいや結城神社のお仕事大丈夫なんですか? 年末のこの忙しい時期に、俺ら二人ともこっちに来ちゃって……」
「ああ、そのことなら心配ないよ。蒼太に助っ人頼んできたから」
「なるほどー。って、蒼太さんって……」

 時折顔を会わせる生真面目な先輩の本職を思い出し、風見とロイは目を剥いた。

「お坊さんに神社の手伝い頼んじゃったんデスカ」

 あっけにとられる二人に向かって羊子はにまっと笑い、片目をつぶる。

「大丈夫だって、日本の神様は心が広いから。何てったって八百万もいるんだぞ?」

(きっと蒼太さん本人にも同じことを言ったにちがいない)

 密かに思ったが口には出さない二人だった。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 飛行機が離陸して、水平飛行に入った頃合いを見計らって羊子はキャビンアテンダントに声をかけた。

「Excuse me……」

 すかさず明るい茶色の髪に青い瞳の女性が来てくれる。

「雑誌と……キャンディをいただけますか?」
「あ、俺も雑誌ください」
「ボクも」
「かしこまりました」

 彼女はにっこりほほえむと、まもなく小さなカゴに盛ったキャンディと雑誌を三冊抱えてもどってきた。

「どうぞ」

 白いほっそりとした手が3人に雑誌を一冊ずつ手渡してくれる。風見には少年マンガを。ロイにはメンズ向けのファッション雑誌、英語版。そして羊子にはなぜか少女マンガ。

「……ありがとう」
「Thanks」
「ありがとうございます」

 軽やかに歩み去るCA嬢の背中を見送ってから、羊子がむすっとした顔で言った。

「なんでーっ? なんでロイがファッション雑誌であたしが少女マンガなわけ?」
「何でって言われましても………」
「英語版がないからじゃないですか?」
「アメコミがあるじゃん、アメコミがー」

 ぶーたれつつ羊子はキャンディの包みを開けるとぽいっと口に放り込んだ。ふわっとメロンの香りが広がり、片方の頬がぷっくり丸く膨らむ。
 苦笑して少年マンガを開きながら風見光一は密かに思った。機内で眠ることを考慮してか、今日の羊子はほとんど化粧らしい化粧をしていない。赤い服と相まっていつもに増して幼く見えてしまう。
 それでキャンディください、なんて言われちゃったら……多分、のどの乾燥を防ぐためなんだろうけれど。

(でも最大の敗因は、あれだな。アメリカのスタッフに声かけちゃったことだよな……)

 それから40分ほど、羊子は一言もしゃべらずページをめくっていた。やがてぱたり、と雑誌を閉じた気配がして座席の横から顔を出してきた。

「風見ーそっち読み終わった?」
「はい」
「じゃ、交換しよ?」
「いいですよ」
「……けっこう気に入ってマス?」
「今週のマガジン、まだ読んでなかったし?」
「って言うかコウイチ、少女マンガ読むんだ」
「うん、けっこう面白いよ? MOMO」

 ごく普通に互いのマンガ雑誌を交換して読み出す二人を見ながら、ロイは心中密かにうなった。

(……日本のマンガ文化は奥が深いデス)

 やがて2ローテーション目の読書が終わった頃。

「どうぞ、映画のプログラムです」
「あ、どうも」
「お客様にはこちらを」
「ありがとうございます」

 青い目のCA嬢がにこやかに差し出してくれたリーフレットをぺらりとめくるなり羊子の顔が固まった。

「なんで、あたしだけ……アニメ?」
「え」
「そっち見せなさい、そっちの!」
「どうぞ」
「………洋画………」
「あー、その……一冊どうぞ。俺はロイと一緒に見ますから」
「もらう」

 だが羊子が選んだのは結局、アニメーション映画の「カーズ」だった。しかも、にまにましたり、時々足をじたばたさせながら見ている。

「……けっこう気に入ってマス?」
「いや、あれは多分、吹き替え版だ」
「なるほど、声に萌えまくってるんだネ」
「麦人さんに土田大さんだもんな……」

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