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羊さんたちの遊卓

【5-3】空港にて

 
 およそ11時間後、サンフランシスコ国際空港にて。
 時刻は午前9時30分。慌ただしい朝の空気の中、サリーこと結城朔也は到着ロビーで日本からの飛行機を待っていた。白いセーターに茶色のチェックのコットンスラックス、その上からダッフルコートを羽織ったその姿は例によって高校生とまちがえられそうな愛らしさ。
 着ている服からしてジュニアサイズなのだからなおさらに磨きがかかっている。
 一人で来ていたら警官に声をかけられていたかも知れない。けれど今日はありがたいことに約一名、付き添いがいた。

「まだか?」

 テリーはさっきから到着便の電光掲示板と腕時計を交互ににらんでいる。

「まだだよ。出発がちょっと遅れたみたいだしね」
「そーか……」
「テリーまで来ることないのに」
「いや、お前車持ってないだろ?」
「うん、それはすごく助かった。今回は荷物も人も3人分だしね」
「だろ? 俺も、ヨーコさんに挨拶したかったし」
「夏とはちょっとちがう顔見られるかも知れないよ? 今日は学校の生徒が一緒だし」
「そーなんだよなー、それがちょっと実感なくて……ジュニアハイで教えてるんだっけ?」
「ううん、ハイスクール」
「マジかよ。生徒にまぎれたりしないのか?」
「たまに教壇に立っててもだれも気づいてくれない時があるって」
「やっぱりな……」

「あ、来た」

 やっと来たか! でも見てる方向が逆じゃないか。何で到着ゲートじゃなくてロビーの方を見てるんだ?

 サリーの視線を追いかけてテリーは思わず口元をひくっと引きつらせた。
 ロングフレアの黒いコートを着た背の高い男が足早に歩いて来る。印象的な眉にウェーブのかかった黒髪。コートはもちろん、下に着ているスーツも靴も手入れの行き届いた高級品、しかも新品ではなく適度に体になじんでいる。
 仕草にも表情にも気負った所はみじんもない。一目見てこのクラスの衣服を身につける事に慣れているのだと知れる。

「ランドールさん!」

 黒髪の男はこちらに気づくと屈託のない笑顔で手を振った。

「やあ、サリー。遅れてすまなかったね」
「大丈夫ですよ、まだ時間があります」
「そうか、安心したよ……おや、君は……」
「どーも」

(出やがったな、遊び人社長!)

 一応、こいつが来ると聞いてはいた。だからこそ車を出すのにかこつけて空港までひっついてきたのだ。だがいざ現物と顔を合わせると……やっぱり面白くない。いらつく、むかつく、落ち着かない。

(サリーに手ぇ出しやがったら、タダじゃおかねえ)

 断固たる決意をこめてにらみつけるが爽やかな笑顔で返された。

「確かテリーくんだったね」
「はい」
「車、出してくれるそうです」
「そうか、ありがとう。さすがに私の車一台ではいささか窮屈だからね」
「窮屈って……運転手付きリムジンじゃないんすか?」
「いや、トヨタのセダンだよ。プライベートだし……遠方から来る友人を出迎えるんだ、やっぱり自分でハンドルを握りたいじゃないか」

 チクリと放ったはずの皮肉もするりとかわされる。多分向こうはかわしたと言う自覚すらしていなさそうだ。

(くそう、なんなんだこの余裕は! それともこいつ、ただの天然か?)

「あ、来た」

 今度こそ到着ゲートの方を見ている。
 ほどなくカラコロとキャスター付きのスーツケースを引っ張って、赤いコートを着た小柄な女性が姿を現した。迷わず、まっすぐにこっちに向かって歩いて来る。

「サクヤちゃーん」

 ストレートの黒髪をなびかせ、とたたたっと駆け寄ってくる。ぴょんとサリーに飛びつき、抱きつくなり頬にキスをした。

「よーこさん」
「久しぶりー」
「……やっぱアメリカ式なんだ?」
「だってここ、アメリカだよ?」
「風見くんたちが固まってるよ?」
「ありゃ?」

「ども、お久しぶりです、サクヤさん」
「Hello」
「おひさしぶり。元気そうだね」

 やや離れた場所から見守る風見とロイににこにこと挨拶してから、サクヤはちょこんと首をかしげた。

「……で、テリーにはしないの? ハグ」

 ヨーコは一旦サクヤを解放し、今度はぴょん、とテリーに抱きついた。

「テリー、久しぶり! 会えてうれしいわ」
「ようこそ、サンフランシスコへ」

 テリーは身を屈めるとを頬をすりよせた。まるで妹にするように、軽く。

「ああ、風見くんたちは会うの初めてだったよね。こっちは大学の友達でテリーって言うんだ」
「やあ」
「こっちの二人はよーこさんの高校の教え子。風見光一くんと」
「ロイ・アーバンシュタインです」
「風見光一です。よろしくお願いします」

 ややぎこちなく挨拶を交わすテリーたちの隣では、ヨーコとランドールが旧交を暖め合っていた。

「Hi,カル」
「やあ、ヨーコ」
「なんだかあまり久しぶりって感じがしないね……元気だった?」
「ああ。君も元気そうだね」
「うん。座席ひろかったし、のびのび座れた!」
「そうか。良かったよ」
「でも……あの、その……お値段張ったでしょ、あれ」
「そうでもないよ。知り合いのツテで手配してもらったからね。それに先方が気を利かせてツアー扱いにしてくれたし」
「さすが、やりくり上手い」
「私じゃないよ。秘書が有能なんだ」

 サリーは密かに安堵していた。

(よかった……ランドールさん相手にアメリカ式の挨拶やらなくて)

 どう見たって大人と子ども。人前でおおっぴらに抱擁なんか交わして、ほっぺにちゅーとかやらかしたら悪目立ちすること請け合いだ。さすがに親子には見えないだろうし。

 一方、ロイも別の理由で安堵していた。

(よかった……サクヤさんには彼氏がいたんだ!)

 もちろん、この彼氏とは言うまでもなくテリーのことである。

(ほんとうに……よかった。これで心配の種はMr.ランドールただ一人!)

 ロイ・アーバンシュタインはニンジャである。そしてニンジャとは主君に仕えるもの。
 幼なじみの風見光一を、ロイは密かに『仕えるべき主君』と心に決めていた。
 サクヤにしろ、ランドールにしろ、彼の目からしてみれば主君との絆に割り込むライバルなのだ。宿敵なのだ。

「それじゃ、パーキングに行こうか」
「あ、ちょっと待ってその前に」
「おなかへった?」
「ううん、のどかわいた」

 ちらちらとヨーコが売店の方に目を走らせている。

「いいよ、荷物見ててあげるから」
「サンキュー。他に飲み物ほしい人、いる?」
「いや、私は……」
「俺も一緒に行きます」
「ボクも」
「いってらっしゃい」

 しばらくして、ヨーコはコーヒーを片手に戻ってきた。微妙に不満げな顔をして。その後ろから風見とロイが同じく紙コップを手に困ったような顔でとことと歩いてくる。

「どうしたの?」
「ワイン売ってもらえなかった……」
「あー……それはしかたないよ」
「飛行機の中でもワインもらえなかったし……」
「そのかわりトランプもらえたじゃないすか」
「アニメの絵のついたピンク色のかっわいーのだったけどな……」
「あー……」
「飛行機のミニチュア模型と、二択で」

 明らかにお子様用のサービス品。ちなみにもらったのはヨーコ一人だけ。

「こんなことなら、いっそロイに買ってもらえばよかった!」
「生徒にお酒を買わせないでくだサイ!」
「って言うか違法です、先生」

 教え子たちの突っ込みも素知らぬ振りして立て板に水と受け流し、ヨーコはちょこまかランドールに歩み寄るとくいくいとコートの袖をひっぱった。

「カル、ワイン買ってきてもらっていい?」
「ああ、いいよ。赤? 白?」
「んー……ちょっと冷えてきたから……グリューワインがいい!」

 赤ワインにオレンジピールやシナモン、クローブなどの香辛料やレーズン、ナッツ、そして砂糖を加えてあたためたこの飲み物はクリスマスに欠かせない。
 本来はヨーロッパで好まれるが期間限定で空港のカフェのメニューにのっていたらしい。
 グリューワインと聞いてサリーも目を輝かせた。

「あ、いいなそれ。俺も飲もっかな」
「OK、グリューワインを二人分だね?」
「お願いします」

 サリーとランドールの間にずいっとテリーが割り込んだ。

「お前はやめとけ!」
「えー。あっためるからアルコール飛んでるのに……」
「いいからやめとけ」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

「それじゃ、風見とロイをお願いね、カル」
「ああ。ホテルの位置はわかるね? 念のためナビに座標入れておくかい?」
「や、俺の車カーナビ着いてないんで」

 二台の車に分乗し、ホテルめざして走り出す。
 出発直前にだれがどの車に乗るかでほんの少し物議がかもされたものの、結局テリーの車にサリーとヨーコが。ランドールの車に風見とロイが乗って行くことで合意に達した。

「ひゃあ、やっぱりアメリカ仕様の車って大きいねー」
「ちらかっててごめんな。兄貴からの借り物なんだけど」

 ちょこんと後部座席に乗り込み、シートベルトをつける。ちなみにランドールの買ってきたグリューワインに口をつけるのは、車に乗り込むまで我慢したらしい。

「それで、ヨーコさんホテルはどこ?」
「んっとね、O'FARRELL STREETの333、HILTON SAN FRANCISCO……」

 宿泊先を書いたEメールをプリントアウトした紙を読み上げながら、さっとヨーコの顔がこわばった。

「これって。ビジネスホテル・ヒルトン戸有のサンフランシスコ支店とかじゃないよね?」
「それは、ないと思うな……」
「じゃあ、やっぱり………『あの』ヒルトンホテルなんだ……」

 一方、その頃、もう一台の車の中では。

「うわっ、広いなー。日本とは全然、建物の間合いが……って言うか土地そのものの縮尺が違うよ!」

 風見光一が初めて見るサンフランシスコの風景に目を輝かせていた。

「日の光も違う。まぶしくって、見えるもの全てが色鮮やかに輝いてるって感じだ」
「楽しんでるようだね、コウイチ」

 ちらりと後部座席をうかがい、ランドールが声をかける。風見は背筋をのばし、英語で答えた。

「はい、すごく……あの、ランドールさん」
「何だい?」
「もしかして何か心配事でもあるんですか? さっき、車のドア閉めたときに……えぇっと……」

 風見は目を閉じてとんとんとこめかみを人差し指でリズミカルに叩いた。

「ちょっと寂しそうな顔してたんで、気になって」
「本当に? そんな風に見えたかな」
「…………はい」
「参ったな」

 ちょっと苦笑すると、ランドールはできるだけ簡潔な表現を選びながらゆっくりと答えた。英語に不馴れな風見が聞き取れるように、理解できるように。
 それ故に逃げやごまかしは封じられ、自分の気持ちをストレートに言わなければならない。
 しかしながら何故だかこの少年に対しては気負ったり格好をつける必要性を感じなかった。彼と話していると、自分の中に残っている子どもの部分にまっすぐに触れ、向き合ってくれるような……そんな気がするのだ。

「さっき空港で、君たちを出迎えたときにね」
「はい」
「彼女は……………私だけハグしてくれなかった」
「あ」
「ああ」
「サリーは従弟だし、テリーくんは彼の友人だ。私に比べて付き合いも長い。それは理解できるんだ……」
「もしかして、待ってました?」
「……うん」

 風見とロイは顔を見合わせた。
 
「忘れてないと思いますよ?」
「礼儀を守ってるつもりなんじゃないかな。俺たちやサクヤさん、テリーさんは年下だけど……」
「私は年上だから……かい?」

 二人の少年は声をそろえて答えた。

「Yeah!」
「なるほど、そう言うことか」

 自分にいい聞かせるようにつぶやきながらうなずくランドールの横顔を見ながら風見は思った。

 もしかしてランドールさん、拗ねてる?

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