ようこそゲストさん

羊さんたちの遊卓

【5-5】あくまで普通らしい2

 
 廊下を抜け、エレベーターに乗り、上へ上へと上がっていって……ついたところはプレジデンシャルスイート。
 ホテルの外観と同じ赤みがかった砂色のカーペットに白い壁、ソファは生成りに近いベージュ色。カーテンは渋みのある赤ワイン色、椅子やミニバー、テーブルはほんのりオレンジがかった褐色のチェリー材。
 優しい秋の日だまりを思わせるインテリアに統一された室内は、ひたすら広く、眺めも抜群。さらにそなえつけのテレビは27インチの薄型だった。

 客室係が設備の使い方を説明する間、風見とロイ、そしてサリーとヨーコの四人はひたすらぽかーんとしてうなずくばかりだった。
 やっと自分たちだけになってから口を開く。全部日本語で。

「………これがランドールさんの『普通』なんだ……」
「すご……このリビングだけであたしの1ルームマンション全部入りそう……ってか、まだ余る」

 改めて部屋中を見回し、風見がため息をついた。

「何か場違いなところに来た感じがする……」
「言うな、あたしも必死で考えないようにしてるんだ」
「こっちは寝室かな?」

 風見はとことこと歩いてゆくとドアを開けた。
 生まれて初めて泊まる高級ホテルの客室がいったいどうなってるのか好奇心もあったし、万が一にそなえて間取りを確認しておこうと言う武人としての心構えでもある。

「すごいなー、寝室が二つもある! 一つは羊子先生が使うとして……よし、ロイ、俺たちはこっちの部屋を使おうか!」
「う、うん。でもこれ……」

 こくんっとロイはのどを鳴らした。目元を隠すほどのびた長い前髪の陰で汗がじわっと額ににじむ。

「ダブルベッドだよ?」
「掛け布団別々にかぶれば平気だろ。これだけでかいし、それに、ちっちゃい頃はよく同じ布団に雑魚寝してたじゃないか」

 この瞬間、ロイは彼にだけ聞こえるハレルヤの大合唱に包まれていた。

(神様アリガトウ!)

 その間、ヨーコはバスルームに鼻をつっこんでいた。

「わー、お風呂広っ! きれーい。泳げそう! アメニティグッズもすごい充実してるよサリーちゃん。ほら、化粧水まで」
「本当だ……って言うか、何でそんなこと俺に報告するの?」
「わ、この入浴剤ってバブルバス?」
「聞いてないし……」

 バスルームから響く歓声を耳にして、ロイと風見ははっとして顔を見合わせた。ここのホテルは何もかもスケールが大きめだ。さすがにバスタブは大柄なアメリカ人男性には少し窮屈かもしれないが、身長154cmの日本人女性には……。

(でかい風呂……バブルバス……泡……滑る………)
(バスタブで溺れてしまいマスっ!)

 慌てて二人はバスルームに走った。
 案の定、空のバスタブに入って悠々と仰向けに寝そべるヨーコをサリーがやれやれと言った表情で見守っていた。

「羊子先生っ!」
「何? 二人とも血相変えて」
「絶対、風呂入るときはボクらに一声かけてくださいネっ」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 とりあえずリビングでスーツケースを開けて必要になりそうなものを取り出しているところにピンポーンと呼び鈴が鳴った。

「はーい」

 覗き穴から確認してからチェーンを外し、ドアを開ける。ホテルの従業員が台車に大きめのトランク一個分ほどの箱を乗せてきちんと控えていた。

「ロイ・アーバンシュタインさまにお届けものです」
「Thanks」
「こちらにサインを」
「オーケィ……」

 伝票にペンを走らせ、注意深く箱を室内に運び入れる。

「誰から?」
「おじいさまからです」
「ああ、例のもの、手配してくれたんだ」

 さくさくと外箱を開け、詰め物で守られた中身を取り出して行く。色鮮やかな包装紙とリボンで飾られた箱が三つ。
 
「これはヨーコ先生に」
「ありがとう」
「こっちはコウイチに……で、これはボク用、と」
「助かったよ。さすがに日本刀をアメリカに持ち込む訳には行かないからね」

 慎重にそれぞれのクリスマスプレゼントを開けると、中からは……。

「……ウサギ?」
「あ、キリンだ」
「ぱんだ……」

 ふかふかのぬいぐるみが三つ。一瞬、あっけにとられたがよく見ると巧みに隠されたポケットがついている。ウサギの背中、キリンの首、そしてパンダの腹に。

「凝ってるなあ……」

 ウサギの中からは手のひらにすっぽり収まるちいさな二発式の拳銃、ハイスタンダード・デリンジャー、そしてぎっしりと小箱につまった銀色の弾丸。
 キリンの首の中には小太刀が二振り。そして大きめのパンダの中には……手裏剣、クナイ、まきびし、目つぶし、カギ縄、その他ニンジャ道具がみっしり詰まっていた。

 アメリカ国内に持ち込めないものは、危険を冒して警備をかいくぐるより可能な限り現地で調達するのが吉。前もって必要なものをロイの祖父伝えておき、宿泊先に届けてもらうよう手配しておいたのだ。

「できれば『起きてるとき』に使うような事態には陥りたくないけど、念のためにね」

 かしゃかしゃとデリンジャーの銃身を開き、また元に戻して軽く握り具合を確かめる。クセの少ないまっさらな銃だ。これなら問題なく使いこなせるだろう。

「そっちはどう?」
「申し分なしです。さすがロイのじっちゃんの見立てだな」
「無銘なれど業ものを選んだ、って言ってたヨ」
「さすが日本通だ……」

 外箱の中をのぞきこんでいたサリーがおや、と首をかしげた。

「まだプレゼントが残ってるよ? ほら、ロイあてだ」
「Oh?」

 平べったい箱から出てきたのは、今度はぬいぐるみではなかった。きちんとした黒のスーツが一着。

「やっぱ、ニンジャ色なんだ……」
「基本ですから」
「気を使ってくれたんだね。宿泊先がヒルトンだから、ドレスコードのある場所に出入りするかもしれないって」
「そうよ、ドレスコード!」

 ぴょん、とヨーコが居住まいをただした。

「夜の打ち合わせ、ね……最上階のレストランでディナーとりながらやろうってことに……」
「最上階の? すごいなー。料理美味いかな」
「いや、風見、問題はそうじゃなくてだね」

 ヨーコはびしっとロイの手にした黒いスーツを指差した。

「そのレストラン、男性は襟付きシャツにタイ着用必須」
「えっ!」

 風見はびっくり仰天、目をみひらき、両手でわたわたと自分の着ているフリースとジーンズをまさぐった。……この上もなくカジュアル。

「俺、そんなきちんとした服持ってきてないっ! ていうか、服もそうだけど、そんな高級料理店で食べたことないからマナーなんて全然ですよっ!」
「心配するな、風見。礼に始まり礼に終わる精神は万国共通のはずだ。それでも至らなかったら……」

 ごそごそとヨーコが取り出したのは、楕円形のケースにきちんと納められた朱塗りの箸。

「My箸がある!」
「おお!」

 うなずくなり風見は自分のスーツケースをごそごそ漁り、すちゃっとおそろいの紺色の塗り箸を取り出した。
 サリーは二人の箸を代わる代わる観察してからちょこんと小さく首をかしげた。

「もしかして、校章入ってる?」
「はい。戸有高校の学食では地球に優しいMy箸の使用を推奨してるんです」
「校章入りMy箸、購買部で絶賛販売中デス」

 いつの間にかロイも黒い塗り箸を構えていた。

「3人とも、お箸持ってきたんだ……」
「これさえあれば大抵の料理は食べられるからね」
「って言うか、ロイもお箸派?」
「お箸の応用性の高さと機能美はワールドワイドに優れていますから!」
「そっか……」

(それにコウイチとのお揃いだし!)

 日本に帰れば他に100人単位でお揃いの人がいるとか。現にヨーコ先生が目の前に現物を出しているとか、そんな事実は彼の頭の中には1ミリ、いや1ミクロンたりとも認識されていない。
 先生が持ってるのはただの箸。コウイチのは自分とお揃い。口に出せない分、ひたすら一途なロイだった。

(あいっかわらず風見のことしか見えてないよ、この子は……)

 何事もなかったようにさっくりと箸をしまうと、ヨーコはぽん、と風見の肩をたたいた。

「まあ実際、未成年だからそれほどやかましくは言われないと思うんだ。でもさすがにジーンズはまずいかな」
「わかりました……探してみます」
「いざとなったら貸衣装っつー手もあるし?」
「それも何だかなあ」
「それじゃ俺もスーツ着てきた方がいいね」
「そうね。持って来てここの部屋で着替えてもいいし? じゃ、あたしこれベッドルームにしまって来る」

 両手にきちんとたたんだ服を抱えて寝室に向かうヨーコを見送りつつ、風見はスーツケースの中をさらに引っ掻き回す。

「襟のついたシャツならどうにか……あ、でも下が、なあ。日本なら制服でOKだったのに……あれ?」

 スーツケースの蓋の間仕切りが妙にふくらんでいる。確かここにはほとんど物は入れなかったなずだ。
 不思議に思いつつ外してみると、中にはきちんとしたスーツが一式、収まっているではないか! 一瞬手品か何かと思ったが、スーツについているクリーニング屋のタグは近所の店のものだった。
 ふと、思い出す。この服、親戚の結婚式の時に買ったやつだ、と。

「ばあちゃんだな……!」
「よかったね、コウイチ! これで何の心配もなく食事にゆけるよ」
「うん……ほっとした」

 祖母の心遣いに感謝していると、ヨーコの部屋から「うわぁ!」っと悲鳴が聞こえてくる。

「よーこさん?」
「先生っ!」

 駆けつけた三人は、見た。
 ヨーコが口をぱくぱくさせながらクローゼットを指差しているのを。

「どうしたんですか!」
「あ、あれ、あれ、あれ………」
「あれって?」

 きちっとしたチェリー材のクローゼットの中には様々なデザインの服がずらぁりと並んでいる。それこそシックなロングドレスから、どこのお姫様か妖精さんですか? と突っ込みたくなるようなふわふわふりふりのスカート&パフスリーブのものまで。

 色も形もばらばらだが、どれもこれもフォーマルな席に着て行くのにふさわしいものばかりだ。
 
 dress.jpg
 illustrated by Kasuri
 
「た、た、たいへんだ、忘れ物がこんなにたくさん!」
「いや、忘れ物なら客室係の人が掃除の時に気づきますよ」
「この部屋とったの、ランドールさんでしょ? 多分あの人が用意してくれたんじゃないかな……ほら」

 クローゼットの中から一着選ぶとサリーはヨーコの肩に軽く合わせてみた。

「ね。サイズぴったりだもの」
「でも、でも、こんなハリウッド映画みたいなシチュエーション……ありえないよ!」
「ハリウッドならすぐそこですガ?」
「……って言うか……その………あたしには、似合わないっ」

 うろたえるヨーコを見守りながら風見がつぶやいた。

「これがランドールさんの『普通』なんだ……」
「なんかこう言うの映画であったネ、オードリー・ヘップバーン主演の」
「ああ、夜が明けるまで踊り明かしちゃうあれか」
「そうそう、スペインの雨は主に平野に降る」
「よく知ってるなあ……君たちが生まれるずーっと前の映画だよ? って言うか、俺もまだ生まれてないし」
「おじいさまがファンだったんです」
「うちのじっちゃんも」
「あー、なるほど」

 納得してサリーはうなずいた。さすが映画俳優の孫とその幼なじみだ。

「とりあえずよーこさん、よさげなの試着してみたら?」
「……そーする」
「じゃ、俺たち居間で待ってますから」

 3人が部屋を出て行ってから、ヨーコは試しにグリーンのタイトなロングドレスを試してみた。ウエストはぴったり、腰のラインもきれいに出ている。けれど、若干問題があった。

「う……まさか、これ胸がきつい?」

 はたと気づいて矯正ブラのホックを外してから軽く合わせてみる。
 ………今度はぴったり」

「見抜かれてる……」

 うれしいような。
 悔しいような。

(それにしてもカルはいつ、私のサイズ計ったんだろう?)
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 ヨーコが着替えている間、サリーは持参したノートパソコンをネットにつないでとあるデータベースに接続していた。
 異界の存在と渡り合うには、何をおいても情報収集が欠かせない。
『同業者仲間』が過去に遭遇した魔物は全てレジストコードをつけられ、特徴、弱点、能力、行動パターンなどが記録されるのだ。
 予知夢で見た光景や相手の姿を思い出しながら検索し、絞り込んで行く。

「今回の相手はこいつだね」
「ビビ?」
「うん。ルーマニアの民間伝承に出てくる魔女だよ。まず家族の中で一番弱った者……多くの場合は子どもに取り憑いて。じわじわと家族の生気を吸い尽くして行くんだ」
「3人一組の女の魔物、赤い服をまとい山羊の角を持つ。確かに先生の見たイメージにぴったり合いますね」
「ヨーコさんは『見通す』のが得意だからね。俺はそこまで具体的には見えなかった」

 サリーは小さく肩をすくめた。

「でもね。山羊の声は聞いた。こいつら、角だけじゃない。山羊を手下に従えてるよ」
「山羊……か。かわいい子やぎちゃんって訳じゃないんだろうな」
「複数いる感じだったかな……ああ、こいつ、呪いの力を持ってるね」
「呪い?」
「うん。厄介な相手は呪いで弱体化させてから襲うらしい」
「いやらしいデスねー。それで、弱体化ってどんな風に?」
「無力な存在に変えちゃうんだ。子どもとか、老人とか、動物とか」
「正に『悪い魔女』だなあ。弱点は?」
「今の所、鉄と火、光を使った攻撃が有効だったって報告されてる。それと昔からこの『ビビ』が寄ってこないように戸口に神聖なものを置いておく風習があったらしい」
「聖なるもの……十字架とか?」
「そうだね。あとは聖水、聖書の言葉」
「神聖なものが苦手なのか。キリスト教限定かな」
「どうだろう。ヨーロッパやアメリカに多く出現してるからかもしれないよ。このデータベースはあくまで知識と経験の蓄積だからね」
「まだまだわからない部分も多いってことだネ」

 3人で真剣に言葉を交わしつつノートパソコンの画面に見入っていると、キィ……とかすかにドアのきしむ音がしてだれかが部屋に入ってきた。
 いつものぱたぱた、ではない。そろりそろりとひそやかに、しとやかに動く気配がした。

「お」
「わお」
「わあ」

 ヨーコが立っていた。はずかしそうにほんの少し目を伏せて。

「似合ってる、似合ってますよ、先生!」
「サイズもぴったりですね。見事な眼力です、Mr.ランドール……」

 身につけているのはベルベットのノースリーブの赤いワンピース。所どころにポイントで金色のビーズが縫い付けられている。さらに上に白の長袖ボレロを羽織っていた。何だか背が高いな、と思ったら白のハイヒールを履いていた。
 そして、首には黒いリボンのチョーカーを巻いている。中央には四角いフレームに納められたカボーションカットの大きめのアメジストが光っていた。

「あれ、そのチョーカー、どっかで見たことあるな」
「うん、おばあちゃんの、帯留め。洋服着るときはこうやってる」
「何って言うか、全体的にしっくりなじんでますね、そのドレス」
「そうだネ、白と赤………ああ」

 ぽん、と拳で手のひらを叩くと、風見とロイはどちらからともなく顔を見合わせた。

「巫女装束と同じ配色なんだ!」

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