ようこそゲストさん

羊さんたちの遊卓

【5-6】対面

 
『Hi,マックス。実は今度のクリスマスにサンフランシスコに行くことにしたの』

 兆しの夢を見、サリーからのメールを受けた直後にそのまま彼に電話をした。

『本当に? そりゃ嬉しいね。会えるんだろ?』
『うん、遊びに行く。事務所の方に』
『………事務所に? 家じゃなくて?』

 海外通話独特のタイムラグよりほんの少し長い沈黙。どこかほっとしているような気配が感じ取れた。
 彼の戸惑いが収まるまで待ってから、ゆっくりと話を続ける。

『実は高校の教え子に留学希望の子が居てね。下見を兼ねて一緒に行くことになって。で、本物のアメリカの探偵事務所を見たいって言うから……お願いしてもいい?』
『なるほど。そう言うことなら、歓迎するよ』
『ほんと? うれしいな。それじゃ、12月22日の午後にうかがうわ』
『うん、その日なら営業中だ。茶菓子は何がいい?』
『何でも』
『それは、知ってる』
『んー、最近はスコーンに甘くないクリームつけて食べるのがマイブームかも』
『OK、アレックスに頼んどくよ。それじゃ』
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 そして、当日。

「よーこさん、ドレス脱いじゃったんだ……もったいない」
「やー、さすがにあれ着て真っ昼間っからシスコの町中は歩けないでしょ」
「せっかくランドールさんに写メ送ろうとしたのに、写真撮る前に脱いじゃうんだもんなー」
「いいじゃん。夜には直に会うんだから」
「……クラスのみんなにも」
「風見!」

 ユニオン・スクエアの雑踏の中を、ヨーコとサリー、風見とロイの四人は連れ立って歩いていた。
 ヨーコとサリーは健脚だ。子どもの頃から袴姿で神社の石段を上り下りすることで自然と足腰が鍛えられたのである。さっかさっかとスケールの小ささを補ってあまりある機敏な足取りで歩く。

 風見とロイは言わずもがな、二人とも幼い頃から日々鍛錬している。ロイに至っては通行人が接触しそうになるたびにさっと間に入り、風見との接触を防ぐ芸当までやらかしている。
 全て何気ない動作の中で。

 交差点で、四角いオープンデッキ式のケーブルカーとすれ違う。赤を貴重とした屋根付きの車体は、広告用の看板でまるでレトロなクッキー缶のようににぎやかに飾られていた。

「お、ケーブルカーだ。すごいなー、海外ドラマで見たのと同じだ!」
「あっちには路面電車も走ってるんだよ。ほら。いろんな国の古い機体が走ってる」

 サリーの指差す方向には、全体がくすんだ緑色、窓部分が横一列にクリーム色に塗られたコンパクトな車体が走っていた。

「え、あれもしかして東京都電の?」
「そうだよ。日本の国旗が描かれてるでしょ?」
「本当だ。でも俺、乗るんだったらやっぱりあっちかな……」

 風見は目を輝かせてケーブルカーを追いながら小さく『Everywhere you look』(海外ドラマ「フルハウス」のテーマ)を口ずさんでいる。
 そんな彼の横顔を見ながらロイは密かに胸をきゅんきゅん言わせていた。

「When you're lost out there and you're all alone A light is waiting to carry you home……(君が一人道に迷っても、家に導く光が待っていてくれる)」

「わ、発音完璧! 風見くん、ずいぶん英語上達したんだね」
「羊子先生に特訓されました。DVDで海外ドラマ延々と視聴させられたんです」
「フルハウスを?」
「うん。アレは日常会話が多いからね。サンフランシスコが舞台だし、教材に最適だったの……あ、ここだ」

 見渡せば、そこにある。(Everywhere you look.)

 目的のオフィスビルにたどり着き、一行はエレベーターで二階に上がった。

「この先の廊下をずーっと行った突き当たりよ」
「所長のマクラウドさんって、元警察官なんでしょ?」
「うん、爆発物処理班に居たって」
「それで、今は私立探偵なんだ……背も高くて、がっちりしたタフな人なんですよね」
「ハードボイルドです」
「あー、うん、確かに職歴は正しいし頑丈で腕っ節が強いのも事実なんだけど……ね」
「まちがってはいないよ……ね」

 あいまいな表情でサリーとヨーコはそれ以上の言及を避けた。
 料理上手で人妻で二児の『まま』だと言うことは伏せておこう。現物を見せるに限る。 

 突き当たりのドアにはめ込まれた磨りガラスにはかっちりした書体で『マクラウド探偵事務所』と記されている。
 『ようこそ』とか『あなたの』とか『迅速丁寧』とか『秘密厳守』とか。余計な文字は何一つない。
 呼び鈴を押すと、中から深みのあるバリトンが返ってきた。

「どうぞ、開いてます」

 がちゃり。

 出迎えてくれたのは予想通り背の高いがっちりした男性だった。赤い髪の毛が窓からさしこむ冬の光に照り映えて燃えるように輝き、身につけたVネックのネイビーブルーのニットの上からも鍛えられた筋肉が伺える。

「Hi,マックス。元気?」
「ヨーコ。サリー!」

 ぱっと見厳つい顔が一瞬ででほころび、人懐っこそうな笑みが広がった。

「よく来てくれた。会えてうれしいよ」

 友人同士にふさわしいおとなしめのハグを交わしてから、ヨーコは教え子二人を手招きした。
 
「マックス、この子たちがあたしの教え子。風見光一と、ロイ・アーバンシュタイン」

 少しばかり緊張しながら二人は所長に挨拶した。

「初めまして、マクラウドさん」
「お会いできて嬉しいです」
「こちらこそ。ディフォレスト・マクラウドだ。ディフでもマックスでも好きな方で呼んでくれ」
「はい」

 礼儀正しく挨拶をしている間に、ひそかに所長の背後にしのびよっている奴がいた。
 足下にしのびより、ざっしざっしと爪をたててよじのぼり……肩からにゅっと顔をつきだす。

「みう」
「あ、猫」

 所長の肩の上でしっぽをぴん、と立てる白い猫に向かってサリーがにこやかに声をかける。

「こんにちは、オーレ」
「みゃっ」
「何か、とくいげですね」
「高い場所にいるからな……オティア!」

 すっとパソコンの前から金髪の少年が立ち上がり、歩み寄って来る。
 ディフが軽く身を屈めて背中を向けると、黙って白い猫を引きはがした。爪が服にひっかからないように一本ずつ丁寧に外して。
 二人ともほとんど目も合わせず、一連の作業を実になめらかにこなしている。どうやらよくあること、慣れっこってことらしい。

「……なんか……イメージが……トレンチコートより割烹着似合いそうで」
「いや、アットホームに見えて実は優秀なのかも。筋肉の着き方もきれいだし、身のこなしに隙がないヨ」
「間取りはまちがいなく、ハードボイルドっぽいんだけどなあ」

 入り口からほぼ真正面にあたる奥に木製のどっしりしたデスク、右手にパソコンの置かれたスチールデスク。
 パーテーションで仕切られた一角にはソファとローテーブルの応接セット。
 しかしよく見るとスチールデスクの足下には猫用のバスケットが置かれ、さらに壁際にはペットサークルに囲まれた猫トイレが設置されていたりするのだった。

 さらに、テーブルの上にはクッキーにスコーンにドーナッツ、マドレーヌにマフィンにタルトなど、小振りの焼き菓子が白い皿に美しく盛りつけられている。

「もしかして、かーなーりアットホームかもしれない」
「ちょっぴりよそ様のお茶の間にいる気分になって来たカモ」
「みゃっ」

 風見とロイが現実を把握している間、オティアと呼ばれた少年は白い猫を連れて事務所の隅にしつらえられた簡易キッチンへと歩いて行く。

「あ、オティア」

 ヨーコに呼ばれて立ち止まり、黙って振り返る。

「お湯だけ沸かしてもらえる?」

 怪訝そうに見ている。ヨーコはバッグから小さな紙包みを取り出した。

「これ、お土産……日本のお茶」
「グリーンティーか。ありがとう、さっそく入れてみるよ」
「そのことなんだけど、風見に任せてあげてくれる? この子のおばあちゃん、お茶の先生なの」
「ああ、いいよ」
「それじゃ、失礼して」

 やかんに水を入れて火にかけると、オティアは黙々とカップを棚から取り出して並べた。次に白い丸みをおびた形のティーポットを出しかけて一旦手を止め、風見に顔を向ける。

「ポット、これでいいのか?」
「大丈夫です。ありがとう」

 こくん、とうなずくとポットを準備し、何事もなかったように自分のデスクに戻って行く。小さく会釈をすると、風見は入れ違いにキッチンへと歩いて行った。

(この子が悪夢に狙われてるんだな)

 同じ年頃の子が被害に会っているのを見ると、つい思い出してしまう。かつて自分が"魔"に襲われたときのことを。
 すれちがいざま、さりげなく相手の様子を観察した。少しくすんだ金髪、紫の瞳。誰にも何にも無関心。
 ぶっきらぼうで無愛想だけど、内側には傷つきやすいガラスの心を抱えている。今はかろうじて意志の力で持ちこたえてはいるけれど、いつくだけてしまうか……。

 細い肩の上でもぞもぞと何かが蠢いている。おそらく常人の目にははっきりとは見えない。せいぜい勘の良い人間がぼんやりした影として認識する程度のものだった。

(あ)

 ロイに向かって目配せする。

(どうする?)
(一応取り除いておこう)

 密かにロイが動こうとしたその時だ。
 不意にオーレがぴっと耳を伏せ、オティアの肩に駆け上がると空中をばしっと前足で一撃。素早く飛び降り、何かを床から拾い上げるような仕草をした。
 首輪につけた金色の鈴がチリン、と澄んだ音色を奏でる。

(すごい)
(で、できる!)

 白い猫は満足げにピーンとシッポを立て、鼻面をふくらませるとサリーに向かってちょこまかと駆け寄った。

「に」
「……そ、そう、えらいね」

 微妙に引き気味のサリーに変わってヨーコがかがみ込み、白い猫のあごをくすぐる。

「ありがとう」
「みゃー」

 かぱっとピンクの口を開けて答えるオーレから何かを受け取るような仕草をし、くっと拳を握った。
 ディフが身を屈めてのぞきこんだ。

「虫でもいたのか?」
「ううん。何も」

 手のひらを開く。確かに空っぽだった………少なくともディフの目にはそう見えた。だが風見とロイ、サリーには灰色の塵がくたくたと、空気にとけ込むようにして消えるのがわかった。

 ふっと手のひらを軽く吹くとヨーコはオーレに向かって手のひらを上にしてさしのべた。白い猫は満足げにのどを鳴らし、彼女の手に顔をすり寄せている。

「勇敢なお姫様なのね、オーレは」
「み!」
「そっか、今は勤務中だから美人秘書なんだ」
「んにゃっ」
「この鈴、そんなに気に入ってくれてるの? よかった。お似合いよ」
「みゃー」

「猫好きなんだな、彼女」
「え、ああ、うん、そうだね、実家でも飼ってるし」
「ポチって言うんだっけ?」
「いや、それは猫じゃない」

 サリーは密かに思った。

(よーこさん、猫と普通に会話してるし……)

 彼女には自分と違って動物と話す能力はないはずだ。ないはずなんだけど、直感と共感で何となく意志疎通できているんだろう。たぶん、きっと。

(あれじゃ魔女って言われるのも無理ないや)

「どうぞ、お茶が入りました」

 風見の運んできたお茶を一口すすり、ディフは目を細めた。

「ああ……いい香りだ。渋みも少ないし、ずいぶん口あたりがまろやかなんだな」
「少し温めのお湯で入れたんです」

 オティアも静かにカップの中身を口にふくんでいる。表情はほとんど動かないが、どうやら気に入ったらしい。

「Yummy! Yummy! Yummy! It's taste so good!」

 一方では満面の笑顔で焼き菓子にかぶりついてる奴が約一名。

「おいしー、おいしー、おいしー。これ全部アレックスのハンドメイドだよね? アレックスさいこー、すごーい」

 乳白色のクロテッドクリームに杏のジャムをほんの少し添えて。英語と日本語で交互に「おいしい」と繰り返し、スコーンを両手で抱えてさくさく食べるヨーコを見ながらディフが言った。

「……リスみたいだな」
「やっぱり、そう思います?」
「うん。そこはかとなく小動物っぽい」
「何かゆった?」

 二つ目のスコーンを抱えてちょこんと首をかしげていた。

「ヨーコ。君、何って言うか……高校生の時とくらべて、変わったな」
「そりゃ、10年も経ったんだし」
「あの時の君は、きりっとして面倒見がよくて、姉さんみたいだった」
「そんな風に見てたんだ……」
「今も基本的な所は変わらないよ。でも肩の力がいいぐあいに抜けてる」

 はた、とヨーコの動きが止まった。

「いっぱいいっぱいに背伸びしているような危うさがなくなった」
「先生、高校生の時はそんな子だったんだ」
「意外デス」
「ああ。飯食うときもほとんど表情動かさずに黙々と食ってた」
「えー!」
「でも、すごくいっぱい食べてた?」
「うん、パイの大食いコンテストに飛び入りで参加して、10代の部で優勝した事がある」
「あー、なんかすっごく想像できるな、それは」
「さすがデス……」

 じわじわとヨーコの頬に赤みが広がり、耳たぶまで広がって行き……やにわに持ってるスコーンを猛烈な勢いで食べ始めた。
 またたく間に食べ終わるとすかさずクッキーに手をのばしてさくさくさくさく。これもあっと言う間にたいらげて、お茶を飲んでふーっと息をつく。

「先生、口」

 絶妙のタイミングで風見が声をかけ、ちょん、ちょん、と自分の口の端を指先でつついた。

「クッキーついてます」
「うん……ありがと」

 ハンカチをとりだしてくしくしと口元を拭う姿を見てディフがうなずいた。

「やっぱり丸くなったな、ヨーコ」
「あなたもね、マックス」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「それじゃ、またね、マックス」
「ああ。帰るまでにもう一度くらい顔出せよ?」
「うん、ありがとう」
「お邪魔しました」
「失礼シマス」

 事務所を出るなり、今の今までにこやかだった四人の表情がいっせいに引き締まる。しばらく廊下を歩いてから、ヨーコが日本語で切り出した。

「どう思う?」

 神妙な面持ちで風見が答える。

「……かなりやばいですね」
「強いパワーを持ってるのに、繊細すぎて、今にも折れてしまいそうで……無理に近づいちゃいけない気がしまシタ」
「うん、そんな感じがした。ガラスの心の天使ってイメージだ」
「あの子も所長さんも危険な状態だヨ。もう一人の兄弟も、おそらく……」

 サリーがうなずいた。
 マクラウド探偵事務所を訪れたのは、単に旧交をあたためるためだけではない。

「まず弱った一人を狙って、その子を拠点に家族にも手を伸ばすのが『ビビ』の常套手段らしいからね」
「あの猫が首につけてる鈴、結城神社のお守りですよね?」
「うん。あれのおかげでだいぶ助かってるけど、最近は敵の数が増えてきちゃって……さっきもオティアに一匹まとわりついてたし」
「白い猫さんに撃墜されたやつですね」
「そう、あれ。夜になると親玉の邪気に釣られて羽虫みたいな有象無象がブンブン飛び回っちゃってまー、かなり五月蝿そう」
「山羊にはアブがつきものデスから」

 サリーがぶるっと身震いした。

「やめてよ、その表現。できるだけ意識しないようにしてるのに」
「Sorry……」
「ごめん」

 エレベーターを待ちながら風見は己の手のひらをしみじみと見つめた。指先までぽわぽわと火照って熱い。
 ついさっき、お茶を媒介にして放った力の余波がまだ手のひらに残っているようだ。

「一応、応急処置はしときました。どうにか今夜までは自力で持ちこたえてくれるんじゃないかな。あの子、意志が強そうだったし」
「上等! えらいぞ、風見」

 満面の笑みを浮かべてヨーコがのびあがり、首に腕をまきつける。そのままわしわしと髪の毛をなでまわした。学校でよくやるように遠慮なく。

「だーかーら。頭なでるのやめてくださいよ子どもじゃないんだから」
「照れるな照れるな」

 やめてくださいよ、といいながら風見も心底いやそうな顔はしていない。先生が自分の力を認め、ほめてくれたことが嬉しいのだ。ただ表立って喜ぶのがちょっぴり気恥ずかしいだけで……。
 ヨーコも彼の気持ちをちゃんとわかっている。普段は厳しいが、その分ほめるべきときは躊躇なくほめる。全力でねぎらう。

 そんな二人を見守りつつ、ロイはきゅっと拳を握っていた。

(ああ……今だけボクはヨーコ先生になりたい)
 
 オフィスビルを出ると、ちょうどホットドックの移動販売車が停まっていた。既に時間は午後3時、ランチには遅くディナーには早い。それでもちらほらとお客が訪れ、決して人の流れが途切れることがないのが不思議だった。

「よし、ごほうびにホットドッグおごってあげよう!」
「さっきあんなに食べたばっかりじゃないですか!」
「うん、だからひとっつだけ」
「このコンパクトなボディのいったいドコに入るんダロウ……」
「謎だね」
「レシピは先生におまかせ、でいいかな?」
「はい! ……って、レシピ?」

 ちょこまかと屋台に近寄って行くと、ヨーコはすちゃっと片手を上げて店員に呼びかけた。

「Hey,Mr! ホットドック3つ、オニオンとケチャップはたっぷりでマスタードとピクルスは控えめにね。あとコーヒー一つ、お願い!」

 最後のお願い(Please)の一言で、店員の顔ににまっと野太い笑みが浮かんだ。

「OK,little Miss!」
「あれ、一個足りないんじゃ」
「ああ、俺は食べないから」
「わかってるんだ」
「いつものことだしね」

 パンからはみ出すほどの太いソーセージを柔らかく甘みのある小振りなパンに挟み、さらにその上からペーパーナプキンでくるんでそのままがぶり。
 ホットドッグをかじりつつ、サリーはコーヒーをすすりつつ、歩き続ける。

「アメリカのホットドッグって、パンが角張ってるんだ」
「日本だとコッペパンっぽい形のが主流だものネ。あっちの方がボクにとっては斬新だったヨ」
  

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