ようこそゲストさん

羊さんたちの遊卓

【5-7】出陣

 
 めいめい食べ終わり、飲み終わった頃にはオフィス街を抜け、徐々に住宅街へとさしかかっていた。

「あれ、ホテル通り過ぎちゃったんじゃ……」
「うん、どうせだからダイブするための場所も『下見』しとこうと思って」
「なるほど」
「よさそうな場所、見つけておいたよ」

 サリーは一行を住宅街の一角にある公園へと案内した。寒さと乾燥に強い芝生は真夏ほどではないものの、まだ緑を色濃く残してふかふかと生い茂り、木々の中であるものは葉を落とし、またあるものはつやつやと堅い丈夫な葉を広げている。
 
「……どう、ここ?」

 ヨーコは公園の中を歩き回る。滑り台に回転シーソー、ブランコ、砂場、ジャングルジム、プラスチックのちっちゃなロッキンホース。
 遊具の間を通り過ぎ、大きな木の根元で足を止めた。

「うん、いいね。使えそう」

 すっとまぶたを細めて梢を見やる。
 青い空をひび割れのように縁取る枝を透かして、ほど近い場所に6F建てのマンションがそびえていた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「ビビか。小さい頃聞いたことがあるよ」

 夜。
 ホテルの最上階のレストランは「シティスケープ」の名にふさわしく壁の一面がほぼガラス張りの窓になっていて、眼下にはサンフランシスコの町の灯火が夜空に散った宝石さながらにきらめいている。
 ことにクリスマス前のこの時期はイルミネーションがチカチカと。一般家庭のものから街の広場、デパートの大掛かりなものまでいたる所で輝きを添えている。

「ああ、カルのお母様はルーマニアの出身ですものね」
「うむ。赤い服を着て子どもと母親を狙う魔女の話を、ね……ベッドに早く入らせるための方便かとも思ったが、今思えばあれは多分」
「用心させるために知識を伝えてたのかもしれないわね?」
「そうなんだ。小さい頃の私は……人の目には見えないモノが見えていた。大人になってからはそんなことも少なくなって、夢だったんだろうと思っていたよ」
 
 ランドールはほのかにほほ笑むと、テーブルに並んだ一同の顔を見渡した。
 ストライプのダークグレイのスーツに赤いネクタイをしめた風見と、黒いスーツに青のクロスタイをしめたロイ。そして見覚えのある濃いめの茶色のスーツに紺色のタイを締めたサリーと、その隣にちょこんと座ったヨーコ……

『Hey,Mr.ランドール!』
『乗せていただける? 緊急事態なの』

 8月のあの日、彼女に呼び止められたのが全ての始まりだった。

「君たちに会うまでは、ね」

 にまっとほほ笑むとヨーコはグラスを軽く掲げた。
 背の高いフルートグラスの中身は炭酸入りのミネラルウォーター。底から立ちのぼる細かな泡に包まれて、薄切りのライムがひとひら浮いている。
 この後に大事が控えているのだ。お楽しみは事件解決後の祝杯までとっておこう。

「正確にはビビ『そのもの』ではないかもしれないの。形すら定かではなかったもやもやっとした存在が、取り憑いた犠牲者の記憶とイメージを吸収して次第に確固たる恐怖に形を変えて行き、やがては現実をも浸食する力を持つに至る……それが『悪夢』(ナイトメア)」
 
 サリーがうなずき、後を続ける。

「具現化したナイトメアは手強い。けれど悪いことばかりでもないんです。取り込んできた伝承の『規則』にも縛られるから」
「伝承にあるのと同じ固有の弱点を持つと言うことだね?」
「その通り! あたしたちの力は万能でもないし無限でもない。だからこうしてチームを組むの。あ、風見、塩とってくれる?」
「どうぞ」
「サンキュ」

 軽く料理に塩を振り、ソースの味を調整している。

「力を合わせて、互いに足りない所を補って……」

 ヨーコは手にしたナイフで器用に皿の上の肉を一口ぶん、さくっと切り取った。鮮やかな手つきでカチャリとも音を立てずに。

「相手の正体を見極め、弱点を突いて倒す」

 さらりと言い切ると、ぱくりと肉を口に入れた。途端に顔全体がふにゃあっとゆるむ。さっきまでの凛とした表情が嘘のようだ。

「ふぇ……お肉がとろける……おいしーい」

 アメリカのレストランの常として、この店の料理は肉食主体の成人男子を基準としていた。故に量はかなり多い。
 育ち盛りの風見とロイはともかく、ヨーコは食べきれるだろうかとランドールは密かに心配していた。サリーの小食ぶりから察して、この小さなレディにはいささか多すぎるのではないか、と。だが、杞憂に終わった。

 前菜、サラダ、スープにパン、メインの肉料理までヨーコは気持ちいいくらいにぱくぱくと完食している。ナイフとフォークを器用に操り、服やテーブルクロスに一滴も、ひとかけらもこぼさずに。

 仕事が終わってホテルの部屋に迎えに行った時、ランドールは神妙な面持ちの風見とロイに手招きされた。

『これから何が起きてもびっくりしないでくださいね?』
『ヨーコ先生にとってはきわめてフツーのことなんです。引かないであげてください』
『お願いします!』

 あれはどうやら、このことを指していたらしい。
 確かに旺盛な食欲に少しばかり驚いたが、長旅で体力を消耗した分、食べて補っているのだろう。いいではないか、実に何と言うか、健康的だ。

「くぅう……たまらないなぁ。もう、幸せ……」

 それに、この美味しそうな表情ときたら! 顔だけではない。小さな体全身で喜びを現している。シェフに見せてやりたいと思った。
 ただし。
 いかにテーブルの下とは言え、足をじたばたさせるのはいただけないな。
 後でそれとなく指導しておこう。

 一方、風見とロイは別の意味でほっと胸をなでおろしていた。

(よかった……ランドールさん、引いてない)
(見た目と行動のギャップが有り過ぎです、先生)

「ヨーコ」
「何?」

 そっと指先で口元を拭う。

「あ……ついてた」
「うん。パセリがね」
「うっかりしてた」

 頬を赤らめ、目を伏せた。
 彼女は行動こそダイナミックだが、よく見ると仕草の一つ一つは楚々としていて細やかだ。装えばちゃんと、それにふさわしい立ち居振る舞いで動くことのできる人なのだ。
 ただし、まだ原石のきらめきた。洗練された淑女にはいささか遠い。

(これは、かなり磨きがいがありそうだ)

「失礼します。デザートをお持ちしました。こちらのケーキからお好きなのをお選びください」
「わ……あ……」

 目を輝かせてワゴンに並ぶケーキを見つめている。

「うーん……苺のタルト……いや、洋梨のシブースト……あ、でもチョコレートもいいなあ………ど、どうしよう……」

 にこやかにロイが言った。

「苺がいいのでは? お好きでしょう?」
「うん」
「カロリーも一番低いし、お腹にたまりマスし」
「……」

 もそっとテーブルクロスの下で足の動く気配がした。

「っ」

 ロイが声もなく顔をひきつらせ、椅子にこしかけたまますくみあがる。

「スミマセン、失言でした………」
「わかればよろしい」 

 さくっと言い捨てるとヨーコはウェイターに向かってこの上なく晴れやかに微笑みかけた。

「苺のタルトをいただけますか?」
「かしこまりました。どうぞ」
「ありがとう」

 至福の表情で苺を味わうヨーコの隣で、風見がぽんぽんとロイの背中を叩いてなぐさめていた。

 
 ※ ※ ※ ※

 
 食事を終えて、一旦部屋に引き上げる。

「さて、着替えますか……『戦闘服』に」
「はい」
「御意」
「あ、ヨーコ」

 ベッドルームに向かおうとするヨーコをランドールが呼び止めた。

「はい?」
「その服を選んでくれたんだね。何となくそれが一番君に合いそうな気がしたんだ……」
「う……あ……う、うん。この感じ、好き」
「そうか。うれしいよ。また着て見せてくれるね?」

 深みのあるサファイアブルーの瞳がじっと見下ろしてくる。部屋の照明のせいだろうか。瞳孔と虹彩の境目すらわからないくらい濃い、極上の青。
 参ったなあ。このタイミングで言うか? これから脱ごうって時に。レストランに行く前は何も言わなかったくせに。ただにこっとほほ笑んで当然って顔して手をさしのべてきた。
 一瞬、何だろうって思ったけど、『どうぞ』と言われて初めてエスコートされているんだと気づいた。

 本当に、この人って……紳士なんだなあ。
 自然体で。

「……うん。いいよ」

 嬉しそうにうなずいてる。
 おしゃれするのはきらいじゃない。自分にどんなものが似合うのかもちゃんとわかっているし、ほめられれば嬉しい。
 一回こっきりのドレスアップのつもりだったけれど、また着てもいいかなと思った。

 彼が喜んでくれるなら、なおさらに。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「お待たせ。さ、出かけようか」

 ホテルを出てランドールの車に乗り込み、下見した公園へと向かう。助手席にサリーが乗り、後部座席に風見とロイ、そしてヨーコが並んで座った。後ろがちょっとばかり窮屈だったが文句を言う人間はいなかった。
 若干一名、幸せのあまり心停止寸前に陥ってる奴がいたが。

「なぜ、わざわざ外へ? ホテルの部屋からでも行けるんじゃないかい?」
「うーん確かにそれも可能ではあるんですけれど……あそこ、けっこう人の出入りが多くてざわざわしてるでしょう?」
「ドリームダイブ用に結界を、ね。浄められた空間を用意しなきゃいけないんだけど、あまり向いてなかったの」
「ベテランの術者なら繁華街の真ん中だろうと、試合中のリングサイドだろうとばしばし行けちゃうんですけどね……」
「あたしたちの場合は場所を選んだ方が確実なんだ」
「なるほど」
 
 目的の公園の駐車場に車を停める。周囲の家には庭先にクリスマスツリーが建てられ、全体に巻かれた細いライトの灯りがちかちかと控えめにまたたいている。
 町の中心部と違ってこの一角は、はしごを登る電動サンタや1/1サイズのトナカイなど、大掛かりな電飾をデコレートした家は少ないようだ。

「そう言えば今日はまだ22日なんですよね」

 腕時計の時間を確かめ、風見がつぶやいた。

「不思議だなあ。俺たち、22日の夕方に日本を発ったはずなのに」
「時差で一日巻き戻ってるからね……」
 
 車から降りたヨーコは、コートのケープだけ外して羽織っている。ケープは肘のあたりまでの長さが有り、たっぷりと上半身を覆っていた。一見赤いロングスカートに見えるのは実は巫女装束の赤い袴である。足下はさすがにブーツだが、上は当然、白い小袖だ。

「このためにケープ着てきたんですか」
「そーよ。巫女装束でホテルのロビーなんざ歩いたら」
「……目立ちますね、この上もなく」

 一方、ロイと風見は来たときの動きやすさを優先した服装に戻っている。と言っても風見の羽織っている長めのダウンジャケットの下には特製のホルスターに納めた小太刀が2本。ロイの黒いコートのポケット(もちろん特製)には、祖父から借り受けたニンジャ道具一式がきっちり仕込まれている。

「それにしてもその格好、寒くナイですか、先生」
「大丈夫、ちゃんと腰にカイロ貼ってるから!」
「よーこさん、よーこさん」
「青少年の夢を壊すような発言は謹んでください……」

「冷えは女性にとっては大敵だよ、ヨーコ? 気をつけなければ」
「心配ない心配ない。袴の下にはちゃんとヒートテックも着けてるし」
「だーかーらー」
「よーこさんってば……」

 街頭の灯りの中、ひっそりとたたずむ遊具の間を抜けて行く。昼間のにぎわいも、クリスマスの華やかさもここからは遠い。
 しんしんと凍える夜の空気の中、昼間目星をつけた木の根元にたどり着いた。

「さて、と」

 ヨーコはするりとコートをぬぎ、近くの灌木の枝にかけた。
 肩にかけていた紺色のバッグ……全体に薄い青紫と白で回転木馬の模様がプリントされていた……から必要な道具を取り出して地面に並べる。
 小さく切った和紙、塩の詰まったジップロック、そして透明な液体を満たした小さなボトル。

「これは?」
「お神酒。神様にお供えしたお酒よ。実家からちょっぴりもらってきたの」
「化粧水の瓶に入れて?」
「便利よ? 軽くて丈夫だし。本当はお榊もあるといいんだけど……」

 サリーが肩をすくめて小さく首を横に振った。

「植物の持ち込みになっちゃうからね」

 その時、バッグの中でかすかに音楽が鳴った。短く5秒ほど。

「お」

 ヨーコは携帯を取り出すと画面にさっと目を走らせ、うなずいた。

「和尚からドリームダイブの許可が降りたわ。始めましょう……風見」
「はい」
「それからロイも。手伝ってくれる?」
「ハイ」

 手分けして大木の根方を中心に東西南北の四隅に盛り塩をして、神酒を注ぐ。
 準備が整うと、ヨーコはバッグから鈴を取り出した。
 手で握るための赤い輪に鈴のついた、まるで幼稚園のおゆうぎで使うようなベルだった。しかし、ただのベルではない。
 ヨーコによって手を加えられ、略式ながらいっぱしの神具……神楽鈴に仕立てられていた。
 輪の両端からは緑、黄色、朱色、青、白の五色のリボンが長くたなびき、鈴は全て神社で祈りをこめて作られた特別な金色の鈴に換えられている。

「あ……それ、”夢守りの鈴”ですね」
「そうだよ」

 夢守りの鈴。サリーとヨーコの生家である結城神社で作られる護符の一つで、その音色は悪夢を退け健やかな眠りを守ると言われている。

「サクヤちゃん」
「うん」

 大木の根元にサリーと二人並んで立つ。その後ろに風見とロイ、ランドールが並ぶ。
 全員が位置に着いたのを確かめると、ヨーコはシャリン、と鈴を鳴らした。

「高天原に神留まり坐す皇親神漏岐 神漏美の命以ちて 八百万神等を神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜ひて……」

 サリーとヨーコ、微妙に高さの異なる澄んだ二人の声がよどみなくなめらかに。息づかいのタイミングさえずれることもなく祝詞を唱えて行く。

「彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以て 打ち掃ふ事の如く遺る罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ひ清め給ふ事を……」

 何も見ない。確かめない。自然に口元から流れ出す声が夜の空気を震わせる。

「此く佐須良ひ失ひてば 罪と云ふ事を 天つ神 国つ神 八百万神等ともに聞し食せと白す……」

 シャリン、と鈴が鳴る。
 その瞬間、空気が変わった。
 祭壇に見立てた木を中心に見えない波が走り抜ける。波の通り過ぎた空間は清々しくて、まるで神社の境内か教会の聖堂の中にでもいるような……しん、と張りつめた中にもどこか安らぐ静けさに満たされていた。

 唱え終わると二人は腰を屈め、腿のあたりまで手がくるほど深い礼を二回。
 それから胸の前に両手を掲げ、ぱん、ぱん、と二回拍手。
 風見とロイもこれに倣う。
 ランドールは少しだけ首をかしげていたが、見よう見まねで後に続いた。
 それから再度礼をして、体を起こす。

「……みんな、いい? 行くよ?」

「いつでも……」
「了解デス」
「Yes,Ma'am」

 しゃん、しゃらり、しゃりん。

(チリン、チリリ、チリン)

 ヨーコの鳴らす鈴の音と。今この瞬間、飼い主にぴたりと寄り添う白い子猫の身につけた鈴が共鳴して行く。
 
「神通神妙神力……」
 
 りん。

(リン)

 りん。
(リン)

 りん(リン)。
 
「加持奉る」
 
 夢と現の境が揺らぎ、道が開いた。
 

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