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ローゼンベルク家の食卓

メッセージ欄

2009年10月の日記

【4-13】バイキング来訪

2009/10/18 2:19 四話十海
  • 2007年1月の出来事。
  • 新年が開けて二週間ほど過ぎたある日。ローゼンベルク家の夕食に、珍しいお客が招かれます。
  • しかしながらまたしても事後承諾だったので、帰宅後、レオンがご機嫌斜めに……
【attention!】
  • タイトルに★の入った章は男性同士の恋愛、性行為を連想させる記述を含みます。苦手な方は閲覧をお控えください。
  • 目安として★がキスシーン有り。★★が「CSIベガス、マイアミ、NYのゲイ描写がOKな人なら」読めるレベル、とお考えください。
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【4-13-0】登場人物

2009/10/18 2:21 四話十海
  • より詳しい人物紹介はこちらをご覧下さい。
 
 sien.jpg
【シエン・セーブル/Sien-Sable】
 不思議な力を持つ双子の片割れ。17歳。
 外見はオティアとほぼ同じ。
 オティアより穏やかだが、臆病でもろい所がある。
 笑顔を絶やさない穏やかで聞き分けの良い子。
 そんな仮面を脱ぎ捨てて、ようやく本当の顔を見せるようになった。
 コーヒースタンドで出会った「エビの人」がちょっと気になる。
 料理が好きで、中華が得意。
 
 oteia.jpg
【オティア・セーブル/Otir-Sable 】 
 不思議な力を持つ双子の片割れ。17歳。
 ややくすんだ金髪、紫の瞳、身長170cm、やせ形。
 極度の人間不信だったがヒウェルの想いを受け入れる。
 ポーカーフェイスの裏側で揺れ動く心はいまだに安らげないが、少しずつ前に進もうとしている。
 肩に乗せた白い子猫と共に。
 予想外のちん入者にやきもき。
 
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【ヒウェル・メイリール/Hywel-Maelwys】
 フリーの記者。26歳。
 黒髪、アンバーアイ、身長180cm、細身(と言うか貧弱)
 フレーム小さめの眼鏡着用。適度にスレたこずるい小悪党。
 オティアへの想いがようやく通じるが、それはすなわちシエンの失恋でもあり…。
 オティアの飼い猫オーレに見下されている。
 夕飯をたかりに来ることに存在価値を見出すへたれ眼鏡。
 
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【レオンハルト・ローゼンベルク/Leonhard-Rosenberg】 
 通称レオン
 弁護士。ヒウェルとは高校時代からの友人。27歳。
 ライトブラウンの髪と瞳、身長180cm、着やせするタイプで意外と筋肉質。
 一見、温厚そうな美人さん、実は腹黒。実家は金持ちだが家族への情は薄い。
 ディフの旦那で双子の『ぱぱ』。
 爽やかな笑顔の裏で実はかなりの激情家。
 基本的に自分のテリトリーに他人が踏み込むのを快く思わない。
 増してそれが『あいつ』とあっては……。
 
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【ディフォレスト・マクラウド/Deforest-Macleod】 
 通称ディフ、もしくはマックス。
 元警察官、今は私立探偵。ヒウェルとは高校時代からの友人。26歳。
 ゆるくウェーブのかかった赤毛、ヘーゼルブラウンの瞳、身長180cm、肩幅やや広め。
 裏表のない直情家、世話好きでおせっかいな熱血漢、時々天然。
 レオンの嫁で双子の『まま』。
 多感な子どもたちを抱えて悩みは尽きない。
 気軽に後輩に「飯食いに来いよ」と言っちゃって、レオンには今回も事後承諾。
 
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【エリック/Hans-Eric-Svensson】 
 シスコ市警の科学捜査官。ディフの警官時代の後輩、23歳。
 ライトブロンド、瞳は青緑色、身長186cm。
 金属フレームの眼鏡着用。
 激務続きで食生活はとても寂しい。
 デンマークからの移民を祖父に持つ誇り高きバイキングの末裔。
 好物はエビ。毎日食べても飽きない。
 
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【オーレ/Oule】
 四話めにしてようやく本編に登場したオティアの飼い猫。
 白毛に青い瞳、左のお腹にすこしゆがんだカフェオーレ色の丸いぶちがある。
 最愛の『おうじさま』=オティアを守る天下無敵のお姫様。
 趣味はフリークライミングとトレッキング(いずれも室内)、好物はエビ。
 エドワーズ古書店の看板猫リズの末娘。
 ヒウェルは敵!
 
 sophia.jpg
【ソフィア/Sophia-Owen】
 レオンの元執事にして現秘書アレックスの妻。
 鹿の子色のくるくるカールした短い髪に濃いかっ色の瞳。30才。
 最初の夫は交通事故で亡くなり、アレックスと再婚した。
 イースト菌を自在に操るパン屋の看板娘。
 いつも焼きたてのパンを差し入れしてくれる。
 
 deen.jpg
【ディーン/Dean-Owen】
 ソフィアの息子。アレックスは義父にあたる。
 鳶色の髪に濃い茶色の瞳、物怖じしない3歳児。
 猫好きだけど、なかなかオーレに近づいてもらえない。
 
illustrated by Kasuri

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【4-13-1】招待

2009/10/18 2:23 四話十海
 
 一月にしては珍しく、雲ひとつないよく晴れた日だった。
 
 透き通った空気を通して見上げる空は底抜けに青い。
 降り注ぐ冬の日差しを浴びて、街路樹のパームツリー、カニの看板、その上にとまっているカモメ……何もかも輝いて見えた。まるで細かな金色の粉をまとっているみたいに。

 しかしながら夕方近くになるとさすがに西日がきつく、必然的に色の濃いサングラスが手放せない。

 サンフランシスコ市警の建物の前の駐車場は相変わらず混み合っていたが、上手い具合にちょうど一台、走り出す所に出くわした。
 
 四輪駆動車のハンドルを切り、ごつい車体をすっぽりと空いた駐車スペースに収めるのに、いくらも時間はかからなかった。
 何てったって通い慣れた場所だ。警察官として勤めていた時も。私立探偵に鞍替えしてからも。

 車を降りて、壁面に花崗岩を張り付けた玄関をくぐり、ロビーに入る。受付の女の子に用件を告げると、一瞬『ぎょっ』とした顔をされた。
 見ない顔だ。おそらく新人だな。こう言う時に改めて思い知らされる。
 自分の体のサイズのでかさと、がっちりした上腕、厳つい顔つきが初対面の相手にどれほどの威圧感を与えているかってことを。

 ゆっくりとサングラスを外してほほ笑みかける。つとめて静かな声で話しかけると、彼女はやっと表情を和らげてくれた。
 さし出される書類に必要事項を記入し、ビジターカードを受け取り、胸に着ける。

 目指す場所は鑑識ラボ。案内は必要ない。署内の構造は知り尽くしている。
 増築に継ぐ増築で多少入り組んではいるが、通い慣れた道筋だ。

 適度に古びて、ごちゃっとした四角い建物の中を大股で突っ切る。
 鑑識ラボに入って行くと、顔見知りが声をかけてきた。

「よう、マックス、元気か?」
「この間はジンジャークッキーごちそうさん。美味かったぜ」
 
 どうやら、EEEのとこに持ってった分がこっちに差し入れられて、巡り巡ってクリスマスシフトの連中の口に入ったらしい。

「また、何か作ってくるよ。もっと腹にたまるものを」
「サンキュ、助かるぜ!」

 相変わらずの激務続きで、食生活はみんな似たり寄ったり、同じレベルで低レベルを維持しているらしい。
 顕微鏡をのぞいている褐色の肌に緩いドレッドヘアの男に声をかけた。

「よう、キャンベル。元気か?」
「やあ、マックス」
「証拠品の受け取りに来たんだ」
「ああ、ちょっと待っててくれ。準備できてるよ……」

 警察の捜査が終ると、事件に関わる証拠品は原則として持ち主のもとに返却される。
 だが、中には受け取るために警察に足を運ぶことを躊躇する関係者も存在するのだ。ようやく癒えかけた傷が開くのを恐れて……。

 その気持ちはよくわかる。慣れない人間にとって、警察って場所はただいるだけでも絶大なプレッシャーを感じさせる。

 幸い、自分にとってここは慣れ親しんだ場所だ。だから依頼人の持ち物を、こうして代理で引き取りに来る事もできる。

 ジップロックから取り出された証拠品をリストと照合して、チェックするのも慣れたもんだ。

「……OK、間違いない」
「では、確かに」

 受取書にサインをして、これで万事終了。

「マックス、ちょっと」

 帰ろうとすると、主任に呼び止められた。

「あと一箱、残ってるんだけど」
「まだ、あるのか? これで全部のはずだが」
「これは……あなたの分よ」
「え?」

 机の上に乗っている箱に記された日付は去年の5月。忘れもしない、あの二日間

「そう、か……もう、捜査、終ったんだ……」

 参ったな。こんな時、どんな顔をすればいいんだろう。
 とっさに顔の筋肉が上手く動かせない。緊張するなと言う方が無理だがそれを気取られるのも気まずくて。なけなしの見栄と意地をふりしぼり、かろうじて肩の力を抜くしかなかった。
 眉がわずかに傾き、唇がねじれ、しかめっ面と苦笑いの入り交じる曖昧な表情を作る。OK、上等、泣き顔よりはマシだ。

 携帯、財布、革のライダーズジャケット。車のキー、そして、愛用の拳銃。あの日、廃棄された安ホテルの一室で奪われた物を一つ一つ確認する。
 そして最後に、腕時計が出てきた。

「あら、なつかしい」

 警官を辞めた時に贈られた記念の品だ。ジップロックを封印した赤いテープを切り、主任自らが渡してくれた。

「はい、どうぞ」
「……ありがとう」

 左手首にそれまで巻いていた時計を外す。みっしりと重い金色の時計。
 レオンからずっと借りていたロレックス。あいつが持っている内で一番頑丈なのを借りた。
 質が良すぎてどうにも俺には似合わないけれど、レオンのものを身につけていると思うとそれだけで安心できた。

 あいつと俺とでは、ベルトの留め位置がまるで違っていた。
 
 受け取った時計を改めて手首に巻き付けた。ほんの少しひやりとしたが、すぐに体温が伝わり、馴染んだ。

「うん、こいつがないと落ちつかない」
「返すことができて嬉しいわ……その針の一本分ぐらいは、私のポケットから出てるんですものね」
「ははっ、確かに!」

 帰る途中、休憩室の前を通ったら見覚えのある後ろ姿が見えた。白衣を羽織ったひょろりと背の高い金髪が一人。
 ツンツンにとがった髪の毛、白い肌、金属フレームの眼鏡。白衣の中に着ているセーターも白。

 青緑の瞳は充血してどんより濁り、背中を丸めて何やら円筒形の入れ物の中味をすすっている。最初はスープヌードル(カップヌードル)かと思ったが、湯気が出ていないし、眼鏡も曇っていない。
 よく見ると、曇らないのも道理。そいつはアイスクリームだったのだ!

「エリック。お前……何てもん食ってるんだ」
「あ、センパイ」
「一月に、アイスかよ」
「お湯わかすのも、あっためる暇も惜しくて……」

 軽くかかげたスプーンから、半分とけたアイスがどろーりと滴り落ちる。

「これだと理想的なんですよ。糖分もカロリーもとれるし、胃に負担もかからないし」
「体温は?」
「…………そう言えば、ちょっと寒いですね」

 いくらバイキングの子孫だからって、これはあまりに寒すぎる。
 大体、食ってる時間からして中途半端だ。口調から察するに明らかに間食の類いではなさそうだ。
 夕食には早いし、昼食には遅すぎる。

「今夜、ヒマか?」
「え? ええ、今日はこれで上がりですから……」

 アイスをすすり込む手を止めて、何やら考え込んでいる。おそらく頭の中でざっとシミュレーションしてるんだろう。
 アパートに帰って、シャワー浴びて、しゃっきりした服に着替えて……

「7時ぐらいには」
「よし、7時だな。それじゃ家に来い」
「ええっ」
「晩飯。一食ぐらいは食わせてやる」

 ぱあっとエリックの頬に赤みがさし、瞳に生き生きとした光が戻ってきた。

「ありがとうございますっ!」

 飯一食でこんなに顔輝かせるなんて。いったいどれだけ寂しい食生活を送ってきたのか。
 ……不憫な奴。

 せめて今夜は好物を食わせてやろう。
 
 ちらりと戻ったばかりの時計に目を走らせる。これから依頼人の家を回って、証拠品を届けて。事務所に戻ったらオティアを拾って、帰りがけに買い物だな。

 献立は、小エビのサラダに、エビのフライ、エビのフリッターのタルタルソースがけ、エビの塩焼き、エビチリ……
 パスタもピザもサンドイッチも、とにかくメインの具はエビだな。

 くすっと口元に小さな笑みが浮かぶ。

 オーレが喜びそうだ。あのちびさんときたら、こいつ同様、とにかくエビに目がない。

「それじゃ、7時にうかがいます」
「ああ。待ってるよ」
  

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【4-13-2】エビを買う

2009/10/18 2:24 四話十海
 
「戻ったぞ」

 事務所に戻ると、オティアがパソコンを打つ手を止めてちらりと顔を上げた。
 ほぼ同時にチリチリと透き通った鈴の音が近づいてきた。足元に視線を落とし、白い猫に声をかける。

「ただいま、オーレ」

 ひゅうっと長い尻尾がしなり、ぺち、と軽くふくらはぎに触れる。そのままオーレは俺の足の間を8の時を描いてくぐり抜け、しきりにニャーニャー話しかけてくる。
 いつもは迷わずざっかざっかよじ上ってくるってのに、それどころじゃないって雰囲気だな。いったいどうした、美人秘書?

「今日はこれであがりだ」
「ん……」

 こっちも微妙に歯切れが悪い。しきりと口を開きかけるが途中でやめている。言う意志はある、だが声を出すまでに至らない。そんな感じがした。

「どうした」

 返答をうながす。だがオティアは答えず、その代わりちらり、ちらりとドアの方を見ている。なるほど、答えは今やその方角にあるようだ。
 ほどなく軽い足音が聞こえた。聞き慣れた足音。オーレがぴん、と耳を立てる。
 そして、ドアが小さくノックされた。

「どうぞ」

 かちゃりとドアノブが回り、シエンが入ってきた。

「これ」
「ありがとう」

 さし出されたファイルを受け取る。以前、レオンに渡した資料、新規の調査依頼書、その他もろもろの書類……。さして珍しいものじゃない。毎日の業務の中で普通にやりとりしているものだ。
 シエンに届けさせる、とあらかじめメールも受けている。

 ざっと目を通して分類し、ボックスファイルに移してから顔を上げると……シエンはまだ居てくれた。

「どうした?」

「………今日、水曜日だから」
「…………あ、あぁ」

 水曜日は仕事は定時で上がり。その後、オーガニック食品専門のスーパーで買い物をして、クリーニング屋に寄ってからマンションに帰る。双子がアルバイトに入ってからの習慣だった。
 だがこの二ヶ月と言うもの、買い物に着いてくるのはずっとオティアだけだった。最後に2人一緒にそろっていたのは去年の10月。

 まばたきして、もう一度シエンの様子を確かめる。

 まさか、夢じゃないだろうな。きっちりコートを着て、カバンを肩に下げて、ちゃんと帰り支度をしてるじゃないか!
 つまり、その……今日は一緒に来るってことなのか。来てくれるってことなのか?

 くそ、こんな時、どんな顔したらいいんだ? 

「そうだな」

 口にした瞬間、意外に簡単に顔からも肩からも力が抜けた。目尻がさがり、口角がゆるんでくいっと上に上がる。ほんの30分ほど前、鑑識のラボで四苦八苦したのが冗談みたいにすうっとあっけなく。
 
 オティアは何も言わない。黙ってさっさと帰り支度をしている。まるでそうするのが当然、何を不思議がることがあるとでも言わんばかりに。
 キャリーバッグを開けると、白い毛皮がひょい、と飛び上がり、するりと中に入った。
 お見事。いつもながら鮮やかなもんだ。

「行くか」

 事務所を出て、戸締まりをして。先頭に立ってエレベーターに向かう。少し遅れて軽い足音が二つ、ぱたぱたと着いて来る。
 地下駐車場に降りて車に乗り込み、後部座席に並んで座る2人をちらりと振り返る。
 色違いのおそろいのダッフルコートに手袋。出会ったころに比べて顔がすっと長くなり、鼻筋が通っている。大人の顔に近づいている。背も伸びてすんなりとしてきたようだ。ややくすんだ金色の髪は、シエンの方が長くなっていた。

(もう、骨の形が透けるほどやせ細った怯えた子どもではない……2人とも)

 秋の終わりまで何度となく繰り返され、しばらくは中断していた風景が……若干のぎこちなさを残してはいるものの、再び、ここにある。
 うれしくて、しかたがない。
 だがその一方で、ほの暗い不安の気配が拭えない。もし、ここで気を抜いたら……。その瞬間、俺はこの手で。この舌、この目、この声で、ぐしゃりと押しつぶしてしまうんじゃないかって。

 卵の殻よりも。ガラス細工よりももろい、この小さな幸せを。

「今日、夕食に客が来る。警官時代の後輩だ」
「……ん」

 オティアが眉をしかめた。ほんの、かすかに。うっかりすると見落としそうなくらいの変化だが、確かに表情が変わった。
 何を考えているのかは、そこはかとなくわかる。警戒してるんだ。他人が家の中に入って来ることを。

 おそらくは自分とシエンの二人分。

「あー、その、何って言うか、とにかく真面目で害のない奴なんだ。その、鑑識だから、頭でっかちで線も細いし………若干、背が高いけど」

 いい奴だから。言い慣れたその一言は、双子を安心させるにはてんで足りない。もっと直接的な言葉を選び、伝えるべきことを口にした。一番、不安を呼び覚ますであろう要素に答えを提出した。

「だから、あまり、怖くない」

 短い沈黙の後、シエンがこくんと小さくうなずいた。よし、第一関門は突破した。

「この所まともな飯食ってないみたいでな。今日、行ったら、アイス食ってやがった」
「アイス? こんなに寒いのに?」
「ああ。そんな訳だから、いつもより食い物を買う量が増えるぞ」
「わかった」

 オティアが一瞬、口をひらきかけたが結局は黙ったままだった。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 スーパーマーケットの駐車場に入って行く。夕方の買い物ラッシュの時間だ。当然のように混み合っていた。
 どうする、隅に寄せるか、第二駐車場に移動するか。迷う間もなく、双子がほぼ同時にすっと駐車スペースの一カ所を指差した。

「そこ、空く」
「OK」

 まさにその瞬間、目の前の車のエンジンがかかった。これ幸いと出た後にするりと入る。一昨年の冬、この子たちと初めて買いものに出た時もこうだった。
 ただあの時と違うのは、今は……

「に!」
「いい子にしてろよ?」
「みう」

 お留守番が約一名いるってことだろうな。

 スーパーの中に入ると、迷わず一番大型のショッピングカートを引き出す。人数が多いし、まとめ買いするし、今日は客が来るからなおさらだ。何度も買い物に来た店だが、やはり夕方は混み合う。不安なのか、シエンは心持ち俺の近くに体を寄せてくる。
 そしてオティアはさりげなく、人の流れとシエンの間に入り、ガードしている。
 自然とシエンはオティアと俺の間に挟まるような形になる。初めてこの店に買い物に来て以来、何度となく繰り返されてきたフォーメーション。
 いつものように。
 そして、久しぶりに。

 決して体が触れるほどは寄ってこない。それでも、すぐそばにいるのが伝わって来る。感じ取れる。それだけで、胸の奥にほろほろと、温かなものがほどけて広がる。

 パスタと紅茶、グリッシール(イタリアの細い、スティック状のパン)のプレーン。紅茶はアレックスに任せているから、お茶のコーナーで買うのはもっぱらシエンの好きなジャスミンティーだ。
 クリスマスにヒウェルから一箱もらっていたのを、ちょっとずつ飲んでいたようだが、そろそろ終りかけているらしい。

「あ」
「ああ、新しいの、出てるな」
「どう違うのかな……」

 お茶の箱を手にとり、説明書きを読み比べて。値札もチェックして。

「これ」

 新しいのに挑戦するつもりらしい。

「OK。二箱まとめるか?」
「ううん。最初に一箱、試してみる」
「そうか」

 賢明な判断だ。
 いかにもヒウェルの好きそうなジャンクフードの棚は、例によって華麗にスルー。キャットフードのコーナーで、オーレ用に小エビの缶詰を買う。
 さすがに客にばかりエビ食わせてオーレにはお預けってのは、かわいそうだしな。
 ボトルウォーターに牛乳、洗剤、柔軟剤、ときて……冷凍食品売り場にやってきた。

「えーっと……まずは、これだな」
「エビ?」
「ああ、エビだ」

 がっぱん、とアイスボックスの蓋をあけて、冷凍シュリンプの詰め合わせパックを無造作にひっぱりだしてカートに入れる。
 ビニールパックに詰められたむき身の小エビは、板みたいにくっついてガチガチに固まっている。
 ちょっとやそっと時間が経った程度じゃ、ビクともしない。
 かえって保冷剤代わりにちょうどいい。

 さらに鮮魚売り場に行く。ちょうどタイムセールが始まったところで、人がわんさか群がっていた。さすがにこの群れの中にカートを引いて突入するのも気が引ける。

「オティア!」
「ん」
「カートを見ていてくれ。ちょっと行って来る」
「ん」

 よし……行くぞ。
 軽く腕まくりしていると、すっと側にシエンが寄ってきた。

「一緒に来るか?」
「ん」

 材料を、自分の目で見て選びたいらしい。さすが料理好き、気持ちはわかる。
 隣のシエンをガードしながら、人ごみをかきわけて売り場に乗り込んだ。

「失礼……」

 何度かぎょっとした顔で見上げられた。やっぱり浮くのか、俺は。夕飯の買い出しタイムでは……。
 無理もない、か。さすがに屋内、それも夕方なのでサングラスこそかけていないが、黒のライダーズジャケット羽織って鮮魚売り場で買い物してる野郎は居ないものな。

 いっそエプロンでもつけて、髪の毛お下げにも編んでみるか?

 ………。
 やめた。想像しただけで何やら気色悪ぃ。

「ディフ?」
「あ、いや、何でもない」

 気を取り直してチェックする。
 ホタテと生の殻付きのブラックタイガーが特売だった。これ幸いと、ごっそりまとめ買いする。

「また、エビ?」
「うん、ブラックタイガー」
「縞模様だから?」
「そうだな」
「茹でると赤くなるよね」
「ああ、茹でるとレッドタイガーだな」

 たあい無い言葉を交わしながらカートに戻ると、オティアが読書中だった。
 暇を持て余していたのだろう。熱心に、さっきシエンがカートに入れた中国茶の箱をとって裏の説明書きを読んでいる。
 
あらかじめあたためたカップにティーバックをひとついれます
熱湯をそそぎ、フタをして3分むらします
お好みでお湯をつぎたしながら何煎もいれられます
 
 ほんと、活字なら何でもいいんだなあ。
 
「次は、何?」
「サンドイッチ用のペースト」

 冷蔵箱の中に並ぶ、小エビの描かれた四角いパックを選び出す。
 カートの中を眺めて、シエンがちょこんと首をかしげて言った。

「………エビばっかりだね」
「今日来る奴の好物なんだ。毎日食っても飽きないんだとさ」
「ふぅん……」

(何か、聞いたことのあるような?)
(でも、ここは海辺の街だし。シーフード好きな人って多いよね、きっと)

 何やら考え込んでいるシエンの隣では、オティアがじっと隣に積まれた海産加工物を見つめていた。

「……」
「ああ、カニだな」
「……」

 こくっとうなずいた。

「でも、それは本物のカニじゃない。魚のすり身をカニっぽく加工したものなんだ」
「フェイク?」
「そんなもんだな。日本ではカニカマって言うらしい」
「……そうか」
「気になるのか?」
「ちょっと」
「買ってみるか?」
「………いや。今日は、いい」
 
 
 ※ ※ ※ ※


 大量に買い込んだ生鮮食品は、ちゃんと銀色の保冷バッグに入れて密封したはずなのに……。
 車のドアを開けるなり、オーレはキャリーバッグの中で大騒ぎ。
 目を輝かせてぐるぐる回っている。バッグがぐらぐらとそれ自体が謎の生き物みたいにゆれ動く。

「にゃーっ、にゃ、にゃ、にゃうーっみゃう、にゃーっ」

 ちらっとのぞきこむと、青い瞳がらんらんと輝き、鼻面がふくらみ、ぴーんっと髭が前方に突き出している。
 要するに、臨戦態勢だ。

「冷凍エビでもわかるのか」
「生のエビは、ちゃんと密封したのに」
「ペーストもきっちり密封されてるはずなんだけどな……」
「みゃーっ」
「さすが猫だな……」
「もしかして、エビって単語に反応してる?」

 ケージのネット越しに、オーレがちっちゃな口をかぱっと開けるのが見えた。
 しかも、かりかりと蓋をひっかいている。

「………エビ」
「みゃみゃーっ」
「エビー」
「みゃーっ」
「エビ」
「みゃっ」

 思わず顔を見合わせる。シエンと、オティアと、俺とで。

「…………理解してるみたいだな」
「すごいね」
「うむ」


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【4-13-3】子猫とクロワッサン

2009/10/18 2:25 四話十海
 
 マンションに戻った所で携帯が鳴った。ソフィアからだ。

「Hi,ディフ。今どこ?」
「ああ、ちょうど家に戻ったところだ」
「まあ、ラッキー。クロワッサンが焼き上がったところなの。ディーンに届けさせるわね」
「OK。ありがとう」

 電話を切って、買ってきた食料をキッチンに運ぶ。

「んみゃーっ」

 キャリーバッグから飛び出した、白い流星が駆け抜けた。

 青い瞳を輝かせ、わずかにしなやかな感触を残し、俺と双子の足の間をすりぬけて行く。
 尻尾をつぴーんと立てて、ぶつからないように絶妙の間合いで軽く足に触れながら。

「あぶないよ?」
「みゃっ」
「お前はそんなにエビが好きか!」
「にゃーっ」
「あ、こら、登るな!」
「オーレ、ちゃんと缶詰もあるから、ね?」
「オティア」
「ん」

 オーレの張り付いた背中をオティアに向けてかがみ込む。慣れたものだ。上着に食い込んだ爪を一本一本丁寧にはずしてから、べりっとはがしてくれた。
 
「にゅぐぐ」
「落ち着け……」
「にゅう」

 なでられても、抱かれても、お嬢さんはまだまだ未練がおありらしい。
 冷蔵庫をじーっとにらんでいらっしゃる。ちゃんと知ってるのだ。あの中にエビが入っていると。

「今夜は何を作るの?」

 横目で白い子猫をうかがいつつ、慎重に言葉を選ぶ。

「アレのサラダと、フリッターと、フライと、チリと……」
「ああ、エビチリ」

 途端に耳をつぴーんと立てて、オティアの腕の中で暴れ出した。

「んみゃーっ」
「こら」
「やっぱり聞き分けてるんだ。賢いな……」
「すごいね……」
「居間に、連れてく」
「そうだな、その方が安全だ」

 その時、呼び鈴が鳴った。来たな、ディーン。
 玄関に向かい、ドアを開ける。

「よう、ディーン」
「Hi,ディフ」

 両手に抱えたバスケットの中には、焼きたての三日月。カリっと焼けた軽めの生地。
 クロワッサンが山盛りになっている。あったまったバターとこんがり焼けた小麦粉のにおいがほこほこと立ちのぼる。

「これ、ママから」
「サンキュ。いつもありがとな……入ってくれ」
「OK」

 居間に行くと、白い稲妻がキャットウォークから飛び降りてきた。
 
「にゃにゃーっ、にゃーっにゃっ」

 目をらんらんと輝かせたオーレが、ディーンの足元へまっしぐら。信じられん、いつもは決して近づこうとしないのに。
 オティアの肩の上やキャットウォーク、とにかく、高い所から見下ろしてるのに!
 ちっちゃな靴に手をかけて、のびあがっている。ディーンはもちろん大喜びだ。いつも近づいてこないオーレが自分から寄ってきて、しかも触ってくれたんだからな。

「みゃ、みゃ、みゃ、みゃー」
「キティ(子猫ちゃん)、きた!」

 シエンが首をかしげてオティアを見る。

「好きなのかな、クロワッサン?」
「さぁ」
「バター使ってるしな……」 
「いつもはパン食べててもそんな騒がないのに……あ、でもパイ焼いてる時は大騒ぎしてたね」
「ああ、足元走り回ってたな」

 双子と俺が顔を見合わせている間も、オーレはさらに積極的にディーンに(と、言うかディーンの抱えたバスケットの中味に)アプローチしていた。

「キティ、キティ」
「みゃー、みゃみゃみゃ!」

 ぴょんぴょん飛び上がって、前足でかしかしとバスケットを引き寄せようとしてる。
 ディーンはディーンで逃げるどころか、バスケットを抱えたまま、しゃがみ込もうとしてるじゃないか!

「あっ、だめだよ、あぶないよ」
「オティア!」
「ん」
「ディーンはこっちな」
「お?」
「みゃ?」

 俺がディーンを抱き上げるのと同時に、オティアがひょい、と白い子猫を抱き上げる。

「シエン、こっちを頼む」
「うん」
「冷蔵庫にマーマレードが入ってる。手つかずの一つ、持ってきてくれ」
「わかった」

 シエンはディーンの手からバスケットを受け取り、キッチンへと運んでいった。

「にゃーっ」

 遠ざかるクロワッサンに向かってオーレが後追い鳴きをする。猫好きなら、聞いた瞬間に胸を引き裂かれそうな悲しげな声で。

「そんなにお前はクロワッサンが好きか」
「に……」
「……部屋に連れてく」
「そうだな、その方がいいな」
「ばいばい、オーレ」

 オティアはオーレを連れて隣の部屋へ。ディーンは名残惜しそうに見送った。

「ご苦労さん、ディーン」

 つやつやの鳶色の髪の毛をなでて、サイドボードの上に置いたガラスのポットからキャンディを一つ取り出した。
 ごほうび用のキャンディポットはディーン専用。ああ、もう一人、使ってる奴が居たなあ……ヒウェル。

「ごほうびだ」
「サンクス!」

 器用に包み紙を破ってころんと口に入れて、ぱあっと顔を輝かせた。

「おいしー」
「そうか。うまいか」
「ディフ」

 シエンが戻ってきた。クロワッサンの入っていたバスケットの底には、円筒形のガラス瓶が一本、ころんと転がっている。

 中味はグレープフルーツのマーマレード。Mr.ランドールの母上のレシピでは、桃とレモンとリンゴが入っていた。
 一回の食事で複数の果物を取れるよう、工夫したのだろう。甘さのみならず、栄養面でも気を配っているんだな、と感心した。
 ただし、家の場合はオティアの味覚に合わせてリンゴ抜きで作ってある。

「はい、これでいい?」
「ああ、それだ。ありがとな」
「ん」

 ディーンを床に降ろす。腕の中に抱え込んだあったかい、ちっぽけな体が離れて行くのがちょっぴりさみしかった。

「ディーン、これ、ソフィアに届けてくれ。クロワッサンのお礼だ」
「OK」

 ぷっくりとほっぺたを丸く膨らませて、こくこくとうなずいている。

「またな、ディーン」
「バイバイ、ディフ。バイバイ、シエン」
「気をつけてね」

 両手でしっかりバスケットを抱えて、ディーンは帰っていった。ぴょこぴょこと弾んだ足取りで。
 オーレが近づいてくれたのが、よっぽど嬉しかったんだろうな。
 
「……」

 入れ違いにオティアが戻ってきた。お姫様が納得するまで、相手をしてきたらしい。

「オーレは?」
「キャットタワー」
「そうか」

 エビとクロワッサン。どっちもあの猫がオティアの所に来る前に、既に好物として決まっていたようだ。
 あいつ、EEEの所ではどんな食生活してたんだろうな?
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 髪の毛をくくり、エプロンをつける。俺のはグリーン、シエンのはパステルグリーン、オティアのは青。そろいの白地のストライプ。

 エビを料理する時の最大の難関は下ごしらえだ。
 大量のエビを前に、三人でうつむいてせっせと手を動かす。ひたすら殻をむいて。背中に切れ目を入れて、わたを抜く、
 黄色いボウルの中に山のようにつみあがった殻をビニール袋に入れてきっちり縛ってからゴミ箱の奥深くに封印した。

 片栗粉でざしざしとエビをもんで、水洗いしてキッチンペーパーで水気を拭う。
 下ごしらえの終ったエビを、いくつかに小分けする。
 フリッター用、エビチリ用、解凍した小エビはサラダ用に。ペーストはサンドイッチに。

「シエン、エビチリ任せていいか?」
「うん」
「頼んだ」

 卵白、小麦粉、片栗粉、フリッターの衣を混ぜてる所でインターフォンが鳴った。

「どうも、D」
「お、来たな、エリック。3号のエレベーターで上がってきてくれ。6階の一番奥の部屋だ」

 エビに粉をまぶしてる所で呼び鈴が鳴った。さすがにこれでドアは開けに行けない。

「シエン、出てくれるか?」
「ん」

 こくっとうなずいて、シエンはとことことキッチンを出て行った。

 
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【4-13-4】対面

2009/10/18 2:27 四話十海
 
 シエンがドアを開けると、見覚えのある人物が立っていた。

「あ」
「あ」

 明るい金髪、金属フレームの眼鏡をかけた、ひょろりと背の高い、明るいベージュのコートを来た若い男。

 エビの人だ。

 青緑の瞳が細められ,穏やかな笑みが浮かぶ。

「やあ」
「…………こんばんわ」

 ディフの警察の後輩って、この人だったんだ!
 多分、結婚式にも来ていた。だからコーヒースタンドで会った時、どこかで会ったことのあるような気がしたんだ。

(あれ? って言うことは、俺のこと前から知ってたのかな。だから、声かけてきた?)

「どうぞ」
「ありがとう」
「コートはこっちにかけて」
「わかった」

 白に近いベージュのコートの下に着ていたのは、襟から胸元にかけて菱形の模様の編み込まれた白いセーターだった。
 この人、白っぽい服が好きなのかな。新品って訳じゃない。いい感じに体になじんでいるけれど、くすんでもいないし、シミもついていない。
 あちこちにコーヒーやチョコの染み、煙草の焼けこげがついて、ほんのり黄色みを帯びたヒウェルのシャツとはだいぶ違ってる。
 脱いだコートから、かすかに。ほんのかすかに、つーんとした匂いがした。煙草じゃない。何かの薬品だろうか。

 どうしよう。あの時のお礼、言った方がいいのかな。ケーブルカーに乗る前に、一応ありがとう、って言ったけど……。
 考えながらリビングに入って行くと、来客の気配を早くも嗅ぎ付けたのか。にゅうっと白い子猫が顔を出した。

「にう」
「わあ、美人さんだ!」

 顔全体が笑みくずれて、声が高くなってる。そういえば言ってたな。猫が好きだって。
 適当に話を合わせていただけじゃなかったんだ……。

「名前は?」
「オーレ」
「よろしく、オーレ」
「に」

 かがみ込みんでそっと指を出してご挨拶してる。もしかしてこの人、好きなだけじゃなくて猫の扱いに慣れてる?

 オーレは当然! って顔をして、ふん、ふん、とにおいをかいでいる。
 良かった、相性はよさそう。猫って背の高い男の人が苦手みたいだから、ちょっと心配だった。
 お客様の確認が一通り終ると、オーレはちょこまかと足元に近づき、顔をすりよせた。と、思ったら、ざっしざっしと爪を立てて登ってる!

「あ、だめだよ、オーレ降りないと」
「いや、大丈夫。慣れてるから」

 猫を背中にはりつけたまま、にこにこしてる。オーレはざっしざっしとよじ上り、とうとう肩にたどり着いた。
 
「にゃ!」

 とくいげに足を踏ん張るオーレを目を細めて撫でている。セーターに穴開いたらどうしよう、なんてカケラほども考えてないみたいだ。

「ちっちゃいなあ……軽いなあ……」

 改めて見上げる。この人、背が高い。ディフよりも、レオンよりも高いんだ。だからオーレに登られちゃったんだな……高い所が好きだから。

「よう、エリック、来たか」
「あ、センパイ。お招きいただきありがとうございました」

 エリックは肩の上のオーレを支えながら、きちっと一礼。ディフがにこっとほほ笑んだ。親しい人の前でだけ見せる、人懐っこい表情で。

 この人はただの友だちじゃない。よっぽど親しくしているんだろう。そうでなきゃ、夕食になんて招待しない。
 
「アイスよりはマシなもん食わせてやるよ……オティア、シエン、改めて紹介する」

 ぽん、とディフは『エビの人』の肩をたたいた。

「こいつはエリック。警官時代の後輩だ」
「どーも」
「オティアは何度か電話で話したことあるよな」
「ええ」
「ん」
「この子はシエンだ。レオンの事務所でアシスタントをしてる」
「よろしくね、シエン」
「……よろしく」

 警察の人だから、あの時も助けてくれたんだ。きっとそうだ。警察官の義務を果たしただけ。

 後でディフに伝えておこう。この人とは、感謝祭の後の週末に会っている。酔っぱらいに絡まれそうになった時、助けてもらったって。
  
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 グレース大聖堂のほど近く、ノブヒルのマンション、6階建ての最上階。
 はっきり言って警察官の給料で住めるような所じゃない。

「友だちのツテで安く借りられたんだ。いっぺん遊びに来い。夕飯ぐらい食わせてやるぞ」

 そう言われたのは4年ほど前のこと。でもお互い激務だからなかなかそんな暇なんか捻出できるはずもなくて。
 いつか行こう、この仕事が終ったら。思ってるうちに、センパイは警察を辞めて。ついにはその部屋から引っ越して……。

 ある意味、二度と手の届かない場所に行ってしまった。
 と言っても本人は相変わらず市内に住んでいて。時々顔も見られる程度にそばに居るんだけれど……。

 オレ以外の男の、永遠のパートナーになってしまったのだ。
 式場で寄り添う二人を見て、改めて思い知らされた。最初っからオレの入り込むすき間なんかなかったんだって。

 ずきずき痛む胸の傷を抱えたまま夏は過ぎ去り、秋から冬へ。移る季節と日々とともに少しずつ傷も乾いて、かさぶたになっていった。
 そして年が明けて二週間が経過した水曜日。不意打ちでチャンスがやってきた。
 
『今夜、ヒマか?』
『え? ええ、今日はこれで上がりですから……7時ぐらいには』
『よし、7時だな。それじゃ家に来い』
『ええっ』
『晩飯。一食ぐらいは食わせてやる』

 その時、徹夜明けのぼーっとした頭で思っていた。
 センパイの家で晩飯。ってことは………あの子に会える? ああ、でも。

 思い出さずにいられない。

 コーヒーショップの片隅で、もそもそとスコーンをかじっていた。声をかけた瞬間、まず向けられたのは警戒のまなざし。
 交わす言葉はそつなく無難、だけどほのかに感じもした。きめ細かな砂の中に潜む、尖った小石にも似た鋭さを。
 
 そう、確かにセンパイの大事な金髪の双子はお互いにそっくりだった。外見のみならず、内面においてもまた然り。
 だがそれさえも、自分を守るための必死の防衛策なのだと思うと胸がしめつけられる。

 感謝祭後の週末、にぎやかな夜の街をぽつんと一人でさまよっていた後ろ姿を見た時、はっきりと確信した。
 君は針のように鋭く、強い。だけど、それはガラスの針だ。陽の光さえ通り抜けるほど透き通り、衝撃を受ければいとも簡単に砕けてしまう。

 ちゃんと家に帰ってるのかな……シエン。

 どきどきしながら呼び鈴を押したら、まさにたった今、思い描いていた相手がドアを開けた。
 ややくすんだ長めの金髪。やさしく煙る紫の瞳。パステルグリーンに白のストライプのエプロンをつけていて、それがまたよく似合っていた。

「やあ」
「…………こんばんわ」

 何てラッキー。まさか、こんなに早く君に会えるなんて! ちょっとの間、紫の瞳が確かめるように見つめてきた。
 コーヒーショップで声をかけたとき、君は結婚式で会ったことは忘れてしまっているようだった。
 今度はどうだろう。覚えていてくれてるのかな? 

 リビングでは、白い毛皮に青い瞳の小さなお嬢さんに歓迎された。背中によじ上られたけど、ちっとも重くない。

 ほんと、ちっちゃいなあ。
 軽いなあ。
 骨組みも、筋肉も、爪も、尻尾も、実家のタイガーに比べたら、なんて華奢なんだろう。すべすべした毛皮を撫でていたら、あの人が出てきた。
 
「よう、エリック、来たか」
「あ、センパイ」
 
 深みのあるグリーンに白のストライプのエプロンをつけて、腕まくりして。くくった髪の毛の間からちらりと、なめらかなうなじがのぞいている。鮮やかな髪の色が、肌の白さを際立たせる。
 引き締まった腰から形のよい尻にかけてのラインが何とも魅惑的だ。ジーンズの上からでもよくわかる。

 仕草は大雑把、骨組みはがっちりしてるし、筋肉もしっかりついてるし。男臭いことこの上ないのに、何故かしなやかで柔らかい。

 相変わらず色っぽいなぁ……。

 以前の自分なら正視できずに目をそらしていただろう。
 いけないと思いつつ、夢想せずにいられなかった。その力強い腕に包みこまれ、広い胸に顔を埋める瞬間を。ゆるやかに波打つ赤い髪をかきあげて、むき出しになった首筋に口づけて……。
 けれど、今夜は違っていた。ちゃんと、逃げずに笑みを返すことができた。
 
「お招きいただきありがとうございました」
「この子はシエンだ。レオンの事務所でアシスタントをしてる」

 ああ。これでようやく君のことを名前で呼べるね。今までのように胸の中でつぶやくだけじゃなく、堂々と声に出して。

「よろしくね、シエン」
「……よろしく」
 
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【4-13-5】それってナンパ?

2009/10/18 2:28 四話十海
 
 客が来ると聞いた瞬間、オティアはわずかに眉をしかめた。
 警官時代の友人は何人もいるけれど、ディフが夕食に招くほど親しくしている(それも自分とシエンがいるのに)相手は限られる。

 (もしかして、あいつだろうか?)

「どうも、D」
「お、来たな、エリック。3号のエレベーターで上がってきてくれ。6階の一番奥の部屋だ」

 インターフォンの声を聞き、確信した。

(あいつだ。サンフランシスコ市警のCSI)

 何度も電話で話した相手だ。
 Rが少し鼻にかかり、濁音の強い、独特の話し方。『元気?』とか『調子はどう?』とか余計なことは一切言わない。
 まず自分が何者であるかを名乗り、続いて要領よく、用件を話す。急ぎの時はその旨一言添えることを忘れない。

 それなりに有能だし、真面目な男なのだと言うのは分かる。普段から、探偵事務所のためにいろいろ便宜を計ってくれる相手だ。

 ……が。

 じりっと胸の奥で苦い記憶が閃く。
 あいつには結婚式の時、抜け出すのを途中で阻止されている。ことわりも無くずかずかと、自分の領域に踏み込んで来た。
 のほほんとした顔の裏で、微妙に自分との距離を計りつつ、巧みに行動を封じて来た。

 結果として自分は、レストランに引き返さざるを得なかった。
 あいつは、黒でも白でもない。強いて言うなら、ほんのり灰色。

 玄関の呼び鈴が鳴る。
 シエンが迎えに出た。少し迷ってから、自分もリビングに向かった。

「どうぞ」
「ありがとう」
「コートはこっちにかけて」
「わかった」

(え?)

 ほんのり灰色のCSIとシエンが親しげに話してる。結婚式の時に顔は合わせてるとは言え、ほとんど初対面のはずなのに。
 他の人間の基準から見れば、あくまで普通のやり取りでしかない。だが自分から見れば……十分親しげだ。

「にう」
「わあ、美人さんだ! 名前は?」
「オーレ」
「よろしく、オーレ」
「に」
 
 しかもこの男ときたら、オーレまで手なずけている!
 オーレは足元に近づいて、ふんふんとにおいを嗅いで……ざっしざっしと登り出した。ズボンに、セーターに、容赦なくちっぽけな爪が刺さる。
 さすがに慌てるだろうと思ったら。

「あ、だめだよ、オーレ降りないと」
「いや、大丈夫。慣れてるから」

 肩の上で、得意げに足を踏ん張る子猫を撫でている。いい年こいた大人が、満面の笑顔で、うっとりと目まで細めて。
 
「ちっちゃいなあ……軽いなあ……」
「よう、エリック、来たか」
「あ、センパイ。お招きいただきありがとうございました」

 ディフがにこやかに出迎えている。仕事用の顔じゃない、あれはオフタイムに、ごく親しい人間にだけ見せる顔だ。
 挨拶を交わす間、オーレは尻尾をぴーんと立てて金髪眼鏡男に顔をすり寄せていた。

「……オーレ」

 ぽつりと呼ぶと、ぴょん、とこっちに飛び移ってきた。
 しなやかな筋肉をフルに活かした完ぺきな踏み切り。
 ヒウェルなら反動でよろっとしそうな強さのはずだ。けれどこいつはビクともしない。

「わお! すごい跳躍力だね!」

 にこにこして見送ってる。これくらい、余裕ってことなのか。ひょろいようで、意外にがっちりしてるらしい。警官だから、それなりに鍛えてるのか?
 
 何だろう、このもやっとした感じは……。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「あ、いいにおいだな……エビですね?」

 バイキング男は遠慮せずに台所にまで入ってきた。

「ああ、エビだ。好物だろ?」
「はい! 毎日食べても飽きません」
「にゃーっ!」
「あれ、もしかして君もエビ、好き?」
「みゃう」

 くすっとシエンが笑ってる。
 また、腹の底がもやっとした。

 招待された客の分際で、キッチンにまでずかずかと踏み込んで来るなんて。
 それなのに、どうして嫌な顔一つせずに受け入れてるのか。ディフはともかく、シエンまで!

(そうだ、こいつは結婚式の時からして遠慮が無かった)

「これ、運んでおきますね?」

 金髪眼鏡のバイキング野郎は、あつかましくもキッチンカウンターに鼻を突っ込み、ひょい、と小さな黄色いボウルを手にとった。
 手のひらにすっぽり入るほどのミキシングボウルの中には、フリッター用のタルタルソースが満たされている。

「ありがとう」
 
 シエンがうなずいている。

「ああ、やっぱりこれ、マルグレーテのボウルだ」
「え? これ、エリックの知ってる人が作ったの?」
「ううん、そうじゃなくてね。『マルグレーテ』って言う商品名なんだ。デンマークの女王様の名前なんだよ」
「へぇ……面白いな、キッチン用品に女王様の名前つけちゃうなんて」
「王室御用達のキッチンウェアだからね」

 二人並んで食堂に歩いて行く。
 話してるのは何てことない、台所道具の話題だけれど、妙に楽しげだ。
 シエンは料理が好きだから、自然と道具の話にも興味を引かれたのだろう。実際、あのミキシングボウルは機能的で使いやすい。

 その時。
 エビを揚げるのに集中していたディフが、ひょいと顔をあげて。はっとした表情になった。

「おい、エリック、そこ!」
「はい?」

 どんがらがっしゃん。

 引っかかったのは足か、手か。それとも両方か。とにかく『はい』と答えた時にはもう、事は半分、為されていた。

 観葉植物の鉢植えがひっくり返り、タルタルソースが食堂の床にまき散らされる。
 空になったミキシングボウルがコロコロと転がり、オーレは尻尾をぼわぼわ膨らませて威嚇のポーズ。背中を丸めてそびやかし、斜めに、と、と、と、と後じさった。

 エリックはぽかーんとして、空っぽになった手と、床の上の大惨事を交互に見つめている。

「鉢植え……気をつけろ、と言いたかったんだが………いや、もういい」
「手遅れ、ですね……すみません……」

 シエンがだまってモップとちり取りを持って来た。
 それを見てようやくバイキングはフリーズから回復し、手近の布をつかんでびったん、と床にひざまずいた。

「せめて、こぼれたとこだけでもっ」
「いいよ。被害が広がりそうだから」
「エリック」
「はい?」
「それ、雑巾じゃなくてテーブルナプキンだ……」
「あ」

 時既に遅し。テーブルナプキンは、タルタルソースと鉢植えの土にまみれていた。
 黙ってディフがつまみあげ、ボウルともども無造作に流しの洗い桶に突っ込んだ。
 さすがに、あれをそのまま洗濯機に放り込む訳には行かない。

「オティア。隔離だ」
「OK」

 すーっと貧弱なバイキングの横に歩み寄り、一言告げる。

「おっさん。こっちで座ってろ」
「キツいなぁ、俺まだ23歳なんだけど」

 頭をかきながらも、エリックはオティアの後を着いてリビングに向かった。その足元をちょこまかと、白い子猫が駆け抜ける。

 床の片付けを終えると、シエンは肩をすくめた。

「ソース、作り直しだね」
「いや、こうなったらケチャップとマスタードで行こう。エリックもそっちのが好きだしな」
「そうなんだ」
「ああ、あとマヨネーズな」

(また、口の端っこにつけちゃうのかな)

 シエンは自分でも気づかないうちに、くすっと笑っていた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 リビングに入ると、オティアはだまってソファを指し示した。
 エリックが素直にそこに座る間、また何かひっくり返すんじゃないかと思うと気が抜けなかった。
 
 オーレはぴょん、とソファの背に飛び上がり、優雅に尻尾をくねらせて往復している。
 こいつが気になって仕方ないらしい。そう、目下の所、キッチンで調理中のエビよりも!

 確かに見た所、猫の扱いには慣れているようだ。(サリーやMr.エドワーズほどではないが)しかも微妙に下に出て、猫の気まぐれな高慢さを満足させるやり方を心得ている。

「ほんとに可愛いお姫様だな」
「にゅ」
「うん、似合ってるね、その首輪。瞳の色にぴったりだよ」
「みう」

 果たして、オーレの性格を見抜いた上でやっている事なのか。自然と行動した結果なのか。 
 読み切れない。

「なあ、おっさん」
「何だい?」

 否定も突っ込みも、無し。さほど気にしていないのか、自分が呼ばれたと認識できれば問題ないのか。

「CSIのラボ勤務なのか?」
「いや、捜査官」
「現場に出てるのか」
「そうだよ。元はラボに居たけどね。DNAの分析担当だった」

 ぴくっとオティアは眉を跳ね上げた。あれだけそそっかしいくせに、よく、そんな細かいものを扱えるもんだ。

「なかなか、テレビドラマみたくかっこよくは行かないけどね……」

 右手を広げてしみじみ見下ろしている。骨組みのしっかりした、指の長い器用そうな手。血管が透けて見えるほど白い。が、決してひ弱ではない。

「滅多に銃も撃たないし……ああ、でもご飯食べる暇がないってのは本当」

 その言葉を裏付けるように、ぐぎゅうっと腹が鳴った。

「やっぱ忙しいんだな」
「うん。でも好きで選んだ仕事だから」
「……で。シエンとは、どこで知り合ったんだ?」
「コーヒースタンド。相席して、一緒にコーヒーを飲んだ。彼はカフェラテ、オレはキャラメルラテ」
「コーヒーだけか」
「小エビのサンドイッチも食べたよ? シエンはスコーンかじってたな。ちまちまと……」

 なるほど、つまり一緒に座って、コーヒーを飲んで、軽く食事をしたってことだ。
 一緒に。
 二人、一緒に。

 オティアの頭の中で非常ベルが鳴り始める。

「それって、ナンパだろ」
「ナンパかな?」

 わざと、声のトーンを上げた。大声ではないが、キッチンまで通るはずだ。
 果たして間髪置かず、聞き慣れたバリトンが返ってきた。

「おい、今ナンパって聞こえたぞ!」

 どかどかと重たい足音が響き、にゅうっとディフが顔を出す。

「言ったよな、オティア?」

 黙ってそっぽを向く。

「言いました。オレはシエンをナンパしたらしいです」
「らしいって何だ、らしいって!」

 こいつ、馬鹿か? 自分から白状してる。だが目的は達成した。これでディフも警戒するようになるだろう。口をへの字結んでぎろりと睨みつけている。

「ディフ」

 シエンがそ、とエプロンを引っ張った。

「コーヒースタンドで、相席しただけだから」
「……そうなのか?」
「はい」
「そう……か」

 ピーっと甲高い電子音が響く。オーブンの中味が焼き上がった合図だ。
 ディフはじろっとエリックを睨んでから、のしのしとキッチンに戻っていった。
  
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「……ディフ」

 シエンはためらいながら口を開いた。
 さっき、ものすごく怖い目でエリックを睨んでいた。自分とオティアを守るためなら、ディフは相手が何者であれ容赦しない。たとえ親しい友だちでも。

(このままでは、不公平だ。彼は俺を助けてくれたのに)
 
「感謝祭の週末の夜に、ね……俺、あの人に会ってるんだ」
「何だって?」
「うん。ケーブルカーの駅に行く途中で、酔っぱらいに絡まれそうになって。困ってたら、エリックが助けてくれた」
「そんなことがあったのか! ああ……さぞ、怖かったろうに」
「ん、も、平気。通せんぼされただけだから」
「そうか……」

 大きくうなずくと、ディフは小エビのすり身を練り合わせて、丸めて、平べったくつぶして、小さく円盤状にした。
 小麦粉をはたき、溶き卵をくぐらせ、パン粉をつけて、手際良く油で揚げて行く。

「エビカツ?」
「ああ。サンドイッチに挟むのが好きなんだ」

 だれの好物かは、言わずもがな。シエンはキッチンナイフをとって、クロワッサンに切れ目を入れ始めた。

 オティアが戻ってくると、料理が一段階レベルアップしていた。

「ディフ、ちょっと作り過ぎだよ」
「さすがに余るか……よし、エリックに持ち帰らせよう」
「うん」

 シエンはそそくさとタッパーを持ち出し、サンドイッチを詰め始めた。

(どう言うことだ?)

 ディフの警戒スイッチを入れたはずなのに……知らない間に、あの金髪バイキングの人物評価が上がってる!

 計画失敗。オティアはしかめっ面をして、事の成り行きを見守るしかなかった。
 
 
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【4-13-6】やっぱりエビが好き

2009/10/18 2:29 四話十海
 
「腹減ったー。今日の晩飯、何?」

 今日に限っては聞くまでもなかった。玄関を開けた瞬間から、家中に漂っていたのだ。

 エビの香りが。

 そして、俺をリビングで出迎えたのは実に意外な人物だった。まるきり知らない顔じゃないんだが、居るべき場所が違う。

「あ」
「やあ、H」

 ハンス・エリック・スヴェンソン。ディフの警察の後輩、誇り高きバイキングの末裔。
 この男が本来いるべきなのは、現場か、そうでなけりゃサンフランシスコ市警のCSIラボ。百歩譲ってバイキング船の甲板だろうに。
 何だって、こいつがローゼンベルク家のリビングで。
 しかも、のんびりソファに座って猫をじゃらしてるんだ?

「どーしたバイキング、残業か? 出張か?」
「招待されました」
「招待って……夕食に?」
「はい」

 だれが招待したかは、大体想像がつく。と、言うかディフ以外にあり得ない。
 エリックの膝の上ではオーレがころんとひっくり返り、バイキングの腕を両手で抱え込んで後足キックを繰り出している。
 あれはしょっちゅうやられている。一見愛らしい仕草だが、意外に強烈なストロークで骨に響くし、ちっちゃな爪は鋭く細く、衣服を簡単に突抜け皮膚に刺さる。

 それなのに。

「ははっ、元気だなあ」

 ……余裕かよ。こいつ、痛覚鈍いんじゃねえのか? ってかお前、手が傷だらけだよ?
 どこから突っ込めばいいのか、呆然としてると、キッチンから張りのあるバリトンが飛んできた。

「飯、できたぞ」
「はい、センパイ」

 満面の笑みを浮かべていそいそと食堂に向かう、バイキングの背中を見ながら思ったね。

(また、勝手に客呼んじまったのか……しかもよりによってこいつ!)

 口にこそ出さないが、態度を見れば一目瞭然。この男がディフに片想いしていたのは、わかりすぎるほどわかっていた。
 レオンの奴、どんな顔してるのか……考えただけで背筋が凍る。

 だが、幸か不幸か、食卓の皿は5人分。『まま』と双子と俺、そしてエリックの分だけだった。

「あれ、レオンは?」
「ああ、今日は遅くなる」
「そっか……」

 ってことは、少なくとも俺は現場に居合わせる心配はないってことだ。レオンが盛大に機嫌を損ねる瞬間には。
 ほっと胸をなで下ろす。

「にうーっ」

 足元を、すべすべした柔らかい生き物が走り抜けた。オーレだ。顔全体を口にして、尻尾を高くして走り回っていらっしゃる。
 行く手の床の上には、ちゃんと猫用の皿が用意されていた。

 オティアがかがみ込んで缶詰の中味を開けている。
 今日は、王女様のメインディッシュも小エビ入り。感心なもので、オーレは自分の分があると人間の食べ物は欲しがらない。

 テーブルの上には、クロワッサンにエビのすり身カツを挟んだサンドイッチに、小エビのサラダ、エビフライにエビのフリッターにエビのチリソース煮、エビの塩焼き。小エビとクリームソースのパスタに、エビのピザと、見事にエビづくし。

 さすがにスープは普通にコンソメだったが、浮いてるワンタンの中にうっすらと赤い色が透けている。
 まさか、デザートもエビじゃなかろうな……。

「エビのフルコース……安かったのか?」
「まあ、な」
「うわぁ、夢みたいだ」

 エリックが歓声を挙げた。
 嬉しそうな顔しちゃってまぁ……つまり、あれか。本日のメインゲストのためにエビづくしになったってことか。
 ああ。
 レオンの渋い顔が……
 いや。

 満面の笑みが、目に浮かぶようだぜ。
 と、思ったら、すでにうっすらと渋い顔をしてる奴が約一名。
 どうした、オティア。めずらしく、こいつの基準にしては、かなりはっきりと『しかめっ面』をしてる。
 しかも、対象は俺でもない。ディフでも、シエンでもない。

「あったかいご飯食べるの、2週間ぶりですよ」

 こいつだ。
 でも、何で?

「相変わらずハードワークなんだなあ。もうちょっと食事のバランス考えた方がいいぜ、バイキング」
「あなたに言われたくありません」
「……言うね」

 食事が始まるやいなや、エリックはエビチリに真っ先に口をつけた。器用にハシでつまんで、ぱくっと口に入れる。
 
「ん?」
「どうした、辛かったか?」
「いえ……美味いです、すごく」

 そのまま、猛烈な勢いでぱくぱくと口に入れる。

 シエンがエビチリをがっつくバイキングをじっと見つめている。心無しか、表情が柔らかい。そう、気をつけて見ていなければわからなくいらいに、かすかに。
 作った料理をほめられて、嬉しいらしい。

「はふ………」

 瞬く間にエリック、エビチリを完食。北欧系特有の白い頬に、ほんのり桜色のマーブル模様が浮かぶ。中央は赤く、縁に行くにつれてぽやっとピンク色に霞んでいる。
 いったいこいつに何が起きたのか。

 シエンがぽつりと言った。

「ソース、ついてる」
「え、あ、ほんとだ」

 エリックの奴、妙に嬉しそうにナプキンでくいくいと口を拭ってる。
 その様子を見て、オティアがますます眉をしかめた。
 そうか、原因はシエンか。確かに今、明らかに二人の間だけに通じる何かがあった。

「そんなにエビチリ、好き?」
「うん。大好き」
「おかわりあるよ?」
「ありがとう。でも、他の料理も食べたいな」
 
 しかし……それにしても、わからん。
 この二人、いつ、どうやって知り合ったんだ?

 首をかしげながらスープをすする。ぷかぷか浮いてたワンタンの中味は、やっぱり小エビだった。

「ハシの使い方、上手いね」
「慣れてるからね。ほら、ピンセットと感じが似てるだろ?」
「全然ちがうよ」
「そうかな?」

 何にせよ、シエンが夕食の食卓に居て。ちゃんと、会話してるのが嬉しかった。
 しかめっつらのオティアを気にしつつも、ディフも嬉しそうだ。

 黙々とパスタを口に運ぶ横顔を見ながら思った。

 徹底的に人を拒絶するあの凍えるような表情ではなく……どことなく、拗ねているような顔をしている。
 拒むのではなく、開いている。無視するのではなく、存在を認識している。
 人とのつながりがある、それ故に起きる、ポジティブな変化。
 
 
 ※ ※ ※
 
 
 エビづくしのディナーの締めは、グレープフルーツとレモンのシャーベット(当然自家製)だった。
 果汁本来の甘みを活かし、さっぱりした酸味が、魚介類の生臭さをいい具合に消してくれる。

「ごちそうさまでした。はぁ……美味しかった」
「余ってる分、持って帰れ。しばらく食いつなげるだろ?」
「はい! ありがとうございます! あ、そうだ」

 ぽん、とバイキング野郎は軽く手を叩いた。

「お皿洗うの、手伝いましょうか?」

 双子とディフが同時に答える。

「No!」

 やや間をおいて、シエンが小さく付け加えた。

「……thank you」と。
 
 
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【4-13-7】事後承諾

2009/10/18 2:31 四話十海
 
「ただ今」
「お帰り」

 レオンが帰宅したのは、22時すぎ。既に双子たちはそれぞれの部屋に引き上げていた。
 二人きりだと思うと、お帰りのキスも、抱擁も自然と長くなる。

 名残を惜しみつつ、ようやく体を離すと、ディフはポケットから腕時計を取り出した。ずっしりした金色のロレックスを本来の持ち主の手に乗せ、両手で包み込むようにして握りしめる。

「今日、自分の時計が戻ってきたから……」
「ああ」

 がっしりした左の手首には、持ち主に相応しい頑丈な時計が巻かれていた。

(そうか……あの事件の証拠品が、返却されたのか)
(まずは、一段階前進、か)

「長いこと、ありがとな」
「いや。君の役に立ったのならそれでいいよ」

 受け取った時計を、試しにレオンは自分の手首に巻いてみた。
 ……ゆるい。
 明らかにベルトが余っている。

「お前って、案外腕、細かったんだな」
「君が、太いんだ。骨組みからして俺とは作りが違う」
「そうかな?」
「……そうだよ」

 そう、決してレオンが華奢な訳ではない。ヒウェルがつければ、余裕で肘のあたりまでずり落ちるだろう。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「これは……?」

 夕食のメニューをひと目見るなり、レオンは首をかしげた。いつもと微妙に雰囲気が違う。
 見事なまでの、エビづくし。

 シエンが台所に立つようになってから、食卓に中華料理が上る回数も増えた。
 サリーが昼食を披露してくれてからは、和食も登場するようになった。
 いずれもレオンの好みとは少々外れていたが、問題ない。ディフが作ってくれるのなら、彼としては何でも良かったのだ。

 そう、重要なのは何を作るかではなく、だれが作るか。

 ルームメイト時代から、とかくディフの料理は卵の茹で方、ベーコンの焼き方一つとっても全てレオンの好みに合わせられていた。
 そもそも彼が料理を始めたきっかけは、レオンに食べさせるためだった。

 双子が来てからは、ひたすら子どもたちが食べやすいように工夫を凝らし、そして、今日の食卓は……。

 自分でもない。
 双子でもない。
 増して、ヒウェルでもなければ、サリーでもない。

 見知らぬ第三者のために、作られている。

「ひょっとして、だれか、お客が来た……のかな」
「あ……うん。署内で後輩に会ったんだ」

 ちりっと胸の奥が引きつる。
 署内。
 後輩?

 まさか。

「飯食う時間がなくて、半分溶けたアイスクリームなんかすすってやがったから、ついほだされて、な」
「それで、夕飯に招待した、と」
「うん」

 知らず知らずのうちに、レオンの声のトーンは下がっていた。もちろん、ディフがそれを感じとれないはずもなく……口調こそ変わらぬものの、自然と彼の声も小さく、弱くなって行く。

「お前も知ってるだろ? 鑑識のハンス・エリック・スヴェンソンだよ」

 …………あいつか!

(また、事後報告か)
(しかもよりによって、"あの"エリック。君に懸想していたあの……)

「色々世話になってるから、その、お礼を兼ねて………感謝祭の週末には、シエンが酔っぱらいに絡まれたのを助けてくれたし」
「……」

 レオンの顔から、笑みが消えた。

(なるほど、そう来たか、バイキング)
(シエンをダシにされても……ね)

 次第に二人とも口数が減って行き、沈黙のままレオンは夕食を終えた。

「ありがとう、美味しかった」
「……そうか……うん………」

 口では言っているものの、ほとんど味わっているようには見えなかった。それこそ、双子やヒウェルには読み取れない。ディフにしか分からないほどの微細な変化ではあったが。
 その差が、きりきりとディフの胸に突き刺さる。

(レオンが、怒ってる)

「……一杯やるか?」
「いや、明日もあるし、はやめに休むことにする」
「そうだな……その方がいい……」

 食卓を立つ愛しい人に追いすがり、きゅっと袖を握った。本当は、抱きしめたい。だけど、今はそれが精一杯だった。
 視線を合わせることすらできず、うつむいて震える声を絞り出した。

「ごめん、レオン…………ごめん」
「謝ることはないよ」

 穏やかな声。穏やかな言葉。でも、怒っている。恐る恐る顔をあげた。

「本当にそう思ってるのか?」

 微笑みが返される。陶器の人形のように整った、この上もなく美しい……冷たい微笑が。

「じゃあ、俺が怒ってると思うなら。何が原因か、自分で考えてみたらいい」
 
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 illustrated by Kasuri/フレーム素材:月色すわろ
 
 ぎくっとした。
 ひやりとした火花が胸の底で散る。

(レオンは、本当に、怒ってるんだ……)

 袖をつかむ手から力が抜け、滑り落ちる。

「先にシャワーを使うよ。ゆっくり考えてくれ」

 こっくりとうなずくディフを残して、レオンは食堂を立ち去った。
 
 
 ※ ※ ※ ※

 
 皿を洗いながら考える。
 レオンの使った食器を一枚一枚丁寧に、自分の手で洗った。何故か、食器洗浄機なんかに任せたくなかった。

『じゃあ、俺が怒ってると思うなら。何が原因か、自分で考えてみたらいい』

 高校時代、よく、あんな顔をしていた。ヒウェルが部屋に遊びに来た後に。

「あ………」

 そうだ。レオンは自分の部屋に……と、言うか自分のテリトリーに知らない人間が入ってくるのを嫌がっていた!

 自分の家に招待するつもりで気軽にエリックを呼んでしまったが、ここはレオンの家じゃないか。
 そう言えば、クリスマスにヨーコたちを招待した時も、事後承諾だった……
 遡って一昨年の11月にサリーを呼んだ時も。

(俺って奴は……)

 レオンが嫌がることを、勝手にやらかして。しかも後になってからあいつに報告していた。
 それでも、あいつは穏やかに、快く許してくれた。そんなレオンに甘えて回数を重ねてしまった。
 
 増してエリックは警察官だ。俺にとっては親しい友人だが、レオンにとっては日々神経をすり減らして渡り合う相手じゃないか!
 
「…………ごめんって言った程度じゃ……足りないよな………」
 

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【4-13-8】★お早うのキスは?

2009/10/18 2:33 四話十海
 
 いつもよりゆっくりシャワーを使って上がって来ると、ベッドの上に犬がうずくまっていた。
 ゆるく波打つ赤い毛並みの大型犬が一匹。膝をかかえてしょんぼり背中を丸めている。
 
 近づくと、びくっと顔あげた。ほんのつかの間、嬉しそうな表情が浮かび、すぐに元の申し訳なさ一杯のしょげた顔に戻る。

(ああ、君って子は。こんな時にさえ、そんなに嬉しそうにして……)

 近づき、ベッドに腰を降ろす。ディフはじーっと上目遣いに見上げてから、ちょっとだけ目を伏せた。

「すまん……また……勝手に……客呼んで………」

 そこまで言うのが、精一杯だったらしい。

「悪かった」

 言い終わる頃には声はほとんど消え入りそうにかすれ、完全にうつむいていた。

「誘う前に、教えてくれると嬉しいね」

 こくっとうなずく。力一杯目を閉じて、肩がわずかに震えている。

(ごめん、レオン)
(次からは、友だち呼ぶ時は次からは絶対絶対教えるーっっっ)

 思っても。何を言ってもそらぞらしくなりそうで。声に出せず、ただ震えるばかり。

「君が人を呼びたいと言うなら反対はしないさ……ここは君の家だ」

 そろりとディフの手が伸びてきた。もそもそとシーツの上を探しまわり、やがてレオンを探り当て、手を握る。
 おずおずと顔をあげた。まぶたが上がる。ヘーゼルの瞳はわずかに緑を帯び、今にもこぼれ落ちそうにうるんでいた。
 
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 illustrated by Kasuri/フレーム素材:月色すわろ 
 

「お前の家だ。知ってたはずなのに……ごめん、レオン」
「訂正しよう。今は俺達の家だった」

(少し、意地悪しすぎてしまったかな)

「君の友人なら、俺も慣れなきゃいけないな………」

 怒ってる顔も可愛いとか、ほほ笑む余裕すら無くしてしまうなんて。
 握り合わせた手にキスをする。

「すまない」

 ぷるぷる首を横に振ると、ディフは両手でしがみついて来た。それこそ大きな犬が全身で甘えて、すり寄ってくるようにして。
 ベッドに入り、ゆるく波打つ赤い髪をかきわけ、額にキスをすると、ふるっと震えて手のひらにキスを返してきた。

 抱き合ったまま、眠った。
 他の選択肢は無かった。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 朝。
 とろとろと心地よい微睡みの中をさまよいながら、いつものように腕の中の愛しい人の髪に顔をうずめる。
 
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 llustrated by Kasuri

「……おはよう」

 声を聞いた刹那、一瞬で昨夜の出来事を思い出した。

(俺、レオンを怒らせてしまった!)

 申し訳なくて、どうしても、おやすみのキスを唇にすることができなかった。抱き合って眠ったはずなのに、今はレオンをしっかりと自分の胸に抱きしめている。
 まるでクマのぬいぐるみのように。

「お……おはよう……」

 気まずくて目をそらし、ごそごそと離れようとすると。くいっと背中に手が回され、引き戻される。

「キスさせてくれないのかな」
「……」

 ちろっと見る。
 笑ってる。

「そんなわけ……ないだろ」

 遠慮しながら顔を寄せる。いつものようにおはようのキスをしてくれた。
 
「ん………」

 自分からも腕を回し、舌をさしいれる。浅く唇を重ねたまま、互いの口の中を出入りさせる。

 次第にキスが深くなる。
 どちらからともなくまさぐり、絡めて舐め合った。腕で抱きしめるだけでは足りない。追いつかない。
 良く晴れた朝だった。にもかかわらず、ぴちゃぴちゃと雫の滴る音が響く。
 さらさらした明るい茶色の髪を思う存分なで回し、耳の後ろをくすぐる。頬から顎、首筋のラインを確かめる。

「っ、ディフ?」

 思わずレオンは声を漏らした。

「……夕べの分も、込みだ」

 がっしりした指が、そろりと顎の下をくすぐる。頬にも、首筋にもほんのりと紅がさしていた。
 ヘーゼルブラウンの瞳は半ば緑に蕩け、早くも左の首筋には『薔薇の花びら』がひとひら、紅く浮かび上がっている。

(ああ、ベッドから出たくないな……)

 このままでは、起きられなくなりそうだ。自制心を振り絞ると、レオンは耳元にささやいた。
 首筋に吸い付きたいのを、かろうじてこらえて。

「そろそろ起きないと……朝食の仕度が遅くなってしまうよ」
「………そうだな」

 もう一度、軽くキスを交わす。
 大股で浴室に歩いて行く背中を見送りながら、レオンは密かに心に決めていた。

 平日だけど。
 まだ、木曜だけれど。

 今夜は早く帰って来よう。いざとなったら、残務はレイモンドに押し付けてでも。
 

(バイキング来訪/了)

→そして木曜の夜

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【side10】牧人ひつじを

2009/10/18 2:47 番外十海
  • 拍手お礼用短編2本をまとめて、改めて番外編として再録。
  • 2006年12月、シスコに出張していた日本組の、帰路でのできごと。
  • タイトルは賛美歌103番 「牧人 羊を(The First Noel)」から。元はフランスの古謡で、イギリスでよく歌われるクリスマスキャロルだそうで……
  • 日本でもよく店内BGMに使われているのでメロディを聞くと「ああ、あれか!」と分かる方も多いかと。
  • Youtubeで視聴することができます。↓

記事リスト

【side9】★★君香る夜

2009/10/25 0:30 番外十海
【4-13】バイキング来訪の翌日、木曜の夜の1コマ。
【4-13-8】★お早うのキスは?では、「まま」が「ぱぱ」をぎゅー、していましたが、木曜の夜は……。
 
「あ」

 終わった後で、首筋にキスされた。思わず声が漏れる。
 火照りの残る肌を、柔らかな吐息が撫でる。不思議だな。ほんのかすかな呼吸の中にさえ、お前の声を感じる。
 
「よせよ、くすぐったい」
「いいにおいがする」
「汗くさいだけだろ」
「君のにおいだ」
「……言ってろ」

 お返しとばかりに髪の毛に口づけた。さんざん暴れた後だ。いつもきちんとセットされてるのが乱れて、しっとり濡れている。
 試しに、かいでみた。確かにうっとりするほど心地よく、香るほどに安らぐ。
 くしゃりと撫でると小さく笑い、胸に顔をうずめてきた。

「愛して……る……」
「レオン?」

 すーすー寝息を立ててる。おいおい、まだおやすみも言ってないじゃないか。寝間着はおろか、下着も着けてないってのに……
 せめて上だけでも着せておくべきか。
 ベッド脇の床に落ちている柔らかな布に向かってそろりと手を伸ばす。が、途中でくんっと引き止められた。
 困った。レオンの腕がしっかり巻き付いて、動けない。

「おい……」
「ん……」

 こいつ。寝たまま顔すり寄せてきやがった!
 いいさ、そのまま寝てろ。ずっと抱いててやるから。

「俺も愛してるぞ、レオン」

 なめらかな額にキスして、目を閉じる。
 じきに意識が霞み、ぼやけて……とろけて行った。
 混じり合う二人の温もりに。

(君香る夜/了)

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『H』はHOOKのH

2009/10/31 12:59 短編十海
 
  • イベント用短編。ハロウィンのお話。月梨さんから素敵なカラーイラストをいただきました。
  • イラストはクリックで拡大します。
 
 10月31日、ハロウィン。今年は去年と違って朝から快晴だ。
 雲の合間に青空が広がり、秋の日差しは黄金色の粉末となってきらきらと縁取っている。

 町中いたるところにあふれる、オレンジのカボチャを。

 しかしながら今日は平日、大人には仕事ってものがある。
 昼下がり、月末の書類整理に追われている真っ最中に、探偵事務所のドアがノックされた。
 妙にリズミカルに、楽しげに。

 オティアと顔を見合わせる。
 まさか、こんなオフィスビルに子供らが菓子ねだりに来たってのか? あるいは……。

「どうぞ。開いてます」
「Happy Halloween!」

 薄々予感はしていたが、的中したか。笑顔全開でヒウェルが入ってきやがった。かろうじて仮装は無し、いつものよれたスーツ姿で。
 キーボードを打つ手を止め、デスク越しにじろりとにらみつける。

「何の用だ。あいにくと菓子の用意はないぞ?」
「まさか! この俺がお菓子ねだりに来たとでも?」
「ちがうのか?」
「やだなあ、子供じゃあるまいし……」

 言うなりヒウェルはもったいぶった仕草で背後に隠し持っていた袋を掲げた。PETCO(アメリカのペット用品専門店)のロゴが入ってる。

「これ、オーレに!」

 するりと引き出された物体が、日の光を反射してきらりと光る。たっぷり5秒ほどその場の空気がフリーズした。

「………何だ、それは」
「何って、猫用のハーネスだよ。リード着けるための」
「いや、それはわかる。だが……何で、妖精の羽根がついてるんだ?」
「にう!」
「ハロウィン用に、いっぱいあったから」

 オティアが露骨にそっぽを向き、ため息をついた。うん、その気持ちはわかるぞ……。結局はイベント好きなんだ、ヒウェルの奴は。

「いや、ちゃんと機能的にも申し分ないんだってば。猫の体をしめつけない親切設計なんだぞ!」

 気まずい空気を感じたのか、ムキになって説明している。まるでテレビショッピングのセールスマンだ。

「脱着も簡単、ワンタッチ!」
「ほー?」
「羽根は取り外しできるから」

 オティアが顔を上げ、初めてヒウェルに目を向けた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「……どうだ、オーレ」

 ファンシーな見た目とは裏腹に、確かにそいつはすごぶる機能的だった。
 パールピンクの羽根とハーネスは、オーレのしなやかな体に優しくフィットし、取り付けもプラスチックのジョイントをカチリとはめ込むだけ。だがさすがに羽根が気になるらしく、耳を伏せてぐるぐると回っている。

「やっぱり外す」
「せっかく似合ってるのに……」

 しゅん、とヒウェルがうなだれたその時、ドアがノックされた。

「どうぞ、開いてます」
「ハーイ、マックス」

 黒髪をきっちり結い上げた褐色の女性が、きびきびした足取りで入ってきた。

「ヒウェル居る? ああ、やっぱり……」
「げっ、トリッシュ!」

 ヒウェルは途端に青ざめて後じさり、びたっと仰向けに壁に張り付いた。

「まさか、編集長自ら原稿、取り立てに?」

 ははあ、なるほど、そう言う訳か……。

「ううん、レイとランチ一緒にとったんだけど、ついでだから、寄ってみようと思って。家に電話したけどいなかったし?」
「携帯にかければいいじゃねえかっ」
「留守電になってた」

 満面の笑顔でずばっと切り捨てる。

「あう」
「まさか、お忘れじゃないわよね?」
「う」
「うちの締め切りが、昨日だったって」
「やだなあ、忘れてる訳ないじゃないか……」

 じり、じり、とヒウェルは壁に張り付いたまま移動して行く。引きつった笑顔のまま、トリッシュから一定の距離を保ちつつ。

「夕方にはお届けしますから……」

 じりじりとドアまで来ると、後ろ手にノブを握り

「すぐに書いてきますっ」

 ダッシュで逃げていった。

「まったく。何やってたんだか!」

 腕組みするトリッシュの足下にオーレがとことこと歩み寄る。大男で、なおかつ声も低くて野太いレイは苦手だが、彼女にはなついているのだ。

「まあ、かわいい!」

 ひと目見るなり、ぱああっとトリッシュの表情が明るくなり、眉間のしわが消え失せた。

「お似合いよ、オーレ」
「みう」
「何って愛らしい妖精さんなんでしょう!」
「にゃ」
「お菓子をあげたいとこだけど、今日は猫用のおやつは持ってきてないの。ごめんなさいね」

 しなやかな指先でなでられ、オーレは目を細めてごろごろご満悦。

 やはり女の子、ほめられて悪い気はしないらしい。
 その後も来る客、来る客みんなにほめられて、帰る頃にはすっかり妖精の羽根がお気に入りになっていた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 そして、夜。
 街のそこかしこでオレンジのイルミネーションがきらめき、本格的にお菓子ねだりの行列が練り歩く。
 さすがにマンションの6階までねだりに来る子はいない。来てもせいぜい、入り口のロビーまでだ。
 しかし、たまには例外もある。

 居間で待ちかまえていると、呼び鈴が鳴った。

「お、来たな」

 ドアを開けて出迎える。

「Trick or treat!(お菓子くれないとイタズラしちゃうぞ!)」

 縁がぎざぎざになった緑の袖無しチュニックに緑のタイツ、緑の帽子。全身緑の男の子がカボチャのランタンをぶらさげてぴょこぴょこ飛び跳ねた。

「ようこそ、待ってたよ、ディーン」
「ディーンじゃないよ、ピーター・パンだよ!」
「そうか、今年はピーター・パンか」

 ぴょこぴょこ飛び跳ねるディーン・パンをつれて居間に行く。シエンが目を丸くした。

「うわあ、このボタン、もしかして本物のドングリ?」
「うん!」
「よくできてるね。ママが作ってくれたの?」
「ううん。パパ!」
「え」

 思わず顔を見合わせる。双子と、俺とで。

「……アレックスが?」
「ついにそこまで極めたか」
「そう言えば、今月に入ってからずっと、昼休みに何かチクチク縫ってた……」

 考えてみりゃ、ずっとレオンの世話をしてきたんだから、裁縫の一つ二つできても不思議はないが。いったいどこまで高みを目指すのか、有能執事。

「Trick or treat! Trick or treat!」
「よしよし、わかった。待ってろ、ディーン。お菓子とってくるから」

 キッチンに行き、準備したカボチャのクッキーを袋に詰める。ソフィアとアレックスの分もあるから、こんなものか。

 さらにスーパーで買ってきたハロウィン用のお菓子も追加。
 どうってことないキャンディやチョコレートがカボチャやコウモリ、シーツをかぶったゴーストの絵のついた袋に入ってるってだけなんだが、とにかく、見た目がにぎやかで楽しい。
 ジップロックに詰めたハンドメイドのクッキーだけ渡すのも味気ないし、ちっちゃい子は、こう言うのが大好きだしな。

 ただ、大入り袋に入ってるからどうしても余る。残った分はヒウェルにでも食わせるか?
 ある意味、あいつも子供みたいなもんだしな。

 何故か今日は大荷物かかえてやってきて、来るなり「客間借りるぜ」とか言って客用寝室に引っ込んだが……
 仕事は終わったのか、あいつ?

「うげふぅっ」

 ゴムのアヒルがつぶれたような悲鳴が夜の空気を引き裂いた。
 あの声は、ヒウェル?
 急いで居間に引き返してドアを開けると………
 
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 illustrated by Kasuri

 何やらえらくスペクタルなシーンが展開していた。

 得意満面のディーン・パン。そして紫の衣装に身を包んだ海賊フック船長(やけに体格が貧弱だ)の頭上から、今まさに白い妖精が……ピンクの羽根を揺らしてすたん、と床に舞い降りた所だった。

 俺がいない間にいったい何があったんだ?

「あー、その……どうして、こうなったのか、だれか説明してくれるか」
「えーと……」
「………」

 オティアがそっと目をそらし、シエンがしとろもどろに口をひらく。

「ディフと入れ違いに、ヒウェルが出てきたんだ。海賊の格好して……」
  
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
『はっはっは、待ってたぞ、ディーン・パン!』
『………………ちがう』
『え?』

 ディーンはムっとした顔でヒウェルの顔を指さしていきなりダメ出し。

『メガネ、外して』
『あ、ああ、そうか。海賊が眼鏡かけてちゃおかしいものなー。なかなかチェック厳しいぜ』

 苦笑いしながらヒウェルは眼鏡を外してテーブルに置いた。一方でディーンは腰に下げたポーチからクレヨンを取り出した。

『お、お、どうした、俺の雄姿に絵心を刺激されたか、ディーン画伯?』

 おもむろに黒いクレヨンを手にとると、ぐりぐりと一心不乱に塗りたくる。ただし、画伯の選んだキャンバスは愛用のスケッチブックではなく、ヒウェルの眼鏡のレンズだった。

『あ、あ、あ、ああーっ!』

 幸いにして、片方だけ。

『はい。海賊は、こうでなきゃ』
『………そうか……そう来るか……だったら!』

 ふるふる震えながら眼帯(モノアイ)仕様に改造された眼鏡をかけ直すと、ヒウェルはおもむろに右手の鉤爪を振り上げた。

『海賊らしく、ケリつけてやろうじゃねーか! 来い、ディーン・パン! 勝負だ!』
『おお! 負けないぞ!』

 そして始まる大活劇。ヒウェルはムキになって鉤爪をぶん回し、ディーンはカボチャのランタンで颯爽と応戦。リビングを舞台にチャンチャンバラバラ、縦横無尽の真剣勝負。

「最初はヒウェルの方が優勢だったんだ」
「背が高いし、リーチも長いから、か」
「うん。ディーンががんばっても、なかなか手が届かなくて」
「やれやれ」

 腕組みしてじとーっと半目でヒウェルをにらみつける。
 ったく、4歳の子供相手に何をやってるのか、この男は……。

「大人げなさ全開だな」
「う、うるへぇ……」

 熊皮の敷物よろしく床にへばったまま、ヒウェルは息も絶え絶え、ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返す。

「その分だとすぐに息切れしたな?」
「うん」

 よろよろした所に、キャットウォークの上からティンカー・オーレ参上!
 帽子に問答無用のフライングボディアタックをかまし、トドメを刺したのだった。

「そりゃーまあ、そんなヒラヒラしたもの着けて大暴れしてれば、なあ……」
「けっこう張り込んだんだぞ、この衣装。羽飾りだって、本物の鳥の羽だし!」

 ぽそりとオティアがつぶやいた。

「だからだろ」

 ちりん、と鈴が鳴る。
 キャットウォークの上で、帽子からむしり取った羽飾りをくわえたオーレが得意げに胸を張っていた。

「くそー、踏んだり蹴ったりだ」

 よれよれと起き上がると、ヒウェルは片目を塗りつぶされた眼鏡を外してため息をついた。

「これ、どーやったら落ちるんだ」
「水」
「え?」

 クレヨンの箱を手にオティアが答える。説明書きを読んでいたらしい。

「このクレヨン、水で落ちる素材のやつだ」
「はちみつクレヨン、水でおちます……ほんとだ」

 ここに至ってディーンもさすがにいけないことをしたらしいと察したらしい。しょんぼりうなだれ、ちらっと上目遣いにヒウェルの顔を見て。
 それからぺこっと頭を下げた。

「ごめんなさい」

 眼鏡をかけ直すと、ヒウェルはぽん、とディーンの頭を手のひらで包み、ほほ笑んだ。

「いや、何、これぐらい、かわいいもんさ。ハロウィンの悪戯のうちだよ」

「あ、いきなり大人になった」
「………」

「さてと、これ以上イタズラされちゃかなわんし」

 ヒウェルはポケットからチョコバーを取り出し、ディーンの手の中にぽとりと落とした。

「これは、俺からだ」
「ありがとう!」
「どういたしまして」
  
 
 ※ ※ ※ ※


 その後。

「ただいま」
「お帰り、レオン」
「さっき、エレベーターでディーンとすれちがったよ」
「ああ、菓子ねだりに来てたんだ」
「そうか、ハロウィンだものね……おや?」

 帰宅したレオンが目にしたのは、力尽きて居間のソファに突っ伏す海賊の姿だった。

「死体安置所に空きがあったかな……」

 突っ伏したまま、海賊ゾンビが答える。

「まだ死んでません……」
「残念だ」
「ひどいや、レオン」

 恨みがましげににらむヒウェルをきっちりスルーして、レオンは穏やかに愛する人にほほ笑みかける。

「デイビッドがパイを頼むからと、一緒に注文させられたんだ。もうじきアレックスが持ってくるよ」
「カボチャのパイか? デイビッドの選んだ店なら、期待できるな」
「そうだね。彼は甘いものには目がないし、舌も肥えてる」

(俺はスルーですか、そうですか……)

 なおもふて寝していると、呼び鈴が鳴った。
 ディフがいそいそと受け取りに出る。
 しばらくしてパイの箱を抱えて戻ってきて、食堂に向かう途中で立ち止まり、ソファの上の海賊ゾンビに声をかけた。

「おまえ、まだその格好でいたのか? さっさと着替えて来い!」
「へーい……」

 キッチンではレオンが紅茶を入れている。双子はいそいそとお皿とフォークをスタンバイ。
 特大のカボチャのパイを切り分けて、trickはおしまい、treatの時間。

「え、2つも?」
「事務所に5つ届いたんだ」
「15インチ(約40cm)を一人一枚かよ……」
「デイビッドの基準だからなあ」
「余るぞ、これ、絶対」
「テイクアウトするか?」
「食い切れねえよ!」
「………後でサリーのとこに持ってこう」

 Happy Halloween!

(『H』はHOOKのH/了)

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