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ローゼンベルク家の食卓

【4-13-1】招待

2009/10/18 2:23 四話十海
 
 一月にしては珍しく、雲ひとつないよく晴れた日だった。
 
 透き通った空気を通して見上げる空は底抜けに青い。
 降り注ぐ冬の日差しを浴びて、街路樹のパームツリー、カニの看板、その上にとまっているカモメ……何もかも輝いて見えた。まるで細かな金色の粉をまとっているみたいに。

 しかしながら夕方近くになるとさすがに西日がきつく、必然的に色の濃いサングラスが手放せない。

 サンフランシスコ市警の建物の前の駐車場は相変わらず混み合っていたが、上手い具合にちょうど一台、走り出す所に出くわした。
 
 四輪駆動車のハンドルを切り、ごつい車体をすっぽりと空いた駐車スペースに収めるのに、いくらも時間はかからなかった。
 何てったって通い慣れた場所だ。警察官として勤めていた時も。私立探偵に鞍替えしてからも。

 車を降りて、壁面に花崗岩を張り付けた玄関をくぐり、ロビーに入る。受付の女の子に用件を告げると、一瞬『ぎょっ』とした顔をされた。
 見ない顔だ。おそらく新人だな。こう言う時に改めて思い知らされる。
 自分の体のサイズのでかさと、がっちりした上腕、厳つい顔つきが初対面の相手にどれほどの威圧感を与えているかってことを。

 ゆっくりとサングラスを外してほほ笑みかける。つとめて静かな声で話しかけると、彼女はやっと表情を和らげてくれた。
 さし出される書類に必要事項を記入し、ビジターカードを受け取り、胸に着ける。

 目指す場所は鑑識ラボ。案内は必要ない。署内の構造は知り尽くしている。
 増築に継ぐ増築で多少入り組んではいるが、通い慣れた道筋だ。

 適度に古びて、ごちゃっとした四角い建物の中を大股で突っ切る。
 鑑識ラボに入って行くと、顔見知りが声をかけてきた。

「よう、マックス、元気か?」
「この間はジンジャークッキーごちそうさん。美味かったぜ」
 
 どうやら、EEEのとこに持ってった分がこっちに差し入れられて、巡り巡ってクリスマスシフトの連中の口に入ったらしい。

「また、何か作ってくるよ。もっと腹にたまるものを」
「サンキュ、助かるぜ!」

 相変わらずの激務続きで、食生活はみんな似たり寄ったり、同じレベルで低レベルを維持しているらしい。
 顕微鏡をのぞいている褐色の肌に緩いドレッドヘアの男に声をかけた。

「よう、キャンベル。元気か?」
「やあ、マックス」
「証拠品の受け取りに来たんだ」
「ああ、ちょっと待っててくれ。準備できてるよ……」

 警察の捜査が終ると、事件に関わる証拠品は原則として持ち主のもとに返却される。
 だが、中には受け取るために警察に足を運ぶことを躊躇する関係者も存在するのだ。ようやく癒えかけた傷が開くのを恐れて……。

 その気持ちはよくわかる。慣れない人間にとって、警察って場所はただいるだけでも絶大なプレッシャーを感じさせる。

 幸い、自分にとってここは慣れ親しんだ場所だ。だから依頼人の持ち物を、こうして代理で引き取りに来る事もできる。

 ジップロックから取り出された証拠品をリストと照合して、チェックするのも慣れたもんだ。

「……OK、間違いない」
「では、確かに」

 受取書にサインをして、これで万事終了。

「マックス、ちょっと」

 帰ろうとすると、主任に呼び止められた。

「あと一箱、残ってるんだけど」
「まだ、あるのか? これで全部のはずだが」
「これは……あなたの分よ」
「え?」

 机の上に乗っている箱に記された日付は去年の5月。忘れもしない、あの二日間

「そう、か……もう、捜査、終ったんだ……」

 参ったな。こんな時、どんな顔をすればいいんだろう。
 とっさに顔の筋肉が上手く動かせない。緊張するなと言う方が無理だがそれを気取られるのも気まずくて。なけなしの見栄と意地をふりしぼり、かろうじて肩の力を抜くしかなかった。
 眉がわずかに傾き、唇がねじれ、しかめっ面と苦笑いの入り交じる曖昧な表情を作る。OK、上等、泣き顔よりはマシだ。

 携帯、財布、革のライダーズジャケット。車のキー、そして、愛用の拳銃。あの日、廃棄された安ホテルの一室で奪われた物を一つ一つ確認する。
 そして最後に、腕時計が出てきた。

「あら、なつかしい」

 警官を辞めた時に贈られた記念の品だ。ジップロックを封印した赤いテープを切り、主任自らが渡してくれた。

「はい、どうぞ」
「……ありがとう」

 左手首にそれまで巻いていた時計を外す。みっしりと重い金色の時計。
 レオンからずっと借りていたロレックス。あいつが持っている内で一番頑丈なのを借りた。
 質が良すぎてどうにも俺には似合わないけれど、レオンのものを身につけていると思うとそれだけで安心できた。

 あいつと俺とでは、ベルトの留め位置がまるで違っていた。
 
 受け取った時計を改めて手首に巻き付けた。ほんの少しひやりとしたが、すぐに体温が伝わり、馴染んだ。

「うん、こいつがないと落ちつかない」
「返すことができて嬉しいわ……その針の一本分ぐらいは、私のポケットから出てるんですものね」
「ははっ、確かに!」

 帰る途中、休憩室の前を通ったら見覚えのある後ろ姿が見えた。白衣を羽織ったひょろりと背の高い金髪が一人。
 ツンツンにとがった髪の毛、白い肌、金属フレームの眼鏡。白衣の中に着ているセーターも白。

 青緑の瞳は充血してどんより濁り、背中を丸めて何やら円筒形の入れ物の中味をすすっている。最初はスープヌードル(カップヌードル)かと思ったが、湯気が出ていないし、眼鏡も曇っていない。
 よく見ると、曇らないのも道理。そいつはアイスクリームだったのだ!

「エリック。お前……何てもん食ってるんだ」
「あ、センパイ」
「一月に、アイスかよ」
「お湯わかすのも、あっためる暇も惜しくて……」

 軽くかかげたスプーンから、半分とけたアイスがどろーりと滴り落ちる。

「これだと理想的なんですよ。糖分もカロリーもとれるし、胃に負担もかからないし」
「体温は?」
「…………そう言えば、ちょっと寒いですね」

 いくらバイキングの子孫だからって、これはあまりに寒すぎる。
 大体、食ってる時間からして中途半端だ。口調から察するに明らかに間食の類いではなさそうだ。
 夕食には早いし、昼食には遅すぎる。

「今夜、ヒマか?」
「え? ええ、今日はこれで上がりですから……」

 アイスをすすり込む手を止めて、何やら考え込んでいる。おそらく頭の中でざっとシミュレーションしてるんだろう。
 アパートに帰って、シャワー浴びて、しゃっきりした服に着替えて……

「7時ぐらいには」
「よし、7時だな。それじゃ家に来い」
「ええっ」
「晩飯。一食ぐらいは食わせてやる」

 ぱあっとエリックの頬に赤みがさし、瞳に生き生きとした光が戻ってきた。

「ありがとうございますっ!」

 飯一食でこんなに顔輝かせるなんて。いったいどれだけ寂しい食生活を送ってきたのか。
 ……不憫な奴。

 せめて今夜は好物を食わせてやろう。
 
 ちらりと戻ったばかりの時計に目を走らせる。これから依頼人の家を回って、証拠品を届けて。事務所に戻ったらオティアを拾って、帰りがけに買い物だな。

 献立は、小エビのサラダに、エビのフライ、エビのフリッターのタルタルソースがけ、エビの塩焼き、エビチリ……
 パスタもピザもサンドイッチも、とにかくメインの具はエビだな。

 くすっと口元に小さな笑みが浮かぶ。

 オーレが喜びそうだ。あのちびさんときたら、こいつ同様、とにかくエビに目がない。

「それじゃ、7時にうかがいます」
「ああ。待ってるよ」
  

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