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ローゼンベルク家の食卓

【4-13-5】それってナンパ?

2009/10/18 2:28 四話十海
 
 客が来ると聞いた瞬間、オティアはわずかに眉をしかめた。
 警官時代の友人は何人もいるけれど、ディフが夕食に招くほど親しくしている(それも自分とシエンがいるのに)相手は限られる。

 (もしかして、あいつだろうか?)

「どうも、D」
「お、来たな、エリック。3号のエレベーターで上がってきてくれ。6階の一番奥の部屋だ」

 インターフォンの声を聞き、確信した。

(あいつだ。サンフランシスコ市警のCSI)

 何度も電話で話した相手だ。
 Rが少し鼻にかかり、濁音の強い、独特の話し方。『元気?』とか『調子はどう?』とか余計なことは一切言わない。
 まず自分が何者であるかを名乗り、続いて要領よく、用件を話す。急ぎの時はその旨一言添えることを忘れない。

 それなりに有能だし、真面目な男なのだと言うのは分かる。普段から、探偵事務所のためにいろいろ便宜を計ってくれる相手だ。

 ……が。

 じりっと胸の奥で苦い記憶が閃く。
 あいつには結婚式の時、抜け出すのを途中で阻止されている。ことわりも無くずかずかと、自分の領域に踏み込んで来た。
 のほほんとした顔の裏で、微妙に自分との距離を計りつつ、巧みに行動を封じて来た。

 結果として自分は、レストランに引き返さざるを得なかった。
 あいつは、黒でも白でもない。強いて言うなら、ほんのり灰色。

 玄関の呼び鈴が鳴る。
 シエンが迎えに出た。少し迷ってから、自分もリビングに向かった。

「どうぞ」
「ありがとう」
「コートはこっちにかけて」
「わかった」

(え?)

 ほんのり灰色のCSIとシエンが親しげに話してる。結婚式の時に顔は合わせてるとは言え、ほとんど初対面のはずなのに。
 他の人間の基準から見れば、あくまで普通のやり取りでしかない。だが自分から見れば……十分親しげだ。

「にう」
「わあ、美人さんだ! 名前は?」
「オーレ」
「よろしく、オーレ」
「に」
 
 しかもこの男ときたら、オーレまで手なずけている!
 オーレは足元に近づいて、ふんふんとにおいを嗅いで……ざっしざっしと登り出した。ズボンに、セーターに、容赦なくちっぽけな爪が刺さる。
 さすがに慌てるだろうと思ったら。

「あ、だめだよ、オーレ降りないと」
「いや、大丈夫。慣れてるから」

 肩の上で、得意げに足を踏ん張る子猫を撫でている。いい年こいた大人が、満面の笑顔で、うっとりと目まで細めて。
 
「ちっちゃいなあ……軽いなあ……」
「よう、エリック、来たか」
「あ、センパイ。お招きいただきありがとうございました」

 ディフがにこやかに出迎えている。仕事用の顔じゃない、あれはオフタイムに、ごく親しい人間にだけ見せる顔だ。
 挨拶を交わす間、オーレは尻尾をぴーんと立てて金髪眼鏡男に顔をすり寄せていた。

「……オーレ」

 ぽつりと呼ぶと、ぴょん、とこっちに飛び移ってきた。
 しなやかな筋肉をフルに活かした完ぺきな踏み切り。
 ヒウェルなら反動でよろっとしそうな強さのはずだ。けれどこいつはビクともしない。

「わお! すごい跳躍力だね!」

 にこにこして見送ってる。これくらい、余裕ってことなのか。ひょろいようで、意外にがっちりしてるらしい。警官だから、それなりに鍛えてるのか?
 
 何だろう、このもやっとした感じは……。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「あ、いいにおいだな……エビですね?」

 バイキング男は遠慮せずに台所にまで入ってきた。

「ああ、エビだ。好物だろ?」
「はい! 毎日食べても飽きません」
「にゃーっ!」
「あれ、もしかして君もエビ、好き?」
「みゃう」

 くすっとシエンが笑ってる。
 また、腹の底がもやっとした。

 招待された客の分際で、キッチンにまでずかずかと踏み込んで来るなんて。
 それなのに、どうして嫌な顔一つせずに受け入れてるのか。ディフはともかく、シエンまで!

(そうだ、こいつは結婚式の時からして遠慮が無かった)

「これ、運んでおきますね?」

 金髪眼鏡のバイキング野郎は、あつかましくもキッチンカウンターに鼻を突っ込み、ひょい、と小さな黄色いボウルを手にとった。
 手のひらにすっぽり入るほどのミキシングボウルの中には、フリッター用のタルタルソースが満たされている。

「ありがとう」
 
 シエンがうなずいている。

「ああ、やっぱりこれ、マルグレーテのボウルだ」
「え? これ、エリックの知ってる人が作ったの?」
「ううん、そうじゃなくてね。『マルグレーテ』って言う商品名なんだ。デンマークの女王様の名前なんだよ」
「へぇ……面白いな、キッチン用品に女王様の名前つけちゃうなんて」
「王室御用達のキッチンウェアだからね」

 二人並んで食堂に歩いて行く。
 話してるのは何てことない、台所道具の話題だけれど、妙に楽しげだ。
 シエンは料理が好きだから、自然と道具の話にも興味を引かれたのだろう。実際、あのミキシングボウルは機能的で使いやすい。

 その時。
 エビを揚げるのに集中していたディフが、ひょいと顔をあげて。はっとした表情になった。

「おい、エリック、そこ!」
「はい?」

 どんがらがっしゃん。

 引っかかったのは足か、手か。それとも両方か。とにかく『はい』と答えた時にはもう、事は半分、為されていた。

 観葉植物の鉢植えがひっくり返り、タルタルソースが食堂の床にまき散らされる。
 空になったミキシングボウルがコロコロと転がり、オーレは尻尾をぼわぼわ膨らませて威嚇のポーズ。背中を丸めてそびやかし、斜めに、と、と、と、と後じさった。

 エリックはぽかーんとして、空っぽになった手と、床の上の大惨事を交互に見つめている。

「鉢植え……気をつけろ、と言いたかったんだが………いや、もういい」
「手遅れ、ですね……すみません……」

 シエンがだまってモップとちり取りを持って来た。
 それを見てようやくバイキングはフリーズから回復し、手近の布をつかんでびったん、と床にひざまずいた。

「せめて、こぼれたとこだけでもっ」
「いいよ。被害が広がりそうだから」
「エリック」
「はい?」
「それ、雑巾じゃなくてテーブルナプキンだ……」
「あ」

 時既に遅し。テーブルナプキンは、タルタルソースと鉢植えの土にまみれていた。
 黙ってディフがつまみあげ、ボウルともども無造作に流しの洗い桶に突っ込んだ。
 さすがに、あれをそのまま洗濯機に放り込む訳には行かない。

「オティア。隔離だ」
「OK」

 すーっと貧弱なバイキングの横に歩み寄り、一言告げる。

「おっさん。こっちで座ってろ」
「キツいなぁ、俺まだ23歳なんだけど」

 頭をかきながらも、エリックはオティアの後を着いてリビングに向かった。その足元をちょこまかと、白い子猫が駆け抜ける。

 床の片付けを終えると、シエンは肩をすくめた。

「ソース、作り直しだね」
「いや、こうなったらケチャップとマスタードで行こう。エリックもそっちのが好きだしな」
「そうなんだ」
「ああ、あとマヨネーズな」

(また、口の端っこにつけちゃうのかな)

 シエンは自分でも気づかないうちに、くすっと笑っていた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 リビングに入ると、オティアはだまってソファを指し示した。
 エリックが素直にそこに座る間、また何かひっくり返すんじゃないかと思うと気が抜けなかった。
 
 オーレはぴょん、とソファの背に飛び上がり、優雅に尻尾をくねらせて往復している。
 こいつが気になって仕方ないらしい。そう、目下の所、キッチンで調理中のエビよりも!

 確かに見た所、猫の扱いには慣れているようだ。(サリーやMr.エドワーズほどではないが)しかも微妙に下に出て、猫の気まぐれな高慢さを満足させるやり方を心得ている。

「ほんとに可愛いお姫様だな」
「にゅ」
「うん、似合ってるね、その首輪。瞳の色にぴったりだよ」
「みう」

 果たして、オーレの性格を見抜いた上でやっている事なのか。自然と行動した結果なのか。 
 読み切れない。

「なあ、おっさん」
「何だい?」

 否定も突っ込みも、無し。さほど気にしていないのか、自分が呼ばれたと認識できれば問題ないのか。

「CSIのラボ勤務なのか?」
「いや、捜査官」
「現場に出てるのか」
「そうだよ。元はラボに居たけどね。DNAの分析担当だった」

 ぴくっとオティアは眉を跳ね上げた。あれだけそそっかしいくせに、よく、そんな細かいものを扱えるもんだ。

「なかなか、テレビドラマみたくかっこよくは行かないけどね……」

 右手を広げてしみじみ見下ろしている。骨組みのしっかりした、指の長い器用そうな手。血管が透けて見えるほど白い。が、決してひ弱ではない。

「滅多に銃も撃たないし……ああ、でもご飯食べる暇がないってのは本当」

 その言葉を裏付けるように、ぐぎゅうっと腹が鳴った。

「やっぱ忙しいんだな」
「うん。でも好きで選んだ仕事だから」
「……で。シエンとは、どこで知り合ったんだ?」
「コーヒースタンド。相席して、一緒にコーヒーを飲んだ。彼はカフェラテ、オレはキャラメルラテ」
「コーヒーだけか」
「小エビのサンドイッチも食べたよ? シエンはスコーンかじってたな。ちまちまと……」

 なるほど、つまり一緒に座って、コーヒーを飲んで、軽く食事をしたってことだ。
 一緒に。
 二人、一緒に。

 オティアの頭の中で非常ベルが鳴り始める。

「それって、ナンパだろ」
「ナンパかな?」

 わざと、声のトーンを上げた。大声ではないが、キッチンまで通るはずだ。
 果たして間髪置かず、聞き慣れたバリトンが返ってきた。

「おい、今ナンパって聞こえたぞ!」

 どかどかと重たい足音が響き、にゅうっとディフが顔を出す。

「言ったよな、オティア?」

 黙ってそっぽを向く。

「言いました。オレはシエンをナンパしたらしいです」
「らしいって何だ、らしいって!」

 こいつ、馬鹿か? 自分から白状してる。だが目的は達成した。これでディフも警戒するようになるだろう。口をへの字結んでぎろりと睨みつけている。

「ディフ」

 シエンがそ、とエプロンを引っ張った。

「コーヒースタンドで、相席しただけだから」
「……そうなのか?」
「はい」
「そう……か」

 ピーっと甲高い電子音が響く。オーブンの中味が焼き上がった合図だ。
 ディフはじろっとエリックを睨んでから、のしのしとキッチンに戻っていった。
  
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「……ディフ」

 シエンはためらいながら口を開いた。
 さっき、ものすごく怖い目でエリックを睨んでいた。自分とオティアを守るためなら、ディフは相手が何者であれ容赦しない。たとえ親しい友だちでも。

(このままでは、不公平だ。彼は俺を助けてくれたのに)
 
「感謝祭の週末の夜に、ね……俺、あの人に会ってるんだ」
「何だって?」
「うん。ケーブルカーの駅に行く途中で、酔っぱらいに絡まれそうになって。困ってたら、エリックが助けてくれた」
「そんなことがあったのか! ああ……さぞ、怖かったろうに」
「ん、も、平気。通せんぼされただけだから」
「そうか……」

 大きくうなずくと、ディフは小エビのすり身を練り合わせて、丸めて、平べったくつぶして、小さく円盤状にした。
 小麦粉をはたき、溶き卵をくぐらせ、パン粉をつけて、手際良く油で揚げて行く。

「エビカツ?」
「ああ。サンドイッチに挟むのが好きなんだ」

 だれの好物かは、言わずもがな。シエンはキッチンナイフをとって、クロワッサンに切れ目を入れ始めた。

 オティアが戻ってくると、料理が一段階レベルアップしていた。

「ディフ、ちょっと作り過ぎだよ」
「さすがに余るか……よし、エリックに持ち帰らせよう」
「うん」

 シエンはそそくさとタッパーを持ち出し、サンドイッチを詰め始めた。

(どう言うことだ?)

 ディフの警戒スイッチを入れたはずなのに……知らない間に、あの金髪バイキングの人物評価が上がってる!

 計画失敗。オティアはしかめっ面をして、事の成り行きを見守るしかなかった。
 
 
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