▼ 【3-15-10】双子エスケープ
オティアはほっとした。控え室で、シエンと二人きりになって。
もともと人の多い場所は苦手なのだ。
結婚式と言う場所柄、何人もの客が出入りする。
そして誰も彼も打ち合わせでもしたみたいにカメラを取り出し、手当たり次第に撮りまくる。
顔も名前もロクに知らない相手が無造作にカメラ向けてくる。シャッターを押す前に一言『写真、いいかな?』と聞いてくる奴はまだいい。
中には断りもしないで撮る奴がいる。
写真は嫌いだ。
だが、この場では断るにしても限度がある。シャッターの音を聞くたびにいら立ちがつのり、つい、あんまりに無礼な奴のカメラを壊してしまった。
ほんの少し、力を加えてやったら簡単だった。もっとも瞬間的にいつもより強い力が出たのかもしれない。
感情が昂ると時々、こう言うことがある。
加えてパーティが始まると酒が入ってきたためか、気軽に人の背中をばしっと叩いて『おめでとう!』とがなり立てる奴も出て来る。
そんなガサツな『祝福』からシエンを守るため、始終神経をぴりぴりさせていなければならなかった。
しかもディフときたらことあるごとに自分たちのことを何やら人に話しているし。
わかってる。全て好意から来るものであって、決して悪意によるものではないと。
だけど正直、放っておいてほしかった。彼が自分とシエンのことを話せば話すほど、それだけ客の目が自分たちに向けられる。
ディフは雇い主としては信頼できる。自分を信用し、評価してくれていることもわかっている。
けれど、プライベートなこととなると……話は別だ。
ベタベタされたくない。
必要以上にかまって欲しくない。
この部屋に居れば、騒がしさからは隔離される。無遠慮に向けられるカメラのレンズからも。いきなり背を叩く大きな手からも。
ディフのことは……………自分の見聞きできない所で何を言われようが知ったことじゃない。
……それに、ここに居れば……。
「お、久しぶりぃ、ジャニス、カレン!」
「しっかしまあ君らもきれいになっちゃって!」
「ははっ、まさか。ゲイの男が女の子褒めるのに下心はないさ……写真、いいかな?」
でれでれと嬉しそうに女としゃべるヒウェルの姿も見ないですむ。
ゲイだと言っているくせに、あいつ、女の尻に敷かれてる方が似合ってるんじゃないか?
楽しげに写真を撮っていた。仕事用のデジカメではなく、主に古い方の銀版カメラで。
特にレオンとディフの写真を撮る時は、必ずと言っていいほど銀版カメラを使っていた。理由はわからないが、相当大事にしているらしい。
写真は嫌いだ。
闇色の記憶に直結しているから。レンズの向こうの冷たい眼を。体を容赦無くまさぐり、引き裂く大人の手を思い出してしまうから。
奴もそれを知っているから自分にはカメラを向けようとはしない。
(…………苛々する)
関係ない。
ヒウェルが誰と話そうと。
誰を写そうと。
「……オティア」
「ん」
「お茶……さめるよ」
「ああ」
控え室のテーブルには、アレックスが入れてくれた紅茶が二人分。カップからは優しい湯気がゆらゆらと立ちのぼる。
部屋で休んだらどうか、と言われた時、ごく自然にこっちの部屋に入っていた。
そもそも最初に控え室に入るときからしてこの部屋を選んでいた。レオンではなく、ディフの後をついて。
シエンがそうしたがったからだ。
ただ、それだけだ。
二人で向かい合って紅茶を飲んでいると、こん、こん、と控えめにドアがノックされた。
かすかにざわり、と胸の奥が波打つ。
「どうぞ」
よせ、シエン。そいつの顔は今、見たくない。
きぃ……とドアが開き、ヒウェルが顔をのぞかせた。
「……よぉ。入っても、いいか?」
仕方ない。
小さくため息をつく。
シエンはちらりとオティアの方を見て、それからヒウェルに目を向け、うなずいた。
「さんきゅ。助かったぜ……」
のこのこと部屋の中に入ると、ヒウェルはわざとらしくため息をつき、頭をかいた。
「やあ、高校ン時の同級生に質問攻めにされちゃってさあ……居づらいの何のって」
「……大変だね」
ちょっとシエンが苦笑する。質問の内容はだいたい想像がつく。きっとあの二人のことだろう。
「さんきゅ。お前もな。しんどいだろ、人多くて」
「ん……すぐにアレックスがこっちで休めるように、用意してくれたから」
「そうか。さすがだなアレックス」
シエンとヒウェルが話しているのを見ていると、少し収まっていた苛々がまた、ぶり返してきた。
ストレスの原因が自分から鼻先をつっこんできたのだから当然だ。
すっと立ち上がるとオティアはシエンとヒウェルの横をすり抜け、部屋を出た。
「あ」
ヒウェルは内心、舌打ちした。
失敗した……な。疲れてる時に俺の顔なんざなおさら見たくないだろう。人を空気扱いするのにもある程度気力ってのは消費するものなのだ。
「……そろそろ俺、会場に戻るよ。写真も撮らないと。だから……あいつに、気にせず休めって、伝えといて」
「……ヒウェル」
「ん? どした?」
「あ……うん。パーティの最後に記念写真、とるよね」
「ああ。とるよ。お前らと、あいつら四人そろって」
言いかけてから、はっとした。オティア個人を写すのは避けていたが、こればっかりは外せない。
結婚式の締めくくりの定番行事なだけについ、やるもんだと当たり前のように考えて、それをオティアがどう感じるかまで考えが及ばなかった。
「あ……オティア、写真、苦手だっけ」
「うん……でも、こういうのは……いいんじゃないかな」
びしっとヒウェルは右手の人さし指を立て、言い切った。
「わかった。一回だ。一回でベストショット決めるよ」
「うん」
その時、開けたままのドアから野太い声が聞こえてきた。いい具合に酒が入ってほぐれた声が。
「おぉーい、カメラマンどこいったー」
「うわ。あの声、もしかして」
「……レイモンドだな。SWATの連中と意気投合してたみたいだし」
にかっとヒウェルは笑うと、小さく手を振って会場に戻って行った。
「それじゃ、シエン、また後でな」
微笑んで見送ってから、シエンはひっそりとため息をついた。
※ ※ ※ ※
「……ふぅ……」
エリックはシャツの襟をゆるめて空をあおいだ。
レストランの駐車場で、一人。軒下で直射日光を避けながら立っている。アスファルトの照り返しはきつく、暑さがことさらにこたえる。
バイキングの末裔たる彼は寒さには強いが暑さには弱い。それなのに何故、こんな所にいるのか?
別に逃げてきた訳ではない。
ここにいるのにはれっきとした理由がある。まもなく到着するであろう友だちを出迎えるために待っているのだ。
「…………………………きれいだったなあ………」
目を閉じて思い浮かべるのは、タータンチェックをまとい幸せに輝く花嫁の笑顔、そしてぴたりと寄り添う白衣の花婿の姿。
容姿端麗にして頭脳明晰、そして彼とは相思相愛。
二人並んでいると改めて思い知らされる。自分の潜り込むすき間なぞ最初からありはしなかったのだ。
それでも会場の中でため息をつくのは自粛したし、本人を目の前に、笑顔で「おめでとう」と言えた。
とりあえず前進だ。
中休みぐらい、いいだろう。
ほう、とこれで何度目かのため息をつき、片手に携えたミネラルウォーターのボトルから一口、流し込む。
「あれ?」
透明なボトルと水の向こうで何かが動いた。
手を降ろして改めて目で見る。
紺色のタキシードにややくすんだ金髪、やせ形、白人、十代後半の男子。
あの顔には見覚えがある。最大限の努力を発揮して祝いの言葉を告げた時、芝生を横切っていった双子の片割れだ。
『あれ、なんか今同じ顔が二人いたような』
『オティアとシエンだ』
『ああ、センパイんとこでアシスタントしてる……』
『オティアの方がな。電話では何度か話してるだろ』
『ええ、有能な子ですね』
『……そうだろう!』
あの笑顔、どう見たって助手をほめられた所長の顔じゃなかった。息子をほめられた父親の……いや、むしろ母親の無邪気な笑顔。誇りよりもまず、愛おしさが勝る。
あれはオティアだろうか。シエンだろうか。
足早に、街に向かって歩いて行く。厳しい表情……おそらく、オティアだな。レストランを離れてどんどん歩いて行く。
いったい、どこに?
どうやら、気晴らしに外の空気を吸いに出たとか、ふらっとコークを買いに行く程度のお出かけではなさそうだ。
まさか、あのまま観光客で賑わう界隈まで行くつもりなんだろうか? あの格好で。
目立ちすぎる。未成年がたった一人で……しかも、お世辞にも穏やかとは言いがたい精神状態で。
放ってはおけない。
エリックは歩き出し、オティアの後を追った。体格差のおかげですぐに追いつくことができた。
「おーい、そこの、青いタキシード着てる君! ちょっと!」
少し離れた所から一声かけて。相手に届いたのを確認してから距離を詰めて改めて話しかける。
「君、オティアだよね? センパイの事務所のアシスタントの?」
「何の用だ」
ぎろり、と斜め下から見上げられる。鋭く光る紫の瞳の奥から無言の敵意と拒絶が発せられ、ひしひしと押し寄せてくる。
すさまじいほどの威圧感だ。
近づくな。
放っておけ。
(なるほど、君の意志はわかった。けれど、放っておく訳には行かないんだ。警察官として。君をとても大切に思ってる人の友人としても、ね)
むき出しの敵意をさらりと横に受け流し、のらりくらりと話しかける。Rの巻き舌がちょっと内にこもる感じの、濁音の強めなアクセントで。
幸いなことにこの北欧なまりは彼自身の『のほほん』とした外見と上手い具合にマッチして、適度に隙のある印象を与えてくれる効果があった。
威圧感が少なく、相手の警戒心を必要以上に刺激しない。だがこの少年相手にどこまでその効果に期待できるだろう?
「……そうか直に聞くと君、そう言う声なんだね……いつも電話越しにしか話さないから」
「用がないなら話かけんな」
「挨拶しておきたかったんだよ。いい機会だからね」
刺すような視線。まるで鞘から抜かれる直前のナイフだ。
(できれば穏やかに説得したいんだけどなあ)
今まで何度も凶悪な犯罪者と渡り合ってきたエリックだが、少しだけ背筋に冷たいものが走るのを感じた。
ぴくりとオティアの口の端がひきつり、何かを言いかけた。
(これは……来るな)
いいさ。多少言葉の刃で刺されたところでこっちは慣れている。むしろ自分で良かったと思おう。こんな状態で町中に出ていたらトラブルは必至だ。
腹をくくり、覚悟を決めたその時だ。
ぱたぱたと誰かが走って来る。紺色の上着のすそをなびかせて。
(あ、増えた)
少し長めのくすんだ金髪、優しく煙る紫の瞳。目、鼻、口、耳、そして骨格……ありとあらゆるパーツがそっくりの少年がもう一人あらわれた。
ひと目見るなり、思った。
(…………かわいいなあ……)
不思議なもんだ。まったく同じ顔が目の前にいるって言うのに。
当のオティア本人は、今度ははっきりと顔をしかめて、敵意むき出しの表情で睨んでいる。
シエン(だろう、こっちが)はぺこりと頭をさげて、そして何も言わずにオティアと二人で元来た方角へと引き返して行く。
「……仲いいんだな」
二人がレストランの中に入って行くのを見届けてから、ゆっくりと歩き出し、元の位置に戻った。
駐車場に戻ってからふう、とため息一つ。すっかり温くなったボトルの水を口に含む。
その時、見慣れた市警察のバンが走ってきて目の前の駐車スペースに止まった。前の左右の扉が開き、制服姿の警察官が二人降りて来る。
「よう、エリック!」
「やあ、ワルター。ネルソンも」
二人の警察官はきびきびとした動きで後部の扉を開き、中のケージを開けて一声。
「Come!」
その声に応えてのっそりと待機していた大型の動物が起きあがり、外に飛び出した。しなやかな背、太い足、頑丈そうな尖った顎。
首にはそろって蝶ネクタイ風のカラーを巻いている。
「やあ、ヒューイにデューイ。おいで、君たちの席はこっちだ」
ロングコートのブラックと、スムースのタン&ブラック。二頭のシェパードとそのハンドラーたちを案内して、エリックは中庭に向かって歩き出した。
「センパイも待ってるよ」
次へ→【3-15-11】白い翼
もともと人の多い場所は苦手なのだ。
結婚式と言う場所柄、何人もの客が出入りする。
そして誰も彼も打ち合わせでもしたみたいにカメラを取り出し、手当たり次第に撮りまくる。
顔も名前もロクに知らない相手が無造作にカメラ向けてくる。シャッターを押す前に一言『写真、いいかな?』と聞いてくる奴はまだいい。
中には断りもしないで撮る奴がいる。
写真は嫌いだ。
だが、この場では断るにしても限度がある。シャッターの音を聞くたびにいら立ちがつのり、つい、あんまりに無礼な奴のカメラを壊してしまった。
ほんの少し、力を加えてやったら簡単だった。もっとも瞬間的にいつもより強い力が出たのかもしれない。
感情が昂ると時々、こう言うことがある。
加えてパーティが始まると酒が入ってきたためか、気軽に人の背中をばしっと叩いて『おめでとう!』とがなり立てる奴も出て来る。
そんなガサツな『祝福』からシエンを守るため、始終神経をぴりぴりさせていなければならなかった。
しかもディフときたらことあるごとに自分たちのことを何やら人に話しているし。
わかってる。全て好意から来るものであって、決して悪意によるものではないと。
だけど正直、放っておいてほしかった。彼が自分とシエンのことを話せば話すほど、それだけ客の目が自分たちに向けられる。
ディフは雇い主としては信頼できる。自分を信用し、評価してくれていることもわかっている。
けれど、プライベートなこととなると……話は別だ。
ベタベタされたくない。
必要以上にかまって欲しくない。
この部屋に居れば、騒がしさからは隔離される。無遠慮に向けられるカメラのレンズからも。いきなり背を叩く大きな手からも。
ディフのことは……………自分の見聞きできない所で何を言われようが知ったことじゃない。
……それに、ここに居れば……。
「お、久しぶりぃ、ジャニス、カレン!」
「しっかしまあ君らもきれいになっちゃって!」
「ははっ、まさか。ゲイの男が女の子褒めるのに下心はないさ……写真、いいかな?」
でれでれと嬉しそうに女としゃべるヒウェルの姿も見ないですむ。
ゲイだと言っているくせに、あいつ、女の尻に敷かれてる方が似合ってるんじゃないか?
楽しげに写真を撮っていた。仕事用のデジカメではなく、主に古い方の銀版カメラで。
特にレオンとディフの写真を撮る時は、必ずと言っていいほど銀版カメラを使っていた。理由はわからないが、相当大事にしているらしい。
写真は嫌いだ。
闇色の記憶に直結しているから。レンズの向こうの冷たい眼を。体を容赦無くまさぐり、引き裂く大人の手を思い出してしまうから。
奴もそれを知っているから自分にはカメラを向けようとはしない。
(…………苛々する)
関係ない。
ヒウェルが誰と話そうと。
誰を写そうと。
「……オティア」
「ん」
「お茶……さめるよ」
「ああ」
控え室のテーブルには、アレックスが入れてくれた紅茶が二人分。カップからは優しい湯気がゆらゆらと立ちのぼる。
部屋で休んだらどうか、と言われた時、ごく自然にこっちの部屋に入っていた。
そもそも最初に控え室に入るときからしてこの部屋を選んでいた。レオンではなく、ディフの後をついて。
シエンがそうしたがったからだ。
ただ、それだけだ。
二人で向かい合って紅茶を飲んでいると、こん、こん、と控えめにドアがノックされた。
かすかにざわり、と胸の奥が波打つ。
「どうぞ」
よせ、シエン。そいつの顔は今、見たくない。
きぃ……とドアが開き、ヒウェルが顔をのぞかせた。
「……よぉ。入っても、いいか?」
仕方ない。
小さくため息をつく。
シエンはちらりとオティアの方を見て、それからヒウェルに目を向け、うなずいた。
「さんきゅ。助かったぜ……」
のこのこと部屋の中に入ると、ヒウェルはわざとらしくため息をつき、頭をかいた。
「やあ、高校ン時の同級生に質問攻めにされちゃってさあ……居づらいの何のって」
「……大変だね」
ちょっとシエンが苦笑する。質問の内容はだいたい想像がつく。きっとあの二人のことだろう。
「さんきゅ。お前もな。しんどいだろ、人多くて」
「ん……すぐにアレックスがこっちで休めるように、用意してくれたから」
「そうか。さすがだなアレックス」
シエンとヒウェルが話しているのを見ていると、少し収まっていた苛々がまた、ぶり返してきた。
ストレスの原因が自分から鼻先をつっこんできたのだから当然だ。
すっと立ち上がるとオティアはシエンとヒウェルの横をすり抜け、部屋を出た。
「あ」
ヒウェルは内心、舌打ちした。
失敗した……な。疲れてる時に俺の顔なんざなおさら見たくないだろう。人を空気扱いするのにもある程度気力ってのは消費するものなのだ。
「……そろそろ俺、会場に戻るよ。写真も撮らないと。だから……あいつに、気にせず休めって、伝えといて」
「……ヒウェル」
「ん? どした?」
「あ……うん。パーティの最後に記念写真、とるよね」
「ああ。とるよ。お前らと、あいつら四人そろって」
言いかけてから、はっとした。オティア個人を写すのは避けていたが、こればっかりは外せない。
結婚式の締めくくりの定番行事なだけについ、やるもんだと当たり前のように考えて、それをオティアがどう感じるかまで考えが及ばなかった。
「あ……オティア、写真、苦手だっけ」
「うん……でも、こういうのは……いいんじゃないかな」
びしっとヒウェルは右手の人さし指を立て、言い切った。
「わかった。一回だ。一回でベストショット決めるよ」
「うん」
その時、開けたままのドアから野太い声が聞こえてきた。いい具合に酒が入ってほぐれた声が。
「おぉーい、カメラマンどこいったー」
「うわ。あの声、もしかして」
「……レイモンドだな。SWATの連中と意気投合してたみたいだし」
にかっとヒウェルは笑うと、小さく手を振って会場に戻って行った。
「それじゃ、シエン、また後でな」
微笑んで見送ってから、シエンはひっそりとため息をついた。
※ ※ ※ ※
「……ふぅ……」
エリックはシャツの襟をゆるめて空をあおいだ。
レストランの駐車場で、一人。軒下で直射日光を避けながら立っている。アスファルトの照り返しはきつく、暑さがことさらにこたえる。
バイキングの末裔たる彼は寒さには強いが暑さには弱い。それなのに何故、こんな所にいるのか?
別に逃げてきた訳ではない。
ここにいるのにはれっきとした理由がある。まもなく到着するであろう友だちを出迎えるために待っているのだ。
「…………………………きれいだったなあ………」
目を閉じて思い浮かべるのは、タータンチェックをまとい幸せに輝く花嫁の笑顔、そしてぴたりと寄り添う白衣の花婿の姿。
容姿端麗にして頭脳明晰、そして彼とは相思相愛。
二人並んでいると改めて思い知らされる。自分の潜り込むすき間なぞ最初からありはしなかったのだ。
それでも会場の中でため息をつくのは自粛したし、本人を目の前に、笑顔で「おめでとう」と言えた。
とりあえず前進だ。
中休みぐらい、いいだろう。
ほう、とこれで何度目かのため息をつき、片手に携えたミネラルウォーターのボトルから一口、流し込む。
「あれ?」
透明なボトルと水の向こうで何かが動いた。
手を降ろして改めて目で見る。
紺色のタキシードにややくすんだ金髪、やせ形、白人、十代後半の男子。
あの顔には見覚えがある。最大限の努力を発揮して祝いの言葉を告げた時、芝生を横切っていった双子の片割れだ。
『あれ、なんか今同じ顔が二人いたような』
『オティアとシエンだ』
『ああ、センパイんとこでアシスタントしてる……』
『オティアの方がな。電話では何度か話してるだろ』
『ええ、有能な子ですね』
『……そうだろう!』
あの笑顔、どう見たって助手をほめられた所長の顔じゃなかった。息子をほめられた父親の……いや、むしろ母親の無邪気な笑顔。誇りよりもまず、愛おしさが勝る。
あれはオティアだろうか。シエンだろうか。
足早に、街に向かって歩いて行く。厳しい表情……おそらく、オティアだな。レストランを離れてどんどん歩いて行く。
いったい、どこに?
どうやら、気晴らしに外の空気を吸いに出たとか、ふらっとコークを買いに行く程度のお出かけではなさそうだ。
まさか、あのまま観光客で賑わう界隈まで行くつもりなんだろうか? あの格好で。
目立ちすぎる。未成年がたった一人で……しかも、お世辞にも穏やかとは言いがたい精神状態で。
放ってはおけない。
エリックは歩き出し、オティアの後を追った。体格差のおかげですぐに追いつくことができた。
「おーい、そこの、青いタキシード着てる君! ちょっと!」
少し離れた所から一声かけて。相手に届いたのを確認してから距離を詰めて改めて話しかける。
「君、オティアだよね? センパイの事務所のアシスタントの?」
「何の用だ」
ぎろり、と斜め下から見上げられる。鋭く光る紫の瞳の奥から無言の敵意と拒絶が発せられ、ひしひしと押し寄せてくる。
すさまじいほどの威圧感だ。
近づくな。
放っておけ。
(なるほど、君の意志はわかった。けれど、放っておく訳には行かないんだ。警察官として。君をとても大切に思ってる人の友人としても、ね)
むき出しの敵意をさらりと横に受け流し、のらりくらりと話しかける。Rの巻き舌がちょっと内にこもる感じの、濁音の強めなアクセントで。
幸いなことにこの北欧なまりは彼自身の『のほほん』とした外見と上手い具合にマッチして、適度に隙のある印象を与えてくれる効果があった。
威圧感が少なく、相手の警戒心を必要以上に刺激しない。だがこの少年相手にどこまでその効果に期待できるだろう?
「……そうか直に聞くと君、そう言う声なんだね……いつも電話越しにしか話さないから」
「用がないなら話かけんな」
「挨拶しておきたかったんだよ。いい機会だからね」
刺すような視線。まるで鞘から抜かれる直前のナイフだ。
(できれば穏やかに説得したいんだけどなあ)
今まで何度も凶悪な犯罪者と渡り合ってきたエリックだが、少しだけ背筋に冷たいものが走るのを感じた。
ぴくりとオティアの口の端がひきつり、何かを言いかけた。
(これは……来るな)
いいさ。多少言葉の刃で刺されたところでこっちは慣れている。むしろ自分で良かったと思おう。こんな状態で町中に出ていたらトラブルは必至だ。
腹をくくり、覚悟を決めたその時だ。
ぱたぱたと誰かが走って来る。紺色の上着のすそをなびかせて。
(あ、増えた)
少し長めのくすんだ金髪、優しく煙る紫の瞳。目、鼻、口、耳、そして骨格……ありとあらゆるパーツがそっくりの少年がもう一人あらわれた。
ひと目見るなり、思った。
(…………かわいいなあ……)
不思議なもんだ。まったく同じ顔が目の前にいるって言うのに。
当のオティア本人は、今度ははっきりと顔をしかめて、敵意むき出しの表情で睨んでいる。
シエン(だろう、こっちが)はぺこりと頭をさげて、そして何も言わずにオティアと二人で元来た方角へと引き返して行く。
「……仲いいんだな」
二人がレストランの中に入って行くのを見届けてから、ゆっくりと歩き出し、元の位置に戻った。
駐車場に戻ってからふう、とため息一つ。すっかり温くなったボトルの水を口に含む。
その時、見慣れた市警察のバンが走ってきて目の前の駐車スペースに止まった。前の左右の扉が開き、制服姿の警察官が二人降りて来る。
「よう、エリック!」
「やあ、ワルター。ネルソンも」
二人の警察官はきびきびとした動きで後部の扉を開き、中のケージを開けて一声。
「Come!」
その声に応えてのっそりと待機していた大型の動物が起きあがり、外に飛び出した。しなやかな背、太い足、頑丈そうな尖った顎。
首にはそろって蝶ネクタイ風のカラーを巻いている。
「やあ、ヒューイにデューイ。おいで、君たちの席はこっちだ」
ロングコートのブラックと、スムースのタン&ブラック。二頭のシェパードとそのハンドラーたちを案内して、エリックは中庭に向かって歩き出した。
「センパイも待ってるよ」
次へ→【3-15-11】白い翼