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ローゼンベルク家の食卓

【3-15】サムシング・ブルー前編

2008/07/06 18:25 三話十海
  • 2006年7月から8月にかけてのお話。
  • あの二人、とうとう挙式に踏み切ります。今回は準備編。
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【3-15-0】登場人物

2008/07/06 18:27 三話十海
  • より詳しい人物紹介はこちらをご覧下さい。
【ヒウェル・メイリール/Hywel-Maelwys】
 フリーの記者。26歳。
 黒髪、アンバーアイ、身長180cm、細身(と言うか貧弱)
 フレーム小さめの眼鏡着用。適度にスレたこずるい小悪党。
 オティアに想いを寄せるが告白段階で激しく自爆。
 もはや報われないことがステイタスとして確立した、本編の主な語り手。
 6/6生まれにつき年齢が1歳増えた。

【オティア・セーブル/Otir-Sable 】 
 不思議な力を持つ双子の片割れ。16歳。
 ややくすんだ金髪、紫の瞳、身長170cm、やせ形。
 極度の人間不信だがヒウェルには徐々に心を開きつつあった、が。
 告白の際に著しく心を傷つけられ、今はひたすら『空気』扱い。
 観察力に優れ、また記憶力は驚異的に良い。
 ポーカーフェイスの裏側で実は意外に心揺れ動いている。
 ディフの探偵事務所で助手をしている。
 超の字のつく本の虫。活字になってるものなら手当たり次第何でも読む。

【シエン・セーブル/Sien-Sable】
 不思議な力を持つ双子の片割れ。16歳。
 外見はオティアとほぼ同じ。
 オティアより穏やかだが、臆病でもろい所がある。
 また素直そうに見えて巧みに本心を隠してしまう一面も。
 ディフになついている。
 自覚のないままヒウェルに片想いしている。
 その一方で、オティアとのこじれた仲を取り持とうとする複雑な立ち位置に。
 レオンの法律事務所で秘書見習いをしている。
 キモノ・ガウンはタキシードを買いに行く時目撃したらしい。
 
【レオンハルト・ローゼンベルク/Leonhard-Rosenberg】 
 通称レオン
 弁護士。ヒウェルとは高校時代からの友人。26歳。
 ライトブラウンの髪と瞳、身長180cm、着やせするタイプで意外と筋肉質。
 一見、温厚そうな美人さん、実は腹黒。実家は金持ちだが家族への情は薄い。
 ディフと双子に害為す者に対しては穂高の槍の穂先並みに心が狭い。
 ヒウェルに対してはとことん容赦無い。
 ディフの旦那で双子の『ぱぱ』。
 無防備に色気をだだ流しにする奥さんに秘かに苦労が絶えない。

【ディフォレスト・マクラウド/Deforest-Macleod】 
 通称ディフ、もしくはマックス。
 元警察官、今は私立探偵。ヒウェルとは高校時代からの友人。25歳。
 ゆるくウェーブのかかった赤毛、ヘーゼルブラウンの瞳、身長180cm、肩幅やや広め。
 頑丈そうな体格だが無自覚に色気をふりまく困った体質(ゲイ相手限定)。
 裏表のない直情家、世話好きでおせっかいな熱血漢、時々天然。
 レオンの嫁で双子の『まま』。
 7月生まれにつき後半では年齢が一歳上がる。

【アレックス/Alex-J-Owen】
 レオンの秘書。もともとは執事をしていた。
 有能。万能。
 レオンさまと奥様のため今回もがんばる。

【エリック/Hans-Eric-Svensson】 
 シスコ市警の科学捜査官。ディフの警官時代の後輩、23歳。
 ライトブロンド、瞳は青緑色、身長186cm。
 金属フレームの眼鏡着用。
 招待されてるので後編には出ます。

【結城朔也】
 通称サリー。カリフォルニア大学に留学中の日本人。
 ディフやヒウェルの同級生だったヨーコ(羊子)の従弟。
 サクヤという名が言いづらいためにサリーと呼ばれているが、男性。
 タキシードを買うのにいろいろいろいろ苦労した。

【結城羊子】
 通称ヨーコ、もしくはメリィさん。
 サリー(朔也)の従姉。
 高校時代、サンフランシスコに留学していた。
 ディフやヒウェルとは同級生。現在は日本で高校教師をしている。
 夏休みを利用して日本からやって来る。
 ヒウェルの天敵。


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【3-15-1】報告

2008/07/06 18:28 三話十海
 携帯を開いて、実家の番号を選ぶ。
 お袋は固定電話派だ。自分では滅多に携帯を使わないし(そもそも持ってないし)、俺が携帯からかけるのもあまり喜ばない。
 百も承知の上で、あえて携帯からかける。引っ越したことはまだ伝えていない。それ以上に大きな変化も。
 
 コール音が鳴っている。この時間なら大丈夫だとは思うが、頼む、お袋。出てくれ………。

「ハロー、ディー?」

 良かった。出た。

「珍しいわね、携帯からかけてくるなんて?」
「うん……番号、変わったんだ。引っ越したから」
「あらあら、ずいぶん急ね! それで引っ越したのは家なの? 事務所なの?」
「家」
「どこに?」

 すうっと息を吸い込む。もう引き延すことはできない。

「隣だよ。レオンの部屋に引っ越したんだ。聞いてくれ、母さん……俺、結婚した」
「……誰と?」
「レオンハルト・ローゼンベルク」

 黙ってしまった。そりゃそうだよな。付き合ってる、恋人だってのもすっ飛ばしていきなり結婚だものな。びっくりしたろう……。
 だけど他に言うべき言葉が見つからなかったんだ。

「………………………そう。レオンと。彼なら…………………納得だわ」
「母さん?」
「そりゃ、ちょっとはびっくりしたけどね、ディー。あなたが結婚したいと思う相手ってだれだろうって考えてみたら……私もね、レオンしか思いつかなかったの」
「母さん……………………………」

 涙がにじみそうになる。ずっと理解してくれてたんだ、この人は。言葉にできない俺の本当の気持ちを……レオンとの間に育んできた絆を。
 俺は、何を恐れていたのだろう。何をためらっていたのだろう?

「幸せなんでしょ? 声を聞けばわかるわ。おめでとう、ディー」
「ありがとう、母さん………」
「………彼はいい子よ。大事にしてね」
「うん………俺の大事な人だ………それで、母さん」
「なあに?」
「父さんに代わってくれないか?」
「それは、やめておいた方がいいわね、今は」

 声のトーンが少しだけ下がっていた。テンポも心なしかゆっくりと。

「でも、俺、自分から話したいんだ」
「ディー。父さんには私から話すから。今は……ね。我慢なさい」
「……………………わかった」
「今度からは、あなたと話したい時はレオンの家にかければいいのかしらね?」
「……うん、まあ、そうなるね」
「これからはMrs.マクラウドじゃなくて『お母さん』って呼ばれるのね、私。ふふっ、楽しみだわ」


 ※ ※ ※ ※


 その頃。
 ジーノ&ローゼンベルク法律事務所の一室で、レオンもまた電話をかけていた。
 自分の携帯から、滅多に使わない本家の番号………それも当主への直通へ。
 しばらくコール音が響き、聞き覚えのある声が応じた。

「ああ……俺だ。うん。代わってくれ」

 ほんの少しの沈黙。やがてしわがれた……しかし往事の威厳を未だ留めた声が彼の名前を呼んだ。三音節の略称ではなく、正式な名前を。

「レオンハルト」
「……………お久しぶりです。実は報告することがあります」

 事実のみを淡々と伝える。

「結婚しました。」
「そうか……」

 淡々と応じてきた。

「相手はあの警官か」
「今は警官じゃありませんね」
「……………レオンハルト」
「俺は子供はつくらないほうがいいんです。おわかりでしょう」

 そして、電話を切る。別れの挨拶は省略した。
 これで、いい。義務は果たした。

 不意に手の中の携帯が鳴る。表示される名前を見て、自然と笑みが浮かんだ。

「……やあ。どうしたんだい?」
「いや……その……声が聞きたくなって」
「嬉しいね」
「…………お袋に、報告した。結婚したって」

 どきりとした。小鳥のようにさえずるMrs.マクラウド。ころころと明るい声で笑う彼女を、いったいどれほどの衝撃が襲ったのだろう。
 いや、待て。
 ディフの声はあくまで穏やかだ。

「それで……彼女は、何と?」
「俺が結婚したいと思う相手は、お前以外に思いつかなかったって…………」
「………………そうか………………」

 半分、肩すかしを食らったような。半分、面食らった気分になった。
 おおらかな人だとは思っていたが、まさかこれほどとは予想外……いや。何となく、わかっていたような気がする。
 直接会ったことはないけれど、彼女ならそう言ってもおかしくはないと。ディフを生み、育てた人なのだから。

「お前に『お母さん』と呼ばれるのが楽しみらしいんだ。いっぺん呼んでやってくれ」
「ああ……光栄だね。それじゃ、もうすぐ帰るよ」

 少しだけ低い声で囁きかける。電話の向こうにある彼の耳に吹き込むようにして。

「愛してる」
「…………………ああ。俺も、愛してる」
 
 応える声がほんの少し、震えていた。
 可愛いな。きっと耳まで赤くしているだろう。

 電話を切ってから気づいた。
 ディフは父親のことには一言も触れてはいなかった、と。警察を辞めて以来、何となく疎遠になっていると感じてはいたが……。
 開放的なサンフランシスコと比べてテキサスは伝統を重んじる。全ての男は強くあれ、そして女を娶れと。
 少しだけ胸が重くなった。

 また、自分はディフを彼の父親から遠ざけてしまったのかもしれない。


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【3-15-2】アレックスがんばる

2008/07/06 18:30 三話十海
 私の名はアレックス・J・オーウェン。
 父祖の地ヨーロッパに居る頃より代々、ローゼンベルク家に付き従ってきた一族の末裔である。
 現在はローゼンベルク家のご嫡男にして唯一の直系跡継ぎ、レオンハルトさまのもとで秘書として働いている。
 レオンさまが法律事務所を設立し、本家には戻らないと決心なさった段階で執事としての職は辞したものの、心の中では今も変わらぬ気持ちでお仕えしている。

 そのレオンさまが、ご結婚なされた。
 
 お相手は高校時代の後輩。性格も真面目で面倒見もいい。私の目から見てもまっすぐで気持ちのいい気性の持ち主だ。体も健康そのもの、料理も上手い。
 何よりレオンさまのことを心から愛している。
 なるほど、確かにディフォレスト・マクラウドは男性だ。結婚も法的な拘束力を持つものではない。あくまで事実婚、結婚証明書も発行されない。しかしそれが何だと言うのだ? 
 無条件の信頼と好意、そして時には母親にも似た深い愛情。あたたかな抱擁、家庭的な料理、そして笑顔。
 レオンさまの人生に欠けていたもの全てを彼は与えてくれる。

 お二人が結ばれることが、何よりの幸せなのだ。
 レオンさまにとっても、マクラウドさまにとっても。

 ……いや、これからは奥様とお呼びするべきなのだろうか……さすがに、それは……あまりに………彼の姿形に、そぐわない。(内面はともかくとして)
 ご本人との協議の結果、これまで通りマクラウドさまとお呼びすることに決めた。

 お二人が指輪を交わしたのは6月の最初の週だった。以来、互いを唯一の伴侶として共に暮らしている。
 レオンさまは私にも相談なさらずご自分でメイデン通りの宝石店に赴き、結婚指輪を買い求められた。部屋いっぱいのマーガレットの花束まで添えて。
 何もかもお一人で準備して、お一人でやり遂げられた。
 少し寂しいような……いや、それだけレオンさまも成長なさったと言うことなのだろう。

 その代わり、オティアさまとシエンさま、そしてマクラウドさまのお引っ越しの際には全面的に差配を任せてくださったので、腕を振るって取り仕切った。

 そして、7月の最初の週。お二人が結婚してから一ヶ月が経とうかと言うある日、レオンさまがおっしゃった。
 お茶の支度でも申し付けるような、さりげない口調で。

「アレックス。結婚式を行いたいんだ」
「結婚式、でございますか?」
「彼がしたいと言うのでね」
「さようでございますか」
「式の全てを任せたい」
「…………かしこまりました」

 何と言う歓び。何と言う光栄。

 しかし私の感性は、このサンフランシスコの解放的な空気には、いささかそぐわない傾向がある。正直、チャペルを手配するかどうか、根本的な部分でまずつまづいてしまった。
 ここはどなたかにアドバイスをいただくべきだろう。
 もっと、この街の気風と流儀を心得た方に。

 
 ※ ※ ※ ※


「ナニ、あいつらの結婚式? OK、まかせとけ。いっくらでもお手伝いいたしましょう!」

 メイリールさまはにやりと笑って片目をつぶり、冗談めかした口調で付け加えた。

「もちろん、ノーギャラでね」
「ありがとうございます」
「最近じゃ、ゲイの結婚式を執り行ってくれるチャペルもあるけど……司祭さんも、場所も、クリスマスん時に行ってる教会とは違うもんな」
「はい。それで、ご相談にあがったのです」
「レストラン借り切って、人前式でやった方がいいんじゃないか」
「人前式……で、ございますか」
「ああ。招待した友人一同を証人にして永遠の愛を誓うんだよ。最近は男女のカップルでもその形式でやる人らもいる」
「なるほど。それは思いつきませんでした」
「それと、席決めるんじゃなくてカジュアルに立食式にした方がいいかもしれない。招待状出した客以外にも、ふらっと予定外の奴が顔出して、おめでとうって言えるように。あと飾り付けはレインボーフラッグを忘れずにな。あいつらの好み聞いたらそれこそ清楚に白と青だけで、なんてことになりかねない!」

 流暢な口調でよどみなく言い切ってから、メイリールさまはふと言葉を区切り、目を伏せた。
 
「……できるだけ沢山の人間に祝って欲しいんだ。知って欲しいんだ。あいつらはお互いに唯一の存在で……もう他の誰にも引き離せない。ディフはレオンだけのもので、レオンはディフだけのものなんだって」

 黙ってうなずき、同意を示す。

「証明してやりたい。安心させてやりたいんだ」

 メイリールさまは目をすがめて空中を睨み、口の端に噛んだ煙草をぎりっと噛んだ。(ご本人の部屋なのだが、私を気づかい火は着けずにいてくださる))

「人の口に戸は立てられない。だったら情報量で勝負だ。どーっと大量の佳い知らせをぶちまけて、あいつらにまとわりつく薄暗い影をぜーんぶ吹き飛ばしちまいたいんだよ、この際!」
「私も……そのように思います」

 おやおや。目を丸くして口をぽかーんと開けておられる。煙草がぽろりと落ちた。
 私が積極的に自分の意見を述べることは滅多に無い。それが執事の勤めであり、本分と心得ている。
 どうやら、珍しくこの方の意表を突くことができたらしい。思わず笑みがにじんだ。ほんの少しだけ。
 
「それでは……スケジュールを取り決めて、店を手配して参ります。また、何かありましたら」
「ああ。いつでもどうぞ! ブラジャーからミサイルまで、なーんでもそろえてみせるぜ。」

 はて?
 ブラジャー?
 ミサイル?

 ガーターベルトならまだわかるのだが。

「おそれながらメイリールさま。どちらも結婚式には、あまり縁の無い物と思われますが」
「いや……その……………ジョークだから、これ。知らない?『特攻野郎Aチーム』」
「あいにくと存じ上げません」
「ああ……そう。そうだよな、うん」


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【3-15-3】ヨーコさんが来る!

2008/07/06 18:31 三話十海
 7月の始め、ぼちぼち招待状の発送も一区切りついた頃。
 ちなみに招待状の文面はアレックス監修のもと、俺が原文を書かせていただいた。ギャラは手作りのランチ一回分。なかなかいい仕事だったし出来映えも気に入ってる。

 式の打ち合わせにかこつけて、マクラウド探偵事務所を訪れたら子ども(kids)が一人増えていた。
 ………。
 いや、ちがうな、サリーが来てたんだ。双子と、ディフと一緒にソファに腰かけてお茶を飲んでいる。微妙に疲れたような顔をしていた。

「よ。サリー、来てたのか」
「こんにちは」
「食い物のにおいに釣られてきたか?」
「……まあ、そんなとこ」
「はい、これ」
「サンキュ」

 シエンが皿に乗せたコーヒーケーキを渡してくれる。ほんの少しシナモンを効かせた、ナッツとクルミのぎっしりつまったほろ苦いケーキだ。
 手づかみでがつがついただいた。甘さが控えめになっているし、定番のリンゴも入っていない。例に寄ってアレックスのお手製だな。
 オティアは相変わらず小さめに切ったケーキを黙々と食べて、茶を飲んで……こっちをちらとも見ようともしない。

「これ、式で演奏するバンドの候補リストと……デモ演奏。CDに焼いてきた」
「おう、すまんな」
「こっちはアレックスとレオンの分。上に行くとき、届けてくれるか、シエン?」
「ん。わかった」
「で………何で、サリーがここに?」
「買い物の途中に会ったんだ」

 事務所の中を見回すと、確かにソファの上に洋服屋の包みが置いてある。つやつやの紙ぶくろの中には、平べったい箱。銀色の文字で店の名前が箔押しされている。
 どうやら、シャツや靴下の類いを買ってきた訳じゃなさそうだ。

「ああ……タキシードか」
「ええ。タキシード、なんです」

 どこで会ったかはあえて聞くまい。
 おそらくジュニア用のコーナーだろう。日本人のサリーにとっては、こっちの服は根本的にサイズがでかすぎるのだ。

「どうよ、いいの見つかった?」
「ああ。長く使えるようにちょっと大きめの買って、少し詰めてもらった」
「育ち盛りだもんな、二人とも」
「お前もタキシード準備しとけよ? いつものその格好でうろちょろするつもりじゃなかろうな?」
「はっはっはっは、やだなあ、そんな事……」
「ちょっとは考えただろ」
「何、心配するな、俺には裏技がある。こー、『PRESS』と書かれた腕章さえつけときゃ、あら不思議。どんなにきちんとしたパーティでも出入り自由に!」
「んな訳あるかっ!」
「……ヒウェル、タキシード持ってるの?」

 心配そうな顔でシエンに言われちまった。参ったな。そんな顔されたら、下手なジョークをこれ以上ひっぱる訳にも行かない。

「大丈夫、ちゃんと持ってるよ。仕事の関係で、きちんとした席に出入りすることもあるからな」
「クリーニングに出しとけよ?」
「OK、まま」
「誰が貴様のままだ」

 ……あれ?
 なんか、こう、今までと微妙に口調が違うような。ちらっとディフの様子をうかがう。歯も剥いてないし、唸ってもいない。
 さらっと流された感じだ。

「……どうした、鳩が豆鉄砲食らったような顔して」
「いや。何でもない」

 変わったなあ、こいつ……レオンのプロポーズ受けてから。

「そうだ。お二人がそろったところで、お伝えしたいことがあるんです」

 サリーがおもむろに口を開いた。

「実は残念なお知らせが」
「何だ? 都合悪くなったのか、もしかして」
「いいえ。………………………日本から」
「に、日本から?」

 ごくり、と喉が鳴る。不吉な予感に鳥肌が立つ。

「…………………………………来るよ」

 ぴきーんと一瞬、全身が凍りついた。主語が省かれていたが、サリーが言うってことは。日本から来るってことは。
 あの女以外に、あり得ない!
 頭の隅っこでエマージェンシーの赤いランプがぺかぺかと点滅し、サイレンが鳴り響く。
 手が。足が、かくかくと震え出した。

「来るのか………来ちまうのか!」

 シエンも。オティアさえ、きょとんとしている。
 わからないだろうなあ。
 うん、わからなくて幸いだよ、君たち。

「うん、来るらしい……」
「海軍をっ! いや、空軍でも可っ」
「お前は……何を血迷っとるんだ。ゴジラじゃあるまいし」
「俺的にはゴジラの方がいいっ」

 ディフはじとーっと三白眼で俺の顔をねめつけてから軽く首を横に振り、サリーの方に向き直ると目を細めてほほ笑んだ。

「そうか。ヨーコが来てくれるのか」
「ちょうど学校が夏休みに入るからね」
「OK! 大歓迎だ。一人分、招待客のリストに加えとくよ」

 嬉しそうだね、おい……そりゃそうだよな、お前とは彼女、気が合ってたもんなあ。だけど、俺にとっては………。
 カタカタと奥歯が鳴る。忘れもしない高校時代、あの女に受けたダイヤの刃より鋭い突っ込みの数々が走馬灯のようにばーっと目の前をよぎって行く。

「来る……ヨーコが来る………」

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※月梨さん画。「来る! きっと来る!」

 恐怖にうち震える俺を、双子とディフが不思議そうに眺めていた。

「そんなに怖いのかな……」
「あいつだけだろ」
「別に、なあ。ちょっと気の強いとこはあったが普通の女の子だったぞ?」

 サリーは黙して語らず。ただ笑顔のみ。

「いつ来るんだ?」
「式の四日前に」
「そんなに早く来るのか!」
「せっかく来るんだから、あちこち見て回りたいし、友だちにも会いたいそうです」
「そうか。だったら空港に迎えに行くよ、俺。荷物も多そうだしな」
「ありがとう、ディフ。助かります。彼女、着物着るって言ってたから」
「キモノ?」

 シエンが目をぱちくりさせて首をかしげた。

「あのツルツルの薄いガウン? あんなので結婚式出ちゃうの?」
「あ……いや、あれとは、ちょっとちがうんだ。本物の日本の着物。伝統的な民族衣装だよ」
「ふぅん……」
「滅多にない機会だから見ておくといい。落ちついた色合いなのに、不思議と鮮やかで、目が引きつけられる。きれいだぞ」
「そうなんだ」

 ぼそっと付け加えた。

「着てる本人はともかくな」

 その瞬間、背筋にぞーっと冷たいものが走り………思わず周囲を見回した。
 まさか、な。
 聞こえちゃいないよな、ヨーコ?

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※月梨さん画「恐怖にうちふるえるヒウェルのアップ」

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【3-15-4】結婚の贈物

2008/07/06 18:32 三話十海
 その夜。
 夕飯が終わってから、リビングでレオンとディフと三人で改めて式の打ち合わせをした。

「それで。式に使う花は全部『エリスおばさんの店』に発注すりゃいいんだな?」
「ああ」
「ブーケがないから、ブートニア(新郎が胸につける花)の花を青いのにしようか」
「いいっすね、矢車菊とかコーンフラワーとか……ああ、やっぱりブーケは必要か」
「何?」
「だって、最後に投げるだろ?」

 ディフが無言でべきっと指を鳴らした。

「……わかったよ。じゃあミニサイズのやつを一個」
「小さくすりゃいいってもんじゃねえだろうが!」
「誤解すんな、お前用じゃない」

 テーブルの上にライオンと並んで座るクマの頭をぽん、と叩く。

「こいつ用だ」
「それだ。何だっていきなり、ぬいぐるみとってこいだなんて言ったんだお前?」
「なぁに、ちょいとサイズ計っておこうと思ってね……こいつらには大事なお役目を果たしていただく」

 すちゃっと持参したメジャーを取り出し、引きのばす。

「当日、忙しい新郎新婦に代わって受け付けでお客さんを出迎えていただくんだよ。ウェルカムベアーと、ウェルカムライオンだ」

 くすっとレオンが笑った。

「面白いことを考えるね、ヒウェル」
「見た事ありません? 結婚式で……。普通はそれ専用のを用意するんだけど、今回はこいつらがいるから」

 てきぱきとライオンの首周り、腕の長さ、太さ、胴回りを計って行く。

「衣装もオーダーメイドするとか言わないよね、ヒウェル?」
「いや、さすがにそこまでは。ぬいぐるみ用の衣装って最近は種類が豊富だから、多分見つかりますよ……はい、ご苦労さん、次は君」

 続いてクマの採寸をしていると、ディフがぼそっと言った。

「まさかとは思うが。ドレス着せてやろう、なんて思ってないだろうな?」
「は? はははっ、ま、まさか。そーんなこと、考える訳ないじゃないかっ!」
「本当に?」
「ブーケは持ってもらうけどな」

 ぎろり、とにらまれた。さあ、ようやく当初の話題に戻ってきたぞ。

「だってお前、ライオンは花、持てないだろ? うつぶせだから」
「………そうだな」

 あっさり納得しやがったよ。素直だねえ、助かった。

「さてっと、打ち合わせは今夜はここまでにしときますか……おっと、そうだった」

 上着のポケットからかねてより準備してきたブツを取り出した。白い包装紙につつまれ、青いリボンのかかった手のひらに乗るくらいの箱を、まず一つ。

「これ……俺からの結婚プレゼント」

 ディフはぱちぱちとまばたきして、それからレオンの方を振り向いた。
 レオンがゆっくりうなずく。

「……ありがとう」

 骨組みのがっしりした手の中に押し込み、ぎゅっと握ると静かににぎり返された。少しの間そのまま。そして、手を離す。
 レオンから無言の圧力が飛んでくる前に、速やかに。

 しゅるしゅるとサテンの青いリボンがほどかれ、包み紙が開かれる。箱がかぱっと開いて、中からブローチが一つ現れた。
 小指ほどの長さの、ころんと丸い楕円形のブローチ。細い金属の枠にはまった白いエナメルの中に、金色の百合が象眼されている。

「これは?」
「両親の遺品の中に入ってた。誰の物か、どうしてあったのかはわからない。裏に刻まれてるのも、親の名前じゃないし……」

 ディフは注意深くブローチを裏返し、視線を落した。細められたヘーゼルの瞳が、刻まれた手彫りの文字を一文字一文字読み取って行くのがわかった。

「……アニス・ベリンガー、か」
「ああ。俺の持ち物の中じゃ、おそらく一番古い。良かったら使ってくれ」
「something old(古いもの)兼、something borrow(借りたもの)だね」
「まあ、そんなとこで。んでもってこれが……」

 ごそっとズボンのポケットをまさぐり、今度は小さな紙袋を一つ取り出した。

「something blue(青いもの)」

 ディフは受け取り、中味を手のひらに取り出して……ひくっと顔をひきつらせた。

「き、さ、ま」

 おお、久々に聞いた気がするぞ、地獄の番犬の唸り声。

「……けっこー苦労したんだよー。お前さんの太ももにはまるだけのサイズのウェディング用のガーターベルト、探すの。見ろよ、このフリルたっぷりのレース! なかなかいいものだろ?」
「これを俺に着けろと言うか!」
「いーじゃん別に見るのはレオンだけなんだし? ブーケトスがないんだったら、せめてガータートスぐらい……」

 べしっと青いガーターベルトが顔に投げつけられる。

「ブローチだけ借りておく」

 まだ、ほんの少しムッとした顔で、それでも奴は言ってくれた。

「ありがとな……ヒウェル」
「どういたしまして」
「青いものは、もうあるんだ」

 そう言ってディフは奥に行くと、すぐに小さなベルベットの箱を手にして戻ってきた。かぱっと開くと、中にはカフスボタンが二組並んでいる。
 四角い金属の枠の中に透き通った濃い青の石がはまっていた。雲一つなく晴れ渡るカリフォルニアの空の色。透き通った、にごりのない天上の青。

「これ……サファイアか」
「ああ。テキサスから……お袋から送られてきた」
「お袋さん、式には?」

 目を伏せて、首を横に振った。口元に浮かぶ寂しげな笑みが語っている。
『しかたないんだよ』と。

 レオンがディフの肩を抱き、引き寄せて頬にキスをした。
 ったく、こいつは結婚してから周りを気にしなくなったよ、ほんと! むしろ、こっちが気になるっつの。

「親父が来ないって言うからな。必然的にお袋も、兄貴も………」
「そっか。兄さんは何て?」
「ん、電話でおめでとうってな。今時ゲイなんか珍しくもないし」

 ディフはレオンの手を軽く握った。

「お前を泣かせるなよって、言われた」

 どうやら、ジョナサン・マクラウド警部補はなかなか現代的思考の持ち主でいらっしゃるらしい。しかし、さすがにどっちが嫁か、と言うことまでは看破できなかったようだ。

 レオンは何も言わずにまたキスをした。
 今度は額に。
 いかん、いかん。これ以上こいつらと一緒にいたら……あてられちまう。
 早々に退散することに決めた。

「それじゃ、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
「おやすみ」

 青いガーターベルトは忘れたフリして置いてきた。
 そりゃ、俺が着けろと言えば怒るだろうが。レオンがリクエストしたら……ねぇ?
  
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 部屋に戻ってから、必要なものを改めて手帳に書き出す。
 エリスおばさんの店へ、花の発注。

 それからぬいぐるみ用のタキシードと………ああ、花嫁用のティアラも探しておかなきゃな。
 約束通り、ドレスは着せないよ。
『ドレス』は、ね。


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【3-15-5】ヨーコさんが来た!

2008/07/06 18:33 三話十海
 
 8月の陽射しはほんの少し7月よりは秋に近く、それでもまだまだ目を射抜くほど強い。
 鋭い陽の光は濃い影を落とし、目に写るもの全てを鋭く縁取り、くっきりと浮び上がらせる。光はよりまぶしく、影はより黒く。
 光と影の強烈なコントラストの中を、乾いた風が吹き抜けてTシャツの袖やラフに羽織った上着のすそをふわりと舞い上げて行く。

 式の四日前、ディフはサリーと一緒にサンフランシスコ国際空港の到着ロビーに居た。
 日本からの客を出迎えるために。

「そろそろか?」
「……もうちょっとかな……ああ、来ましたよ」

 すっとサリーの指さす先には、デニム地のクロップドパンツに青いインナー(タンクトップかキャミソールかは現時点では判別不可能)の上に白いシャツジャケットを羽織った眼鏡の日本人女性が歩いていた。
 きりっとした顔立ちに、弾けるようにみずみずしいオレンジの口紅と眼鏡の赤いフレームがよく映える。がらがらと赤い革の車輪付きトランクを引っぱり、軽快な足どりでまっすぐに向かって来る。

「電話したのか? 彼女が降りてから……ここに来るまでの間に」
「いいえ?」
「よくわかったな、ヨーコ。俺たちがここで待ってるって」
「まあ、何となく……うわっ」
「Hi,サクヤちゃん久しぶりーっ」

 いつの間に来たのだろう。
 ヨーコがぴょんっと従弟に飛びつき、全力で抱きしめていた。

「何、急にアメリカナイズされてるの」
「郷に入っては郷に従えってやつ? キスは自粛したよ?」

 確かに到着ロビーのあちらこちらでは熱烈な抱擁とキスが繰り広げられてはいたが。
 強烈なハグとほお擦りにずれた眼鏡を整えつつ、サリーはくいっと指さした。

「なーに?」

 言われるままにヨーコが指さす方を見ると………久しぶりに出会った同級生が、微妙にあっけにとられてこっちを見ていた。

「………………やあ、ヨーコ」

 ……うん、確かに彼だ。高校生の時より背が伸びてがっしりしているし、声も低い。
 あどけない子犬(ただし、大型犬)からすっかり大人の男に成長していたが、ヘーゼルナッツの色をした優しげな瞳は変わらない。

「Hi,マックス。元気ぃ?」

 サリーを抱きしめたまま、はたはたと手を振っていると腕の中からぼそっと突っ込みが入る。

「ハグは?」

 素早くヨーコはサリーから腕をほどき、新たな標的に飛びついた。

「……ひさしぶりぃ」
「ヨーコ……………………………………………………………………………………い、いま、むにってなった」

(………いきなり何口走るかなこの人妻は。ってか、この程度の接触で頬染めて、己は高校生かっ!)

「ハイスクールの時はあんなにぺったんこだったのに」
「……久々にこれやっとくか。ああん?」

 ちゃきっと拳を握ると、ヨーコはディフのこめかみを挟み込んで人さし指の第二関節を押し当てて、ぐりぐりと抉った。

「いでで、いで、いでーっ」

 さすがに、シスコの出迎え風景の中でもこれは他にやってる人間はいない。
 再会の挨拶を交わすふたりをにこやかに見守りつつ、さらりとサリーが説明した。

「日本には優秀な下着メーカーが」
「サクヤちゃん?」

 しみじみした口調でディフが言う。

「……すごいな、日本の下着メーカー」
「そこ、素直に感心するな」

 男二人にこんなことを言われても、ちっともセクハラに聞こえないのはある意味希少なことだとヨーコは思った。

「別に急にこうなった訳じゃないわよ。留学終わって、帰ったあたりからめきめき成長が始まってね」
「ああ、なるほど」
「やーっぱアメリカンフードが効いたのかなぁ……」
「あんまり関係ないと思う」
「そう言えばマックス」

 そっとヨーコはかつてのクラスメイトの頬に手を当てた。

「そばかす、すっかり消えちゃったのね」
「ああ、君が帰ってからどんどん薄くなってね」
「お互い、大人になったってことか」

 濃い褐色の瞳にのぞき込まれ、ディフはふと目眩にも似た感触を覚えた。まるで時間が巻き戻ったような気がした。

「結婚、おめでとう。まさかあなたに先越されるとは思わなかった」
「……ありがとう」

 くすっと笑うと、ヨーコはちょん、とディフの鼻をつついてから手を離した。

「よーこさんずっと飛行機のりっぱなしで疲れたろ、どーする?」
「そーね、さすがに足がむくんじゃったし。とりあえずホテルで一眠りしよっかなー」
「時差ボケになるよ」
「じゃ、ごはんたべる」
「ok。リクエストは」

 にっぱーっと満面の笑顔でヨーコは言い切った。

「カニ!」
「はいはい」
「ヒウェルがいればもっと楽しかったのに」

 顎に手を当てて心底残念そうにつぶやく従姉にサリーは思わずため息をついた。

「…………昔からいじめてたんだ」
「ああ。昔っからいじめてた」
「けっこう親切でいいひとなのになぁ」
「…………サクヤちゃん! ごまかされちゃだめよ。あいつはヘタれの自爆男なんだから!」
「いや、ヨーコ、そこまで言わなくても…………………あ、いや………………事実なだけに………フォローできん」
「………いやヘタレで自爆男でも俺には害ないから」
「ま、それもそうね」

 当人が目の前にいないのをいい事に三人ともある意味言いたい放題、容赦無し。

「で、素朴な疑問なんだけど。いつ、どこで親切にしてもらったの?」
「この間中華街で会っていっしょに食事に……あ」

 しまった。
 心の中でサリーは呟いた。
 この手の話題に、よーこさんが食い付かないはずがない。いつ、いかなる時でも場所でも。
 果たして、赤いフレームの眼鏡の向こうの瞳がすっと細められた。

「それって……デートって言わない?」
「デートなのか?」
「デートでしょ」
「約束して待ち合わせたわけじゃないからデートじゃない」
「じゃあ、ナンパ!?」
「ナンパなのかっ?」
「店教えてもらっただけだよ」

 ヨーコはずいっとサリーに顔を寄せ、日本語で問いかけた。

「ほんとにほんと? ネクタイで手首縛られたりしなかった?」

 何を『観た』んだろうなあ、よーこさんってば……。
 ちょっと苦笑して答えた。

「されてないよ」
「そう……だったら問題ないわね」
「今何て言ったんだ、ヨーコ」
「企業秘密」

 さらりと英語に切り替えると、ヨーコは眼鏡を外し、度付きのサングラスにすちゃっとかけかえた。

「じゃあ、カニ食いに行こうか!」

 胸を張ってすたすたと歩いて行く彼女の後をついて行きながらディフはひそかに首をかしげた。
 いったい、彼女はどうやって知ったのだろう?
 そっちのパーキングに自分が車を停めたってことを。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 ヨーコはフィッシャーマンズ・ワーフのレストランでばくばくとカニを平らげ、その後スタンドでアイスを食べ、仕上げにスターバックスでカフェラッテのVサイズをくいくいと流しこんだ。
 相変わらずパワフルな子だ。
 食って体力回復するタイプだな。

「はー、美味しかった」
「気に入ってくれて良かったよ……それで。晩飯は家で食ってくよな?」
「いいの?」
「ああ。子どもらにもレオンにも言ってある。それに、晩飯にはヒウェルも来るし」

 ヨーコは少しだけ目を伏せて、「ありがとう」と言った。

「できればお土産、式の前に渡しておきたかったし……」

 そして、オレンジ色のルージュを引いた唇の端をきゅうっと上げて笑ったのだった。

「会いたかったんだあ、ヒウェルにも」

 そっとサリーが行儀良く目をそらしていた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「こんにちは、Mr.ローゼンベルク。お会いできてうれしいわ。この度はご結婚、おめでとうございます」
「ありがとう」

 にこやかにレオンと挨拶を交わしている。
 そつのない言い回しと物腰だ。公式な場での挨拶にも、礼節を守り、適度に距離を保った言い回しにも慣れているらしい。
 大人になったんだな、彼女。
 双子のことも子ども扱いせずにきちんと挨拶をして、紅茶のカップを渡されたりすると礼を言う。
 存在を認めていることを適度に伝えつつ、必要以上に構うことはない。お陰でオティアも、シエンもそれほど緊張せずにいられているようだ。

「それでね。これ、お土産」

 テーブルの上に色鮮やかな布が並べられる。全部で五枚。
 緑を基調に白い独特の渦巻き模様の描かれたもの、エンジ色に淡い薄紅の花びらを散らせたもの、藍色に雲と月をあしらったもの、薄い藤色の地に右端にさっと斜めにオレンジが入ったもの。金茶色に一面に白く桜の花を染め抜いたもの。
 シエンがちょこんと首をかしげた。

「ハンカチ? ストール?」
「フロシキって言うの。ちょっとした物を包むのに便利なんだよ。あ、このボトル借りるね」

 ワインのボトルを手にとると、ヨーコはさっさっと手際良く包んで、ぷらん、とぶら下げた。
 どうなってるんだ? 布一枚しか使ってないのに、まるで専用のバッグに入れたみたいだ。

「お弁当包むのにも便利ね。それから……」

 しゅるりと布がほどかれる。やっぱり、どこから見てもただの布だ。ボタンもチャックも見当たらない。

「こうすると、ほら、手提げバッグになるし」
「すごい! 二カ所結んで、かたっぽにもう片方を潜らせるんだね?」
「そそ、ここと、ここを結んで……ね。好きなの選んで使って、よかったら。あ、でもこれはヒウェルの」

 にこにこしながらヨーコはうずまき模様の緑のフロシキをヒウェルに押し付けた。

「あ……ありがとう」

 何故か逃げ腰で受けとるヒウェルを見て、サリーが遠慮がちに切り出した。

「……それは日本の伝統的な模様で」
「うん、そんな感じだな」
「………唐草模様っていうんだ」 

 何かをあきらめたらしい。ふっと一瞬、遠くを見ていた。

「へえ、カラクサって言うのか」
「そう、カラクサ」
「元々はヨーロッパから伝わったものみたいだけどね〜」
「そうね、ケルトの渦巻き紋様にも似てるしルーツはおそらくあの辺でしょうね。ペルシャ経由でシルクロードを通って伝来したのよ、日本には」
「ペルシャ?」
「そうよ」

 土産を包んでいた包装紙を広げると、ヨーコはさらさらとペンを走らせ、世界地図を描き出した。フリーハンドだから少し歪んではいたが、正確だ。
 双子が興味津々にのぞきこむ。

「ここがアメリカで。こっちがユーラシア大陸。ここがペルシャ。で、ずーっとこの道を通って………」

 するすると赤いラインが伸びて行く。大陸を横切り、東の果ての小さな細長い島国へ。

「中国を通って。海を渡って、日本に到着、と!」

 オティアが小さくうなずいている。表情はほとんど動かないが……とても気になるらしい。
 ぱちりとペンをしまうと、ヨーコはバッグから本を2冊取り出した。

「これ、日本の本持ってきたの。英語に翻訳されたやつ。こっちが歴史で、こっちは地理。つい教科書っぽいチョイスになっちゃったけど」

 以前にオティアが本好きだと言ったのを覚えてくれていたらしい。

「ありがとう」
「んでもって、こっちはヒウェルに、追加」
「まさか豆絞りの手ぬぐいとかじゃないよね、よーこさん?」
「ヤだなあ、そこまで受けは狙わないって! ほれ、ボールペン」

 確かにボールペンだったが………ただし、カニのハサミ型。赤い、甲羅のブツブツが実にリアルで、しかもボタンを押して芯を出すと、ハサミがかしゃかしゃと開閉する細かさで。

「どーも……」

 ヒウェルは顔を引きつらせつつ受けとり、ポケットにねじ込んだ。一秒でも早く自分の視界から消したかったらしい。
 その後、(ヒウェルにとっては)幸いなことに話題はカニからそれて、サリーの小さな頃の思い出へと移っていった。
 そもそも発端はヨーコのおさがりをサリーが着ていた、と言うことだったんだが。
 Tシャツとかセーターぐらいだろうと思ったらそのレベルじゃ終わらなかったらしい。

「6歳ごろだったかなあ。この子があたしの家に遊びに来てた時に……水たまりでころんで……しかたないんでワンピース着せちゃったのね」
「君のを?」
「Yes!」

 ヨーコはにこっと笑った。

「ミントグリーンに胸のとこにおおきなヒマワリの模様の入ってるやつね。ノースリーブの」

 一斉にその場の人間の視線がサリーに集中した。一部遠慮がちに。一部しみじみと。やっちゃいけないと思いながらつい、想像してしまう。
 6歳のサリーがヒマワリのワンピースを着てる姿を……。
 当のサリーはため息をついて、じとーっとヨーコをねめつけた。

「何がどう仕方がないのか説明してほしいなぁ……」
「……教えてあげる……あなた、あたしよりウェストが細くってさあ……」

 今度はヨーコがじと目でサリーを恨めしげににらんでる。主にウェストの辺りを。

「ジーンズもショートパンツもずり落ちちゃって履けなかったのよね。だから、しかたなく、ワンピース」
「なんのためにベルトがあると………いいけど」
「似合ってたしね」

 肩をすくめるサリーの背を、ヒウェルがぽん、と叩いた。妙に慈悲深い眼差しでサリーの顔を見つめ、何度も小さくうなずいてる。
 何やら身につまされるものがあったらしい。
 そんなヒウェルの姿を、オティアが見ていた。いつものようにほとんど表情は動かさずに。
 しかし、紫の瞳の中に疑いと、若干の苛立ちがゆらめいているように思えた。俺ですら気づいたものを、ヒウェルが気づかぬはずもなく。

「……俺も、ヨーコに化粧させられたんだよ………ハロウィンの余興に」

 オティアの方を見て、ぼそぼそと言い訳めいた台詞を口にする。

「似合ってたよ?」
「巻き毛のロングヘアーのヅラまで被せたろ!」
「だってハロウィンですもの」

 すっとオティアが席を立った。もらった本を手にとると、ちょっとヨーコに頭さげてから、すたすたと部屋を出て行く。
 やや遅れてシエンがとことこと後を着いて行く。
 双子の姿が隣に通じるドアの向こうに消えてから、ヨーコがぼそりと言った。

「……自爆男」
「何かゆったかヨーコ」

 一瞬、ハイスクール時代に戻ったような錯覚にとらわれる。その時、気づいたのだ。
 なるほど、確かにヨーコは大人っぽくなったが、化粧の下の素顔はあの頃とあまり変わっていないんじゃないか?
 どことなく少女のような面差しで……サリーに実によく似ているのだ。今みたいにぼそっと鋭い言葉で切り込む瞬間なんざまるっきり高校時代のまんまだ。
 つい、にやにやしていると、隣との境目のドアが開く音がした。
 シエンが戻ってきたのだ。

「オティア、もらった本が気になるみたい」
「そう……うれしいわ」
「うん。ありがとう」
「どういたしまして」

 シエンがにこっと笑う。ヨーコもほほ笑んで答える。
 その様子を、ヒウェルがじとーっと三白眼で遠巻きに見守っていた。いつもにも増してうさんくさい目つきとぐんにゃりひんまげられた口が語っていた。

『シエン、だまされるな!』と。

 シエンはシエンで不思議そうにヨーコとヒウェルを見て、首をかしげてる。
 何でヒウェルはこの人がそんなに怖いんだろう、とでも思っているようだった。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

 その夜、サリーとヨーコをそれぞれアパートとホテルに送り届けて戻ってくると、レオンがぽつりと言った。

「個性的な人だね」

 彼が自分から女性のことを話題にするのは滅多にない。少し驚いた。

「まあ、な。いい奴だよ。さばさばしてて……」
「ヒウェルにとっては天敵みたいだけれど」

 天敵、か。言い得て妙だ。

「確かにそんな感じだな」
「君にとってはどうなんだい?」
「そうだなあ………姉貴、かな?」
「同い年なのに?」

 手を伸ばし、くしゃくしゃと撫でる。きちんと整えられた明るいかっ色の髪を、誰はばかることなくかき回す。
 絹みたいにさらさらした感触が指の間を通り抜ける。こうすると、急にレオンも子どもっぽく見えてくる。まるで出会った頃のように。

「女の子の方が精神的に成熟するのは早いんだろ?」
「そんな事言ったかな」
「ああ……言ったんだよ」

 くいっと引き寄せて、頬にキスをした。

「……ありがとな。式を挙げたいって俺の我がまま、聞いてくれて……」
「君の望むことなら、何でもするよ。君は……俺の全てだから」

 返される優しい囁きに胸が熱くなる。
 抱きしめずにはいられなかった。
 愛しい人を、自分の腕で。胸で。体の中にすっぽりと包み込むようにして。
 
 式まであと四日。
 もうじき、三日。
 

(サムシング・ブルー前編/了)

次へ→【3-15】サムシング・ブルー後編

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フクシアの花の色

2008/07/06 18:41 短編十海
 
 市警察の廊下でばったりレオンとはち合わせした。

「やあ、ヒウェル」
「あれ、レオン。珍しい所で会いますね」
「俺は弁護士だよ。警察署に居てもおかしくはないだろう」

 まあ、確かにそりゃそうなんだけど。
 今回は仕事じゃなくておそらくは事情徴収だ。それにしても妙に、こう……いつもに増して言葉にトゲが生えていないか、この男。
 顔がきれいなだけになおさら目立つんだよ、その鋭さが。

「昨日ね。ディフを見舞いに行ったんだ」

 何故そこで『昨日』を強調するか。ここんとこ毎日行ってるだろうに。
 はたと思いつく。
 これは、前振りだ。決定的な一言を切り出す前の軽い肩ならし。ぞわっと皮膚にあわ粒が浮いた。

 俺、何か、レオンを怒らせるようなこと、しただろうか?

「彼がね。見慣れぬ黒い肩掛けを羽織っていたんだ。あれは………君が用意したものかい? ヒウェル」

 にっこりと穏やかな微笑みを浮かべちゃいるが目が全然笑ってない。かろうじて疑問文で問いかけちゃいるが、確定だ。
 彼は知ってる。
 だったら自白した方が罪は軽い。

「え、ええ。病院は冷えるからって頼まれまして」
「ほう……つまり、あの色はディフのリクエストだったのか」
「なるだけ濃いめの色がいいって言うから。店にある中でいちばん濃いやつだったんですよ、あの、黒が」
「なるほどね」

 ムっとした顔でにらまれた。
 ほんの短い間だけ。すぐにいつもの穏やかな表情を取り戻す。
 
『病院に黒ってのもどうかなって思ったんだけどさ。他に濃いめの色が見つからなくって』
『いや……これぐらい強い色の方がいい』

「実は別の色も用意してったんですよ、念のため。二枚見せてどっちがいいかって聞いたら、あっちがいいと」
「どんな色を?」
「………これです」

 書類鞄の中から平べったい紙袋をとりだした。『証拠物件A』だ。

「持ち歩いてたのか」
「ええ、まあ」

 するりと引き出す肩掛け一枚。シルクとパシュミナで織られた薄い布地は羽毛のように軽い。

「………………ピンクだね」
「はい、ピンクです」

 暖かみのある、赤みの強い濃いピンク色。店のタグには「フクシア」と書かれていた。釣浮草の花の色だ。

「彼は、何と?」
「貴様、俺にピンクを着ろと言うか、って、地獄の番犬みたいな声で」
「それだけかい?」
「一発シメられました」
「……だろうね」

 んでもってナースに怒られた。『病室で騒がないでください』と。

 一応の納得はしたらしく、レオンはそれ以上、黒い肩掛けについては追求してこなかった。

「それで、そのピンクの肩掛けは……どうするんだい? 君が使うのか?」
「いやあ、さすがにこれ俺が着ちゃったら世間の迷惑でしょう」
「と、言うか犯罪だね」

 そこまで言うか。

「返品するのももったいないし。誰かにもらってもらおうかと思うんです」
「誰に?」
「……誰がいいでしょうねえ」
 
 オルファ、は……着なさそうだもんなあ、これ。ってかリアクションがほぼディフと同じなんじゃないかって気がする。
 Mr.ジーノの奥さんは……むしろあの人なら赤が似合う。

 しばし目を閉じて記憶をたぐる。
 ああ、そうだ。
 彼女にしよう。


 ※ ※ ※ ※


 数日後。
 ルーシー・ハミルトン・パリスのアパートに一枚の封筒が届いた。
 大きさはA4サイズほど、わずかな厚みがあり、軽い。

 開封すると、中からさらりと鮮やかなピンク色がこぼれ落ちる。

 ルースは思わず小さな歓声を上げ、それから添えられたカードを見て顔をほころばせた。
 
 
 この色の名は『フクシア』と言う。
 季節外れは百も承知。だけどこの色は君が一番よく似合う。
 またいつか、ロッキーロードをおごらせてくれ。
 
 Hywel Maelwys
 
 
 試しにふわりと羽織ってみた。すべすべとした柔らかな布が肩を、首筋を覆う。目を閉じてしばし、安らかな感触に浸った。

 フクシアの花言葉は『暖かい心』。


(フクシアの花の色/了)

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