ようこそゲストさん

ローゼンベルク家の食卓

【ex4】猫と話す本屋

2008/07/22 16:57 番外十海
  • 日本から留学中の獣医の卵、サリー+もう一人をメインにした番外編。
  • 一部【3-15】サムシング・ブルー後編と同じ日、同じ場所の出来事を別の視点から描いています。
拍手する

【ex4-1】EEE

2008/07/22 16:59 番外十海
 サンフランシスコのユニオンスクエアの近く。表通りからちょいと引っ込んだ適度に古びた商店街の一角に、砂岩造りの三階建て、鉛筆みたいに縦長の建物がある。

 小さいながらも奥には立派な庭があり、一階部分は店舗で二階から上は居間と食堂、バスルームとキッチン。
 三階部分は屋根裏に少し手を加えただけの部屋だが天窓もあり、それなりに快適。かつては子供部屋であり、今は店主とその家族のささやかな寝室として使われていた。

 毎朝五時ジャストに枕元で金属製の目覚まし時計のベルが鳴る。
 もっとも最初のジリン……が鳴り終えるより早く長い腕が伸びて止めてしまうのだが。
 目覚ましの有無にかかわらず五時きっかりに起きるのが、エドワーズの日課であり生活の基本だった。

 朝の身支度をすませる間に床に置かれた藤のバスケットの中からにゅっと細長い尻尾が立ち上がり、ぴょんと飛び出して。
 みう、みう、と甲高い声をあげながら足元にまとわりつく。
 大人サイズが1本、ちいさなちいさなベビーサイズが6本。

「やあ、おはよう……リズ、ティナにアンジェラ、オードリー、バーナードJr.、ウィリアム……それとモニーク」

 母猫のリズは白い体に四本の足と尻尾に薄い茶色が交じり、一ヶ月前に生まれた子猫たちもそれぞれ割合は異なるが白と薄茶のふかふかの毛皮に覆われている。
 唯一の例外はバーナードJr.で、この一匹だけは父親そっくりの黒茶の虎縞模様。
 あまりの生き写しっぷりに父親猫の飼い主はひと目見た瞬間言ったものだ。『この子はぜひ、家で引き取らせてくれ!』と。
 いずれそっくりの猫が大小2匹そろって花屋の店先で、客をもてなすことだろう。

 7匹の猫を引き連れてキッチンに向かう。
 母猫のリズにドライフードと缶詰。子猫たちには、猫用の粉ミルクを缶詰に混ぜたもの。そして新鮮な飲み水。
 猫たちが食べ始めるのを確認してから、自分の朝食を準備する。内容はいたってシンプル。紅茶とゆで卵とトースト。バターかメープルシロップかジャムかはその日の気分次第。
 ピーナッツバターにだけはどうしても馴染めない。
 食べ終えると皿とカップを洗い、庭に出る。

 子猫たちはまだ庭には出してもらえない。たまに末っ子のモニークが果敢に未知の世界への進出を試みるが、そのたびに母猫に襟首をくわえてぶらさげられて連れ戻される。

 小さな庭はふかふかの芝生が敷き詰められ、花壇にはカモマイルにセージ、ローズマリー、ルバーブ、そして色も花の形も、丈もさまざまな大小のバラ。
 
 Image213.jpg
 
 すべて母が植えたもので、彼女亡き後は父が。そして、3年前からは彼自身が世話をしている。
 子どもの頃に覚えた動作を、きちんと手が覚えていると知った時は驚くと同時に安堵もした。

 一株ずつ、丹念に。商品を扱う時と同じように、その前の職務を果たしていた時と同じように几帳面に。
 きちんと庭の手入れを終えると店に戻り、開店の準備にとりかかる。

 ……と言っても、ほとんどすることはない。
 カウンター奥のパソコンを立ち上げ、背の高い本棚の並ぶ店内を見回ってから入り口の鍵を開け、窓の鎧戸を開ける。

 こうして今日もエドワーズ古書店の日常が始まった。
 
 
 ※ ※ ※ ※

 
 正午を少し回った頃からぽつりぽつりと客が訪れる。

 とは言え午前中はもっぱら、パソコンでの作業に当てているのでそれなりに忙しい。
 最近は店先で売るよりもネットで取引することが増えているのだ。
 数多い情報の中から自分の店の本を探し当ててくれる顧客がいるのはありがたい限りだ。

『ずっと探していたんです』
『ありがとう』

 稀にお礼のメールを受けとることがある。そんな時は自分でも気づかないうちにふっと、かすかに笑っていることがある。
 何を買うと言う訳でもないのだけれど、ほんのりと薄暗い店の中に足を踏み入れ、一冊一冊本の背表紙を確かめながら歩いて行くお客もいる。
 とても幸せそうに、古い紙や糊、布、革のにおいの溶け込んだ空気を呼吸して。

 かと思えば、古い家の屋根裏からまとめて引き取ってきた雑誌の山に突進し、『これ全部ください』と言い切った客もいた。
 眼鏡をかけた長髪の黒髪の若い男だったが……どう見ても彼は、自分の買っていった雑誌より年下だ。

 するり、と足元をしなやかな感触がすりぬける。

「どうしたんだい、リズ」

 薄茶色の尻尾をぴん、と立てて外に通じるドアを凝視している。
 果たして。
 カランカラーン、とベルが鳴り、ドアが開いて郵便配達員が姿を現した。

「こんにちは、エドワーズさん……これ、書留なんで、サインお願いします。それと、こっちは普通郵便」
「ごくろうさま」

 胸ポケットに挿したペンを抜き取り、さらさらと署名する。

 エドワード・エヴェン・エドワーズ

 それが、彼が生まれてから36年間使ってきた名前だった。

「はい、確かに。それじゃ、リズ、またね!」

 配達員を見送ってから、受けとった郵便物を確認していると……ふと、一通の封筒に目が止まった。
 差出人は連名だ。
 レオンハルト・ローゼンベルクとディフォレスト・マクラウド。
 どちらも見知った友人の名前、だが彼らの名前が出てくるとなるととっさに身構えてしまう。
 
 何かトラブルだろうか? 始末書か? それとも、保釈の手続きか?

 やれやれ……こまったものだ。父の古書店を受け継いでからもう3年になると言うのに、まだ前の職場の癖が抜けないと見える。
 苦笑していると、すとん、とカウンターにリズが飛び乗ってきた。
 薄茶色の長い尻尾が音もなくひゅんひゅんとうねる。低く身を伏せ、耳をぴっと前に立て、店の中の一点を凝視している。

 青い瞳の見ている先をうかがうと、今、まさに十五、六歳ぐらいの少年が一人。棚の本を一冊抜き取って上着の中に押し込んだ瞬間だった。

「……」

 素早く立ち上がるとエドワーズは少年の背後に歩みより、肩に手を置いた。

「君」

 ばっと手をふり払い、走り出そうとする足を軽く払う。バランスを崩した所で手首を抑えて背後にねじり上げ、壁に押し付けた。
 上着の中に押し込まれた本がばさばさと足元に落ちる。
 植物図鑑に育児書、パッチワークの図案集にハードカバーのミステリーとジャンルはばらばら。
 興味があって選んだ、と言うよりは手当たり次第に抜き取ったのだろう。おそらくは純粋に盗みのスリルを楽しむために。

「……初めてじゃないね?」
「だったら何だよ」
「君には黙秘権がある。弁護士を呼ぶ権利もある。君の言うことは法廷で不利な証拠として採用される場合がある」

 少年は口をゆがめて吐き出すようにして、言った。

「何警官みたいなこと抜かしてんだよ、おっさん!」
「……三年前までは、ね。市民権限により窃盗の現行犯で君を逮捕する」

 初犯ではないが、まだ『逮捕』と言う言葉に萎縮する程度には初々しいレベルに居たらしい。
 カウンターの奥に少年を座らせてから携帯を開き、かつての職場に電話した。

「やあ、トリプルE! どうした?」

 現職時代に着けられたニックネームは未だ健在。命名した本人も今は辞めて私立探偵に鞍替えしたと言うのに。

「少年課から誰かうちの店によこしてくれないか」
「ああ、万引か?」
「そんな所だね」
「わかった。すぐに行かせるよ……」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 やってきた顔見知りの私服警官に少年を引き渡してから、改めて届いた手紙を開封する。
 真っ先に気になる連名の封筒を開けた。

「……え?」

 思わず小さく声が漏れる。
 レオンとマックス、二人の友人から届いたのは保釈の申請書類でもなければ始末書(いったい何枚処理したことやら!)でもなく………結婚式の招待状だったのだ。
 にゅっと白い毛玉が視界を遮る。リズがカウンターに飛び乗り、手元をのぞき込んでいた。
 ふん、ふん、と熱心に手紙のにおいをかいでいる。

「驚いたよ、リズ。あの二人が学生時代からの親友なのは知っていたが、まさか、結婚するような仲だったとは……」
「みゃ」
「結婚、か……」

 ふう、とため息一つ。左手の薬指を軽くなぞる。
 指輪を外してから、もう十年近い月日が流れた。跡なんてとっくに消えた。もはやそこに指輪のあった感触さえ微かだ。

「………若すぎたからね、彼女も、私も。お互いの情熱を上手く受けとめることができなかった」
「みゃう」

 強面の警察官だったマックスが。切れ者の弁護士として署内で恐れられているレオンが。二人一緒の時は常にどちらかが、あるいは両方がほほ笑んでいたような気がする。
 最初のうちは驚いたが、まもなく彼らのまとう空気がとても好きになった。
 警察を辞めて以来、滅多に顔を合わせることはなくなっていたが。

「あの二人なら良い伴侶になりそうな気がするんだ……お互いに」

 リズはひゅうん、と尻尾を振ると、飼い主の手にぐいぐいと頭をすりつけてきた。
 絹のようなしなやかな毛並みをなでる。

 電話をしようかとも思ったが、どちらも今はさぞかし忙しかろう。少し考えてから、返事を書いた。
 メールではなく、紙とペンで。

「おめでとう、ぜひ出席させてもらう」と。

 封筒に入れて住所を書き、買い置きの切手を貼る。署名は二人分で住所は一つだった。おそらくもう一緒に住んでいるのだろう。
 後で発送用の商品と一緒に郵便局に出しに行こう。ついでに食料も買い足して……帰りに花屋に寄って、子猫たちの写真を見せるとしようか。

 不意にリズがぴんっと耳を立て、店の奥へと歩いて行く。
 そのまま優雅な仕草で住居部分へと通じるドアをくぐり抜け、とことこと階段を上がっていった。
 
 どうやら、子猫に呼ばれたらしい。
 

次へ→【ex4-2】サリーのワードローブ

【ex4-2】サリーのワードローブ

2008/07/22 17:00 番外十海
 
 その日、サリーこと結城朔也が実習先の大学病院に顔を出すと、担当の指導医に言われた。

「サリー、まとめ買いした白衣、届いてるわよ」
「あ……ありがとうございます、マリー先生」

 とことこと近づく。部屋のテーブルの上には届いたばかりの通販の箱が置かれ、Dr.マリーと二人の女性アシスタント、ミリーとエリーが中味を取り出して、せっせと仕分けの真っ最中。

「えーと、この水色のSサイズはサリーのよね?」
「はい」

 白衣やナースウォッチ、シューズ、ステートやハサミなどの医療用の小物や衣服は数人で注文をまとめて購入している。職場からグループで注文すると割引が効くし、送料も節約できるのだ。
 箱の中味はレディスオンリー。
 サリーの白衣も例外ではない。パンツタイプではあるのだが、女性用のSサイズ。体に合わせた結果の選択である。
 同じSサイズでもメンズは肩幅が広くて襟もゆるゆる、袖が妙な位置に来る。全体的に余った布地がからみついて、とてもとても、動きづらいのだ。

「夏物だから思い切って生地が薄いのを選んでみたの。どうかな、ランジェリーのライン、透けないかな」
「んー、けっこう微妙かな? その辺は、私はキャミソールで調節してる」
「ああ、ミリーのキャミ、シンプルで可愛いものね」
「でしょ? レースつきのはかゆくなるし、透けると目立つから」

 あっけらかんとした女性たちの会話を聞きながらサリーは秘かにため息をついた。

(……いい加減、慣れたけど……やっぱり男性として認識されてないのかなあ)

 女ばかりの家族の中で育ったせいか、あるいは華奢な体つきのせいなのか、それとも顔立ちのせいなのか。
 インターンとして配属されて以来、彼は女性ばかり3人のチームの中に何の違和感もなく溶け込んでいた。

 時々、大学病院のスタッフと一緒に外にランチを食べに行く時もある。
 メニューにはないミニデザートのチョコミントアイスを何の疑問も持たずに美味しくいただき、ふと周囲を見回してみたら『女性限定、ミニデザートサービス』なんて張り紙があったりして。
 がっくりと来たのも一度や二度ではない。
 
 しかも。
 
 さらに稀なことではあるのだが、病院に通ってくる患畜のオーナーから花を贈られることもある。
 明らかに日頃の感謝の印にしては過ぎた量とサイズのゴージャスな花を。
 とりあえず病院全体にもらったものだと拡大解釈して、においのきつくない、動物への影響の少なさそうなものは待合室に。百合などの香りの強い花は事務室に飾らせてもらうことにしている。男の一人暮らしに花を持ち帰った所で処置にこまるし。

(日本ではそんなに女顔って言われた事はないんだけどなあ……)

 確かに自分は母とも。従姉の羊子とも、その母親ともよく似ている。けれど、それは家族だからだ。同じ遺伝子を持っているから当然なのだ。
 ………多分。
 きっと着てるもののせいなんだ。白衣もそうだけれど、私服もメンズは体に合わず、Tシャツに至っては女性用のSサイズがぴったりだった。さもなければジュニア用……靴下は特に。たとえレディスと言えど、かかとを正しい位置に履くと、つま先が余る。

 こんな風にただでさえ着る物で苦労していた所に、今回はさらに悩みが一つ増えてしまった。理由そのものはおめでたい事ではあるのだけれど。

「サリー、どうしたの? 難しい顔しちゃって?」
「いえ、マリー先生、大したことはないんですけど……実は、友だちの結婚式に招待されまして」
「まあ、そうなの、おめでとう」
「それで……俺、今までこっちでそう言う席に招待されたこと、なくって。フォーマルウェアを一着、準備しなくちゃいけないんです」
「あら、キモノ着ないの?」
「持ってきてないですよ、そんなの!」

 紋付きの羽織袴なんて、日本では親戚の結婚式ぐらいにしか出番がないだろうし……。

「ゴージャスで着映えすると思うんだけどなあ」

 まさかマリー先生、振袖着るって思ってる?

「何て言うんだったかしら。昔の日本のプリンセスが着てるような、あの、袖の長〜いトレーンを引いた着物」

 打ち掛けのことだったらしい。微妙に予想の斜め上。

「いや……そうじゃなくて……普通のタキシードで。立食パーティ形式なんで」
「あら、確かにそれは着物じゃ動きづらいわね」
「どこか良さそうなお店、ご存知ありませんか? リーズナブルで、品ぞろえも多くて」

 ここから先が一番大事なポイントだ。

「サイズのお直しもやってくれるとこ」
「んー、そうね……あ、そうだ」

 マリー先生はメモを一枚とり、さらさらとペンを走らせてぺりっとはぎとって渡してくれた。

「ここのお店、いいわよ。サイズのお直しもやってくれるから」
「ありがとう。行ってみます」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 次の日、教えられた店に行ってみると、幸いなことに婦人服専門店ではなかった。
 途中で巡回中のポリスマンに声をかけられたが大学の学生証を見せて年齢を説明し、どうにか事無きを得た。
 今回は比較的スムーズに納得してもらえて助かった。運が悪いと……そう、勤務後に繁華街を一人で歩いている時なぞはもっと時間がかかる事がある。

 もっとも、そんな事を何度かくり返すうちに所轄署の少年課にも知り合いが増え、最近では電話一本ですぐに確認がとれるようになってきた。
 
(こう言う場数はあまり踏みたくないんだけどな)

 店に入り、紳士服売り場のフォーマルコーナーに行く。
 XSサイズのタキシードを試着してみた。
 アメリカでの滞在が長くなれば、これからも正式な席に招待されることも増えて行くだろう。良い機会だからきちんとしたのを一着買っておこうと思ったのだが……。

「だめか………」

 やはり、大きい。もはやサイズ直しで補正の効くレベルではない。
 それでもデザインが違えば。メーカーが違えばあるいは、と試着をくり返し、そのたびに『やっぱりダメだった』とため息をつく。

 床にへたりこみそうな気分を抱えて少しずつ、少しずつ紳士服売り場を移動して行った。
 もうすぐ、境界線を越える。

 シニアと、ジュニアの。

(できればあっち側には行きたくないなあ)

 ちらりと向こう側に視線を走らせた、そのときだ。

「……あれ?」

 ジュニアコーナーのただ中に、明らかに周囲に並ぶ服とは不釣り合いなサイズの男がぬぼっと現れた。
 ゆるくウェーブのかかった赤い髪にがっちりした体格。隣には、ややくすんだ金髪頭が二つ……まとう空気と髪の毛の長さが微妙に違うが、顔かたちも体つきもそっくりの少年が二人。
 親鳥と、その後をついてゆくひな鳥みたいにちょこまかと、三人そろって歩いている。
 金髪の少年がふと足を止め、こっちを見た。
 ほほ笑んで手を振る。
 髪の長い方の少年が顔を上げ、赤毛の男に声をかけた。

「……ディフ」
「ん? どうした、シエン?」

 赤毛の男は髪の長い少年の顔を見て、それから髪の毛の短い方の少年の視線の先を確認し……そして、こちらに気づいた。
 
「よう、サリーじゃないか」

 とことこと歩み寄り、挨拶を交わす。

「こんにちは。お買い物ですか?」
「ああ。オティアとシエンのタキシード買いにな。色と形はだいたい決まったから後はサイズ合わせだな」
「何色にしたんですか?」

 シエンがハンガーにかかった紺色のを一着、手にとって軽く掲げた。

「……うん。素敵だね」
「よし、じゃあサイズ合わせるか」

 おそろいのタキシードを手に双子は試着室に向かい、その後をディフが歩いて行く。

 周囲を見回し、ふと気づく。
 あれれ。つい、ジュニア用の領域に入っちゃったよ。まあ、いいか……。さっきのより、確かにこっちの方が体に馴染みそうだ。
 黒い、細身のを一着選んで自分も試着室に向かう。

 予想通りと言うか、やはりと言うか、ぴったりだった。肩幅も、袖丈も、上着の丈も、襟ぐりも、何もかも。サイズ合わせをする必要もないくらいにジャストフィット。

 試着室を出ると、隣のブースでは『まま』に付き添われたシエンとオティアが袖丈とズボンの裾を調節している所だった。
 女性店員が二人の体に合わせて袖と裾を折り曲げ、待ち針で留めている。二人とも微妙に緊張した面持ちだ。人と触れあうのが苦手な子どもたちにしてみれば最大級の努力をふりしぼっているのだろう。

 心配になって見守っていると、後ろから店員に声をかけられた。

「May I help you?」
「あ、はい、これをお願いします」
「サイズのお直しは?」
「いや、このままで」
 
 背の高い女性店員は、じーっとサリーとタキシードを見比べてから、まるでお母さんのような笑みを浮かべて言った。
 
「お客様、できればもう少し大きいサイズをお選びになった方がよろしいかと。その方が長く使えますし……サイズの調整も承っておりますので」
「………いえ、これでいいです」

 もう、自分はこれ以上育つことはないと思う。二十歳過ぎてるんだし。
 将来有望な双子と違って。
 
 強烈に床にへたりこみたい衝動に駆られるサリーを、双子とディフが心配そうに見守っていた。

「サリー、疲れてるみたいだね」
「……ああ、日本人がこっちで服探すのは大変らしいからな」
「そうなんだ」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 その日の夜、日本の従姉から電話がかかってきた。

「ふーん、そんな事があったんだ……」
「うん。帰りに事務所に寄らせてもらって、お茶とケーキごちそうになったよ」
「よかったじゃん」
 
 よほどげんなりしているように見えたのだろう。その後、ディフが車でアパートまで送ってくれた。
 
「で、結局買えたの? タキシード」
「うん……ジュニア用だけどね」
「何色?」
「黒」
「地味だなー。やっぱ振袖着た方が良かったんじゃないの、サクヤちゃん」

 何とものんびりした、そして楽しげな羊子の口調に思わずむかっとする。
 人がどれほど苦労したかも知らないで……。

 いや、彼女はおそらく知っている。
 自分も高校生の時、留学していたのだから、同じ苦労をしたはずなのだ。わかっていてからかうなんて!

「もう、こっち来るまで電話しないでくれる?」

 思わず低い声で言い放っていた。

「…………………」

 一瞬、電話の向こうで息を飲む気配がする。

「ごめん。怒った?」
「怒った」
「ごめん……も、言わない」
「いいよ、もう」

 ため息を一つ。誰にも言えないことを口にする。彼女になら話せるから。わかってくれると知っているから。

「服を買うのに、選ぶ種類がないって言うのが問題なんだよ。女性用とか、ジュニア用になっちゃうし」
「そりゃ、アメリカンとは骨格が違うからねー。腕の長さも、肩幅も。基準が違う」
「うん……それ、よーっくわかった。つくづく思い知らされたよ、今日」
「ね、サクヤちゃん」
「うん?」
「服探す時はさ、なるだけ、同じ東洋系の店員さんに相談してごらんよ。似た様な悩み抱えてるはずだからきっといい知恵貸してくれるよ?」
「うん………そうしてみる」
「日本から通販で買うこともできるよ。ちょっと送料、割高になるけどね。何人かで集まってまとめ買いするといいかも?」
「うん……ありがとう、羊子さん」

 やっぱり心配してくれてるんだな……小さい頃からそうだった。
 自分のサンフランシスコへの留学が決まった時も真っ先にディフに連絡をとり、面倒を見てくれるように頼んでくれた。
 
「そうだ、シスコに来るって話しておいたよ」
「そっか。サンキュ、サクヤちゃん。それで、マックスは何か言ってた?」
「喜んでた。招待客のリストに加えておくって。メイリールさんは……」
「ああ、ヒウェルもいたんだ?」
「うん………」

080706_2243~02.JPG※月梨さん画。こんな顔してました。

『来る……ヨーコが来る……』

 顔面蒼白になって自分の肩を抱いてかたかた震えてた、なんて今さら伝えるまでもないんだろうなあ。
 きっとわかってる。
 
「よーし、お土産用意しとかなきゃなー」

 楽しそうな声だ。きっと満面の笑顔になってるんだろう。

「あ、こっちから何か持ってきて欲しいものある?」
「そうだなー、お茶とか、あと海苔と蕎麦、かな?」
「OK、おば様に伝えとく。それじゃ、またね」
「うん、また、ね」
 
 
次へ→【ex4-3】猫のお医者さん

【ex4-3】猫のお医者さん

2008/07/22 17:02 番外十海
 
 リズは美猫だ。

 飼い猫を見るたびにエドワーズは思う。

 飼い主のひいき目を差し引いても十分に美しい。

 ほっそりした愛らしい手足と長い尻尾はカフェオレのように優しく霞む薄いかっ色。しなやかな体はミルクの白。
 小さな顔にすっきりと収まる透き通ったブルーの瞳。ピンク色の口元。
 
 しかしその美しい姿形は全て、狩りのために必要不可欠な得物でもある。
 
 古書店の業務はネズミとの戦いだ。彼の店のように本の装丁や修復を請け負っている昔ながらの店は尚更に。装丁に使われる糊も、布も、革も、あのどん欲なげっ歯類どもの大好物なのだから。

 リズは単にその美しい容姿と愛らしい仕草でお客を和ませるだけの猫ではない。先祖代々、店の本をネズミから守ってきた優秀なハンターであり、由緒正しい『書店猫』なのだ。

 そして、父親亡き今となっては唯一の家族でもある。
 だから彼女の健康には細心の注意を払う。掛かり付けの動物病院も大学付属の病院を選んだ。施設も整っているし、何より主治医のマリー先生をはじめとしてスタッフのほとんどが女性なのが助かる。
 猫は総じて男性より女性の方を好む傾向がある。ただでさえ緊張する病院で、できる限りリズにストレスをかけたくはない。

 しかし大学病院と言うところは実習の学生をも受け入れる場所なのだった。

「来週から新しいインターンが入るんですよ」

 マリー先生から初めて聞かされた時、正直言って不安だった。がさつな男子学生だったらどうしよう? と。
 若干の不安を抱えつつリズのワクチン接種に行くと……マリー先生の隣にもう一人、眼鏡をかけた東洋系の先生が待っていた。
 水色の白衣がよく似合っている。ネームプレートの表記は『サリー』。さらりとした黒髪を短めにカットして、瞳の色は濃いかっ色。
 ほっそりと華奢な骨格で、卵形のつやつやした顔には何とも優しげな表情が浮かんでいる。

「サリー、お願いできる?」
「はい、マリー先生」

 声のトーンは女性にしてはいささか低めだったが声質はなめらかで耳に心地よい。これならリズも安心してくれるだろう、とほっとする。

「エドワーズさん、どうぞこちらへ」
「はい……じゃあ、リズ、行こうか………………………………お願いします」

 バスケットから抜け出すと、リズは優雅な仕草で診察台の上にうずくまった。

「今日はどうされましたか?」
「……三種混合ワクチンを」
「はい、じゃあ少し待ってくださいね」

 カルテを見ながらマリー先生に確認をとり、注射の準備をしている。よかった、優しそうな女医さんで本当に良かった。

「はい、お待たせしました……」

 華奢な指先が白い毛皮をかきわけ、さっと消毒する。
 そろそろ補定をしないと……。
 手を伸ばそうとするより早く、さっと注射器がリズの首筋に触れ、そして離れていた。

「ん?」

 リズがちょこんと首をかしげる。

「え? もう……終わったんですか?」
「ええ。おとなしい子ですねー」
「確かに……そうですが……初めての方にここまで穏やかに接するなんて……。ありがとうございます、先生」
「はい。お大事に」

 水色白衣の眼鏡の実習生は手をのばして白いふかふかの毛皮を撫でた。

「さよならリズ」

 リズは彼女の手のひらにくいくいと顔をすりつけ、のどを鳴らしている。
 良かった。
 気に入ったようだ。少し若いけれど、この先生になら安心してリズを任せることができる。自然と顔がほころんでいた。

「おいで、リズ」

 ひゅん、と尻尾を振ると、リズは自主的にバスケットの中に入った。
 帰ってからも上機嫌でキッチンを歩き回り、冷たい水を飲んで毛繕いをしている。病院行きによるストレスはほとんど感じなかったらしい。

「不思議な人だったね……リズ」
「みゃ」
 

 ※ ※ ※ ※
 
 
 この界隈には猫を飼っている店が多い。
 ネズミ穫りの業者を呼ぶより、父親やそのまた父親たちから受け継いだ代々の優秀なハンターたちに店の安全を任せる方がよほど気が利いてると考える店主が多いのだ。

 何より、つややかな毛皮に覆われたこの小生意気な家族どもは時に慰めとなり、時に喜びを与えてくれる。バネ仕掛けのネズミ捕り器には到底この温かさはマネできまい。

 黒い虎縞の堂々たる雄猫、バーナードも代々、花屋のネズミ捕獲主任をつとめてきた猫だった。しかしこのバーナードは並外れた旺盛な冒険心をも持ち合わせていて、しょっちゅう花屋を抜け出してはエドワーズ古書店の裏庭に潜り込んで来る。

 リズもまんざらではないらしく、二匹で薔薇の葉陰で鼻をつきあわせている姿はなかなか愛らしく、絵になる光景だった。
 いつまでも見ていたかったが花屋の店主が青ざめてさがし回っていると思うと放っておく訳には行かず。バスケットにお入りいただき、店に送り届けた。
 そんな出来事が度重なるうち、二人の店主はある結論に達した。
 バーナードの脱走は旺盛な冒険心だけによるものではなく……恋心に裏打ちされたものではないか、と。

 かくして両者協議の上カップリングが成立し、リズは初めて母猫となったのである。
 ふにゃふにゃと足元にまとわりつく6本の短い尻尾を見下ろしつつ、エドワーズはちらりと壁のカレンダーを確認した。

 近いうちにこの子たちを最初のワクチン接種に連れて行こう。ぼちぼち里親も決まりつつあるし……。

「お前たちのこともサリー先生に紹介しなければね。きっと、気に入るよ。優しい人だ」

 早いもので、最初に会ったあの日からすでに一年が過ぎた。当時はインターンだったサリー先生も今はレジデントに進み、信頼できる主治医としてリズの健康を守ってくれている。

 子猫の引き取り先は順調に決まりつつある。相手は近所の店や古書店仲間だ。この一ヶ月近い日々と言うもの、ふにゃふにゃしたちっぽけな生き物に生活が振り回されっぱなしだった。
 しかし幸い、リズは母親としても極めて優秀で、飼い主の負担を最小限に抑えてくれた。
 子猫のいる生活は騒がしいが、楽しい。一匹残らずもらわれて行くのかと思うと、少し寂しいような気がした。

 一匹ぐらい、手元に残しておいても……いい、かな。
 いや、別にそこまでしなくても。
 バーナードJr.は花屋に、アンジェラはパン屋に行けば毎日のように会えるのだし、ウィリアムの養子先も市内だ。いつもよりちょっと遠出をすればいい。

 いつもより、ちょっと、か……。
 それが一番の課題だな。
 
 古書店の主になって3年。
 エドワード・エヴェン・エドワーズが猫の通院以外に車で出歩くことは滅多になかった。
 要するに、彼の行動範囲はほとんど自らの足で歩ける範囲に限られているのである。

次へ→【ex4-4】そして結婚式で
 

【ex4-4】そして結婚式で

2008/07/22 17:03 番外十海
 
 8月のよく晴れた土曜日。
 
「それじゃ、リズ、ティナにアンジェラ、オードリー、バーナードJr.、ウィリアム……それとモニーク。行ってくるよ」

 一日分の餌と水を用意して(水はとくにたっぷりと)、戸締まりをするとエドワーズは出かけた。
 車で出かけるのは何日ぶりだろう?
 
 今日は友人たちの結婚式。場所は海を見下ろすレストラン。
 警察官時代はある意味楽だった。こんな時、着るものに困ったらとりあえず礼装用の制服を着て行けばよかったのだから。
 だが、今は自分も、当の友人も警察を辞めている。結局、黒のスーツに黒地にピンドットのベストにサスペンダー、白のシャツ(これはかろうじてフォーマル用)に黒のアームバンド……と、いつもの仕事着とほとんど代わり映えしない服装になってしまった。
 タイをどうするか最後まで迷ったが、愛用のアスコットタイではなく、礼装用の黒の蝶ネクタイを着用することにした。

 どちらも友人なのだ。これぐらい礼儀を払っても、行き過ぎと言うことはないだろう。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 会場内は思ったよりずっと人が多く、顔見知りもまた然り。
 元警察の内勤巡査と言う立場上エドワーズは署内の警官とことごとく面識があったし、同じくらい検事や検事補、弁護士らとも顔を合わせる機会が多かったのである。

 そして彼の顔を見るなり誰も彼も申し合わせたように同じ台詞を口にした。
 
「よう、EEE。久しぶりだな、生きてたか!」

 ……参ったな。
 警察を辞めて三年、いかに自分が店とその周囲に引きこもって生活していたか、ひしひしと思い知らされる。
 こんな調子で式が始まるまでの間、挨拶を交わしながらウェルカムドリンク片手に広間を歩き回っていると、ひょろりとした背の高い金髪の青年と出くわした。

「やあ、エリック」
「……あ、EEE。お久しぶりですね」

 浮かない顔だ。自分の気配に気づくなりさっと笑顔に切り替えたようだが100%は変換しきれていない。
 ここで理由を聞くのは野暮と言うものだろう。彼は配属されてきた時から既にカミングアウトしていたし、マックスとは仲が良かった。

 終始上の空のエリックとしばらく話してから、テラスに出た。
 日よけの下とは言え陽射しはきつく、ほとんどの招待客は冷房の効いた室内にいる。だがここも十分快適な場所だ。
 背の高いオリーブの古木を中心に整えられた中庭はふかふかの緑の芝生に覆われ、海から吹き上げてくる風は実に心地よい。
 ふんわりと上品な香気をただよわせる薔薇のアーチをくぐり芝生をよぎる石畳の道は、ガーデンウェディングの際にはバージンロードに使われるものであろうか。

 手すりにもたれかかり、目を閉じる。

 祝福する上司に友人、決定的に終わった片恋いの名残を引きずりつつ笑顔で参列する後輩。
 ゲイカップルの結婚式と言っても、根本的に男女のカップルの場合と差異がある訳ではないのだな。
 そもそも結婚なんてもの自体、突き詰めれば二人の他人の結びつきなのだ。XY染色体の違いなど、些細なものなのかもしれない。

 ゆっくりと目蓋を開ける。陽射しがまぶしい……染みる。
 しぱしぱとまばたきをくり返して光に目を慣らしていると、ふと視界の端に見覚えのある姿をとらえた。
 ちらりと見えただけだったが、それが誰か判別するには十分だった。
 
「……サリー?」

 正直、意外だった。ここで会えるとは、思ってもみなかった。

(何故……彼女がこんな所に)

 改めて視点を合わせる。
 いつもの水色の白衣の代わりに黒のタキシードを着ていた。
 何故、女性なのにタキシードを……とも思ったが、よく見ると会場内には同じくタキシード姿の女性がちらほらしていた。
 最近の流行では、おそらくこれも有りなのだろう。何ら問題はない。実に、よく似合っている。
 
 静かに歩み寄り、声をかけた。

「こんにちは、サリー先生」
「あ……エドワーズさん」
「珍しい所でお会いしますね」
「ええ。従姉と一緒に来たんですけど、彼女、友だちの所に行っちゃって」
「そうでしたか」

 ほっとした表情をしている。おそらく彼女自身の知り合いはこの場にあまりいないのだろう。そのまま、テラスで二人並んで話をした。

「リズが無事、出産しましたよ。全部で6匹です。そのうち検診に連れて行きますので、よろしくお願いします」
「おめでとうございます。6匹かぁ、可愛いでしょう」
「はい、女の子が四匹で男が二匹、末っ子のモニークが元気が良くて。臆病なくせにすぐ冒険してあちこち潜り込むんです」
「目が離せなくて大変でしょう、小さいうちは」
「はい。油断すると書庫に潜り込むし、庭に出ようとするし。そのたびにリズに連れ戻されてますよ」
「いいなぁ、連れてきてくれるの楽しみにしてます」

 自分のような冴えない中年男と話して退屈しないだろうか。不安にならないでもないが、にこにこと嬉しそうに話を聞いてくれる。答えてくれる。

「……はい。ぜひお願いします」

 それが嬉しくて、こちらも控えめな笑顔で答える。
 この人との会話のテンポは………実にゆったりとして、心地よい。

 カリフォルニアの青い空は好きだが、どうも未だにこの土地のとことん解放的で、かつ押しの強い社交術には馴染めない。
 油断していると相手の繰り出す圧倒的な情報量に押し流されて、話すのも聞くのもままならなくなる。
 そうなってしまうともう、お手上げだ。幼い頃過ごしたイギリスを懐かしく思いつつ曖昧に相づちを打ち、うなずくしかない。
 特にレオンの先輩弁護士……確かディーノだか、ジーノとか言う名前だったか。彼は強烈だった。一言も喋れず、はっと気づくとかなり無茶な申請を受けとらされていたものだ。

「タキシードがお似合いですね」
「ありがとうございます。これ、ユニオン・スクエアのショッピングモールで買ったんですけど……買いに行く時、警官に呼び止められちゃいました」
「未成年が一人で何やってるのかって?」
「ええ。ひどい時だと、学生証見せても、パスポート見せても疑われたりするんですよー」

 肩をすくめているが、でも笑顔だ。実に朗らかで綴る言葉も声も軽快。重苦しさや暗さは欠片ほども感じられない。

「東洋系の方はお若く見えますから……ね」
「おかげで少年課の人と仲良くなりました」
「そんなにしょっちゅう……」
「どうしても……仕事終わってから繁華街に出るから」

 なるほど。そんな時間に未成年が。それも女の子が一人で出歩いていたらまず、警官に声をかけられることだろう……勤務中であろうとなかろうと。

「誰かご一緒するような方はいないんですか?」
「サンフランシスコに引っ越してから一年ぐらいしかたってないんです。以前はデービスにいて、そっちには知り合いもいるんだけど、こっちじゃ友達も少なくて」
「ああ、なるほど。デービスには私の同業者も大勢いますよ、あの町は学生さんが多いから……」

 久しぶりにゆったりした空気と会話を楽しんでいると。

「サクヤちゃーん」

 藍色の地に淡いピンクの花模様の入った着物を着た女性が手をふって近づいてきた。ああ、あれが彼女の従姉だな。サリーに比べて大人びている。彼女の方が年上なのだろう。
 それにしても、実に良く似ている。並んでいると姉妹と言っても通じそうだ。

「ごめんねー、放ったらかしにしちゃって。ついハイスクール時代の友だちと話が弾んじゃってさ……」
「うん、いいよ、こう言う時じゃなきゃ滅多に会えないんだし」
「それで……こちらの紳士はどなた?」
「こちらはエドワーズさん。エドワーズさん、こっちが従姉のヨーコさんです」
「こんにちは、Mr.エドワーズ」
「こんにちは、Missヨーコ。やあ、これは見事な着物だ……桜ですか?」
「ありがとうございます。ええ、桜です」

 ヨーコはそっと着物の袖を広げ、模様がよく見えるようにしてくれた。

「これと対になってる藤の着物もあって、どっちにしようか迷いました。せっかくだから二人で着ようよってこの子に言ったんですけどねー」
「……ヨーコさん?」
「ごめん、自粛します」

 にこにこ笑ったまま、ぴしっと言い切った。動物病院のサリー先生とはまた違った顔をかいま見たような気がする。
 彼女が着物を着ない理由はわからないが、断固として着たくないと言う意志は伝わってきた。

「それで……お二人ともどう言ったお知り合いなの?」

 ちょこん、とヨーコが首を傾げる。

「うちの動物病院の患者さんなんだ……猫が」
「ああ、なるほどね。それでMr.エドワーズは……新郎のお友達ですか? それとも、新婦の?」
「両方、ですね。三年前まではサンフランシスコ市警の事務官をつとめていました」
「ああ、そうだったんですね」

 うん、うん、とサリー先生がうなずいている。

「………サクヤちゃん、知らずに話してたの?」
「うん。会ってすぐに猫の話になって」
「それじゃあ……自分が何で招待されたのかもまだ話してない?」
「え。あ…………うん。そういえばまだ言ってなかったね」

 おやおや? どうしたことだろう。動物病院でのきびきびした受け答えと何と言う違いか。
 家族と一緒だから安心しているのか、それとも本来はこれが彼女の性質なのか。そう言えばオフタイムのサリー先生に会うのは、初めてだ。

「えーとですね、あたしはマックスとはハイスクールの同級生なんです。それで、サクヤがこっちに留学してくる時に彼に世話を頼みまして」
「……サンフランシスコで部屋を借りる時に手配してもらったんです」
「ああ……なるほど」

 東洋人はアメリカでは若く見られがちだ。サリー先生のように華奢な女性はなおさらだろう。

「デービスならともかく、こちらで部屋を借りるのにはご苦労なさったでしょう」
「ええ……ほんとに。それで、時々探偵事務所で動物探したりしてます」
「そうでしたか」

 くすっと笑いが漏れる。
 あの強面の熱血漢が真剣になって犬や猫を探しているのかと思うと……つい。

「………迷子のペットも探してるんですね、彼が」
「逃げられてしまうことも多いみたいなんですよね」
「体格もいいし。声も大きいですからね……それであなたの出番、と言う訳ですか」
「ええ。休みの時だけですけど」
「なるほど」

 バーナードが脱走した時の花屋の主人のうろたえぶりを思い出す。

『ああ、よかった、もう少しで探偵事務所に電話しようと思ってたんだ!』

 リズの子猫たちが、あの父親の冒険精神と脱走癖を受け継いでいるとなると、心配だ……特に末っ子のモニークは気をつけなければ。

「そちらのお仕事では、なるだけお世話になりたくないものです……ね」
「子猫はそんなに遠くには行けないから、大丈夫ですよ」

 式が始まる少し前にサリーはヨーコと一緒に会場に入って行った。

 ちょっぴり寂しい気持ちで見送ってから、エドワーズは昔の同僚たちに合流した。

 
 ※ ※ ※ ※
 

 会場に入りながら、サクヤはちらっと横目で従姉を見て、ぼそりと言った。
 ただし、日本語で。

「ヨーコさんは、ずるい」
「何で?」

 骨格も顔の形も背丈も自分とそう変わらないのに。と、言うかむしろそっくりなのに……彼女は年相応に大人として扱われる。
 桜の模様の着物をすっきりと着こなし、和装用のしっかりめのメイクをして、髪の毛もきちんと結い上げているからだ。
 いや、たとえもっとラフな服装だとしても、今の羊子さんならきっと、休みの日に一人でモールを歩いても警官から呼び止められることはないだろう。

「……不公平だ。着物と化粧の効果でちゃんと大人に見られてる」 
「んー、だったらさ、サクヤちゃんもお化粧してみる?」
「謹んでお断り申し上げます……」
「そう。今時男の子のお化粧なんて珍しくもないんだけどなー」
「ヨーコさんは絶対女性用のメイクをするつもりだ」
「……ばれた?」

 ちょろっと小さく舌を出して肩をすくめている。
 ああ、この顔、写真に撮って日本の教え子たちに見せてやりたい気分だ…………。

「ねえ、サクヤちゃん。さっきの人さ」
「うん?」
「感じ良かったね。イギリス紳士って感じで」
「ん……確かにそんな感じかもね。ヨーコさん、好みのタイプ?」
「んー、悪かないけど、ちょっと若すぎ、かな?」
「そう?」
「男は四十代からが華よ」
「はいはい……」

 
次へ→【ex4-4-2】そして結婚式で2

【ex4-5】猫と話す本屋

2008/07/22 17:04 番外十海
 
「ただ今、リズ、ティナにアンジェラ、オードリー、バーナードJr.、ウィリアム……それとモニーク」
 
 みゃう、みゃう。
 にう、にう。
 甲高い歓声とともに、ぴんっと垂直に立てられた7本の尻尾に出迎えられる。
 二次会への参加は辞退した。「猫を留守番させているのでね……」と断って。

 マックスの顧客にペットを飼っている人間が多いからなのか、パーティ後に出口に用意された『ちょっとしたプレゼント』の選択肢に缶詰のキャットフードが入っていた。しかも、小エビ入りだ。
 迷わずケーキでもなく、犬用のクッキーでもなく、キャットフードを選んだ。

 リズは目を輝かせてぴちゃぴちゃと小エビ入りのキャットフードを平らげ、満足げに毛づくろいを始めた。
 子猫の中では末っ子のモニークだけがエビに挑戦し、ちょしちょしとスープを美味そうになめていた。

「いい式だったよ、リズ。しあわせになってほしいね、彼らには……そうだ、サリー先生と会ったよ」
「にゃ」

 リズはきちんと後足をたたんで座り、ブルーの瞳をまんまるにして見上げてきた。

「タキシードがよく似合ってた……。どうやら、サリーと言うのは通称らしいね」

『サクヤちゃん』

 Missヨーコは従弟をそう呼んでいた。おそらく、あれが母国での彼の正式な名前なのだろう。
 
「本名はサクヤと言うそうだ……美しい響きの言葉だね。まるで、源氏物語かおとぎ話に出てきそうな名前じゃないか」

 ほうっとため息。しばらく物思いにふける。
 閉じたまぶたの内側に、青いリボンが翻る。
 式の最後に行われたガータートス。花婿が後ろ向きに放り投げた靴下留めを受けとった者が次に結婚する。

 宙に舞った青い靴下留めを、空中ではっしと取ったのは爆弾探知犬デューイだった。しかし彼はその後とことこと歩いて行き、サリーに……いや、サクヤに渡したのだ。

「えーっと………………ありがとう、デューイ」
「あら、サクヤちゃん、いいものもらったね」
「………うん」

 サクヤは少し困ったような顔をしてお礼を言い、デューイの頭を撫でていた。
 ぱちりと目を開ける。

「リズ。今度、あの人に花を贈ろうと思うんだ。どうだろう?」

 リズは口の周りを舐めて目を細めて、一声

「……みゃ」と鳴いた。

 床にかがみこむと、エドワーズはしなやかな毛並みを撫でた。

「ちょうど夏薔薇が盛りだから……ね」
 
 果たして彼女がYesと答えたのか。あるいはNoと答えたのかは…………また次の機会に。
 
 
(猫と話す本屋/了)

その頃、サリー先生は…

次へ→【ex5】熱い閉ざされた箱

サワディーカ!

2008/07/22 17:20 短編十海
 
 チャイナタウンは好きだ。

 この、適度にごちゃごちゃした雰囲気がいい。空いてる場所に後から後から物を積み上げて、しかも雑然としたなりに形になってるバランスが心地よい。
 赤や黄色、光沢のある緑。派手な色彩が、カリフォルニアの陽光にさらされていい具合にあせた色合いもまた、なかなかに趣き深い。
 油と砂糖と八角、茴香、山椒、肉桂、白檀、茉莉花、その他もろもろの香りの溶け込んだぬるっとした空気を吸うのも好きだし、何と言ってもこの町は食い物が美味い。

 そんな訳で暇さえ見つけてはここに鼻をつっこんで、愛用の古い一眼レフでかしゃかしゃ写すのが日課になっていた。
 出入りすれば自然と馴染みも増える。
 黒髪に濃い茶色のアンバーアイ、やや浅黒い肌と言った俺の容姿もこの町に容易に溶け込む助けとなってくれる。

 詳しくなればなったで、仕事も採れる。
 
 その日も趣味と実益を兼ねてチャイナタウンをぶらついて、時折目に留まった風景を写真に収めていた。
 あくびしてる猫とか、道ばたにとめられた自転車とか、どこかに1ポイントしぼって写す時もあるし、このへんか、と大雑把にあたりを着けて何枚も写して後で現像する段になって気に入りの風景を選ぶ場合もある。

 本職のカメラマンの匠の技には遠く及ばないが、仕事を離れて好きなように写真を撮るのは楽しい。他に趣味らしいものもないしな。

 店先に針金細工の鳥かごが置かれていた。値札もつけずに、ぽん、と。売り物なのか、店の飾りなのか微妙なとこだ。
 すき間が大きい所を見ると、あくまで鳥かご型のオブジェであって実際に鳥を飼うためのものではなさそうだ。
 その中に、偶然……本物の、生きた小鳥が入っていた。おそらくセキレイだろう。
 こいつぁ面白ぇ! ってんでカシャカシャ連写して。ぱっと飛び立ったのを追いかけてレンズを道の方に向けると……。

「ん?」

 ファインダーの中、下の方をすーっと見覚えのある顔が横切った。
 一瞬、背筋がぞわっとなった。

(落ち着け、落ち着け、あの女は太平洋の向こう側だ、こんな所にいるはずがない!)

 カメラを降ろし、深呼吸して肉眼で直に見てみる。
 ぱっと見、ジュニアハイかハイスクールの学生さんと見まごうような東洋系の眼鏡くんが約一名。でっかい買い物袋を下げてとことこと、こっちに向かって歩いて来る。
 近づいた所で手をあげ、声をかけた。

「やあ、サリー」
「こんにちは、メイリールさん」
「買い物、か?」
「ええ、ちょっと食料を……」

 しみじみ見下ろす。ああ、DNAのつながりって偉大だ。

「………………………やっぱ似てるな」
「え、ヨーコさんに?」
「うん」

 指で四角い窓を作り、サクヤを見てみる。きょとんとして首をかしげていた。
 Tシャツにジーンズと、オフタイムらしくラフな格好だ。模様からしておそらくジュニア用だろう。

「ファインダー通してみるとわかる」
「あんまり言われたことないけれど、親どうしはすごくよく似てるから」
「何って言うか、骨格そのものが華奢なんだな、君ら。彼女、ひょっとしたらノーメイクに私服で教壇に立ってたら生徒はしばらく気がつかないんじゃねーか?」
「ああ、そうかも」

 想像して思わず、けっけっけっと悪魔じみた声を出して笑ってしまった。また、高校時代のヨーコと来たら実にフラットな体型だったから、余計にな。

(何ですって?)

 一瞬、背筋がぞわっとなって周囲を見回した。
 ………うん、気のせいだよな、そうに決まってる。

「どうかしましたか?」
「え、あ、いや別に……そうか、食料の買い出しかー。やっぱりこっちの食い物の方が口に合う?」
「んー、時々無性に食べたくはなりますね。わりとなんでもいいほうなんだけど」
「俺も好きだよー月餅とか揚げパンとか」
「チャーハンとか水餃子とか」
「いいねー餃子」
「ただこっちだとラーメンはいいのがないんだよなぁ……」
「……普通のスーパーでな。カップ入りのスープのコーナーに行ってみてごらん。多分、見覚えのあるロゴのやつがあるはずだ。ヌードルスープって商品名だけど」

 いかん、いかん。
 何だって俺は、二十歳過ぎた相手に子ども相手に喋るような口調で話してるのか。

「インスタントは日本からも送ってもらえるから」
「そっか」
「日本は麺の種類がわりと多いんだけど、うどんと蕎麦とラーメンは、納得いくものに遭遇することはほとんどないかな……」

 思わずぷっとふき出した。
 同じ骨格、同じ音質の声でほとんど同じ台詞を言った奴がいたのだ……昔。

「一瞬タイムスリップしたと思ったぜ」
「ヨーコさんも言ってた?」
「ああ、もうロクな蕎麦が食えないしうどんも全然だめーっ、とんこつラーメンたべたーい! ………って言ってた」
「アメリカって麺好きには厳しい国なんだよね。パスタはみんなゆですぎだし」
「そーなんだよなー。ゆですぎは食えたもんじゃねえ」

「ヨーコさんに言わせると、まだ最近のほうがマシなんだそうだけど」
「そうだな、ここ10年ぐらいでだいぶマシになってはいる。でもイタリアン食いに行くならピザにしといた方が無難だね」
「いっそベトナム料理店に行ってフォーでも食べようかな−」
「ああ、あれ美味いよな。食後のコーヒーがめっちゃくちゃ甘いけど」
「……焼きそば食べたくなってきた」

 食い物のにおいのする空気の中で、食い物の話で盛り上がっていたら何だかやたらとこっちも腹が減ってきた。
 って言うか俺は今日、昼飯はおろか朝飯も食ってはいないのだ。
 チョコバーと水は口にしたがな。

「タイ料理じゃだめか?」
「パッタイですか。あれ米粉なんだよね……美味しいところあります?」
「案内するよ。けっこう仕事で食べ歩きしたからな」
「是非」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 馴染みのタイ料理店にサリーを連れて入って行くと、エプロンを着けて髪をきりっとポニーテールに結い上げた看板娘が、にこやかに声をかけてきた。
 きちっと胸の前で手を合わせて。

「サワディーカ(英語のHello!に相当する挨拶)、メイリールさん!」
「やあ、タリサ。今日もきれいだね」
「はいはい、ありがとね」

 さらっと流される。いつものことだ。

「席、空いてる? 二人分」
「どうぞ、こちらへ」

 10人も入ればいっぱいになる小さな店だが、昼時を少し過ぎていたので空いていた。
 四角い、低めのテーブルにつくと、大きめのガラスコップに注がれたよく冷えたレモンバームのお茶が二人分、どんどんっと出てきた。

「パッタイ二つと、春雨のサラダ。あとデザート、今日は何がある?」
「バジルシードのココナッツミルクがけ」
「じゃあ、それも二人分。大丈夫だよな?」
「ええ、平気です。ありがとう」

 さらさらと料理の名前をメモすると、タリサは店の奥の父親に向かってはきはきした声でオーダーを伝えた。
 すぐに奥の厨房から低い声で返事が帰ってくる。
 オーダーを終えるとタリサはちょこん、と首をかしげて聞いてきた。

「それで……メイリールさん、どこのお子さん連れてきたの?」
「え?」
「珍しいよね、子連れだなんて?」
「あ……いや、違うんだ、そうじゃなくて」

 そうだよな。傍から見れば今の俺って、子どもに焼きそばをおごるうさんくさいおじさんだ。

「いや、そーじゃなくて……友だち。動物のお医者さんなんだよ、彼」
「まだ学生ですよ」

 にこにこしながらサリーが言い添える。

「あら、獣医さんなの? うちにも猫いるよ」

 猫ってのは自分が話題にされてると嗅ぎ付ける才能があるらしい。ちょうどその時、ほっそりしたシャム猫が上品に体をくねらせて奥から出てきた。
 クリーム色の地色に顔と耳、手足の先と尻尾の色がほんの少し濃い褐色を帯びている。
 瞳はターコイズのようなブルーだ。

「ああ、すごく綺麗な子ですね。おいで」

 猫はするりとサリーに近寄り、絹みたいにつややかな毛並みを彼の指先に掏り寄せた。
 長い尻尾がくるりと彼の手に巻き付く。

「毛並みいいなぁ、すべすべだ」
「その子、私のお祖父さんが連れてきた猫の子孫なの。ネズミ穫りの名人なんだよ!」

 タリサは誇らしげに胸を張った。

「ネズミ穫ってくれるからね、猫はすごく大事」
「ええ、そうですね」

 猫はサリーになでられてすっかり上機嫌だ。目を細めてゴロゴロのどを鳴らしている。

「すごいなあ。この店に出入りするよーになってからけっこう経つけど、俺、まだそこまでフレンドリーにしてもらってねえ」
「メイリールさんは、タバコの匂いがするからですよ」
「やっぱヤニか……」
「動物は匂い気にしますからね」
「ヤニか………」
「俺も、病院から出た直後はだめな時もありますね。消毒液の匂いがするみたいで」
「ああ、猫にしてみりゃやっぱ怖いんだな、病院のにおい」
「柑橘系の強いのも苦手ですね、猫」
「ミントは?」
「ミントはどうかなぁ……多分きついとやっぱりだめだと思います」
「ああでもたまにすごく好きな子もいる……」
「そっか……」

 一応、メンソールだからミントの香りなんだけどなあ。ヤニの方が強いんだろうか。
 くんくん、と箱に入った煙草のにおいをかいでいると、ほこほこと湯気の立つ皿が二人分、目の前に出てきた。
 太い麺と、茹でた海老、スクランブルにした卵と大量のニラとモヤシ、くだいたピーナッツに忘れちゃいけないパクチー。
 あつあつのパッタイが盛りつけられている。

「どうぞ! 熱いから気をつけてね」
「サンキュ、タリサ」

 ちらっと俺を見下ろすと、タリサは人さし指をぴっと立てて左右に振り、びしっと言ってくれた。

「メイリールさんは煙草吸い過ぎ!」

 ああ。
 十八の女の子に説教されちまったよ……。

「ライム、サービスで二切れ入れといたからビタミンとってね?」
「うん……いただきます」
「いただきます」

 一口食ってからサリーは、あ、と小さく声をあげた。

「美味しい」
「だろ? ここ、店は小さいけど親父さんの腕は確かだから」

 俺の皿には分厚く切ったライムが二切れ添えられていた。サリーの皿には一切れ、これが普通だ。
 せっかくの心遣いを無駄にもできず、ぎゅっと絞って麺にかける。猫はちょっと顔をしかめて、すうっとまた奥に戻ってしまった。
 通りすがりに、じゃあね、とでも言うようにサリーの足にすりよって。
 俺のことは鞭のような尻尾でぴしゃりと叩いて。

 まったく、この店のタイ美人は気が強い。
 人でも。
 猫でも。


(サワディーカ!/了)

real-Scotsman

2008/07/22 17:21 短編十海
 
 部屋に戻ると、新郎新婦に報告するまでもなく二人の方からやってきた。
 ちらりとヨーコの方を振り返ってからヒウェルは小声で伝えたのだった。

「双子のことなら心配ない。じきに戻って来る」
「……そうか」

 ほっとディフが安堵の息をつき、レオンと顔を見合わせる。気が気じゃなかったらしい。ったく、心配性だな、『まま』。

「ああ、ここに居たな、マックス」

 ぬっとマクダネル班長が近づいてきた。いつもの厳しい顔が若干ゆるんでいて、血色も良くなっていらっしゃる。

「こちらの美しいご婦人はどなたかな?」

 美しい? そーりゃ見てくれはそこそこですがねチーフ。ごまかされちゃいけません、アレの中味は『猛獣』ですぜ!

「彼女は俺とヒウェルの高校時代の同級生で、ヨーコって言います。ヨーコ、こちらは俺の警官時代の上司でマクダネル警部補」

 しずしずと一礼すると、ヨーコはにっこりと適度に控えめな笑みを浮かべた。

「ヨーコ・ユウキと申します。お目にかかれて嬉しく思います、マクダネル警部補」
「こちらこそ、Missヨーコ。よろしければ一曲踊っていただけるかな?」
「とても嬉しいお申し出ですけれど、ご辞退させていただきますわ、警部補」

 くすっと笑うとヨーコは着物の両袖を広げた。

「今日は踊るのにはいささか、不向きな服装ですので」

 ディフが首をかしげた。

「そうか? でもハイスクールの時は」
「あれは、浴衣だったから!」
「そうなのか」
「そーそー、着物とは違うのよ。あれは盆ダンスの時のユニフォームだから」

 にこやかにさらりと言ってるが、そーゆー次元の問題じゃないだろ、ヨーコ。
 俺は覚えてるぞ。
 ユカタの下にショートスパッツ履いて、ジャニスやカレンらと一緒にアップビートでノリノリで踊りまくってた君を。

「それは……残念」

 大げさに肩をすくめると、チーフ・マクダネルはやおら表情を引き締めてディフに向き直った。

「単刀直入に聞こう。ダンスの前にこれだけは確認しておかんとな……」
「はい」

 ディフも真面目な顔でうなずく。

「Are you a real Scotsman?」
「No. 彼が望まないので」

 ほんの少しの間、チーフはむっとした顔をしていた。しかし、すぐさまにやりと豪快に笑うとディフの背をばしばしと叩いたのだった。
 試しに聞いてみる。

「で……チーフ、あなたは?」

 ずいっと彼は胸を張って答えた。

「Yes!」

 やっぱりな。
 大またでざかざかと歩み去り、新たなパートナーを探しに行くチーフの背を見送りつつヨーコが小さくため息をついた。

「惜しいなあ……もろ、ツボだったんだけどなあ」
「そりゃ、確かにチーフはいい漢だが………」

 ディフが首をひねった。

「年、離れすぎてないか?」
「同感だ。彼と手ぇつないだら君ら、ほとんど親子だよ」
「男は四十代からが華よ。やっぱり素敵ね、あれこそ大人の男! って感じ」

 しみじみおっしゃってますなあ、ヨーコさん。
 つまり、あれか。
 君の目から見れば俺らも双子も同じレベルってことか? そこはかとなく納得行かないぞ。

「で。ちょっと質問したいんだけどいいかしら?」
「何だ?」
「さっきの警部補の質問って、どう言う意味? 『本物のスコットランド男か』って……」
「いや、つまり……キルトってのはスコットランドの民族衣装だろ」

 ディフが答える。ほんの少しためらいながら。レオンはただ笑顔で見守るのみ。

「本来なら下着つけないで着るのが正しい着方なんだ」
「……ああ、つまり、そゆこと」
「うん。そゆこと」
「なるほどねぇ……」

 しみじみうなずきながらチーフの後ろ姿と、ディフを交互に見ている。ふと思い出して今度は逆にこっちから質問してみた。

「そう言えばさあ、ヨーコ」
「何?」
「キモノも本来は下着つけずに着るもんなんだろ?」
「昔はね」
「……are you a real japanese woman?」
「…………………ヒウェル」

 久々にくらった『こめかみぐりぐり』は、一段とキレが増していた。

「くうう。ひっさびさに効いたぜ」
「ったく。あんたがゲイじゃなきゃセクハラで訴えるところだ」
「訴えるのなら相談に乗るよ?」

 さらりとレオンが切り出した。腕組みをして三白眼でねめつけるディフの隣から、笑顔で。あくまで穏やかな笑顔で!

「いえ、残念ながら月曜の便で帰りますので………」

 ぱしぱしと手を叩いてからヨーコは事も無げに着物の襟に指をそえ、ぴしっと整えた。

「ノーパンかどうかは問題じゃなくて、要は下着のラインが上に出ないよう気をつけりゃいいってことなの。ちゃんと和装用のランジェリー着けてるわよ」
「さいですか」


(real-Scotsman/了)