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ローゼンベルク家の食卓

【ex4-1】EEE

2008/07/22 16:59 番外十海
 サンフランシスコのユニオンスクエアの近く。表通りからちょいと引っ込んだ適度に古びた商店街の一角に、砂岩造りの三階建て、鉛筆みたいに縦長の建物がある。

 小さいながらも奥には立派な庭があり、一階部分は店舗で二階から上は居間と食堂、バスルームとキッチン。
 三階部分は屋根裏に少し手を加えただけの部屋だが天窓もあり、それなりに快適。かつては子供部屋であり、今は店主とその家族のささやかな寝室として使われていた。

 毎朝五時ジャストに枕元で金属製の目覚まし時計のベルが鳴る。
 もっとも最初のジリン……が鳴り終えるより早く長い腕が伸びて止めてしまうのだが。
 目覚ましの有無にかかわらず五時きっかりに起きるのが、エドワーズの日課であり生活の基本だった。

 朝の身支度をすませる間に床に置かれた藤のバスケットの中からにゅっと細長い尻尾が立ち上がり、ぴょんと飛び出して。
 みう、みう、と甲高い声をあげながら足元にまとわりつく。
 大人サイズが1本、ちいさなちいさなベビーサイズが6本。

「やあ、おはよう……リズ、ティナにアンジェラ、オードリー、バーナードJr.、ウィリアム……それとモニーク」

 母猫のリズは白い体に四本の足と尻尾に薄い茶色が交じり、一ヶ月前に生まれた子猫たちもそれぞれ割合は異なるが白と薄茶のふかふかの毛皮に覆われている。
 唯一の例外はバーナードJr.で、この一匹だけは父親そっくりの黒茶の虎縞模様。
 あまりの生き写しっぷりに父親猫の飼い主はひと目見た瞬間言ったものだ。『この子はぜひ、家で引き取らせてくれ!』と。
 いずれそっくりの猫が大小2匹そろって花屋の店先で、客をもてなすことだろう。

 7匹の猫を引き連れてキッチンに向かう。
 母猫のリズにドライフードと缶詰。子猫たちには、猫用の粉ミルクを缶詰に混ぜたもの。そして新鮮な飲み水。
 猫たちが食べ始めるのを確認してから、自分の朝食を準備する。内容はいたってシンプル。紅茶とゆで卵とトースト。バターかメープルシロップかジャムかはその日の気分次第。
 ピーナッツバターにだけはどうしても馴染めない。
 食べ終えると皿とカップを洗い、庭に出る。

 子猫たちはまだ庭には出してもらえない。たまに末っ子のモニークが果敢に未知の世界への進出を試みるが、そのたびに母猫に襟首をくわえてぶらさげられて連れ戻される。

 小さな庭はふかふかの芝生が敷き詰められ、花壇にはカモマイルにセージ、ローズマリー、ルバーブ、そして色も花の形も、丈もさまざまな大小のバラ。
 
 Image213.jpg
 
 すべて母が植えたもので、彼女亡き後は父が。そして、3年前からは彼自身が世話をしている。
 子どもの頃に覚えた動作を、きちんと手が覚えていると知った時は驚くと同時に安堵もした。

 一株ずつ、丹念に。商品を扱う時と同じように、その前の職務を果たしていた時と同じように几帳面に。
 きちんと庭の手入れを終えると店に戻り、開店の準備にとりかかる。

 ……と言っても、ほとんどすることはない。
 カウンター奥のパソコンを立ち上げ、背の高い本棚の並ぶ店内を見回ってから入り口の鍵を開け、窓の鎧戸を開ける。

 こうして今日もエドワーズ古書店の日常が始まった。
 
 
 ※ ※ ※ ※

 
 正午を少し回った頃からぽつりぽつりと客が訪れる。

 とは言え午前中はもっぱら、パソコンでの作業に当てているのでそれなりに忙しい。
 最近は店先で売るよりもネットで取引することが増えているのだ。
 数多い情報の中から自分の店の本を探し当ててくれる顧客がいるのはありがたい限りだ。

『ずっと探していたんです』
『ありがとう』

 稀にお礼のメールを受けとることがある。そんな時は自分でも気づかないうちにふっと、かすかに笑っていることがある。
 何を買うと言う訳でもないのだけれど、ほんのりと薄暗い店の中に足を踏み入れ、一冊一冊本の背表紙を確かめながら歩いて行くお客もいる。
 とても幸せそうに、古い紙や糊、布、革のにおいの溶け込んだ空気を呼吸して。

 かと思えば、古い家の屋根裏からまとめて引き取ってきた雑誌の山に突進し、『これ全部ください』と言い切った客もいた。
 眼鏡をかけた長髪の黒髪の若い男だったが……どう見ても彼は、自分の買っていった雑誌より年下だ。

 するり、と足元をしなやかな感触がすりぬける。

「どうしたんだい、リズ」

 薄茶色の尻尾をぴん、と立てて外に通じるドアを凝視している。
 果たして。
 カランカラーン、とベルが鳴り、ドアが開いて郵便配達員が姿を現した。

「こんにちは、エドワーズさん……これ、書留なんで、サインお願いします。それと、こっちは普通郵便」
「ごくろうさま」

 胸ポケットに挿したペンを抜き取り、さらさらと署名する。

 エドワード・エヴェン・エドワーズ

 それが、彼が生まれてから36年間使ってきた名前だった。

「はい、確かに。それじゃ、リズ、またね!」

 配達員を見送ってから、受けとった郵便物を確認していると……ふと、一通の封筒に目が止まった。
 差出人は連名だ。
 レオンハルト・ローゼンベルクとディフォレスト・マクラウド。
 どちらも見知った友人の名前、だが彼らの名前が出てくるとなるととっさに身構えてしまう。
 
 何かトラブルだろうか? 始末書か? それとも、保釈の手続きか?

 やれやれ……こまったものだ。父の古書店を受け継いでからもう3年になると言うのに、まだ前の職場の癖が抜けないと見える。
 苦笑していると、すとん、とカウンターにリズが飛び乗ってきた。
 薄茶色の長い尻尾が音もなくひゅんひゅんとうねる。低く身を伏せ、耳をぴっと前に立て、店の中の一点を凝視している。

 青い瞳の見ている先をうかがうと、今、まさに十五、六歳ぐらいの少年が一人。棚の本を一冊抜き取って上着の中に押し込んだ瞬間だった。

「……」

 素早く立ち上がるとエドワーズは少年の背後に歩みより、肩に手を置いた。

「君」

 ばっと手をふり払い、走り出そうとする足を軽く払う。バランスを崩した所で手首を抑えて背後にねじり上げ、壁に押し付けた。
 上着の中に押し込まれた本がばさばさと足元に落ちる。
 植物図鑑に育児書、パッチワークの図案集にハードカバーのミステリーとジャンルはばらばら。
 興味があって選んだ、と言うよりは手当たり次第に抜き取ったのだろう。おそらくは純粋に盗みのスリルを楽しむために。

「……初めてじゃないね?」
「だったら何だよ」
「君には黙秘権がある。弁護士を呼ぶ権利もある。君の言うことは法廷で不利な証拠として採用される場合がある」

 少年は口をゆがめて吐き出すようにして、言った。

「何警官みたいなこと抜かしてんだよ、おっさん!」
「……三年前までは、ね。市民権限により窃盗の現行犯で君を逮捕する」

 初犯ではないが、まだ『逮捕』と言う言葉に萎縮する程度には初々しいレベルに居たらしい。
 カウンターの奥に少年を座らせてから携帯を開き、かつての職場に電話した。

「やあ、トリプルE! どうした?」

 現職時代に着けられたニックネームは未だ健在。命名した本人も今は辞めて私立探偵に鞍替えしたと言うのに。

「少年課から誰かうちの店によこしてくれないか」
「ああ、万引か?」
「そんな所だね」
「わかった。すぐに行かせるよ……」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 やってきた顔見知りの私服警官に少年を引き渡してから、改めて届いた手紙を開封する。
 真っ先に気になる連名の封筒を開けた。

「……え?」

 思わず小さく声が漏れる。
 レオンとマックス、二人の友人から届いたのは保釈の申請書類でもなければ始末書(いったい何枚処理したことやら!)でもなく………結婚式の招待状だったのだ。
 にゅっと白い毛玉が視界を遮る。リズがカウンターに飛び乗り、手元をのぞき込んでいた。
 ふん、ふん、と熱心に手紙のにおいをかいでいる。

「驚いたよ、リズ。あの二人が学生時代からの親友なのは知っていたが、まさか、結婚するような仲だったとは……」
「みゃ」
「結婚、か……」

 ふう、とため息一つ。左手の薬指を軽くなぞる。
 指輪を外してから、もう十年近い月日が流れた。跡なんてとっくに消えた。もはやそこに指輪のあった感触さえ微かだ。

「………若すぎたからね、彼女も、私も。お互いの情熱を上手く受けとめることができなかった」
「みゃう」

 強面の警察官だったマックスが。切れ者の弁護士として署内で恐れられているレオンが。二人一緒の時は常にどちらかが、あるいは両方がほほ笑んでいたような気がする。
 最初のうちは驚いたが、まもなく彼らのまとう空気がとても好きになった。
 警察を辞めて以来、滅多に顔を合わせることはなくなっていたが。

「あの二人なら良い伴侶になりそうな気がするんだ……お互いに」

 リズはひゅうん、と尻尾を振ると、飼い主の手にぐいぐいと頭をすりつけてきた。
 絹のようなしなやかな毛並みをなでる。

 電話をしようかとも思ったが、どちらも今はさぞかし忙しかろう。少し考えてから、返事を書いた。
 メールではなく、紙とペンで。

「おめでとう、ぜひ出席させてもらう」と。

 封筒に入れて住所を書き、買い置きの切手を貼る。署名は二人分で住所は一つだった。おそらくもう一緒に住んでいるのだろう。
 後で発送用の商品と一緒に郵便局に出しに行こう。ついでに食料も買い足して……帰りに花屋に寄って、子猫たちの写真を見せるとしようか。

 不意にリズがぴんっと耳を立て、店の奥へと歩いて行く。
 そのまま優雅な仕草で住居部分へと通じるドアをくぐり抜け、とことこと階段を上がっていった。
 
 どうやら、子猫に呼ばれたらしい。
 

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