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ローゼンベルク家の食卓

【ex4-2】サリーのワードローブ

2008/07/22 17:00 番外十海
 
 その日、サリーこと結城朔也が実習先の大学病院に顔を出すと、担当の指導医に言われた。

「サリー、まとめ買いした白衣、届いてるわよ」
「あ……ありがとうございます、マリー先生」

 とことこと近づく。部屋のテーブルの上には届いたばかりの通販の箱が置かれ、Dr.マリーと二人の女性アシスタント、ミリーとエリーが中味を取り出して、せっせと仕分けの真っ最中。

「えーと、この水色のSサイズはサリーのよね?」
「はい」

 白衣やナースウォッチ、シューズ、ステートやハサミなどの医療用の小物や衣服は数人で注文をまとめて購入している。職場からグループで注文すると割引が効くし、送料も節約できるのだ。
 箱の中味はレディスオンリー。
 サリーの白衣も例外ではない。パンツタイプではあるのだが、女性用のSサイズ。体に合わせた結果の選択である。
 同じSサイズでもメンズは肩幅が広くて襟もゆるゆる、袖が妙な位置に来る。全体的に余った布地がからみついて、とてもとても、動きづらいのだ。

「夏物だから思い切って生地が薄いのを選んでみたの。どうかな、ランジェリーのライン、透けないかな」
「んー、けっこう微妙かな? その辺は、私はキャミソールで調節してる」
「ああ、ミリーのキャミ、シンプルで可愛いものね」
「でしょ? レースつきのはかゆくなるし、透けると目立つから」

 あっけらかんとした女性たちの会話を聞きながらサリーは秘かにため息をついた。

(……いい加減、慣れたけど……やっぱり男性として認識されてないのかなあ)

 女ばかりの家族の中で育ったせいか、あるいは華奢な体つきのせいなのか、それとも顔立ちのせいなのか。
 インターンとして配属されて以来、彼は女性ばかり3人のチームの中に何の違和感もなく溶け込んでいた。

 時々、大学病院のスタッフと一緒に外にランチを食べに行く時もある。
 メニューにはないミニデザートのチョコミントアイスを何の疑問も持たずに美味しくいただき、ふと周囲を見回してみたら『女性限定、ミニデザートサービス』なんて張り紙があったりして。
 がっくりと来たのも一度や二度ではない。
 
 しかも。
 
 さらに稀なことではあるのだが、病院に通ってくる患畜のオーナーから花を贈られることもある。
 明らかに日頃の感謝の印にしては過ぎた量とサイズのゴージャスな花を。
 とりあえず病院全体にもらったものだと拡大解釈して、においのきつくない、動物への影響の少なさそうなものは待合室に。百合などの香りの強い花は事務室に飾らせてもらうことにしている。男の一人暮らしに花を持ち帰った所で処置にこまるし。

(日本ではそんなに女顔って言われた事はないんだけどなあ……)

 確かに自分は母とも。従姉の羊子とも、その母親ともよく似ている。けれど、それは家族だからだ。同じ遺伝子を持っているから当然なのだ。
 ………多分。
 きっと着てるもののせいなんだ。白衣もそうだけれど、私服もメンズは体に合わず、Tシャツに至っては女性用のSサイズがぴったりだった。さもなければジュニア用……靴下は特に。たとえレディスと言えど、かかとを正しい位置に履くと、つま先が余る。

 こんな風にただでさえ着る物で苦労していた所に、今回はさらに悩みが一つ増えてしまった。理由そのものはおめでたい事ではあるのだけれど。

「サリー、どうしたの? 難しい顔しちゃって?」
「いえ、マリー先生、大したことはないんですけど……実は、友だちの結婚式に招待されまして」
「まあ、そうなの、おめでとう」
「それで……俺、今までこっちでそう言う席に招待されたこと、なくって。フォーマルウェアを一着、準備しなくちゃいけないんです」
「あら、キモノ着ないの?」
「持ってきてないですよ、そんなの!」

 紋付きの羽織袴なんて、日本では親戚の結婚式ぐらいにしか出番がないだろうし……。

「ゴージャスで着映えすると思うんだけどなあ」

 まさかマリー先生、振袖着るって思ってる?

「何て言うんだったかしら。昔の日本のプリンセスが着てるような、あの、袖の長〜いトレーンを引いた着物」

 打ち掛けのことだったらしい。微妙に予想の斜め上。

「いや……そうじゃなくて……普通のタキシードで。立食パーティ形式なんで」
「あら、確かにそれは着物じゃ動きづらいわね」
「どこか良さそうなお店、ご存知ありませんか? リーズナブルで、品ぞろえも多くて」

 ここから先が一番大事なポイントだ。

「サイズのお直しもやってくれるとこ」
「んー、そうね……あ、そうだ」

 マリー先生はメモを一枚とり、さらさらとペンを走らせてぺりっとはぎとって渡してくれた。

「ここのお店、いいわよ。サイズのお直しもやってくれるから」
「ありがとう。行ってみます」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 次の日、教えられた店に行ってみると、幸いなことに婦人服専門店ではなかった。
 途中で巡回中のポリスマンに声をかけられたが大学の学生証を見せて年齢を説明し、どうにか事無きを得た。
 今回は比較的スムーズに納得してもらえて助かった。運が悪いと……そう、勤務後に繁華街を一人で歩いている時なぞはもっと時間がかかる事がある。

 もっとも、そんな事を何度かくり返すうちに所轄署の少年課にも知り合いが増え、最近では電話一本ですぐに確認がとれるようになってきた。
 
(こう言う場数はあまり踏みたくないんだけどな)

 店に入り、紳士服売り場のフォーマルコーナーに行く。
 XSサイズのタキシードを試着してみた。
 アメリカでの滞在が長くなれば、これからも正式な席に招待されることも増えて行くだろう。良い機会だからきちんとしたのを一着買っておこうと思ったのだが……。

「だめか………」

 やはり、大きい。もはやサイズ直しで補正の効くレベルではない。
 それでもデザインが違えば。メーカーが違えばあるいは、と試着をくり返し、そのたびに『やっぱりダメだった』とため息をつく。

 床にへたりこみそうな気分を抱えて少しずつ、少しずつ紳士服売り場を移動して行った。
 もうすぐ、境界線を越える。

 シニアと、ジュニアの。

(できればあっち側には行きたくないなあ)

 ちらりと向こう側に視線を走らせた、そのときだ。

「……あれ?」

 ジュニアコーナーのただ中に、明らかに周囲に並ぶ服とは不釣り合いなサイズの男がぬぼっと現れた。
 ゆるくウェーブのかかった赤い髪にがっちりした体格。隣には、ややくすんだ金髪頭が二つ……まとう空気と髪の毛の長さが微妙に違うが、顔かたちも体つきもそっくりの少年が二人。
 親鳥と、その後をついてゆくひな鳥みたいにちょこまかと、三人そろって歩いている。
 金髪の少年がふと足を止め、こっちを見た。
 ほほ笑んで手を振る。
 髪の長い方の少年が顔を上げ、赤毛の男に声をかけた。

「……ディフ」
「ん? どうした、シエン?」

 赤毛の男は髪の長い少年の顔を見て、それから髪の毛の短い方の少年の視線の先を確認し……そして、こちらに気づいた。
 
「よう、サリーじゃないか」

 とことこと歩み寄り、挨拶を交わす。

「こんにちは。お買い物ですか?」
「ああ。オティアとシエンのタキシード買いにな。色と形はだいたい決まったから後はサイズ合わせだな」
「何色にしたんですか?」

 シエンがハンガーにかかった紺色のを一着、手にとって軽く掲げた。

「……うん。素敵だね」
「よし、じゃあサイズ合わせるか」

 おそろいのタキシードを手に双子は試着室に向かい、その後をディフが歩いて行く。

 周囲を見回し、ふと気づく。
 あれれ。つい、ジュニア用の領域に入っちゃったよ。まあ、いいか……。さっきのより、確かにこっちの方が体に馴染みそうだ。
 黒い、細身のを一着選んで自分も試着室に向かう。

 予想通りと言うか、やはりと言うか、ぴったりだった。肩幅も、袖丈も、上着の丈も、襟ぐりも、何もかも。サイズ合わせをする必要もないくらいにジャストフィット。

 試着室を出ると、隣のブースでは『まま』に付き添われたシエンとオティアが袖丈とズボンの裾を調節している所だった。
 女性店員が二人の体に合わせて袖と裾を折り曲げ、待ち針で留めている。二人とも微妙に緊張した面持ちだ。人と触れあうのが苦手な子どもたちにしてみれば最大級の努力をふりしぼっているのだろう。

 心配になって見守っていると、後ろから店員に声をかけられた。

「May I help you?」
「あ、はい、これをお願いします」
「サイズのお直しは?」
「いや、このままで」
 
 背の高い女性店員は、じーっとサリーとタキシードを見比べてから、まるでお母さんのような笑みを浮かべて言った。
 
「お客様、できればもう少し大きいサイズをお選びになった方がよろしいかと。その方が長く使えますし……サイズの調整も承っておりますので」
「………いえ、これでいいです」

 もう、自分はこれ以上育つことはないと思う。二十歳過ぎてるんだし。
 将来有望な双子と違って。
 
 強烈に床にへたりこみたい衝動に駆られるサリーを、双子とディフが心配そうに見守っていた。

「サリー、疲れてるみたいだね」
「……ああ、日本人がこっちで服探すのは大変らしいからな」
「そうなんだ」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 その日の夜、日本の従姉から電話がかかってきた。

「ふーん、そんな事があったんだ……」
「うん。帰りに事務所に寄らせてもらって、お茶とケーキごちそうになったよ」
「よかったじゃん」
 
 よほどげんなりしているように見えたのだろう。その後、ディフが車でアパートまで送ってくれた。
 
「で、結局買えたの? タキシード」
「うん……ジュニア用だけどね」
「何色?」
「黒」
「地味だなー。やっぱ振袖着た方が良かったんじゃないの、サクヤちゃん」

 何とものんびりした、そして楽しげな羊子の口調に思わずむかっとする。
 人がどれほど苦労したかも知らないで……。

 いや、彼女はおそらく知っている。
 自分も高校生の時、留学していたのだから、同じ苦労をしたはずなのだ。わかっていてからかうなんて!

「もう、こっち来るまで電話しないでくれる?」

 思わず低い声で言い放っていた。

「…………………」

 一瞬、電話の向こうで息を飲む気配がする。

「ごめん。怒った?」
「怒った」
「ごめん……も、言わない」
「いいよ、もう」

 ため息を一つ。誰にも言えないことを口にする。彼女になら話せるから。わかってくれると知っているから。

「服を買うのに、選ぶ種類がないって言うのが問題なんだよ。女性用とか、ジュニア用になっちゃうし」
「そりゃ、アメリカンとは骨格が違うからねー。腕の長さも、肩幅も。基準が違う」
「うん……それ、よーっくわかった。つくづく思い知らされたよ、今日」
「ね、サクヤちゃん」
「うん?」
「服探す時はさ、なるだけ、同じ東洋系の店員さんに相談してごらんよ。似た様な悩み抱えてるはずだからきっといい知恵貸してくれるよ?」
「うん………そうしてみる」
「日本から通販で買うこともできるよ。ちょっと送料、割高になるけどね。何人かで集まってまとめ買いするといいかも?」
「うん……ありがとう、羊子さん」

 やっぱり心配してくれてるんだな……小さい頃からそうだった。
 自分のサンフランシスコへの留学が決まった時も真っ先にディフに連絡をとり、面倒を見てくれるように頼んでくれた。
 
「そうだ、シスコに来るって話しておいたよ」
「そっか。サンキュ、サクヤちゃん。それで、マックスは何か言ってた?」
「喜んでた。招待客のリストに加えておくって。メイリールさんは……」
「ああ、ヒウェルもいたんだ?」
「うん………」

080706_2243~02.JPG※月梨さん画。こんな顔してました。

『来る……ヨーコが来る……』

 顔面蒼白になって自分の肩を抱いてかたかた震えてた、なんて今さら伝えるまでもないんだろうなあ。
 きっとわかってる。
 
「よーし、お土産用意しとかなきゃなー」

 楽しそうな声だ。きっと満面の笑顔になってるんだろう。

「あ、こっちから何か持ってきて欲しいものある?」
「そうだなー、お茶とか、あと海苔と蕎麦、かな?」
「OK、おば様に伝えとく。それじゃ、またね」
「うん、また、ね」
 
 
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