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ローゼンベルク家の食卓

【3-15】サムシング・ブルー後編

2008/07/13 15:32 三話十海
  • 第三話ラストエピソードです。
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【3-15-6】ウェルカムベア&ライオン

2008/07/13 15:34 三話十海
 
 スコットランドには、結婚式の前日に花婿が花嫁の衣装を見ると不運になるって迷信がある。
 父祖の地の言い伝えをおろそかにするつもりはないが、いずれにせよ話をするぐらいはセーフだろう。

 もっとも俺たちの場合は果たしてどっちが花婿でどっちが花嫁なのか……。
 いや、いや。
 ゲイの結婚式であれこれ考えるのはあまり意味のないことなのかもしれない。
 どっちも花婿になれるし、どっちも花嫁になれる。せっかくの自由な組み合せをいちいち型にはめることもないだろう。

「レオン」
「何だい?」
「話がある……明日の式のことで」

 夕食後、ヒウェルが帰り、双子も隣に引き上げて二人っきりになった所で切り出した。

「俺の衣装のことなんだ」
「ああ」

 明日の式で俺はスコットランドの伝統にのっとってキルトを身につけることになっていた。青と緑を基調にしたマクラウド家のタータン
 上は白のドレスシャツに黒の蝶ネクタイ、タキシードに似た形のプリンス・チャーリージャケット、さらにその上からキルトと同じ模様の肩掛けを巻く。
 上は問題ない。
 問題はむしろ、下にある。

「実は……………その…………」

 首をかしげて、じっとこっちを見てる。
 言いづらいことこの上ない。しかし、ここで下手に引き延したら余計に恥ずかしい。
 よし、言うぞ……本題だ。

「キルトの下は、何も着けないのが慣習なんだ」
「何も?」
「ああ、何も。もちろん、ピンでしっかり留めるし、前には貴重品入れのポーチをぶらさげて重しにするから滅多なことでは……めくれないけど……な」

 まいったな。説明しているうちにどんどん声が小さくなっちまう。
 レオンはしばらく考えていたが、やがて言った。ほんの少し眉をひそめて。

「下着がないかと思うと、式どころじゃなくなりそうだ。気になって」
「……それは……困るな………」
「けれど、民族衣装だしね。伝統というものは……うん、なかなか難しいね」

 一瞬で心が決まった。家族の参列が望めないのなら、せめて先祖の伝統だけは守りたいと考えていた。
 だがそんな意地も、こだわりも、お前にそんな顔させるくらいなら小さなことだ。

「伝統より、お前の方が大事だ」
「……ありがとう」

 ああ。
 反則だぞ、レオン。
 ちょっとはにかんだような笑顔でそんなこと言われたら。
 胸が時めく。
 思わずキスしたくなっちまう。

 こんな風に。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 土曜日はよく晴れてくれた。サリーの教えてくれたまじないが効いたらしい。
 白い布で顔だけのシンプルな人形を作ってぶらさげる。テルテルボーズとか言うらしい。シエンも一個作って昨夜、サリーの作ってくれたお手本のと二個並べてカーテンレールにぶらさげていた。

 少し時間が経ってから見てみたら、三個目が増えていた。すみっこの目立たないところにひっそりと。
 とりあえず気づかないふりをして……夕飯の後、自分の部屋に戻ってからにやにやした。

(ったく、可愛い奴!)

 鋭く澄み渡る青い空は、とびっきりでっかいsomething blue。
 海を見下ろす高台の、白い洋館風のレストランはゲイカップルの結婚式にも快く応じてくれた。さすがサンフランシスコの店だ。
 特別なサービスをしてくれる訳じゃないが、この『快く応じてくれる』ってあたりがミソなんだな。

 庭に面したガラス窓は大きく、室内は明るい。玄関のロビーに設置した受け付け用のカウンターにおめかししたぬいぐるみを二つ並べた。
 そろいのタキシードを着たクマとライオン。クマの腕には、青い花をあしらったちいさなブーケがしっかりと抱えられている。

 そーっと周囲をうかがってから、おもむろにタキシードのポケットからちっぽけなティアラを取り出し、うやうやしくクマに被せる。

 これでよし。どっちが花嫁さんかは一目瞭然だろう。
 ぱしゃっと一枚写してから、中に入った。

 本日の俺の役割はカメラマン兼……花婿介添人(ベストマン)、花嫁介添人(ブライダルメイズ)、どっちだろう?
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 式の開始時間が近づくにつれ、次々と招待客が会場を訪れる。
 ヨーコこと結城羊子が従弟のサリーとともに到着した。

「さすがに目立つね」
「うん。ホテルでも注目の的だった」
「だろうね」
「気分良かった」
「………だろうね」

 本格的な和装はアメリカではことさらに人目を引く。
 藍色の地に、白が天の川のように背面を走り、正面からは右袖と左の裾に斜めに見える。
 抑えめの色合いであしらわれた桜と葉、枝の模様は染めではなく全て刺繍。動くたびに光の具合で微妙に色合いが変わる。
 銀の帯に帯締めは赤、帯揚げは真珠色でめでたく紅白にまとめたらしい。
 長い髪をきりっとアップに結い上げ、櫛と簪できれいに留めている。
 タクシーから降りるなり、ぽんっと白いレースの日傘をひらいて背筋を伸ばしてすっ、すっとほとんど体を揺らさずに歩く姿はなかなか絵になっていた。

「サクヤちゃんも決まってるじゃない、タキシード」
「……どうも」

(サイズがジュニア用なんだけどね……)

 ふっとため息をついていると、カシャリとシャッターの音が聞こえた。電子的に合成された、どことなく軽い響きの音が。
 顔を上げると、ヨーコが携帯を開いていた。

「何、写真とってるの、ヨーコさん」
「うん、おば様にメールしとこうと思って……あら」

 受け付けに並ぶ一対のぬいぐるみを見て、ヨーコが首をかしげた。

「うーん……何か、足りない」

 と、思ったら今度は顎に手を当てて考え込んでいる。そしてバッグを開けるとレースのハンカチを取り出した。

「どうするの、それ」
「んー、これをこーして……」

 きゅっきゅっと折ると、クマに被せてその上からさらにティアラを乗せた。

「ね? やっぱり花嫁さんにはヴェールも必要でしょ?」
「はいはい……」

 額に手を当てて首を小さく横に振る。

「Hey,ヨーコ!」
「カレン! ジャニス!」

 どうやら同級生を見つけたらしい。
 そうだ、彼女にとってはここは半ば同窓会みたいなものなんだ。

「いいよ、ヨーコさん、行ってきたら?」
「うん……ありがとう」

 するすると滑るように歩いて行く従姉の姿を見送ると、サリーは一人で会場に入って行った。


 ※ ※ ※ ※

 
 それからしばらくして。
 かっ色の巨漢、アフリカの太陽にも負けない熱い男。元ラガーマンの弁護士、レイモンドがやってきた。職業柄、きちんとした服装には慣れているはずなのだが……着ているタキシードは、どうしても窮屈そうに見えてしまう。

「レイ。タイが曲がってるわ」

 連れ添ったスラリとしたアフリカ系の女性が手を伸ばし、きゅっとタイを整えた。チョコレート色のなめらかな肌にライトブルーのシフォンのドレスがよく似合う。襟元に沿えたオレンジ色のコサージュからは、みずみずしく、甘い香りが漂う。

「ありがとう、トリッシュ」

 にっこり笑う彼女と腕を組んで受け付けに向かった。
 カウンターの上には一対のぬいぐるみが待っていた。
 おそろいのタキシードを着たライオン……おそらくこれはレオンだろう。そして、クマ。花嫁のヴェールをかぶり、その上にはティアラがちょこんと乗っている。
 さらに腕にはブーケ。

 レイはぱちぱちとまばたきした。

 つまり。
 これは……………。

 頭の中に赤毛の探偵を思い浮かべる。がっちりした体格、頑丈で剛胆な熱血漢。

 彼か。彼が、花嫁ってことなのかっ?

「どうしたの、レイ」
「いや……その………これは………」

 ごくっと唾を飲み込み、疑問を口にしてみる。

「逆じゃないのか?」
「いいのよ、あれで」
「いいのか?」
「ええ。行きましょう」

 まだそこはかとなく納得が行かないが。彼女がいい、と言うなら、あれでいいのだろう。

 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 それからしばらくして、熱くて陽気なラテンガイ、デイビット・A・ジーノが。『真紅の大輪の薔薇』、妻のイザベラを伴いやって来た。
 身につけた赤いドレスはシンプルで、すその控えめなフリルを除いてほとんど装飾らしいものはついていない。
 アクセサリーも、左手の結婚指輪とパールのネックレス、白い胡蝶蘭のコサージュと実にシンプル、しかしそれでいいのだ。
 波打つゆたかな黒髪、ぱっちりしたエメラルドの瞳、真珠色の歯、女神と見まごう豊かな曲線を描く魅惑的なボディライン。

 そう、彼女自身が美しいのだから!

「ああ、イザベラ。マイハニー。マイスイート。やはり君は……美しい」

 ほほ笑む妻に口づけてからうやうやしく手をとり、腕を絡めて中に入る。

「おやおや? これは………」

 受け付けのウェルカムベアーとウェルカムライオンをひと目見るなり、デイビットは首をかしげた。

「これは、逆だろう」

 そして、さっさとティアラとヴェールをライオンの頭に移し替える。

「うん……これでいい」

 満足げにうなずくと彼は再び妻と腕をからめて歩き出した。

「絶対、レオンが花嫁なんだよ。そうに決まってる。だから、あれが正しいんだよ。そうは思わないかい、ハニー?」
「ええ……あなたがそう思うのなら、ね、デイビット」

080715_0002~01.JPG※月梨さん画、トリッシュとイザベラ
 
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【3-15-7】さもなくば永遠に黙秘を

2008/07/13 15:36 三話十海
 結婚式の会場はレストランを丸ごと貸し切り。
 もともとレストランウェディングもやってる所だから内部の作りもそれに相応しく、ちゃんと新郎新婦の控え室も用意されている。
 式場であり、同時にパーティ会場でもある広間の中央に赤いカーペットを引いてバージンロードを作り、席順は決めず、料理もまだ並べずに。

 部屋の中はちょっとした民族の祭典になっていた。

 ディフの知り合いは何人かキルトにタキシード風のプリンスチャールズジャケットのスコットランド式盛装。ずらりと並んで式のBGMを奏でる楽団はバクバイプ。
 控えめな花柄のスカーフですっぽりと頭を多い頭髪を隠したムスリムの女性もいれば、光沢のある赤や青に銀糸や金糸で鮮やかに花模様を刺繍したチャイナドレス姿の子もいる。
 似たようなデザインでこちらはすっきりと直線的な印象の強いベトナムのアオザイ。
 かっ色の肌に映える原色、ふわりと風にたなびくインドのサリー。
 どこの国でもやっぱり女性の方が華やかだな……とか思っていたら、男の中にも何だか妙に目立つ黒装束の奴がいる。
 東欧風の細かな刺繍をほどこしたシャツにチョッキ、ズボンは黒で、刺繍とウェストバンドの色は赤。あれは、ひょっとしてルーマニアの民族衣装か?

 一瞬、「誰? 何で?」と目が点になったが、レオンの事務所の顧客の一人が母親がルーマニア系だと話していたのを思い出し、納得する。
 ヨーコが会場内見回してから言った。
 
「なーんかさっきっから頭ん中でイッツァスモールワールドがぐるぐるしてんだけど……」
「交友関係広いよねー」

 サリーがうんうんとうなずいて相づちを打ってる。
 こいつもタキシードじゃなくて着物を着ていたら……と今更ながら少し残念に思う。
 そうだな、藤の花の模様の着物とか着て並べたら、顔もそっくりだしさぞ見応えのある一対になったろうに。

「それにしてもさ、ヨーコさん、着物ふんぱつしたね」
「ああ、これ、おばさまからの借り物」
「え、母さんの?」
「うん。自前のは帯と帯締め、帯揚げと襟、それと髪飾りぐらいかな」

 そう言うヨーコの着物はサンフランシスコじゃおいそれとお目にかかれないような、地味に美しい逸品だった。動くたびに、桜の模様が微妙に色合いを変える。
 よくよく見てみたら何てこったい、こいつぁ全て刺繍じゃねえか!

「うわ……これは……」
「どしたの、ヒウェル?」
「悔しいけど……滅多に見られるもんじゃねえや。写真、撮らせてくれるか、ヨーコ」
「どうぞ?」

 夢中でシャッターを切った。角度を変えて、何枚か。

「けっこう重装備だな。自分一人で着たのか?」
「まぁ、ね。ちょい自己流入ってるけど……」

 そう言って帯に挟んだ小さな桜模様のロケットをかぱっと開く。懐中時計だった。

「そろそろ式始まるよね。新郎新婦は? 準備できてるの?」
「……ちょっとのぞいてくる」

 新婦控え室に行くと……。

「何やってんだ、お前」

 花嫁さんは、双子のタキシードの着付けをチェックしておられた。

「いや、俺の仕度はもうほとんど終わってるし」
「あー……こんなこったろうと思ったんだ」

 控え室の入り口のところでヨーコがこめかみに手を当てていた。

「ヨーコ! きれいだな、着物」
「ありがと。あなたも男前よ? ただ……」

 するっと彼女は手に下げたバッグから木でできた櫛を取り出した。

「髪の毛、もーちょっと整えておこうね。そこ、座って」
「……ありがとう」

 さっさと手際良くディフの髪の毛を梳く彼女を、双子がしみじみと見ていた。
 普段、自分たちの世話をあれこれしつこいほど焼いてる『まま』が、逆に世話を焼かれてる様子がめずらしいのかもしれない。

「ヒウェル。こっちはあたしが見ておくから、あなたは新郎を」
「OK、頼んだ」

 新郎控え室に行くと、白のタキシードに青いブートニア、新婦とおそろいのサファイアのカフスボタンを着けた花婿さんは……携帯片手に仕事をしていた。
 かろうじて、電話だけ。書類を広げていない分、まだマシと言うべきか。

「Hey………レオン?」
「もうすぐ終わるから」

 ああ、もう、こいつらは。今日はいったい誰の結婚式だと思ってるのか!

「はい、はい、どちらさんもそろそろ時間ですよ! 新郎とベストマンsはそろそろ会場に入る!」
「わかったよ……」
「シエン、指輪は持ったか?」
「ん」

 そっと上着の左胸を抑えた。
 中に入ったベルベットの小箱の中には、一時的に二人の指から外した結婚指輪が収められている。

「OK。アレックス、これしばらく預かっててくれるか?」
「かしこまりました」

 有能執事に大事なカメラを預ける。自分で買ったデジカメと、親父にもらった古い一眼レフと。
 そしてレオンが先に立ってまず会場に向かい、その後をアレックスが。さらにその後ろを双子がとことこと歩いて行く。

「ヨーコ、これ着けてもらえるか」
「OK。きれいなブローチね……とても古い。いい物だわ」

 ヨーコの華奢な手が、タータンチェックの肩掛けの合わせ目に楕円形のブローチを留める。青いブートニアの根本近くに、添えるようにして。

「はい、できあがり」
「ありがとう」
「よし、準備できたな? それじゃ新婦! お前はこっち!」
「じゃ、あたしはお先に。またね」

 ひらっと手を振ると彼女は会場に戻って行った。ただし、正面の入り口を素通りして中庭に向かって。
 どうやら、庭に面したテラスから入るつもりらしい。式の進行を妨げない気配りだろう。

「……行くか」
「ああ」
「何、堅くなってんだよ」

 今更ながらガチガチになった花嫁さんを会場の入り口まで連れて行く。
 途中でさりげなく受け付けのカウンターに目をやると、ヴェールを被ったクマとティアラを被ったライオンが、鼻面つきあわせてキスしていた。
 おいおい、誰のイタズラだい。俺はあそこまでやってないぞ?

「………何、にやついてる」
「気にすんな、これが地顔だ」

 時間かっきりに会場に通じる両開きのドア前に立つ。扉の向こうではバグパイプの楽隊が入場用の結婚行進曲を奏で始めた。

「お、おい、ヒウェル」

 小さな声でこそこそと、しかし早口で聞いてきた。

「何だ?」
「予定より、数、多くないか?」
「ああ?」
「バクパイプだよ! このメロディラインだと20人はいるぞ?」

 ……そこまで聞き取るか。いい耳してるね、歌はからきしダメなくせに。

「ああ。増やしたんだ、楽隊。レオンとこの事務所のお得意さんがね、ぽんっと予算出してくれたんだよ……お前さんへの結婚の贈物だっつってね」
「そ、そうか……」

 東欧系の容貌のハンサムな二代目社長の顔をちらりと思い浮かべる。
 嘘は言ってないぜ、Mr.ランドール。
 ま、実際にはアレックスへの相談にかこつけて当人の目の前で楽隊のことを口に出し、小切手切ってくれるように仕向けたんだけどな。

「よし……じゃあ、行こうか」
「お、おう」

 腕を組んで、ドアの前に立つ。
 そろそろ打ち合わせの時間だ。
 5、4、3、2、1……

 ゼロ。

 ぴったりのタイミングで目の前の扉が開く。さっと音もなく、勢いよく。

 まっすぐに伸びた真っ赤なバージンロード、その先には双子に付き添われて待つレオン。祭壇に相当する位置にはレインボーフラッグが掲げられている。
 人前式だから牧師も神父もいない。そのかわり、執行人としてフラッグの前にデイビットが立っている。立会人は招待客全員。
 さあ、一世一代の大舞台の始まりだ。

「……行くぜ」
「おう」

 精一杯歩調を合わせ、最初の一歩を踏み出した。

 まっさかお前さんと腕組んでバージンロードを歩くとはね……正直、この組み合せは予想外だったよ、ディフ。

  
 ※ ※ ※ ※
 

 双子に付き添われる花婿の所までたどり着くと、キルトをまとった花嫁を無事、彼の腕に引き渡した。
 これにて一つ目のお役目は終了、アレックスからカメラを受け取り、ささっと撮影係に早変わり。
 バグパイプの楽団が最後の和音を奏で、厳かな沈黙が訪れる中。Mr.ジーノが悠々たる動きで一歩前に進み出た。

「Ladies! and………gentlemen.」 

 よどみのない朗々とした声が響く。いつものやかましい(失敬!)おしゃべりと本質的には同じ声なのだが、次元が違う。

「今日、私たちはただ一つの目的の為に集まりました。レオンハルト・ローゼンベルクとディフォレスト・マクラウド、この両名の婚姻と新しき門出を祝うために」

 それなりのボリュームがあり、会場の隅々まで響くが決して騒がしくはなく。むしろ音楽的な心地よささえ伴い、聞く者の心を引きつける。
 最前列に座った『大輪の真紅の薔薇』がほほ笑んでいる。
 法廷ではいつもこんな喋り方してるんだろうな、デイビット。

「この婚姻に異議ある者は申し出よ、さもなくば…………………………永遠に黙秘するように」

 微妙に法廷用語が混じってるのは職業ゆえの癖か、あるいは彼なりのユーモアか。
 いずれにせよ客の大半は検事に弁護士、判事に警官。場違いな場所で聞く耳慣れた言い回しに、思わず反応もしようってもんだ。
 
 会場のそこ、ここで漏れる控えめなしのび笑いにデイビットはにまっとほほ笑んで答えると先を続けた。

「レオンハルト・ローゼンベルク」
「はい」
「病める時も、健やかなる時も。貧しい時も、豊かな時も。喜びにあっても、悲しみにあっても、命ある限り彼を愛し、共に在ると誓いますか」
「誓います」
「ディフォレスト・マクラウド」
「はい」
「病める時も、健やかなる時も。貧しい時も、豊かな時も。喜びにあっても、悲しみにあっても、命ある限り彼を愛し、共に在ると誓いますか」
「………誓います」
「では指輪の交換を」

 頬を紅潮させたシエンにオティアがぴたりと付き添い、前に出る。ややぎこちない動きでシエンは上着のポケットから青いベルベットの小箱を取り出し、蓋を開けて捧げ持った。
 優しく煙る紫の瞳、二組。じっと見守っている。
 寄り添う二人を。
『ぱぱ』と『まま』を。

 デイビットは厳かに双子から指輪の小箱を受けとると、新郎新婦の前にさし出した。レオンがサイズの大きい方を(仕方ないだろ、ディフの奴の方が指が太いのだから!)手にとり、ディフの左手を握る。

「この指輪を婚姻の証しとして君に捧げる。君を愛し、全てを分かち合う」

 そしてすーっと左の薬指に…………。
 ……………。
 ぽろりと指輪が落ちる。

「あ」

 床に落ちる直前に素早くオティアがつかみ取り、何事もなかったようにレオンに手渡した。

「………ありがとう」

 一瞬、指輪の方からオティアの手に吸い付いてったような気がしないでもないんだが、見なかったことにしておこう。
 無事に指輪が新婦の指に収まると、会場のあちこちから、ほーっと安堵のため息が聞こえた。
 続いてディフが指輪を手にとり、レオンの左手を握る。

「この指輪を婚姻の証しとしてあなたに捧げよう。あなたを愛し、全てを分かち合う……永遠に」

 待て、こら。
 今一瞬、別の人がしゃべってなかったか?
 何なんだ、おとぎ話の騎士がするようなそのこっぱずかしい言い回しは!
 ああ、もう。
 聞いてる方が赤面しそうだ。

 うやうやしくディフがレオンの左手に指輪をはめる姿を、半ばあっけにとられて見守った。
 古い一眼レフカメラのファインダー越しに。

「それでは………………………」

 にっぱーっと顔全体でほほ笑むとデイビットは両手を広げ、朗らかに宣言した。

「誓いのキスを!」

 こいつらのキスなんざ、この一ヶ月で何回見たかわかりゃしない。いい加減、慣れた。慣れたと思っていたんだが。
 不覚にもレンズ越しの風景が、にじんだ。
 矢継ぎ早にシャッターを切ってからカメラを降ろす。

 ……まだ続いていた。
 良かった。今回ばかりは、こいつらのバカップルぶりに感謝しよう。
 こればっかりは、自分の目で見て、記憶に直に焼きつけたかったんだ。

 幸せになれ、ディフ。
 幸せになってくれ、レオン。
 
 今、ここに、改めて願い、祈ろう。

 少しばかり長めの誓いの口づけが終わり、ほどよく頬を赤らめた新婦をようやく新郎が解放したのを見計らってからデイビットが高らかに告げた。

「皆さん。我々は無事、彼らの結婚を見届けました。代表して私が宣言しましょう……法による定めよりなお強い絆により、この瞬間より………」

 表情は明るい笑顔のまま、しかし張りのある声は威厳に満ちていて。法廷での最終弁論さながらに会場の中に響き渡り、居合わせた人全ての心を共に震わせた。

「二人を夫婦と認めます」

 訪れる沈黙。
 それは、高まった波がどうっと押し寄せる前ぶれだった。
 拍手、歓声、口笛、足踏み。
 あふれ返る歓喜と祝福の奔流に包まれて、レオンとディフは静かに手を握り、見つめ合っていた。

 永遠にも等しい一瞬の中で。

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【3-15-8】初めての共同作業

2008/07/13 15:38 三話十海
 
 式が終わると、楽隊が一転して賑やかな曲を奏で始める。
 超特急で料理の仕度が整えられる間、会場は一旦中庭へと移り、二人の「初めての共同作業」へと移る。

 と、言ってもケーキカットじゃない。そいつは後で別にやる。
 芝生の上に、客の中でも背の高いがっちりした連中が四人ほど進み出る。
 おそらく警察関係者、それもSWATとかその辺の体力勝負の部署の奴らだろう。

 ……あれ。

 よく見たら、レイモンドが混じってる?
 あんまり馴染んでるから最初、気づかなかったぜ……。

 そして、おもむろにアレックスが折り畳んだ白い布を捧げ持ってやってくると、うやうやしく彼らに渡した。
 ばっと広げられた布の、幅は7フィート、高さは5フィートってとこか。(210cm×150cm)。
 中央にでかでかとピンクのハートが描かれている。
 そして新郎新婦にリボンで飾られたハサミが手渡された。

 これから二人で布に描かれたハートを切り抜き、通り抜けるのだ。Transparent、花婿の父祖の地ドイツの風習だ。
 招待客一同に見守られる中、「初めての共同作業」が始まるが、レオンが悪戦苦闘している。そう言やあいつは意外に不器用なんだ。そもそもハサミで布切るのなんかやったことあるのか?

「レオン、ハサミ置け」
「え?」

 屈み込むとディフは伝統に従い、右の靴下に収めた礼装用のナイフをすらりと鞘から抜き放った。銀色の刃が太陽の光を反射してきらりと光る。
 一点の曇りもなく磨き上げられている。かなり切れ味がよさそうだ。

「こっちのが早い」
「あ、ああ」

 そして二人は手を重ねて一本のナイフを握り、さくさくとハートを切り抜いた。
 さてこの伝統の儀式、実はまだ続きがある。
 見ろ、レオンが呼吸を整えて自分の手を確かめるように握ったり開いたりしている。次の作業に向けて準備を整えているのだろう。
 そう、次は新郎が新婦を『お姫様抱っこ』で抱き上げてハートをくぐり抜け、観客の前でくるくる回ると言う非常に大事な見せ場が待ち受けているのだが……。

「うわっ?」

 口笛と歓声とシャッター音の飛び交う中、抱き上げられたのは新郎の方だった。

「おめでとう! お二人さん!」

 どうやらディフの奴、待ち切れなかったらしい。
 と、言うより自分が抱き上げるものと最初っから決めてかかってなかったか。

「な、何をっ、ディフっ?」
「暴れるなよ……レオン。バランスが崩れる」
「う……うん」
「しっかりつかまってろ」

 久々に見たなあ。レオンが動揺してるとこ。
 真っ赤になってから、レオンはおずおずとディフの背に手を回し、ぴたりと体を密着させた。
 よし、とでも言いたげにうなずくと、レオンを抱えてディフはハートをくぐり抜けた。そのまま伝統に従いくるくると芝生の上で回り………仕上げにキスをした。
 かろうじて、頬に。

 Mr.ジーノが腕組みして満足げにうなずいた。

「やっぱり彼が花嫁だったじゃないか」

 うんうん。確かにこの場はそうだよね。
 相変わらず新郎を抱き上げたまま幸せそうな新婦の写真を撮っていると、ちょん、ちょん、と背後から肩を叩かれた。

「ヒウェル!」
「お、久しぶりぃ、ジャニス、カレン! ヨーコにはもう会ったか?」
「会った会った! すっかり大人っぽくなってて驚いたわ」
「従弟とそっくりなのね。ほとんど姉妹って感じ」
「あー、うん、そうだねえ。しっかしまあ君らもきれいになっちゃって!」

 インド系の血を引くジャニスは鮮やかなサフラン色のサリーに身を包み、ブルネットのカレンは杏色のドレスがよく似合っている。
 言うまでもなく二人とも高校時代の同級生だ。

「あら、あら、いっぱしのお世辞言うようになったのね」
「ははっ、まさか。ゲイの男が女の子褒めるのに下心はないさ……写真、いいかな?」
「どうぞ!」

 すっかり美人になったクラスメイトをカメラに収める。

「ところでヒウェル。ヨーコから聞いたんだけど、あなた今、マックスたちと同じマンションに住んでるんですって?」
「ああ、別のフロアだけどね」

 カレンとジャニスは顔を見合わせてから、ほとんど同時に、同じ質問をしてきた。

「あの二人、付き合い始めたのは二年前からって、ほんと?」
「………………………………………………………その質問の意味するところは?」
「だって……ねえ?」
「てっきりハイスクール時代から恋人同士だったものと」
「有名だったわよ、『姫と野獣』って」
「うん、よーく知ってるよ」

 そもそもそのあだ名を考えついたのは俺なんだよ君たち。

best.png※月梨さん画「姫と野獣」

「卒業してからも、ふと気づいたら同じマンションでー」
「事務所も同じビルの上と下なんでしょー?」
「あー……なるほど……そゆこと……」
「プロムの会場で何で一緒に踊ってないのか不思議なくらいだったわ」
「そこまで言う?」
「それなのに。レオンが卒業したらマックスってば一学年下の子と付き合ってるし!」
「寮ではあなたと同室になっちゃうし、もうどうしちゃったのーって感じで……」
「お願い。この十年来のモヤモヤをすっきりしたいの!」
「OK、OK。そーゆーことならさあ」

 くいっと、ようやくレオンを下に降ろしたディフに向かって親指をしゃくる。

「直にマックスに聞いてみれば?」
「それもそうね」

 ……行っちゃったよ、ためらいもなしに。

「おめでとうございます、Mr.ローゼンベルク。末長い幸せをお祈りします」
「ありがとう」
「congratulate you on your MARRIAGE!! 二人の未来に幸多からん事を」
「ありがとう、Mr.ランドール」

 顧客や仕事仲間、ロウスクール時代の同期生たちに祝福の言葉を受けるレオンと少し離れて、ディフが警察の元同僚らに囲まれていた。

「おめでとう、マックス」
「ありがとうございます、チーフ」
「……おめでとうございます、センパイ」
「ん……ありがとな、エリック」

 若干一名、切なげなまなざしで、それでも笑顔で祝ってる奴がいたが、これは例外中の例外。
 大抵のやつは「おめでとう!」の一声とともにばしばし背中を叩いている。
 そこへ華やかなご婦人方がすたすたと乱入して単刀直入に一言……しかも、増えてるし。
 女子一同って感じだね、おい。

「Hey, マックス!」
「あなたとレオン、二年前から付き合ってたって、ほんと?」
「ああ、そうだよ?」
「それまでずーっとただの友だち?」
「いや……親友」

 カレンたちは信じられないと言った面持ちで顔を見合わせた。中には明らかに同情のまなざしをレオンに向けてる子もいる。
 うん、そうだね、気持ちは分るよ、君ら。
 ディフは目尻を下げると眉を寄せ、途方に暮れた犬のみたいな顔でぽそっと付け加えた。

「……プロポーズされたのは、二ヶ月前」
「信じられない……ちょっとレオン!」

 ため息をつくと、彼女らは次なる標的、すなわちレオンに向かって走って行った。
 ディフに近づき、肘をつつく。

「……お前、ちょっとはつくろえよ」
「でもほんとのことだし」

「レオン! あなたマックスと恋人になったのって二年ぐらい前からだってほんとっ?」
「ああ、本当だよ」

 にこにこと答えてる。

「プロポーズしたのが二ヶ月前って、何かの冗談よねっ?」
「yes、あれは6月だから、ちょうどそれぐらい前だね」
「I can't believe,so!(しんじらんなーいっ!)」

 うわっ、懐かしい……久々に聞いたよ、その定型句。高校生ん時は毎日のように教室のそこ、ここであがってたっけなあ、その愛らしくも甲高い声が。

「……レオン……苦労したのねあなた」
「……まぁね」
「幸せになってね」

 お嬢さんたちはしみじみとあたたかい眼差しをレオンに注いだ。

「ありがとう。なんだか俺は今日はすごく同情されてばかりな気がするんだが……」
「だって……ねえ……」
「マックス天然にもほどがある……」

 くすくす笑いたいのをこらえながらシャッターを切る。
 ま、これもまぎれも無い思い出の一つだよな。
 しかし……何か足りないぞ?
 ジャニスとカレン。いつも間にちょこん、とはさまってたチビさんはどこだ? こんな時に真っ先に嗅ぎ付けて飛んでくるあの女がいないなんて。

 見回すと、少し離れた所にひっそりと立っていた。
 どことなく慈しむような優しげな視線の先には、ぼーっとたたずむ黒装束の黒髪の男。Mr.ランドールだ。
 これは意外や意外。ヨーコ、ああ言うタイプが好みだったのか? なぞと思っていると、しずしずとアレックスが出てきてきちっと一礼した。

「お待たせいたしました。お食事の準備が整いましてございます。皆様、どうぞ中へ」

 その刹那、ランドール社長の表情が変わる。眉からも目元からも力が抜け、どことなくほんわりとした………ほほ笑みになる直前といった面持ちで嬉しそうにアレックスの誘導に従い、中へと入っていった。
 ………………そんなに腹減ってたのか、彼?

 ヨーコが軽く首を横にふり、なにごとかつぶやいた。声は聞こえないが唇は読める。

『んな訳ゃないでしょ』

 って、おい、今、何つった?
 …………………………………………偶然、だよな? そうだと思いたい。

 
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【3-15-9】奏でよ、祝祭の歌を

2008/07/13 15:40 三話十海

 パーティが始まると、だいぶカジュアルな服装の客が増えてきた。
 席を決めない立食形式だから、みんな来られる時に来て……そう、土日関係なく仕事の忙しい奴でも……無理せず、それぞれ自分のペースで参加できる。
 子連れで来てる客もいるし、テラス席なら犬でも猫でも出入り自由だ。

 人前式にしたことで宗教の垣根も取り払われ、間口が広がったってのもあるんだろうな。
 料理もその辺りを考慮して、ちゃんとベジタリアン用、ムスリム用のメニューも取り入れてある。さすがアレックス、有能だ。

 そしてウェディングケーキもまた、有能執事のお手製なのだった。
 巨大な四角いスポンジをマジパン(砂糖細工)の薔薇とフルーツ、白いクリームでデコレート。そして中央には、やはりマジパンで作った二頭のライオンのエンブレムが据えられていた。
 スコットランドを象徴する赤いライオンと、二人の指輪に刻まれたのと同じ青いライオン。
 カットするのがもったいないくらいの出来映えだった。

 新郎新婦が二人でナイフを捧げ持ち、厳かにケーキに最初の一刀を入れた後で小さくカットしたウェディングケーキがうやうやしく二人の前に運ばれる。
 今度はアメリカ式の伝統儀式。これから互いにケーキを食べさせ合うのだ。
 指を使うかフォークを使うか、ディフは一瞬迷ったらしいがレオンがフォークを手にとるのを見て自分もフォークを取った。

 賢明な判断だ、レオン。
 白いクリームにまみれたあなたの指を奴が口に入れるなんて。しかも舌で丁寧になめとってる姿なんざとてもじゃないが客に見せられたもんじゃねえ。
 フォークですくいとったケーキを口に入れて、目ぇ細めてる姿もそれはそれで十分艶っぽかったが、どうにか許容範囲に収まっていた。
 あれなら「可愛い」の範囲だよ、ギリギリで……多分。
 
 レオンは手元にあらかじめナプキンを準備していた。さすが行儀がいいなと思ったら単にマナーのためだけじゃなかったらしい。
 ディフの口のまわりにクリームがつけば次の瞬間にささっと拭き取り、自分の口のまわりについた時も速攻、同様、速やかにクリーンオフ。
 ぐずぐずしてたらこの花嫁さん、指ですくいとってぺろっとかやりかねないからな……。

 レオンに口を拭われるとディフはケーキにのっかってたライオンと同じくらい顔を赤くして、小さな声で

「あ……ありがとう」と、礼を言った。

 とどこおりなく儀式が終わると、アレックスがほっと安堵の息を吐いていた。奥方に何ぞあったらすぐにフォローできる様にスタンバイしていたらしい。
 そう言えばデザートにはアイスとかムースとかゼリーとか、『危険性』の高そうなものは一切含まれていなかったな……。
 うん、ほんとに有能な執事だ。

「メイリールさま」
「おう、どうした、アレックス」
「そろそろ……お時間でございます」
「あれ、もうそんなん? それじゃ……また、これ預かっててくれ」
「かしこまりました」

 再びアレックスにカメラを預けた。

「使い方わかるかい?」
「………こちらはいささか馴染みがありませんが、こちらのカメラでしたら」
「OK。じゃ、適当に写しといてくれ。予備のフィルムはここに入ってるから」
「かしこまりました」

 まくっていたシャツの袖を戻しつつ、広間の前方、中央へと歩き出す。
 既に準備万端整えた花嫁さんと、その元上司……爆発物処理班のマクダネル班長と、その他キルトを身につけた知人一同がバグパイプを肩にかけて待ち受けていた。

「ああ、来たな、メイリール。君のキィを教えてくれ」
「了解、チーフ」

 前に一度、俺の撮った写真が手がかりになって爆破事件の犯人が逮捕されたことがある。以来、気さくなこの警部補とは何かと親しくさせてもらってる。
 お互いの職業的倫理観を踏み外さぬよう、適度な節度を保ちつつ。

 2、3度音を合わせると、チーフは小さく感嘆のため息をついた。

「かなり本格的に習ったことがあるな? 正直、意外だったよ……君が歌えるとはね」
「ああ、これでも俺、昔は聖歌隊で歌ってたんですよ」
「君が?」
「ええ。小学生の頃ね」

 信じられない、って顔だな。でも本当のことだ。

080703_1916~01.JPG
↑月梨さん画。「証拠写真」

「準備できたか、ディフ」
「……」

 緊張した面持ちでこくっとうなずいた。
 招待客もぼちぼち、何かが始まろうとしてると気づいたらしい。
 頃合いを見計らって芝居がかった仕草で進み出て一礼。おもむろに声高らかに告げた。

「さて、お集りの紳士淑女の皆様方。これよりささやかな余興をお目にかけたく……。先ほど皆様立ち会いの元、無事、式を挙げましたカップルの片割れが。感謝と歓迎の意を表してこれより伝統の楽器、バグパイプにて一曲お披露目いたします」

 発声練習を省略した割には、腹の底からきちんと声が出てる。これなら問題あるまい。
 すーっと会場内のざわめきが引いて行く。
 よし、いいぞ。

「なお、供に演奏に参加いたしますのは彼ゆかりのスコットランドの血を引く方々。また僭越ながら私めが、歌い手を務めます……それでは、どうぞ」

 そっとディフがバグパイプの吹き口に息を吹き込む。
 力任せに吹けば音が出るもんじゃねえ、と口癖みたいに言っていたが、なるほど、ほとんど力を入れてるようには見えない。流れてくる音色も、こんなごつい男がごっつい楽器で奏でるとは思えないほど柔らかで、滑らかで。
 やや遅れて他の奏者の奏で始めた音が重なり合い、融け合って深みを増して行く。
 さあ、そろそろ俺の出番だ。

 歌うのはYou Raise Me Up。男性ボーカルによるSecret Gardenのオリジナルバージョン。
 有名なCeltic Womanのはとてもじゃないが声の出しようがない。
 
I am strong, when I am on your shoulders;
You raise me up... to more than I can be.

 サビの部分を朗々と歌い上げた瞬間、ディフの瞳が潤み、涙がにじむのが見えた。
 しっかりしろよ……この曲、選んだのお前じゃないか。

 間奏の部分のバグパイプのソロを、それでも途切れさせることなくやり遂げたのは大したものだと思った。

 間奏後は一転して声の調子をやわらげて。
 高らかに歌うと言うよりむしろ囁きかけるようにゆったりと最後の1フレーズを歌った。

But when you come and I am filled with wonder,
Sometimes I think I glimpse eternity.

※Brendan Graham作詞、You Raise Me Upより

 歌い終わり、拍手に応えて一礼。さっさと花婿の所に戻ろうとする花嫁を、チーフが中央まで引っぱってきたので一緒にもう一度礼。
 しかし顔を挙げて会場を見回した瞬間、ディフが表情を強ばらせた。

「どうした?」
「あの子たちが……いない」
「えっ?」

 慌てて見回す。
 確かに、オティアもシエンも姿が見えない。
 ぎくっとした。
 もともとあいつら、人の多い場所は苦手なのだ。式に参加したのだって奇跡に近い。まさか、二人だけで外に出たなんてことは……ないだろうな。

「どうぞ、メイリールさま」

 アレックスがうやうやしくカメラを差し出している。

「ああ……どうも」

 近寄り、受けとった瞬間に穏やかな声で教えてくれた。

「お二人は、お疲れのようでしたので控え室にお連れしました」
「そう……か」

 ほっとして、ディフと顔を見合わせる。そわそわしてやがる。本当はすぐにでも飛んできたいんだろう。

「……心配すんなって。様子、見てきてやるよ」
「ああ。頼む」

 軽く拳を握って、とん、とディフの胸を叩く。

「そんな顔すんな。晴れの日だろうが。笑ってろ、花嫁さん」
「……簡単に言うな」

 ちょっとだけむっとした表情で、どん、とお返しをくれてきた。わずかによろめく。

「ほら、行けよ。レオンがしびれ切らしてるぜ」
「……ああ。ありがとな、ヒウェル」

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【3-15-10】双子エスケープ

2008/07/13 15:41 三話十海
 オティアはほっとした。控え室で、シエンと二人きりになって。
 もともと人の多い場所は苦手なのだ。

 結婚式と言う場所柄、何人もの客が出入りする。
 そして誰も彼も打ち合わせでもしたみたいにカメラを取り出し、手当たり次第に撮りまくる。
 顔も名前もロクに知らない相手が無造作にカメラ向けてくる。シャッターを押す前に一言『写真、いいかな?』と聞いてくる奴はまだいい。
 中には断りもしないで撮る奴がいる。

 写真は嫌いだ。

 だが、この場では断るにしても限度がある。シャッターの音を聞くたびにいら立ちがつのり、つい、あんまりに無礼な奴のカメラを壊してしまった。
 ほんの少し、力を加えてやったら簡単だった。もっとも瞬間的にいつもより強い力が出たのかもしれない。
 感情が昂ると時々、こう言うことがある。

 加えてパーティが始まると酒が入ってきたためか、気軽に人の背中をばしっと叩いて『おめでとう!』とがなり立てる奴も出て来る。
 そんなガサツな『祝福』からシエンを守るため、始終神経をぴりぴりさせていなければならなかった。

 しかもディフときたらことあるごとに自分たちのことを何やら人に話しているし。
 わかってる。全て好意から来るものであって、決して悪意によるものではないと。
 だけど正直、放っておいてほしかった。彼が自分とシエンのことを話せば話すほど、それだけ客の目が自分たちに向けられる。

 ディフは雇い主としては信頼できる。自分を信用し、評価してくれていることもわかっている。
 けれど、プライベートなこととなると……話は別だ。
 ベタベタされたくない。
 必要以上にかまって欲しくない。


 この部屋に居れば、騒がしさからは隔離される。無遠慮に向けられるカメラのレンズからも。いきなり背を叩く大きな手からも。
 ディフのことは……………自分の見聞きできない所で何を言われようが知ったことじゃない。

 ……それに、ここに居れば……。

「お、久しぶりぃ、ジャニス、カレン!」
「しっかしまあ君らもきれいになっちゃって!」
「ははっ、まさか。ゲイの男が女の子褒めるのに下心はないさ……写真、いいかな?」

 でれでれと嬉しそうに女としゃべるヒウェルの姿も見ないですむ。
 ゲイだと言っているくせに、あいつ、女の尻に敷かれてる方が似合ってるんじゃないか?

 楽しげに写真を撮っていた。仕事用のデジカメではなく、主に古い方の銀版カメラで。
 特にレオンとディフの写真を撮る時は、必ずと言っていいほど銀版カメラを使っていた。理由はわからないが、相当大事にしているらしい。

 写真は嫌いだ。
 闇色の記憶に直結しているから。レンズの向こうの冷たい眼を。体を容赦無くまさぐり、引き裂く大人の手を思い出してしまうから。

 奴もそれを知っているから自分にはカメラを向けようとはしない。

(…………苛々する)

 関係ない。
 ヒウェルが誰と話そうと。
 誰を写そうと。

「……オティア」
「ん」
「お茶……さめるよ」
「ああ」

 控え室のテーブルには、アレックスが入れてくれた紅茶が二人分。カップからは優しい湯気がゆらゆらと立ちのぼる。
 部屋で休んだらどうか、と言われた時、ごく自然にこっちの部屋に入っていた。
 そもそも最初に控え室に入るときからしてこの部屋を選んでいた。レオンではなく、ディフの後をついて。

 シエンがそうしたがったからだ。
 ただ、それだけだ。

 二人で向かい合って紅茶を飲んでいると、こん、こん、と控えめにドアがノックされた。
 かすかにざわり、と胸の奥が波打つ。

「どうぞ」

 よせ、シエン。そいつの顔は今、見たくない。
 きぃ……とドアが開き、ヒウェルが顔をのぞかせた。

「……よぉ。入っても、いいか?」

 仕方ない。
 小さくため息をつく。
 シエンはちらりとオティアの方を見て、それからヒウェルに目を向け、うなずいた。
 
「さんきゅ。助かったぜ……」

 のこのこと部屋の中に入ると、ヒウェルはわざとらしくため息をつき、頭をかいた。

「やあ、高校ン時の同級生に質問攻めにされちゃってさあ……居づらいの何のって」
「……大変だね」

 ちょっとシエンが苦笑する。質問の内容はだいたい想像がつく。きっとあの二人のことだろう。

「さんきゅ。お前もな。しんどいだろ、人多くて」
「ん……すぐにアレックスがこっちで休めるように、用意してくれたから」
「そうか。さすがだなアレックス」

 シエンとヒウェルが話しているのを見ていると、少し収まっていた苛々がまた、ぶり返してきた。
 ストレスの原因が自分から鼻先をつっこんできたのだから当然だ。
 すっと立ち上がるとオティアはシエンとヒウェルの横をすり抜け、部屋を出た。

「あ」

 ヒウェルは内心、舌打ちした。
 失敗した……な。疲れてる時に俺の顔なんざなおさら見たくないだろう。人を空気扱いするのにもある程度気力ってのは消費するものなのだ。

「……そろそろ俺、会場に戻るよ。写真も撮らないと。だから……あいつに、気にせず休めって、伝えといて」
「……ヒウェル」
「ん? どした?」
「あ……うん。パーティの最後に記念写真、とるよね」
「ああ。とるよ。お前らと、あいつら四人そろって」

 言いかけてから、はっとした。オティア個人を写すのは避けていたが、こればっかりは外せない。
 結婚式の締めくくりの定番行事なだけについ、やるもんだと当たり前のように考えて、それをオティアがどう感じるかまで考えが及ばなかった。

「あ……オティア、写真、苦手だっけ」
「うん……でも、こういうのは……いいんじゃないかな」

 びしっとヒウェルは右手の人さし指を立て、言い切った。

「わかった。一回だ。一回でベストショット決めるよ」
「うん」

 その時、開けたままのドアから野太い声が聞こえてきた。いい具合に酒が入ってほぐれた声が。

「おぉーい、カメラマンどこいったー」
「うわ。あの声、もしかして」
「……レイモンドだな。SWATの連中と意気投合してたみたいだし」

 にかっとヒウェルは笑うと、小さく手を振って会場に戻って行った。

「それじゃ、シエン、また後でな」

 微笑んで見送ってから、シエンはひっそりとため息をついた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「……ふぅ……」

 エリックはシャツの襟をゆるめて空をあおいだ。
 レストランの駐車場で、一人。軒下で直射日光を避けながら立っている。アスファルトの照り返しはきつく、暑さがことさらにこたえる。
 バイキングの末裔たる彼は寒さには強いが暑さには弱い。それなのに何故、こんな所にいるのか?

 別に逃げてきた訳ではない。
 ここにいるのにはれっきとした理由がある。まもなく到着するであろう友だちを出迎えるために待っているのだ。

「…………………………きれいだったなあ………」

 目を閉じて思い浮かべるのは、タータンチェックをまとい幸せに輝く花嫁の笑顔、そしてぴたりと寄り添う白衣の花婿の姿。
 容姿端麗にして頭脳明晰、そして彼とは相思相愛。
 二人並んでいると改めて思い知らされる。自分の潜り込むすき間なぞ最初からありはしなかったのだ。
 それでも会場の中でため息をつくのは自粛したし、本人を目の前に、笑顔で「おめでとう」と言えた。
 とりあえず前進だ。
 中休みぐらい、いいだろう。

 ほう、とこれで何度目かのため息をつき、片手に携えたミネラルウォーターのボトルから一口、流し込む。

「あれ?」

 透明なボトルと水の向こうで何かが動いた。
 手を降ろして改めて目で見る。

 紺色のタキシードにややくすんだ金髪、やせ形、白人、十代後半の男子。
 あの顔には見覚えがある。最大限の努力を発揮して祝いの言葉を告げた時、芝生を横切っていった双子の片割れだ。

『あれ、なんか今同じ顔が二人いたような』
『オティアとシエンだ』
『ああ、センパイんとこでアシスタントしてる……』
『オティアの方がな。電話では何度か話してるだろ』
『ええ、有能な子ですね』
『……そうだろう!』

 あの笑顔、どう見たって助手をほめられた所長の顔じゃなかった。息子をほめられた父親の……いや、むしろ母親の無邪気な笑顔。誇りよりもまず、愛おしさが勝る。
 
 あれはオティアだろうか。シエンだろうか。
 足早に、街に向かって歩いて行く。厳しい表情……おそらく、オティアだな。レストランを離れてどんどん歩いて行く。
 いったい、どこに?
 どうやら、気晴らしに外の空気を吸いに出たとか、ふらっとコークを買いに行く程度のお出かけではなさそうだ。
 まさか、あのまま観光客で賑わう界隈まで行くつもりなんだろうか? あの格好で。
 目立ちすぎる。未成年がたった一人で……しかも、お世辞にも穏やかとは言いがたい精神状態で。

 放ってはおけない。

 エリックは歩き出し、オティアの後を追った。体格差のおかげですぐに追いつくことができた。

「おーい、そこの、青いタキシード着てる君! ちょっと!」

 少し離れた所から一声かけて。相手に届いたのを確認してから距離を詰めて改めて話しかける。
 
「君、オティアだよね? センパイの事務所のアシスタントの?」
「何の用だ」

 ぎろり、と斜め下から見上げられる。鋭く光る紫の瞳の奥から無言の敵意と拒絶が発せられ、ひしひしと押し寄せてくる。
 すさまじいほどの威圧感だ。

 近づくな。
 放っておけ。

(なるほど、君の意志はわかった。けれど、放っておく訳には行かないんだ。警察官として。君をとても大切に思ってる人の友人としても、ね)

 むき出しの敵意をさらりと横に受け流し、のらりくらりと話しかける。Rの巻き舌がちょっと内にこもる感じの、濁音の強めなアクセントで。
 幸いなことにこの北欧なまりは彼自身の『のほほん』とした外見と上手い具合にマッチして、適度に隙のある印象を与えてくれる効果があった。
 威圧感が少なく、相手の警戒心を必要以上に刺激しない。だがこの少年相手にどこまでその効果に期待できるだろう?

「……そうか直に聞くと君、そう言う声なんだね……いつも電話越しにしか話さないから」
「用がないなら話かけんな」
「挨拶しておきたかったんだよ。いい機会だからね」

 刺すような視線。まるで鞘から抜かれる直前のナイフだ。

(できれば穏やかに説得したいんだけどなあ)

 今まで何度も凶悪な犯罪者と渡り合ってきたエリックだが、少しだけ背筋に冷たいものが走るのを感じた。
 ぴくりとオティアの口の端がひきつり、何かを言いかけた。
 
(これは……来るな)

 いいさ。多少言葉の刃で刺されたところでこっちは慣れている。むしろ自分で良かったと思おう。こんな状態で町中に出ていたらトラブルは必至だ。
 腹をくくり、覚悟を決めたその時だ。
 
 ぱたぱたと誰かが走って来る。紺色の上着のすそをなびかせて。

(あ、増えた)

 少し長めのくすんだ金髪、優しく煙る紫の瞳。目、鼻、口、耳、そして骨格……ありとあらゆるパーツがそっくりの少年がもう一人あらわれた。
 ひと目見るなり、思った。

(…………かわいいなあ……)

 不思議なもんだ。まったく同じ顔が目の前にいるって言うのに。
 当のオティア本人は、今度ははっきりと顔をしかめて、敵意むき出しの表情で睨んでいる。
 
 シエン(だろう、こっちが)はぺこりと頭をさげて、そして何も言わずにオティアと二人で元来た方角へと引き返して行く。

「……仲いいんだな」

 二人がレストランの中に入って行くのを見届けてから、ゆっくりと歩き出し、元の位置に戻った。
 駐車場に戻ってからふう、とため息一つ。すっかり温くなったボトルの水を口に含む。

 その時、見慣れた市警察のバンが走ってきて目の前の駐車スペースに止まった。前の左右の扉が開き、制服姿の警察官が二人降りて来る。

「よう、エリック!」
「やあ、ワルター。ネルソンも」

 二人の警察官はきびきびとした動きで後部の扉を開き、中のケージを開けて一声。

「Come!」

 その声に応えてのっそりと待機していた大型の動物が起きあがり、外に飛び出した。しなやかな背、太い足、頑丈そうな尖った顎。
 首にはそろって蝶ネクタイ風のカラーを巻いている。

「やあ、ヒューイにデューイ。おいで、君たちの席はこっちだ」

 ロングコートのブラックと、スムースのタン&ブラック。二頭のシェパードとそのハンドラーたちを案内して、エリックは中庭に向かって歩き出した。

「センパイも待ってるよ」
 
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【3-15-11】白い翼

2008/07/13 15:42 三話十海

 一旦は大人しくレストランに戻るかに見えたオティアだったが。
 実際、一度は建物に入ったのだが会場には戻らず、そのまま廊下を突っ切って裏口に向かった。
 このドアを出て右に曲がれば中庭に。まっすぐ行けばレストランの敷地を抜け出し、海岸に通じる下り坂に出る。
 ただし、今度は観光客も滅多に近づかないような寂れた海辺に。

「オティアさま。シエンさま」

 ……アレックスだ。どうやら厨房に指示を出しに行って戻ってきたところらしい。

「外の空気が吸いたい。すぐ戻る」
「……かしこまりました。お気をつけて」

 そのままシエンと二人で外に出て、誰も見ていないのを確かめてから歩き出す。
 まっすぐに、海岸に通じる坂道を下って。


 ※ ※ ※ ※
 
 
「……ああ、やっぱり君、そっちに行ったか」

 小さく母国語でつぶやくとヨーコは閉じていた目を開いた。いつの間に来たのか、従弟のサクヤがひっそりと立っている。

「裏口から、海岸に向かって降りてったわ」
「……わかった。見つけたら電話する」
「行ってらっしゃい」

 そして彼女は再び瞳を閉じる。
 中庭の木にもたれかかり、まるで瞑想にでもふけっているかのようなヨーコの姿に気づく者は……何故か、誰もいなかった。
 
 しばらくして、ぴくっとヨーコの指先が震える。その直後、バッグの中で携帯が震動した。
 彼女はバッグを開けると中からつやつやした黒い携帯を引っぱり出し、スライドさせる。ストラップに下がった丸い鈴が『りん!』と澄んだ音を立てた。

「Hi,サクヤちゃん。今、あなたが見えたわ」
「うん、もうちょっとで追いつく」
「OK。それじゃ、また後で」

 電話を取り出してから、話す間も。再びバッグにしまうその瞬間も、彼女は一度も目を開けなかった。


 ※ ※ ※ ※
 
 
 コンクリートの階段を降りて、泥と小石の混じった寂れた砂浜を歩き出す。 
 足元に湿った砂がまとわりつく。
 打ち寄せる海の水の上を吹きぬける風はひやりと冷たく、とろりと濃い潮の香がする。

 双子は一言も喋らない。
 ただ、歩く。
 並んで歩く。

 パーティーは今、どこまで進んでいるのだろう。最後の写真撮影まであとどれぐらいだろう。心配になったけれど、シエンは黙ってオティアと一緒に歩いていた。
 ふと、オティアが足を止めた。ほとんど同時にシエンも立ち止まり、ついさっき自分たちが降りてきたすり減ったコンクリートの階段を見上げる。

 ひょこひょこと降りてくる華奢な人影が見えた。黒いタキシードを着て、黒い髪、濃い茶色の瞳、フレームの大きな眼鏡、優しげな顔立ち。
 サリーだ。

 いつの間に来たのだろう?

 双子は顔を見合わせた。
 まさか、自分たちを探して? どうやって知ったのだろう、ここに居ると。

 サリーはにこにこしながら近づいてくる。真新しい靴が。ズボンが、湿った砂にまみれても一向に気にする様子はない。
 もうすぐ、大きな声を出さなくても届く……と言う距離まで近づいた時。

 みゅーーーーーーーーーーーーーーーーいっ!

 サリーは両手のひらを口元に当てて、急に甲高い音を立てた。
 
 みゅーーーーーーーい、みゅい、みゅーいっ!

 何度も続けて。まるで鳥の鳴き声そっくりだ……と思った瞬間。
 二人は羽音と閃く白い翼に取り囲まれていた。

「わっ」

 シエンが小さく声を挙げて後じさる。

「……大丈夫だよ、シエン」
「う……うん」
 
 サリーに言われて、おそるおそる飛び回る白い生き物に視線を合わせる。

 カモメだ。
 どこからこんなに集まってきたんだろう? もっと小さな、名前のわからない海鳥も混じっている。長く力強い翼で空気をかきわけ、風に乗り、右に左にまるで重さなんかないように自在に飛び回る。

 オティアは一瞬、目をみひらいて。それから、ほんの少し目を細めて、じっと見守っていた。

 サリーも、オティアも、シエンも、一言も話さない。

 飛び交う白い翼の中に一羽、他のカモメより一回り小さなカモメがいた。白い体、ほわっとグレイのかかった白い翼の先端にはくっきりと黒いラインが引かれ、くちばしと足は鮮やかな赤。
 とてもフレンドリーで、オティアのすぐそばまで寄って来る。何となく、少しだけ優しい目をしているような感じがした。
 そっと手を伸ばしてみる。
 逃げなかった。
 それどころか、ふわりと肩に舞い降りてきた。

「あ……」

 ふっと、オティアの顔にほほ笑みが浮かぶ。ほんの微かなものだったけれど、まちがいなく彼はほほ笑んでいた。
 小さなカモメはしばらくオティアの周りを離れなかった。時折肩から頭、手のひらと場所を変えはしたけれど……。そして一羽人懐っこいのがいると、他の鳥も安心するようだった。

 青い服の少年たちの周りを、白い鳥がくるくると円を描いて飛び回る。
 翼のやわらかさ、温もりさえ感じられそうなほど近くを。
 両手を広げていると、すぐそばを鳥の体がかすめて行く。自分以外の生き物の作り出した空気の流れが触れる。

 ふと、目眩にも似た感覚にとらわれた。
 鳥が自分たちの周りに降りてきたのか。それとも自分たちが空に舞い上がったのか……足元の地面を忘れそうになる。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 やがて、小さなカモメがくいっと顔をもたげて一声、鳴いた。
 それが何かの合図だったように海鳥たちは少しずつ、円の直径を広げて行き、遠ざかり……。
 やがて、空を飛ぶ鳥のうち、どれがあの鳥だったのかもわからないほど、まばらになってしまった。

 オティアは少しだけ寂しい気持ちで周りを見回した。
 あの小さなカモメもいつの間にかいなくなっている。

「オティア」

 シエンがぱたぱたと上着はらっている。改めて自分の体を見回す。濃紺の布地には、やわらかな白い羽毛がたくさんついていた。
 サリーもばたばたと自分の上着を手のひらで叩いている。

 ひとしきり羽を落としてから、三人は顔を見合わせた。

「……行こうか」

 オティアはうなずいた。
 あと一回ぐらいなら、写真を撮られるのもがまんできそうな気がした。

 歩き出す三人の姿を、上空から小さなカモメが見守っていた。


 ※ ※ ※ ※


「……ふう」

 深く息を吐くと、ヨーコは目を開いた。
 まだ少しくらくらしている。長時間に渡る集中の反動が来たらしい。手のひらを木の幹に押し当て、何度も深い呼吸をくり返していると、のこのこと近づいてきた奴がいる。
 
「どーしたヨーコ。さすがに電池ぎれか?」

 軽く額に手を当てて首を振る。

(ったく、この諸悪の根源が……)

「ヒウェル」
「何だよ」
「あんたって…………ほんっとーに……………筋金入りの自爆野郎だわね」

 ぐにゃっとヒウェルは口をひんまげ、三白眼でヨーコをねめつけた。

「いっそボンバーマンとお呼びしたいわ」
「誰がハドソンだ!」

 それから急にどぎまぎして周囲を見回し、背を屈めると小さな声で聞いてきた。

「………何か、マックスから聞いたのか?」
「別に? 観りゃわかるわよ。観りゃ、ね」

 ちょこん、と首をかしげるとヨーコはほほ笑んだ。きっちり施された化粧の向こう側に、ハイスクール時代の彼女が透けて見えるような気がした。
 
(ああ。いろいろ理由はあるが、やっぱり俺はこの女が苦手だ!)

「あ、そろそろダンスタイム始まる! どーしよっかなー、着物だと踊れないしなー」
「踊るつもりだったのか!」
「冗談よ……あ、そうだ」

 すたすたと室内に戻りかけてからヨーコは振り向き、言った。

「新郎新婦に伝えといて。子どもたちのことなら心配ない、もうすぐ戻って来るからって」

 何を根拠に、そこまで言い切れるのか。
 この際、聞き返すのは不粋と言うものだろう。
 ただ、ハイスクール時代の経験からヒウェルは確信していた。彼女がそう言うのなら、それはまぎれもなく真実なのだと。
 

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【3-15-12】ライオンの母

2008/07/13 15:43 三話十海
 
 レオンさまが無事に結婚式を挙げられた。
 披露パーティも、もうじき終わる。中庭に通じるテラスに立ち、ひっそりと涙を拭う。
 お二人が誓いの言葉を述べられた瞬間からずっとこらえていたのだ。

 あのお小さかったレオンぼっちゃまが。
 明るい茶色の瞳に冷たく堅い光を宿し、誰にも心を開こうとしなかったお子が、あんなに幸せそうに笑っておられる。
 マクラウドさまに手をとられて、少しはじらいながらもダンスを踊っておられる。
 高校のプロムパーティでは、誰とも踊らずにひっそりと帰られたあのレオンさまが。

「良かった……」

 思わず呟きが漏れた、その時だ。

「アレックス」

 懐かしい声を聞いた。長い年月を経て少しばかり変わっていたが、それでも銀の鈴を振るうようなあの響きは変わらない。
 振り向いて、一礼した。

「……お久しゅうございます、クラリッサさま」

 ぱっちりしたかっ色の瞳にさらりとしたライトブラウンの髪、すっと鼻筋の通った端正な顔立ち……さながら遠き独逸の湖畔に建つ城の窓辺にたたずむ、貴族の姫君を思わせる

 ああ。
 やはりお嬢様はお美しい。
 今も、昔も、変わらずに。

「ずっとレオンハルトに付いていてくれたのね。ありがとう」
「それが……私の勤めでございますから……もったいのうございます」
「入っても、よろしいかしら?」
「どうぞ、こちらへ」

 震える手をさしのべ、中へとご案内した。


 ※ ※ ※ ※ 

 
 ゆっくりと時間をかけて、サリーは双子とレストランに戻って来た。
 入り口から玄関ロビーに入り、受け付けのカウンターにやってくると自然と一対のぬいぐるみに視線が向く。

(あれ?)

 サリーは思わず首をかしげた。
 ティアラをつけたライオンの背に、ヴェールをつけてブーケをかかえたクマがまたがっている。
 確か来たときにヨーコさんがいたずらしたはずなんだけど………さすがに、ここまではやっていなかったような気がする。

 オティアは興味なさげにちらりと一瞥くれるとすたすたと通りすぎた。
 シエンはと言うと、クマをライオンの上から降ろし、元通り隣に並べてからオティアの後をついて中に入っていった。

(……これは、このままでいいのかな)

 少し考えてから、やはり手を出さずに行くことにした。ティアラも、ヴェールも、それぞれしっくり似合ってるような気がしたからだ。
 
 
 ※ ※ ※ ※

 
「あーあ、お腹空いちゃったー」

 ダンスタイムの間中、ヨーコは手をとりあって踊る新郎新婦をにこにこと見守りながら、旺盛な食欲を発揮して皿の料理を口に運んでいた。
 着物に一滴の汁も飛ばさずに子羊の香草焼きを一切れ、しかもかなり大振りなやつを平らげた時はさすがに舌を巻いた。

「……和服着てると腹がきつくて物食えないって聞いたことあるんだが」
「ん? まあ、そう言うこともあるかもね」

 さらっと答える合間にウェディングケーキをせっせと食ってる。あのちっぽけな体のどこに入ってくんだ? 俺の記憶が正しければ、それ確か三切れ目だろ!

「なあ、ヨーコ」
「何?」
「まだ、食うのか?」
「…………そうね、そろそろ………カフェラッテ飲んどこうかな。カップとってくれる?」
「これか?」

 小さめのカップをとると、断固とした表情で首を横に振った。

「違う! そっちの大きい方」
「……さいですか……」

 特大のマグカップをとると、会場に設置されたコーヒーメーカーに歩いて行き、ぶしゅーっと注いでからうやうやしくさし出した。

「どうぞ」
「……ありがとう」

 カップの中味をすすりながら料理の並ぶテーブルにちらちらと視線を走らせている。
 要するに、中休みってことらしい。

「ヨーコさん、その辺にしといたら?」
「あら、サクヤちゃん、お帰り」

 双子が戻ってきた。
 サリーと一緒に。

 かすかに潮の香りがする………ってお前ら、どこ行ってたんだっ?
 
「おつかれさま」
「いえいえ。あ、それとヨーコさん……」

 サリーがにこやかに言った。

「あの鳥、いまいち生態分布的に正しくなかったよ」
「……しょうがないじゃん、あたし日本人なんだし?」
「それに今は夏だから、頭がかっ色じゃないと」
「うー……抜かった」

 言葉は聞こえる、だが意味がわからない……日本語だからなあ。ただ珍しくヨーコが悔しそうな顔をしていて、思わずにやにやしちまった。
 そうこうするうちにダンスは滞り無く終了し、レオンとディフが戻ってきた。

「オティア……シエン…………」

 ディフの顔を見上げて、シエンが小さな声で

「ごめんね」と言った。オティアは相変わらずそっぽを向いている。
 戻ってきたんだからいいじゃないか、とでも言いたげに。

「髪の毛、くしゃくしゃだな。整えとくか?」

 双子に問いかけるディフの手の中にすちゃっと木の櫛が渡される。

「……ありがとう」

 ヨーコに礼を言うと、『まま』はシエンに近づき、少し考えてから櫛を手渡した。

「自分でやるか?」
「ん」

 シエンはまず、自分の髪の毛を丁寧にとかしてから、オティアの髪をとかしはじめた。

「……まだ、羽根ついてるね」
 
 ディフが首をかしげてる。
 うんうん、俺も同じ気持ちだよ……控え室で休んでただけじゃ、海鳥の羽根なんかつくはずがない。
 見守っていたらレオンに肩をたたかれた。

「ヒウェル。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「何でしょう」
「バンドの人数……増えていたね」
「ええ」
「やっぱりあれもMr.ランドールからの『贈物』かい?」
「まあ、ねえ、いや、別に催促した訳じゃないんですよ? 自主的に申し出てくれたものを断る道理はないじゃないすか」

 レオンはかすかに眉をひそめた。

「顧客と必要以上に親密にしたくないんだ」
「了解、それじゃ今後はそのラインは守ります」
「頼むよ」
「……ほんっとに覚えてないんだなあ」
「……何をだい?」
「いや、別に」

 覚えていないのならわざわざ指摘するまでもないだろう。
 Mr.ランドール、彼が五年前にレオンに言い寄ったことがあって。その時、俺にウォッカ三倍の特製ソルティドッグでつぶされたってことを。
 無論、向こうも覚えちゃいない。顔を合わせた時はどっちもしたたか酔っていたし、Mr.ランドールに至ってはその後、酔いつぶれていたのだから。

「届かないよ」
「わかった」

 ふと見ると、ダンスでいい具合に乱れたディフの髪の毛を今度はシエンがとかしていた。身長差を解消すべく、『まま』が中腰になって。
 
「レオンさま」
「何だい、アレックス」

 執事はうやうやしく、かつ厳かに告げた。

「クラリッサさまがおいでになりました」

 クラリッサ?
 はて、その名前、聞き覚えがあるような。ないような。………誰だ?
 記憶をたぐりよせていると、アレックスに案内されてきた薄緑のドレスの女性がすっと前に進み出た。

 アールヌーボー調の飾り気のない直線的なストンとしたドレス。首の周りと耳元には、金の留め具で綴じられた光沢のある翠の石がびっしりと連ねられている。
 翡翠だ。
 色といい、とろりと油を引いたようなつやといい、申し分のない最上クラスのジェダイド。いったいいくらするのか、軽く値段を想像して目眩がした。
 華奢な足を収めたハイヒールのパンプスも、首飾りと同じ翡翠の色。無意識に真珠の縫い取りを期待してしまうのは、身にまとう王女のごとき気品の所為だろうか?
 
080715_1219~01.JPG ※月梨さん画、アレックスと……
 
「ひさしぶりね、レオンハルト」
「母さん」

 聞き覚えがあるはずだよ。
 クラリッサ・ローゼンベルク、レオンの母親だ………。
 ライトブラウンの髪と瞳。すっと鼻筋の通った貴族的な顔立ち。レオンの美貌をそのまま女性に移しかえたような……いや、源流はむしろこっちか。
 
 驚く息子の側を通りすぎると、レオンの母はがちがちに緊張している嫁にとことこと歩み寄って行く。あわててディフが曲げていた腰をしゃきっと伸ばした。

「うちの息子をよろしくお願いします」
「おっ俺の方こそ……ふつつか者ですがっ」

 視線がさまよってる。右に、左に。言うべき言葉を探しているのだろう。しばらく迷ってから、ディフは小さくうなずいて、ヘーゼルブラウンの瞳に柔らかな光にじませながらほほ笑んだ。

「よろしくお願いします……お母さん」
「いえ、もうとっくに息子には縁切られてますから」

 とんでもないことをさらりと言って、ころころと笑う。ディフがぎょっと顔を強ばらせた。
 サリーとヨーコに至っては気を使ったのかさりげなく少し離れた所に移動していた。

 ああ、やっぱりレオンって母親似なんだな。
 内面的にも。
 外見的にも。

 さて、この場で俺は何を言うべきだろう?

「あー、その……撮っときますか。記念写真?」

 クラリッサ嬢(そう、確か彼女は正式に結婚してはいない)は首をかしげてまばたきして、俺の手の中のカメラを見て、それからさらりと言ってのけた。

「いえ、あとで送ってちょうだい、あなたたちの」
「………わかりました」
「本当はこれの父親も来たいって言ったんだけど止めさせたのよ。どうみてもカタギじゃない連中ばかりいても邪魔ですものねぇ」
「そうですねぇ……」

 招待客の半分以上が警察関係者と、検事と判事と弁護士なんだ。さすがに……なあ。それはまずいよ、うん。商売敵、いや、『商売』はとっぱらってもろに敵同士だもんな。微妙に縄張りは違うけれど。

「……うん、お父様にはあとで写真をお届けしましょう」
「ありがとう。住所はアレックスが知っているわ。じゃ、そろそろ私、帰るわね」
「え? もう?」

 ディフがあわてた。
 クラリッサ嬢は満足げにディフと、オティアと、シエンの顔を順繰りに見回し、最後に大きくうなずいた。

「ええ。あなたたちの顔が見たかっただけだから……それじゃ、皆さん、ごきげんよう」

 ひらひらと手を振ると、クラリッサ嬢は現れた時と同じ様に唐突に帰っていった。
 見送りながらシエンがぽつりとつぶやく。

「……びっくりした」
「ああ、俺も、びっくりした」

 レオンは一言も喋らない。
 堅い面持ちで去って行く母親の背を見つめている。営業用の笑顔さえ作らず、ただじっと。
 ごく普通の客が帰る時だって、もうちょっと愛想よくするだろうに……。
 その隣にディフが歩み寄り、彼の手を握った。両手で包み込むようにして。

「……ありがとう」
「遠慮すんな。夫婦だろ」
「ああ。そうだね」

「Hey,レオン。今のが君の母上か?」
「ああ、そうだよ、デイビット」
「なるほど。そっくりだな! 実にお美しい」

 きゅっとレオンはディフの手をにぎり返し、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。

「……………そうだね」


 ※ ※ ※ ※
 

「アレックス」
「はい」
「あれが、例の双子たちね?」
「……はい」
「可愛らしいこと。」

 お嬢様は、オティアさまとシエンさまを見てたいへん喜んでおられる。

「幸せなのね、レオンハルトは」
「はい」
「男と結婚すると聞いて最初は驚いたけれど……彼は、どんな子?」
「とても誠実で、お優しい方です。心からレオンさまを愛しておられます」
「……そう。あなたが言うなら、そうなのでしょうね」

 お嬢様は手を伸ばし、受け付けに置かれたライオンのぬいぐるみを撫でた。レースの手袋をはめた指先で、くすぐるようにして。

「サンフランシスコまで来た甲斐があったわ………ありがとう、アレックス。元気でね」
「お気をつけて」

 深々と一礼する。
 レストランのエントランスには黒塗りのリムジンが停まっていた。
 屈強そうなサングラスをかけた黒いスーツの男が二人、待機していて、お嬢様が近づくとおもむろに後部座席のドアを開けた。
 クラリッサさまはうなずき、乗り込む。男たちもまた同じ車に乗り、走り出した。

 外に出てお見送りした。
 黒い車体が点となり、やがて曲がり角を曲がって見えなくなるまで、ずっと。

 ああ。やはりお嬢様はお美しい。
 お会いできて、本当に、良かった。
 

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【3-15-13】家族の肖像

2008/07/13 15:44 三話十海

 そろそろ宴の終わりが近づきつつある。

 予定では庭で新郎新婦と双子の四人をまず撮影、その後参加者の集合写真(入り切るのかどうかは別として!)の予定だったが。
 双子が……特にオティアが辛そうなこともあり、アレックスと話し合った結果、別室を借りて家族写真を写すことにした。

 それにしてもレオンの母親の登場は予定外だった。
 居合わせた客の中にはそうとう付き合いの古い連中もいるが、彼らにしてもレオンの母親を見たのは初めてだったろう。新郎の顔を見るたびに口々にたずねて来る。

『あれがお袋さんか?』
『初めて見た』
『そっくりだな』

 あたりさわりのない笑顔で応じちゃいるが、内心穏やかじゃあるまい。さっきっからディフの手を握って離そうとしない。
 やばいぞ、そろそろイエローゾーン、それもかなりオレンジ寄りと見た。レッドゾーンに突入する前にどうにかしないと。
 アレックスに目配せする。

「まだ少し早いけど……繰り上げるか?」
「その方がよろしいかと」
「OK。じゃ、先導よろしく」
「かしこまりました」

 広間の中央に進み出るとぱん、ぱん、と手を叩き、腹から声を出した。

「はーい、それじゃこれから家族写真写してきますんで、新郎新婦は別室へどうぞ」

 執事の先導で四人が会場を出たのを見計らい、自分も後に続く。

「その後集合だから! 今のうち化粧直しといてね」

 ぱちりとウィンクして、両開きのドアを閉めた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 レストランウェディングも受け付けている店だけあって、ちゃんと写真撮影用の部屋があった。
 さらにアレックスは手際良く、会場からレインボーフラッグを1つ運んでいてくれた。

 フラッグの前、赤いカーペットの上に四人が並ぶ。
 白いタキシード姿のレオンと、黒の上着に青と緑のタータンチェックの肩掛け、同色のキルトをまとったディフ、その前にそろいの紺色のタキシード姿のオティアとシエン。

「OK、四人ともそのまま………じゃあ、写すぞ」

 デジカメは使わない。一番手に馴染んだ古いカメラで。

(大切なことはみんな、このカメラで写してきた)

 ファインダーの向こうに笑顔が3つ、そして一人だけ笑わない子がいる。

 普通ならポラロイドで2〜3回写して具合を見る所だが、今回は特別。一発勝負だ。
 だから連写モードでシャッターを切る。一度の動きで、できるだけ多くの写真が撮れるように。
 願いをこめて、ボタンを押した。

 少しでもいい。
 ほほ笑みに近い表情(かお)を残したい、と。

 静かな部屋にシャッター音が響く。その間中、双子はしっかりと手をにぎり合っていた。
 胸がちくりと疼く。まるで崩れそうになるオティアを、シエンが支えているように見えて。

(無理させちまったな……ごめん)

「………OK、終わったよ。おつかれさん」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

 撮り終わると双子は手をとりあったまま、とことこと控え室に入って行った。
 黙って見送った。レオンと、ディフと、3人で。

 腕を組む二人の後を、少し離れて着いて行く。
 何だか自分が取り残されたようで、ちっとばかり寂しい。

 会場に続く両開きの扉の前でディフが足を止めて振り返り、ぐいっと親指をしゃくった。

「なぁにボサーっとしてやがる。さっさと来いよ、ヒウェル」

 ああ、まったく、お前さんってやつは。
 にんまり笑って憎まれ口を返す。

「新婚さんに気ぃつかってんだよ」
「らしくないマネすんな。雨が降ったらどうする」
「あ、それは困る、カメラが濡れる」
 
 首をすくめていそいそと中に入った。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 中庭の芝生の上で集合写真を撮った。
 結局、一度には入り切らずに3回に分けて。

 金髪の双子はどうしたと、聞かれるたびに『まま』はほんの少し寂しそうな顔をして、「疲れたから、休んでる」と答えていた。
 足元にすりよるばかでっかいシェパードの頭をなでながら。あるいは、ぴたりと寄り添うレオンの手をにぎりながら。

 そして撮影が終わると、いよいよ、結婚式の最後の儀式、ガータートスが始まった。本来なら独身男性のみが参加する行事だが、今回は別。ブーケトスも兼ねてるので独身のお嬢さんがたもご一緒に。
 
 スコットランドの伝統にのっとり、ディフは長い靴下をリボンのついた靴下留めでとめていた。色はもちろん、青。
 残念なことに俺の用意したウェディング用のガーターベルトは花婿により断固却下。採用されなかった。
 
 ひざまずいたレオンがおもむろにディフの左足から靴下留めを抜き取る。
 長いっつってもオーバーニーじゃない。膝の下だ。それだけの事なのにこの赤毛さんときたら、はじらって細かく震えておられて。耳まで赤くして、ろくにレオンの顔すら見られない。
 確かこいつ、パンツはいてるはずだよな、そのはずだよな、なんて頭ん中で阿呆な事を反すうしつつ、カメラを抱えて思い出す。

 そうだ、こいつは、こう言う奴だった、と。

 豪気で呑気で大雑把、そのくせレオンに対してはバカみたいに一途で、純粋で………。

(汚したいと思った蛇もいる。だが、護りたいと願うライオンの方がずっと強かった)

 できればずっとそのままでいろ。スレたお前さんなんざ見たくねぇ。

 立ち上がると、レオンは抜き取ったガーターを右手に握り、おもむろに客に背を向けた。そして左手のひらで目を覆い、ぽーんっと勢いよく後ろに向かって放り投げる。
 放物線を描いた青いガーターが飛んで行く。高々と差し挙げられた何本もの手が追いかける。果たして誰が捕まえるのか。

 次に結婚する幸運を。
 
 ひらひらとリボンを翻し、青い靴下留めが落ちて行く。
 引力に引かれて落ちて行く。
 もうすぐ大人の手の届く位置だ……。

 その刹那。

 宙におどりあがったしなやかな体が、はっしと靴下留めを受けとめていた。
 五本の指の手のひらではなく、かっ色の鼻面と白い牙で。
 花嫁が目をぱちくりさせ、素っ頓狂な声をあげた。

「え………デューイ?」

 盛大なため息と感嘆の声の中、すたんと太い、頑丈な足で地面に降り立つと、爆弾探知犬はくいっと頭を挙げてとことこと歩き出した。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

 飛んできた『それ』自体にさして興味はなかったが、懐かしい、大好きな人のにおいがした。

 兄弟は犬好きの客の相手に忙しいらしい。あいつはいつもそうだ。どんなに騒がしい子どもに耳を引っぱられても、尻尾をつかまれても決して怒らない。
 にこにこして、だまって静かに尻尾をふる。だから二頭で出歩くとまず、犬好きの人間は彼の方に行く。

 ひらひらしながら『それ』が落ちて来る。周りの人間が手を伸ばすが、彼の感覚にしてみれば、いたってゆっくりとした動きでしかない。
 力強い四本の足で地面を蹴って飛び上がり、ばくっと口で受けとめた。

 さて、取ったはいいが、これからどうしよう? 人間にとっては何やらとても大事なものらしい。しかし自分には使い道がない。

 任務中、見つけたものは全て主人に渡す。それが決まりだ。
 しかし、今はオフタイムだ。
 眼鏡をかけた金髪の同僚は、さっき電話が来て帰ってしまった。
 だったら……日頃世話になっている友だちに進呈しよう。

 とことことサリーに歩み寄ると、デューイはもふっと、口にくわえた青い靴下留めを彼の手のひらに押し込んだ。

「えーっと………………ありがとう、デューイ」
「あら、サクヤちゃん、いいものもらったね」
「………うん」

 困惑するような笑顔で首をかしげるサリーを、彼そっくりの女性がにこにこしながら見守っている。

 二人に頭をなでられながら、デューイはぱたぱたと控えめに尻尾を振った。

 よかった。
 喜んでもらえたようだ。 
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 空っぽになった皿やグラスを、店のスタッフが手際良く片付けている。
 テーブルに飾られていた花は、招待客に自由に持ち帰ってもらった。今はもう、花器の中に残る緑色のざらりとしたオアシスだけが残されているだけ。

 招待客を送り出すと、にぎやかだった会場が冗談みたいにがらーんと寂しくなった。
 しかし、双子にとってはその方が良かったんだろう。
 控え室を抜け出して、中庭に出てきた。

「オティア。シエン!」

 芝生の上から起きあがり、手招きした。

「紹介するよ……俺の警官時代の同僚で、ヒューイとデューイだ」

 さすがに招待客の目の前で犬と抱き合ってごろごろ転げ回る訳には行かないからな。いちおう、自粛してたんだ。
 ワルターとネルソン、二人のハンドラーは少し離れた所でサリーと何やら話している。

「……おっきな犬だね」
「ああ、ジャーマン・シェパードだ。こいつら、一緒に生まれた兄弟なんだよ」
「怖くない?」
「ちゃんと訓練されてるから大丈夫。それに、大型犬はジェントリーでフレンドリーな奴が多いんだ」
「そう……なんだ」
「かえって勢いに任せてつっぱしる暴れん坊の方が危険だな」
「…………」
「何で、こっち見てるんだ、オティア」
「別に」

 シエンはこわごわと遠巻きにしていたが、オティアは近づいてきた。犬をおびえさせないように、静かに。
 そして屈み込むとそっと手のひらを上にして手を伸ばした。

 デューイがずいっと鼻面をつきだし、においをかぐ。
 ヒューイはシエンの方を見て、にこにこほほ笑んで尻尾を振ってる。目を細めて長い口を開け、少し舌をたらして。

「怒ってる?」
「いや。喜んでる」

 デューイの鼻先がオティアの手のひらに触れた。
 ひやりと湿っていて、ビロードみたいに柔らかい鼻先をぐいぐいとすりよせると、デューイは尻尾を振ってオティアの顔を見上げた。
 兄弟犬に比べるとだいぶ控えめだったが、奴の基準からすればとんでもなくフレンドリーな反応だ。

 オティアはほんの少し表情をやわらげ、シェパード犬の頭を撫でた。やわらかな短い毛にみっしりと覆われた耳が指の間でぱたぱたと動くと、くすぐったそうに首をすくめた。
 デューイはお返しとでも言いたげにオティアの手のひらをぺろりと舐めた。

「マックス。そろそろおいとまするよ」
「そうか。ありがとな……嬉しかった」
「いい式だったよ。サリー先生に挨拶もできたしな!」

 ハンドラーに連れられて二頭が帰って行く頃には、会場はあらかた片付けられていて……レインボーフラッグだけが、宴の名残を留めていた。

「俺たちも帰ろうか」
「そうだな」
「はい、ディフ、これ」

 シエンが受け付けからぬいぐるみをとってきてくれた。
 揃いのタキシードを着たライオンとクマ。だが……何だ、これは。朝見た時とだいぶ姿が変わってるぞ?

「 ヒ ウ ェ ル ! 」

 
 ※ ※ ※ ※


 その頃、オティアは中庭の木にもたれかかり、芝生に座って空を見上げていた。
 雲一つない青空に、もうあの白い鳥たちはいない。

 ほう、と小さくため息一つついて視線を落す。
 肩にひとひら、真っ白な羽根が残っていた。

 
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【3-15-14】★SweetHome

2008/07/13 15:46 三話十海
 
 二次会には、ちらっと顔を出して、挨拶だけすませて退散した。

「新婚旅行はどこに?」
「残念ながら予定はないんだ。いそがしくてね」

 盛大なブーイングを受けつつその場を退散し、家に戻ってくると珍しくレオンに言われた。

「ドアを開けてくれるかな?」
「ああ」

 鍵を開けて、ドアを開けた瞬間。
 不意に後ろからレオンの腕が巻き付いてきた。あっと思う間もなくふわりと足が宙に浮く。

「うわっ?」
「……暴れないで」
「う………」

 何てこったい。昼間とは逆に、俺の方がお姫様みたいに抱き上げられてる!

「新婚の花嫁に敷居を踏ませる訳には行かないだろ? しっかりつかまって」

 のぞきこむレオンの顔には、いたずらっ子みたいな楽しげな笑みが浮かんでいた。

「……わかったよ」

 観念して腕を回してしがみつく。

「……なあ、レオン」
「何だい?」
「お前……前にもこんな風に俺のこと抱き上げて、運んでくれたこと……なかったか?」
「さあて。そんなことも、あったかもしれないね」
「………」

 はっきりとは覚えていない。ただ夢うつつのうちに今と同じ様に彼の腕に抱かれて運ばれた記憶が、かすかに残っている。
 世界中のどこよりも安らかで、居心地が良くて。それだけで、心臓を深々と抉る凍えた針が溶けるような気がした。
 
(あれは……いつのことだったのだろう)
 
 逆に自分が初めて抱き上げた時のことはしっかり覚えてるんだがなあ。高校一年の時、風邪で熱出したこいつをベッドまで運んだんだ。
 あの時は夢にも思わなかったよ。
 こんな風に、お前と寄り添う日が来るなんて。

(自分と言う存在、誇りも尊厳も全てはぎ取られ、紙くずみたいに引きちぎられて……最後の意識を手放そうとしたあの瞬間。お前の声が。手が。俺を引き戻してくれた)

 そうだよな。今さら何、かっこつけてるんだ。
 余計な力を抜いて、彼の腕に身を委ねた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 リビングまでやって来て、さてそろそろ降りる準備をするか、と思っていたら。いきなり柔らかくて、湿っていて、温かいものが降ってきて……唇をふさいだ。

「っ!」

 待て、こら!
 シエンが目を丸くしたまんま固まってるぞ……。お帰り、を言おうとして途中で言葉が出なくなったらしい。

「……じゃあ、オヤスミナサイ」

 完全に不意打ちだったらしい。真っ赤になってぎこちない動きで方向転換し、そそくさと隣に通じるドアの方へと歩いて行く。

「おやすみ」
「お………おやすみ」

 穴にでも入りたい心境だがレオンの腕の中、降りるに降りられず、逃げ場がない。しがみついて胸に顔をうずめるのが精一杯だ。

「どうしたんだい?」
「……招待客の目の前でやられなかっただけ……感謝すべきなんだろうな……すっげえはずかしい」
「本当は、俺がこうするはずだった」

 ハートをくぐり抜けた時のことを言ってるのだとすぐにわかった。

「ごめん、つい」
「いいんだ」

 くすっと笑うと、レオンはようやく俺の体をソファの上に降ろしてくれた。
 ふう、と息を吐いて見回すと………見慣れたリビングルームが、何だかえらく華やかになっている。
 花束。薔薇にマーガレット、フリージア、カサブランカ、カーネーション、かすみ草。その他名前も知らない花、花、花。
 そして、ピンクで祝いの言葉が書かれた銀色のアルミのハート形の風船。レインボーリボンをぶらさげて、ぷかぷかと部屋の中に何個も漂っている。
 さらに大量のカードと、未開封のプレゼントの山。

「そう言えば会場に持ってくのは邪魔だから、直接家に送っといたって……言われたような気がする」
「調理器具が多そうだね」
「ああ、いくつかこっちからリクエストしたからな」

 おそらく、アレックスに連れられて一足先に帰った双子が受けとって、整理してくれていたんだろう。
 何気なく一番上にあったカードを手にとる。
 
 ディフ、レオン、君たちが結婚するって聞いた時は驚いたよ!
 でも君たちならお似合いだ。互いに支えあっていけると信じてる。
 心からおめでとう、幸せにな!
 そうそう、夫婦円満の秘訣は『ほうれんそう』だそうだ。よくわからんが日本の友達から聞いたんだ。

 from D
 
「これ、かなり親しい奴からだよな」
「だろうね。君をディフと呼んでるくらいだから」
「Dって誰からだろう……まさかデイビット?」
「いや、彼は実際に来ていたじゃないか……それに、デイビットにしては言葉の選び方が地味だよ」
「確かにそうだな」

 そしてカードの末尾に添えられた言葉を読み返し、改めて首をひねる。

「ほうれんそうってなんだ? 鉄分とビタミンの補給か?」
「日本の言葉らしいから、後で聞いてみたらどうだい?」
「そうだな。サリーか、ヨーコにでも聞いてみるよ」

 そっとカードを山に戻す。この全てが祝福の言葉であり、心なのだと思うと、せつせつと胸に迫るものがある。
 うれしくて。
 幸せで。
 俺は本当にレオンと結婚したのだ。これからずっと、彼一人のものでいられるのだと安堵する。
 白い百合に顔を寄せ、あふれる甘い香りを味わった。

「……いいにおいだな。たまに酔いそうになるけど、俺は……好きだ」
「しばらく楽しめそうだね。こんなに集まるとは思わなかったな」
「……風船もな」

 ちょい、と指先で風船をつつく。『Happy marriage!』の文字がふよふよと揺れる。

「それにしても予想より人が多かった」
「ああ。びっくりした」

 肩掛けを外し、タイを緩めてシャツのボタンを上二つほど外す。ブローチは……後でヒウェルに返さないとな。明日の飯時にでも。
 
「子供達が少しつらそうだったね。途中でいなくなってしまったから心配していたんだが」
「やっぱり無理に参加させちまったからかな……特にオティア。戻って来てくれてよかったよ」

 リビングにいたのは、シエンだけだった。
 オティアのやつ、部屋でぐったりしてやしないかな。心配だ……。
 でもここで様子見に行ったりしたら、十中八九、追い出される。
 
 小さくため息をついて顔を上げると、レオンが白い上着を脱いでいる所だった。
 タイを緩めて抜き取る仕草に目が引きつけられた。何度も見慣れた動作だが、着てる服が違うとやはり、こう……。

 …………。

 ああ、もう、上手く言葉が見つからない。お前は白が似合うよ、本当に。

「こんなことはそう何回もあるわけじゃないから、許してもらおう」

 上着を脱いで、シャツの袖口からサファイアのカフスボタンを外す。肩掛けの上に、ブローチと並べて乗せた。

「……一度で十分だ」

 レオンの目を見上げた。
 入れたばかりの紅茶みたいに透き通っていて、あったかい。今は俺を……俺だけを見つめていてくれる。

 そのことが、今、たまらなく嬉しかった。

「俺の伴侶はお前しかいない」
「そうだね。結婚式はもうなくても、銀婚式や金婚式はやるかもしれないよ?」
「あ………それがあったか………」

 顔を伏せてぐしゃぐしゃと髪の毛をかきまわす。結婚するってのは、そう言うことなんだ。これから先、何年も、何十年も、レオンとずっと一緒だってことなんだ。何故気づかなかった? それを望んで彼の手をとったんじゃないか!
 ああ、まったく、もう俺って奴は………。

「ダメだ、なんかもう今日のことだけで頭がいっぱいになって」
「君があんなにはしゃぐのははじめて見たかもしれないな」
「嬉しかったんだ」

 ほろりと言葉が出てきた。
 自分の中の、一番奥底のやわらかな気持ちが、言葉になってあふれだす。こぽこぽと、小さなわき水みたいに。

「俺は……お前だけのものなんだって……証明できて……………………」

 喉が震える。視界がじわっとにじみだした。
 くそ……もう泣かないって決めたはずなのに。

「嬉しかったんだ……」

 拭っても。
 払っても消せないものがある。浅い眠りの中でふと記憶の底から突き上げる恐怖に飛び起きたのも一度や二度ではない。
 だから確かめたかった。
 確固たる証しがほしかった。

 あの子たちが人前に出るのが苦手だと知っていても……。
 レオンが俺を人前に出すのを望まないと知っていても。
 どうしても、式を挙げたかったんだ。

 全ては俺のわがままだ。
 それを許してくれたレオンが。黙ってついてきてくれたオティアが。シエンが。愛おしくてたまらなかった。
 心を砕いて、最高の式を用意してくれたアレックスとヒウェルへの感謝で胸がいっぱいになった。

「俺もそうだよ……」

 レオンの手がそっと頬を包み込む。ほほ笑み返し、その手に自分の手を重ねた。

「ありがとな、レオン。大好きだ」

 返事の代わりにキスが降ってきた。唇と唇を重ねて、触れあわせるだけのキス。
 それだけで、体が芯から震えた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 新婚旅行に行かないのは、単に忙しいからだけじゃない。
 今、君と二人きりになったりしたら。独り占めしてしまったら……そのままどこか遠くにさらって行きたくなる。
 そんな自分を抑える自信がなかったのだ。
 
「………………ディフ」
「何だ?」
「こんなことを言うと笑われるかもしれないけど」
「……笑わないよ。お前の言うことなら」
「眠ったらみんな夢になってしまうような気がして」
「それは……困る」

 彼は少しの間、口元に軽く握った手を当てて考え込んでいたが、そのうちくいっと手を引っぱって俺を引き寄せ、抱きしめてくれた。
 すっぽりと胸の中に抱え込むようにして

「どうだ? 夢か? ん?」

 温かな胸に顔をうずめ、首を横に振る。

「何度でも証明してやるよ。夢じゃないって」
「俺はずっと結婚する気もなかったし、考えたこともなかった……こんな日がくるなんて」

 しっかりした指が。大きくて温かい手のひらが、髪を、背中をなでる。その左の薬指には俺のと対になった銀色の指輪が光っている。
 その事実に。髪をかきわける指の間に触れる、確かな堅さに安堵する。

「全部、きみのおかげだよ……ありがとう」
「ありがとうって言うのは……俺の方……だ……」

 囁きの合間に耳にキスされた。ああ。くすぐったいな。

「愛してるよ」
「ああ。先に言われちまったな……俺も、愛してる」

 ほんの少し緑をにじませたヘーゼルブラウンの瞳が見つめてくる。
 今だけは俺のために、ただ一人の男でいてくれ。子どもたちの『まま』なんかじゃなくて。
 俺一人のものに。
 
「世界で一番、愛してる」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 その夜、オティアは夢を見た。
 
 引き金はシャッターの音。
 暗い部屋に封じ込まれて、いつ果てるともなく続いた闇色の時間が記憶の底からせり上がり、まとわりつく。

 払っても拭えない。逃げられない。
 浅い眠りの中で、目覚めようともがいても、あがいても、泥のように粘つく生臭い闇が手に、足に、首筋に絡み付いて引き戻される。

 夢とうつつの狭間でじっとりと汗ばみ、魘されて(うなされて)いると……羽ばたきの音を聞いた。

 みゅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい。
 みゅい、みゅーーーーーーーーいぃ………。

 遠くかすかに、海鳥の声。

 いつしか彼を閉じ込めていた部屋の壁は消え去り、天井は青い空に変わっていた。
 打ち寄せる波の上をすべるようにして、白い鳥たちがやってくる。何羽も。何羽も。
 優しい羽ばたきが彼を中心に円を描くようにぐるぐると飛び回り、包み込み………まとわりつく闇を打ち消し、退ける。

 幻の羽ばたきに包まれて、オティアはとろとろと穏やかな眠りの中に降りて行った。
 
 
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【3-15-15】ほほ笑みに近い一葉を

2008/07/13 15:47 三話十海

 気がつくと二次会でバーテン役をやらされていた。
 店を借り切ったのはいいんだが、人数が多すぎてバーテンの数が足りなかったから、必然的に。
 祝福の『ばか騒ぎ』は夜中まで続き、どうやって部屋まで帰ったのかは記憶になかった。

 それでも日曜は昼前に起きた。
 オレンジジュースとチョコバーを腹に収めて血糖値を高め、シャワーを浴びて。しゃっきりしてから暗室にこもり、ひたすら昨日写した写真を現像した。

 何枚か覚えのない写真が混じっていたが、アレックスの写したものだとすぐにわかった。バグパイプを演奏するディフと並んで歌ってる俺自身の写真を発見した時は、正直うろたえたね。
 俺ってこんな顔してたのか! と。

 最後に四人で写した『家族写真』を焼いた。
 連続した写真の中で、オティアが一生懸命、笑おうと努力しているのがわかった。目を細めて、口の両端をあげて。けれど、結局笑うことができずに終わっている。
 何度も何度も見直して、比較的おだやかな表情をした一枚を選んで引き伸ばしてみる。

「………あれ?」

 紺色の上着の肩にひとひら、白い羽根がついていた。
 これがいい。これにしよう。
 これが一番、ほほ笑みに近い。
 一枚は写真立てに収めてレオンの部屋に届けて、もう一枚はレオンのお袋さんに送って。あとの一枚は……パネルにして、俺の部屋に。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 月曜日。
 日本に帰るヨーコを車に乗せ、空港まで送って行った。

 出発ロビーで手続きをする合間に彼女はコーヒーをおごってくれた。空港のコーヒースタンドの奴で俺の基準からすればかなり薄口だが、とにもかくにもコーヒーだ。

「……薄い」
「あなたの基準が濃すぎるんだ」

 きっぱり言い切ってから、ヨーコはにこっとほほ笑みかけてきた。

「ありがとうね、ヒウェル。タクシーでもよかったのに」
「いや、いや、わざわざ日本から来てもらったんだし、これぐらいはね。俺はフリーだから時間の自由がきくし?」
「………らしくないな。そんな殊勝な言葉」

 赤いフレームの眼鏡の奥でアーモンド型の瞳が細められる。透き通った濃いかっ色の中に束の間、色のない光が閃いたような気がした。

「何か、言いたいことがあるはずよ、あなた。だからわざわざ送ってくれたんでしょ?」

 参ったね……お見通しか。
 思い切って聞いてみる。ずっと気になっていたことを。

「ほんとは君……見えてたんだろ? 俺たちにあったこと、何もかも全部……」
「さあてね?」
「だったら教えてくれ。これから俺は、どうしたらいいんだ」

 手をさしのべたら、ぺしっと払われた。相変わらず手厳しい。だが、それでも払いのける手つきにどこか優しさがある。
 それ故にわかるのだ。決して拒絶されたのではない、見捨てられたのではないと。

「ヒウェル。他者から見えるのは痕跡に過ぎない」

 滑るように一歩近づいて、逆に彼女から手を伸ばしてきた。華奢な手のひらが頬を包む。

「行き先を決めるのは、あなたよ……目を開き、心を研ぎ澄ませなさい」

 どこか違う場所から、俺たちとは違う流れを見通す瞳が見上げてくる。すっと耳元に顔を寄せて囁かれた。
 
「見えすぎるのも善し悪しなのよ。影に引きずられるからね」
「……えっ?」

 何事もなかったように彼女は離れて、小さな投げキッスを一つ。手をふって歩き出した。

「それじゃ、またね。サクヤをよろしく」

 手をふって見送った。
 人ごみの中にヨーコの後ろ姿が紛れて見えなくなるまで。

 ……まだ、夢を見ているような気がする。
 
 冷めたコーヒーの残りを喉に流し込み、空港を出た。
 
summer.png
 
 一歩建物を出た瞬間、かあっと照りつける直射日光にいっぺんに目がさめた。

「……行くか」

 肩をそびやかして歩き出す。パーキングに停めた車に向かって。
 さあ、休暇は終わり。現実の始まりだ。
 せいぜい目を開き、心を研ぎ澄ますとしようじゃないか。

 煙草をくわえて、カキっと愛用のオイルライターで火をつける。刻まれた真っ赤なグリフォンが、夏の陽射しを反射してぎらりと光った。


「あ……いけね」

 レースのハンカチ、返すの忘れてた。
 
(サムシング・ブルー後編/了)

祝電送る

 そして……

(第三話:ローゼンベルク家のお品書き/了)

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