▼ 【3-15-14】★SweetHome
二次会には、ちらっと顔を出して、挨拶だけすませて退散した。
「新婚旅行はどこに?」
「残念ながら予定はないんだ。いそがしくてね」
盛大なブーイングを受けつつその場を退散し、家に戻ってくると珍しくレオンに言われた。
「ドアを開けてくれるかな?」
「ああ」
鍵を開けて、ドアを開けた瞬間。
不意に後ろからレオンの腕が巻き付いてきた。あっと思う間もなくふわりと足が宙に浮く。
「うわっ?」
「……暴れないで」
「う………」
何てこったい。昼間とは逆に、俺の方がお姫様みたいに抱き上げられてる!
「新婚の花嫁に敷居を踏ませる訳には行かないだろ? しっかりつかまって」
のぞきこむレオンの顔には、いたずらっ子みたいな楽しげな笑みが浮かんでいた。
「……わかったよ」
観念して腕を回してしがみつく。
「……なあ、レオン」
「何だい?」
「お前……前にもこんな風に俺のこと抱き上げて、運んでくれたこと……なかったか?」
「さあて。そんなことも、あったかもしれないね」
「………」
はっきりとは覚えていない。ただ夢うつつのうちに今と同じ様に彼の腕に抱かれて運ばれた記憶が、かすかに残っている。
世界中のどこよりも安らかで、居心地が良くて。それだけで、心臓を深々と抉る凍えた針が溶けるような気がした。
(あれは……いつのことだったのだろう)
逆に自分が初めて抱き上げた時のことはしっかり覚えてるんだがなあ。高校一年の時、風邪で熱出したこいつをベッドまで運んだんだ。
あの時は夢にも思わなかったよ。
こんな風に、お前と寄り添う日が来るなんて。
(自分と言う存在、誇りも尊厳も全てはぎ取られ、紙くずみたいに引きちぎられて……最後の意識を手放そうとしたあの瞬間。お前の声が。手が。俺を引き戻してくれた)
そうだよな。今さら何、かっこつけてるんだ。
余計な力を抜いて、彼の腕に身を委ねた。
※ ※ ※ ※
リビングまでやって来て、さてそろそろ降りる準備をするか、と思っていたら。いきなり柔らかくて、湿っていて、温かいものが降ってきて……唇をふさいだ。
「っ!」
待て、こら!
シエンが目を丸くしたまんま固まってるぞ……。お帰り、を言おうとして途中で言葉が出なくなったらしい。
「……じゃあ、オヤスミナサイ」
完全に不意打ちだったらしい。真っ赤になってぎこちない動きで方向転換し、そそくさと隣に通じるドアの方へと歩いて行く。
「おやすみ」
「お………おやすみ」
穴にでも入りたい心境だがレオンの腕の中、降りるに降りられず、逃げ場がない。しがみついて胸に顔をうずめるのが精一杯だ。
「どうしたんだい?」
「……招待客の目の前でやられなかっただけ……感謝すべきなんだろうな……すっげえはずかしい」
「本当は、俺がこうするはずだった」
ハートをくぐり抜けた時のことを言ってるのだとすぐにわかった。
「ごめん、つい」
「いいんだ」
くすっと笑うと、レオンはようやく俺の体をソファの上に降ろしてくれた。
ふう、と息を吐いて見回すと………見慣れたリビングルームが、何だかえらく華やかになっている。
花束。薔薇にマーガレット、フリージア、カサブランカ、カーネーション、かすみ草。その他名前も知らない花、花、花。
そして、ピンクで祝いの言葉が書かれた銀色のアルミのハート形の風船。レインボーリボンをぶらさげて、ぷかぷかと部屋の中に何個も漂っている。
さらに大量のカードと、未開封のプレゼントの山。
「そう言えば会場に持ってくのは邪魔だから、直接家に送っといたって……言われたような気がする」
「調理器具が多そうだね」
「ああ、いくつかこっちからリクエストしたからな」
おそらく、アレックスに連れられて一足先に帰った双子が受けとって、整理してくれていたんだろう。
何気なく一番上にあったカードを手にとる。
ディフ、レオン、君たちが結婚するって聞いた時は驚いたよ!
でも君たちならお似合いだ。互いに支えあっていけると信じてる。
心からおめでとう、幸せにな!
そうそう、夫婦円満の秘訣は『ほうれんそう』だそうだ。よくわからんが日本の友達から聞いたんだ。
from D
「これ、かなり親しい奴からだよな」
「だろうね。君をディフと呼んでるくらいだから」
「Dって誰からだろう……まさかデイビット?」
「いや、彼は実際に来ていたじゃないか……それに、デイビットにしては言葉の選び方が地味だよ」
「確かにそうだな」
そしてカードの末尾に添えられた言葉を読み返し、改めて首をひねる。
「ほうれんそうってなんだ? 鉄分とビタミンの補給か?」
「日本の言葉らしいから、後で聞いてみたらどうだい?」
「そうだな。サリーか、ヨーコにでも聞いてみるよ」
そっとカードを山に戻す。この全てが祝福の言葉であり、心なのだと思うと、せつせつと胸に迫るものがある。
うれしくて。
幸せで。
俺は本当にレオンと結婚したのだ。これからずっと、彼一人のものでいられるのだと安堵する。
白い百合に顔を寄せ、あふれる甘い香りを味わった。
「……いいにおいだな。たまに酔いそうになるけど、俺は……好きだ」
「しばらく楽しめそうだね。こんなに集まるとは思わなかったな」
「……風船もな」
ちょい、と指先で風船をつつく。『Happy marriage!』の文字がふよふよと揺れる。
「それにしても予想より人が多かった」
「ああ。びっくりした」
肩掛けを外し、タイを緩めてシャツのボタンを上二つほど外す。ブローチは……後でヒウェルに返さないとな。明日の飯時にでも。
「子供達が少しつらそうだったね。途中でいなくなってしまったから心配していたんだが」
「やっぱり無理に参加させちまったからかな……特にオティア。戻って来てくれてよかったよ」
リビングにいたのは、シエンだけだった。
オティアのやつ、部屋でぐったりしてやしないかな。心配だ……。
でもここで様子見に行ったりしたら、十中八九、追い出される。
小さくため息をついて顔を上げると、レオンが白い上着を脱いでいる所だった。
タイを緩めて抜き取る仕草に目が引きつけられた。何度も見慣れた動作だが、着てる服が違うとやはり、こう……。
…………。
ああ、もう、上手く言葉が見つからない。お前は白が似合うよ、本当に。
「こんなことはそう何回もあるわけじゃないから、許してもらおう」
上着を脱いで、シャツの袖口からサファイアのカフスボタンを外す。肩掛けの上に、ブローチと並べて乗せた。
「……一度で十分だ」
レオンの目を見上げた。
入れたばかりの紅茶みたいに透き通っていて、あったかい。今は俺を……俺だけを見つめていてくれる。
そのことが、今、たまらなく嬉しかった。
「俺の伴侶はお前しかいない」
「そうだね。結婚式はもうなくても、銀婚式や金婚式はやるかもしれないよ?」
「あ………それがあったか………」
顔を伏せてぐしゃぐしゃと髪の毛をかきまわす。結婚するってのは、そう言うことなんだ。これから先、何年も、何十年も、レオンとずっと一緒だってことなんだ。何故気づかなかった? それを望んで彼の手をとったんじゃないか!
ああ、まったく、もう俺って奴は………。
「ダメだ、なんかもう今日のことだけで頭がいっぱいになって」
「君があんなにはしゃぐのははじめて見たかもしれないな」
「嬉しかったんだ」
ほろりと言葉が出てきた。
自分の中の、一番奥底のやわらかな気持ちが、言葉になってあふれだす。こぽこぽと、小さなわき水みたいに。
「俺は……お前だけのものなんだって……証明できて……………………」
喉が震える。視界がじわっとにじみだした。
くそ……もう泣かないって決めたはずなのに。
「嬉しかったんだ……」
拭っても。
払っても消せないものがある。浅い眠りの中でふと記憶の底から突き上げる恐怖に飛び起きたのも一度や二度ではない。
だから確かめたかった。
確固たる証しがほしかった。
あの子たちが人前に出るのが苦手だと知っていても……。
レオンが俺を人前に出すのを望まないと知っていても。
どうしても、式を挙げたかったんだ。
全ては俺のわがままだ。
それを許してくれたレオンが。黙ってついてきてくれたオティアが。シエンが。愛おしくてたまらなかった。
心を砕いて、最高の式を用意してくれたアレックスとヒウェルへの感謝で胸がいっぱいになった。
「俺もそうだよ……」
レオンの手がそっと頬を包み込む。ほほ笑み返し、その手に自分の手を重ねた。
「ありがとな、レオン。大好きだ」
返事の代わりにキスが降ってきた。唇と唇を重ねて、触れあわせるだけのキス。
それだけで、体が芯から震えた。
※ ※ ※ ※
新婚旅行に行かないのは、単に忙しいからだけじゃない。
今、君と二人きりになったりしたら。独り占めしてしまったら……そのままどこか遠くにさらって行きたくなる。
そんな自分を抑える自信がなかったのだ。
「………………ディフ」
「何だ?」
「こんなことを言うと笑われるかもしれないけど」
「……笑わないよ。お前の言うことなら」
「眠ったらみんな夢になってしまうような気がして」
「それは……困る」
彼は少しの間、口元に軽く握った手を当てて考え込んでいたが、そのうちくいっと手を引っぱって俺を引き寄せ、抱きしめてくれた。
すっぽりと胸の中に抱え込むようにして
「どうだ? 夢か? ん?」
温かな胸に顔をうずめ、首を横に振る。
「何度でも証明してやるよ。夢じゃないって」
「俺はずっと結婚する気もなかったし、考えたこともなかった……こんな日がくるなんて」
しっかりした指が。大きくて温かい手のひらが、髪を、背中をなでる。その左の薬指には俺のと対になった銀色の指輪が光っている。
その事実に。髪をかきわける指の間に触れる、確かな堅さに安堵する。
「全部、きみのおかげだよ……ありがとう」
「ありがとうって言うのは……俺の方……だ……」
囁きの合間に耳にキスされた。ああ。くすぐったいな。
「愛してるよ」
「ああ。先に言われちまったな……俺も、愛してる」
ほんの少し緑をにじませたヘーゼルブラウンの瞳が見つめてくる。
今だけは俺のために、ただ一人の男でいてくれ。子どもたちの『まま』なんかじゃなくて。
俺一人のものに。
「世界で一番、愛してる」
※ ※ ※ ※
その夜、オティアは夢を見た。
引き金はシャッターの音。
暗い部屋に封じ込まれて、いつ果てるともなく続いた闇色の時間が記憶の底からせり上がり、まとわりつく。
払っても拭えない。逃げられない。
浅い眠りの中で、目覚めようともがいても、あがいても、泥のように粘つく生臭い闇が手に、足に、首筋に絡み付いて引き戻される。
夢とうつつの狭間でじっとりと汗ばみ、魘されて(うなされて)いると……羽ばたきの音を聞いた。
みゅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい。
みゅい、みゅーーーーーーーーいぃ………。
遠くかすかに、海鳥の声。
いつしか彼を閉じ込めていた部屋の壁は消え去り、天井は青い空に変わっていた。
打ち寄せる波の上をすべるようにして、白い鳥たちがやってくる。何羽も。何羽も。
優しい羽ばたきが彼を中心に円を描くようにぐるぐると飛び回り、包み込み………まとわりつく闇を打ち消し、退ける。
幻の羽ばたきに包まれて、オティアはとろとろと穏やかな眠りの中に降りて行った。
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