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ローゼンベルク家の食卓

【3-15-11】白い翼

2008/07/13 15:42 三話十海

 一旦は大人しくレストランに戻るかに見えたオティアだったが。
 実際、一度は建物に入ったのだが会場には戻らず、そのまま廊下を突っ切って裏口に向かった。
 このドアを出て右に曲がれば中庭に。まっすぐ行けばレストランの敷地を抜け出し、海岸に通じる下り坂に出る。
 ただし、今度は観光客も滅多に近づかないような寂れた海辺に。

「オティアさま。シエンさま」

 ……アレックスだ。どうやら厨房に指示を出しに行って戻ってきたところらしい。

「外の空気が吸いたい。すぐ戻る」
「……かしこまりました。お気をつけて」

 そのままシエンと二人で外に出て、誰も見ていないのを確かめてから歩き出す。
 まっすぐに、海岸に通じる坂道を下って。


 ※ ※ ※ ※
 
 
「……ああ、やっぱり君、そっちに行ったか」

 小さく母国語でつぶやくとヨーコは閉じていた目を開いた。いつの間に来たのか、従弟のサクヤがひっそりと立っている。

「裏口から、海岸に向かって降りてったわ」
「……わかった。見つけたら電話する」
「行ってらっしゃい」

 そして彼女は再び瞳を閉じる。
 中庭の木にもたれかかり、まるで瞑想にでもふけっているかのようなヨーコの姿に気づく者は……何故か、誰もいなかった。
 
 しばらくして、ぴくっとヨーコの指先が震える。その直後、バッグの中で携帯が震動した。
 彼女はバッグを開けると中からつやつやした黒い携帯を引っぱり出し、スライドさせる。ストラップに下がった丸い鈴が『りん!』と澄んだ音を立てた。

「Hi,サクヤちゃん。今、あなたが見えたわ」
「うん、もうちょっとで追いつく」
「OK。それじゃ、また後で」

 電話を取り出してから、話す間も。再びバッグにしまうその瞬間も、彼女は一度も目を開けなかった。


 ※ ※ ※ ※
 
 
 コンクリートの階段を降りて、泥と小石の混じった寂れた砂浜を歩き出す。 
 足元に湿った砂がまとわりつく。
 打ち寄せる海の水の上を吹きぬける風はひやりと冷たく、とろりと濃い潮の香がする。

 双子は一言も喋らない。
 ただ、歩く。
 並んで歩く。

 パーティーは今、どこまで進んでいるのだろう。最後の写真撮影まであとどれぐらいだろう。心配になったけれど、シエンは黙ってオティアと一緒に歩いていた。
 ふと、オティアが足を止めた。ほとんど同時にシエンも立ち止まり、ついさっき自分たちが降りてきたすり減ったコンクリートの階段を見上げる。

 ひょこひょこと降りてくる華奢な人影が見えた。黒いタキシードを着て、黒い髪、濃い茶色の瞳、フレームの大きな眼鏡、優しげな顔立ち。
 サリーだ。

 いつの間に来たのだろう?

 双子は顔を見合わせた。
 まさか、自分たちを探して? どうやって知ったのだろう、ここに居ると。

 サリーはにこにこしながら近づいてくる。真新しい靴が。ズボンが、湿った砂にまみれても一向に気にする様子はない。
 もうすぐ、大きな声を出さなくても届く……と言う距離まで近づいた時。

 みゅーーーーーーーーーーーーーーーーいっ!

 サリーは両手のひらを口元に当てて、急に甲高い音を立てた。
 
 みゅーーーーーーーい、みゅい、みゅーいっ!

 何度も続けて。まるで鳥の鳴き声そっくりだ……と思った瞬間。
 二人は羽音と閃く白い翼に取り囲まれていた。

「わっ」

 シエンが小さく声を挙げて後じさる。

「……大丈夫だよ、シエン」
「う……うん」
 
 サリーに言われて、おそるおそる飛び回る白い生き物に視線を合わせる。

 カモメだ。
 どこからこんなに集まってきたんだろう? もっと小さな、名前のわからない海鳥も混じっている。長く力強い翼で空気をかきわけ、風に乗り、右に左にまるで重さなんかないように自在に飛び回る。

 オティアは一瞬、目をみひらいて。それから、ほんの少し目を細めて、じっと見守っていた。

 サリーも、オティアも、シエンも、一言も話さない。

 飛び交う白い翼の中に一羽、他のカモメより一回り小さなカモメがいた。白い体、ほわっとグレイのかかった白い翼の先端にはくっきりと黒いラインが引かれ、くちばしと足は鮮やかな赤。
 とてもフレンドリーで、オティアのすぐそばまで寄って来る。何となく、少しだけ優しい目をしているような感じがした。
 そっと手を伸ばしてみる。
 逃げなかった。
 それどころか、ふわりと肩に舞い降りてきた。

「あ……」

 ふっと、オティアの顔にほほ笑みが浮かぶ。ほんの微かなものだったけれど、まちがいなく彼はほほ笑んでいた。
 小さなカモメはしばらくオティアの周りを離れなかった。時折肩から頭、手のひらと場所を変えはしたけれど……。そして一羽人懐っこいのがいると、他の鳥も安心するようだった。

 青い服の少年たちの周りを、白い鳥がくるくると円を描いて飛び回る。
 翼のやわらかさ、温もりさえ感じられそうなほど近くを。
 両手を広げていると、すぐそばを鳥の体がかすめて行く。自分以外の生き物の作り出した空気の流れが触れる。

 ふと、目眩にも似た感覚にとらわれた。
 鳥が自分たちの周りに降りてきたのか。それとも自分たちが空に舞い上がったのか……足元の地面を忘れそうになる。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 やがて、小さなカモメがくいっと顔をもたげて一声、鳴いた。
 それが何かの合図だったように海鳥たちは少しずつ、円の直径を広げて行き、遠ざかり……。
 やがて、空を飛ぶ鳥のうち、どれがあの鳥だったのかもわからないほど、まばらになってしまった。

 オティアは少しだけ寂しい気持ちで周りを見回した。
 あの小さなカモメもいつの間にかいなくなっている。

「オティア」

 シエンがぱたぱたと上着はらっている。改めて自分の体を見回す。濃紺の布地には、やわらかな白い羽毛がたくさんついていた。
 サリーもばたばたと自分の上着を手のひらで叩いている。

 ひとしきり羽を落としてから、三人は顔を見合わせた。

「……行こうか」

 オティアはうなずいた。
 あと一回ぐらいなら、写真を撮られるのもがまんできそうな気がした。

 歩き出す三人の姿を、上空から小さなカモメが見守っていた。


 ※ ※ ※ ※


「……ふう」

 深く息を吐くと、ヨーコは目を開いた。
 まだ少しくらくらしている。長時間に渡る集中の反動が来たらしい。手のひらを木の幹に押し当て、何度も深い呼吸をくり返していると、のこのこと近づいてきた奴がいる。
 
「どーしたヨーコ。さすがに電池ぎれか?」

 軽く額に手を当てて首を振る。

(ったく、この諸悪の根源が……)

「ヒウェル」
「何だよ」
「あんたって…………ほんっとーに……………筋金入りの自爆野郎だわね」

 ぐにゃっとヒウェルは口をひんまげ、三白眼でヨーコをねめつけた。

「いっそボンバーマンとお呼びしたいわ」
「誰がハドソンだ!」

 それから急にどぎまぎして周囲を見回し、背を屈めると小さな声で聞いてきた。

「………何か、マックスから聞いたのか?」
「別に? 観りゃわかるわよ。観りゃ、ね」

 ちょこん、と首をかしげるとヨーコはほほ笑んだ。きっちり施された化粧の向こう側に、ハイスクール時代の彼女が透けて見えるような気がした。
 
(ああ。いろいろ理由はあるが、やっぱり俺はこの女が苦手だ!)

「あ、そろそろダンスタイム始まる! どーしよっかなー、着物だと踊れないしなー」
「踊るつもりだったのか!」
「冗談よ……あ、そうだ」

 すたすたと室内に戻りかけてからヨーコは振り向き、言った。

「新郎新婦に伝えといて。子どもたちのことなら心配ない、もうすぐ戻って来るからって」

 何を根拠に、そこまで言い切れるのか。
 この際、聞き返すのは不粋と言うものだろう。
 ただ、ハイスクール時代の経験からヒウェルは確信していた。彼女がそう言うのなら、それはまぎれもなく真実なのだと。
 

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